第8話 あの子への思い
朝の陽ざしは嫌がらせかと思うくらいに鋭かった。誰の心を写しているのか、空は快晴、気温も相応に高い。そう言えば少し靄がかかっているように見える空が気象的には快晴らしいけど、そういう知識のない人間からすれば、今日みたいに真っ青で白い雲が光ってるくらいのがよっぽど晴れているように見える。本当、鬱陶しいな。今は特に。
昨日のこと、佳純は怒っているだろうか。私は考えながら登校する。柄にもなくむきになって、どう間違ったか四人編成で出かけてしまったけれど、佳純、前半絶対怒ってたよね。まあ、それでもしっかり楽しんでいたようだけれど、もし問い詰められたらなんと答えようか。私だって自分がどういうつもりだったのか具体的にはわからないのに。そもそも、何で私は佳純以外の二人を誘ったのだろうか。佳純を河原から遠ざけたいのなら、佳純だけ誘ってどこかへ行けばいいだけの話だ。それに、佳純を一人占めできるわけだし(いや別にしたいわけでは無いけれど)、そちらの方が適している気がする。あの微妙の空間を、何故私は作りだしてしまったのだろうか。結局、佳純と河原は結構仲良くなってしまったし。
本当、何がしたかったのだろう、私は。
「おはよう、真理香。なんか元気ないね」後頭部を軽くはたきながらそう言う彼女は、友人の晶だった。すらっとしていて、長い黒髪が綺麗だ。外見的には河原と似たところを感じるけれど、私から見たら晶の方が綺麗で、とっつきやすい。一年のころから友達だが、晶と話すときは億劫さを感じることは無かった。まあ、通学路が同じなだけあって、長い時間一緒に居ることに起因していると思うけれど、間違いなく彼女には友愛があった。
「また、柏木さん?」というわけで、晶には全部話していた。こんな女々しいこと、正直に話すのもどうかな、と思ったけれど、晶ならいいか、ということである。
女が女々しいのは当然だし。
「そう」私は短く答えて頷いた。
「喧嘩しちゃったの?」
「そうじゃないけど、今からする予定。かもしれない」
「そりゃ随分と未確定事項が多いんだね。そんなに心配しなくてもいいんじゃないの?らしくないよ?」
「んー、まあそうなんだけどさ。結構な事やっちゃったからなー。なんかこう、おかしくなって」
「おかしくなったって、なにさ」晶は笑いながら言った。
「いや、んー、なんか佳純が誰かと仲良くなろうとしてるのを見て、なんか止めたくちゃった」
「ふうん。なに?妬いちゃったの?」
「違う!」
「まあ深くは聞かないけど、それなら早急に謝った方がいいかもね。心配しなくていいって言ったばかりで何だけど」そんな感じで疎遠になった子いたな、と思いだすようにして晶は恐ろしいことを言う。「何がいけなかったんだろうなー」
「やめて…」
「はは、ごめんね」
「笑い事じゃないよ。私だってこれでも必死なんだよー?佳純、結構解り辛いし。最近ちょっとはわかるようになってきてはいるんだけど、未だに何考えてんだかつかめないんだよね」
「ふうん、それはご苦労だね。さておき…前から思ってたんだけどさ」晶はうーん、と唸りながら言った。「何でそこまで柏木さんに固執するかね。確かに柏木さん、格好いい感じもあるけど、他の子とあまり変わらないと思うんだけど」
これは何度か言われていることだった。まあ、確かにそう言われてしまうと、佳純じゃなくても良いは良い。何を喋るわけでも無いし、むしろ佳純は喋らない方だから、他の子の方が接しやすかったりする部分もある。例えば、明らかに晶の方が接しやすい。
