第10話
先の件以来、若干気まずい気がしているのは俺だけだろうか。
ガーネットちゃんをチラと覗いてみても変わった様子はなく、ただ俺の内心が舞い上がっていることだけを浮き彫りにしている。ある意味では、というより、そのままの意味で魔王の全てを受け入れられた。俺が彼女にあんなことやこんなことを求めても拒みはしないだろう。極端に言ってしまえば、死さえも御意のままに受け入れる。
無論、そんな行為が彼女の意志を汲んだことではないと知っているから、下衆な言い方をしても手を出したりはしない。紳士たれと心に決め、魔王であって悪魔の囁きに耳を傾けないのだ。
さもありなん、もとより俺にそんな事をできる度胸はなく、故に彼女いない歴=年齢をだったわけで。歴=年齢という範疇すらも世界と共に通り越して魔王を少々。魔王、とまできたら、もうこれ以上に女性関係における頭打ち状態は無いだろう。
俺はガーネットちゃんのことが好きだ。一目見た時から好きだった。魔王でも人並みに恋する資格はあるだろうか。あったとして、少なくともこの恋路は人並みではない。魔王とその配下、その片思いが魔王側であることなど、ロマンスの神様も穏やかではないだろう。
捉え方によっては相思相愛。されど、そんな思考は彼女の忠誠への冒涜になる。
今でも彼女の横顔を見るだけで胸がキュンとしちゃうのだ。
今は魔王という立場に甘え、こんな状況を続けていくことが互いに幸せである。
そんな魔王と側近の甘い生活。
水を差すような大きな問題が、今回も訪れた。
好きになった人から声を掛けられて嬉しくなっちゃってもいい立場ではないと、改めて認識する。
「魔王様、謁見を望む者が現れたようです」
通せと、平静を取り繕いながら命ずるも、珍しくガーネットちゃんが言葉を濁した。彼女らしからず妙に歯切れも悪く、進言に悩む困惑混じりの表情が浮かんでいた。
通すか通さないかの二択でありながら、そこに迷いが生じるのは通すべきでないという判断が大きいのだろう。さりとて魔王の意志も尊重するからこそ歯切れが悪い。
神妙な面持ちを持って口を差し出す。
「どうした?」
「それが、その、謁見を望む者が人間であると言うのです」
「人間?」
「はい。武装もせず、魔王様に会わせて欲しいとだけ、口にしているようですが……」
「うむ。人間、か……」
人間。
この世界に来てまだ接触したこともない。前世の記憶もあるせいで、魔王でありながら何処か友好な関係を望んでいる。その所為か、存外人間に合うこと自体の抵抗はなかった。しかし、魔王に会いたいなんて要求が普通の人間的であるはずも無く、警戒心は跳ね上がる。
それこそ、勇者という存在さえも、頭の中で影が過ぎるのだ。
とにもかくにも、警戒は一切も解かず彼の者を確認する。勇者本人である可能性は低いのだろうが、斥候か何かと睨むのは必然的である。
俺は一しきり思考に打ち込む素振りを見せて、この世界における人間という存在への好奇心を胸の内に隠そうとはしなかった。
「彼の者は単身、だな?」
「はい。監視を付け、厳重に身柄を拘束しております」
「よかろう。ならば連れてこい」
「畏まりました。それでは招致に参らせていただきます」
そう言ってガーネットちゃんは見慣れた所作で頭を下げ、差し当たり空間を後にした。
武装が無くとも、危険がないとは言い切れない。それでも俺はこの世界の人間という存在が気になり、魔王の立場を持って威光を放つ。たかが人間、この魔王の前に現れようという者が少なくともただならぬ者であるとしても、魔王の最大限の警戒を前に身一つで襲ってくることは無いだろう。
頑として油断はせず、それこそ何時だって臨戦できる状態を保ちながら応じるつもりだ。奢りはない。聖剣に臨んだあの時と同じく、気を引き締めて人間を見下してやればいい。
