第3話 再び生徒会室

 学園の女神と、お手々繋いで同伴出勤。

 途中ですれ違う外星人生徒からは生暖かい微笑みが、地球人生徒からは驚愕と怨嗟の眼差しが送られた。


 生徒会室の前まで来ると、戸越しにアジスの声が聞こえる。


「す、すんません、天音様!もう一局、もう一局だけぇ」


 戸を開けると、アジスが天音に土下座していた。

 高く掲げた尻がプルプル震えているガチなやつだ。


「チッチッチ、甘いなー、白アジ君。泣きの一局に、二度目は無いんだぜ」


 ブラックアマネはエリドゥの膝の上で腕を組み、アジスを冷酷に見下ろしていた。

 どうやら接待はやめて本性を現したらしい。


「すいません、遅くなりましたー。ただいま帰還しました」


 浩平とシタテルが引き戸を開けて生徒会室に入ろうとする。


 アジスは、シタテルの姿を確認するやスックと立ち上がり、学生服の埃を手早く払い、生徒会長の席についた。


「遅いぞ副会長! 会議が1時間遅れてしまったではないか」


 まるで別人のように真顔でシタテルを叱るアジス。

 声変わりをしていない高い声なので、迫力はまったく無い。


「すいません、お兄様……」


 目を伏せ、トボトボと副会長席に着くシタテル。

 これがいわゆる『おにいちゃん』モードのアジスである。

 普段はヘラヘラしているヘタレ兄も、妹の前では一応真面目ぶる。

 付け焼刃やきばなので真面目加減もたかが知れているが。

 シタテルは、十歳くらいの子供に怒られて凹んでいるという、ダメっ娘スタイルになっている。


「浩平君を迎えにいくと息巻いて出ていったが、どこで道草食っていた?」


「副会長って俺を迎えに来てたんですか? 副会長の行き先スッ惚けて、俺を送り出したのは会長じゃないですか!」


「朝、浩平君の顔色が良くないとか、昼も具合が悪そうで、弁当に手をつけていなかったとか、シタテルが大層心配していたのでね。だから、浩平君が来る前に、様子見を兼ねて迎えにいかせたのさ。なのに、浩平君は放課後一人でやって来るから……。どうせ中庭の例の覗きスポットで、うすらぼんやりしていたんだろう」


「地球人の、男子生徒に話しかけるなんて、姫様にはハードル高すぎたのよ。でも、副会長、あたし言いましたわよね。浩平なんか、気にかけるだけ無駄のヘタレコンニャクだって」


「え? なんで俺の顔色やら、弁当の消費量が副会長に……」


「ふふっ、愚かな地球人め! エレヒの情報網をなめてもらっては困る。呼吸脈拍血圧諸々、本日の排尿の量とその成分、浩平君のバイタルサインはすべてモニターしているのだ!」


「な、何故?」


「……まあ、それはそれとして時間も押していることだし、会議を始めようか」


「ちょっ、ちょっと!」


 有無を言わさずアジスは会議を始める。


 コピー用紙のプリントが天音により配られる。


『飛行能力者の規制問題について』


 浩平はA4サイズのプリントの一枚目、案件一号と銘打めいうった資料に目を落とす。


「飛行能力のある外星人の取り締まりと、ESP能力者の読心術の規制は、学園創立以来生徒と学校側との対立点だ」


『自由がいいじゃん』と主張する学生側と、『郷に入っては郷に従え』と主張する学校側とは、伝統的に対立してきた経緯がある。


しかし、人生を謳歌おうかする事に、なによりの美徳を見出す外星人たちは、いつの頃からか抗争すら遊びの種にしてしまい、まるでゲームのように、風紀委員会との捕り物を楽しんでいる節がある。


 奇跡的に生徒が怪我をする事は、年に数例あるかないかだが、物損事故は日常茶飯事で、特に飛行能力と念動力を兼ね備える『アプサラ人』と、風紀委員会能力者部隊との捕り物はすさまじく、一般生徒からは『幻魔大戦げんまたいせん』と呼ばれている。


「空を飛べない地球人生徒の前で、自分の能力をひけらかして悦に入っているような連中なんだから、それ相応の罰を与えるのが筋でしょう」


 天音がそう発言すると、アジスはちょっとため息をついて答えた。


「しかしね、天音君。飛行能力者っていうのは大概たいがい、飛んでいない時にはヘッポコな人が多いんだよね。とにかく足腰が弱くてねぇ。なんせ飛行を移動手段にして進化してきた人達だから」


