第3話 真実
今年も当たり前のように年末はやってくる。年末がやってくれば、もちろん年始もやってくる。ただいつもと違って、どこか胸のざわつきを感じてしまうのは、あいつの言葉のせいだった。
『母さんが望んだ事なんだぜ』
若くしてガンで死んだ母さん。もっともっと色々したかったことは沢山あったはず。これが母さんが望んだ現実のはずがない。でも、もし何かがあるのだとしたら、一体母さんは何を望んでいたというの?
どう考えても分からない。いても立ってもいられず、気づいたら私は天元神社に立っていた。年始とあって、少しは参拝客はいたが、小さな神社のせいか、夕方くらいになると、人影はまばら。いずれは無くなっていた。
辺りに人がいなくなったのを見計らうと、
「おい!」
私はそう叫んだ。
「いるんでしょ? 出てきたら?」
するとどこからか枯れ葉を踏む足音が近づいてきた。
「おいおい、神様に向かっておいとは失敬な」
その声の方向を向くと、そこにはこの前の神様がいた。
しかしその格好は前回とは全く異なるものだった。
「何? その格好?」
「何って、これか? 神様の格好に決まってるだろう」
神様は白装束に、杖をついていた。そして、これはドンキホーテで買ったの、あはははは、と言いながら独りで笑っていた。
「もう、そんなことより」
私はいらいらしてきた。
「もう、分かってるでしょ? どういうことよ、望んだ事って」
急に神様の目が鋭くなった。
「どういうことって、そのままの意味だ」
「そのまま?」
私は思わず拳に力が入っていくのを感じた。腹の奥から何か熱い物がゆっくりとこみ上げた。
「これが、母さんが望んだことの訳ないじゃない」
私は震える唇を抑えられなかった。
「母さんは、母さんはもっと生きたかったはず。私、まだなんにも母さんに恩返し出来てない。もっともっと、したかったこと、しなきゃいけなかったこと沢山あるのに……それなのに」
思わず目蓋から涙がこぼれ落ちた。
今までこらえていた沢山のものが、胸の奥底からわき上がり、涙とともにこぼれ落ちていた。私はただその雫が地面に落ちるのを見届けるしか出来なかった。
いやそれだけではない、沢山の雫が私の周りに落ちてきた。
——雨?
ふと見上げると、数え切れない雨粒が視界全てを占拠した。その中央の向こう側、無数の雨粒のカーテンが、神様の姿をぼやかした。その姿を見つめると、その表情は今までと比べ物にならないくらい厳かで、威厳のある眼差しが浮かび上がっていた。
「そんなに言うんなら、見せてやろう。これが真実だ」
雨音は一層強さを増し、私の頭を叩きつけた。思わず走り出した私は、近くの賽銭箱の奥に逃げ込んだ。着ていた服がびしょ濡れだった。ハンドバックのタオルで顔を拭いていると、誰かが近づいているのを感じた。その歩き方はすこしおぼつかなく、ゆっくりだった。
——こんな雨の中、誰?
大きな黄色い傘の下をよく見てみると、どうやら女性だった。
その女性はゆっくりと傘を畳む、こちらには気づいていない。
良くみてみると、その「ゆっくり」の理由が分かった。
腹部から骨盤にかけて、なだらかな曲線を描いており、そこを女性は優しく撫でる。どうやら妊娠しているようだった。女性は賽銭箱の前まで来ると、手を合わせ、ひたすら何かを祈っていた。
相変わらず、外はまるでバケツをひっくり返したような大雨。2、3メートル先さえよく見えない。時折混ざる、ボトン、ボトンという雨の音を聞きながら、祈り続けるその女性の顔をよく見てみた。
かあ、さん?
まさか、そんなはずはない、そんな思いと裏腹にその女性は、写真でしか見たことがない、若い頃の母さんそっくりだった。女性は賽銭箱の前で手を合わせ、目を閉じると必死に何かを呟いていた。
これが真実なの?
一体母さんは何を望んでいたっていうの?
知りたい反面、その恐ろしいかもしれない現実に私は恐怖さえ覚えた。
でももう後には引けない。ここで確かめなければ、私は前には進めない、そんな気がした。私はその女性の表情をしっかりと見つめ、そしてその口から発せられる言葉に耳を傾ける覚悟を決めた。
女性はひとしきり祈った後、最後にこう呟いていた。
「無事、この子、美緒に会わせてください。そして一回で良いから抱きしめさせてください」
そう言い終わった瞬間、辺りは光に包まれ、気づいたら私は神社の中心で呆然と立ち尽くしていた。雨は止み、辺りは相変わらず、冬の風が吹く。突然枯れ葉の一枚が前髪にひっかかり、思わず私はそれを避けた。
………。
気づけば雨など降っておらず、地面も濡れていない。ただただ暗い夜空に街灯がじっと明かりをつけていた。
今のは何?
私は今のその状況を理解するまでに少し時間がかかった。
ただゆっくりと作られる、そのもしかしたらの仮説が正しいのだとしたら……。その仮説がおぼろげなからしっかりとした形を作り出していた頃、私はもう既に走り出していた。
その目的は一つ。
確認しなければならないことがある。
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