第5話 嬉しい時間。

 「あー、やっぱこの時期、薄着が多いねえ」河原さんがあたりを見回して言った。今は放課後、午後四時過ぎくらいだろうか。駅のそばのショッピングモールに来ていた。私と端村、河原さんと、えっと、その友達、の四人編成だ。

 ……いや、何だこれ。何の団体だこれ。

 「そうだねー」端村が答えた。端村は河原さんの隣にいて、私と河原さんの友達は後ろで、無言で、かなり無言で、並んでいる。私も結構緊張しているが、河原さんの友達もかなり微妙な気分の様で、心なしか顔いろが悪いようだった。

 端村のやろう、何のつもりだ。今日のところは帰ろうと思っていたのに。いやまあ、端村のことだから善意でやってくれたのかもしれないけど、折角なら自分で誘いたかったな。河原さんとの距離を縮めるために、自分の言葉で。

 とか言って、この状況じゃそんなことできなかっただろう。河原さんは違う人と話していたし、仮に河原さんが一人でも二、三日悶々と考えてから、覚悟を決めてから二日後くらいにやっと一回声をかけられたかどうかだろう。しかも、二人で出かけても話すことは特にないから盛り上がりにかける。そういう意味では、端村がいてくれたら、いくらか安心かもしれない。

 まあ、許そうとは思わんが。明日、試しに問い詰めてみよう。

 ともあれ。「ねえ、これ、どこに向かってんの?」不愛想にならないよう、気持ち高い声で尋ねた。隣の河原さんの友達がびくっと体を震わせる。

 「んー?いや、特にどこにも」河原さんが答える。

 「え」少し声が冷たかっただろうか。そう思って言い直す、「え?」口に手を当て、私の考えるお嬢様風に言った。

 「お前、何やってんだ」若干引いたように端村が言った。

 「いや、ちょっと怖かったかな、と思って」

 「へえ、柏木さんでもそんなこと思うんだ」河原さんの友達が、小声で言った。悪意がこもっているようにも聞こえなかったので、聞こえないふりをした。

 「はは。へーんなの」河原さんが笑いながら言った。

 いや、ジブリか。そんな突っ込みは入れず、「変ではない」とだけ返した。しかし、こんな反応を自然にできるとか、ただものじゃないな。

 「まあ、どこ行くかくらいは決めといた方がいいか。時間を無駄にしないためにね」河原さんが、今度は悪戯気に笑った。その顔を見て私はまた綺麗だと思う。

 よく考えたら、今、河原さんと同じ時間を過ごしてるんだよね。ほかに二人いるけど、河原さんが選んで私を含めたこの四人でいるんだよね。これは結構、チャンスだ。何のチャンスかといえば、友達になるチャンス。友達なんて、努力して作ったことは無いけれど、ここいらで努力くらいしても良い気がする。実らなくても多分どうもしないことだからこそ、頑張ってみよう。

 「私、なんか食べたい」と、言ったのは河原さんだった。

 「なんかって?」端村が訊いた。

 「なんか、えっと、晩ご飯に響かない程度の、かと言って足りないと思わない量で、甘いもの」

 最初に思い浮かんだのは昼間に言っていたクレープだ。かなり該当すると思うけれど、まあ、クレープなんてそう何度も食べるものでも無いから、たぶん違うやつにした方が良いのだろうな。河原さんの友達が経験したことを私が置いてきぼりというのは、なんとなく癪だけど、我慢しないと。

