第13話

 炎が視界にちらつく。

 山に、ぽっかりと穴を開けたように、抉ったように、紅葉の彩りの中に異様な灰色の地面が剥き出しになっている。

 郷愁も何もあったもんじゃない、魔法による自然の摂理を反す行為だ。


 無論、俺はそこに憤りなど感じてはいないし、それ自体俺が命じた行為だ。むしろ賞賛に値する。

 単純にこれほどの能力を持つ者が配下に加わろうという事実は、魔王として心強い限りなのだろう。

 それでも俺は、そこに純粋な喜びを感じることはできなかった。


 彼の者――マルクはそれで命を得た気になっているのだろうか。

 魔力を練った俺の腕がマルクへと向く。


「――ヒッ……! そ、そんな……私は!」


 魔王を前に恐れを為すことは決して臆病とはいえないが、分かりやすい小者の反応というか、マルクという男を表すに都合がいい。

 怯えるマルクを他所に俺は魔力を練り続ける。


 依然魔力の矛先はマルクを覗いた。

 気に障る信仰心も畏怖の前に薄れてしまい、彼の者の脚を貼り付けにする。


「邪魔だ」


 当然ながら魔法の標的がマルクではなく、そこに恐れを示すことは彼の自惚れと言ってもいいだろう。目障りなのは変わりないが、竦んだ足取りでも逃げ惑うだけ聞き分けがいい。

 逃げ出すように這いつくばり、本来魔王の御前に相応しい人間らしさを初めて見せた。貧相な容姿も相まって、マルクという男がより哀れに見える。


 つい先日、この魔王の力の規模を早急に確かめておかなければならないと考えた。

 その時は俺の悪乗りもあって有耶無耶になったが、この場は魔王の力を見せつけるに相応しい。

 あるいは、そのきっかけを作ってくれたとも言えるマルクに感謝を示さなければならないだろうか。約束を叶えてやることに最大限の敬意とし、数度の醜態には目を瞑ってやろう。


 勿論、俺自身が段取りを選んだわけだが、早くも魔王の力を試す機会にありつけたのは運が良かった。

 判然としない力の大きさに、いつまでも自分自身で恐れていていいほど魔王の荷は軽くない。避けたいところではあるが、いずれ来る勇者との対峙に中途半端なままでは命取りになる。それこそ、勇者と対峙でもしない限り力を確かめる機会なんて訪れないと思っていたところ、同時にマルクと魔王の能力を確かめ比較することもできる。

 その上、魔王の力を見せつければ間違っても抵抗の意志を持つことはなくなるだろう。

 更にとは言うまいが、魔法に荒れたこの場所にも、一つばかり後処理を考えていた。


「皆の者見るがいい。ガーネットには先日も言ったか、我は勇者を恐れている。この臆病な魔王の覇道に付いてくるというのなら、この恐れた力を見よ。其方らが付き従うに相応しい魔王の姿を、自らのその目で見極めるのだ」


 この魔王の力も所詮は仮初の力だ。その全力を見せたこともないのでは尚更のこと、今発動しようという力にどれだけの者が付いて来てくれるか。それは恐らく皆全員、自惚れではなく魔王の名が培った忠誠の証である。

 俺がどれだけ不甲斐なかろうと、彼らはこの魔王に付き従う。マルクがその一員に加わろうというのなら、この力を見てどう思うか。ただの恐れを為していては幻滅も甚だしいが。


 魔王の力。

 聖剣の間を切り抜いた程度には収まらない、世界を支配し得る力。

 魔王の器に収まっておきながら忠誠の彼らに申し訳ないが、俺は世界征服なんて望んではいない。生きることに精一杯で、魔王として彼らの期待を無碍にしないことだけで体裁を保とうとしている。

 今だけは魔王として魔王らしく、ここに力を解放する。


 彼らが望む魔王の姿を誇示するために、俺自身がその力を確かめるために。

 マルクの全霊を基として、魔王の力で上書きするのだ。俺がこの肉体から感じる力は、マルクの見せた魔法のそれ程では遥かに足りない。大地を揺らし、天空を裂き、海を割る、そんな想像さえも実現させてしまいそうな内なる力を、俺は紛れも無く感じている。

