第21話

 守るべきもの。

 想像していた通りで、その上なんとも想像させられる言葉だ。俺の想像に相応しく、勇者として勇者らしい信拠たる理由である。言葉にされて初めて目から鱗が落ちる。曖昧で抽象的であるにも関わらず嫌に納得してしまうのだ。

 それが勇者の強さ、そしてエリスの自信だというのなら、守るべきもの、守られる者の言葉として如何とも厚すぎる。


 守るべきものがある強さとは、ただの精神論的な根拠として説得力という点においては薄く感じる。だが、エリスの言葉には反論の余地もないほど分厚い意味が含まれているのだ。

 俺が彼の者を討つ手段として講じてきた策の全てが理屈的である反面、相対的に精神論で語ろうという有無を言わせぬ強さには脱帽するしかない。それら全てを勇者という肩書が、不条理に納得させるのだ。


「守るべきものがあるから、か……面白い。そうか。守るべきもの……」


 ならば、守るべきものとは何だ。勇者にとって守るべきもの。誇りか、信念か、あるいは勇者として背負った使命か。否、それら全てを捨ててでも守るべきもの。結果的に魔王を討つことが即ち、勇者にとって信念を貫き通す方法である。


 死にもの狂いに身を粉に削り、漸く辿り着いた果てにある守るべきものとは。故郷ならばこの手で壊した。何も残ってないはずのそこに求めるものとは何か。

 恐らくそれは想像に容易く、それでいて彼らにしか分からない領分なのだろう。


 守るべきものがる、勇者と魔王の差とは。

 恋人を守り、故郷の仲間を守る。その程度のことを強さの差異だというなら、守るべきものがある強さだというなら、この極限の相克において魔王に足りないもの。勇者にあって、魔王に足りないもの。それを得て初めて対等になる、雌雄を分かつ最大の隔たり。


 今ここに、見つけた。


「ガーネット」


 忽然、名前を呼ぶ。

 可憐で、凛然たるその名を呼ぶ。


 傍らの彼女は俺の声に合わせて身を翻した。漆黒のドレスに身を包み、その細い腰に届く長髪が気流を孕んで流麗に纏わり付いてくる。豪奢の限りの尽くされた空間に嵌め込まれた宝玉の輝きが、そのまま彼女に乗り移ったかの如く目映い煌めき帯びていた。

 あるいは、ここにきて湧き上がる別の緊張が俺に見せた錯覚だろうか。雪のように白い肌は豪奢な着飾りさえも霞む妖艶な雰囲気を纏っている。


 不意な呼びかけに戸惑いつつも、凛とした佇まいは決して崩れることない表情で見つめてくる。小聡明いほどの色気に俺は目を眩ませながらも、美貌の溢れる瞳から視線を外さない。

 何を口にするでもなくそのまま見つめ合う一瞬の間が永遠にも感じる。困惑の表情すらも、愛おしく見えた。


 ここに見つけた、勇者にあって魔王に足りないもの。

 極度の緊張で高鳴る鼓動が俺の言葉を詰まらせている。そこに生まれた沈黙で、心臓の音が聞こえてしまってはいないかと不安になってくる。勿論要らぬ邪推なのだが、ここで緊張を読み取られてしまう方がよほど決まり悪そうにも思えた。


 守るべきものがあることが勇者と魔王の差だというなら、その差を埋めるのは賢明であろう。

 今この瞬間に俺の内側から溢れる思いは、そんな理屈的な感情なのだろうか。

 理屈では語れぬ勇者の強さ、そこに並ぶ手段として俺なりに覚悟が必要だ。


 否、そのための手段ではなく、俺自身の最も素直な感情が強さになる。


「――ガーネット。この魔王と付き合え」


 彼女いない歴=年齢の一世一代の愛の囁き。この場合、一世一代というのは転生の有無ではなく、俺という意識の一生に一度の告白だ。愛の囁きにしても、いかんせん言葉足らずだった。

 前世で恋愛に対して奥手だった俺には、心臓が飛び出るほどの勇気が含まれている。


 男女交際の仲を求める求愛にしてはいささか不意であり、かつ高圧的に聞こえたことだろう。

 ある意味ではそれこそが前世で俺に彼女ができなかった所以なのかもしれない。

 勿論、此度も例に漏れず彼女には伝わらなかったらしい。


「……? 無論、僭越ながらこのガーネット、魔王様の覇道へと生涯寄り添いましょう。魔王様のご命令とあれば、どこへでも」


 ガーネットちゃんはこの魔王の突拍子もない発言に、いつの時もそうやって答えてきた。魔王の覇道のために、と。

 だがそれは忠誠心からの言葉だ。よもや魔王からの囁きを、曇り無き瞳で見つめ返してくれるその意味は俺の想いが伝わってないことを表している。無論、まさかこの瞬間に考え付きもしない魔王の言葉を聞き間違えても彼女に一切の非はない。


