第9話

 よくあるロープレのラスボス面に最強武器があるのはこういう理由ではなかろうか。

 何らかの理由によりちゃっかりと持ち帰ってしまった聖剣の保管場所に困った結果、魔王の城の一角に厳重に格納しておくのはやむを得ない。元は俺の軽はずみな発言だったが割と理に叶っている気がする。今回の場合も例に漏れず前述の通りであり、正につい今しがた魔王の城の地下深くに保管を終えたそうだ。

 ガーネットちゃんの報告を聞いた俺は威厳を保って、うむとだけ喉を鳴らした。


 とにもかくにも、聖剣に関してはこれにて一段落。

 魔王の力に目覚めるという、デートの副産物にしては余りにも大きなインセンティブもありながら、以来浮き足立つ内心を落ち着かせる手段を俺は模索し続けている。聖剣を聖剣の間ごと持ち帰る程の力がこの肉体に宿る事実は、自分自身への畏怖と胸騒ぎが収まらない。それは恐らく、自分でさえ測定できない力の膨大さが、どこまでの規模を誇るのか判然としてくれないからなのだろう。

 ともすれば、早急に確かめておくのも目に付く課題なのだが、如何せん方法にあぐねてしまうのだ。

 おいそれと魔王の力を解放する場面など、それこそ勇者の下へでも出向かなければ遭遇し得ない。

 聖剣を奪ったとはいえ万が一にも痛いのは御免だ。魔王でありながら腐った性根も、自分の力を過信しない慎重さといったら聞こえはいいかもしれない。もとより慎重さ故の聖剣狩りなわけで、何の道にも外堀から埋めていくのが俺の本質的に合っていた。


 今は敢えて魔王であることを忘れ、魔王であることを確かめるべきだ。何事も謙った観点をすれば広く物事を捉えられるだろう。魔王の奢りを捨て、されど魔王の立場に甘えつつ声を張る。

 ガーネットちゃんは相も変わらず忠義の旗本に、突然のお召にも丁寧な所作を崩さない。


「ガーネット。一つ、問うても良いか?」

「魔王様の御声とあらば、何時如何なる時にでも」


 そう言っては、微笑みを携えて頭を垂れる。

 無論、そんな返答だと端から知っていたし、期待していた。

 魔王の側近として常に傍らに付き添い、助言や補佐に務めるガーネットちゃん。魔王の目覚め、俺がこの世界に来てからの短い期間で、誰よりも厚い忠誠を示したのは他でもなく彼女である。忠誠に則った礼儀と作法は全てが丁寧で、時に配下の者への厳しい姿勢は崇拝故に過剰な振る舞いになることもある。今現在においてもある意味期待以上の反応を示し、魔王へのたゆみない敬服を表したのだ。


 偉大なる者への畏れと、尊敬。何時如何なる時にも変わらず崇める。

 だからこそ疑問に思うのは、その忠義の価値だった。当然俺自身になんて忠義を受け入れるほどに値しなくとも、この魔王に魔王としての意義は納得できる。それは魔王の名が馳せた価値、魔王という存在に向けられた忠誠であり、彼女彼らが崇めるのがこの魔王というだけの事実だ。以上でも以下でもなく、事実として忠誠を受け入れられるのだ。

 忠義の価値とは、魔王の存在感とは、如何程なものか。

 ガーネットちゃんにとっての魔王とは、どこまで崇高に見えているのか。

 不遜なこの魔王が、今一度改めて問う。魔王として魔王であることを確かめるのだ。


「聖剣を狩り、配下の者共の期待の中、今ここに魔王が目覚めた。永き眠りから遂に解放された。聖剣を、聖剣の間も関わらず無差別に奪った力、久方振りに解放した魔力は実に快感だったとも。直に勇者も我が存在に感付くことだろう。勇者と魔王の因果とはそういうものだ。だからこそ聖剣をこの手中に収めた」


