猫ざんげ

第8話 グランマとその子供たち

 人生何度目かの引っ越しを経て新たな居住先に定めたのは、山手線外の私鉄沿線だった。かつて川だった緑道を中心に住宅地が広がっており、渋谷も新宿も自転車圏内。立地的には恵まれた土地だった。

 2階建てのL字型のアパートは、前後を一般の住宅に挟まれる形で立っていた。私が借りたのは二階の真ん中の部屋だった。

 生活道路に面した方の住宅は、敷地ギリギリまで家屋を建てていた。こちら側に付いた窓は全部雨戸が閉めてあり、何年も開いた気配はなかった。

 なのでアパートの入居者は気兼ねなく窓を開けて外の景色を見ることができた。景色といっても目に入るのは、隣家のモルタル塗りの茶色い壁と、敷地境を表すブロック塀に挟まれた1メートル弱のわずかな地面だけだったが。

 反対側の住宅――緑道に近い方の家は、もう少し敷地をゆったりと使っていた。こじんまりとした2階建ての古い家屋と、椿と白梅が植えられた庭、空の鳥カゴが山と積まれた縁側(鳥インフルエンザの直後だった)、そして屋根付きのカーポートがあった。

 この、1メートル弱のわずかな地面とカーポートの存在が、私と猫の出会いに重要な役目を果たすことになる。

 カーポートのある家のさらに奧――緑道に直接面したところには、かなり古びたアパートが建っていた。居住者はいなくなって久しいようで、実際、私が越してきて間もなく取り壊されて空き地になってしまった。

 緑道はちょうど良いウォーキングコースになっており、昼夜を問わず健康に気を使う人々が汗をかきながら歩いていた。おかげで私も奇異の目で見られることなく真夜中の散歩を楽しむことができた。道なりには桜が植えてあり、春には壮観な眺めだった。




 緑道には、桜並木の間を埋めるように、ツツジの植え込みがポツポツと点在していた。

 この手の植え込みは、往々にして野良にゃんの寝床になっていることが多い。数年の都内暮らしでそれを熟知していた私は、散歩のついでに植え込みのそれらしい不自然な隙間を覗き込み、奧に猫が潜んでいないか探すことが多かった。居たとしても具体的に何をする訳ではない。「にゃーん」とまずは呼びかけて反応を見るだけだ。出てきて撫でさせてくれたら幸運、無視されても「にゃ~う~」と悲しげな声をかけて立ち去るだけだ。

 野良にゃんとは、探すと案外簡単に見付かるもの、撫でさせてもらえるのなら撫でるけどエサは上げない、それがその頃の私のスタンスだった。

 当時は複数の野良猫虐殺事件がネットを賑わせており、無責任なエサやりが惨劇のきっかけになり得る時代だった。悲しいことだが、おそらく2016の現在もそうなのだろう。

 責任が取れないなら関わるべきではない。そもそも借りた物件はペット禁止だ。

 それでも、つい植え込みを見ると覗き込んでしまうのは私の身勝手な欲望で、弱さの表れだったのだろう。

 それを、どこから見ていたものが居たのかもしれない。と、今になってみれば思う。




 越してきて半年ほど過ぎた頃、初秋の夕方のことだ。

 すぐ近くから猫の鳴き声がした。ケンカのような唸り声でも甲高い声ではない。哀しげな、まるで何かを乞うような、同じ調子で何度も繰り返し鳴く声だ。

いつまでも続くその鳴き声が気になって、私は様子を見に外に出ることにした。

と、ドアを開けたすぐ先、階段を上がりきった所に、見知らぬ猫が2匹いた。鳴いていたのは、そのうちの一匹だった。

手前にいるのは成猫といっていい大きさの黒猫だった。こちらを見上げて鳴きながら、前足で床をゆっくりとひっかいている。これは、子猫が母親の乳を飲む時の動作の名残で、猫が甘えている時の仕草だ。飼い猫でもないのに、初対面でここまで気を許してくるのは珍しい。

 どこかでこの猫に会ったことがあるだろうかと、私は猫をまじまじと見下ろしたが、やはり記憶になかった。首輪もないので、飼い猫というわけでもなさそうだ。

その後ろにいるのが、ほんの少しだけ茶褐色がかった黒猫――『グランマ』だった。左耳の一部が欠けている。去勢済みの印として人間が施した外科手術にしては切り口が不揃いで、どうやらケガかケンカが原因のようだ。こちらは全く口を開かず、ただ鳴いている猫の後ろに付き添うように腰を下ろして、こちらを見ている。

