第8話

 傍らの彼らは戸惑い、同時に表情を緩和する。何よりも忠誠を誓う魔王の言葉に、彼らが歓喜しないはずがない。だがやはり、諦念が強く残ることで戸惑いを生むのだ。今彼らの目の前に手持ち無沙汰で佇む魔王の姿は、魔王と云えど聖剣を手にする難しさを物語っている。

 この魔王の言葉に絶対の忠信を誓い、逸早くその意義を氷解するガーネットちゃんでさえ狼狽えて見せていては、彼らの困惑もやむを得ないのだろう。ガーネットちゃんこそ、部屋の中で誰よりも近く聖剣の前に無力を味わったのだからむしろ困惑が大きいのかもしれない。


 無論、魔王が出向かずとも聖剣を入手することが最もスマートではある。

 魔王が出向き、台座から引き抜ければ問題はなかった。

 故に、これは泥沼の最後の手段である。


「何を、なされるのですか……?」


 ガーネットちゃんの言葉を差し置いて、魔力を練った。この世界に来てから初めて自らの手で魔力を練る。ガーネットちゃんの魔王への信頼に言葉は不要だ。否、見ていれば分かる。

 とめどない力を感じる。膨大な力がかざした掌に集まってくるのだ。全身から集い、仰々しくも湧き出そうとしている。俺は聖剣の存在を想像した。この魔王の手に宿した姿ではない。聖剣自体の、台座に佇む猛々しい姿だ。

 ガーネットちゃんが恐る恐る一歩づつ引き下がっていくのを確認し、扉を見据える。

 その先の、聖剣の姿を極め込む。


 聖剣は抜けない。

 ならば抜かずとも良い。

 魔王の手に宿す資格がないのなら、嫌がらせほどの意味に、俺は全力を注ぐ。


 聖剣が台座を離れないのなら、台座ごと、引き剥がすまで。

 世界から切り取られた神殿、聖剣の間。文字通り、この魔王の手で切り取る。

 底知れぬ魔力の感覚が分かる。当然使ったことも無いはずの魔法という存在を、本能で理解する。

 魔法とはこうして使うものか、聖剣の間を俺の魔力が包み込んでいくのが分かった。

 聖剣のそれ自体ではなく、聖剣の収まる台座ごと、空間ごと徹頭徹尾全てを包んだ。

 有無を言わさず破壊的に、されど繊細に魔力が展開していく。


 魔王の力、この魔法があれば聖剣を引き抜くよりも容易いこと。否、不可能と比べるまでもなく、この魔王が聖剣を持ち帰る手段の唯一にして最も分かりやすい方法。

 本来勇者の手元に収まるべき聖剣、この魔王に引き抜く資格がないのなら、資格がなくとも空間ごと切り取るほどの力が魔王にはある。

 目的は聖剣のそれ自体ではない。勇者の手元に渡ることさえなければ作戦に支障はない。

 聖剣が魔の力を受け付けないのは分かる。ともすれば、それ自体の破壊は見込めないだろう。

 それすらも関係の無い方法がここにあるのだ。


 魔王の魔力を直に感じ、背中から聞こえてくる感服の声。

 口々にその感動を携え、解放される瞬間を待ちわびていた。

 そんなことが可能なのかと、自らの目を、耳を疑う声すらも関係ない。

 それでも魔王様ならと、絶対の忠誠と敬服の声はガーネットちゃんだろうか。

 彼らの期待にはこの圧倒的な魔法で応える。


 集中すればするほど凄絶に高まっていく魔力の感覚を心地よくこの身に覚え、解放する瞬間を想像するだけでも快感が走った。官能が疼く甘美の瞬間、誰よりも、何よりも俺自身が望んでいる。甘すぎる誘惑、扉越しの聖剣の存在感が艶やかにすら見え、自我を失いそうな感覚に何とか踏み耐える。

