第20話

 それから更に半年の月日が流れた。

 平和ボケしていられた以前とは明らかに状況が激変している。


 まず第一に、勇者が魔王を討つ覚悟を決めたこと。兼ねてより送り込んでいた配下から聞き及んだその情報、きっかけは自らの力に確信を覚えたことだという。勿論、勇者ともある存在の力の強大さなど最初から知れたようなものだが、長き旅の中に得た力がいよいよ確信に変わったのだ。


 その中には、時間の経過で必然的に彼の者の耳にも届いたであろう、故郷の壊滅という悲報に沸き上がる覚悟もあったのだろう。覚悟を与えてしまった、という意味においては俺の過失かもしれないが、卑劣な言い方になるが奴隷たち改め人質が彼の者にとって脅威となることも明白である。

 勇者の恋人、エリスという存在もこの魔王の最大の盾となってくれるはずだ。


 いずれにせよ俺の取ってきた全ての行動が、勇者を討つための最善の手段であることを俺自身が確信しなければならない。

 勇者と魔王、その極限の相克に迷いや躊躇いがあっては苦杯を舐めることもまた必然なのだ。魔の王たる俺が負けることは即ち、配下の彼らから授かる忠誠への裏切りでしかない。


 聖剣を狩り、人質を取り、その他にも十分すぎるほど念入りに準備を怠らなかった。それらは全て勇者との対峙に備えたものだ。

 もはやそれが何時のことになるのか分らない、という状況ではない。もう既に目前にと迫っている。

 それこそが第二に、以前の状況との最大の差だ。


 漫画やゲームよろしく力をつけ、仲間を集め、どんな妨害を被ろうと魔王の下へと歩みを止めない。

 勇者は今現在、この魔王の城へと足を踏み入れているのだという。

 勇者と魔王の戦い、そこに向いた駆け引きはいよいよ、ついに佳境を迎えているのだ。


 今も尚その足止めに、少しでも戦力や体力を削ろうと送り込んでいる配下たちの敗戦の報告は俺の緊張感を徐々に高めている。

 流石は勇者とその一行だけあり、生半可な戦力では到底敵わない。勿論、送り込んだ彼らの実力に信頼がないわけではないが、それで止められるほど甘くもないということだ。もっとも、実績や腕に覚えのある者こそ城の最深部の防衛に回ってもらっていることも少なからずあるのだろう。

 彼らの負傷を益とするか無駄にしてしまうのかは全て俺次第になる。その責任を背負う覚悟を、今更無いとは断じて口にはしない。


 恐らくこの日、この今日という一日は、この世界にとって歴史を動かす重大な日となることだろう。

 魔王の死か、あるいは、勇者の死か。当然、勇者は己が勝利を確信し、そして俺も負けるつもりなど寸分も無い。互いに譲れない思いがあるからこそ、俺も勝つための手段に妥協はしてこなかったのだ。


 前世のことを考えると、よもや良きにしろ悪しきにしろ世界の命運を背負う存在になろうとは、今更そんな実感がわいてくる。この世界の支配者になる未来、それは正直なってみないと分からない部分もあるが、俺がこの戦いに生き残るというのはそういうことなのである。

 当然、今は余計なことは考える時ではなく、その先は詮索しなかった。


 数時間後になるであろう、勇者との決着の時。マルクやエリスを見て同じく人間である勇者を恐るるに足らんとは言うまいが、万全の策を期した自負はある。後はただ待つのみと、俺もまた覚悟を決める。

 数人の護衛に囲まれた緊張からくる沈痛な空気の中、玉座に君臨する王として声を掛けた。誰にあてた、というよりは過去の記憶を遡った結果の呟きである。


「……彼の者の名はユーリ。実直で、熱血的で、正義感が強い、我らが怨敵」


 それだけ聞いても正に勇者らしいとも言える存在。この半年の間にエリスから引き出した情報のうちほんの一部、勇者の人と成りというものだ。漫画やゲームの中における所謂主人公として、勇者らしく主人公らしい性格である。

 何を持ってそんな好青年である彼を恨む必要があるのか、魔王だからという理由で事足りるだろうか。俺の本音としては、命を狙われている立場なのだから当然なのだ。否、明確な恨みというものは俺の中には存在しない。


 無闇に敵と気負うよりは分かりやすい。俺が睨んだように、人柄を見ることで付け入る隙も生まれるかもしれない。実体のある人間よりも、実体の無い人間の方がはるかに恐いものだ。

 打つべき敵の名を掲示し、配下の彼らを鼓舞する。魔王の口から明確な敵として誇張する意味は、彼らにとって一つの使命となる。


 そしてまた一人。

 自分が出ましょうと、護衛の一人が勇者を討つべく玉座の間を後にする。

 この場合、護衛とは魔王を守るべく存在というより、勇者を近づけさせないために組まれた親衛隊ともいうべきか。一人ずつ出向いていき可能な限りの負傷を作る。魔王の勝利のおぜん立てに、使命を果たしに行くのだ。護衛を護衛のまま留まらせるより、その結果勇者の侵入を容易く許した上に腕を燻ぶらせるよりかは遥かに懸命だ。