魔王然とした様相を自分に言い聞かせ、彼の者の登場を待ちわびる。
玉座に頬杖を付き、扉を見据える。かつて、それほど多くの人間が通過したことは無いであろう扉だ。勇者やそれに準ずる彼ら以外、目的を持って通ることは許されない。許されたとて、魔王の興味本位による謁見は未だなかったことだろう。
勇者以外の存在で魔王に臨もうという殊勝な人間。どんな想像も想像の中に消えていく。彼の者が持つ思想、意志、読み解くには先ずお目にかからなければ話にならない。
腕を組み替える度、静けさに響き渡る絹ずれの音にも動じず扉を見据え続けた。
それから数分も経ちはしない。恐らく、魔王を待たせるという行為にガーネットちゃんの意思が働いた結果、彼の者を引きずってでも気を急いたのだろう。俺の方が心の準備というものを遅ればせつつも、扉越しの彼女の声に威厳を持って返事をする。低い声が空間に反響した。
人間の姿を想像し、同時に警戒も怠らず、独りでに開いていく扉の先を覗いて気づかれないように息を飲み下す。魔王の様相の裏腹に緊張した内心は、先ずは我が腹心の登場に落ち着きをみせるのだった。
「魔王様、こちらが件の人間で御座います」
ガーネットちゃんと剣を持った骨の騎士が二体、そして一定の距離を持って間に挟み後ろ手と目を布か何かで縛られた男が一人。俺の目の前にと連れ歩いては半身を翻し、掌を指すように続く者の姿を引き合わす。その姿さえも彼の者との立場の差を際立てているようだった。
年の頃は、決して若くはないだろう。一本すらも残さず禿げ上がった頭が年齢からか自主的なものか、どちらかというと後者的な印象も大きい痩せ細った男だ。みすぼらしい衣服を身に纏い、それが男という存在をより貧相に見せている。
半開きになった口が戦慄に走り、言葉を発しようと息を吸う度に過剰な空気を取り込んでいた。
魔王を前に、目隠しさえも超えた威圧感を覚えたのだろうか。
少なくとも俺は魔王の立場として、膨大な殺気を隠そうとはしなかった。
「人間よ。この魔王に、会いたいと申したようだな?」
「……っ!?」
当然、この状況であって警戒は解かないまま声を掛ける。視界の暗さ故の恐怖からか、俺の声に怯えて膝から崩れ落ちるのだ。身震いする姿は小動物さながら脆弱に見えた。
彼が何故の目的でここに来たのか知りもしないが、一つだけ分かったのは斯くも弱き人間の姿である。
期待外れ、と形容するには魔王であって相応しくない。その上で幻滅するに充分なほど彼は無力だ。拘束を施した無力化の前提以前に、彼のひ弱さはその容姿の端々に垣間見える。この魔王に人間としての尊厳を報いてやろうなどという気概は感じられず、無抵抗に身震いするばかり。拘束も目隠しも、受け入れるべくして受け入れているのだ。逆らうという意志に欠けた人間性の希薄さに、元人間として是非を問いたい。
期待外れというか、見当違いと言うべきか、されど警戒は怠らずにその様子を見守り続けた。
何時しか勇者という仇敵の影を頭の片隅に追いやった頃、男は漸く呼吸の拍子を合わせて口を動かすのだった。
「……ま、魔王様が……そこに、いらっしゃるのですね……?」
何処か違和感を覚える謙った言葉端、目隠しで視界は奪われているにも関わらず一点でこの魔王を見つめてくる。何となく、非常に薄く、この男の目的とやらが点になって見えた気がする。悟るや否や、悟るも遅く言葉尻の勢いは加速した。
「どうか、どうかどうか……! どうかこの私にその高貴なる御身をお見せくださいませえ! 魔王さまああ!」
ガーネットちゃんや、男の背後から見張る彼らの忠誠ともまた違う、偉大なる存在への信仰がそこにある。
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