第320話 悪来典韋

 一方此方は典韋サイド。

 大鼾をかいて寝ていた典韋であったが、鼻に突く煙の異臭と騒ぎにて、彼は飛び上がらんばかりに跳ね起きた。


「――――しまった!!」


 開口一番、大声を上げて、職務放棄をした自分を恥じる典韋。


 四方より、敵の喊声と味方の喚声が織り交じる。


 典韋は張繍が寝返ったのだとすぐにわかった。


「酒に溺れて敵に隙を与えるとは・・・不覚!!」


 曹操は女に、典韋は酒に溺れて視野を狭めたのである。


 典韋は武器を手に取り、戦場へと赴かんとした。が、部屋には武器が無かった。

 彼がいつも愛用している両戟が見当たらない。


「!? 戟が無い!・・・あの男か!!」


 先頃、自身を介抱してくれた男が得物を持って行ったのだと典韋は思った。


「くそぉ!何から何までしてやられた!・・・しかし、このままでは終わらん!!」


 典韋は具足も付けずに外へ躍り出て、素手にて張繍軍と対峙した。


「トゥ!トゥ!ヘァーーーッ!」


 武器を持たずとも、典韋はマッスルモリモリ、インフィニットな男である。

 両手を赤く染めながら兵を殴り倒すその姿に、敵兵たちは、


「悪来だ・・・まさに悪鬼が来た。」


 と、彼を畏怖して逃げ出したのであった。



 典韋は真っ赤に腫れ上がった拳を倒れた兵に近づけ、腰刀の一刀を奪い取った。


「・・・無いよりはましだ。」


 彼はそれを手に、塞の門へと迫った。


「ウワァァァァァァ! イヤァァァァァ!!」


 彼は無茶苦茶に得物を振り回し、十、二十、三十と次々に兵を斬り殺していく。


 刀が折れると槍を奪い、槍が折れると矛を奪い、矛が折れると戟を奪った。


 そして終いには、それすらも捨て、左右に敵兵二人をひっさげると、風車の如くぶん回して暴れ回った。


『全てを失っても心は折れない。』


「モウヤメルンダッ!!」との敵兵からの降伏の呼びかけにも応じず、彼は命ある限り、主君である曹操を守るために戦い続けた。


「やむを得ん・・・遠巻きに矢を放ち、奴を仕留めるのだ!!」


 隊長である胡車児の命に従い、遠くより矢を放つ敵兵たち。


「ヌォォォォォ!!」


 鎧も身に付けていない、半裸体の典韋に容赦なく矢が刺さっていく。


 それでも典韋は抗い続けた。


 奪い返した屋敷の門を死守すべく、彼は仁王様のように倒れることなく突っ立っていた。


「ば、化物か・・・。」


 胡車児を筆頭に兵たちは恐れ、彼にそれ以上、害を加えようとしない。


 典韋は目を逸らすことなく、なお自分たちを睨みつけている。

 動くことなく般若に負けぬ、恐るべき両眼で睨みつけている。

 しかし、その反面、微動だに動かない。


「・・・・・・まさか。」


 胡車児は典韋にそっと近づいた。


 典韋は動かない。

 指先一つ動かさない。

 そして、睨みつけている両眼も、一点を見つめたまま動かない。


 胡車児は勝つためとは言え、不正攻法に同意したことを少しばかり後悔した。

 強者を真正面より打ち倒したいというのは武士たる者として当然のことであった。

 胡車児は彼の目の前に立ち、敬意を払って言葉を吐いた。


「・・・誠に見事な男であった。恐れを知らぬ戦士とは、こういう男を言うのだろう・・・。無礼の無いよう、丁重に彼を運びたまえ。」


「「はっ!!」」


 部下たちは胡車児の命令通り、物言わぬ典韋に敬意を払いつつ、丁重に彼を戦場の外へ運び出したのであった。



 逃げる主君を守護まもるため!

 狭き門にて仁王立ち!

 丈夫、偉丈夫、大丈夫!

 災いもたらす、悪が来る!

 帳下の壮士に典君あり!



 悪来典韋、此処に散る。

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