二章 ⑨『ひとりぼっちの若君』

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 つまり普通の場合は若君に噛まれると、モンスターになるってことだ。でも内羽一族には免疫みたいなものがあって、直系の一族だけは病気にならない。つまり祟られないわけだ。そしてその免疫は代々受け継がれてきて、若君が安全に吸うことのできる血液の供給源になった。


 科学的に説明するなら、そんなところなんだろう。つまり若君にとって内羽一族の娘は、安心して口にできる食料みたいなものなのだ。


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「内羽一族というのは、若君さんに選ばれて、大事にされてきた一族だったんですって。でもね、同時に内羽一族も若君さんには返しきれないほどの恩があるそうよ」


 でもそれは家畜を守るためなのよね。たぶんそれが真実。でもあたしはそれを母さんには言えなかった。なんか自分で言うのはみじめな気がしたからだ。


 と、ひとつ思い当たった。

「あ!でもそれだったら、あたしじゃなくてもよかったんじゃない? お父さんだって、おじいちゃんだってそうでしょ? あと、新兵衛もそうじゃない?」


 母さんはうなずいた。どうやら同じ疑問を持っていたらしい。


「母さんもそう思ってね、若君さんに聞いてみたの」


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「ワシも試したことがある」


 若君はまず、そう言ったそうだ。だがすぐにこう続けたという。


「男の血も飲めぬことはないのだが、どういうわけかひどい味でな、アレはとても飲めたものではないのだ」


 つまり趣味嗜好の問題というわけだ。うまいとか、まずいとか、そういうことだったのだ。そんな理由であたしが選ばれてしまったのだ。


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「じゃあ、若君が血を吸えるのは、あたしだけってことなんだ?」

 あたしの言葉に、母さんはほほえんだ。


「それより、こう考えてみたら?


 うーん。微妙。特別なのは分かるけど、やっぱり喜べないなぁ。


「これはきっと運命なのよ。あなたが内羽一族に生まれたのも、今になって若君さんが目覚めたのも、きっと運命なのよ」

 ステキ!と続けたいような言い方だった。


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「でもね、内羽一族が若君さんに仕えていたのは、それだけが理由じゃなかったのよ。若君さんはね、それはそれは立派な領主様だったんですって。若君さんはずいぶんと照れてらしたけど、ボタンおばあちゃんは小さな頃から若君さんの話を聞いてきて、ずっとあこがれていたそうよ」


「ボタンばあちゃんの初恋だったりして」

「そうかもしれないわね。あんなにカッコいい人だものね」

 フフフと二人で笑った。


「この辺りの土地はね、土と水がよかったから昔からお米がたくさん取れたんですって。だから昔からいろんな国に狙われて、いつも戦争が絶えなかったそうよ。でもね、いつでも若君さんが領地を守ってくれたんですって。とっても強いお侍さんだったそうよ」


「だって無敵のヴァンパイアだもんね」


「そうね。それでも若君さんはいつも農民の味方になって、どんなに大きな国が攻めてきても、どんなに大勢の軍隊が攻めてきても、いつでも先頭に立って戦っていたそうよ。それにね、戦争がないときはいつも農民の手伝いをして、田植えや稲刈りなんかもずいぶんと手伝ってくれたそうよ」


 あの人がねぇ。そう思わずにいられない。


「だからみんなが若君さんを尊敬していたんですって。若君さんには大きな借りがあるって、この辺りの人たちはみんなそう思っていたそうよ」


 あたしはちょっとだけその頃のことを想像してみた。農民に慕われたお殿様、戦場では無敵の侍、きっと人気があったんだろうなぁ。ましてあの顔だ。


「だから、若君さんに仕える内羽一族は、地元ではいつも特別な存在だったんですって」


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「だから家はお金持ちで、大きなお屋敷なのね」

「そういうことね。この土地の人たちは今もそれを忘れていないのよ」


 母さんはあたしのタオルケットを直した。

「これでお話はおしまい。そろそろあなたも眠りなさい。早く体力を取り戻さないとね」

「うん」

「お腹は空いてない?」

「うん。大丈夫。いっぱい食べたから」

「分かったわ」

 そして母さんは立ち上がった。それからカーテンを閉め、ベッドのぬいぐるみをもう一度並べなおしてくれた。


「さつき、若君さんの力になってあげてね。血を分けてあげるだけじゃなくて、ちゃんと心の支えになってあげて。あの人はね、遠い昔から急にここにきて、知り合いも、お友達も、家族も誰もいなくなって、とても寂しい思いをしていると思うのよ」


 そう言われてもね。母さんの言う意味も分かるんだけど。


「そういえばさ、若君ってどのくらい寝てたのかな?」


「二百年くらいになるって、ボタンおばあちゃんは言ってたわ。ボタンおばあちゃんの、そのまたヒイおばあちゃんが、まだ小さかった頃に若君を見たそうよ」

「じゃあ江戸時代かぁ」


 あの人はずいぶん遠くから来たんだ。


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「じゃ、母さんもう行きますよ」

「うん」

「おやすみなさい。いい夢を見てね」

「おやすみぃ」


 母さんは部屋を出て行く前に、もう一度振り返った。

「さつき、つらい?」

 母さんは優しくそう聞いてくれた。


 つらいと言えばつらい気もする。でも、あたしはきっと大丈夫だ。母さんもいる。


「ううん、平気」


 母さんはそれを聞いてにっこりと笑ってから、部屋を出て行った。


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 あたしはしばらく眠れなかった。天井を見上げて、若君のことを考えていた。


 遠い過去から目覚めた吸血鬼。

 農民思いの優しい領主。

 いくつもの戦いをしてきた侍の大将。


 若君にはいろんな顔がある。

 あたしの知らない、想像もできないような、長い時間と歴史の中を生きてきた人なのだ。


 そして今、若君は一人ぼっちでこの時代に目覚めてしまった。


「かわいそうな人なのかもしれないな」


 あたしはそうつぶやいてみた。言葉にすると、ますますそんな気がしてきた。


 うん。今度はもっと正面からあの人と向きあってみよう。


 あたしはカーテンの裾を少しだけ開いて、窓の外を見上げた。

 まばゆいほどの銀色の月が浮かんでいた。

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