「でも、昼休みにマッハで購買に殺到してチョコチップメロンパン買い占めたり、風圧でスカートめくって行ったり、やりたい放題ですよ」


 天音は被害にあったらしく、妙に具体的な例を挙げて飛行能力者を断罪する。


星陵爆翔族せいりょうばくしょうぞく……」


「爆笑? なにそれ会長、お笑いグループ?」


「違うよ天音君。爆翔の『翔』は、飛翔の『翔』。風紀委員会の取り締まりが強化された新学期以降、ほとんどの飛行能力者はルールを守っているけど、規制に反発して、飛びまくってしまおうという集団。いわゆる飛行原理主義者さ」


「わかった会長! そいつらを壊滅させるのね!」


 待ってましたとばかり、天音は身を乗り出す。


「まさか! 取り締まりは風紀委員会の仕事だよ。僕達は生徒会。飛行能力者に迷惑しているのも生徒だけと、自由に飛び回りたいってのも、やっぱり生徒なんだ。みんなが納得できること考えよ」


「会長は、なにか策があるんですか?」


「無いよ~」


「速答か! 偉そうに理想を語って、無いか!」


 天音は机に突っ伏した。


「まあ、迷惑しているって方の意見は、天音君が代表して語ってくれたし、次は飛びたい人たちの意見を聞かないとねぇ。確か、三年の『シエロ』っていうアプサラ人が星陵爆翔族の頭らしいから、今度話を聞いてみよう」


「あ、あたし知ってる! 見境なしに女子をナンパする白学ランの紫リーゼントの人よ。この前、女生徒を抱えて4階の窓から飛び降りてたよ」


「ふーん飛び降りナンパねぇ……」


「いや、別に飛び降りながらナンパしてたわけじゃないんじゃないですか?」


「いやいや、わからないよ浩平君。『吊り橋効果』なんて言葉もあるんだ。非現実で女子のアムールがバーニングするのかもよ」


「一歩間違えたら傷害事件になりますよ」


「まあね。で、案件一号に関しては、来週の風紀委員会に出席して生徒会としての方針を伝えることになる。それまでに賛否の両論をもっと集めて、まず僕たちの意見をまとめよう」


「はい」

「んー、集めたところで並行線じゃないですかね」


「まあまあ天音君。そんで、ここからは次の案件なんだけど……」


 各々、資料のページをめくる音がする。


「案件二号。外星人生徒と地球人生徒間の軋轢について」


「軋轢?」


「新入生や最近編入された地球人生徒と、外星人生徒との間で、言い争いや、かなり深刻な対立が発生しているケースがあってね。まあ、ほとんどが地球人生徒から突っ掛かっていく形らしいけど。教師連から生徒会としてなにかできないか、提案してほしいと依頼があったんだ」


「あたしや浩平みたいな『移住組』はともかく、留学生や新入生にはこの環境キツいかもね。わからんでもないわ」


「そうなんだ」


「それに……、」


「それに?」


 アジスのおうむ返しの問いかけに、やや表情を曇らせた天音が答える。


「『マーナガルム』から通ってる外星人生徒は、少し怖いって、みんな言っているよ」


「……そうか」


 暫し考え込んでいたアジスは、突然シタテルに話を振る。


「……ところで副会長、この案件についてなにか意見は無いかね?」


 なにかを一所懸命書き込んでいたシタテルはビクッと背筋を伸ばす。


「…………り、……理解の……」

「声が小さい!」


 アジスが一喝すると、シタテルはきれいなか細い声でしゃべりだす。


「相互理解の不足が不安をあおり、攻撃的態度になってしまうのではないでしょうか。新学期のうちにもっと交流の時間を増やしてみてはどうかと思います。美術、音楽等、言語や歴史認識等を介さない分野での交流プログラムの策定さくていしたり、エレヒへの見学ツアーを企画してみてはどうでしょうか」


