第9話 友達への思い。

 私は結局、何をしてしまったのだろう。大切な友達をどうやら怒らせてしまったようだけれど、その理由が分からない。鈍感な私のことだから、きっと何か気に障るようなことを言うかやるか、してしまったのだろう。いやまあ、これまでに散々不愛想に接してきたことは解っていたから、もしかすると、それが溜まって昨日限界が来たというだけかもしれない。昨日は頑張って愛想良くしてみたのだけれど、それが空回りで、苛立たせてしまったのだろうか。

 わからないことが多すぎる。私は端村のことを何にも知らないみたいだ。今更気づいたけれど、それは当たり前のことだった。端村は優しいから、いつも一緒に居てくれる。知り合ったばかりの時、放っておいてほしくて冷たく接したりもしたが、それでもめげずにいてくれた。端村は私について努力してくれたのだ。

 対して私は、端村のことを知ろうとしなかった。なんか面倒なやつに気に入られてしまったなあと思うだけで、常に受動的だった。

 だから、こんな時に困ってしまう。揉めたときに対処ができない。私は友達と喧嘩した時ほったらかしにしていたから、友達に対する思いが変わっているのは喜ばしいことだけれど、なんで頑張ってこなかったのかと後悔が同時に来た。喧嘩した後はいっそう仲良くなる、とか言うけど仲直り出来なければそこで終わってしまうことだけは、経験から分かった。

 私から動かなければならないことは解っているけれど、どうすれば良いのかわからない。まず、何をしたかが分からないし、その聞き出し方も解らない。面と向かって私何かしましたか、と訊くのも一つの手ではあるけれど、それはそれでもしも怒っていなかった時、嫌な気分にさせてしまうかもしれない。言い訳だろうか。言い訳なのだろう。

 「佳純先輩!おはようございます!」朝から元気いっぱいの挨拶をしてくる小っちゃいのが背後からやってきた。最近友達になった恵美とかいう子だ。苗字は知らない。いきなり話しかけてきて、それからなんか声をかけてくるので、勝手に友達になられたという感じだろうか。

 まあ、良い子だから良いのだけれど。「はい、おはよう」私は言いながら、恵美の頭を撫でる。一度、試しに頭を触ってみたら機嫌が良くなったように見えたので、それ以来こうして撫でている。のだけど。

 「…佳純先輩」

 「…どした?」

 「…吐いていいですか」

 「それ毎日言うね。朝弱い?」

 と、こんなふうに毎回吐こうとするから、今後は頭を撫でるのも考えた方が良いかもしれない。

 というか、吐くって何なの。私が頭を撫でたら胃が活発に動いたりするのかな。

 「嫌?頭撫でられるの」

 「そんなわけないじゃないですか!何言うんですか!まったくもう!」

 「いや、まったくもうと言われても。だって、吐いたら困るじゃん」

 「いやいや、吐くほど嬉しいということですよ!」

 「どういう嬉しさなの…」

 本当、この子は何を考えているのかわからない。好いてくれているのは何とか伝わってくるのだけれど、なんか、過剰と言うよりは方向が間違っている気がする。まあ、それも結構可愛いのだけれど。

 「そう言えば、佳純先輩。今日は何もしてないんですね」

 「というと?」

 「いえ、いつも文庫本読んでたり、音楽聞いてたりするじゃないですか」

 「ああ、なるほど。いや、そんな気分にならなくてさ」

 「何かあったんですか?」

 「あー。友達をちょっと怒らせちゃってさ。どうしたものかなー、って」

 「…失礼ながら、友達いたんですか」

 「うんまあ、一応。友達って言っても、お互いが仲良くなろうとしたわけじゃないけどね」私は言ってから気付く。「丁度、恵美みたいな友達」

 そういえば私は、恵美に対しても受動的だ。恵美は何故か私のことを好いてくれているけれど、私は一言もそういった類のことを言ったことが無かった。

 やっぱり、言って欲しいよね。

 「なんかごめん」私は急に申し訳ない気分になって、謝った。

 「え、どうしたんですか、急に」

 「えっと」上手い言葉を考えるが、出てこなかった。だからまあ、言葉じゃなくてもいいかな。

 そう思い、恵美の手を握ってみた。前、これですごく喜んでいたような記憶があったからだ。

 「ひゃうっ」恵美は妙な声を出す。

 「あ、嫌だった?」

 「そんなわけないです!」離そうとする私の手に食らいつくかの勢いで言った。「…吐きそう」

 「やっぱやめた方が良いんじゃ」

 「ダメです!」この手は絶対に離しません、と恵美はしがみつくようにした。

  「まあ、恵美が良いなら良いのだけど」

 「大いにいいです!」

 「大いに、の使い方があってるどうか微妙だけれど」

 「えへへへ」恵美は嬉しそうにしている。これは、私の思いが伝わったということで良いのだろうか。

 なんか、違う気がする。

  「佳純先輩の手、気持ちいい…」

  「恵美、気持ち悪い」

  「佳純先輩の声、可愛い」

  「罵倒の声でもいいのか」

  「ええ、先輩の声なら何でも」

 これになんと返したら正解なのだろうか。というか、この子私のこと好きすぎないか。何がそこまでさせるのだろう。自分で言うのもなんだけれど、私にそこまでの魅力はないと思うのだが。

