第4話 45歳からの夢探し
「で?」
東京ではついぞ見ない縁側で枝豆でビールを飲みながら、石守はご機嫌だ。
そう言えば、僕たちは連絡先を交換していなかった。僕らの子供の頃には家電しかなかったし、個人情報もうるさくなかったから、彼の実家の電話番号は僕の実家のあちこちにご近所さんとして記されている。更に今も実家住みかは聞いていなかったけど、彼の家までは数十メートルだ。
Tonyのメッセージを見た後、
「この子、凄い」
「誰?」
と聖子と光の質問にひとしきり答え、他の動画も見せた後、僕は迷うことなく石守の実家を訪ねていた。
彼は今も変わらずこの家に住んでいて、さっきとはまた違った開放感のある出で立ちで僕を家に招き入れてくれた。
「どうして、忘れていたんだろう…」
僕は石守の母親が注いでくれたビールをちびりと飲む。
僕は父親似でお酒はあまり強くない。情けないことに聖子の方がお酒を楽しんでいる。しかも何でも飲む。
「東京に住んどったら、常に新しいことが頭に流れ込んでくるんやろ」
そして独り言のように「せわしないこっちゃ」…と続けた。
「あの歌は、ロシアからアメリカに帰化するTonyの不安と期待と決意だと思っていたんだ」
「あの直後に帰化したんやったっけ」
うん…と頷き、
「でも、僕に向けて…ということなら意味は違ってくる」
そう言葉にして、僕は沈む。
「あの頃の僕に、Tonyは何を感じていたんだろう」
「なんやろね…」
石守は既に手酌で瓶ビール3本を空けていた。
お前もか…お前も答えをくれないのか。Tonyが感じていたこと、お前なら同じように感じているんじゃないのか?それが言えずに、じっと見つめる。
あぁ、でも本当は、僕も感じているんだ。僕に何かが欠けているって。そのせいで、僕は君たちがすごく眩しく感じるんだ。聖子のことも、守口さんのことも、Tonyのことも、石守のことも。
「なんで忘れてたんだろう…」
僕はもう一度口にする。
「最低野郎やな」
遠慮なく石守が言う。
「だよな」
肩を落とす。
「で、今も分からんのかいな」
ゴクリとグラスのビールを飲み干す。僕は条件反射で彼の空のグラスにビールを注ぎ足す。この習性も、もはや中年以上の会社員限定のものかもしれない。
「英語得意やったやろ。訳してみぃや」
直訳なら…と僕は唱える。それを聞きながら石守はそれを即席でメロディーに乗せる。あんな叫ばなくても、いや、叫ばなかったらそこそこ世間に認められるんじゃないだろうか…と言う程度に彼の声は美声だ。しかも高音も。音域が広いというのかな。
「凄いなぁ」
僕が言うと、ん?と言う顔になる。
「メロディーは即席で出てくるん?」
「そら、それが生業やからね」
即答。
「声も、よく出るよね?」
「生業やからね?」
もう一度言ってから
「嘘や。それで食っていきたい思いながら、副業で生きとんねん」
そう言って脱力したように四肢を投げ出した後
「お前の生業はなんやねん」
そう聞いてきた。
「実際、やのうても。これやって生きていきたい。って無いんか?」
それが確信だ。僕には、それが無い。小・中学生なら、いや、高校生でも許されるだろう。大学に行ってやりたいことを探す、って若人もいるだろう。でも…
「もう45だよなぁ…」
思わずため息が出る。
「年取ったら、大人になるもんだと思っていたよ」
僕が言うと、石守が僕の後頭部をポンと叩いた。
「色んなもん諦めて、好きじゃ無い道でも生きるために生きるんが大人かもしれへんで。俺が一番遠いわ」
そうかも…でもその好きな道すらまだ見つかっていない場合は?