 ちゃんと話を聞いていたようだ、案外まともな意見を言うシタテル。


 会長席の後ろにあるホワイトボードに、天音が出された意見を書いてゆく。


『相互理解の促進』

『交流の時間の確保』


「まあ、教員とも連携をとり、将来的にはそのような形に持っていくべきとはおもうが、今現在発生している軋轢あつれきに対してはどうしようか?」


 アジスは浩平のほうを見る。


「風紀委員を一時増強して見回り要員を増やす計画を提案します」


 浩平は起立し、ノートに書いておいた計画を発表する。


「地球人学生の間にも軋轢あつれきを憂慮ゆうりょする声があり、主に2、3年生の有志で自警団のようなものを組織する動きがあります。学園内を巡回し、声掛けと見廻りを交代で行う予定です。剣道部主将三年ひのえ組、『伏木ふしき十得じゅっとく』が中心人物です。他にも運動部員が主に名を連ね、60名ほどが名乗りを上げています。主だった者のリストがこれです」


 アジスは浩平に渡されたリストに目を通す。


「これは『下照親衛隊』の幹部連かんぶれんじゃないか」

「ご存知でしたか」


 浩平は地球人生徒の間では顔の広いほうだ。

 謎の秘密結社『下照親衛隊』にシタテルの近況を訊かれることもある。

 下照親衛隊の構成員は、地球人男子学生(一部外星人男子学生や女子学生)の間でかなりの数にのぼり、陰ながら権勢けんせいを誇っている。

 三年丙組、伏木十得は、下照親衛隊の二代目総長である。


「知らいでか、シタテルに付きまとう悪い虫を排除するのは兄たる私の責務だ」


 鋭い悪魔面で言い放つアジス。


「まあいい、折衝せっしょうは浩平君にお任せしよう、正式にその有志達とコンタクトを取ってくれ、必要とあれば私か副会長も同席して会合する機会を設けよう。して、その有志連は何か見返りを要求してはいないのかね?」


「正式な要請は今後の話し合いの中で出てくると思いますが、俺が聞いている限りでは、参加者の所属する部活に対しての、来年の予算の優遇措置と、見回り行動中の部活への勧誘の認可です」


 他にも副会長がらみの希望(お近づきになりたい系のやつ)が何個かあったが、浩平は敢えて伏せておくことにした。


「勧誘ねぇ、意見の対立からぶつかり合いを重ねるごとに、やがて友情と結束に昇華する。まさに青春だな浩平君!」


 両手をガシッと合わせアジスは笑う。


「風紀委員会は外星人生徒の構成員が多い。今回の件にあまりしゃしゃり出てくるとかえって対立を深めることになりかねない。風紀委員会と連携しつつも、巡邏じゅんらはその有志連のほうにお任せする形をとろう」


