四章 ⑨『さつき、再び血を吸われる』
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若君はお腹が空いただけだった。
なんだ、そんなことか。
あたしはまずそう思った。心配して損をした気分。そんなことならなにも我慢することないのに……と思いかけ、あたしはいやでも思い出した。
若君が口にできるのは、あたしの血だけなのだ。
それはつまり、また血を吸われるということなのだ。
でも、仕方ないよね。
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もうあたしはあきらめの境地だった。どんな生き物だって、生きるためには食べなくちゃならない。当たり前のこと。
若君の場合、それがたまたま人の血だったというだけ。
それだけのことなのだ。
「わかりました」
あたしは完璧に慣れたのかもしれない。
ふぅ。ひとつため息をついた。
「ではすぐに部屋に戻りましょう」
そう言って立ち上がりかけたあたしの腕を、またもや若君がつかんだ。
「う、動けん」
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「いや、そういわれても……」
困るでしょ。こんなデカイ人をかつげるはずないし。
「たのむ……」
あたしは若君の前にしゃがんだ。若君に雨がかからないよう傘をさした。
緑に囲まれた庭の中、灰色の雨が降る世界の中、
真っ赤な傘の下にあたしと若君の二人だけだった。
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「ここで、ですか?」
若君は苦しげにうなずく。
「たのむ……」
「分かりました」
あたしは右手の袖をまくりあげた。
「貧血にならない程度にしてくださいよ」
若君はふたたびうなずくと、あたしの手首をそっとつかみ、体を引き寄せた。そしてゆっくりと肩に口を寄せてきた。
その瞬間あたしはやっぱり顔をそむけた。
若君の濡れた冷たい唇がひんやりと肩にふれた。
それから若君の牙がプツリと皮膚を破ってあたしの肩に突き刺さった。
また、あの甘い痛みが広がった……。
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「いやぁ、じつにうまかったぞ!」
ホントに一瞬で若君は立ち直った。死にそうな雰囲気はきれいに消し飛び、もう元気いっぱいの殿様に戻っている。
ちょっとかっこよかった愁いを帯びた表情もどこへやら、今は満面に笑みを浮かべ、実に満ち足りた表情をしている。
「いやぁ、おぬしの血は実にうまいなぁ。すっかり元気になったぞ。ハッハッハッ」
あたしはそそくさと袖をなおした。やっぱりこの人はなんか疲れる。
と、白い袖にポツンポツンと血の跡が二つにじんだ。
この血の跡だけが『これは現実だ』と語っている気がした。
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