第259話 誘惑に惑わされない

「弓もつるをかけていたままでは緩んでしまう。たまには弦を外して、のびのびさせた方が良いだろう。・・・よし!決~めた!!」


 張飛はこう言って封印を解いた。

 酒蔵を開き、大きな酒瓶さけがめを一つ運び出すと、士卒たちの中央にそれを置いた。


「???」


 兵たちが頭の上にクエスチョンマークを浮かべていると、張飛が彼らに向けて声を上げた。


「皆の者!毎日毎日ご苦労である!これは其方そなたたちの忠勤に対する褒美である!皆、一献ずつ飲むが良い!!」


「えっ!? 今日は全員酒を飲んでいいのか!!」


 将兵たちは怪しみ、かつ、恐れたが、張飛は、


「ああ・・・俺が許可する!しっかり味わえ!!」


 と、声高々に宣言した。


「やったーーー!将軍!ありがたく頂かせて頂きます!」


 元より彼らも人間である。

 飲酒の許可を得た士兵たちは、小躍りして酒瓶の前に杯を持って集まった。


「グビグビ。うめうめ。」


 彼らは今までの疲れと我慢を発散するかのように、杯に注がれた酒を飲み干した。

 ワイワイと楽しく酒を飲む兵たち。

 そして、彼らは調子に乗って張飛に酒を催促した。


「しょうぐ~ん!一瓶では足りましぇ~ん!!」


「そうか!ならばもっと持ってきて良いぞ!全員、遠慮せず飲むのだぞ!!」


「はいはいさ~い!!」


 部下たちの喜ぶ姿と自身に対する尊敬の念を集めた張飛は鼻高々であった。


 一献が二献。二献が三献。三献が四献。献献献献献献献献~献!!


 気を良くした張飛は当初の「一献だけ飲ませる」という宣言を破棄して、次々に彼らに酒を振舞った。

 しかし、いくら部下たちに酒を振舞おうとも張飛自身は一切酒を飲まなかった。


(俺には兄貴との約束がある!!)


 苦楽を共にしてきた、恩ある兄たちとの約束。


 約束を守り、グッと堪えていると、そんな彼の顔を見た兵の一人が、何か悪い気がして、


「・・・将軍。一献だけ飲んでは如何でしょうか?」


 と、尋ねた。しかし、張飛は、


「い、いかん!ダメだ!ダメダメ!俺は杯を置いているのだ!惑わすのは止めろ!惑わすなと言っておるーーーーっ!」クワッ!


 と、声を大にして叫んだ。するとそこへ、酒に酔った無数の兵たちがやって来て、


「将軍!堅いこと言わずに一杯やりましょう!!『酒は飲んでも呑まれるな!』の精神をお持ちであれば一杯ぐらい大丈夫ですよ!!」


 と、張飛に強く酒を勧めてきた。


 ゴクリッ!と喉が鳴る。


(・・・飲むか・・・いや!ダメだ!落ち着くんだ!兄貴との約束を守るのだ!!)


 張飛の心が揺らぎに揺れる。


(酒、約束、酒、約束、酒、約束、酒、約束、酒、約束、酒、約束・・・)


 彼の心の中で反復される二つの言葉。


 そんな彼の近くで、これ見よがしに酒を煽る兵たち。


 酒か、約束か。


 劉備に見抜かれていた通り、張飛は『酒』の一文字に、辛抱堪らなくなっていたのであった。

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