「まあ、そうなんだけどね」私は同意してから、「でもまあ、なんとなくね。拘っちゃうなあ」
「友達になるのに苦労したから?」
「わっかんない。けど、それもあるかもね。本当に、佳純はつかみどころがないから」私は思い返しながら言った。本当に、あの時は地獄だった。佳純笑わないし、怖いし、いちいち語気が強いしでもう心が折れるくらいの勢いだった。
「簡単に友達になれたら大切にしないってのは、どうなの?」
「いや、そんなわけでは無いけど」
「私の事は大切にしてくれないの?」
「ちょ、何言ってんのよ」私は動揺して、少し声が大きくなった。「もー、そんなわけないじゃないのー。晶も充分大切だよ。なにー?妬いちゃったのー?」
「まあ、真理香ほどではないけどね。そうかも」
「ちょ、やめてよ…嫉妬なんてしてるわけないじゃないの」
「いやー、してるよー。もう恋愛のそれに等しいくらい」晶は冗談めかして言った。それを真剣に受け止める私はたぶん相当キている。
しばしの間黙って、考えてみた。恋愛か。うん、まあ確かに私のこの感情が嫉妬だとして、尚且つ佳純と河原が仲良くなるのを阻止したい気持ちがあるとして、それなら充分に恋愛感情と言えるかもしれない。けれど、私のこれは嫉妬じゃない。そして、佳純と河原が仲良くなるとちょっと嫌な気分になるのは、うん、はらはらするからだ。佳純は態度が終始悪いし、河原は河原でそれを意にも解さず自分の話を進めるから、どうも危険な香りがするのだ。「うん、そうだよ、そういうこと。もー、やめてよねー、恋愛とか言うの。私は普通に男が好きだし」
「別に良いと思うけどね、性的マイノリティってやつ?ただの趣向だし」
「私はそれじゃないから」
「嫌なの?」
「嫌だよ」
「…どうして?」
「だって、少数派じゃん」少数派は常に虐げられる対象だ。同性愛は純粋に好みの問題であるとは思っている。しかし、それでは通らない。多数派はそれじゃあ許してくれない。
「ふうん」晶はため息混じりに相槌を打った。「まあ、認めたくないなら良いけどね。認めた方が楽だと思う」それに楽しいよ、と続ける。
「そうかもね」それには同意しなくもない。偏見の目はあるかもしれないけれど、隠して好きでもない男を好きだと言うよりは楽しいのかもしれない。「でもまあ、私は違うからね」
「そっか…」晶は少し笑って言った。
さて、審判の時である。教室に入ると、窓際に座る佳純は頬杖を突いて外を眺めていた。覗く腕は真っ白だ。いつもながら、足は絶えずリズムを刻んでいる。きっと頭の中で音楽が鳴っているのだろう。それから、表情は…不機嫌に見えなくもないし、いつも通りに見えなくもない。いつも通り不機嫌な表情だった。どっちだ?
「は、はろー」私は努めて平静を装った。佳純はゆっくりとこちらを振り向く。どっちだ。怒られるか、それとも無視されるか。あるいはいつも通りで気にしていないか。
「あ、おはよう、端村!」
「…………」
ぺかー、と効果音が脳内で再生されるほど、輝かしい笑みを浮かべていた。今日の雲の反射とどっこいどっこいの輝きである。なるほど、今日の陽射しはこいつの心を写していたわけか。ふざけんなマジで。
佳純のこんな表情、知り合ってから一度も見たことない。見たことない、というか、想像すらしていなかったから、こう、別の人間みたいに見える。佳純にも上機嫌の時だってあるけれど、表情に出すタイプじゃない。むしろあえてしかめっ面をするくらいだ。気取られたくないという思いがあるらしいことをいつか聞いたけれど、その時の佳純はどこへ行ってしまったのか。この後光が差すほど輝く満面の笑みを浮かべる彼女は誰だ。意識高い系の女子は誰だ。仏か、菩薩か。
