第2話 探求

「タイムリープ……」


 時間が戻った。結婚が無くなった。職もなくなった。それどころか、雛子は僕のことを知りもしない。あまつさえ、他の男と結婚していた。


「ふざけるな!」


 なんだこれは。僕の築いた時間はどこにいった!?


 確かに僕は、いくつもタイムリープが関わる映画、ドラマ、アニメ、小説を見ているし、ある意味慣れている。だが! 僕が見たのは主人公がタイムリープ能力を以って何かを成そうとしているもの! なんで僕はその被害に合っているんだ!? なぜ僕がこんなことに……!


「痛っ……」


 くそ……物に当たっても仕方ない……落ち着け……!

 まだ本当に、そんなタイムリープなんてものをしたとは限らないじゃないか! さっきは電話しかしていない……雛子の家に行けば分かること!



 雛子の実家。僕が住むはずだった家。

 純和風の作りで、家の敷地は塀で覆われている。ご丁寧に堀まであり、ちょっとした城のような作りだ。


 その家の、車でも入ることが出来る大きなな門の前。2m以上はありそうな木の扉を、女性が開けて顔を出す。


雛子……!


「あの男……」


雛子の隣には、長身で大柄な男。それでいて、メガネから覗く雛子を見る目は優しさに溢れているように見えて、包容力を持っているのを感じた。僕より年上だろうか。恐らく電話に出た奴だ。

 対して僕はどうだ……中肉中背で、自慢できるとしたらモデル風の髪型を作っている所くらいだ。

 ……何で比較しているんだ僕は?

 

「雛子」


 だが、そんな男には構っていられない。僕は雛子の前に出た。

 顔を見ればすぐに浮かぶ。普段はツリ目なのに、笑うとタレ目になるまで止まらない、輝く笑顔。毛先だけ癖が強いからと、セミロングまでで諦めているという髪。今すぐその小さい身体を抱きしめてやりたい。


「えっと……あの……?」


 なのに……なんで戸惑いの表情を浮かべているんだ、雛子……!


「なぁ、君」


 僕は雛子と話しているんだ邪魔者が!


「その声、さっき雛子の携帯にかけた奴だな?

 私は野中幸之助のなか こうのすけ。雛子の夫だ。君はあれか? ストーカーか? どこで雛子を知った? なぜ携帯の番号を、そして家を知っている? 雛子に近付かないでもらえるかな?」


 でかい身長に、高圧的な態度……雛子を見ていた眼差しと違う、他人を見下すそれ。


「僕は早崎奏多はやさき かなた。雛子の夫だ」

「そうか、成程。さすがストーカー、頭がおかしいらしい」


 そしてもはや、人を見る目をしていない、そいつの目。


「頭がおかしいのはお前の方だ!」


 幸之助という男の表情……哀れみ、という単語以外浮かばない……。僕を……僕を見下しているのかこいつは!?


「ふざけるなああああぁ!」

「哀れな」


 ……なんだ、これ?


「行くぞ、雛子」

「ええ……」


 行くな、雛子……。


 僕は、あの邪魔者を殴ろうとして、逆にやられたのか……頬が痛む。奴は僕を哀れんだ目で見ていたが、これでは本当に、僕はただ哀れな人間じゃないか……。

 だが、いつまでもこんな道端で寝てるわけにはいかない……けど、僕はどうしたらいいんだ……。



「……」


 いったいどれだけ、時間が経った? あれ? 時間が戻っているから、経ったわけじゃないのか? いや……なんで僕は時間が戻ったことを信じている?


 でも。

 家に帰る中、道行く人に質問した。コンビニで新聞を確認した。帰ったらテレビを見た。そしてまた、PCを見ている。


「タイムリープ……」


 誰だって何だって、今日は6月5日だと言う。そして、あの『あなたが誰か知らない』という、雛子の表情。

 PCの画面には、タイムリープのワード検索結果画面。それに“アニメ”だとか“ドラマ”だとかを加えれば、僕が見た作品が羅列されたサイトが表示された。


 理解するしかない。そういうものが起こってしまった。


 僕の答えは、それだった。

 どれだけ否定した所で、僕の周りが肯定する……時間は、戻っている、と。


「……」


 ため息が出た。幸之助に対して怒りが頂点に達したせいで、今は自分で驚く程冷静になっている。だが、なればなる程認めたくない事実を認めざるを得ない……何度だってため息が漏れた。


 何か……何か、どうにかする方法はないのか。

 せめて、この無駄にタイムリープ物の作品を見ていること、活かしてなんとかならないものか。


 僕の……僕の雛子を取り戻すために。 


まずは……。


「どっちのタイムリープをしたのか」


これを考えることから、か。


 僕は、タイムリープには2種類あると考えている。

 ①タイムリープした人間が、記憶をそのままに数年前の身体に戻る、②今の時代の人間がそのままの姿で戻る。


 ①の場合、記憶が無くなっていることはありえない。そうでなければ、歴史が変わることはない。このとき、どの時間にも同じ人間は1人しかないのだから、大きな問題にはならない。