 突然の2匹の訪問の意図は判りかねるが、私はとりあえずドアを開け放って「おいで」と手招きしてみた。野良にゃんにエサはあげないが、雨風をしのぐ場所なら提供してもいいだろうと思ったからだ。今までの居住地でも、近所の飼い猫や地域猫が私の部屋をセカンドハウスと定めて、夜の間だけやってくる――つまり“通い猫”になることは何度かあった。その通い猫たちが入れてほしいと鳴く時は、やはり先刻のように何かを乞う声色だった。

 だが、ドアを開けても、鳴いている黒猫は前足をにぎにぎと動かして甘える動作を繰り返すばかりで、こちらに近づいてくる様子はない。背後に座っているグランマも微動だにしない。

ごめんね、エサはあげられないんだよ。そんなことを考えながら入口に立っていると、まずグランマが腰を上げ、ゆっくりと階段を下り始めた。鳴いている黒猫もそのまま後を追う。私は廊下の端まで出て、階段を下りて建物を周り、ブロック塀にはさまれた狭い敷地に消えてゆく猫たちの姿を見送った。

 なんだったのかと思いながらも、今回は様子見かもしれないなと私はのんきに考えていた。これから季節は冬に向かう。あの猫たちが寒い時期に暖かいセカンドハウスを欲しがっているのなら、また近いうちに来るだろう。

 それにしても、2階まで猫が上がってくるのは珍しいなと私は思った。今まで通い猫が訪れた物件は、どれも1階の部屋だった。




 私の予想に反して、この黒猫は二度と私の前に姿を現さなかった。

 たった一度の会合だが、この黒猫はオスだったと記憶している。確証はないが、おそらくグランマの子供だろう。私の愛猫にとっては伯父だ。

 あの黒猫が何を求めて、そしてなぜ、私の部屋の前にやってきたのかは判らない。彼がどこかで温かい寝床を見つけて、そして幸せな生涯を送っていてくれたらいいと思う。




 そのまま、猫とは無縁な冬が過ぎ、桜の季節がやってきた。

 私の生業は自宅でのPC作業が主な業務だ。出来高制なので休憩も作業ペースも自分で決められる。というと聞こえはいいが、裏返せば所定の量をこなさない限り報酬は支払われない。結果、自分で自分を自室にカンヅメにする日々が続いていた。

 作業に行き詰まると窓を開け、茶色い壁に向かって「基本的人権をよこせ~」「番号で呼ぶな~、私は自由な人間だ~」と囚人ごっこの日々。東京都下の住宅街は、昼間の人口は極めて少ない。多少の奇行は人目に付かないのだ。

 かくて、窓から見える景色――モルタル壁、ブロック塀、塀にはさまれた階下のわずかな地面――は、その頃の私の主要な世界になっていた。

 桜も散った頃、作業の合間に地面を眺めて「ここから解放しろ~」と叫んでいた私は、階下の世界の変化に気付いた。狭い地面の行き当たり――一階の一番奥の部屋の外に設置されたエアコンの室外機の上で、もぞもぞ動くものがある。

(? なんだろ?)

 私は窓から身を乗り出して目を凝らした。

 室外機の上に居るのは、子猫だった。灰色の毛並みと黒い毛並みがくっついて丸くなっている。まだかなり小さい。興味を惹かれてあたりを見たが、エサや水の用意はなく、寝床らしきものも見当たらない。どうやら勝手に住みついているようだ。

 階下の一番奥の部屋は、常に雨戸を閉め、洗濯物を干していることもなかった。しばらくの間は空き部屋だと思ったほどだ。だが、常に――朝も夕方も、そして夜も――エアコンの室外機が回っていることに気づき、ようやく誰かが住んでいるのだと判った。

(そうか、室外機の排熱で暖を取っているのか)

 桜は咲いたが朝晩は冷える。ファンの回る音がうるさくても、温かい室外機の周りは野良にゃんにとって良い住みかなのだろう。

 都会の猫の生きる知恵に感心しながら私が子猫たちを見下ろしていると、建物の角を回って大人の猫が姿を現した。茶褐色がかった毛並みに欠けた左耳――あの時の猫だ。『グランマ』だ。

 グランマはコンクリの上をてててと歩いて私の真下を通り過ぎ、狭い地面の突き当たりに向かう。黒と灰色の毛並みが室外機から飛び下りて一目散にグランマに向かって駆け出した。

(ああ、あの猫が母猫なのか)

 私は二階から「にゃあ、にゃあ」と声を出してグランマに呼びかけてみた。

 グランマはビクリと足を止めた。そして私を振り仰いだ。

 私がなおも「にゃあ」と呼びかけたが、危害を加えることできない間合いだと判ったとたん、グランマは私への興味を失ったらしかった。まとわりつく2匹の子猫を引きつれて、狭い地面の突き当たりの奧に悠然と消えてゆく。子猫たちがミャアミャアと鳴く声だけがしばらく聞こえてきた。鳴き声には間違えようのない歓喜の響き――母親が帰ってきたことへの喜びがあった。

