第2話 校庭にて

───もしかしたら。いや、多分、今もあのまま座っているんじゃないだろうか?


 浩平は、職員室や生徒会室がある第三校舎を出て、一般生徒の教室がある第二校舎に向かった。


 ついさっき、第二校舎から生徒会室に来たばかりなので、戻ったと言うほうが適切だろう。


 ちょうど玄関を出たとき、第三校舎の屋上にある発着場から、ボンネットバスを改造して作ったシャトルが飛び立つ。


 外星人の生徒を、居住区がある人工天体に送るところだ。


「なんで、ああも地球風にこだわるんだろうかねぇ」


 空飛ぶバスを見上げながら浩平はつぶやく。


 帰宅部の生徒は、すでに大半が下校している。

 遠くグラウンドの方から、サッカー部員がパスの練習をしているらしき「ヘーイ、ヘーイ」という掛け声が聞こえてくる。


『飛行能力者生徒に告げる』

『こちらは星陵高校風紀委員会である』

『登下校時の飛行は学生法規により禁止されている』

『重力下での歩行困難者に限り、2メートルを上限に特例として認める』

『校舎より高く飛行した者は捕獲ネットにて捕縛される』

『また、教室の窓からの出入りは硬く禁止する』


 風紀委員会の放送が校舎のスピーカーから流れる。


『星陵大学経由、星雲寮行きのシャトルバスは、17時まで15分間隔で運行しています。』


『次のエレヒ行きのシャトルは18時30分発進予定です』


 風紀委員会の放送に続いて、バスやシャトルの運行時間の案内が流れる。


 そんな、校内放送を聞きながら、浩平は、教室のある第二校舎と、それに隣接する、部室練や体育館との間にある、渡り廊下を横断し、中庭に向かう。


 中庭の奥の方。

 体育館寄りにある温室を見る。

 第二校舎、浩平の教室のちょうど対面。


──やっぱりまだいた。


 浩平が生徒会室に来る前に、窓際にある自分の席から中庭を眺めた時には、奥のベンチに腰かけているのを見かけた。

 予想通り、その時と全く同じ位置で、ベンチに腰掛けて桜の樹を見上げている、星陵高校生徒副会長、『下照シタテル』を発見した。


 彼女はアジスの妹。

 生徒会は会長一族の独裁政権だった。


 こういう事になるのであれば、窓から一声かけてから生徒会室に行けばよかったのだが、どういうわけか、無意識のうちに見なかったことにしてしまったらしい。


 物憂げな表情で桜を見上げているシタテル。

 星陵高校の紺のセーラー服に身を包み、ベンチに座るその姿は、白亜の像のように、辺りの景色から際立っている。

 金髪の直毛を、若干オカッパ気味に切りそろえた、良家のご令嬢のような髪型をしている。


 外見的にはどう見てもシタテルのほうが歳の離れた姉に見えるのだが、そんな地球人の常識は、宇宙の兄妹には通用しないようだ。


 意を決し、声をかけるためベンチに近付く浩平。


「あ、あのー…副会長?」


「!!」 


 浩平の声にビックリして、シタテルはベンチから飛び上がった。

 飛び上がった勢いでそのまま立ち上がり、深々とお辞儀をする。


「ぁ……、……ぃさん、……わ」


 語尾がかろうじて聞き取れるくらいの、か細い声で挨拶をする。


 兄のアジスはチビッ子なのに、妹のシタテルは身長170オーバー。

 天音より頭ひとつ分高い。

 兄と違い角がないので、地球人との差異は、ぱっと見判らない。


 彼女は現ミス星陵高校。


 太陽系中の生徒が集まる星陵高校のトップである。

 ある意味、美の太陽系覇者ということになる。


 彼女は今まで、学園に数々の逸話を残し、現在も生み続けている。


 入学当時、その容姿を一目見んと、多数の男子生徒が彼女の教室に集団で押し寄せ、外星人生徒が安全確保のため地球を退去した。


