第6話 〜Tonyの詩〜

 久し振りの東京。

 久し振りのシアタータイム。

 僕と聖子は長期の休みのお礼と謝罪をし、聖子が自分のデスクに向かったのを見届けてから、守口さんに向き直った。

「ちょっと時間貰って良いですか?」

「うん?」

 守口さんは僕の申し出に神妙な顔をした。

 名前ばかりの会議室に入ってドアを閉めるのを待って、雑多にチラシやグッズの乗ったテーブルの上に無理矢理スペースを作り、ファイルと、ノートパソコンを置く。

 そこから流れるのは、勿論、Tonyだ。少年時代のTonyのあの歌。


Hey, what are you waiting for?

 If you're waiting, does anything change?

 I'll soon begin to walk.

 Please follow me.

 I'd like to talk with you about a wonderful thing and a regrettable thing.

 It's you yourself that now can be changed.


 真剣に見ている。歌った後のTonyのメッセージが終わって止めると、

「コレは…?」

 興味深そうに聞いてくる。

「少年時代のTony Chesnokov です」

「ええっ?」

 僕の答えに驚いた声をあげ、静止したままのモニターに目を向ける。

「コレ日本だろ?ずいぶん貴重な映像じゃないか。どうしたコレ。」

 予定よりも興味を持ってくれたようで、密かに僕も気合いを入れ直した。

「僕に歌ってくれたんです」

「youって、川島君の事⁉︎」

 感触が良すぎて逆に面食らうけど。Tonyは僕の想像以上に有名らしい。君はやっぱり凄いな…

 そして用意して来たファイルを開く。

 世界各国の様々なジャンルの音楽家たち。嘗てTonyと関わりのあった人たちだ。ちらりと目を通して、興味深そうな、それでいて厳しい視線を向けてくる。仕事のスイッチが入ったようだ。話の流れていく方向を見極めようとしている感じ。

「Tonyはこの詩を僕にくれました。僕の…ヘビメタバンドのsingerをしている友人は、これを、ヘビメタにアレンジしてshoutして歌う。ヴァイオリンを習っている息子の光は、ヴァイオリンを弾きながらオリジナルで歌う」

 僕の話を聞きながら頷いて促す。

「僕は、このTonyを色々な人に見て貰って、この詩を、それぞれの歌にして歌って欲しい。それを、ドキュメンタリーで撮りたいんです」

 僕の話を聞いていた守口さんは、我が意を得たり!と言う笑顔を見せた。興奮した表情だ。

「こんな凄い映像を隠し持っていたなんて、川島君、侮れないな」

 守口さんの反応は、僕と同じ興奮を孕んでいる。それだけで気合いが違ってくる。想像を膨らまして目まぐるしく脳内で展開させているところだろう。更に押すために

「監督はドキュメンタリーに強いアラン・フィンを考えています」

 パソコンのモニターに彼の経歴を映し出す。

「面白い人選だけど…人脈が…?」

 仕事の厳しい目だ。アランはメジャーではないが、こだわりの強い人物で、一つのことに拘って、さらりと見せながら深く踏み込み追求した作品を撮る。マニアに注目されている監督だ。勿論、守口さんは知っているだろう。シアタータイム好みの監督だ。

「すみません、Tシネ時代のコネを駆使してあたりをつけました。それに彼は以前、映画のエンディングにTonyを使っています。その後の交流もあった人物なので、適任かと」

 頷く守口さんの反応は良い。だけど…

「だけど、これが動き出したことを嗅ぎ付けられると、方々から横槍が入る可能性がある。言いたくはないが、Tシネさんに動かれたらウチは太刀打ちできない」

 やはり厳しい。僕も神妙に頷く。賭けに出るには大き過ぎるテーマだろうか…?

「慎重に迅速に進めよう」

 そう言って守口さんは右手を差し出した。

「はい!」

 その手を握り。勢いよく頭を下げた。守口さんの興奮が伝わってくる。

 同じ方向に向けて思いを巡らせているのが伝わってくる。そして進もうとする僕の思いの周囲を見極め、守ってくれていることも。

 この感じ…何だろう…すごく気持ちが良い。自分が考えた何かが形になっていく。これは何て、感動的なんだろう。

 そして僕は思い出す。幼い光が、離乳食を食べている頃。出掛ける聖子の代わりに光に離乳食を作った。おかゆに茹でて潰したサツマイモを混ぜただけだけど。ただのおかゆを嫌がって口に運んでも舌で押し出され、だったらとアレンジしただけだけど。最初頑として開けなかった口に何とか少量押し込んだ後、ハッとした顔をして、もぐもぐして飲み込んで、口を開けて催促された時の何とも言えない高揚感。我が子が愛おしくて、初めて彼のために何かをしてあげられたような達成感。あの時のそんな感動。忘れていたけれど、そんな、本当にささやかなそんな感動を、今、僕は味わっていた。


