一章 ④『赤蔵』

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「赤蔵じゃ、!」

 ボタンばあちゃんはあきれ気味に、しかしちょっとドラマチックにそう告げた。


 赤蔵。それは家の敷地内にある、文字通りの赤い蔵のことだ。あたしの家には三つの大きくて古い蔵がある。白蔵と黒蔵と赤蔵。それらは壁と屋根がそれぞれの色で塗られているので、そう呼ばれていた。白と黒の蔵には、先祖代々の宝が詰まっているそうで、何度か掃除のときに開放されているのを見たことがあった。


 だが赤蔵の中だけは見たことがなかった。そもそも赤蔵自体が敷地の離れた場所にあり、なんとなく不気味な感じがしていたから、近づいたこともなかったのだ。


「赤蔵ですか……」

 父さんはそういってため息をついた。

 どうやら父さんもあの蔵は苦手らしい。

「わかりました。じゃ、いってきます」


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 あたしたちは月明かりの下、慣れない和服でぞろぞろと出発した。もっとも母さんだけは別。背筋も伸びて颯爽として歩いている。


 あたしたちは一列になって、手入れされた庭の中を通り抜け、やがて竹林の中へと入っていった。竹林の空気は夜だというのに深い緑色に染まって見えた。しかも昨日は雨が降ったようで、あちこちで道がぬかるみ、濃密な植物のにおいが立ち込めていた。

 あたしたちは転ばないよう、地面を見つめながら、斜面をそっと歩いていった。


「オレさぁ、あそこは苦手なんだよなぁ」ポツリと父さん。

「あら、赤蔵になにかいやな思い出でもありますの?」と母さん。

「小っちゃい頃さ、よくあそこに閉じ込められたんだよ。お仕置きだってさ。真っ暗で、床下からなんか変な音が聞こえてきて、とにかく怖かったんだよなぁ」

「まぁ、お仕置きなんて、あなたにもやんちゃなときがあったのね。少し意外」

「はは。今もそのままさ。あんまり変わってない。ヒトはそうそう変わらないよ」

「そうね、そうかもしれないわね」


 父さんと母さんは新婚さんみたいに仲良くしゃべっている。まったくこの二人はどんだけ仲がいいんだろう。


 目指す赤蔵はこの竹林を抜けたはずれに建っている。しかし竹林を抜けるまではこの中をさらに十分は歩かないといけない。


 あたしはといえば、こんなメンドくさいことに巻き込まれ、夜の遠足にまでつきあわされて、ため息しか出てこなかった。


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 やっとのことで竹林を抜けると、正面に赤蔵が現れた。二階建て分の高さがある真四角の建物だ。かなり古いものなのだが手入れはきちんとされている。正面に大きな扉があり、上のほうには逆三角形の窓が二つ付いている。どこか人の顔にも見えるがそれは少し恐ろしそうな顔をしている。


「赤蔵かぁ……久しぶりだなぁ」

 あたしはそれを見上げてつぶやいた。いつ塗りなおしたのかは知らないけれど、それは小さいときに見たのと同じく、壁も屋根も真っ赤に塗られていた。ただ『赤』といっても漆のような鮮やかな赤ではない。それは茶色と黒を混ぜ合わせたようなにぶい赤。それはどことなく乾いた血の色にも似ていた。