 その混乱の反省から、生徒自治を重んじる学園は、対シタテル紳士協定を生徒間で結び、その運営と生徒の抜け駆けを監視する組織、後の『下照シタテル親衛隊』が結成される。


 体育授業、特にプール学習は、厳重警戒の中行われ、実質非公開のはずが、超望遠レンズによる盗撮水着写真が非公式に生徒の間で売買され、親衛隊と風紀委員会が、回収のために特別チームを編成し、さながら国家禁酒法施行当時のアメリカのように、密売人と親衛風紀委員会の大捕り物が、連日繰り広げられた時期もあった。


 地球人女性はシタテルに近寄らない。

 なるべく同じ風景に入らないようにしている。

 自分が引き立て役になってしまうのを避けるために。


 天音はその点、損な役回りだ。

 一緒にいることが多いのでどうしても比べられてしまう。


 天音も十分美人の部類だと浩平は思うのだが、一般生徒の評価は容赦なく、『生徒会の残念な方の子』ということになっている。


 成績優秀で品行方正、圧倒的多数の男子学生の崇拝の的であるシタテル姫であるが、浩平は彼女が苦手だ。


 どうにも会話が成り立たないのだ。


 静止画は美しい。


 それには浩平も大いに同意できる。

 肌が白く、まるでロウソクの本体が灯る火を透かして輝くように、淡く発光して見える。

 顔立ち、容姿に一点の翳かげりも無い。

 あまりに長時間見入っていると、魂魄こんぱくが吸い寄せられ抜かれてしまうような恐怖を感じる。


 それだけではない。

 これは、浩平だけが感じるただの思い過ごしなのかもしれないが。

 霞かすみのようなものが彼女の周囲を覆い、彼女の本質を、ハッキリと見通せなくさせているような気がするのだ。

 集合写真に加えられたコラージュのように、彼女だけ現実世界から遊離ゆうりし、次の瞬間、幻のように消えうせても不思議ではないように思える。


 彼女の神懸った容姿がなせる業なのだろうか。

 どこか、現実味の足りない、浮世離れした印象である。


 シタテルを見ながら、自分の考えに没頭していた浩平は、慌てて頭を振り、雑念を追い払った。


「副会長、会議はじまります。みんな待ってますよ」


 浩平は事務的な会話を試みる。


「………、」


 シタテルは目を伏せている。


「生徒会室から副会長を探しに来たんですよ」


「…………」


「副会長、会議が始まりますよー、会長も天音もエリドゥも、みんな待ってますよー」


 努めて明るく浩平は話しかける。


 シタテルは困った顔をして、鞄の紐をきつく握りしめた自分の手を見ている。


「…………もしかして、……俺と話するの、嫌ですか?」


 早速、心の折れた浩平が、恐る恐る尋ねる。


 シタテルは目を大きく見開き、ふるふると首を懸命に振る。


──何故、俺とは話してくれないのだろう……。

──生徒会の面々と一緒の時は、もう少し会話ができたのだが……。

──エリドゥやアジス会長が特別フランクなだけで、外星人とのコミュニケーションなんて、やはり儘ならないものなのだろうか……。


 浩平は半ば諦め、シタテルから視線を外し、シタテルが眺めていた桜の木を見る。


 ここの桜の木々が咲き始めた頃、浩平は天音の懇願に屈し生徒会に入ることになった。


 学園の悪魔などと地球人生徒から言われていたエリドゥは恐ろしかったが、学園の女神シタテルと一緒に過ごせるのなら、生徒会も満更まんざらではないんじゃないだろうかなどと、気楽に引き受けたのだ。


 実際に接してみると、エリドゥは全然怖くないことが判明したが、シタテルとは未だに意思疎通が出来ていない。


 しかも、だんだん、だんまりがエスカレートしているようにも感じる。


──一、二年は授業別々だけと、宇宙科は三年になったら、外星人と一緒のクラスになるんだよな。

──俺、やっていけるのか?


