一章 ⑤『若君のお目覚め』
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階段を下りると地下は完全な暗闇だった。
見えているのは父さんのライターの明かりと、ほのかに浮かび上がる父さんの背中の輪郭だけ。それ以外は暗闇が分厚くたちこめていて目の前もまともに見えない。
「父さん、大丈夫?」
「いいや、すごく怖いぞぉ」
隠れているはずの小さな若君に聞かせたいのだろう。父さんはわざとらしくそう言った。
「おや?ここにろうそくがあるぞ!なんだろう?よし、つけてみよう!」
父さんの馬鹿芝居が続く。でも何か変な感じだ。あたしはまた嫌な予感がした。なにか罠があるようなだまされているようなそんな感じがする。
「ねぇ、ちょっと待ったほうが…」
あたしがそう言うより早く、父さんはいつものマイペースでロウソクに火を灯した。
そこに驚くべき光景が展開した!
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まず一つ目のロウソクにポワッと火が灯った。と、その火が左右二手に分かれ、小さなヒトダマのようにスルスルと空中を移動しはじめた。
「これ、仕掛け、だよね……」とあたし。
分かれた火は次のロウソクにたどり着き、そこでひときわ明るく輝くと、再び分岐して暗闇の中をゆらゆらと移動していった。
「……ああ。ずいぶんと凝ってるな」と父さん。
「でもとてもきれいねぇ」と母さん。拍手でもしそうな感じだった。
ロウソクに次々と火が灯っていき、再び火がふわふわと漂い、ゆっくりと明かりがつながってゆく。最初は左右に、続いて部屋の奥へ向かってまっすぐ移動し、最後に左右から再び中央に向かって集まると、明かりは長方形の形につながった。その大きさは三畳くらい。
そしてすべてのロウソクに火が灯り、部屋の中がフワリと明るくなった。
「なんだこれ?」
父さんは驚きに目を見開き、たった一言そうつぶやいた。
あたしはその光景を目の前にして、声も出せなかった。
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ここはお墓の中だった。
両側の壁は土を彫っただけの壁で、その空間の中央には大きな石台があった。高さはあたしの膝くらい。その石台の上に、巨大な西洋風の棺がデンと置かれていた。
もちろんそんな物を見たのは初めてだったが、外国映画でよく出てくる黒い棺とほとんど同じだった。とても大きな、真っ黒い、六角形を伸ばしたような西洋風の棺。
だがその棺には不気味な彫刻が立体的に施されていた。変な模様とか、苦しむ人の顔とか、悪魔みたいな姿の生き物が、棺いっぱいにびっしりとくっついていた。
だがなにより不気味なのは、その蓋が半分ほどずらされて……
棺の中が見えていたことだった……
そして棺の中には……
暗闇がよどむ棺の中には……
若い男の人の死体が横たわっていたのだ!
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キャアアア!
これは心の悲鳴で、実際には悲鳴は上げなかった。
いや、あんまりびっくりして悲鳴も上げられなかったのだ。
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「こ、これ、やっぱり死体か?」
さすがの父さんも声が震えていた。てか、あんた医者でしょ。と言いたいところなのだが、さすがのあたしもビビッていた。まったく余裕なし。あたしは父さんの背中に隠れるようにして、もう一度じっくりと棺の中をみつめた。
まだ若い人。少年というほど若くはなさそうだが、お父さんほどふけてもいない。
安らかな死に顔と言ったらいいのだろう。その口元には穏やかなほほえみが浮かんだままだった。肌は異様なまでに白かったが、それ以外はまるで眠っているように見えた。
あたしはその姿に吸い寄せられた。ロウソクがほのかに瞬き柔らかく影が踊る。その光が優しく棺の中を、そこに眠る青年の顔を照らしている。
その顔は思わず息をのむほど美しかった。ただただ美しかった。どうしても目が離せない。ものすごく引きつけられる感じがした。
人の顔を見てこんな気持ちになるのは初めてだった。
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「いったい誰なんだろう?」
父さんがつぶやいた。
あたしたちはもう少しよく見てみようと、一歩棺に近づいた。それからさらにもう一歩。そして三人並んだところで、そーっと棺の中をのぞきこんだ。
理由は分からないが、その青年は侍の格好をしていた。金と黒の刺繍が入った豪華な白いキモノを着ていた。黒髪は長く、前髪は左右に分けられて顎のあたりまで落ちている。いかにも若侍といった髪型。そしてその体の上には一振りの大きな太刀が抱かれていた。
「それにしても、ずいぶんとまぁ、色男だな」
父さんまでもが、ため息混じりに言った。
「本当……とてもきれいな人ね」
母さんもそう答えた。
そしてあたしは、ただただこの美しい人から目が離せなかった。
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「それにしても、これはいったいどういうことなんだ?」と父さん。
それをあたしたちに聞かないでよ、と思いつつも、今は父さんが頼りだった。なんといっても唯一の男の人だし、なんといっても内羽家の長男、跡取りなのだ。父さんはキモノの袖を巻き込んで腕を組んだ。
「おばあちゃんたちなら知ってるんじゃない?いっかい戻ったほうがいいかもよ」
あたしはとにかくここから早く出たくてそう言った。
「そんなことを言ってるんじゃない。蓋が開きっぱなしじゃないか!」
こんな時にまた妙なことを言い出す。蓋が開いてることがそんなに問題?ここに死体があるほうがよっぽど問題じゃないの?だが父さんは違うらしい。
「それに、この人にはもうお迎えが来ちゃってるじゃないか」
ううっ……なんか疲れる人だ。この人の思考とはいちいち噛み合わない気がする。
そして父さんは蓋を戻そうと手を伸ばした。
まさにその瞬間だった!
死体の目がカッと開いた。
そのことに驚くヒマを与えず、さらにその口がカッと開いた!
「遅―いッ!」
死体の大音声が地下室の空気をビリビリと震わせた。
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これが若君のお目覚めだった……
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