第11話

 確かにこの魔王はガーネットちゃん達からしてみれば紛れも無く偉大な存在である。さりとて、そこにあるのは王への忠誠であり、間違っても偉大なる存在を神か何かと違えることはない。

 否、仮に神と同等の扱いとして、そこに向くのはあくまでも忠誠心であることが重要なのだ。

 少なくとも、信仰心ではないことは確かなのである。


 正直ドン引きした内心を魔王然として隠しつつ、改めてその様相を確かめた。

 魔王を前にして恐怖を見せず、興奮して噛み付くほど身を乗り出す様子は、口ぶりからも垣間見える信仰心と形容すべきだろう。忠誠ともまた似て非なる魔王への服従、謂わば宗教じみた厄介事の予感は否めない。

 同じ崇拝者としてガーネットちゃんたちとの最大の違いは、魔王に尽くす腹心である彼女らに対し、魔王に絶対の重きを置きながらそれを我が身のためとする点が大きな差だ。

 つい今しがたこの男が喚き散らしたように、自分の置かれた立場を理解せず謁見しようとする身勝手な思想が、信仰心と形容し得る何よりもの証拠に相応しい。


 前世の記憶が染み付いた質素な思考にはガーネットちゃんたちの忠誠ですら息苦しいところ、信仰とまで来ては若干の不快感を抱いてしまう。魔王になったこの身で自己顕示欲など十分なほど満たされてしまったのだが、その上にあぶれた信仰心には嫌気が差す。

 ガーネットちゃんもまた俺と同じく男の言動に思うところがあったのか、チラと俺の表情を伺うように覗いては口を挟んだ。


「耳障りですね。少し、黙らせましょうか?」


 あるいは、男自身に言い聞かせるように、白々しい口調は不快感を隠そうとはしなかった。

 俺としては、所謂分かりやすい暴力は避けたいところ、目の前で惨劇を見たくはない。


「……いや、構わないとも。人間よ、立場を弁えることくらいはできるだろう?」


 魔王直々の言葉とあっては断ることもできないだろう。

 あくまでも信仰心、男の真意が俺の印象通りであるのなら、この場における魔王の他に君主は居ない。男が大人しくなったのを確認し、それを了承と受け取って見張りに命じた。

 断じて警戒は解かないが、客人に対しての無礼は魔王の魔王としての名が廃る。


「目隠しを外してやれ」

「よろしいのですか?」

「……それで付け上がるようなら命が惜しみないということだろう」


 ガーネットちゃんに習って白々しく、男に語りかけるように綴った。

 この状況で分かりやすい脅しに納得し、見張りは魔王の命に応じる。もとより断る手立てはないのだが、魔王の命に考慮し確認するのも彼らの務め。魔王の意に逆らうことは断じてない。

 男の目隠しに手を掛け、多少乱暴に剥ぎ取ってはまた一歩引き下がる。

 贔屓目無しに男とは違い自らの仕事、立場を良く理解した優秀な臣下だ。もしくは、前世のぼっちだった記憶の限りにこれだけ多くの仲間に囲まれた喜びを錯覚し、それを贔屓目と言うのかもしれない。少なくとも、誰よりもこの魔王自身がその仕事ぶりに満足しているのだから、自惚れでもなくそれに勝る彼らの名誉はないだろう。


 前世で言うところの明順応の作用により、豪奢の限りの尽くされた煌びやかな空間は男の目を細めた。眩む目を徐々に見開く。

 男が俺を魔王と認識するに経た時間はそれほど長くはなかったのだろうが、言葉を取り込むまでの時間は彼の信仰心に比例していた。


「……ほ、本当に、魔王様が、お目覚めになったのですね……?」


 脅しが効いたか、あるいは、崇拝の神を見つけた感動に打ち拉がれたか。

 どちらの意も含めたとして、確かに鬱陶しい節もあるが、何も敬愛を悪い気に捉えることは魔王としての器が問われる。無論変わらぬ警戒の上で、特別な意味も持たぬただの一言を答えてやる。


「ああ。そうとも」


 以上でも以下でもなく、肯定であるという事実を口にしただけだ。男にはそれで十分だった。

 興奮により熱の篭った男の肉体から、力を失ったのが分かる。膝を付きつつも乗り出した身はそのままガックリと落ち伏した。その瞳には若干の涙を携え、この魔王を見る目に純粋な敬意を伝えていた。


 人間という種として、男の信仰は間違いなく逸脱している。

 前世における現代には既に廃れてしまっているが、悪魔やそれに準ずる化身を信じる人々は確かに存在していた。

 この世界で魔王を信仰する、その意味と所以を勘ぐることは俺には理解できない。本来人間にとって魔王とは、忌み嫌う憎悪の対象として君臨する絶対悪としてその存在は知れ渡っているだろう。

 この世界には魔王という存在が紛れも無く実在している。他ならぬ俺自身なのだが、前世のように曖昧な空想上の存在ではなく、大地を侵攻する魔族の王として世界に名を馳せているのだ。


 男が俺に信仰を寄せる理由に一寸ばかりの興味はあるが、魔王としての振る舞いで人間如きに肩入れする行為は許されていない。

 それ自体はさして問題でもないのだが、この状況のまま時間だけを浪費するのも、それこそ魔王として人間如きに無駄に割いてやる時間ほど馬鹿馬鹿しいことはなかった。何分好奇心を満たすには至らないが、簡潔に用件だけを聞き入れるのも興味に含まれていた。