「そんなもん、目に見える訳や無いやろ。選ばんかった道もあるんや。嫌やなかったってことやろ。温度は低くてもそれがお前の好きな道かもしれへんで?」
そう言われて、守口さんの顔が浮かんだ。そうだろうか…僕は熱くなれる彼らが羨ましくて、彼らのそれに乗っかろうとしただけなんじゃ…思わず項垂れる。
「なんや、センチやなぁ。顔上げていかんかい!くだらんことグダグダ言うとらんと、一回アホになったらええねん。お前は悲しみに依存しとるんちゃうか」
石守の、壊れかけの関西弁は心地良いなぁ。と感じながら、弱い酒に飲まれていく。
「お前の訳なぁ、ええわ。俺はそんな風に訳せへんかった。だから詩にならんで、英語のまま下手くそに歌っててん。お前、作詞の才能あるんちゃう?」
「甘やかすなよ…」
僕は今結構限界だったんだ…と気がついた。都会に負けて田舎に帰るのか…家族の顔色伺いながら、親の七光りを頼って?最低の大人じゃ無いか。石守と飲む酒は、いつにも増して僕に効いていた。
「ええねん。何度倒れても。いつまでも倒れとらんと、また立ち上がれば」
半分落ちている僕になのか、自分になのか言い聞かせるように石守は力説している。
「俺は早うに出会ってしもうたから、好きなことに必死でしがみ付くしか出来へんねん。お前は、好きなものを探して生きたらええねん」
またグラスを飲み尽くし、手酌する。
「爺さんになって。コレや!ってもの見つけるんかもしれん。それはそれで格好ええんちゃう?」
独り言だろうか?それとも僕の相槌を求めている?でも、僕はそんなに待てないんだよ。
石守は気持ち良さそうに、Tonyの詩を歌い始めた。叫ばないバージョン。そして僕の訳で歌う。それから、僕の詩でハイトーンで叫ぶように歌って
「徹、いつもうるさい言うとるやろ!近所迷惑や!」
石守の母親の怒鳴り声。
子供の頃から変わっていない…そう思いながら、 目を閉じて聴いていた。石守、お前本当に良いsingerだよ。他は知らないけど。
頭の中で、僕の訳を石守が叫びながら歌っている。一晩中。そう思いながら目を覚ましたが、そうではなかったみたいだ。
いつの間にか、僕は実家の嘗ての自分の部屋の自分のベッドで寝ていた。
頭がガンガンするが、これは石守の歌のせいじゃなく、昨日のビールのせいだ。
実際には石守の十分の一も飲んでいないと思うが、この有様だ。本当に情けないというか…部屋の時計はとっくに止まったまま放置されているから、僕は手探りで自分の腕時計を探す。もうすぐ11時。
うわ…と飛び起きる。良く母親の逆鱗に触れなかったな…彼女は朝食は7時から!を決して曲げない人なのだ。付き合わされる聖子が気の毒になる。
部屋を抜け出しリビングに降りると、聖子がいた。
「あら、起きたのね」
読んでいた本から目を離し微笑む。普段リビングでは遠慮がちに過ごしているが、今は一人なので、奥に置かれた一人掛けの丸いフォルムの白いソファーに沈み込むように、リラックスして座っている。悪くない画だ。違和感無い。様になる。
「皆は?」
あたりを伺うが人の気配は無い。賑やかなセミの鳴き声が外から聞こえるくらい。
「石守さんが、光を山歩きに誘ってくれたの。義母さんも一緒よ」
…と言うことはあいつは昨日の酒を全く残していないってことか。
「君は良かったの?」
虫が、靴が、ってきゃあきゃあ言うタイプでは無いし、行きたかったんじゃ無いのかな。
「うん。私はね。午後から、岸川さんって方が来るっていうし」
聖子は惚けたように立ちつくした僕の足元のテーブルにコーヒーカップを置くと、
「座れば?」
と促した。
「岸川さんが…⁉︎何で?」
聖子は自分の分の残り少ないコーヒーを飲み干してカップをテーブルに置くと、僕に目を向けた。真剣な眼差しに怯む。
「昨日の市長の話が伝わってるみたいよ。今朝、一度あなたに会いたいって連絡が入ったって」
「うわ…田舎って…」
と思わず呟いた。噂が回るのは早すぎる。
「だから、その前に少し話し合ったほうが良いかと思って」
「はい…」
と僕は椅子に座りなおした。
「何しに来るんだろう」
僕の不安げな視線を受け止めても聖子は冷静だ。
「あ。岸川さんって、父の後援会長だった人なんだけど…」
うん…と聖子は頷き、
「お義母さんに聞いたわ」
それなら話は早い。
「どうして来るかは聞いた?」
今度は首を横に振る。
「何しに来るんだろう?」
僕はもう一度呟いていた。
市長の話を聞いてくるんだ。「ふざけるな」か「応援する」のどちらかか…だとしたら、どっち?僕的には
「どっちが良いんだろう…?」
これは思わず声に出ていた。
「あなたが故郷に帰る…って言うのは、最後の仕事としてこれを…ってそういうことを見越して…と言うことではないのね?」
勿論違う。
「で、あなたはどうなの?やる気はあるの?」
「考えても無かった」
正直に答えた。出来るとも思わない。
じゃあ何をしようと考えているのか…?と問われたら、答えようが無いのだけれど。
「やっぱり、帰りたい気持ちは変わらない?もう仕事、嫌になった?」
聖子は目を伏せた。
違う…嫌になったんじゃ無い。だけど…
「誰かが辞めるとしたら、僕だろ?」
