第3話 校長先生と黒魔術の少女

 時間は少しさかのぼる。

 校長先生の朝はいつも早くから始まる。

 まだ薄暗いうちから起きて、朝食を取って、ひげを剃って、盆栽をいじって、ラジオ体操をして、ジョギングする。それが彼の毎朝の日課であった。

 その朝も校長先生は一連の業務をこなし、ジョギングに入っていた。


<今日は新しい生徒達が入ってくる>


 彼はいつもより張り切っていた。

 川の横に伸びる土手の上の道をえっほえっほと走っていく。

 地平の彼方ではやっと朝日が顔を出し始め、世界を淡い色彩に包み始めていた。

 校長先生はその日も平穏な日常が続くと思っていた。しかし、そうはならなかった。

 走る校長先生の目にやがて奇妙な人影が映った。

 髪の長い少女の後ろ姿のようだった。肩から紐をかけ、何か大きなものを引きずって向こうのほうへと歩いている。

 うちの学校の生徒だろうか。それにしては妙だ。登校時間には早すぎる。それに何を運んでいるのだろう。

 校長先生は気になって走る速度を上げて近づいていった。

 横に並び、のぞき込むようにして見る。

 それはまだ幼い少女だった。まじまじと見つめる校長先生にも目もくれず、ただ前を見て、もくもくと何かを引きずり歩いている。

 彼女の運んでいるのは一冊の本だった。怪しい装飾が施された黒くて大きい辞書のような本。畳半分ほどもの大きさがあり、しかもかなり分厚い。

 それを小さなソリにくくり付け、ひもをつないで引っ張っていた。

 校長先生は奇妙に思い彼女に声をかけようとしたが、語るものを拒むかのような彼女の雰囲気に飲まれ、思わず目を白黒させた。

 しかし、ここで気圧されていては教育者は勤まらない。校長先生は戸惑いを振り切り、思い切って彼女に話し掛けることにした。


「や、やあ。君、一人かい?」


 我ながら冴えない言葉だと思った。少女は気を悪くするでもなく無表情のままこくりと小さくうなずいた。


「そうか。一人か」


 校長先生はとりあえず会話らしきものが成立したことに安堵の吐息をもらした。そのままの勢いを失わないように続けて訊ねてみる。


「名前は?」

「ゆうな」

「そうか、ゆうなちゃんって言うのか」


 また会話が終わってしまった。校長先生は次の話題を探した。ゆうなは本を乗せたソリをただ黙々と引きずり、歩いている。


「その本はなんだい?」


 校長先生が話し掛ける。ゆうなの足が止まった。そして、初めて校長先生の方へと顔を向けた。その顔は笑っていた。無気味な悪魔のような笑顔だと校長先生は思った。

 校長先生は蛇ににらまれたカエルのように硬直して立ちすくんでしまった。もしかして何かいけないことを聞いてしまったのかもしれない。後悔したが遅かった。背中を冷たい汗が伝う。

 ゆうなはそんな校長先生の異変を気にした風も無くふと視線を外すと、無造作にひもを放り捨て、ソリの方へと歩いていった。校長先生の視線が恐る恐る彼女を追う。

 少女は固定していたひもをゆっくりと解くと、その本を開いた。そこには学校で一番偉い校長先生ですら見たことが無い異様な文字と図形が並んでいた。


「この本には古今東西のありとあらゆる黒魔術について書き記されているの。もうすぐ学校に恐怖と混乱の黒魔術の雨が降るの。わたしがやるのよ」


 彼女は楽しそうにクスクスと笑った。

 校長先生はそのあまりに異様な光景にたまらず逃げ出していった。




 校長先生の走っていった先は学校の校庭だった。

 荒れる息をゆっくりと整え、辺りを見渡す。

 始業時間まではまだあるのに家にも帰らず、何故ここへ来てしまったのだろう。それはやはり彼女の語った言葉が気になっていたのかもしれない。


≪もうすぐ学校に恐怖と混乱の黒魔術の雨が降るの≫


 まさか……と思う。しかし、不安はぬぐいきれない。校長先生の頭に無気味に笑う彼女の姿が蘇る。駄目だ駄目だ。校長ともあろうものがあんな小さな女の子を恐れるなんて。

 校長先生は嫌な妄想を振り払うように頭を振った。

 そして、何気なく空を見上げた。その表情が凍りつき、あんぐりと口を開けた。

 猛烈な速度でこちらへ落下してくる物体があった。赤い火花を散らし、白く輝きを放つ大きな円盤。校長先生の脳裏に先ほどの言葉が蘇った。


≪もうすぐ学校に恐怖と混乱の黒魔術の雨が降るの≫


 円盤はどんどん近づいてくる。校長先生の立っている場所めがけて落ちてくる。


≪わたしがやるのよ≫


 そう言って彼女は笑った。校長先生の顔が恐怖にゆがんだ。恐ろしい幻から目を背けるように両手で顔をかばう。

 しかし、予想された衝撃は無かった。ゆっくりと目を開ける。

 円盤はすぐ近くの上空で静止していた。そこから光線のような物が発射され、校長先生の体を包み込んだ。校長先生の体は重力を失ったかのようにふわりと浮くと、円盤の中へと引き込まれていった。

 みか達が駆けつけたのは全てが終わり、UFOが姿を消した後であった。

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