 その度に聞き入れる敗北の報と、されど彼の者への確かなダメージは俺の気を逸らせるばかり。心のどこかではそのまま倒されてしまえと、他力本願になってしまう。しかし一筋縄ではいかないこの相克に、早く終わらせたいとばかり緊張が高まっていった。

 また一人玉座の間を出る。その彼らにもまた覚悟があり、緊張しかできない俺に勇気をくれる。この魔王を守ろうとその身を犠牲に奮う姿は、ふんぞり返って震えているだけの王より遥かに尊敬できる。

 やがて玉座の間に立ち込めた静寂は二つ、否、三つの影を残すのだった。


「……あの人は……ユーリは絶対に負けないわ」


 玉座の間の、小隅から聞こえてくる。勇者の快進撃に付け上がった、と言うには無礼であるか、彼への弛まぬ信頼からくる自信が発言の機を見させた。

 護衛の将たちの覚悟に後押しされた俺の気に、もうひと押し緊張感から脱却しきれていない俺を揺さぶるには的確な発言である。あくまでも魔王としての体裁を守って片肘をつく玉座から見下ろす。動揺からかむきになるほどではないが、少なくとも今の俺には無視できない発言だった。


「ほう。ならばエリス、この魔王が敗北するとでも言うつもりか?」


 自分の緊張を棚上げにしてエリスに問う。内心を知られていてはこれほど無様な発言も無いが、彼女の中で俺はこれ以上にもない怨敵、他ならぬ魔王なのである。魔王の仮面に隠された内心を読み取らせてしまうほど、そもそも魔王以外の者としての俺を想像できる余裕は彼女にはない。憎悪に支配された胸中にはこの魔王の、俺という隙を見つけることは出来ないだろう。

 あるいは逆に、ただ純粋に魔王を魔王として見られる者として最も身近に居た存在とも言えるのだ。こういう言い方では少々憚られるが、配下たちの忠誠からくる魔王への過大な評価よりは、幾分か参考にしやすい意見をエリスという人間は携えている。


「確かに、お前は想像を絶する力を持っている。その力に溺れることも無く執拗に策を講じてもいる。だけど、負けない。ユーリは必ず、私たちを救ってくれる」


 他でもない、故郷を壊滅させた力を目の当たりにした事実は認めていながら、しかし譲らない。魔王の力には勇者の故郷の者のうち多くが恐れ、平伏した。今は奴隷として労働を強いられた身の彼らの多くは、奴隷として奴隷の以上でも以下でもない生活をもはや嘆くことはなくなった。魔王への畏怖の中で、そんな生活を当たり前に受け入れているのだ。

 そんな彼らとはただ一人隔絶し、一概に奴隷という立場を同等とは言えなくとも、エリスは未だ強情を保っている。むしろ、畏怖の象徴たる魔王の近くでよくも気丈で居られるものだ。その精神力のたもととはどこにあるものだろうか。

 その在処とは、あるいは想像に容易いが、まずは傍らの彼女はエリスの発言を認めなかった。


「それは虚勢ですか? 笑わせないでください」


 魔王様が負けるはずがない、とまで言い切って見せる。魔王への侮辱はいつも以上に鋭い睨みによって拒まれた。

 この状況だけあって、ガーネットちゃんの殺気立った雰囲気は加速していく。それは俺も例外ではなく、エリスの口ぶりが煽情的にも聞こえてしまうのは俺の気が逸っているからなのだろう。冷静になれと自分に言い聞かせて、むしろ焦燥させられていた内心に気づかせてくれただけ、聞いてみるものだと自省する。

 生死をかけた戦いで暗に敗北を宣告されて気が立たないはずもないが、今こそ落ち着いて質問を返した。


「まあ良い。今から気を立てていても仕方なかろうガーネットよ。それよりエリス、相当の自信があるようだが、どこからその自信が来ているのか聞いてみたいものだな」


 別段、俺もエリスの言葉がただの強がりに聞こえなかったわけではなく、あまり多く咎め立てる必要も迫らずガーネットちゃんの裁量に任せた。ガーネットちゃん自身も無自覚な焦慮に気づいていそいそと佇まいを直しつつ、彼女もまた魔王が問い、エリスの返答に耳を寄せる。


 恐らくそれは、勇者が勇者たる所以に直結するであろう。

 エリスの自信、勇者を心より信頼する、故に信じられる自分への信頼。

 必ずこの冷たい鉄格子の中から救い出してくれると信じる気持ちが、自信となる。

 その根拠とは、勇者に全幅の信頼を寄せられている気丈さとは、エリスはただ一言呟くのだ。


「……守るべきものがあるから」


 それが、エリスの信頼の理由であるのなら、俺は彼の者の強さを何となく納得してしまっていた。


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