 「おー、結構限定してきたね。難しいな」端村が困ったように言った。

 「今日、言ってたやつとか」おっと、我慢できなかった。

 「っていうと、クレープ?」河原さんが言った。「まあ、それでもいいんだけど、なんだか新境地を開拓したい感じ」

 「しかも、あそこそんなに美味しくなかったしね」今まで黙っていた河原さんの友達が言った。緊張がほぐれてきたのか、少し顔いろが戻っている気がする。

 「うーん、そっか」端村が腕を組んでいった。「よし、じゃあ私が決める!」

 「おおー」河原さんが、ぱちぱち、と軽く手を叩きながら感嘆の声を上げる。

 端村かあ、と私は少し懸念する。こいつのセンスはまあ、悪くはないけど、所々人と違っているところがあるから、微妙に不安だ。

 「んー」首を捻って完全に思考モードの端村は、見せびらかすように唸った。「クレープが食べたい」

 「がっかりだよ」私は軽く突っ込んだ。何なんだ。

 「そういえば、この辺りにパンケーキのお店があったような」河原さんの友達が言った。……いい加減名前聞かないとね。

 「おお、ホットケーキか!いいじゃない!」端村が叫ぶように言った。うるさい。

 「なんか、無駄にテンション高くない?」私は先ほどから気になっていたことを言う。まあ、いつも私よりはテンションは高いけれど、ここまでうるさくはない。いや、うるさいというか、今日はやけに喋る。三人の言葉にいちいち反応して、存在を主張しているような、そんな気がするのだ。まあ、気のせいかもしれないけれど。

 「そんなことない」わざとらしく顔を逸らす端村。まあ、この反応なら、本当に何でもないのだろう。じゃあ、気のせいかな。「よしじゃあ、ホットケーキ屋さんに行こう」

 「気になってたんだけど、パンケーキなの?ホットケーキなの?」

 「まあ、どっちでもいいんじゃない?」河原さんの友達が疲れた様に言った。


 着いた先は、和風の印象が強い店だった。もっと洋々しい感じかと思ったけれど、まあ、最近はそんなんじゃ売れないのかもね。

 店内はがやがやとしている。この店がにぎわっているわけでは無く、この店が入っているショッピングモール自体がうるさいのだ。なんだか学校みたいな場所だな、とぼんやりと思った。図書室にいても音楽室にいても、トイレでさえどこかの雑音が聞こえてくる。こういう空間はどうも苦手だ。まあ、学校は別に嫌いじゃないんだけど、自分に関係ない音ばっかりの割には聴覚を露骨に支配されて、腑に落ちない。一人の時だったら絶対にこんな場所に足を踏み入れないだろう。

 「じゃあ、何頼もっか」

 まあ、今日は一人じゃないから良いんだけどね。

 「私はまあ、普通にホットケーキかな」端村がだるそうに肘をついてメニューを眺める。

 河原さんと私、端村と河原さんの友達の並びで、四人席に座っている。河原さんが何故か私を端に座らせたのだ。結構強引な感じだったけれど。

 「それじゃあ、私は白玉ソフト」今度は河原さんの友達が言った。

 「んー、ここは違うやつにすべきだよね」河原さんが嬉しそうに悩んでいる。それを見ると、私も少し嬉しくなった。私と一緒にいる時間が楽しい時間であってくれて、嬉しい。先ほどから、河原さんに対して自分があまりもてなせていないのでは、と気が気で無かったから、少し安心した。まあ、私のおかげで楽しいわけでは無いのだろうけどね。「む、じゃあ私は抹茶かき氷」メニューを指さして、河原さんは宣言した。

 私が最後となった。ぺらぺらとメニューをめくる。特に心惹かれるものが無かったので、私もパンケーキにしとくかな、と思いかけたとき、ふと、目に留まるものがあった。

 「あ、パフェ」気が付けば口に出していた。しまった、と思うころにはこう遅い。三人がこちらに視線を遣っていた。

 「食べたいの?」河原さんが覗き込んで訊いた。

 「え、いや、そういうわけじゃないんだけどさ、何と言うか、他に食べるものもないしこれくらいしか思いつかないな、みたいな」

 「別に動揺しなくてもいいと思うけど」河原さんの友達が言う。

 「いや、してないし」

 「女子力が高いね」河原さんが楽しそうに言った。

 「いやいや、パフェくらいで女子力と言われても私は納得せんよ」端村がいつもの反応で、少し落ち着く。いやまあ、動揺はしていないのだけど。

 「じゃじゃあ、私はこれで」結局、苺のやつを頼んだ。

 店員に頼んでから、十分くらいして、パンケーキ、かき氷、パフェ、白玉ソフトの順に来た。この順列はどういう理由だろうか。白玉ソフトよりパフェの方が手早くできるのだろうか。