 浩平は別にシタテルを嫌っているわけでも、彼女の態度に幻滅げんめつしたわけでもない。

 ただ、彼女が忌避する原因がどこかにあるのか、自分になにか落ち度でもあるのかと、心配になってくるのだ。


 今もシタテルは、立ち尽くしている。

 そんなシタテルを見ていると、浩平には漠然ばくぜんとした不安が生じる。


 最近、浩平がよく見る夢。

 その夢の中で、浩平は彼女と何度も会っていた。

 ……ような気がする……。


──ただの勘違い、それとも思い上がりだろうか?


 浩平はシタテルに視線を戻す。

 彼女は逡巡している。

 浩平の顔を見ようとして視線を上げかけ、慌てて目を逸らし、またジリジリと視線を上げ、なにか言おうと口を開きかけ、思い直し唇を噛む。


「??」


 目まぐるしく変わるシタテルの表情を呆気にとられて浩平は見つめている。 

 明らかに、浩平に何かを伝えるべきか伝えないでおこうかを迷っているようだ。


「ふぅぅぅーっ、」


 不意に大きく一つため息をつき、なにか一つの決断を心の中でしたらしい。

 彼女と出会ってから初めて、しっかりと視線が合った。

 シタテルは浩平を見詰め、手を伸ばし、浩平の手をとる。


「ちっ! ちょっと! 副会長!」


 突然の接触にドギマギしていると、シタテルは浩平をグイグイ引っ張って、自分が座っていたベンチの方へ誘導する。


「……ん、……ん!」


「す、座るの? 座るんですか?」


 浩平を座らせるとシタテルは横に座る。


──近い近い近い……。


「…………、」


──何なんだ一体…。


 シタテルは、自分の鞄から、ランチマットで包んだなにかを取り出し、膝の上でそれを広げる。

 包みの中には、バナナが皮ごと二本入っていた。


「ん……、」


 シタテルは、バナナを一本浩平に差し出す。

 ブランド名だろうか、『完熟マグナム』と書かれたシールが貼ってある。


「あ、ありがとうございます」


 浩平とシタテルは、ベンチで並んでバナナを食べる。


──あっ、ここに座ると、教室の俺の席真っ正面に見える……。


 放課後も大分経ったとはいえ、地球人生徒も、外星人生徒も、まだ、かなりの数が校舎に残っている。

 だが、かなり広いこの中庭にいるのは、浩平とシタテルだけだ。

 放課後中庭に来る生徒は希なので、かなり目立つ。だからこそ浩平も、先程ここに座っていたシタテルが目についた。


「………、気まずいなぁ」


 バナナをモグモグと食べる二人。

 会話は無い。


 太陽は傾き、ベンチの辺りは日陰になった。

 浩平は急に寒くなってきた。

 図らずも日向ぼっこを強いられていた浩平は、今に至って自分が風邪気味なのを思い出した。


──副会長に風邪移したら、外交問題だな。

──…………移るかどうかは知らないけど。


 浩平は、シタテルに生徒会室に行くよう、やや強めに促す決心をした。


「副会! ……長」


 浩平は、シタテルの方に向き直り、語気を強めに呼ぶつもりだった。


「…………」


 浩平を見詰めるシタテルの瞳には浩平しか写っていない。

 頬を赤らめ、告白を身構えているかのようなシタテルを見て、浩平は何も言えなくなってしまった。


『ヴーン、ヴーン、ヴーン』


「???」


 シタテルは自分の鞄から携帯電話を取り出す。


「はい、あっお兄様。ええ、はい。こちらにいらっしゃいました。……はい。これから生徒会室に一緒に向かいます」


「???」


 浩平はシタテルを伴って生徒会室がある第三校舎に戻ってきた。


──なんか、俺が迎えに来てもらった風になっているな……。

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