…なんて、現実逃避している場合じゃない。「か、佳純?で、いんだよね?」
「ん、どういうこと?」佳純は笑顔のまま疑問符を浮かべる。
「いや、なんか良いことでもあったのかなーって」
佳純はきょとんとした顔で首をかしげた。それから、私の肩を叩きながら言う。「何言ってんの。端村のおかげじゃん!」
「わ、わた、しの、おかげ?」
「うん!」佳純が、無邪気に、うん、なんて言った。「だってさ、端村が誘ってくれなかったら、その、河原さんと、一緒に出かけられなかったと思うし、そもそも声もかけられなかったと思う。河原さん以外の友達もいたけど、だからこそ砕けた態度で接してくれたから、何と言うか、色々とタイミング良かったから、えっと……ありがと」
いや、お前誰だよ。何いっちょ前に恥じらってんだよ。いや、というか私でも結構照れるような内容のことをよく言えるね。どんだけテンション上がってんだか。
…ちょっと待ってよ。これ、もしかして全部河原のおかげなわけ?河原と出かけて、少し仲良くなったから、こんなに上機嫌を表に出しても大丈夫なくらい、嬉しいわけ?私といてもしかめっ面しかしないくせに、河原が関わるといいわけか。そんなん、そんなん聞いてない。そんなに好きだったなんて、私知らない。私と話すときはそんな表情しないじゃない。なんで、そんな顔するの?酷いよ。私は、まんまと仲良くさせたわけか。なんだよ、私は本当に何がしたかったんだよ。佳純を上機嫌にしたかったのか?そりゃ、機嫌をよく出来るなら、それが良いけど、河原のおかげなら話は別だ。そんなわけない。私は、私はもっと佳純と一緒に居たかっただけだ。佳純と出来るだけ長く一緒に居れるような選択をしたはずなのに。何で、佳純は解ってくれないんだろう。私は佳純が何も言わなくてもある程度思ってることがわかるのに、なんで佳純は私のことをわかってくれないの?
「…お前、その急激なキャラ変は何なんだよ!」私はつい、声を荒らげる。それでも語調に気を遣ってしまうあたり、私は佳純に強く出られない。けれど、今回ばかりは感情が高ぶってしまった。
クラスメイトの視線が突き刺さった。それを気にして、私は落ち着かない気分になる。
「え、ちょ、なに?どうしたの、端村?」佳純は戸惑い、動揺していた。
私はどうしたのだろう。私が訊きたいくらいだけど、今は自問自答できるほど余裕はなかった。「もういい、しらん!」と、私は前を向く。
「端村、どうしたの?」佳純は不安げな声を上げるが、私は多くを語るつもりは無かった。
「今日は、ちょっと話しかけないで」
「え、なんで。本当、どうしたの?端村らしくないよ」
「…私のことなんて、一つも知らないくせに」
「え?」
「ともかく、今日はちょっと、あれ、女の子の日だから。不機嫌なの」私はきっぱりと言った。有無を言わせない。
「う、うん。まあ、解った。ごめん」佳純は言って、引っ込んだ。
すぐにでも謝りたい気持ちだったが、私の中の醜い感情がそれを許さない。悶々としながら、河原の方に目を遣る。河原はいつものように、数人の友人と話していた。
体育の時間、他のクラスと合同だった。珍しいことでは無い。クラスの数が結構多いので、二クラス一緒にやってしまう時は多分にある。いつもならば体育の時間は佳純と組むことが多かった。何しろ、佳純は私以外に友達らしい友達がいないので、団体競技でグループを作る時とか、結構困ることがあるのだ。だから私は佳純に声をかけて同じグループになることが多いのだけれど、今日は別のクラスに居る友達と組んだ。