 手振りを加え、ガーネットちゃんの相槌に心地よく舌を回す。

 聖剣を握るように空虚を掴み、聖剣の、その先に彼の者の存在を思い浮かべる。


「ガーネットよ……我は勇者を、彼の者の存在を恐れているのかも知れん……否、恐れているのだ」


 虚しく、手中にない幻想を描いて握る拳。

 勇者と魔王の因果に、魔王である以上常にこの命が誰かに狙われているのだ。勇者に関わらずとも、魔王の存在を恨む者は必ず居る。その殆どが力を持たぬ平民であり、勇者に希望を寄せているのだろう。

 勇者が人々の希望の象徴として、対照的に魔王が絶望の象徴である。魔王が魔王である限りそれを覆す手段はない。

 俺は魔王だ。魔王だから勇者の存在を危惧する。

 魔王然とした骨の拳を、華奢な掌が包み込むのだ。


「恐れる必要はございません。魔王様の御力の前に平伏さぬ者など存在しないのです。それでも忌々しき勇者の存在がお目に適うというのなら、畏れ多くも不肖ガーネット、この身を賭してでも必ずや魔王様をお守り致します」


 そう言ってくれるだけでも相当心強い。

 無意識の内で無駄に力の入った拳が、ゆっくりと解けていくのが分かる。

 だが、そんな言葉で感動していては駄目だ。俺は魔王だから、威厳を保って答えなければならない。


「……ああ。ガーネットならば、そう言うと分かっていた。だからこそ敢えてその忠義を聞きたい。永き封印から起き伏しのこの魔王、最も緊密なその忠誠を確かめなければならない」

「この忠誠を、でございますか」

「そうだ」


 ガーネットちゃんは気品良く胸に手を当て自らを問う。無論、この魔王の疑念に本人の心当たりは無いだろう。

 口先では何とでもとは、彼女の忠誠を知っているからこそ言うまいが、矛盾した思考と言動はこの際気にしている余地ではない。あくまでも確認であり、彼女の忠誠を疑うような内心ではないのだ。自分でも裏切るような行為に見えて、確かに心が咎められる。


「では先んじて、たゆみない忠誠をここに誓いましょう。しかしながら、私も言葉だけで魔王様の信頼に適うとは自惚れてなどいません」

「分かっているじゃあないか。この魔王の意向を素早く忠実に捉えるその手腕には我も敬服を示そう。さりとて、先見通り目に見える形がなければ信用には足り得ないとも。我が敬愛する腹心よ、其方はどんな形を見せてくれる?」

「魔王様のお望みであらば何時如何なる時とて、如何なる命令にもお応え致します。されども、故に魔王様の御望み以外に出過ぎた真似は為せません。是非とも、お申し付けいただければと」


 それは確かに、忠誠心があればこそ主君の命令に反する行為は控えたいだろう。ガーネットちゃんの事前の心構えは仕上がっていた。

 王として彼女の心情に応える義務がある。だが、それこそ俺としては何でもよかった。こんな一声で、それでは勇者の首を取って参りましょうと言われても困りはするが、そのくらいの行動力でもあれば素直に納得して引き止める。

 逆に言えば何でもすると、暗に服従を誓われて、急に手放しの差配を返され多少口をあぐねた。

 結果、俺の口から出た問い合わせは極端になってしまう。


「死ね、とでも指図を下せば従うのか?」


 少々の間を経て、ガーネットちゃんは応える。

 死そのものの侘しさと、敬愛する魔王の命令との葛藤があったのだろう。


「……無論で御座います。魔王様がこのガーネットを不要と感じた暁には、心より受け入れましょう。その時が訪れるまでは常に自分を磨き、魔王様の傍に御使え致します」


 ああとだけ、俺は放心気味に頷いた。否、この魔王の言葉の意味を汲み取ろうとするガーネットちゃんの癖というか、そんな意志が先行して自らを苛めているのだ。

 結果的に極端になっただけの俺の見定めを、物悲しさも表情になく受け入れる。本心から思っているからこそ表情に変化はなく、淡々と言葉を綴るのである。


 気づけば俺の思い上がりだけが胸に残って、彼女の意志を汲み取ろうとしない慢心が生まれていた。

 そこまでの答えを求めていなかったなんてことは慢心以外の何者でもなく、あるいは、そんな答えだからこそ安心して忠誠を感じている。だが、その上で心を鬼にして、魔王にしてでも確かめなければならない。