 もっとも、大方の予想も付きはしているのだが。


「して、これで用件を済ませた訳ではなかろう? この際だとも。全て話すがいい」


 魔王の甘い囁き、少々当たりの厳しかった態度から、今ばかりは一転して柔らかい物腰を見せる。

 魔王の御前にと人間という存在が来る理由からして相応の覚悟を持っているのだろうが、これで多少は話しやすくもなるだろう。意気込みに飲まれ空回りすることもない。否、既にその節を見せられた気がしないでもないが、とにかく、今は男の中の思想を引き出すことに優先したのだ。


 この魔王の前に現れた覚悟、信仰心、理由など至る点から結び付く。

 男が意志を決め、息を飲み下すその瞬間まで待ってやった。


「……どうかこの私を、魔王様の配下に御加えください」


 大方の予想通りというか、単純に敵ではないと思った印象が間違っていなかった。

 この場に来ている時点で敵意を感じていればガーネットちゃんも許しはしないだろうし、敵意がないのならそのまま忠誠ないし信仰の裏付けでもある。魔王の前に現れるというのはそういうものだ。

 後ろ手を縛られた貧相な男が仲間になりたそうな目でこちら見ている気分というものは、特別な優越感があるわけでもなく、予想と大きく食い違ってはいないという事実として淡々と受け入れられる。


 だが、俺がそのまま男の言葉を鵜呑みにすることはありえなかった。

 男の敵愾心の云々である以前に、魔王の軍門へと下るに相応しい実力、価値を示してはいない。はいそれと受け入れられる立場ではないと自覚しているからこそ見定めは厳しくなる。そしてそれはガーネットちゃんもまた同じく、むしろ前世の人間としてのしがらみにとらわれた俺の価値観では、我ながら男に対して寛容にも思えた。

 ある種、ガーネットちゃんの下人への厳しさが、俺の人間への手緩さとの均衡が取れいているとも言えるだろう。


「痴れ者め、人間風情に魔王様の御前で物を乞う権利などあると思っているのですか? その上、誇り高き我ら魔王軍の配下に加わりたい、と。魔王様の御目に掛かっただけでも至上の名誉だと理解しなさい」

「しかし! この心は確かに!」

「口で言っても分からないようなら、体に教え込むことも可能なのですよ?」

「ぐ、くっ……」


 一度ばかりは譲れない意志を持って食い下がったが、自分の立場を理解してこそ言葉を飲み込む。

 所詮、人間と魔族、相入れることのない種族の差が無念のみを描いた。理不尽にも見えるが、人間がこの場に居るということが既にその扱いを確立さているのだ。縛られた後ろ手も踏まえた上で、男は自分の立場を受け入れている。受け入れざるを得ないのだ。

 ガーネットちゃんの言葉は厳しいようだが、それ故魔王の囁きは穏やかに響く。

 飴と鞭にしては些か甘美に欠けるか。

 下唇を噛み、俯く頭上に提案を下した。


「その辺でよかろう、ガーネットよ。この者の意志は既に理解した。実に愉快じゃあないか。下等な人間でありながら我が軍に加わりたいというのなら、自らの腕に自信があるのだろう。生かすも殺すも、それを見てからでも遅くないのではないか?」


 生死の是非はあくまでも俺が握っていることを強調し、ガーネットちゃんを納得させる。もとい、魔王の意見を拒むことは端から無く、半ば強引に理解を求めた。


「魔王様が仰るのでしたら、これ以上の私語など必要ありません。魔王様の御慈悲に感謝しなさい」


 果たして慈悲とも言い難き情けだが、引き下がってくれるのなら俺からも理解を示そう。

 ガーネットちゃんは吐くように男に言い捨てては、今一度俺の方へと向き直って疑問を呈した。


「しかし、このような者とは言え、見極めるに解放しようとは危険ではないでしょうか」

「我とて最大限の警戒は怠らんとも。それともこの魔王の用心では不安かね? あるいは、ガーネットはこのような者から我を守ることも出来ぬのか?」

「い、いえ、決してそのようなことは……」

「分かっているさ。信頼しているぞ、ガーネット」

「恐縮の限りでございます」


 こんな遣り取りの前で反旗を翻すことなど想像もできないが、無論口にした通りの用心に惜しむことはない。


「という訳だ人間。庇ってやった手前に、この魔王を失望させるようなことがあらば、分かっているな?」


 念には念を、再び脅しかけてやれば喉が鳴るほど乾いた息を呑む。畏まりましたと、喉の奥から捻り出すように潜めた声には緊張が読み取れた。これだけ頭ごなしに言っていれば大丈夫だろう。


「差し当ってはガーネットよ。この者が力を奮うに相応しい、転移の魔法でここに居る我らを連れていって欲しい場所がある」

「畏まりました。如何なる場所へとも御申し付けください」

「そうだな。魔王の城の直近にある、小高い山の麓へ」

「小高い山、ですか」

「ああ。少しばかり、ついでに試したいことがあってな」


 そうして俺たちは、要望通り小高い山へと転移した。


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