 聞きようによっては命令にも聞こえてしまう、高圧的であるが故に接続詞は曖昧だ。そして恐らく、未だかつて見せたことも無い魔王の素振りに戸惑ったのだろう。

 正面切って告白した俺自身が何よりも戸惑っているのだから、聡明な彼女とはいえ解釈を誤るのも当然なのかもしれない。


 彼女が口にしたよう、この魔王が命じればどこへでも付き従ってくれる。以前の、あの時の契約は忘れもしない。今もそのドレスグローブの下に刻まれているはずの紋章は揺るぎない忠誠の証だ。今更確認するまでも無く、彼女の言動を見れば薄い布越しに紋章の輪郭が見える気がした。

 だからと言って、やはり俺の告白は強要ではないのだ。


 弛まぬ忠誠を実感しているからこそ避けてきた、押し込んできた俺の想い。

 だが、敗北こそが最大の忠誠の裏切りなら、どんな手段を使っても負けるわけにはいかない。手段の一つだとは断じて言わないが、勇者の強さが守るべきものがあるからというなら、そこに並ぶための方法は一つしかなかったのだ。


 俺が彼女を守る。

 勇者にとって最愛の恋人が守るべきものの一つであるように、俺にとってガーネットちゃんこそ守るべきものなのだ。

 配下の彼らの忠誠も、この魔王とて、守るべきものはある。


 だからこそこの告白は冗談や誇張ではなく、俺の心からの想いだ。

 口下手な俺かもしれないが、それが真意も伝わらず終わってしまっていいものではない。


「……いや、違うな。言葉が足らなかった、すまない。もう一度言おう、ガーネット――好きだ。この魔王と付き合え」


 言った。

 ついに、口にした。


 魔王として押し込んできた俺の真意。

 魔王として、絶対に口にしてはならなかった禁忌の言葉。

 勇者と対等の強さで戦うために、守るべきものを得るために、俺は口にしてはならない言葉をついに言ったのだ。


 彼女の忠誠への裏切りにしかならないと押し込んできた俺の言葉。この世界に来た始めから俺を支え、そして寄り添ってくれた。

 一目見たときから好きになっていた。月日を重ねるごとにより強くなっていった想い、裏腹に魔王としての職務も激化していき、それ以上に近付いていくことはなかった。何よりそんな手間や暇が彼の者との決闘に向ける過程で必要性を見いだせなかったのだ。


 今となってははっきりと断言できる。俺にとって必要だったもの。

 これまで理屈的に築き上げてきた策や手段の上に成り立つ、倫理的な強さ。

 前世の、俺という意識を持つ魔王だからこそ見つけられた勇者に匹敵する強さ。


 彼女、彼らにとって、俺は理想的な王でいられただろうか。俺にとって彼らは理想的な配下だ。魔王への揺るがぬ忠誠を示し、誰一人とてこの魔王を裏切りはしない。だからこそ俺もそこに敬意を払い、彼らの忠誠に応えようとしてきたのだ。あるいは、そんな気負いこそが彼らに魔王としての評価を下げさせてしまう要因だったのかもしれない。この世界に来た短い時間、魔王としてボロを見せてしまった瞬間もあっただろう。それでも尚この魔王を崇拝し付き従った彼らの誠意のために、俺は勇者に勝たなければならないのだ。


 勝つための方法ではなく、手段のための策でもなく、俺はただ純粋に彼女に惹かれてしまった。この世界に来て目を開いた瞬間から、魔王とその従者という垣根を超えて惚れていた。日毎に募っていく想いをごまかせはしなかった。


 よもや魔王の口から出たとは思えもしない発言に、エリスとガーネットちゃんの呆気取られた表情には沈黙と同時に騒然さが浮かんでいる。

 この状況の中にあっていつもの如く、魔王の発言に沈黙を重ねることを無礼としてか、気を急かせながらも彼女は言葉を選ぶ。


「わ……私はただ、当然、生涯魔王様の覇道にと付き添う覚悟が……」

「――違うのだよ、ガーネット」


 そう、違う。紅潮する頬を誤魔化すように冷静を装う彼女の言葉を遮る。

 それは俺の求めた言葉ではない。否、この告白の答えとしての是ではなく、彼女の言葉に隠された本心を否定した。その忠誠を示す常套句として幾度となく聞いた言葉、勿論それを否定するつもりはないが、今ばかりは違うのだ。