「ならば死んでもらおうと、ここで言ったらどうする」

「……せめて。せめて、魔王様の御力で逝けるのなら、それ以上の心残りなど御座いません」


 これ以上、口先での確認をしておくこともないだろう。

 俺の言葉であれば、彼女は死さえも受け入れる。


 後は目に見えた形、忠誠の証が必要だ。

 俺は魔力を練って、命令を下した。


「少し手を貸すがいい」

「……? こ、これで宜しいでしょうか?」


 ガーネットちゃんは戸惑いつつも、俺の言葉を素直に従い手を差し出す。先の件もあってか、若干怖々としていた。俺は多少強引に手を取り引き寄せた。

 有無を言わさず漆黒のドレスグローブを剥ぎ取ると、対極なほど白い肌が露になる。息を吐くような細い声も耳に入れず、俺はその華奢な手の甲を撫で上げるように包み込んだ。

 魔王様と、ほとばしる熱に官能的な声を漏らすガーネットちゃん。俺に差し出してない方の手で口元を抑え、勝手に漏れていく吐息を堪えようとしていた。しかし、心地いい苦痛に歪めた表情は甘美に変わり、俺を拒もうとはしない。無論、魔王の営みを彼女が拒むはずがなかった。


 やがて、やけに艶っぽくなってしまった情事を終え、手を放す。

 手の甲に刻まれた証を眺め、ガーネットちゃんは呟いた。


「こ、この紋章は、まさかとは思いますが魔王様……?」

「そうとも。その紋章は謂わば呪いだ。多少なりとて我が覇道に反する行為があればその身を苦しめる。とはいえ、その程度の呪いはガーネットなら簡単に引き剥せるだろう。この魔王が傍らに仕えると言うのなら、その紋章が忠誠の証である」

「ま、魔王様も、このガーネットを受け入れてくださるのですね……有難き、有難き幸せでございます……!」


 手の甲に刻まれた紋章を抱きかかえるように、胸の前で包み込み身を縮こませる。

 そうは言っても呪いだし、何か有難がられると話も拗れてくるのだが、感動で震わせた声が何よりも魔王への敬愛に相応しい。


 魔王の全てを受け入れ、魔王を受け入れることが至上の幸福。

 ああと、俺は納得した。ガーネットちゃんなら俺の言葉を全て受け入れる。あるいは、その忠誠に疑心を向ける行為自体が無粋な愚問だったのだ。呪いさえも忠誠の証、苦痛さえも戒めとして受け入れるのだろう。


 本来不遇の仕打ちを施したにも関わらず、こうも喜ばれると調子が狂う。

 何処か嗜虐的なサムシングを刺激されるような、良からぬ性癖にでも目覚めてしまいそうな愛おしさが芽生えてくるのだ。もとより、よくよく考えれば惚れた相手が絶対的な服従を誓うというこの構図も、前世の記憶には逆立ちしようとも思いつかない。

 代わりにあんなことやこんなことも思いついてしまう頭の中を、理性のたがを保つために嘯くことで誤魔化した。

 むしろ本能が隠しきれていないというのは内緒だ。


「最後にもう一つだけ、その忠誠に問おう。そうだな、例えば、魔王の責務の末に、この身の収まりがつかぬこともあるだろう。この魔王が傷心の時、そなたの奉仕の手はあるのか?」


 我ながら下衆なことを口走っているような気がしないでもない。

 ガーネットちゃんは恥ずかしげに身を翻して、含みを持たせながら魔王の言葉に答えた。


「……魔王様が覇道を完遂した暁には、自ずと後継者、御子息という案件も見えてくるでしょう。その時が訪れるのなら、このガーネットもまた精一杯お相手致します……」


 あくまでも義務的な答えと頭では理解していながら、正直理性が吹っ飛びかけた。

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