第12話

 転移の魔法による、その瞬間の浮遊感というものは心地いいような、それでいて背中がむず痒くなるような感覚だった。前世で言うところのエレベーター的な、その中にジェットコースターの爽快感が潜んでいる奇妙な感覚である。

 ガーネットちゃんの魔力に身を預けると、そんな感覚を憶えた後に瞬時に吹きわたる風が俺の肌を撫ぜた。骨の肉体の肌といってもそれこそ感覚的なものであり、肌触りという以上に上手い説明は思いつかない。


 とにかく、骨の体の目を見開くと、そこには生い茂った木々の光景が広がったのである。

 紅葉彩る木々の穏やかなざわめきに、前世への懐かしささえも感じてしまう。無論、そこに郷愁を覚えることが間違っていると知りながらも、本能的に染み入ってくるのだ。


 綺麗なものを綺麗と思える感性は、ある意味前世以上に際立っている。魔王として生きていくことを強いられたからこそ、前世を切り離した意志には素直に響く。それこそ普通に人間を見ることさえ曲折した目には、分かりやすい見目麗しさが響くのだ。

 そんなノスタルジアも含め、紅葉の彩りを眺め渡した。要望に沿った場所を選び出すガーネットちゃんのその手腕に心の中で賞賛を送りつつ、あるいは、聖剣を狩るよりも紅葉を狩ってた方が健全ではないかと呑気なことも考える。聖剣狩りデートよりも紅葉狩りデートの方が個人的には好ましいなんて、あまりに場違いな思考に頭を振るった。


「うむ。正に理想とした、想像通りの場所だ。礼を言おう、ガーネットよ」

「勿体なき御言葉でございます」


 事もあろうか忌み嫌う人間の為に、その手を煩わせた労いは忘れない。魔王の言葉で満足したと言わんばかりに、ガーネットちゃんは紅潮した頬を伏せるよう頭を垂れる。

 そんな言葉に価値はなく、あまつさえその役目はこのまま終りはしない。俺のわがままに付き合わせてしまう後ろめたさは隠せないが、言葉で本望に叶うのならいくらでも口にしてやろう。それもまた自己満足にしかなり得ないことは事実だった。


「其方らもこの魔王の身勝手に付き合わせてしまい、すまないな」


 常に警戒を怠らず見張る彼らにも、同じく自己満足の言葉は忘れなかった。彼らもまたガーネットちゃんに習って意志を同じとばかりに、言葉は不要とし頭を下げることで恐縮を表す。


 俺には勿体ないくらいの優秀な家臣達。中途半端なことしかできないこの魔王に、それでも計り知れない忠誠をくれる。それは魔王という存在への敬意であり、俺という意識へと赴くことはない。忠義を誓う彼らの前に、前世の意識を持ち出すことなど不躾にも程がある。だから俺は魔王の仮面を被るのだ。

 彼らの忠誠を前にして期待に背くことはしたくないと、俺は思っている。思いとは裏腹に、期待に適うだけの事を成した自負は無かった。

 聖剣狩りなんて、もとより俺のわがままが始まりな訳で。身勝手な王に付いてきてくれた彼らが優秀なだけで、美味しいところを持っていっただけの俺が自惚れるのは筋違いである。

 その上で彼らは賛辞を送るのだ。この魔王に盛大な賞賛を、忠誠を。


 この魔王に前世の意識を重ねることなんて、それこそ筋違いなのだろうけれど、一つだけ確かに胸を張って言えることがある。

 前世でぼっちだった俺は、輝かしいこの仲間の存在を誇りに思う。相対的な作用と言えば、そうかもしれない。例えまやかしであろうとも、彼らを誇りに思う意識は本物なのだ。


 魔王の仮面に向けられた忠誠、魔王の仮面の中の誇り。

 魔王として生きる上で当然外すことのできない仮面の幻影だとしても、開き直るつもりで受け入れていればやがて心身ともに本物の意志へと近づくだろうか。今は少なからず戸惑いも否めない忠誠の重み。


 そこに割り込もうという彼の、男の信仰を見据える目は、否応に手厳しくもなる。

 見張りの者へ目配せを送って、男の拘束を外すように命じ語りかけた。


「――さて。これだけ我らの手を煩わせようというのだ。その意味を今一度思い出しておきたまえ」

「……もちろんですとも。自己紹介を遅ればせながらこのマルク、大陸一の魔法の使い手として人間共の間に名を馳せた腕をお見せいたしましょう」

「ほう。マルク、と申す者よ。我が目に適う腕を見せたらば、その暁にはこの魔王直々に役目を与えてやろう」


 男――マルクはガーネットちゃんたちに習ってか、会釈で御意に応じる。

 縛られた腕の感覚を確かめるように、手首を上下に動かした。俺はそんな行動の一挙手一投足にまで目を見張る。当然ガーネットちゃんも、見張りの彼らとて、同じくマルクへの警戒は一切も緩めていないだろう。魔王の圧倒的な力、とはいえ使い方も未熟な俺が見張っているよりは効果が高い。

