第5話 光が歌う

 パラパラと資料をめくる。

 頭には入ってこないけど、その量と、書き足されたメモや付箋などで、その情熱が感じ取れる。

 父の字だ…あの人は、僕が子供の頃は忙しくて厳しかったけど、孫の光が生まれてからはかなり甘くなった。

 亡くなった時にたくさんの人が来てくれた。泣いてくれた。お世話になりました!おかげで助かりました!そうたくさんの人に言われたのは決して社交辞令では無かった。それは分かっていたけど、その理由の一つ一つを今目にしている。

 どうして、その時興味を持たなかったかな…もっと一人一人から話を聞けば良かった。父が何をして、何を残したのか。この島のあちこちに父の名前があり、痕跡がある。そしてそれも徐々に薄れ、消えて行く。僕は何も知らないまま。

 仕方がないんだ。父が死んだ直後は色々な手配や、雑務があった。葬式の手配や、挨拶や、諸手続き。勿論悲しみでいっぱいだったし。

 ここに住んでいるわけじゃないのもあって、行き来でもいっぱいいっぱいだった。

 もう一度パラパラめくる。

 これを引き継ぐことを父は望んでいるのかな…

 僕に出来ると思っているかな?

 これを始めたら。僕は今の虚しさから抜け出せるのか?生きているうちに何かを残せるのか?

 岸川さんが帰って、見送った後も元父の書斎にこもったままの僕を、聖子はそっとしておいてくれている。

 本気で僕に全ての決定を託すつもりなのか…?


 君も気晴らしに出かけたら良いと言いたいけれど、この島には彼女の好きな映画を見る施設がない。

 子供の頃、父が『風が吹くとき』の上映会をしてくれた。市の大きなホールで。それこそ島中の親子が集まったんじゃないかというくらい。大きな画面で映画を見るということを経験したことがなかった僕に、どうだった?と関係者席からやってきて聞いたっけ。誇らしそうだった。すぐにスタッフに呼ばれて行ってしまったけど。コレは、僕の父が上映したんだ。って誇らしかったな。今まで忘れていたけど。そんな事もあったんだな。


Hey, what are you waiting for?

If you're waiting, does anything change?

I'll soon begin to walk.

Please follow me.

I'd like to talk with you about a wonderful thing and a regrettable thing.

It's you yourself that now can be changed.


 気がついたら口ずさんでいた。

 僕自身が動き出さなきゃ何も変わらない。

 Tonyはそう教えてくれていたのに。少年時代の僕に。もうあの頃には戻れない。残された時間は恐らくそう長くはない。今更だけど…

「follow meか…」


 いつの間にか帰って来た光はヴァイオリンを弾いている。石守と一緒に。

 あいつ、まだ弾けるんだな…と思って椅子にだらしなく寄りかかり聞いていたが、はっと身を起こした。

 ヴァイオリンを弾きながら光が歌っている。


Hey, what are you waiting for?

 If you're waiting, does anything change?

 I'll soon begin to walk.

 Please follow me.

 I'd like to talk with you about a wonderful thing and a regrettable thing.

 It's you yourself that now can be changed.