「そうだな。ここはずっと変わってない……いや、変えてはいけないそうだよ」


 父さんがあたしの肩にそっと手をかけて言った。お母さんもその隣に立った。そしてあたしたちは横一列に並んで屋根を見上げた。


 どういうわけだか、屋根いっぱいにカラスがとまり、じっとあたしたちを見下ろしていた。やっぱりここは不気味だ。あたしの背中はブルブルっと震えた。


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「ま、それはさておき、さっさと用事を済ませようか!」


 父さんはあたしの不安を感じたのか、明るくそう言った。さすが大人だ。ちっとも怖がっていない。

 だがこれは褒めすぎというやつで実際のところ父さんはほとんど何も考えていないのだ。いつも能天気な人だから。


 と、その時、あたしは扉のすぐ下、雑草が繁る土の上に、鎖と南京錠が落ちているのを見つけた。父さんの袖を引いてそれを知らせる。


「ね、父さんあれ見て」

「ん? なんだよ、ばあちゃんたち、先に来てたんじゃないか」


 父さんは鎖を拾い上げると扉にぶら下げた。

「それより、若君さんをずいぶんお待たせしてるんじゃありません?」

 と母さん。

「そうだな、急いだほうがよさそうだな」

 父さんは赤蔵の扉に手をかけ、ぐいと体重をかけて引き開けた。


「こんちわー、お迎えにきましたよぉ」


 ギイイイ、分厚い扉は不気味な軋みを響かせて開いていった。


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 真っ暗な空間に、細長い三角形の光がサッと差し込んだ。蔵の中は結構広い。予想と違って中には何もなかった。ガラーンという音が聞こえてきそうな感じ。もちろん人がいる気配もない。


「あの、内羽の者です。お迎えに来たんですが、どなたかいませんか?いませんよねぇ」

 父さんが自分で聞いて自分で答えた。

「ここで待ち合わせじゃなかったのかな?」

 父さんはガランとした蔵をさっと見回した。空っぽなのは一目で分かる。


「あら、何も……ないのねぇ」

 母さんも蔵の中に入ってきて、ぐるりとあたりを見回した。


「ホントに誰もいないの?」

 あたしもおそるおそる中に入り、すぐに父さんの背中に隠れた。


「いないみたいだよ。それにしても話がさっぱり分からないなぁ、ばあちゃんたちいよいよボケたかな?」


 またサラリとそんなことを。


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「あのー、お迎えにきましたよぉ」

 誰もいないというのに父さんはもう一度呼びかけた。

「やっぱりいないよなぁ」


 それから蔵の中に入っていった。とにかく中は薄暗い。天井近くの三角窓はふさがっていて、扉から漏れだした月明かりがあるだけだ。

 あたしたち三人の影がやたらと長く床の上を這っていき、壁で突き当たって折れ曲がった。


「いったいどうなってんだろうねぇ?」

 父さんは部屋の奥に向かってぶらぶらと歩いていく。

「ん?」と、父さんがつぶやいて、床にしゃがみ込んだ。

「足跡があるな」


 父さんがいるのは蔵の右奥のスミ。あたしと母さんも追いつき、父さんの足元を見た。板張りの床にはけっこうホコリが積もっていて、そこにうろうろと歩いたような足跡が残っていた。

 よく見ると、そこは床板の一部が四角く区切られ、銀の取手がついていた。


 ……?


 それとも床下収納かな?


「たぶんこの下だよ。しかし、なんだってこんなところに隠れてるんだ?若君って、かくれんぼするような小さい子なのかな?」

 父さんはそうぼやきつつ、なんのためらいもなく取手をつかんで扉を開いた。


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 開かれた扉の向こうには、地下へと続く階段が伸びていた。見えるのは三段目くらいまで。その先は真っ黒な闇が立ちこめている。少なくとも床下収納ではない。


「ねぇ、父さんはこの中に閉じこめられたの?」

 あたしが聞いた。だってこんなところに閉じこめられたら、おっかなすぎるもの。


「いや、地下のコトは知らなかったなぁ」

 ふと地下から冷たい風が吹き上げてきた。蔵の中はけっこう蒸し暑かったのに、その風のせいで全身に鳥肌が立った。


「ねぇ父さん、やっぱやめたほうがよくない?」

 なにか嫌な感じがした。なにかよくないものがこの地下に潜んでいる感じがした。


「さつきは恐がりだなぁ。なんにもいないよ」

 そこで父は声をひそめてあたしと母さんにささやいた。

「オレが思うに、たぶんイタズラ好きの子供なんだよ。かくれんぼしてるつもりなのさ。だから驚いたフリをすればいいんだよ」

 父さんはニッと笑うと、袖の中からライターを取り出した。カキンと蓋を開けて炎を灯す。階段下の暗闇が生き物のように揺らめいた。


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「ま、父さんの後についてきなさい」

 父さんは明かりをかざしながら、さっさと階段を下りていった。まったくこの人はすごく勇気があるのか、ただニブいだけなのか、今でもよく分からなくなる。


 あたしは母さんと目を合わせた。母さんもあたしと同じような戸惑った目をしていた。

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