 この魔王の甘美に酔う、ガーネットちゃんの蕩けてしまいそうな甘ったるい声が聞こえた。俺の魔力が触発され更に勢いを増していった。

 俺は本能で理解する。この魔力を解放すれば、俺は俺で無くなる。魔王として魔王然とし、彼らが本当に望む姿になるのだろう。

 それならそれで構わない。聖剣の存在感の前に引き下がる手段こそ難しい。


 やがて、絶頂を迎える魔力にかざした掌から熱を感じた。

 魔王として、抑制しきれない魔力が暴発しようとしているのだ。如何とも、力加減が難しいものだ。

 慣れない魔法という存在を、されどこの肉体に古来から悠久の時に染み付いた魔力が使用法を教えてくれる。前世の記憶を魔王の本能が抑え込んでいく。俺の中で魔王が目覚める感覚が覚醒していく。

 俺はこの魔王の力に自ら溺れる。


「これが魔王の力、か……」


 魔の力が天井も壁もなく引き裂いていく、轟音の中で俺は呟いた。壁が削れていく。地面が無くなる。自分の力ながらに、圧倒的で壮観な魔法が神殿を切り離していく迫力に呆気取られた。舞い戻る爆風が俺のローブを揺らし、講堂を吹き荒らしていく。

 神殿が揺れ、肉体が震え、感服を表すのが背中の彼らか、俺自身か。さながら、神殿が共鳴してくれているようにも思える。だが、違う。

 俺にはそこに感動という素直な感情はない。

 背中から徐々に聞こえてくる感嘆の声とは違い、畏怖すらも覚えていた。


 純粋に自分自身の力の大きさに恐れていた。想像の中で快感に溺れようとした自分が怖かったのだ。

 聖剣の間の形だけがそのまま残った、聖剣の間だけが切り離された神殿の脆弱さ。否、本来破壊されることを想定されていないであろう、神々の手によって生み出された建造物すらも容易く切り取る。

 魔王の凄絶な力を、使った上で初めて理解した。簡単に、余りにも容易く人を殺めるほどの力。世界を支配し得る力。魔王の魔王たる所以。


 聖剣の間だけを残した、空虚にかざした腕が震える。

 取れた。取れてしまった。人形の頭を取るほど容易く取れたのだ。無論、全ては作戦の遂行のために。しかし、想像を絶して簡単に。ここに来て漸く悟る。この世界に来た最初から常に付き纏った魔王の名、俺は魔王であることを遂に悟った。魔王の力に教えられた。

 震える腕は抑えようとも止まらない。俺自身の力に恐れているのだ。だがしかし、畏怖の中にもある確かな高揚と快感も誤魔化しきれず、それがまた恐ろしかった。

 血を見たくないなんて、所詮はエゴによる作戦が、その煮え切らない意味も大きく変わってしまう。魔王が力を奮う時、それは王たる者として配下の手前に馬鹿らしくはあってはならないが、この快感を忘れることにも難いジレンマがある。節制でどうにかなれば悩みはしないが、こと魔王の豪奢、支配と征服の誘惑を前に世の全てを手に入れることも容易い。

 魔の王に君臨する者としての自律が難しくとも、魔力を解放したことで煩悩が払われたように脱力した今ならば、冷静な判断ができた。

 抉りとった壁や地面から宙に浮いたままの聖剣の間を魔法で維持し、踵を返す。


「喝采せよ! 聖剣は我が手の中に!」

「さすがです魔王様! さあ皆の者、今ここに勝利の雄叫びを刻み込むのです!」


 まずは感嘆の声を漏らすばかりの彼らに威令を下す。ガーネットちゃんがいち早くに崇め、その傍に居ることを許された側近の距離に駆け寄り、興奮冷めやらぬ様子で両の手を大袈裟に開いて唱えて見せた。続いて野太い咆哮が神殿中に響き渡る。入り組んだ構造に咆哮が重なっていき、反響を繰り返して飲み込んでいった。

 聖剣の間を、聖剣を背中に、勝利を意味する咆哮が神殿を駆け巡り俺を襲うのだ。酔いしれた音響が心地よく耳に残り、圧力が肉体を震わせる。


 一度は失敗を呑み、魔王の力に縋った作戦。

 猛る彼らの失望と希望を味わい、その中に紛れもなく大きな期待を見た。

 魔王として魔王たる振る舞いは未だ足り得ない。だが間違いなく、俺の背負う魔王の名を教えられたのだ。

 その瞬間、神殿は確かに震えていた。


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