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 穏やかな夏休みを閑静かんせいな田舎町で過ごそうと、重い腰を上げ加美木にやってきたその翌日。事件は起きた。


 垂瓦が血相変えて僕の元へやってくる少し前。僕は駅から一番近いレトロ感溢れる小さな喫茶店で夕暮れの光を浴び、お冷やを飲んでいた。


 向かいの席に座った。神秘的で人間離れした雰囲気を醸し出す、ちょっと不機嫌そうな彼女に微笑みかけながら。


 僕のおごりだからなんでも頼んでいいよ、二千円以内ならね。


 突然の呼び出しに応じてくれたお礼にと言えば、彼女はムスッとした顔でテーブルの端をカツカツ叩いて店員を呼びつけ。


 フォンダンショコラの木苺のジェラート添え。キャラメルソースのプチパルフェ。アイスココア。


 締めて税込み、1998円を注文して、これでいいかとジト目で見上げた。


 無駄のない組み合わせと、甘党であることを教えるようなチョイスに僕がまた笑うと、彼女は反対にいたたまれないといった顔でそっぽを向き、メモ帳にボールペンで文字を綴った。


《頼めって言ったから頼んだのよ。》


 うん、そうだね。文句は言ってないだろ。


《私はアカウント載せたのに、どうしていきなり呼び出したりなんかするの。》


 だって顔が見えた方がいいじゃないか。昨今の若者はスマホの便利機能に頼り過ぎている。会える距離にいるなら、会って顔を見て話すべきだ。


 文字だけの世界じゃ、同じ言葉でも人によって捉え方も異なるし、誤解も生まれる、表情と向き合うからこそ自分の気持ちが真に伝わるものだ。


 それにこうしてる方が、はたから見たらデートしてるみたいだしね。


 すると北島 奏は、テーブルの上で握っていた両手を小さく震わせ、メモ帳に乱暴な文字を書いて僕の鼻っ柱に突きつけた。


《からかってるの》


 いいや。北島さん結構可愛いしさ、つい意識しちゃって。


《いやな冗談ね》


 そうでも言えば頬の一つでも染めるか、あるいは激しく拒絶するかと思いきや、予想外の冷めた眼差しを向けられ僕もそこで善人ぶった笑顔を消す。


 うん、ごめん。北島さん、経験なさそうだったから、こういうふうに接したらどんな反応するか見てみたくてさ。――と言った矢先、彼女は捲ったメモ一枚を、リングから引きちぎり、雑に丸めて僕の額辺りに投球した。


 地味に痛い攻撃。お冷やをかけられなかっただけマシか。


 そこで立ち上がって、帰ってしまってもおかしくはないのに、彼女はそれでもそこに留まってくれるらしい。深く溜め息を吐いて、メモ帳をまた見せた。


《茶番はこれぐらいでいいのかしら? あなたって相変わらず、なんにでも化けようとする下衆な人間よね。その道化っぷり、変わらなさすぎて逆に安心しました》


 おっと。これは一本取られた。どうやら僕が初めから着ぐるみを着ていたことに気が付いていたみたいだ。


《昔から見ていて感じていたもの、あなた、そういう意地の悪い人だって》


 否定はしない。でも、まあ君も似たようなもんだったろ。


《まあね、否定はしないわ》


 でも喋ろうとすれば結構喋るんだね。そこは意外だったよ。


《あの頃は敵が多かったから、無駄に自分をさらけ出したくなかっただけ。信用できる人も、少なかったし》


 昨晩とは違うデザインの白いワンピースを纏った彼女は、遠い日を思い出すように髪を掬って肩の後ろに流した。


 それで、話したいことってなあに? 問えば彼女は頷く。


《東君、ねえ、この町に来て、なにか体に変わったことって、あった? 体じゃなくても……精神的に、とか》


 はい? どういうこと?


《うまく言えないけど、なにか、嫌な夢を見たり、強い衝動にかられたりとか》


 意味がよくわからない。


《そうよね。あなたはまだ此処に来て全然経ってないものね、まあ、その方がいいわ》


 頭上に疑問符を浮かべる僕に、北島 奏は一方的に喋り、メモ切れを差し出していく。


《もし、もしだけど、体とか気持ちとか……なにか変だなって思い始めた時は、直ぐに加美木から出た方がいいわ》


 それから……、と。彼女はメモに書き足す。


《右京さん……あの人とは滞在中、あまり関わらない方がいい》


 それは、どうして?


《詳しくは言えない。でも、あまり関わらない方が身の為、これだけは言う。右京さんは、もうかなりのところまで行ってるから……無闇に手を加えようなら》


 ひっぱられるから──。その文字を見て、少し嫌な予感がした。もしかして、五年前のことと、関係してる……?


 そう聞き返せば、彼女はボールペンの動きを止め。答える代わりに、問いを返してきた。


《東君、私たちが作ろうとした、あのお芝居の内容……、結末は覚えてる?》


 運ばれてきた煌びやかなスイーツたちに手をつけぬまま。北島 奏はその白髪を日が沈みかける最後の光で眩しく輝かせ、僕の方を真っ直ぐに見ていた。


 あの芝居の内容。覚えてる、でも、最後までは思い出せない。


 百合子が書き直した、あの脚本。最後は。あれは、どんな結末だった……?


 君は、一体、なにが言いたいんだ。

 ほんとうは何を伝えようとしているんだ。

 何を知ってる――。


 僕が僅かに身を乗り出した時だ。


 ゆったりとしたクラシック流れる店内に、転がるようにして垂瓦が入ってきたのは。


「東先輩ッ‼︎」


 騒々しく僕らのテーブルに走ってきた彼女を見て、客が来なくて暇そうにしていた喫茶店のマスターとウェイトレスの女の子が、同じように口を開けこちらを見た。


 そりゃあそうだ。彼女は来店というよりも、嵐のように舞い込んできて、そして目を真っ赤にして泣きじゃくっていたのだから。


「東先輩……たすけて、助けてください! 百合子先輩がっ!」


 いなくなった――。

 彼女は僕に縋るように何度もそう叫んだ。そして昨晩の百合子のように取り乱しながら懇願した。


 どうか助けてと。

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