三章 ⑧『新兵衛と若君』

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「……清兵衛や」

 ボタンばあちゃんは、若君に聞こえないように、父さんにささやいた。


「……なんでしょう?」

 父さんも振り向かず、ささやきで答えた。


「今後いっさい、若君様の起きておられる夜間、この家での電気の使用は一切禁止じゃ」

「本気ですか?」


「当然じゃ。あのように若君が取り乱されてはかわいそうじゃ」

「そりゃそうですけど。なんとか説明すれば分かってもらえるんじゃないですか?」

「ではそれまでは禁止じゃ。今はとにかく家中の電気を止めねばならん」

 父さんはためらっていた。しかし、結論はすでに出ていた。これ以上家の中を破壊されてはたまらない。


「分かりました。じゃあブレーカーを落としてきます」

 父さんは静かに去っていった。


「どうかしたのか?」若君が聞く。

 あたしたちは一斉に首を横に振った。みんななんて返事すればいいのか分からなかったのだ。


 と、このモヤモヤした空気を切り裂く声が小さく響いた。


「す……」


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「……すげぇ……」


 弟の新兵衛だった。あこがれのヒーローを見るように、キラキラした目で若君を見上げていた。


「ん?そうか、すごいか」

 そう答える若君はうれしそうだった。


「うん。超すげぇ」

 言葉の意味が分からなかったのか、若君は首を傾げた。


「若さん、ハンパねぇ」

「意味はよく分からんが……まぁほめ言葉だな。よしよし、おぬしはよく分かっておるようじゃな」

「うん。若さん、いや、先生!いや、師匠!お願いがあります!」

 新兵衛はいきなりそんなことを言い出し、急にガバッと正座した。またなにが始まるのやら……。


「なんじゃ、申してみよ」

「オレに稽古をつけてください。試合が近くて、このままじゃメンバーにも選ばれなくて、オレ、どーしても強くなりたいんです!」


「めんばぁ?つまり、剣術を教えてほしいのじゃな」

「はい!」


 若君は腕を組みじっと新兵衛を見下ろした。新兵衛も熱いまなざしを若君に送る。


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 ちなみに、それを見てるあたしはどうでもいい気分。なんかついていけない。ついていく気もない。なんでもいいから、さっさと終わってほしい気分だった。


 そんなあたしの気分を別として、二人の熱いドラマは続く。


「本来、領主が家臣に剣を教えるなどありえぬことだ」

「お願いします! どうしても倒したいライバルがいるんです!」

 若君は腕組みをといた。


「らいばるが何かは知らぬが、ワシの稽古は厳しいぞ」

 新兵衛が顔をあげた。


「オッケーなんですね」

「おっけーの意味もよく分からんが、許すということじゃ」

「やった! ありがとう、師匠!」

「では、明日から始めるとしよう」

「はい! よろしくお願いします、師匠」


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 二人のドラマがやっと終わった。


「では、ワシはしばらく部屋で休む。さすがにちと疲れた」

 そういって若君が居間を出ていくと、あたしたちのドラマも終わった。


「片づけは明日にしましょう」と母さん。

「そうじゃな。暗くてはなにもできんしな。もう暗くなったし、ちょっと早いけど休ませてもらうよ」

 ボタンばあちゃんが自分の部屋に引き上げると、みんなもそれぞれの部屋に引き上げていった。


 そしてあたしも自分の部屋に戻った。


 時刻は夜の八時。


 いつもだったらこれからが楽しい時間なんだけど、部屋は暗いし、テレビもないしで、あたしもさっさと寝ることにした。


 窓からのぞく月は、まだ輝き始めたばかりだった。

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