 僕はデータを持って、N.Y.に飛んだ。Tonyの友人として、彼に関わりのあった音楽関係者たちに会う。そしてTonyの思い出話をする。僕はそれを繰り返す。更に色々な国に移動しながら。

 Tonyが歌うときに演奏していた奏者たち。コーラス出身の歌手。一時期組んでいたバンドの仲間。合唱団仲間。クラシック、ジャズ、ゴスペル、ポップ。様々な人が僕を迎え入れ、悲しみを乗り越え懐かしそうにTonyの話をしてくれた。愛情を感じた。大人になっても尚、皆に愛される少年のようなsingerだったんだ。その声のまま。

 そんな僕の訪問を、アラン・フィンのカメラクルーがカメラに収めて行く。色々な人に会って、ひたすら話をし、そしてすべての人の撮影が終わった後、再度会いに行き、あの詩を歌う動画を見せる。

「この詩を、あなたの曲でアレンジして歌ってくれませんか」

「僕は、今になってTonyの歌の意味を知り、動き出したいと思っている。今、こうしているのは彼の歌に背中を押されたから。彼の歌をもっとたくさんの人たちに届けたい。だから、あなたの曲でTonyの詩を歌って欲しい。前に進めないたくさんの人の背中を押して欲しい」

 そして誰もが、彼の歌声に感動し、引き受けてくれた。

 それらの歌ができるまでの間、アランの編集が終わるまでの間、つかの間僕は帰国した。

 もう一つ、しなくてはいけないことがある。

 帰国して早々。僕はカメラマンを伴って帰郷した。聖子もスタッフとして同行している。

 港には石守が迎えに来てくれていた。

 言うまでもなくあの野外ドームのステージで、石守はヘビメタバンドを引き連れて、Tonyの詩を歌う。初めて聞いた時のように。そして再び聞いた時のように。やはりあの時、石守は泣いていたんだろうな…そう思いながら聞いた。

 彼は、その後、僕が訳した日本語バージョンを歌い、二人でステージに座って話した。

 くすぐったいな。石守と話すのに、何と無くよそいきの顔をして。本人はいつものままのリラックスした感じなのに。

「僕は、ずっとTonyのことを忘れていたのに、お前は覚えていたんだよな」

 僕が、以前も個人的に言ったことを繰り返すと

「そらね、ジャンルはちゃうけど、音楽やってるからね。俺は」

 石守はやはりそう答えた。

「動向はチェックしててんよ。経歴が独特やし、あの声やし、俺ら一緒に歌ったんやで。おまえはピンときいへんかも知れへんけど、すごい貴重な体験してんねんウチら。ガキの時に」

「それは、分かるよ」

「そいでも、俺も何かしてたわけやない。時々名前を見かけて、やっぱり凄いな思て。俺あかんな。やっぱり天才っているんやな。そら凡人の俺とは違うわな思うてただけ。あのニュースを知るまでは」

「事故の…?」

「せやね。神さんはほんまにわがままやわ。あんな天才作っておいて、さっさと自分のとこに連れてってしまうんやから。ってセンチになったんや」

「そうだな…あの歌声を自分のそばに置いておきたくなった神様の仕業だったのか」

 その思いはすんなり納得でした。

「そんで、あの歌を思い出してん。当時、Tonyにあの歌を送られたおまえに嫉妬した。そやけどどうしても聞きたなって、おまえの親父さんに見せてくれへん?て頼んでん」

「すぐあったんだ?」

「大事に保管しとったで。親父さんの書斎でこっそり見せてもろて、それを何度も頭の中で反芻しとる内にいつの間にか叫んどった。俺なりに」

「僕はそれを聞いたのか…」

「自分のために歌うだけやったんやけど、偶然聞いた親父さんが、ちゃんと日の目当たるところで歌えや。言うてくれて。日の目やのうて。息子の目に止まる結果になったけどな」