 肝心の本心は隠されたままの言葉に、あるいは独り善がりなだけかもしれない感情がそれを否定させる。

 あくまでも強要ではない。例えば失敗したとして、俺にとって守るべきものが変わるわけではない。俺にとって彼女、彼らから授かる忠誠こそ守るべきものなのだ。

 だからこそ、その本心を聞きたい。


「――いや、違うのは俺の方か……」


 小さく、息を吐くように小さく、俺は呟いた。

 魔王を装ってきた俺の口から、人前で初めて乱雑になった口調が吐き出される。魔王である前に、俺という意識がそこにあった。


 二人に聞かれただろうか。

 心の声が漏れ出ただけの言葉ともつかぬ呟き。恐らく杞憂に過ぎないだろう。

 そんなことを考えるよりも前に、俺は俺の本心を改めて言葉にする。


「決められた言葉での忠誠を求めていないことならわかるだろう。違うのだガーネット。我は其方の本心を聞きたい……否、違うのはこの魔王だった」


 他でもない、本心を隠しているのは俺の方だ。他人ばかりに本心を求めるよりも、この俺こそ本心を塞ぎこんでいる。好きという、素の感情があるその上にかぶせられた仮面。この世界に来てから魔王として過ごした日々の分だけ、心からの本音から遠ざかっていった。

 今こそは、今だけは、敢えて言葉にしよう。


「だからこそ、この魔王もまた改めて本心を語らせてほしい」


 恐らく、魔王として生きる時間の中、今後最初で最後になるであろう魔王の仮面に隠された俺の本心を言葉にする時。魔王の仮面を外す時。


 玉座を離れ、彼女を一番美しく見せる真正面へと魔王自ら歩み寄る。

 既に魔王の姿ではなくなっている。

 俺は独りでに息を飲み下し、覚悟を決めた。


 魔王の仮面に遮られることも無い、本心からの言葉を初めて伝える。


「……好きです。付き合ってください」


 これが俺の本心だ。

 魔王の仮面にも隠されていない、正真正銘俺の俺としての言葉だ。守るべきものを形とするための手段でもあり、そしてそんな無粋な考えに捉われていない本心なのだ。魔王としての立場に縛られた考え方であればこの言葉を口にすることは出来なかっただろう。


 魔王として生きた短い時間の中で培ってきた想いであり、あるいは魔王として彼女を一目見た瞬間から抱いた想いでもある。

 ただ伝えたかった、伝えるなら今しかないのだと、魔王としての制御よりも前に口が動いていた。心が動いていたのだ。だからこそ彼女の口からも本心を聞きたい。

 忠誠を表す常套句ではなく、忠誠よりも更に深部に存在する心。


 魔王とその従者の受け答えとして十分すぎる時間が沈黙に流れて、漸く彼女は口を開いた。


「……私の意思が変わることはございません。あくまでもこの生涯を魔王様に付き従うことを誓いましょう」


 答えは変わらない。

 心地良いはずの忠誠の常套句が俺の心を空しく埋めていった。すっかりと戻ったいつもの厳格で凛とした彼女の様相が恋というものの厳しさを表しているようで、されど魔王としての価値をこれ以上下げるわけにもいかず、俺もまた厳格な態度を保とうとする。

 もとより、この告白の結果が守るべきものの価値を左右するものではないのだ。俺にとって彼女、彼らから授かる忠誠が即ち守るべきものであり、どんな感情も差異はない。だからこそ強制はしなかった。


 とはいっても、やはり簡単には切り替えれそうもない弱さが存在する。否、その弱さを忠誠心に無礼だとため息ひとつに押し込むことも容易くはあるが、そんな自分が不甲斐なかったのだ。

 忠誠の名に生涯を誓われたその意志を汲み、俺は魔王としての役割に徹するだけ。むしろ、これで開き直れたのだと、新たな強さを持って勇者と対峙するしかない。


 酸いも甘いも小さなため息に吐き出してやろうと、魔王の仮面を再び被ろうとするその刹那、俺は彼女の厳格で凛とした様相の中に隙を見た。


「もしも……もしもその上で、魔王様がこのガーネットを隣に置いてくださると仰るのであれば、私に断ることは出来ません。いえ――私を、魔王様のお隣に居させてください……!」


 答えは、何も変わりはしない。

 側近としてこの魔王に最も近いところで従ってきた彼女が、この魔王の隣を望む。その状況に変化はないはずなのに、その関係は大きく変わろうとしている。魔王とその従者から、恋人同士の関係。


 最後に委ねられるのはやはり魔王の言葉だ。それは彼女の忠誠として、従者としての誇りがこの魔王の言葉を望んだのだろう。恋人同士である前に、恋人同士になる前に、彼女らにとってこの魔王の存在は絶大なのだ。

 後は、この俺の返事で全てが決まる。

 ならば俺の返事は既に決まっている。


「当然だ。この魔王の隣に相応しいのはガーネット――其方だけだとも」


 俺の俺としての意思はもう殺した。

 ここにあるのは魔王の意思、勇者との対峙に臨み、全ての力を備えた魔王の存在。


 俺が手を差し出すと、彼女の華奢な手が重なる。

 俺は何も言わずにその手を優しく包み込み、彼女の身を強引に引抱き寄せた。


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