佳純に対して変な怒り方をしてしまったから、顔を合わせづらいというのが正直なところで、佳純の前の席に居るため座学は落ち着かなかった。席替えの際、その席を喜んだはずが今はできるだけ遠くにいたかった。
「ねー、真理香」一年生の時に仲良くなった女子だった。別のクラスになったため、もう会うことは無いなんて思っていたが、こういう保険は大事だな、とひしひしと感じる。「カスミンと喧嘩でもしたわけー?」
「まあね…って、カスミン?佳純の事?」まあ、それしかないだろう。
「うん。一年の最後らへん、真理香が柏木さんにあまりにラブコールをするもんだから、あだ名がついた」
「いやー、本人のいないところであだ名をつけるってのはどうかね」私は言ってから、気付く。「ラブコールって何だよ。意味わからん」
「いやだって、あんまり必死なもんだから。軽くひいた」
「ひくな!ひいたって何だよ、微笑ましいじゃないか」
「自分で微笑ましいとか言っちゃうのか」彼女は苦笑してから、「で、何があったの?結構気になる」
「うるさいな。何でもないよ」私は言ってから、佳純の方をちらりと見る。すると、目が合った。
「あ、あの」佳純は話しかけようと近寄るが、私は意識して距離を取った。
「うっわー」ペアを組んだ彼女が軽蔑したような眼で言った。「これはひどいね。ねえ、何があったのよ。あんなに仲良かったのに」
「何でもないってば」私が一方的に悪いので、あんまり詳しいことを言いたくなかった。私はやや強い語気でいう。
「なんだよー」彼女はムッとしたように言ったが、それで折れてくれた。少しの申し訳なさを感じた。
佳純の方を盗み見ると、ぺアになる人を探しておろおろしていた。罪悪感が湧き出てくる。今からでも機嫌が悪かっただけだと謝って、先の発言をなかったことにしようかと考えたが、見かねたクラス委員の子が、佳純をグループに入れてあげていた。
それで苛立つ私は本当に最悪だと思う。
その感情を無視して、二人一組で行う準備体操に集中した。
結局、体育の間中、私は佳純の方を盗み見ていた。
いつもの昼は佳純と取っていたわけで、でも今日はそれをするには気まずい。なので、私は佳純に見咎められる前に教室を出た。どこに行こうかと候補を巡らせたが、結局、晶のところへ行くことにした。芸がないかなーと思ったけど、誰に見せるものでも無いので、D組へ足を向けた。
教室には人があまりいない。学食とか中庭とか、各々のところで食べている。晶が教室で食べている保障はなかったが、性格からしてなんとなく居る気がした。で、いた。
「おーっす、晶」私は堂々と入って行き、晶に声をかける。クラスメイトと食事を取っていたが、気にせず、「一緒に食べない?」と言った。
一瞬、晶は驚いたように目を見開いてから、「珍しいね」と笑った。「まだ柏木さんと仲直り出来ないわけ?」
「んー、まあそんなとこ」私は曖昧に答える。出来ない、じゃなくてやらない、だったからだ。
「…どなた?」晶の体面に座っていた女の子が訊いた。ショートヘアだったが、大人しめの印象を受ける。
「ああ、えっと。友達の、端村真理香」晶はその子に向かって紹介してから、今度は私に向き直って、「えっと、友達の、日高あかりさん」と紹介した。
「よろしく」私は少し頭を下げた。
日高あかりは驚いたように私を見つめた。「あなたが噂の端村さんか」
「え、うん。ん?そんな有名だった?」なんか照れるな、と頬を掻く。いや、それはありえないので冗談だった。
