第2話

 それはすっかり曖昧となってしまった数字だが、本当の名も忘れてしまった勇者の記憶の通りであるとすれば――九百九十九度目の、死後からの目覚め。


「……終わらない人生、か」


 例のごとく知らない天井。

 ベッドから上半身を起こした彼は、自分で呟いた戯言を嘲笑する。

 そんなものは遥か昔から覚悟の上だ。

 具体的にはどれだけ前だったことか。

 敢えてややこしい言い方をすれば、前世よりも遥か先、ほんの十回ほど死後からの目覚めを経験した頃だろう。

 否、その時は彼もまだ未熟で、その命に約千度の人生を背負っているとは思っていなかったかもしれない。

 とにかく。

 それは年老いた老人が赤子の頃の記憶を思い出そうとするくらい途方もなく、実にくだらないことである。


 何度死のうと、何度魔王を殺そうと、彼の意志に関わらず理不尽な転生は繰り返されてきた。

 一度、二度目の頃こそ世界を救えなかった自分への罪滅ぼしの場と自惚れて気負ったこともあったが、今となっては虚無感のみが募っていく。

 全てを達観して、少しずつ世界への興味を失っていった。


 嫌気が差し、目覚めた直後に舌を噛み切ったが、気がつけばまた綺麗な身体で目を覚ましたときは流石に堪えたのを覚えている。

 終われないのだと、悟ったそのときの絶望でさえ、勇者は自分の中で克服され始めているのが怖かった。


 幾重にも繰り返した――理不尽に繰り返されれてきた転生。


 終わりない人生の中、彼は既に愉悦を感じられなくなってしまった程度には廃れてしまった。

 巡る世界がどこも似通い、出来ることといえば同じ作業だけではそれも必然であろう。

 適当な世界で富と権力や名声を得ても、いずれ虚無感に飲み込まれてしまう。

 大地を耕しても、土地を転がしても、魔物を切っても、何を試しても、いつしか勇者でありながら魔王を討伐するだけのモチベーションが保てなくなっていた。

 勇者の巡る世界の住人からしてみれば、甚だ迷惑被ることだろう。

 正直のところ魔王など、否、世界の平和など、どうでも良かった。


 見知らぬ世界で魔王を討伐する。

 忌憚なく言ってしまえばその作業に飽きてしまったのだ。

 世界を救えようと、失敗しようと、どうせ最後は自分に利益がない。

 いつからか合理的ともいえる、そんな割り切った思考をするようになっていた。

 魔王を殺して帰還したときの、迎え入れる人々の崇拝がどうしようもなく鬱陶しい。

 この悠久の時の中で忘れてしまった感情の一つ、喜びとはなんだったか。

 思い出そうとしたところで何も得られはしない。

 勇者は下らない事を考えたと、頭を振った。


「だからと言って、世界を見殺しにはしない私は愚劣の極みなのだろうな」


 所詮それはあの時の後悔であり、勇者としての業だ。

 自己満足ではあるが、魔王を討つための努力はする。

 だが、結果が伴わなくとも簡単に割り切れる。

 更に言えば、世界の行く末など自分の気まぐれに左右される。

 彼はそんな状況を、唯一の『遊び』として楽しんだ。


 そんな彼の心境など理解せず、あらゆる世界の人々が勇者と、口々に慕ってきた。

 正義感と言うのも無粋な心事に比例しない欠落感を抱えながら、人々の声に答えるのは苦痛に近い。

 やがてこの正義感も無くなってしまうのだろうと、今のうちに開き直ってしまった方が良いのだろう。


 そういえば、と。

 前に魔王の討伐に失敗した時、その世界の貧弱な勇者の肉体と、なまくらな伝説の剣に責任を押し付けたのを思い出す。

 既に薄れ始めていた正義感に、落胆すれば良いのか、開き直ってしまえば良いのか、勇者は分からなかった。


「……もし、この先。私に救いが在るとするならば……」


 ふと口走ってしまった感情が、気付けば救いを求めようとしている。

 改めて考え直すことも無く、彼は『永遠の死』を望んでいた。


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