 ②は、いわゆるタイムマシーンってやつだ。過去と今の自分、同じ時間に同じ人物が2人いることになる。しかし数年程度のタイムリープなら、すでに年齢20歳を超えているとすると、見た目に大きな変化はない。よって、タイムリープした人間は、過去の人間と一時的に入れ替わっても気付かれない。注意すべきは、過去の自分に気づかれないことかな。

 いや、もし過去の自分に会ったのだとしたら、未来のために説得することもできるか。自分が自分に訴えかける以上、疑っても結局信用してしまうかもしれない。


「……今は、分からないか」

 

 これがどちらなのかは、もっと調べないと分からない。でも、これがいつか鍵になる気がしている。


 じゃあ、次にいこう。なぜ僕には前の……いや、正しい時間の記憶があるのか、ということ。雛子や課長に連絡したり会ったりして、僕のことを知らないことが分かった。少なくとも僕が確認した範囲では、僕以外の人は、正しい時間の記憶はないということだ。


「……念のため、もっと確認するか」



 かつての友人に連絡した。自分の記憶と、彼らの時間。すり合わせて、どの地点から正しい時間が流れていないか……タイムリープした何者かが時間を変えたか分かった。


 3年前。


 僕が、雛子……遠坂雛子とおさか ひなこと初めて会った時……。

 その地点から、僕と雛子が出会わないように工作して、僕と結婚しないように改変したということ。


 正しい時間はこう。僕が雛子と出合ったのは、大学のテニスサークル。大学3年になって、高校時代までやっていたテニス、またやりたくなって途中から参加した。それと同じ時期、同じ学部、同じ年次の雛子も、テニスサークルに入ってきた。

 偽りの時間では、僕の友人は僕がテニスサークルにいたことを知っていたが、雛子はサークルにいなかったようだ。


 残念ながら、僕の記憶は正しい時間のものしかない。改変されたものは分からないから、工作員は不明。


 しかし。


「犯人は、雛子側の、元々の知り合いであった可能性が高いな……」


 犯人が、改変された時間の中の、過去の僕に接触したとする。

 しかし僕が、その時初めて会った人間を信用して、サークルに行くことを止めるとは思えない。元々の知り合いだとしても、僕はテニスが好きだ。間違いなくサークルは入る。


 となると、雛子の知り合いが、サークルに入ることを止めたに違いない。


 何より。


 最初は僕を狙ったと思った時間改変だけど、


「狙いは、雛子……」


大学時代、雛子に気がある人間がいた。そいつがタイムリープして、過去の雛子をたぶらかしたとしたら……。

 僕から雛子を奪うだけで、僕は妻も仕事もなくした。が、僕が被害にあったのはたまたま。


 なら、簡単だ。


 あの男と、また相対しないといけないようだ。



 数時間ぶりに訪れる、雛子の家。

 あの時2人は出かけて行った……まだ戻っていないんだろう。都合が良い。


 僕が出来るのは、ひとつの可能性に賭けるだけ。


「!」


 もっと待たないといけないと思ったが、案外奴はすぐに戻ってきた。いや、それだけ僕が、自分の家で腐りかけていたということか。とにかく、いったん姿を隠す。雛子の家なんだ、いくらでも隠れる場所は知っている。鍵が隠してある場所だって……。


「じゃあ雛子、僕は書斎にこれを片付けてくるから、お茶でも入れておいてくれないか?」

「ええ、分かった」


 予想どおり、この部屋に来るようだな幸之助……本当だったら、僕の部屋になるはずだった部屋に。


「野中……野中幸之助ええぇえ!」

「な!」


 殴りかかった時は、返り討ちにあった。でも、こんな所に誰かがいるなんて予想出来ることじゃない。

 タイムリープなんてものを仕出かした犯人は、胸を抑え、膝が崩れ、頭を地につけた。犯人の胸に刺さった包丁を引き抜くと、瞬く間に辺りが赤く染まっていく。


「これでいい……」


 今流れている時間は偽りだけど、僕以外はそうだと思っていない。けど、それに気付き、正しい時間を知っている僕がいる。いや、たぶん僕以外にもいる。いて欲しい。

これが意味することは……。


確かに正しい時間、それは消えずに、存在している!


 そんな時、犯人を殺したらどうなるか。この偽りの時間が、そのまま流れていくだけか?


 違う。

 幸之助の持っていたタイムリープ能力が無かったこととなり、この3年間の改変も無かったこととなる……つまり、タイムリープが元に戻り、正しい時間をまた歩める! そうでなくては、僕の記憶が残っているはずがない。

 

「!」


 部屋の外から足音……騒ぎを聞いた雛子がやってくるのか。今抱きしめてやりたいが……それは、時間が戻ってからだ。


 ……なんだ、この感じ。水に入って初めて身体が浮かぶことに気付いたような、浮遊感。戻れるのか。


 雛子の所へ。

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