「うん、うん、とっても有名だよ。各方面からその名前を聞く」日高は何度か頷いた。意外だなー、と言いながら、何言ってんだこいつ、とも思う。
「私がねー、結構真理香の話をしてるんだよ。だから、なんか知ってるって事」晶が補足説明をした。私は、なーるー、と相槌を打った。
「それもあるけど。今、柏木って、言った?」日高は興奮を隠せない様子で言った。
「お、おう。どした?言ったけど」まあ、言ったのは晶だけれど。
「もしや、柏木佳純?」
「うん」
「マジか。あなたが件の端村さんか」と、日高は感心したようにこちらを見た。
「え、もしかして、佳純と知り合い?」まあ、この流れからしてそうじゃなかったら、若干気持ち悪いもの。
「うん。その通り。いや、まさか同じ学校に柏木がいるとは。意外だな」と、面白いところで感心していた。
「知らなかったの?」晶が訊いた。
「うん。そこまでの友達じゃなくって…」晶に対して、この子は寡黙だった。声も数段小さくなる。どういう理屈なのだろう、と思ったけれど、そう言えば私も人によって態度が変わったりするから、そういうことだろう。晶に対しては、こういう性格なのだ。「こう、柏木って、あんまり喋るほうじゃないじゃん?」
「そうだね、喋らないを通り越して喋れないんじゃないかと思ったくらいだよ」
「で、私もそうでも無いから。何故か隣にいて、話さないけど、何故か知り合いになったっていうね。謎の関係なんだ」
「ほお」いいな、と心のそこから思った。私は佳純と仲良くなるにあたって、何度か心を傷つけて、やっとこさなったというのに、いつの間にかなっていたとは、これいかに。どうやったのだろう、気になる。
「まあ、だけどある程度は仲良くなって、メールアドレスは交換していて、結構来るんだ。だから端村さんのことも聞いていたってわけよ」
「おお」佳純は私にどんな気持ちを抱いているのだろう。たぶん、悪めのことだろうな、と推測した。だって、明らかに最初の方は疎ましく思っていたし。
「どんな?」だから、この問いをするのにすこし時間が要った。話が流れなくて良かった、と思う。
「んー、あなたに対してなら、そうだな。『クラスでうざいやつが絡んでくる。助けて』とか。『うざいやつが勝手についてくる、助けて』とか」
「あー、はは」予想通り過ぎる。勘弁してくれ、と思うと同時に思うより分かりやすい思考の持ち主なのだ、と少し可笑しくなる。
「あ」と、そこでバイブ音が鳴った。日高はポケットを探って、携帯電話を取りだした。「噂をすれば。柏木からメールだ」
緊張が走る。結構酷いことしてしまったから、佳純がどんな気持ちなのだろうか。どのくらい怒っているのだろうか。未知数過ぎて不安だ。私だったら、ころっと切り替えてしまうし、他の友達も大体そんな風だけれど、佳純の場合、ネガティブなところがあるから、よくわからない。もしかすると、傷付けたかもしれないし、もう口をきいてくれないことだってあり得る。
「んー」日高はガラパゴス携帯を開くと、確認して、読み上げる。「『友達、端村を怒らせてしまった。何かしたかなあ』って、私に言われても知らんわ」と、言いながら佳純にツッコむ。
「怒られたんじゃなく、怒ったんだ。なんか、どうしたの?」それを受けて、晶が訊いた。
「何かされたの?」日高が言う。
「いや…えっと、特に何もされていないんだけどね」まったくもって、佳純に非はない。私が悪い。だから、理由を話したくない。
「何もされてないのに怒ったの?」日高が静かに言った。責めるような様子は無いけれど、少しの圧力を感じたのは、多分私の心持ちに依るだろう。
