人気のない作品を書き続ける意味はあるのか無いのか


 おはようございます、風嵐むげんです。いよいよ今年も終わりですね、皆さま。今年はどんな年でしたか? 私は何だか健康に悩み続けた一年だったように思います。


 年始のインフルエンザに始まり、そこから半年近く治らなかった喉の痛み。まじで夏くらいまでずっとのど飴食ってましたもの。主食かな? ってくらい食べてました。それから頭痛やら肌荒れやら腹痛やら腱鞘炎やらものもらいやら。ものもらいも四回くらいなりましたよ。そして最近のめまい。結構運動もしたのに、ついてないですね。


 小説もなかなか不調でした。最高で二次落ち、最低で一次落ち。美形悪役は今でも多くの方に読んで頂けて嬉しいのですが、まおよめをリメイクした夢女子と只今更新中の異世界文化祭は完全にあれですね。あれ。


 こういう時に思い出すのが、大昔に見かけたとある作家さんの日記です。残念ながらお名前を憶えていないのですが、その方は一度受賞して書籍化したけれども、なかなか売れずに担当さんから「web小説書いてみない?」って言われて、人気が出たらもう一度本を出せる、みたいな状態になったそうです。


 で、その人はいくつかwebで小説をアップして、読者が集まらなかったらすぐにボツにして消すっていうことをやっていました。人気が無い作品は書くだけ無駄だから。そのスタンスと言うか、言葉が、ずっと私の中にありまして。


 人気が出ない作品は、書くだけ無駄なのでしょうか。確かに、時間も労力も無駄かもしれない。いつか誰かの目に留まるかもしれない、一人でも面白いと思ってくれるかもしれない。そんな希望に縋るのも限界がある。さっさと止めた方が精神的にも良い。


 でも、書き続けることが本当に悪いことなのでしょうか。


 読まれない作品は本当に無駄なのでしょうか。


 私はどうしてもそう思えないのですが、それは間違っているのでしょうか。


 どんなに面白くなくても、不格好でも、形にすることに私は意味があると思っています。書きたくなくなって放置するのはまだ良い、でも消してしまうのは違うと思う。その作品を完結出来た、途中まででも書けた、設定だけでも考えられた。でも、消してしまうとそもそも無かったことになってしまう。


 中途半端でも形になっているものと、跡形もなくなったもの。価値があるのは、どちらなのでしょうか。それとも、それはゴミ屋敷に住んでる困った人と同じ考えでしかないのでしょうか。傍から見たらゴミを大事にしてる可哀想な人に見えるのでしょうか。


 それぞれのスタンスはあるでしょうし、やり方も色々ある。私が間違っているのかもしれない、正しいのかもしれない。それはよくわからない。考えれば考える程わからなくなってきました。悩み過ぎて最近ゴロゴロしてるのに体重が一キロ減りました。


 いくら考えてもわからないから、私はとりあえず書きたいと思えるうちは書いていこうと思っています。まあ、作品に対する申し訳なさっていうのはありますが。私じゃない人気作家さんに思いついて貰えたら、大勢の人に面白いって言って貰えたのかもしれないのにね。


 はあー、イラストまで描いて貰ったのに。自分の力不足さが悔しい! 


『異世界で文化祭を――三百万円稼いで、囚われの王子様を救出するのだ!――』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054891434016


 せめて経験値だけでも積めるように、ゴミにはならないように、頑張ります。


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