第18話

 曰く、この魔王の覇道に力添えするだけとは、ガーネットちゃんの弁。

 何度も聞かされたはずの言葉なのに、世界征服なんて失言の後に聞かされてはそこに危険性が垣間見える。否、日頃から言葉の端々に棘のある彼女の言葉はいつも人間を見下していた。よもや魔王の口から世界征服という、人間を支配しようという言葉に返された意味として、より一層人間の扱いを低劣に見る姿が簡単に想像できてしまう。


 瞳に涙を浮かべるほどのその感動は、ぜひとも覇道とやらを完遂する瞬間まで取っておいてほしいものだ。

 もっとも、魔王の口からそんな言葉を聞けることが彼女らにとって大きな意味を持つことを知っているからこそ、頭ごなしに否定も出来ないのだが。


 そんなこんなで玉座の間がノックの音を拾うまで、ほんの一時ばかりの退屈に身を委ねた。

 当の者の姿や勇者との関係を想像しつつ、数時間ほどの沈黙に忍んだ。


「――通してよいぞ」


 控えめに開かれた扉からその身を覗かせたマルクに投げかける。

 一度軽い会釈をし、マルクは扉の外へとぶっきらぼうに声を荒げた。


 それはマルクを迎え入れたときと同じく、背後に若干名の見張りを連れ添い、目隠しと後ろ手を縛られた人間が強制的に足を運ばされている。見張りはこの魔王直々に奴隷施設へと配属を命じた異形の騎士たち、恐らく彼らの手で人間たちに尋問を施したであろうその騎士である。

 言っては心苦しいが、奴隷になり下がっただけのただの村人を相手に仰々しい風格が、人間という存在の扱いを表しているようでもあった。あるいは、相対的に万が一も魔王に危険があってはならないという忠誠の示しだ。


 当の者へと目を向けては、奴隷に落ちただけあって貧相な衣服を身にまとい華奢な線を見せている。それはマルクのようにやせ細っているわけではなく、先天的に筋肉の発達がしづらい構造のようだ。

 言うなればガーネットちゃんのような、ドレスとグローブの間から見える白い柔肌に等しい繊細さ。


 薄汚れた、という印象は強制的に施設へと収容した所為であろう。

 当の者は女性である。


「ご苦労。よくぞこの短時間の内に希望通り寄こしてくれたな」

「当然ですとも。このマルク、魔王様の命に従うためならば手段は選びません」


 丁重にとは念を押したはずだが、まあ方法はいくらでもあるだろう。ここに連れてこられた彼女のその容姿を見るに大きな外傷は見受けられない。その事実だけで、俺が当の者を引き継ぐには十分である。マルクが尋問を施した方法など想像するまでもないというか、想像したくもない。


 魔王、という単語に反応を示したのは否応にも注目を集める彼女だ。目隠しで視界を遮られているばかりに、この魔王を確認しようと挙動不審に周囲を見渡そうとしている。

 当然その目で見えるはずもなく、ただ獣のように咬み付かんとするほどの苛烈さで詮索せんとする姿は気丈にも見えた。それは魔王への恨みや憤慨そのものであり、畏怖に捉われない強情でもある。


 並の人間であれば、あの場所に刻み込んだ畏怖のままに竦むことしか出来ないだろう。流石は勇者に密な人物だけあり勇敢な姿勢だ。

 反抗せんとする余力に、俺はもの悲しささえ覚えた。


「そこに魔王が居るの!? 居るのなら返事をしなさい!」


 大方の運びとしてマルクの時と同じだった。当然、目隠しをされ、目当ての存在がそこに居ると知れば気も昂るだろう。一つ違う点とすれば、そこには敵愾の意思のみしか存在しないことだ。

 彼女が俺への恨みを露わにしているのはやむを得ない事情があり、同時に殺意ほどの感情を剥き出しにすることにも納得がいく。ただそこに言いようのないもの悲しさを覚えてしまうのは、彼女の中に反抗の意思を残させてしまったという後悔の念だ。


 俺は魔王として、言うなれば保身のために彼女、彼ら人間を奴隷として捕らえたに過ぎない。その選択が間違っているとは思わない。

 もしも万が一、俺の前世の記憶が働きかけるままに、彼女ら人間を解放する時が来るとして。少なくともそれは勇者との決着がついた後の話である。そんな世界で、人々にとって希望を断たれた絶望しか残らない世界で、反抗の意思はどう働くか。俺の首を取ろうというのなら、俺は迷わず人間たちを殺す。