「いや、えっと」
「ごめん、無理に話さなくてもいい」言いにくそうにする私を察して、日高は制した。「けど、柏木、気にする性格してるから早めに分かりやすい言葉で伝えてあげた方が良いと思う。まあ、あなたが柏木と縁を切りたいって言うのなら、話は別だけれど」
「そんなわけない」私は語気を強くして言った。
「だよねぇ」晶がにまーっと笑っている。「真理香、柏木さんのこと大好きだもんねー」
「いや、大好きって、ちょ、おま」
「なんだ。端村さんは柏木のことが大好きなのか」モテるなー柏木、と感心したように日高は笑った。
「…言いたいこと言いやがって」
「でも、嫌いじゃないでしょ?」晶は悪戯っぽく言って、私はそれを否定しなかった。
「…ま、早めにね」と日高が結んで、昼食に戻った。
そう言えば、日高は佳純に会わなくていいのかなと午後の授業が始まってから気づいた。佳純が教室にいることは言ってあったし、一人でいることも知っていたのだから、会いやすかっただろうに。たぶん、佳純の方もやぶさかではないはずだし、日高も佳純が同じ学校だと知って、喜んでいた。だから、会わない理由が見当たらないのだけれど、何故後日に回したのだろう。いや後日会うかどうかもわからないけれど。まあ、私が考えることではないか。
そんなことを考えながら、私は教科書の後ろで小説を読んでいた。うん、内容が全く頭に入ってこない。やっぱりファンタジーは肌に合わないな。
「小暮さん!」と、英語の教科担任の声が聞こえる。小暮...誰だったかな。その方を見ると、昨日一緒にいた、河原の友達だった。
小暮と言うのか、彼女は。覚えておこう。できる範囲で。小暮は見咎められ、反省を英語でさせられる。狼狽えることもなく済ませたかと思ったが、小暮は顔を真っ赤にしていた。可哀想に、と内心で同情した。
そのまま見ていると、小暮がこちらを見ていて少し驚く。なんだろうか、と暫く様子を窺っていたら、小暮は挙動不審に何度かこちらへ目をやったり、逆に逸らしたりしていた。
私を見ているのだろうか。だとすると、理由がないけれど、もしかすると昨日の一件でなにか言いたいことがあるのかもしれない。この子にも気まずい思いをさせてしまったし、文句のひとつでも言ってくるだろうか。いやまあ、そんなことで文句を言われたらたまったものではないけれど。
私は次に視線が来たときには睨み返そうと決めた。すると直後に、視線がやって来る。来た、と私は眉間に皺を寄せてみた。
すると、小暮はヘラっとした表情で手を振ってくる。
…うん、私じゃなかったな。でも、ということは佳純か。そう思い、少しだけ振り返ってみる。
佳純は柔らかい表情で手をふりかえしていた。
この表情は、と思い出す。前に一度、佳純と猫カフェに行ったことがある。佳純の趣向を探っていたときで、この頃は色々なところへ行っていたのだ。流石に猫カフェは無いかな、と行く前から思っていたわけだが、果たして、佳純は猫が結構好きであるということが判明した。
そのとき、猫に向けていた視線がこれだった。そのままの緩んだ表情で私に話しかけてくるので、相当戸惑った思い出がある。
顔が赤くなるような、そんな感覚が私を襲う。佳純に気取られる前に顔を前に戻すと、ぎゅっと目を瞑った。
あれ、今の感情は何だろう。何か一瞬、小暮のことを羨ましいと感じたような。ちょっと待てよ、何でだ。いやまあ、順当に考えるなら佳純の微笑みが小暮に向いていることに対してだが、羨ましいって?