 「あ、白玉、手作りらしいね」河原さんが店内に貼ってあるポスターを指さした。パンケーキでなく、和菓子が売りなのだと今更ながら気付いた。だからこその内装か。

 「ほお、思ったより大きいね」端村が私の前に置かれたパフェを指さして言った。「食べきれなかったら、手伝うぜ!?」

 「いいよ。食べれるし」私は言って、細長いスプーンを手に取り、食べ始める。

 その他の三人はパフェの食べ方で盛り上がる。まあ、確かにプリンとかゼリーとかゼラチン系のスイーツが載ってるパフェはぐちゃぐちゃになったりして食べにくいけれど、これはホイップクリームと苺、それとアイスくらいしか載ってないので比較的食べやすい部類だ。前に食べたメロンのやつは皮が残るうえにゼリーもあったからかなり食べにくかった。

 こんなことを語りだしたら本格的に変なやつだと思われるかもしれないから、ははは、と適当な愛想笑いを浮かべておく。

 愛想笑いか。ちゃんと愛想が出ているだろうか。愛想が出ていなければ、愛想笑いではないしそもそも笑えていなかったら筋肉の硬直でしかない。こんなふうにいちいち不安になってしまうのは悪い癖だ。誰かに合わせて笑うなんてあんまりやってこなかったことだから、練習した方が良いのかもしれない。

 昔から友達はあまりいない方だったし、そのせいで社交技術がまったくない。少しでも河原さんと近づくには、やっぱり人並み程度の処世術くらい、身につけておかないとな。

 「あ、柏木さん、ちょっとちょっと」なんて、物思いにふけっていると、河原さんが突然、私の手を取った。

 え、ちょ、なに。いきなりどうしたんだ。動揺する私を放って、河原さんは私が持っていたスプーンを机に置き、手の甲に顔を近づけた。少し、圧力を感じて、河原さんが口づけをしたのだと分かった。いやいや、王子様か君は。クラスメイトだろ。しかも、女子だろ。なんで、なんでキスなんて。それとも私が知らないってだけで、友達同士だとこの程度普通なのだろうか。日常茶飯事でやっていることなのだろうか。そう思って、河原さんの友達の方を見ると、呆然として河原さんを見ていた。どうも異常事態らしい。まあ、そりゃそうだろうよ。私だって端村の手にキスしないし、端村だってしてこない。だから、普通に異常ってことなんだろうよ。

 顔が熱い。絶対赤くなっている。女子に、手の甲をキスされて恥ずかしくなるって言うのもおかしな話だけど、こういうの、慣れてないんだよな。

 「生クリーム、付いてた」河原さんは顔を上げて笑う。何でもないように、呆然としている私達に対して首をかしげた。「どうしたの?」

 「いや、だって、キス」

 「キス?魚?」

 なめてんのか、とは言わず、「いや、接吻」

 「接吻って言うほど大したものじゃないけど、嫌だった?」

 「いやいや、そういうわけでは無いけど」むしろ、嬉しかったかもしれない。冷静になって考えてみると、なんとなくそんな気がした。

 「まあまあ、落ち着いて」河原さんはにこりと笑って、「あーん」とかき氷の乗ったスプーンを私方へ差し出した。

 これは、食べるべきなのかな。そりゃあそうだよね、わざわざ「あーん」とまで言ってるんだもんね。私は覚悟を決め、口を持って行く。差し出されたスプーンを音を立てないよう気を付けながら口に含むと、痛いくらいの冷たさを感じた。まあ、かき氷だから当たり前か。抹茶の香りが鼻から抜けるけれど、正直、緊張して味なんかよくわからなかった。

 「おいし?」河原さんが訊く。

 「うん」私は頷いて応じた。それから、少し考えて、「お返し」とこちらもパフェを掬って差し出した。これで良いんだよね、多分。

 「ありがと」と、河原さんはそれに応じた。「うん、おいしい」

 あ、なんか、友達同士っぽいやり取りだったよね、今の。その前のキスは違うと思うけれど、頼んだ物の食べ合いって、なんかいいな。今の親しくなれたわけでは無いだろうけど、何と言うか、嬉しい。感情がころころ変わるのはちょっと恥ずかしい。しかし、それでも嬉しいことは間違いない。

