第21話 おくられたもの

「みかちゃん……」


 何かに肩を揺さぶられるのを感じ、みかは目が覚めた。

 辺りは真っ暗だ。何も見えない。ここはさっきと同じ場所だろうか。いや。


「みかちゃん」

「ひっ」


 不意に誰かの声とともに何かの瞳が自分をまっすぐ見つめているのに気づき、みかは思わず身を引いてしまった。おびえながらも相手を見返す。


「みかちゃん?」


 黙っていると、再び誰かの怪訝そうな声がした。

 暗闇で視界がままならない中で、目の前のその誰かがそっと表情をひそめるのが見えた。その様子にみかは相手が誰なのかを悟った。


「ゆうなちゃん?」


 少女はこくりとうなずきで返す。心無しか安堵しているようだ。元の平静な声を取り戻して訊く。


「大丈夫?」

「うん、それよりリヴァイアサンが」

「リヴァ……?」

「ここどこ?」


 自分でも何を言っているのか分からず、みかは唐突に話を打ち切って辺りを見回した。

 暗くてよく分からない。なんとなく雰囲気からして結構広そうな感じがする。

 みかは自分でも知らないうちにゆうなの手を取って強く握っていた。

 今、自分の味方はこの少女だけなのだ。みかの無意識の思いがそうさせたのかもしれない。

 何故こういう状況にいるのか。みかは自分の記憶を掘り起こそうと試みる。だが、その試みは途中で中断されてしまった。

 そう待つこともなく突然に電気がつき、辺りが明るくなったのだ。

 ここは何かの格納庫だろうか。殺風景で辺りは広い。いや、何かではない。それはすぐ目の前にあったのだから。

 それはみかがずっと追い求めてきたもの。ここへ来た目的となったもの。好きだったはずのもの。

 白銀に輝く大きな楕円型に白い足が立っている。みかは立ち上がり、それの名を呼んだ。


「UFO!」


 だが、思っていたほどの感動は無かった。当然だ。それはもう自分の最も求めるべきものではなくなっていたのだから。これはまやかし、本当に必要なのは別のもの。


「我々の科学力を見てぐうの音も出んようだな、子供達」


 横のドアから指揮官と部下がやってきた。みかの目が指揮官の持つ奇妙な棒に注がれる。


「魔道神器……」


 みかの呟きを聞くともなく、指揮官はふんぞり返ったまま立ち止まって見下ろしてきた。


「ここまで来るとは見上げた心意気だ。だが、それが不幸なことだったのだ。お前達には我々が逃げるための人質となってもらうぞ」


 指揮官が横に立つ部下に目配せをする。みか達を捕まえろと言っているのだ。だが、部下は動かなかった。目配せに気づいていないのだ。

 指揮官はいらだたしげに足で地面を強く踏み鳴らした。


「何をしている! 早くそいつらを捕まえてジェミーちゃんの中に連れていかんか!!」

「ああっ! はいはい。ちぇ、どうせ捕まえるなら眠っている間にすれば楽だったのにな。指揮官はあれしろこれしろとうるさいんだから。さあ、お嬢さん達。おとなしくしてよ」


 うさぎでも捕まえるかのように部下が両手を大きく開いて近づいてくる。


「その杖」


 その時、口を開いたのはゆうなだった。部下がびくっとして立ち止まる。

 モニター画面で見ていた枯れた草原に立つ物静かな少女として印象を受けた彼女にしてはやや興奮気味の表情に気を良くしたのか、問われた指揮官は自慢気に語り始めた。


「ほほう、この棒に目をつけるとはお前はなかなかの美的センスの持ち主らしいな。だが、これはやらんぞ。これはわたしが警戒厳重な銀河の中央博物館から苦労して盗んできた……」

