第17話
各地を回った配下たちも帰還し、大方のところ奴隷の収容は完了した。
ここは謂わば施設の管理所である。こんな場所にまで奴隷たちのうめき声が聞こえてくるような、胸が締め付けられる思いが湧いてきた。薄暗い雰囲気も相まってか、陰鬱な気分にさせられる。
管理者たるマルクは突然の魔王の来訪に作業中の腰を浮かせた。
此度は所用があってこの場所まで脚を赴かせた。
「その後調子は如何かな、マルク?」
「ええ、円滑に運んでおりますとも。此度は如何なさいましたかな、魔王様?」
「うむ。この魔王が直々に捕らえた勇者の故郷の者共の中から、一つ探し出してもらいたいのだ。友人、知人、親、兄弟、最も彼の者と密な関係にあった者。その者を我が前に連れ出してほしいのだが、其方に任せてしまっても良いな」
「それはそれは。このマルク、責任を持って魔王様の御前にお連れいたしましょう。差しあたっては彼の者を探し出します故、少々お時間を頂いてもよろしいですかな?」
「ああ、頼んだとも。尋問は許可するが、くれぐれも丁重にな」
「……畏まりました」
交流を深めるなんてことは綺麗事だし、奴隷と主の立場を考えてもそこに友好関係は生まれない。
彼らから平穏を奪ったのは他でもない、この魔王なのだ。恨みを買うことさえあれど、よもや好意的な印象を得ることはまず不可能だろう。当然、嫌われるより好かれている方が居心地良いなんてことは、所詮は人間的な感覚である。
魔王として思いがけず得たこれほどの忠誠を前に、これ以上に人望を望んだところでたかが知れる。もとより魔王である俺が彼らに同情を覚えていることが既に間違っているのだ。あるいは、魔王として彼らの恨みを一身に授かることが一つの慈愛とも言えようか。
理不尽な奴隷の生活に、魔王を恨むことを生きる糧として彼らに与える。畏怖と絶望を刻まれた魔王への憎悪を、勇者という唯一にして最大の希望を待ち詫びるための拠り所とするしかない。
勇者は必ず、この魔王の元へとたどり着くだろう。その時が訪れ、彼らに人質としての意義を求める瞬間もまた来るはずである。
勇者に縋るだけしか出来ず、彼の者の負担となるその隙を生み出させることこそが彼らの役目。その中でも密にある人物には、人質としての役目以上に勇者の弱点を探るに一役買ってもらうことになる。
俺は魔王。いずれ来る勇者との対峙に向け、我が身を守る手段を講じてきた。
聖剣を狩り、奴隷という建前に人質を取り、前世の感覚が訴える悪意を思うままに働いてきた。もう引き返すことはできない。否、魔王として新たな生を与えられた以上、最初から運命は決められている。
勿論聖剣狩りや奴隷という選択肢は決められた通りの道筋ではないだろう。蹂躙し、侵略する、本来の魔王の姿とはかけ離れている。結局与えられた道筋の上を沿って進んできた俺だが、運命に抗う選択肢は存在したのかもしれない。
だが、この不甲斐なき魔王に弛まぬ忠誠を寄せる彼らの前に、抗うことは出来なかった。この世界に来て初めて得た仲間を裏切ることは出来なかったのだ。あるいは、それもまた運命であるか。
魔王として支配する人間たちと、魔王として得た仲間たち。前世の記憶が前者の存在を誇張している。それでも、今の俺に大切なものは後者なのだ。損得の有無や価値観では決められない意味を、彼ら一人一人が俺の中にある。
勿論この魔王が支配する人間たちに思わないことがないわけではない。人間に感情を移入することが勇者と魔王の因果を崩落させることを知っているからこそ、忠誠の彼らに則り魔王として生きているだけだ。何より、そこに慈悲を見せることは彼らだけではない、他ならぬ当の者たち自身への冒涜にもなる。
勇者を信じる人間たちが、支配者たるこの魔王の慈しみを受け入れられるものか。
やむを得ずしてとは言い難いが、俺もこの身を守るため、配下たちの忠誠を無駄にはしないため、背に腹は変えられず支配するしかない。他の選択肢が存在するというのなら、悪はそれに気づけなかった俺だけだ。
やはりこの魔王が憎悪を集めるのは必然でもある。
ただ、俺はその中で仲間たちを選んだ選択を間違いだとは思いたくなかった。
「……それでは、魔王様は玉座の間にてお待ちいただきますよう」
「待っているぞ」
マルクの深い会釈を見届けて踵を返す。
傍らにて佇んでいたガーネットちゃんに命じ、部屋を後にする。
俺には魔王として魔王の威を示すことしか出来ない。闇雲に力を奮い支配することに抵抗がある以上、忠誠に応える方法は魔王の名を折らぬこと。否、それすらも勇者を恐れる弱さを見せた。それもまた彼らへの信頼を証明する裏付けなのだ。