 彼の者への警戒が端から馬鹿らしいほど、圧倒的な力がこの腕に集うのだ。


 聖剣の間を切り抜いたあの時と同じく、想像の中は甘美な誘惑で絶えない。それでも俺は魔力を練り続け、魔王の全精力を待たんとした。魔王の肉体に備わる全ての魔力がこの腕に集うまで、魔王の本能を溜め込む。

 そして、欲望が暴発してしまう境地に高まった時、俺の内側から魔王の本性が顔を出すのだ。


「刮目せよ。これが其方らの付き従うべき魔王の姿だ」


 淡々と綴る口ぶりの反面、目に映る光景は破壊的に空気を飲み込む。

 豪炎が燃え盛る、倒れた木々が地鳴りを呼ぶ。その程度では比にならない。

 比べさせるまでも烏滸がましい、所詮人間と魔王の差。


 大地が雄叫びを上げ、天空が爆風を呼ぶ。激しい轟音と風圧に包まれながら、俺は自分で放った魔法を呆然と見送った。

 あるいは、聖剣の間を切り抜いたあの瞬間と同じだ。山が消えた。山が消失したのだ。

 見る限りの視界を埋めていた山が、地面から魔法の輪郭だけを残して消え去った。

 魔法で山を消滅させたのだ。


 言葉には表しきれぬ禍々しい波動が、謂わばブラックホールのように、黒い球体となり視界を遮ったかと思えば山を飲み込んだ。

 ブラックホールの余波が気流を孕み、跡形もなく山の木々を吸い込んでいく。魔法を放った我が身でありながら、呆然と立ち尽くしていては飲み込まれてしまいそうな錯覚を見る。ふと我に返った俺は、魔王の力にやはり畏怖を覚えるのだ。

 マルクの魔法が自然の摂理を反すというのなら、あまりにも容易く大地を侵略し得る力。

 大地に刻まれた記憶すらも無残に作り替えるほどの、世界の支配者たる力だ。これほどの力を持っていながら勇者を恐れていた不甲斐なさと、魔王の因果故に恐れることもまた当然だという防衛本能は俺の中で渦巻いている。そしてその中には、確かな高揚感があることも俺は自覚しているのだ。

 それは恐らく、暴力を武器に自分を誇示しようとする若者と等しい。その程度の感情で、魔王の力が奮われようという事実は、前世の庶民的な感覚ながらに恐る限りである。


 ある意味では、この場において最も想像を絶していたのは俺自身だ。

 誰もがその絶大な力に目を見張り、余韻に言葉も出ない中、魔王の立場が何時までも唖然としていることを許してはくれなかった。


「……この力を持って尚彼の者――勇者を恐れることが、其方らの固い忠義の返礼には相応しくないことくらい理解しているとも。それでも我は勇者を恐れている。魔王として然るべく、勇者を恐れることで其方らの忠誠に甘えていたのだ。その忠誠に応えるだけのことを為した覚えもない」


 おもむろに口を開いた俺の声に、魔法へと釘付けにされていた注目が集まる。卑下ばかりのこの魔王を、ガーネットちゃんたちはどう思っていることだろう。頼りないだとか情けないなんて、小心な思いも少なからずあるかもしれない。

 だから彼女が俺の言葉を否定することも知っている。


「魔王様は、そう御自分の身を忌避なさらないでください。聖剣を手に入れ、今もこの素晴らしい御力を証明してくださいました。私供は必ずや魔王様の手足となって、至高の御身に付き従うことを誓います」

「……ああ。その言葉、しかと受け止めたとも」


 彼女、彼らの忠誠は何時でもそうだ。

 常に魔王を中心として、命令に重きを置くことで忠誠を示してくれた。


 この世界に来てから、価値観の違いや経験の浅さなんてことは何度も痛感したものだ。

 価値観は違う。魔王としての経験は浅い。それでも、彼らの忠誠が魔王としての覚悟を与えてくれる。

 彼らの期待に応えられるだけの明確な手段こそないが、この覚悟を見せることが礼儀というものだろう。


「――さて、マルク。この力を垣間見て尚その心が変わらぬというのなら、約束通り、役目を与えよう。どうだね?」

「わ、私は……」


 マルクは息を呑む。

 魔王の力の前に恐れを為したか、答えには迷いが生じた。魔王を前に迷うことを、我が腹心たちはよしとはしないだろう。彼らの手を煩わせずとも、次にマルクが口を開くも早く食い気味に制する。

