叫び
ゆとれヒト
読みきり短編
「行ってらっしゃい!パパ」
5歳の娘が今日も玄関で見送りをしてくれる。
大きく手を振っているが、まだ寝ぼけた顔、ピンク色のパジャマが心を温かくさせてくれる。
私の一番の宝物だ。
「あなた、今日の夜ごはんは?」妻が問いかける。
元客室乗務員、ミス東京にも選ばれた妻は34歳になった今も美しく、近所や娘の保育園でも美人であると噂の人物だ。
私が仕事をしているので、働く必要はないが社会性を忘れたくないから、と言う理由で雑誌のモデルの仕事をこなしてくれている。
「今日は取引先との会食なんだ。遅くなりそうだから先に寝てていいよ。」
収入に不安はない。
35歳で総合商社の部長。美しい妻と、可愛らしい娘。
車もLexusを購入し、都内の一等地に一軒家を購入した。
3階建てで、定期的に庭師にメンテナンスをお願いしているガーデンもお気に入りだ。大きなケヤキに、娘用の小さなブランコ。
家庭の幸せの構図となって浮かび上がる。
玄関の先から振り返ると、妻と娘がいつもの笑顔で見送ってくれる。
私はグレーのオーダーメイドスーツの上着を右手に、ビジネスバッグを左手に、いつもの格好で車へ向かう。
靴は妻が磨いてくれたのだろうか。一点の曇りも無く、光が反射している。
車の鍵を開け、上着を補助席にかけエンジンをかける。
今の生活には全く不安も不満もない。
まさに順風満帆。
誰にも文句は言わせない。
社内では最速で出世。
将来有望な人材として「出る杭は打たれる」もそれなりに経験し、今の地位に上り詰めた。
そういえば、最近新しい友人ができた。
先日アポイントの時間が空いたので、たまには、と訪れた漫画喫茶で彼と出会った。
同じ年齢の彼は、仕事はしていないらしい。
両親と暮らしており、その両親の「すね」をかじって生きている。
「僕は所謂ニートだよ」彼はそう応えた。
肥満体型で、髪もぼさぼさ。少し寂しくなってきた前髪と、「New York」と書いてあるトレーナー。
そして薄い色のデニムとコンバースのスニーカー。
それでいいのか?
それで将来大丈夫なのか?
おせっかいは昔からの性分。
確かに他人であるが、他人に思えなくそう聞いてしまった。
彼はゆっくり顔を伏せて、何も応えなかった。
私は興味があった。彼に。
なぜ興味があったかは、彼自身のほうが理解していたようだ。
ひょんな事から、彼とメールアドレスの交換をした。
そしてその夜、唐突にメールが届いた。
《大丈夫なわけはない。僕だって君のようなエリートになりたかった。人並みに努力もした。でも報われなかった。君みたいなエリートは僕に言うだろう?努力が足りない、と。確かにそうかもしれない。僕は心が弱い。君のようになりたいと妄想しながら、いつも何をしていいか分からなくなる。仕事もダイエットも続かない。将来の夢もない。気軽に遊びに行ける友達もいない。ダメ人間だよ。》
返信に困った。
一方的に、客観的事実を認める文章に、戸惑ってしまった。
けれど、これは彼の心の声だ。
心がとても苦しくなった。
彼とはその後、定期的に話をするようになった。
就職してみてはどうか?
まずアルバイトしてみてはどうか?
カウンセリングはどうか?
「でも、できないよ」
そう、いつまでたっても「でも」の繰り返し。
でも、僕は彼の友人である事を一生やめない。
どんなにクズでも、どんなにダメでも、もし私の妻との時間をなくしても。だ。
彼の叫びは僕に必ず届く。
僕は彼の妄想だから。
叫び ゆとれヒト @noriaonori
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