 そう言って石守は笑う。

「そうだな」

 そう言って僕も笑った。

「偶然おまえの歌を耳にして、この詩をどこかで聞いたことがある…そう思って、Tonyを思い出して、そして彼の死を知ったんだ」

「感謝しいや」

 ふざけて言ったが、寂しそうな笑顔だった。

「せやけど腐っとらんと、おもろいことよう始めよったな」

「まぁ、色々考えることはあったよ。今、微妙な状況にいるし。でもお前に、悲しみに依存しているって言われたのは堪えた」

「そんなん言うた?」

「言われた」

「俺ええこと言うな〜」

「…まあね」

 いつしかカメラが回っていることを忘れ。二人で子供の頃の話や、あの即席合唱団の話、Tonyがいた頃の話をポツリポツリと話した。

「なんや、酒飲みたなるな」

「僕は弱いけど」

 そういうとニヤリと笑われた。


 結果的に撮影は楽しかった。上手く撮れていたし。


 そして僕にはまだやることがある。

 市長と岸川さんに会いに行った。今僕がしていること、しようとしていることの話をした。

 僕は故郷を愛している。今まで考えたことがなかったけれど、前回の帰郷で思い知った。45歳って、そういう年なんだな。ノスタルジー。僕は年を重ねた。まだまだ若いという気持ちと、いつの間にかもうこんな年…という気持ち。古い友人が恋しくなり、あの頃を眩しく思い出し、老いた両親の色々なことが理解出来るようになってきて。故郷のために何かしたくなる。父のしてきたことを知って尚更、この島が愛おしい。

 うん。今だから、45歳になったから、動き出せるのかもしれない。そう思うと重いはずの体が、少し軽くなった気がした。


「光の演奏と歌も入れたいんだよね」

「素人なのに、良いの?」

 僕の意見に、聖子は渋い顔をした。

「俺も世界的に見たら素人みたいなもんや」

 石守が味方についてくれた。

「あの子が、うんって言うかしら…?」

 特に僕の頼みだと…でも、これは僕が言わないと…と思う。

「今まで撮った歌を見せて、頼んでみようと思う」

「ええんちゃうかな」

 石守が言い、聖子も頷いた。

 もう少し撮影を残していたので、聖子と撮影スタッフを残して、僕は一旦東京に戻ることにした。

 光と二人で過ごすことなんて、今まであったかな。男二人。聖子は我が家の華だったんだなぁと改めて思う。

 出前のピザにサラダを足した夕食中も、会話はない。終わった途端部屋に籠ろうとする光に

「見て欲しいものがあるんだ」

 そう言った。遠慮なく迷惑そうな視線を投げてきたが、構わずモニターに動画を写す。最初の訪問の物ではなく、色々な人が出来上がった曲を歌うシーンだ。

「コレって…?」

「Tonyの詩だ。いま、職場で作っているドキュメンタリー映画用に」

「凄いメンツだけど」

 流石にヴァイオリン弾きだけあって、興味を示している。

「おまえの歌も、入れたいんだけど、どうだい?」

「俺?何で。こんな凄い人達の中で?」

 僕が光の歌を使いたいのは、もっとエンディングの方だ。悲しみに膝をついて、でも立ち上がって日常に戻って行く。そんな人々を映し出しながら、被せて流したい。光の歌はそういう歌だ。

 そのまま言うと

「音楽のこと、わかんのかよ」

 そうブツブツ言いながら、ヴァイオリンケースに手を伸ばす。

「ありがとう」

 僕の息子はすごく立派に育ったなぁ…と感慨深くなった。


何度目かの渡米の後、Tonyの映画が出来上がった。

 監督スタッフを引き連れて帰国し、シアタータイムのスクリーンで社内向けに行った試写も好評だった。

 そう、この映画は小さな箱が似合う。

 何か映画を見ようか、何みよう?で見るんじゃなくて、この映画自体に興味を持ってわざわざ見に来てくれた人と分かち合いたい作品なんだ。

 勿論音響は良いほうが良い。でも、古いレコードのようなくぐもった後に響きだすようなそんな音色でも味わい深い。


「で、どんな戦略?」

 守口さんは当然というように僕に聞いてきた。

 そう、これは僕の作品だ。

「我が儘言っていいですか?」

 僕が言うと何言っているんだ。という顔をする。そして僕が実は…と話し出すのを待っている。

 やはり、この会社で作って良かったと思う。試写には聖子だけでなく光も呼んでくれた。

「この子、音楽の道に進みたいって言い出すんじゃないかしら」

 聖子はこっそりそう言ってきた。

「以前は、無理って言っていたけど。Tonyは僕だけじゃなく息子の道さえ切り開いたのか?」

「それだけではないでしょうけど…」

 そう言ってから黙り込む。何だかいつもより遠慮がちに話す。そんな気がした。しばらく忙しくしていて、すれ違っていたから?聖子の異変に気が付いたけれど、気にかけなかったのだ。頭は仕事のことでいっぱいだった。


「一般試写会の皮切りは、僕の故郷の島でやりたいんです」

 ミーティングでの僕の言葉に

「あの島で?でもシアターは無いでしょ?」

 すぐに聖子が反応した。そうだ。それが家族を連れて島に帰るネックだと思う。

「それは考えがある。その後の東京での試写も、普通の箱ではやらない」

「策があるんだな?」

 守口さんはニヤリと笑った。

 策と呼ぶにはささやかなこだわりだけど。僕も胸を張って笑い返した。

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