 「はい、あーん」向かいの端村が手を伸ばして、フォークを差し出してくる。その先には当然ながらパンケーキが刺さっているが、何故か震えていた。

 「何で震えてんの?」

 「無理な体勢だからです!」端村は苦し紛れの体で言った。「早く食べて!」

 「まあ、もらうけど」私は言って、パンケーキをほおばった。先にかき氷を食べたばかりだったので、かなり冷え切っていた口の中の温度をパンケーキはリセットしてくれた。「うん、おいしい」

 明らかに私のパフェを待っている風の端村がこちらを凝視している。それを無視して、パフェに向き直った。

 すると、「はい、あーん」目の前に座る、河原さんの友達が白玉の乗ったスプーンを向けてくる。なるほど、他の二人が私に食べさせたから、そういう流れだと思ったのだろう。先ほど、この編成に圧倒されて緊張していたところを含めて考えると、この人はどうも空気を読んじゃうタイプの人なのだろうな。各所に気を遣って自分が損する人だ。しかも、真面目で、一度読んでしまった空気を無視できない。難儀だなあ。

 少し申し訳ない気もしたけれど、折角なのでいただくことにした。うん、普通の白玉だ。こだわっているのかそうで無いのか、微妙に判断が付かないくらいのクオリティである。まあ、おいしいはおいしいけれど。

 「おいしい」私は頷いてから、今度は自分のを掬って差し出した。「はい、あーん」

 「ん」河原さんの友達は応じると、頷いた。「うん、おいしい。やっぱ和より洋だね」そう言って笑う。

 「まあ、その白玉とソフトクリームが混ざった料理が何にカテゴリーするか分からないけどね」私は苦笑交じりに言った。河原さんの方を見ると、何事も無かったかのように自分のかき氷を食べて、頭が痛くなっている。

 「おいおい、私にはないのかよー」端村が耐えかねたという様に言った。

 「端村にはやらん」

 「何でさー」

 「いや、いつも弁当分けてやってるから、今日くらいはいいかなと」

 「うう」不満そうに唸る端村の表情は、本当に悲しんでいるように見えた。

 「そんなにパフェ欲しかった?」

 「卑しいやつみたいに言うな」いつもの調子で端村は返して、私は少し安心した。


 もうすっかり暗くなった帰途を、ぼーっとしながら歩いていた。先ほどまでいた賑わった場所から一転、今は私一人しかないので静けさが耳に障るくらいだ。こんな時間にこの道を通るのは初めてで、いつもとは違う様相を呈している。少し、怖い。初夏の夜は涼しげだが、気温が高いせいか輪郭がうすぼんやりとしている。いやまあ、私にそう見えるだけかもしれないけれど。

 何と言うか、今日は色々と騒がしい一日だったな。いつもは大体、自分のことにかかっているか、端村と話しているかしかないので、まあ二人増えただけだけれど大勢の中の一員として活動したのは、もしかすると初めてかもしれない。河原さんとの関係が進んだ感じはしないけれど、仲良くなる口実は出来たと思う。これからもっと誘えばいいさ。

 珍しく前向きに考えながら、自分の右手を見る。未だ河原さんの唇の感触が残っていた。とても柔らかかった。かき氷を食べていたせいで少し冷たかったが、温度とは違う温かみを感じる。今もまだ、だ。多分それは、河原さんだからだと思う。ここに限って言うなら、物理的には河原さんとゼロ距離まで近づいたんだ。それで、無視できるわけがない。今までより一層、河原さんを意識してしまうかも。

 ならば、今度はこちらから心の距離を近づけよう。折角河原さんと出かけたのだ、これ以上のチャンスはもう無いだろうから。

 明日は、何に誘おうかな。

 「あ」私はそこで気付いた。

 そういえば結局、河原さんの友達って何て名前なんだろ?

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