聖子が目を合わせないから、それに救われる気分で、そう言えた。
「君まで道連れにするのは心苦しいけど…」
そう続けると、聖子が振り返った。
「道連れとは思っていない。最後まで一緒にいるのが夫婦よ。それに誰かが辞めるとしたら、あなたより私でしょ」
そう言われて、慌てた。
「まさか!君は情熱を持って仕事していたじゃ無いか。あの仕事、好きだろ?」
勿論…と言った後
「でも、スタッフの必要性って、情熱で決まるものじゃ無いでしょ。あなたには経験も人脈もある。あそこに居る意味があるのよ?」
でも私は…と目を伏せる。
そんな風に思っていたとは知らなかった。
「ごめんな…僕が情けなくて…」
守口さん自信作のあの映画『光降りそそぐ夜』は、結果としてこけた。
理想としては、単館で口コミ評判を上げ、大手シアターに限定で掛けて貰う…という形だったのだが、残念ながらそこまでの評判を得られなかった。
シアタータイムでは、そこそこの客入りだったのだが。
ショートストーリーな為、口コミしにくかったのでは無いか…とミーティングで分析したが、だからと言ってチャンスが何度もあるわけじゃない。観客は常に新しい作品に流れて行く。だらだら掛ければ自ら商品価値を落とすことになる。掛ければ掛けるほど赤字になるのだ。泣く泣く、打ち切りにした。この失敗は、かなりの損失を出した。
何が悪いとか、誰が悪いとか、そういう事じゃない。シアターの質は落とせない。どんな営利団体も、最初に削られるのは人件費だ。そして、シアタータイムで削られるべきなのは一番新参者の自分だと、そう僕が判断した。情熱を持って、ずっと守口さんと共に会社を盛り上げてきた先輩たちの誰も欠けちゃいけない。それを伝えると、
「バカを言うな」
そう守口さんは言った。
「でも、シアタータイムには続いて欲しいし、共倒れにしたくないので」
僕がそう言うと、言葉を詰まらせた。
「正直言うと、どことは言えないが、大手から買い取りたいという話は来ている。まだ条件の交渉段階だけど…ここのラインナップらしさを残せるなら考える余地はある」
守口さんはそう言って、そして、彼は休暇をくれた。今回の帰省に合わせて、まとまった休みをくれた。少し考えてくれ。自分も考えるから。そう言われた。
聖子は、僕の考えを感じ取っている。だから反対しなかった。彼女の方が潰れて欲しくないと思っているだろうし、出来たら辞めたくないと思っているだろうし。僕が辞めるからと、彼女まで辞める必要はないのだけれど。
僕は、何か道を見つけるべきなんだ。誰かの道では無く、自分の道を。
胸を張って、僕はこれをやりたいのでシアタータイムを抜けます!そう言わなくてはいけない。
でもそれは、市長なのか?絶対に違うと思う。
決意と呼ぶにはお粗末な結論を胸に出迎えた僕に、岸川さんは昨日の市長と良い勝負の感極まったような表情で現れた。
形だけのインターフォンを鳴らした後、引き戸を開け、出迎えた僕の顔を見た途端、無言のまま、両手を握りしめ、そのまま俯いて感極まったように泣き出した。
「どうぞ中に…」
と聖子が勧め、
「嫁の聖子です」
と両手を握られたままの不自然な状態で僕が紹介して初めて、
「岸川です。私が全面的に補佐させていただきます」
力強く、そう宣言した。
そっちだったか…と僕は天を仰いだ。
何とか気持ちを落ち着かせ客間に移動し、座るより早くテーブルにファイルを並べた。
「お父さんが関わっていた仕事に関する資料です。まず目を通して頂きたい」
そう言ったが、目を通すのにどのくらいの時間が掛かるか想像が難しい量の書類だ。
嘗ては、父の書斎だった客間は六畳ほどの部屋で、壁3面は全て可動式の2重書棚で、その全てにびっしりと本や資料が並び、唯一の壁に向かって机が置いてあり、そこにパソコンやプリンターも置かれていた。その上の小さな窓の外は池になっており、父好みの庭に作られていた。嘗ては。今は手入れを怠りすっかり寂れているけど。
僕に造園の趣味は無いけど、この家に戻るならこういうことも何とか形になるようにしないといけないんだろうな…
「先代は、兎に角この島を過疎化させないことに情熱を注いでいました。その為になりそうなことは何でも受け入れ、とりあえずやってみるという姿勢でした」
そう言ってファイルの一つを広げる。
古民家の解放、民泊、農地解放、野外フェス、ゆるキャラ、そう言ったものがまとめられている。
「これもそうなの?見たことあるわ」
聖子はゆるキャラに興味を示した。
「フェスなんてやっているんだ…」
僕も興味を持った。
「先代が始めたこういったことは今も続いています。現市長の賛同も得て。それでも過疎化は止まらない。焼け石に水なんですわ」
岸川さんは悔しそうにいう。
「だからこそ、あなたのように、都会一線で活躍されている方の新しい感覚が必要なんです!」
力強く言い切られ、つい、そうかも…と思ってしまった。言いたいことはわかる
でも…僕か?そんな器か?いつまでできるか約束もできないのに。
「…考えさせてください」
そう言うのが精一杯だった。
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