 勇者を唯一にして最後の希望としたら、その末路が直接に諦念へと繋がるだけのこと。

 仕方がないのだ。俺だって素直に命は惜しい。


 もっとも、反抗の意思がそこにあるのならそれこそ仕方がない。

 果たして勇者と密な関係にあっただけはあるという評価が正しいのか、彼女の気丈さを砕くのもまだ遅くはない。


「人間というのは、例外なく小汚い口を吐くものなのですね。魔王様の御前にどういった領分で口を聞いているのです。マルク、貴方の教育が手緩いのではありませんか?」


 手始めに彼女への悪態はガーネットちゃんが恨み節を効かせて代弁してくれた。マルクの時も思い出してか、あるいは先の件における危惧が顕著になったか、相乗して若干当たりが強い気がした。

 発言の許可を認めてはいない当の者ばかり罵倒しても擦り抜けていくばかりなわけで、同じ人間としてマルクへと矛先が向く。


「そうは仰いますがガーネット殿。何分、手前もこの者を預かって日が浅く……十分な教育、という意味ではいささか時間は多く頂けなかったもので」

「惨めな言い訳など聞くに堪えません。魔王様の絶対の命を無碍にした怠慢を黙って認め、その者に鞭の一つでも入れてみてはどうなのです。その者が耳障りに喚くことは貴方の失態に等しい。魔王様の御前に不浄なものを見せないでください」

「無茶を仰る。私とてこの者、勇者の故郷の者共ばかりに構ってはいられなかったのです。よもや少ない時間の中で魔王様の希望に沿う者を見繕ったことに叱咤されるとは。それとも、ガーネット殿ともあろうお方であらば容易いことでしたかな」


 不愉快な内心を隠そうともせず、ガーネットちゃんはつらつらと責任を問い質した。反してマルクは自嘲的に笑って見せる。

 ガーネットちゃんの言葉は全て、俺が責め立てることがないからこその代弁なのだ。実際俺はマルクが十分良くやってくれたと思っているし、敵愾心を向けられた不快は向けてきた本人以上への思いはなかった。その責任が誰にあるか探すことも彼女の役目であり、論の中に論が生まれてしまうのも致し方ない。


 皮肉を返され言葉を詰まらせるが、ガーネットちゃんも簡単ではないことを認める考慮だ。

 ガーネットちゃんであって難しいとは、マルクの言う通り無茶を言っているようではある。だが適材適所を基に配属したこの垣根さえ度外視しても、あるいは彼女ならばという期待は大きすぎるだろうか。適材適所とやらを基調として、最初からマルクが十分以上の役割をこなす程のことは求めていない。それは同様にガーネットちゃんにも言えることだ。

 もとより、水掛け論にしかならなそうな言い合いを見据えていたところで不毛である。


「よさないか、二人とも。不易な言い合いに費やす時間など、意味がなかろう」


 俺の一声に静まる二人。

 申し訳ございませんと、揃って頭を下げる行為に思考は共にある。


「そこに魔王が居るのね……?」


 静まった空気を好機とみてか、潜めた声色で俺の声の在処を探るのは渦中の彼女。

 ここらで佇まいを正してもいいだろう。


「――我を探しているようだな、人間よ」

「あなたが……お前が、魔王か……」

「汚い言葉遣いだ。婦人が使う言葉ではなかろう」

「うるさい! お前が私たちの平穏を奪ったんだ!」


 声を荒げる。それだけ、この魔王にぶつけたかった思いが、怒りがあったのだろう。

 彼女の言う通り、彼女らの平穏を奪ったのはこの魔王である。それは否定も出来ない、否定するつもりもない。ただ受け止め、そして魔王として圧制するだけだ。


 俺は魔王で、支配者なのだ。

 支配される者たちからの怒り、恨みは必然であり、それ故にいちいち彼女らの不満や憤慨を聞き及んでいては時間だけを浪費してしまう。

 当然叶えてやることも出来ないのなら、いなしてしまうのが支配者としての権利だ。


「やれやれ。低俗な人間とはいえ、会話も噛み合わないとわな」


 口にする言葉とは裏腹に、内心は複雑に交錯している。

 彼女の思いを避けようとしているのは、他でもないこの俺なのだ。会話が噛み合わないのではない、目の前の怒りに俺が目を瞑っているだけ。支配者の立場が無視をさせる義務的な意味でもなく、決して表には出せない罪悪感に口が空転してしまう。