恥と知りながら彼らに託すだけ。聖剣狩りの時も、此度の奴隷の確保においても、先遣したのは彼らである。甘い汁を啜っているだけのようにしか見えないが、この魔王にしか成し得ないことをしてきたと信じたいものだ。彼らはこの魔王の花道を飾るために先導し、俺もまた彼らの忠誠を信頼しているからこそ、そこに甘えられる。甘えてしまう。
だが、それもまた彼らにとって名誉であるなら、俺は彼らを信じるだけだ。
俺自身が選択した道を信じることが、何よりも忠誠への報いなのだ。
ガーネットちゃんには手間を取らせてしまったようだが、これだけのために転移の魔法で往復して、独特の浮遊感の後に彼女は言う。
「……以前も申し上げましたが、魔王様の力を持ってすれば勇者など恐れる必要はないでしょう。図々しいようですが、勿論私も常に傍らにと寄り添い魔王様の身をお守りいたします。その上で万全を期す世才を私共も見習わなければなりません」
過敏に慎重になっているだけの俺の不甲斐なさを、才覚だと彼女は称えた。
尚のこと不甲斐ないような、だが、自分を信じることで忠誠に報いる方法を俺はもう知っている。
「……我はただ、臆病なだけだとも」
「いいえ、魔王様は、魔王様ご自身が一番良くそのお力をご存じでいらっしゃいます。私共には決して底を図り知れない強大なお力。よもや不要な用心ではないかなどという戯言は致しません。全てを踏まえ、必ずや彼の者の首を討ち取るよう全霊を持って助力いたします。改めて過去の失言をお許しいただけますか?」
「当然だとも。我が勇者に対し慎重になっているよう、其方もまたこの魔王と共に思慮に励んだだけ。称えさえすれ、咎めることは断じてない」
「……寛大なお心と知りながら、無粋なことをお尋ねした無礼もまたここにお詫びいたします。そして是非、必ずや勇者の首を討ち取ると誓っていただけますでしょうか?」
いずれ来る勇者との対峙。それは恐らく、どちらかの死を持って決着となることだろう。
ゲームや漫画では魔王の首が討ち取られることでハッピーエンドになる方が多い。だが俺は死にたくはない。誰だってそうだ。それは魔王だからだとか、正義と悪の境は関係ない等しく持つ生命への欲求である。小動物でも必死に生きているように、俺は再び得たこの命を捨てたくなかった。
勇者の首を討ち取る。当然、勇者とて勇者の生きた理由はあるだろう。俺が魔王として生きた時間は短くも、生きたいという理由はいくつも作ってきた。物語の中で彼の者が魔王を狙うよう、この世界でも俺は狙われているのだ。無論絶望の象徴として。
極限の闘諍の中、俺は必ず彼の者の首を討ち取ると誓えるだろうか。当然、そのための選択肢を選んできたはずだ。そこに確信を持てないことは俺の弱さなのか、物語の中で描かれる魔王とは外れた行動をしてきたという気がかりもある。否、それも全て自負の結果なのだと思えるくらいに開き直らなければならないのだ。
だから俺は静かに頷く。
「……誓おう。ガーネット、我は必ず彼の者の首を討つ」
それは誰のためでもない。他ならぬ自分自身のために誓ったのだ。
忠誠の彼らの総意を組んだわけでもなく、ただ自分が選んだ選択肢を信じて頷いた。
聖剣狩りも、奴隷を取ったことも間違いではない。今この魔王が誓った瞬間が訪れる時、真実になるのだ。
「そのお言葉を頂けるだけで私共は本望です。彼の者の首を討ち取った暁には、魔王様のお名前もより一層轟かせることでしょう」
この世界には魔王が存在する。
人々には悪意のままに支配せんとする絶望の象徴として、忌みし恐れられているだろう。その実臆病なだけの姿とは、側近であるガーネットちゃんにさえ本心は知られていない。
当然、勇者の首を討ち取ったその後も、俺の魔王としての人生は続く。平穏を望む人々の中には再び俺の首を狙う者が現れるのかもしれない。魔王という存在の運命なのだ。
これまで勇者の首を討つため万全を期した手段も、俺が死ねば全て無駄になる。忠誠さえも、生きた理由さえも、例えば勇者を討った意味さえも、全て無駄になるのだ。
だから俺は生きたい。
故にそれは、これまで万全の選択肢を選んできた俺の保身の手段に過ぎない。
勇者の首を討ち取った暁に、この魔王に抗う隙さえ与えなければいいだけなのだ。
「――そうだな、世界征服も悪くはない」
いずれ来る勇者との対峙、そしてその後。
この魔王が生き残る未来に、忠誠の彼らが何より望むその瞬間。
勇者やそれに準ずる危惧が消え去れば、俺の望む平穏も訪れるかもしれないなんて、気づけばそんな思いが口に出ていた。
失言だったかと思うも遅く。
深く息を吸い込み瞼を見開いたガーネットちゃんの瞳は、僅かな潤いを携えていた。
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