 守られてばかりは嫌だとか、そんな傲慢なことは思っていないが、魔王だからなんて、俺が彼らを守ろうというのはただの義務感だ。義務で守られるほどの彼らではないと、俺は仲間を信じている。


「ではマルクよ、見せてもらおうか。名を馳せた腕とやらを。この魔王が見極めてやろうというのだ。胸を借りるつもりで存分に力を発揮したまえ」

「それでは、失礼ながら……」


 マルクは魔力を練る。

 一歩、二歩、三歩と引きながらその様子を眺めた。ガーネットちゃんがその身を盾にでもしようというのか、俺の前に半身ほど被さるように警戒を続ける。そういう意味では我が身を心配する必要の無い分、俺自身が誰よりも警戒し、守り、見極めなければならない。

 眼光を尖らせ、彼の者の魔力が集う手先に集中する。

 そこに全力を込め、唸るように息を漏らす彼の掌が山へと、向くのを確認した。


「ご覧ください! これが我が全霊! はああああああああああああっ!」


 不当な扱いに溜め込んだ鬱憤を晴らすかの如く見せつける。

 口上と共に走った閃光は、紅葉彩る山に豪炎を灯した。


 山が唸る。豪炎に折られた木々の地鳴りが、この麓にまで聞こえてくる。

 小高い山の、その半分をも埋め尽くそうかという炎。

 間近に見た強力な魔法はやはり迫力があるものだ。自分が扱ってないからこそ危険性が如実に見える。ひ弱な人間程度なら簡単に命を殺め得る力、彼はその魔法を持ってこの魔王が配下に加わろうという。言うだけのことはあって、実力は認めざるを得ない。


 圧巻だった。

 豪炎の熱気すらもこの身を焼こうという迫力だ。燃え盛る炎が山を包み込む光景というのも、またひとしおに美しい。

 されども、俺は敢えて問う。

 我が信頼する腹心に、その価値を聞き及んだ。


「素晴らしいじゃあないか。実に素晴らしい。ガーネットはどう思うかね?」


 大袈裟な拍手と共に褒め称え、ガーネットちゃんに振る。

 人間へと賛美を贈る嫌悪感を隠そうともせず、しかしこの魔王の賞賛に嵌って口を開いた。


「……吠えるだけはあって、人間にしては上出来かと」


 この場における、マルクという男の生死を握る二人からのお褒めの言葉。ガーネットちゃんがそう言うのなら、この世界に来て日の浅い俺が受けた印象通りでも十分な実力と言えるだろう。これを普通とまで言われていたら困惑するが、どうやら心配は不要らしい。


 彼の者は嬉々として身を乗り出し、ここに来て初めて表情を明るくする。

 生死の天秤が彼にとっての善良に傾いた安堵は、マルクに笑みを生んだ。


「そ、それでしたら……!」


 俺はその笑みを、少しばかり不快に思った。


「――まあ待て。黙れ。図に乗るな。付け上がるなよ。約束通り、役目は与えてやるとも」

「な、なんと……! 申し訳、ございません」

「そうだ。聞き分け良くさえしていれば、だがな」


 図々しくも、我が魔王軍に加わるつもりでいるその態度。勿論、殺してやろうなんて酷なことは思っていない。

 それでも、大切な仲間の中に、ただで入れてやろうとは誠意に欠ける。マルク自身の、そして何より、他ならぬ魔王として魔王自身の誠意が足りない。これだけのたゆまぬ忠誠を一心に授かっていながら、はいそれと余所者に地位をくれてやっては魔王の名に恥ず。

 だからこそ彼の者の笑みは不快に見えた。

 忠誠に裏切る行為こそ、俺自身に何よりも不快なのだ。


 会話の中にあからさまな俺の不快感と訝しげな表情を見兼ねてか、ガーネットちゃんは重い口を開く。


「……魔王様……やはり私は、賛同できません。このガーネット、魔王様の行く末のためにと付いて参りましたが、彼の者の危険性をどうか御理解下さいませ。今尚も、人間である以上、何時反旗を翻すやも知れぬ心労を悩ませる中に、魔王様の御足労は如何にしても見兼ねてしまいます……」

「ああ、すまないガーネット……其方の思いもまた理解した上、もう少しだけ、この魔王の身勝手に付き合ってはくれぬか?」

「魔王様がそう仰るのでしたら、我々は……私は……」


 その沈黙が肯定であるかのように、言葉尻の勢いを弱めていく。

 ガーネットちゃんが、この魔王の家臣たちが、この魔王の行く末に付いてきてくれるというのなら、俺もまた誠意をもって答えなければならない。


 命を乞うように全霊を掛けた彼の者に今度はこの魔王が習い、俺もまた全霊を持って、未だ炎の残る山を見据える。

 少し試したいことがある。


「――其方らは、見ているだけでいい」


 俺の呟き一つに揃って注目を集める中、掌をかざした。

 聖剣の間を切り抜いたあの時と同じく、魔力を練るのだ。


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