第11話 企業にも、福祉にも、教育にも? LARPの様々な可能性

 LARP。

 今まで、たくさんLARPのことを話してきたが、しかし、海外では一体どんなことになっているのか、きちんと書いていなかったように思う。

 そこで、今回は海外のLARP、特にゲーム以外のLARPについて目を向けてみよう。


 そもそも、発祥はいつ、どこだったのか?

 厳密には記録に残ってないらしいが、北米、ヨーロッパ、およびオーストラリアがスタート地点だったと言われている。

 最古の記録は、1977年に開催された中世ファンタジーでの大規模な戦闘イベントだ。そこから大体同じ時期に、「2300年未来への旅」というどこかで聞いたような名前の映画がリリースした際、SF大会の中でLARPイベントが実施されたようだ。そして1981年には、ダンジョンズ&ドラゴンズでのLARPイベントを実施し、その後様々な形態が展開されるようになった。


 そんな中でLARPも、LARPゲームと共に、学術的に研究するためのLARPや、他にも色んな目的を持ったLARPが展開されていくことになる。多くは政治、文化、宗教、セクシュアリティに関することでLARP的な展開をしているらしい。


 例えば、法学部の授業で、擬似的な法廷を作り出し、弁護側や検事側が「異議ありobjection!!」と言い合いながら、ひとつの裁判を擬似的に展開する。これもLARPだろう。日本でもよくやるが、営業役とお客さん役になり、お客さんの様々な無茶振りに対応すべく、営業役が苦心して対応していくのもLARPだ。


 他にも、研究的なものになると、監獄LARPというものが有名である。囚人役と収監役になり、実際にそのような牢獄を用意し、囚人に入ってもらう。そして本当に数日間そのままで過ごしてもらうらしい。これは、LARP、つまり現実ではなくあくまでフィクションだとお互いに分かっていても、自然と囚人は虐げられ、収監役はヒエラルキーを構築していくのだそうだ。


 また、病気や犯罪をテーマにするならば、犯罪を犯した者、犯された者の役となり、模擬犯罪を体験した後、お互いにどんな気持ちになったか、どんなことをすれば防げたかを話し合う。これにより、より犯罪への理解が深まり、防止へと導きやすくなるという。(特に性犯罪に対するLARP的な取り組みが行われているようだ)


 それから、子供の情操教育にもLARPが使われるという。TIPS 8でも触れたが、実際の所、「自分で考えて」「自分で判断して」「出来るだけ正解を見つけ出し」「時に失敗しても現実世界にまで及ばず、失敗を学ぶことができる」という大きな4つのポイントを一気に学ぶことができるのだから、なぜ日本の教育に活用されないのか疑問すら感じるくらいだ。(日本は特に、子供が自らの頭で考えることにおいては、教育方法として不得意に感じる)


 こうやってLARPそのものを俯瞰して見てみると、ゲーム以外にも様々な可能性を感じないだろうか? もう既に、海外ではLARPを単なるゲームとしてだけではなく、多くの場を使って利用し、成果を上げているのだ。それは大きな奔流を作り出し、海外、特に北欧米を豊かにし始めている。


 日本だって、例外では無いように思う。LARPがなぜ流行らなかったのかは、民族性も多少あるとは思うが、それでも長く楽しめる人間が実在することはレイムーンLARPで既に証明済みだ。おそらくは、根本的な概念の不在、これらに関するマーケティングの欠落、そして「マイナーには警戒しがち」な日本人の民族性が、こういったLARPが存在しない世界を作り続けていただけに思う。


 そもそも、LARPに似たような概念は昔から日本にもあったのだ。それは、昔の儀式を模したイベントや、大名行列の再現イベントなどである。これだって、考え方としてはLARPに近いだろう。ただ、「LARP」という言葉を知らなかっただけなのだと思う。


 それならば、恐れずにどんどん取り込んでみてほしい。企業にも、福祉にも、教育にも、ゲームとしてだけではなく、何かしらの利点があると思うのだ。そしてそれは、日本の様々な場面において、ひとつの突破口になり得ると思う。


 たとえば───


 LARPゲームという視点から見てみると、参加している人間は皆、現実の自分と離れ、その世界の住人となり、自分の力を発揮していく。考え方や立ち回り次第では、いくらでも活躍の場が眠っている。


 現実世界でかなり辛い状況になった人間が、ここに訪れれば───自分が、役に立てることに気付けたら──そして、それがもし、彼らの助けになったとしたら?


 あくまで、これは私の妄想に過ぎない。

 しかし、著者は運動が苦手で、「人より頭の回転が遅い」と言われていたから、思うのだ。自分のひらめきで仲間の窮地を救えた時、なんだか───


 とても嬉しかった。

 なぜか、救われた気がした。


 これは、素直に思った気持ちだ。これだけは真実だと思うのだ。

 もちろん、万人に通用するとも思えないが、何かしらの可能性を感じることができるなら。私はより、LARPという存在を広めたい。そう思うのである。

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