「そんなのただの古い棒っ切れじゃないっすか。それで追われてたら世話ないっすよ。まったくもう」


 指揮官の自慢話が終わるのを待つことなく、部下が不満気に口を挟んできた。その言葉を聞いて指揮官は手に持った棒を鋭く部下の方へ突きつけた。


「うるさい! お前はつべこべ言っとらんで早くそいつらを捕まえんか! このうすのろとんかちが!!」

「へいへい、分かってますよう」

「違う……」


 ゆうなは緊張しているようだ。何かを恐れているようにみかに目を向ける。


「みかちゃん、なんなのこれ」

「魔道神器だよ、ゆうなちゃん。これこそ大師様の送ってくだされた道具の一つ」

「魔道神器??」


 彼女らしくもなく怯えた様子のゆうなに対して、みかは今では毅然とした態度をとっていた。聞きとめた指揮官が今度は棒をみかへと向ける。


「何を言っているのだ、そこのお前」


 杖を向けられてもみかは怯えはしなかった。平然として誰にともなく言ってのける。


「本当の記憶を受け入れるのは誰にとっても辛いこと。でも、恐れることはないリヴァイアサン。お前は全てを洗い流すためにここへ来た。人の生活など幻に過ぎない」

「みかちゃん? わたし……なんなの?」

「黒の本をここへ」

「うん」


 ゆうなは落ち着かないながらもなんとか目を閉じ精神を集中する。まばゆい光を放ちながらあの黒い本が空中に現れ、ひとりでにページが開いていってゆうなの前で静止した。

 指揮官が驚きの声をあげる。


「な、なんだ。何かの手品でもするつもりか!」

「こいつらひょっとして魔道士じゃないんすか?」


 部下も慌てている。指揮官はすかさずどなり返した。


「馬鹿! そんな奴が実在してたまるか! 魔道士と言ったらお前、遠い昔に宇宙を滅ぼしかけた……」

「黒の杖をわたしに」


 指揮官と部下の漫才など聞くこともなく、みかは指揮官の持つ棒に手を伸ばす。

 指揮官はうろたえた。こいつにこの棒を渡すとやばい。直感でそう感じるのに何故かこの棒を渡したい衝動にかられている。

 指揮官は必死にそのわけの分からない欲求に逆らった。


「なんだ、なんなんだ。なぜこのわたしがこんなことを思う!」


 空いている方の手で棒を持つ方の手を必死に押さえる。みかは不敵な表情で見つめる。


「大師様に逆らっても無駄なことだよ。お前は役割を果たすためにここへ来た」

「くっ!」


 その時、指揮官の中にかつての記憶が突如として蘇ってきた。

 あれはある宇宙戦争のあったある星域でのことだった。暗く静かな空間に破壊された宇宙船の残骸がいくつも浮遊している。

 宇宙全体に比べたらとるに足らない小さな戦争の跡だった。

 あの戦争で自分達は……死んだ。


「なんだ! 何故こんな記憶が……!」


 死んだのだ。

 何故か今頃になってかつて失われた記憶が次々と湧いてくる。

 あの時、亡霊となって浮かんでいたところにやって来たのがヤツの声だった。


『死に切れぬか。地獄の亡者になりかけのものよ』


 現れたのは巨大な骸骨の悪魔のような奴だった。

 全身固い白骨のような外殻に覆われた体に黒い大きなマントをはおっている。

 顔面に空いた口には鋭い歯がいびつに並び、頭部には巨大な山羊のような角が幾本も立ち並んでいる。落ち窪んだ眼窩にはそこだけ生気を持ったような黄色の輝きが覗いている。

 そんな死の悪魔のような奴が、指揮官からわずか離れたところで幻のようにその巨大な姿を見せていた。

 なんとか意識をつないでいた指揮官はおぼろげに口を開いた。


「お前は、地獄の使いなのか……」

『そうではない。俺はシャリュウ大師。宇宙の真理を求める者。永遠の生を生き、全ての理解を望む者。お前に俺のためにこの世界で生きる気はあるか?』

「この世界で……生きる?」

『そうだ。生きたいのだろう? でなければここでこうしてこれほどの思念を持って現世にはりついているはずがない』

「そうだ。わたしは生きたい」