 そう。Tonyの詩だ。

 思わず書斎を飛び出し、テラスにいる2人を見つめた。

 あの頃の僕らよりは大きい。でも可能性を秘めた17歳の光が歌うその歌は、とても美しかった。

 石守の歌ともまた違う。

「おう、出てきたな」

 僕に気が付いて石守が笑う。光ははっとして演奏を止めてしまった。

「今の曲は?」

 僕が聞くと

「テキトー」

 バツが悪そうにそっぽを向く。

「すごくきれいな曲だったな。父さんに似なくて、音楽の才能有って良かったな。お前もそういう道に進みたいのか?」

 そう言ったけど、振り返ってはくれなかった。

「そんな才能あるわけないじゃん。馬鹿なの?」

それが彼の答えだった。


「徹ちゃん、ご飯食べてく?」

 母は当たり前のように声をかけた。

「あ。さっき釣った川魚?俺しよか?」

 石守は調子良い。

「家すぐじゃん。帰れよ」

「なんや。お前魚やれるんかい?」

 出来る訳がない。

「おばちゃんがするから良いわよ。徹ちゃんも先飲んでなさいよ」

 母はそう言って台所に消え、聖子が瓶ビールとグラスを持ってくる。

 今日も飲むのか。

「悪いね、おばちゃん」

 そう叫びながら、瓶を開けて

「ほれ」

 そう僕にグラスを持つように促し、注ぐと、自分のグラスも泡で満たし、グイと飲みだす。

 僕はそれをゲンナリ見つめていた。

「おばさん、待っているんじゃないのか?」

「そんな訳ないやろ。毎日顔つき合わせとんねん。お前と違ごて」

 そう思うなら、一家団欒邪魔するなよ。と思ったが言わなかった。

「光は釣り、初めてやったんやんな?」

 楽しそうに今日の話を始める。

「だってさ、徹さんが…」

 なんだか盛り上がっている。

「あら、そうなの?」

 聖子も楽しそうに聞いている。

 グラス一杯目のビールが既に効き始めている僕は、その光景をファインダー越しに眺めるような目線で見ていた。

 頭の中で、さっき光が歌っていたTonyの詩が聞こえていた。

 そして、石守のshout。

 同じ歌詞なのに、違って聞こえる。あの日Tonyが歌ってくれた感じともまた違う。

 心地良くて、切なくて、もっと聞きたい。

 賑やかな笑い声に我に返り、

「悪い、もう寝る」

 そう言って席を立った。

 自分の音楽を持っているって良いな…それだけで通じ合うものがある光と石守に嫉妬したのか。聖子と守山さんにしたように。

 僕の心がストンと落ち着くところはどこなんだ?そう思って、たまらなくなった。僕は焦っている。何も残さないまま終わりを迎えるのを。

 自分の部屋に戻り、パソコンを立ち上げる。

 Tonyの動画を見つめながら、また入り乱れて皆の歌が頭に中で流れている。

 そうだよ、Tony。僕はまだちゃんと君を悼んでいない。

 addressリストに目を走らせながら、その時僕は、小さく動き出そうとしていた。


「ご無沙汰しています」

 僕がそう連絡を入れたのは、Tシネ時代の上司だった津田さん。映画の買い付けに海外のコンペに連れて行ってくれた人だ。

「久しぶりじゃないか。どうした」

 おそらく、業界内にもシアタータイムがコケて危ないという噂は伝わっているはずだ。

 泣をいれてきたと思われるかもしれない。それも覚悟の上だ。

「実は、個人的に考えている企画があって、相談に乗って欲しいのですけど…」

「企画?お前が?構わないけど、俺で良いのか?」

 津田さんは意外そうな声で聞き返した。そりゃそうだ。Tシネ時代の僕は言われたことをただやるだけの男だった。

「津田さんにしか頼めないんです。場合によっては、人脈を…紹介していただきたくて」

 図々しいのは承知だ。

「へぇ。随分成長したみたいだな。良いだろう。話せよ」

 津田さんは男気のある人だ。僕を海外に連れて行ったのも、もっと積極的に動けという意味もあったと思う。だからこそ、人脈を持っていて、信頼して頼むならこの人…と思ったのだ。

 そして僕の考えは当たっていた。

「お前、それ、凄いぞ。やりようによっては。出来るのか?」

 そう言った後、少し黙り

「人は紹介する。だけど、やるのは、ウチじゃなくシアタータイムで、だろ?相談には乗るけど、そこはお前わきまえろよ?」

「良いんですか?」

「ウチの名前でやればそりゃあ、大きくやれるけど、思い通りの物は作れなくなる。そう言う点では、シアタータイムの方が自由が効くだろう?まぁ、こける心配もあるが、恩義があるんだろ?」

「はい…」

 分かってくれている。この人もまた、格好良い大人だ。

「まぁ、逃すのが惜しい企画ではあるが。俺も、上の思惑で固められない素朴な手法で作った作品で見てみたい。期待してるぞ。先方と連絡とってメールする。くそ、向こうは今何時だ?まぁ、大丈夫か。また連絡する」

 津田さんはバタバタと電話を切った。そう言う人だ。だけどなんだか嬉しくて泣きそうになる。

 そう。これは、僕がやるんだ。僕がやりたいからやるんだ。

 ちゃんと、Tonyを悼む。Tonyのアドバイスを無駄にしない。動き出した。君から随分遅れたけれど、まだしっかり道は見えてないけど、僕も動き出すよ。ちゃんとやってからじゃないと君に会えないだろ?酔った勢いでもなんでも。小さくガッツポーズを作ってみた。

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