 可愛いなぁもっと間近で見たかったなぁ、と私は猫の姿の消えた地面を見ながら思った。追いかけることはできない。1階の部屋のすぐ外の地面――つまり1階の部屋の庭にあたる場所に勝手に立ち入ることはできないからだ。こうして見下ろすこと自体、マナー違反かもしれない。

 猫たちがあの場所を出て、2階に上がってきてはくれないだろうか。暖を取る場所が必要なら私の部屋でもいいだろうに。そんな虫のいいことを夢想しながら、私は窓から首を引っ込めてPC作業に戻った。

 

 

 

 黄金週間が過ぎ、室外機で暖を取る必要がない気温になっても、グランマとその子供たちは、露地の奧から離れるつもりはないようだった。6月になると、幅1メートル弱、長さ6畳*3部屋分の直射日光のあたらない空間を、子猫たちが駆け回るようになった。

 グランマの子供は三匹いた。私は彼らに特に名前を付けなかったので、ここで便宜上の名称を『朔』、『三日月』、『満月』としておく。

 『三日月』は黒猫だった。胸元に一箇所だけ三日月の形の白い斑が入っていたのだが、遠目の上からの観察では気付かない。グランマ似の黒猫に見えた。

 一方、『満月』は灰色の毛並みに黒で木目のような独特の縞模様が入っており、アメリカンショートヘアと呼ばれる猫にそっくりの外観だった。

 三日月と満月は同じ大きさで、いつも2匹一緒だった。狭い地面の上を追いかけっこしたり、じゃれ合ったり、お互いにちょうど良い遊び相手で、仲の良い姉妹だった。私が最初に見かけたのもこの2匹で、つまり、3匹目の子猫――『朔』は、最初の時から仲間はずれだったことになる。

 朔は、それほど小さく、弱々しい子猫だった。

 梅雨の合間の晴れの午後、グランマが帰ってきた。露地の奧から子猫たちが駆け寄ってくる。グランマは私の部屋のほぼ真下で腰を下ろし、そのまま横になった。子猫たちはグランマの腹に鼻を埋め、乳を吸い始めた。

 子猫たちは少しでも乳の出の良い乳房を探して、鼻を突っ込む場所を次々に替える。小さな頭でグイと腹を押すたびに、グランマの身体が大きく揺れ、時にはひっくり返る。小さな生命の逞しさと強欲さに感心しながら、私は飽きることなくその光景を眺めていた。そして気付いたのだ。子猫が3匹いることを。グランマの子育てを見守るようになって、2ヶ月は過ぎていた頃だった。

 3匹目の子猫――朔の印象は「小さい!」だった。三日月と満月の大きさがちょうど100円前後のコンビニの総菜パンなら、朔は同じ100円でもチョコレートバーだろう。子猫というよりネズミの方が近いサイズだ。

 朔も必死にグランマの乳を吸う。が、頻繁に場所を替える満月と三日月に割り込まれ、押し出され、簡単に居場所を奪われてしまう。乳の出の良い乳房を――つまり、栄養を横取りされているのは明らかだった。

 乳を吸われるグランマは、ただ地面に横たわっていた。子供が平等に乳を吸えるように満月や三日月を牽制するでなく、朔のために身体の位置を変えてやる訳でなく、目を閉じて、すべてをなすがままに任せている。

(うっわー、大丈夫かあの子猫。ただでさえ小さいのに)

 私はハラハラしながら朔の様子を見守った。

 朔は朔なりに必死だった。三日月に脇に押しやられても、すぐに他の乳房を見つけてしがみつく。一心に吸い始めたその乳房に、今度は満月は鼻を突っ込んでくる。力で叶うはずもなく、再び追い出される。それでも諦めずに、また乳房を探そうと試みる。

 それは、小さな小さな子猫の中の、生きようとする生命の輝き、あがきだった。

 がんばれ、と私は思った。小さな小さな子猫、がんばれ。生き延びろ。他の2匹と同じくらい大きくなって、かけっこや取っ組み合いに入れてもらえるようになれ、と。




 後に知ったことだが、猫は、一度に複数の雄の子を受胎できるそうだ。つまり、妊娠中に、時間差で別の雄の子を新たに妊娠できるということらしい。

 もしかしたら朔は、そうしたケースの子なのかもしれない。満月と三日月がお腹の中である程度育った段階で着床し、そして未熟児のまま一緒に出産されてしまった――そう考えると、あの体の大きさの違いの説明がつく。

 だとしたら、朔は生まれた時から、いや、生まれる前から、生存競争の上で不利な条件を背負っていたことになるのだった。

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