 アジスがこう言うと、この案件については一段落ついたということになり、天音が議事録に書き込みを始める。


 エリドゥは会議が始まると同時に、床に丸まって寝てしまった。

 彼も一応生徒会の参議ではあるが、だれも彼には期待していない。

 実質生徒会を切り盛りしている天音の愛玩用に在籍しているようなものだ。


 エリドゥの寝息なのか鼻息なのか、鼻から漏れる「ぷー、ぷー、」という音が間抜けに響く。

 一時、議事録への書き込みの手を止めて、天音が母親のような優しい視線をエリドゥへ向ける。

 おそらく体中から愛情オーラみたいなものを発しているのだろう。

 アジスにはそのオーラが見えているのかのように、微笑みながら天音とエリドゥを見ていた。


「地球人と外星人が、みんな君たちみたいになれたらねぇ。」


 アジスが呟く。


 会議が始まるまでは西日が生徒会室の奥まで射していたが、いつの間にか太陽は黒々とした雨雲に覆われ、ポツリポツリと、先触れの雨が窓に当たっていた。


 浩平は先ほどからシタテルの視線を感じている。

 あまりにもまじまじと見られているので、時々シタテルのほうを見ると目が合ってしまい気まずくなる。

 浩平は意を決し話しかけることにした。


「あのー、副会長……、」


「…!……へ?」


 シタテルは浩平をガンしていた自覚が無かったらしく、心底驚いて間抜けな返事をする。


「何か、その、俺の顔がどうかしましたか?」


 シタテルは会議用に先ほど天音が配ったプリントの裏側に何か書いていたらしい。

 隣の席のアジスがシタテルの手元を覗き込む。


「なんだい、副会長?それは!も、もしかして?……」


 書かれているものを見て、見る見る顔が青ざめてゆくアジス。

 ちらりと浩平のほうを見る。

 ボンヤリと兄を見つめるシタテル。

 アジスは、慌ててプリントをシタテルから奪い、クシャクシャに丸めて口に放り込んだ。

 シタテルが「あああぁ。」と間延びした悲鳴を上げる。

 アジスは欲張りなリスみたいに頬袋ほおぶくろを膨らませているが、さすがに飲み込むわけにもいかず目を白黒させている。

 天音がゴミ箱を抱えて駆けつけると、アジスはゴミ箱に向かって「ぶえっ!」とプリントの塊を吐き出した。


「か、か、か、会議中になんちゅう破廉恥はれんちなものを描きくさっとるんじゃ!シ、シ、シタテル、正気か!?」


 狼狽したアジスが叫ぶ。


──会長をそこまで怯えさせるとは、いったい何が書かれていたんだ?


 浩平が訊くより早く、 


「えー、副会長、何描いてたのー?」


 天音が興味を示し、ゴミ箱の中を覗き込む。


 アジスは、すかさずゴミ箱を天音から奪い机の上に飛び乗った。


「えーい! 連綿れんめんと続く我が一族の名誉のため見せられんのじゃ、サモン! ジェ・ヴォーダン君!」


 アジスの両目が光を放ち生徒会参議『ジェ・ヴォーダン君』を召還する。


 不意に生徒会室の天井から暗幕あんまくのような物がバサっと落ちてくる。

 その暗幕が、風船の人形に空気が入っていくように、見る見るモコモコと膨らみ、立ち上がった。

 やがて黒い塊は、フードを目深にかぶり全身をマントというかローブというか、とにかく黒い布ですっぽり身を包んだ人物の形になり、生徒会室の真ん中に立っていた。

 彼こそ生徒会参議で、今は風紀委員会に出向中の、謎の生命体ジェ・ヴォーダン君である。


「ジェ・ヴォーダン君! デス・いんてぐれいと!」


 ジェ・ヴォーダン君めがけてゴミ箱を放り投げるアジス。


「キェエエエー!」と怪鳥音くわいちょうおんを発したジェ・ヴォーダン君の目の前で光が炸裂しゴミ箱は分子レベルに分解された。


「ゴミ箱は、生徒会の備品なの……」


 ポツリと天音が言うと、


「……。キョ、キョエエエエー!」


 光の粒子が空気中より集まり、ゴミ箱に再構成された。


「ご苦労様…」


 中身が空なのを確認し安心したアジスがそう言うと、ジェ・ヴォーダン君は衝撃的な登場シーンとは裏腹に、扉を開けて案外普通に退室していった。

 どうやら上の階の風紀委員会室での会合に出席している最中だったらしい。


──なんだかどっと疲れた。

──それに、日差しが無いせいか寒くなってきた。


「っふああああああぁあぁー」


 浩平は足元から這い上がってくるような睡魔に負けそうになり、堪えきれず大あくびをしてしまう。


「なんだ、浩平君。つまんないか、ジェ・ヴォーダン君の大技まで披露したのに…」


 がっかりしてアジスは肩を落とす。


「いえあ、そういうわけじゃ無いんですけどね、なんていうか、春眠しゅんみんがぁ、あかつきをですねぇ、とにかく、最近夢見が悪くて、いや、悪い夢ではないんだけど、展開がめまぐるしい夢というか…………、じつは、あんまり内容は覚えてないんですけどね」


支離滅裂しりめつれつだねぇ浩平君」


「こ…こぅへぃさん、顔が……、」


 気がつくとシタテルが浩平の間近に迫っている。


「ふ、ふ、副会長、」


 おずおずと浩平の額に手を当てるシタテル。

 浩平の顔にドッと血が上る。


「イカン、大変だ、顔が真っ赤だ、熱があるんじゃないかな、保健室に行っておいで」


 アジスがそういうとシタテルが真剣な顔で「私が付き添います」と、申し出た。

 シタテルに抱えられるようにして浩平は保健室に向かった。


「………」


 生徒会室には、絶賛お昼寝中のエリドゥと、なんとなく取り残されたアジス、天音の三人が残された。


「……会長」


「ん?」


「今日の会議は……」


「おひらきだねぇ」


「……会長」


「はい?」


「副会長って、普段ははかなげ深窓しんそうのお姫君って感じなのに、どうして浩平の前だと、すっとこどっこいになっちゃうんでしょうね」


 ポツリと天音が言う。


「すっとこどっこいでもいいのさ。大歓迎だよ。……浩平君が来るまでは儚いだけだったからね」


 ポツリとアジスが答える。


「いいんですか?連綿と続く我が一族のなんとかは?あんな、きわめて特徴の無い、鈍感で、女の子の心の機微きびなんて全然解らなくて、人がいい事くらいしかとりえの無い地球人が相手で」