確かに、今日私は佳純と微妙な空気だ。私は仲直りしたいわけで、一つの指針として佳純の笑顔を引きだす、的なことを設定していたのならそりゃあ、いいな、と感じることもあるだろうけれど、別にそんなことを設定した覚えはないし、佳純があまり笑わない性格であることも知っているので、笑顔が仲直りのしるし、みたいなことは思ってもいない。だから少し、それは無理がある。
……そもそも、さっきの羨ましいってのが友愛から起因する感情どうかも、微妙なところだった。認めたくはないけれど、そうじゃない可能性が高い。だって、晶にはそんなこと思わないから。晶が誰かに無防備な笑みを見せたからと言って、羨ましいとは思わない。普通に受け入れられる、というか気にも止めないだろう。
佳純には他の友人とは違った魅力がある。それがなんなのか、解らない。この胸騒ぎと高鳴りはたぶん、その何かが原因なのだろうけれど、判然としない。ふわふわとした心持ちで、頭がうまく働かなかった。
朝の晶の言葉を思いだす。ただ一つ言えることは、やはり私は河原に嫉妬していたということだろう。今の小暮に羨ましいと思ったのなら、佳純に好かれている河原のことを妬んでもさほどおかしくはない。
どうしよう、と既に終わりかけている授業を背に、一人考える。佳純と知り合ったころは確かにこんな気持ちにはならなかったはずなのに、いつからこうなったんだろう。
もう、前みたいにはなれないかもしれない。
放課後、佳純に謝る決心をした。そうは言っても、自分の気持ちを正直に言うわけにはいかない。佳純が妙な誤解をしかねないからだ。まあ、今となっては本当に誤解と言えるのか、怪しいところではあるが。
ともあれ、掃除が終わった放課後である。いつも一緒には帰らないので、今更誘うのもなんとなく難しい。というわけで、佳純が動くまで様子を窺うことにした。我ながらポンコツなやつだけれど、決心とは別に、心の準備が必要なのだ。仕方ない。
いつも通りにしばらく船を漕ぐ佳純を盗み見ながら、なんと言おうか考える。うーんでもまあ、ヒステリーした時に女の子の日だからって言ったわけだし、機嫌が悪かっただけ、でもいいかもしれない。不自然はない。
だろうけど、何と言うか本心とは全く別な気がする。確かに不機嫌だった。でもそれは、佳純が河原に好意を持っていたからである。そのことに嫉妬したことは伝わらないでいいが、なんとか河原と話したら私が不機嫌になることをそれとなく伝えられないだろうか。何かこう、河原と話したら私は離れますよ的なことをそれとなく。
…ちいせえ。
と、その時、ぶいんぶいん、とバイブ音が鳴る。結構近くで鳴ったような感じがした。私の携帯はマナーモードじゃないので、私のでは無い。って、ことは。
一応自分のを確認してから、後ろを少し見ると、携帯を操作している佳純が見えた。それから、嬉しそうに笑う。誰かからメールが届いたようだ。
もしかして、彼氏?いやいや、佳純にそんなのがいると聞いたことが無い。そもそも、同性ともそこまで親しくできないというのに、異性と交際なんか出来るはずない。
そう思ったところで、佳純が急に立ち上がった。不測の事態に私は戸惑う。
「追わなきゃ」少しして、佳純の後を追う。すると、すぐに追いついた。
というか、佳純が待ち構えていた。
「ん、端村」佳純が驚いたように言った。「どうしたの、そんなに走って」
「え、いや特には」何が特にはなのか訊きたい。
「丁度良かった」佳純は頷く。佳純は言いそびれてたよ、と前置きしてから、「じゃあ、また明日」少し手を挙げた。
「あ、うん、また」と、私も返す。この時の佳純は、色々なところが違っていた。佳純が挨拶するためにわざわざ帰ってこようとしたことにも驚いたし、佳純がこんなに自然に挨拶できるのも意外だった。表情や声が柔らかいのにも驚いた。
いつもの佳純じゃない。そんな風に感じた。
戸惑いと落胆と興奮がない交ぜになって、気付けば目の前に佳純はいなかった。
佳純の変化については一まず置いて、またも急いで追いかける。今の、絶好の機会だったよな。朝のことを謝るために今の時間を使うべきだった。私は走りながら反省する。全然後姿が見えてこなかったが、下駄箱のところで佳純を見つけた。声をかけようとしたが、佳純は靴を履くと、小走りで校舎の外へ出て行った。私も靴を履き替えて、出る。
佳純の姿が見えていた。走らずとも追いつける距離だ。
すぐに声をかけようとしたが、しかしそれはできなかった。目に飛び込んできたのは、日高と佳純が並んで歩く姿だった。
「……」私は何も言えなくなる。
折角の旧友との再会である、邪魔をするのも悪いだろう。そんな、先延ばしの言い訳が立つような状況だった。二人の後姿をしばらく眺めてから、逆方向の帰途を一人で辿った。
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