『ならばお前に束の間の命を与えよう。俺のために俺の望むように動くのだ。だが、お前がそれを知ることはないだろう。お前は自分の意思で動いているのだ』

「はい、シャリュウ大師」

『お前が俺のことを思い出すのはお前が再び死ぬ時だ。だが、俺のことを恨むなよ。俺はお前が望むから生かしてやるのだからな』

「心得ております。シャリュウ大師」

『ならば目を閉じ、我が死霊術を受け入れるがいい』


 目を閉じる指揮官。何故か全てを受け入れる気になっていた。気分が良かった。

 大師の声が響く。まるで安らかな眠りへとつける子守唄のように。


『お前は全てを忘れ、自分の意思で魔道神器を奪い、自分の意思で地球へ向かうのだ。そこへ我が意思を受けし者がいる。さあ、行くのだ!』


 そして、自分達は言われた通りに魔道神器を盗み、この星へ来たのだ。

 元より死んだ身であればこそ警戒厳重な警備を突破し、この杖を盗むことも出来たのだろう。

 指揮官はそれで満足だった。この星で基地を構えることになったのもある意味必然のような物を感じていた。全て仕組まれたことだったということにも気づかずに。

 今思えばこんな棒をなぜこんなにも欲しいと思ったのだろう。部下の言ったようにこんな物はただの古ぼけた棒ではないか。

 指揮官が賢明に棒を持つ手を抑えようとしていると、不意に横で部下が動いた。

 指揮官の手から棒を取り上げ、みかの手に渡す。指揮官は今までで一番の大きな不機嫌に顔をひきつらせて怒鳴り散らした。


「なんだ! 貴様、なにをする!」


 部下の顔は青ざめていた。まるで何かを観念しているかのようだった。


「指揮官様、大師様に逆らっちゃいけやせん。あっしらは大師様に生かされてもらってやんすから」

「何を言っているんだ、しっかりせんか! あいつの言うことなど……聞く必要はないんだ!!」


 慌てふためく指揮官を横目に杖を手にしたみかは言う。


「あなたは大師様の術のかかりが浅いんだね。きっと生前の思いがそれだけ強かったんだよ。でも、もうすぐ逆らえなくなる。役目を終えた駒は用無しだから。死者は死地へとかえるのよ」

「ああ、あっしは。あっしは」


 部下は心ここにあらずといった様子で口をぱくぱくさせている。指揮官は深く息を呑み込んでからなんとか言葉を搾り出した。


「お前は大師なのか」

「わたしはみかだよ。大師様はもっと雄大で寛大でこの世界の全てを見据えておられる」

「何故お前にそんなことが分かる」

「当然だよ。大師様はわたし達魔道士の頂点に立たれるお方。大師様の意思は全てわたし達とつながっているの。もっともそれを良しとしない人もいたようだけど」

「ああ、大師様。あっしはもう」


 部下は力尽きたように倒れた。


「どうした! しっかりせんか!」

「おろかなこと。死んだ人はもうしっかりなんて出来ないよ。そしてリヴァイアサン」


 みかはゆうなを振り返る。ゆうなは彼女らしくもなく戸惑っていた。みかはそれを一笑に伏す。


「みかちゃん、わたし何をするの?」

「黒き洪水を起こし、世界の浄化を」

「そう……」


 それだけでゆうなは何かを悟ったようだった。静かに目を伏せる。それと合わせたように部屋が振動し、崩れ始めてくる。

 みかは天井高く杖を振り上げた。


「魔道神器よ! この魔道士みかの呼びかけに答え、今こそ力を示せ!!」


 杖が黒い輝きを放ち始める。


「おのれ、魔道士め」


 指揮官は歯噛みしながらも何もすることも出来ずその様子を睨み続けるしかなかった。


「解放せよ、リヴァイアサンの力! 今こそ全ての浄化の時!」

「みかちゃん……」


 高らかに宣言するみかの側でゆうなは心配そうに見、残念そうにうつむいた。


「わたし、こんなことのためにここへ来たの……?」


 黒い竜巻が広がり、その部屋は粉々に砕け、飛び散っていった。

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