「幼馴染だけあって、情け容赦のない人物評価だねぇ天音君」


 先ほどまで目を通していた議事録のノートで、平安時代の貴族が扇おうぎか扇子せんすでやるように口元を隠してアジスは言う。


「人と人とのえにしというものはねぇ、天音君、そんなに難しいものではないのだよ。出会うべき人は別にこちらからウロウロ探しに行かなくたって、出会うべきときに現れるものさ。そして出会うべき人たちってのは、出会ってしまえばどんな障害があろうと、自然にくっついてしまうものだよ」


「出会いを求める行為は全部無駄って事ですか?」


「無駄じゃないさ天音君。それに無駄な事をするってのは無駄じゃないんだ」


「??」


「君とエリドゥなんてどうなのさ、なんでエリドゥが好きなの?」


「うーんとねぇ、えりりんがお昼寝するとねぇ、『ぷー、ぷー』ってあれ、鼻息かしら?とってもカワイイの。あとね、えりりんの首の辺りにね、顔を埋めてギューってした時にするえりりんの匂いがね、好きだから」


 もじもじしながら天音は答える。


「そんじゃ、僕をギューっとしてみてよ」


 にっこり笑ってアジスは言う。


「へ?」


「ほら、早く、」


 ニコニコしながら天音ににじり寄るアジス。


「えりりんの目の前で、う、浮気は出来ません!」


 赤面しつつ天音は言う。


「大丈夫、エリドゥ寝てるよ、ほら、」


 屈託くったくの無い笑顔で、天音の膝の上に乗っかるアジス。

 天音は小さなアジスを抱きしめて、鎖骨の辺りに顔を埋めてみた。


「どう?」


 アジスは天音の顔を覗き込む。


「……………」

「道端みちばたで見つけた、人懐っこい野良猫を抱っこした気分…」


「がーん!」


 アジスは頭を抱える。


「おっかしいじゃん!毛むくじゃらのエリドゥがダーリンで、何故この可愛らしい、天使のような僕が野良猫なのさ!」


「だって……」


「まあ、野良猫は不本意だけど、結果はこんなもんさ。天音君は本能的に知っているのさ。僕が『運命の人』ではないことを」


「ごめんなさい」


 なぜか申し訳ない気分になってしまった天音。


「だけど、判ったでしょ。出会う人全員の首にギューっとしたら、本当に好きな相手なんかすぐにわかるんだよ」


「いきなりやったら変態ですよ、そんなこと。それに私にはもう、えりりんがいるからいいんです」


 天音は床で丸くなっているエリドゥのアゴの下をゴリゴリしてやる。

 寝ながらエリドゥはアゴを伸ばしゴロゴロを猛獣の唸り声のようなものを発する。


「そうだよねぇ、もう相手がいる人にレクチャーしてもねぇ」


「ところで会長は好きな人、いないんですか?」


「うん? 僕? 好きな人? そうだねぇ、天音君はエリドゥに獲られてしまったしなぁ、僕も浩平君かなぁ」


 アジスはそう言うと、再び議事録をヒラヒラさせ平安貴族スタイルに戻った。


「私ってば狙われてたのですか? って浩平!? うげぇ、ボ、ボ、ボーイズ・ラヴってやつですかぁ!?」


 恐怖のあまりエリドゥの首にしがみつく天音。


「君たちの星と僕の星(とうの昔に端微塵ぱみじんですが)。別々の星で進化して奇跡のように出会った二人!それに比べて性別の差なんて小さいじゃないか!」


 目をキラキラさせてアジスが言う。

 気付くと天音は心底軽蔑した目でアジスを見ていた。


「やだなぁ、天音君。いつもの愉快な冗談だよ。はははははは。いやだな、そんなケダモノを見るような目で見ないでおくれよ。目に涙を溜めて。…っちょっと、頼むよ、マジで」


 アジスは必死に取り繕おうとするが、その日以降暫くの間、彼と天音の間にはなんとなくギクシャクとした空気が漂うようになった。  


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