 勿論、立場上の意義も少なからずある。だがそれはどうにもならないことであり、意思や行動でさえ改善できずに見殺しにしかできない。

 彼女らの呻き声を聞きながらふんぞり返る、支配者の立場とはそういものだ。意思の甘い俺が本来座るべき地位ではなかったのだ。


「まあ、いいとも。そんなにこの魔王との謁見を渇望するのなら、特別に見せてやろうではないか。村を襲撃したあの日以来、恨み辛みをその胸に抱いたまま恋い焦がれた乙女に応えてやらぬほど、この魔王も薄情ではないさ。目隠しを外してやれ」


 目隠しを外してやることで、この魔王を視認することで、彼女の怒りは更なる膨張をするだろう。そこはただの村人に過ぎないだけあり、マルクの時のような一悶着はなかった。


 目隠しが解かれ、急な光に目を眩ませた彼女は、焦点を合わせようと声の在処を基に一点に俺を見つめてくる。そこに含まれた思いが如何なものであろうと妙齢な婦女子に見つめられるというのは緊張する。

 世界を超えてまで俺の灰色な恋愛事情などさておき、気丈な彼女はすぐに目つきをきつく豹変させた。復讐すべき怨敵に下す目つきだ。ただ、ひとえに復讐心と言うには若干の語弊があるかもしれない。


 復讐という意思や心ではなく、純粋な悪として滅ぶべき存在という認識とでも言えよう。

 復讐なんて言葉が綺麗であるはずの勇者の、その身内からの言葉とは想像し難い。彼女の瞳に含まれた敵愾心は、殺意やそれに準ずる犯罪的な意識は見つからなかった。


「そう睨まないでくれたまえ。何も、これ以上貴様に危害を加えようなんて思ってはいない。だからまずは、礼儀正しく名乗らせてもらおうか。久方ぶり、とはいっても我からの認識などないのだが、あの日以来だなあ人間。改めて、我こそが魔王である」


 村から平穏を奪ったあの日以来、正真正銘人間との接触はこれが初めてになる。

 もっと友好な関係を築いてからなんて後悔はもう遅いし、交流という名義上の、俺自身への言い訳はこの期に及んで意味がない。奴隷として迎え入れたこの関係に主と下僕の立場が覆ることはないのだ。そこに存在する勇者というしがらみだけが、この関係の善悪を表している。


 下僕の立場には調教の足りない彼女はその口を閉ざした。

 一寸ばかりの沈黙にまた腹心たちが騒ぎ立てせぬよう、俺が自ら主導権を取る。


「どうした、主を前に名乗りもしないとは無礼が過ぎないか? あるいは緊張しているというのならばそれも良かろう。別段、貴様に聞く必要もないからな。そこに居る同種、今は我が配下となったマルクとて知っていること。ただまあ、本人の口から聞けないというのも寂しくはあるが」


 どれだけ固く口を閉ざそうとここに居る以上全てが筒抜けなのだ。俺の命令に従ったマルク、彼がここに人間を連れてきたということは任の遂行を意味している。つまりは何かしらの手段を講じ彼女に纏わる情報を得てきたのだ。


 勇者と密にあった、その情報を聞き出したからこそここに居る。

 否定しようとも、マルクが失態でも犯していない限り虚言はすぐに悟られる。そしてその可能性は低かった。あれだけ居る村人の中、適度に尋問をかければ誰かが口を滑らせたりもするだろう。当てにそぐわぬ者から順に口を割らせでもすれば、答えに行き着く。証言に確証を得るためそれを複数人なりともあり得る。

 俺でもこのくらいの方法は思いつくのだ。

 彼女が何者なのか、直接聞くまでもなく答え合わせは可能だった。


 それでも彼女の言葉を待ってしまうのは、あるいは背徳的な理由であるか。

 黙っていても無駄であることを知らしめるための教育だ。言い渋ったところで無駄であるという言外の忠告もほどほどに、もとより敵方に握られている情報、改めマルクが知っている。

 しばらくの沈黙も、これだけ魔の者からの圧力に帰服し重たい口を開いた。

 隠し立てできる情報もないと、潔く洗い浚いに吐き捨てた。


「名前はエリス……勇者の、恋人よ……」


 奴隷という、俺が強いた薄汚い印象から一気に引き戻される。

 よもや恋人という春の響き、家族や友人などと狭い視野でしか想定できなかった俺が如何に灰色の人生を送ったことか知らされた気分だ。


 エリスと名乗った、悔しそうに下唇を噛むリア充に、俺は敗北を味わったような気がした。

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