第6話
「――さて、ここまで来らば、もうわかるだろう?」
目の前には、扉がある。
圧倒されてしまいそうな、壁とも見紛う堅牢な扉だ。
あるいは、魔王の居城に乗り込む勇者の眺めに似ているのかもしれない。
魔王が座する、玉座の間を外から臨む、勇者の眺め。威圧的な雰囲気は勝るとも劣らない。
聖剣の間へと開く扉が、俺を見下ろしていた。
「……ええ、確かに」
扉越しに伝わる。この、息苦しさの要因。それは魔族にしか分からない、故に、本来魔族の立ち入るべきでないと、物々しく告げてくるのだ。魔族であるからこそ近づくことを拒んできた。目の前に軍勢が進行したのは、俺の一言の所為である。
魔王として、最も平和的な勇者への対処策だ。否、根本的な解決にはなっていないが、俺が血を見ずに取れる唯一の手段だった。
俺の言葉に巻き込まれた彼らが俺を恨んでないことを祈りつつ、そして忠誠に誓う彼らが恨むことはないと知りながら、ついにこの魔王自ら出向いた。
傍らの彼女は苦しそうに、もとい、忌々しげに認めている。
聖剣の気配。聖剣の存在感。我らが魔族の天敵、聖剣の成す不快感。
扉越しにでも十分に、今すぐ立ち去れと、聞こえてきそうな気さえする。
それでも俺は、一歩たりとも引くことはなかった。
「その様子では、引き下がってしまった彼の者どものことも馬鹿にできんぞ」
「いえ、これしきのこと。もとより、私は魔王様の命を背いた彼の者に制裁を下したまでです」
忌々しいのは、他でもなく勇者の手元に収まった聖剣の姿。
ガーネットちゃんはそれを想像してしまった上で、今一度涼しい表情を取り戻す。その人形のように整った顔立ちにはきつい表情が画になる分、俺は聖剣よりもガーネットちゃんの方が若干怖かった。魔族然とした一面を見たような、そんなことは頭の片隅に置き、忘れてしまうべく嘯いてみせるのだ。
「さすがはこの魔王の側近である」
少なからず、この息苦しさに曝された苦しみはあるのだろう。平静を保とうとする中に見抜く、弱みというか、ガーネットちゃんでも苦しそうにするのかなんて、純粋に思う。先ほど道半ば、素直に慰めなかっただけに皮肉を込めて褒めて遣わす。
好きな娘を苛めてしまう深層心理のようなものだ。
内心では僅かな息苦しさを隠しながら自ら叱咤した彼らへの面目を保つため、その上で至って冷静を装うとするギャップが可愛いじゃないか。
「魔王様は、ご無事なので?」
「ここまで道を開いてくれた家臣たちの期待する目の前で、引き下がることはできんだろう?」
その言葉を待っていたかのように、薄い微笑みを乗せてガーネットちゃんは言う。
先程の表情よりは遥かに似合っていた。
「さすが魔王様でございます」
そのまま言葉を返される虚しい魔王がここに居る。俺である。
否、俺が虚しさを感じなければ負けにはならない。何の勝負かは知らないが。
そんなこんなで、魔王と聖剣がついぞ謁見する。
決して相容れぬ、勇者と魔王の関係にも相応しい、この場に立ち聖剣の存在感が増したようにも感じた。
この魔王の行く先に立ちはだかる、本来勇者の手元に収まるべき伝説の聖剣。
こと俺とて、物語の主人公である勇者の存在に憧れていた時期がある。それは所詮儚き夢でもあり、全世界の男児が彼らに憧れるだけの理由に等しい。女児がお姫様に憧れたよう、幼き頃に妄想を拗らせた以来の憧憬に過ぎない。この肉体になったからには、忌みすべき対象である。だが、俺には彼らへの恨みが一切もなかった。幼き頃の妄想もあるやもしれぬが、少なくとも俺は会ったこともない存在を忌み嫌うほど卑屈な人間ではない。
否、魔王、故に、されど、人間であったが故に、勇者への偏見がこんな半端な形を取らせたのだろう。
幼き頃の憧憬、魔王として、入り乱れる複雑な偏見は今もここにある。
幼き頃の憧憬なんて忘れてしまったし、魔王として世界征服を望んでいるわけでもない。だからこそ余計に複雑なのだ。忘れてしまった記憶に縋るよりも、魔王として成すべき覇道を見つけるべきなのだろう。今も我が身の可愛さに勇者の力を妨害するなら、魔王としての責任を覚えなければならなかった。
ガーネットちゃんや配下たちのように魔王を慕う者が居る。勇者のように魔王を恨むものが居る。
彼らの理想に等しく叶えるための手段はないのだ。ならば、今この身のあり方を考え、準ずるべきだ。
あるいは、勇者が魔王の座する玉座の間へと続く扉を押し開く瞬間にも錯覚する、威圧的な景色。
傍らに佇んでいた彼らは今一度その勤めを果たすべく、魔王の前に顔を出す。
「お待ちしておりました、魔王閣下!」
うむと、俺は威厳を保ちながら喉を鳴らす。
先頭の発言者に合わせ、統率の取れた動きで付いてくる。
行けるなと、目で確認するようにガーネットちゃんを見た。ガーネットちゃんはそれに気づき、薄い微笑みを携えながら目を伏せることで肯定するのだ。
目を合わせた時の上目遣いの破壊力たるや、今ばかりは魔王の威厳を下に胸にしまおう。
「早速で悪いが、中の様子を知りたい」
「聖剣の間は、中央の台座に突き立てられた聖剣のみであります」
「よし。開けるのだ」
「はっ!」
掛け声は彼を含む数人。
重厚な扉だが、開くには十分だった。魔王の腕だけでも押し開くことは可能なのだろうが、何も彼らの仕事を奪ってやる必要はない。この扉越しにも息苦しくなる瘴気に耐えながら、この魔王の登場を待ち詫びていたのだ。
扉が彼らの手により悠然と開放していくたびに、轟音を喚き散らす。扉自体の質量に底が床を擦り、耳に不愉快な古びた物音と砂埃を立ち上げていた。
未だ立ち上がる埃が、あるいは聖剣の及ぼす瘴気であるか、判断も収まりも付かぬうち、その輝きに目を奪われる。
重厚な扉の割に、正しく台座に収まる唯一の影。唯一であるが故に、その価値を意味付けている。
姿を見せる聖剣。
やがて霧を払うように、爛々と輝きを見せつけてくるのだ。
直接肌に触れたことで増す息苦しさを忘れさせてしまうほど、神聖なる完美に素直に見蕩れた。
「……貴様らは下がっても良いぞ。辛かろう」
さりとて、魔王として言葉を失うわけにもいかず、思い出したように指示を返す。
肌に触る息苦しさをその身に直接受け、足取りすらもよろめく彼らを労った。確かに、この魔王ですら顔をしかめてしまうくらいには煩いを覚える。魔の王たる俺が脚を踏み出すことも躊躇いたくなるのなら、傍らの彼らはそれだけ耐え難いのだろう。その上守護獣との戦闘を終えたばかりの身を、労うのは王たる者の役目だ。
彼らは言葉に甘えて、そうさせていただきますと、苦しそうに頭を下げて身を引いた。
ガーネットちゃんは、今ばかりは寛大な心を褒めてはくれないようだ。
「大丈夫だな、ガーネット」
「魔王様の行先ならば、どこまでもお供いたします」
ガーネットちゃんもまた、常に優雅に佇むその表情を苦痛に変える。
俺たちはもう後戻りできない。
俺たちだけは、引き下がるわけにはいかないのだ。
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