 威厳を持って、我が腹心の忠誠に敬意を払う。


「彼女らと、我が下臣たちと変わらぬ心があるのなら、答えは一つ以外にありえない。この忠誠の中に割って入ろうという意志がまやかしでは無いのなら、頷くことも容易いはずだ。あるいは、生半可な気構えで踏み込んだのだとしたら、それは忠誠と同時にこの魔王への冒涜でもあるが」


 凛と佇む立ち姿を指し示し、マルク自身にその愚かしさを気づかせた。

 迷いは無用だ。俺が、この魔王が決めたのだから、その心の是を問わずして魔王の下に召し抱える。

 つまるところその体の自由は既に魔王にあるのだ。

 何れにせよ答えは生か死の二極というこの状況、敢えて彼の者が自ら頷くまで待つ。

 頷かせることで自らの意志を理解させる。


「このマルク、魔王様への絶対の忠誠をここに誓います……」

「――ああ。快く、受け入れようとも」


 両の手を広げ、そこに理不尽な蹂躙がないことを証明する。もとより俺に圧政の意図はない。意図はなくとも、俺の言葉をマルクがどういう受け取り方をしたのかはわからないが、今の今でガーネットちゃんたちのような心からの忠誠は難しいだろう。

 目下のところ、彼の役目というのが最も分かりやすく忠誠を培うはずだ。否、その忠誠が信仰のままでも構わないし、魔王の畏怖であっても構わない。実験台と言っては聞こえが悪いが、この場所に来た時から用意していた肩書きを当てはめる。

 やはり実験的な思想は拭いきれないが、魔王としての立場では大層な役職を与えてやることもできないのが本音だった。

 ならばこそ、人間である彼にしかできない役目であれば、皆納得してくれるだろう。


「時にガーネット。淡白なようだが、早速取り掛かっておきたい施策がある。ここに来るときについでに試したいことがあると言ったが、他でもないこのマルクへの役目に準ずる儀だ。構わんな?」

「如何なる命もお申し付けください」

「うむ。魔王の力により空け広がったこの場所で、人間の奴隷を仕込むことでもできないかと思ってな」

「それは……」


 何分、一山ほど消え去った場所だ。土地の広さという意味においては十分だった。

 ガーネットちゃんは土地を見渡し、その規模を改めて確認すると同時に彼の者を視界に映す。

 人間、奴隷、結び付く関係を理解できてない者も既に居ない様子で、当の者も納得を示した。


「確かに。そこで彼の者を、ということですね?」

「理解が早いようで助かる。今後魔王の名が人間共の間に侵攻していく上で、働き手はいくらでも必要なところだからな」


 もっとも、奴隷とは名ばかりに、その実人間との交流を図るべく魔王の体面を用いただけだ。

 この空け広げた土地に奴隷を教育する施設を建て、その管理をマルクへと任ずる。こう言うと生々しいが人間の管理は人間にこそ相応しい。この魔王には遠く、果てしなく劣るがマルクの能力を持ってすれば管理も容易いはずだ。彼と同じく、一任して信仰心を育まれては多少面倒ではあるが、それはそれとして理に適う。そこは俺もまた上手く管理すればいい。

 無論、奴隷とされる側からしてみれば俺は支配者になるのだろう。彼らの怨念を受け止めることもまた魔王として、必要な悪意である。

 可能な限りは所謂奴隷として醜悪な行為は避け、手厚い歓迎を見せたいところだ。

 それも魔王の裁量といった次第か。


「しかし、この者が集った人間と共に反旗を翻すことも想定されます」

「その時にはこの魔王が直々に迎え撃つとも」


 やはり、俺の前世の記憶に生じる人間への意識は甘いのだろうか。

 それも奴隷を持った教育次第とも言えるが。

 俺はこの世界の人間が心優しきことを願い、山すらも消し飛ばしたほどの惨状を指し示した。

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