「まあ、ざっとこんな感じです」恵美は得意気に言った。

  「なんの話?」

  「たぶんその怒らせてしまったお友だちも私と同じような気持ちだと思います」

  その話続いてたのか、と内心で言う。 「どういう…?」

「実を言うと、私、佳純先輩のことが、す、す、好きなんですよ」

「今更照れなくても、伝わってくるけど」

 「そ、そうですか?…それは…困る…。んんっ、まあまあ、ともかく、私は先輩のことが気になっていたから話しかけていたわけで、お友達もそうなのでしょうということです」

 「それは、そうだけど」端村の場合は微妙だった。暇だったら割合誰にでも話しかけるタイプの人間なので、私の場合も私が気になっていたからというよりも、自分が暇だったからという理由の方が大きいのだ。と思う。わからないけど。

 「私は佳純先輩のことが、す、すき、好きなので、佳純先輩に対して怒ることはありませんが、もしもそういう状況になっとして、一刻も早く仲直りしたいと思うと、断言できます」

 「断言」

 「断言できます。だって、そのまま放置していたら、絶対に好転しないことが解っていますし、自分の気持ちが誤解されたままだと悲しいですから。それと、あの、佳純先輩と、少しでも長く、楽しく過ごしたいので」

 恵美ははにかみながら言った。その仕草はとても可愛いらしいのだけれど、やはり、端村には当てはまらないように思える。「…ありがとう」

 「お友達も、きっと同じ風に考えていると思います。佳純先輩の方も仲直りしたいと思っているのでしょう?」

 「うん、それは勿論」

 「佳純先輩がお友達にその気持ちを伝えてあげれば、きっと大丈夫ですよ。自信持ってください!」

 「…ありがとう、恵美。元気出たよ」

 端村がどういう意図で私に話かけたかなんて、今となってはあまり関係ないのかもしれない。端村が私にとって大切であるのには変わりないし、端村と疎遠になるのが嫌なのも事実だ。初めはどうだとか、そんなのを気にしていたらこのままなにもせずに終わってしまう。端村と仲直りすらできないんじゃ、河原さんと仲良くなんて到底無理な話だ。

 ここは、頑張らないといけないだろう。

 お礼もかねて恵美の頭に手を乗せると、恵美はまた嬉しそうに笑った。

 「あの、佳純先輩?」探るような態度で恵美が言う。「あの、こんなことを言うと幻滅されちゃうかもなんですけど、私の前で違うお友達の話、してほしくないです」

 「どうして?」

 「だって」恵美は言い淀む。「今は私が佳純先輩と話してるのに、遠く感じちゃうんです。佳純先輩のことをもっと知りたいですけれど、今だけは、私だけの佳純先輩…が、いい、で、す」途中で恥ずかしくなったのか、恵美は赤面して下を向いた。「ごめんなさい、佳純先輩」

 「ううん。ごめんね、気を付ける」私は言って、また頭を撫でた。


 恵美に元気をもらっても、端村が恵美の言った通りの考え方になるわけはない。だからまあ、下駄箱で靴を履き替える辺りにはもう暗雲たる気分に戻っていた。

 重い脚に学校の階段は堪える。いつもなら陽当たりが良い二階の教室が結構気に入っていたのだが、今は少し鬱陶しい。どうしたものか、と頭を悩ませる。

 恵美がせっかく元気づけてくれたのだ、私がこんなことではいけない。私から行かなくてはこの状況は好転しない。そうやって奮い立たせ、教室へ入った。

 「おはよ、端村」既に着席している端村に、努めて快活に話しかける。

 「お、おはよ、佳純…」端村はあやふやな挨拶をした。

 やはり、いつもの端村じゃない。本当ならこのあたりで冗談の一つも言うべきなのだろうが、ヘタレの私はそこまでできなかった。

 大丈夫。自分の席に座ってから、呟いた。今日はまだ始まったばかりだ。私が動けば、何とかなる。

 ここは私が、頑張るべきだ。

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