第5話

 神殿の中、守護獣は部隊に狩り尽くされ、静かな講堂を二人で歩く。

 こうしているとデートみたいだ。聖剣狩りデート。未だかつて聞いたこともない。

 狩る対象が紅葉か苺、あるいは、絶世の美女を連れ添う俺が普通の人間の姿なら、多少は画になっただろうか。


「ここが二人だけの世界なら、さながら我々は恋人同士のようにも見えると思わんかね」

「そ、そんな、恋人同士だなんて、勿体なき御言葉でございます……」


 珍しく慌てふためくガーネットちゃん。まあ、急に魔王からこんなことを言われては戸惑うだろう。


「そう、か。あ、いや、すまない。忘れてくれ」


 俺も間髪いれずに訂正する。

 時と場合によってはセクハラだし、ガーネットちゃんの赤面が愛おしく見えてしまうのは、きっと犯罪者的な思考である。あくまでも魔王だから許されているのだ。小さく肩を竦めてしまうほど、よほど拒まれている様子。こちらを見ようともせず身悶えして、「真でなくとも感激の至でございます」なんて、お世辞に等しい言葉まで言わせてしまった。声が震えているのが何よりもの証拠だ。「忘れることなど出来ません」とは、こうしてトラウマが生まれるのか。忠誠は間違っても愛情ではないことを思い知る。

 魔王でもさすがに軽く傷付く。魔王でもだ。

 乗り気だったのが俺だけだったことが恥ずかしいような、悲しいような、二度と軽はずみなことは言うまい。魔王として、ちょっとだけ本気混じりの冗談を言うことも制限された、悲しい現実である。

 魔王とその家臣の許されざる恋路は漫画の中だけで勝手にしていろと、内心で悪態づく俺だった。

 骨の体だし、無理もないが。


 もっとも、行く先々に部隊の騎士達が傍らに佇んでいてはムードも何もあったものじゃないわけで、部下の面前で振られる魔王なんて初めて見た。というか俺だ。

 初恋の君とのデートに水を差され、萎えた気分に追い打ちかけるような惨めな事案である。


 傍らの彼らは別段、棒立ちしているわけではない。

 万が一に備え、この魔王に守護獣が襲いかからぬよう警戒しているのだ。だが守護獣は彼らが狩ったのだ。言葉を発せばこだまするほど静かな講堂で襲いかかってくるような守護獣は居ないが、彼らの武装と臨戦態勢はあくまでも万が一の備えであり、その役目はもう一つある。

 この迷宮のように入り組む大神殿の、聖剣までの道標である。

 ずらりと整列する騎士の姿は壮観で、先も途切れぬほど長い。

 魔王としての勘なのか、俺は途切れぬうちから気配を感じた。

 謂わば、聖なる気配。聖剣の存在感だ。


「――近いな」

「そう、なのですか……?」


 ガーネットちゃんは気配を探るように先を見据える。されど、どれだけ目をこすっても見えることはないだろう。俺の目からも見えていない。目には見えぬ気配を肌で捉えているのだ。

 魔王の体を、鋭利な感覚が敏感な肌を撫ぜる。本来天敵である俺と聖剣の存在、例え魔王であろうと勇者以外の者が聖剣に触れることは禁忌に等しい。聖剣狩りと銘打って、これだけの軍勢を率いながら手ぶらで帰ることほど馬鹿馬鹿しい話はなく、この魔王自ら出向いた。互いが反発し合うが故に、その気配を誰よりも早く感じる。


 何となく嫌な気配ではない。

 だが魔王の身体が聖なる情調を拒む。隊長格のあの彼が言う息苦しさとは、これのことか。一歩、二歩、近づくほどに空気が重くなる。

 ガーネットちゃんは、まだ気づかないようだ。

 魔王にのみ捉えることのできる波長。

 魔王の、聖なる波動への憎しみが、体に染み付いている。


「如何とも、忌々しい。恐らく聖剣自体が我々を苦しめる原因だろう。神殿の外にまで見えた波長が、この先から色濃く見える」

「私には……まだ見えませんね。どうやら力不足のようで……魔王様の隣を預からせていただいている身として、不甲斐ないですわ」


 ガーネットちゃんは肩を落とす。

 先を見据える視線を何度か繰り返しても、まだ感じることはできないようだ。その様子を後ろから見ながら、背伸びしているみたいで可愛らしい。こうしていると普通の女性にも見えるのだが、否、女性経験は皆無の俺が語るに若干の語弊が生じたとしても、その内心は行き過ぎるまでの魔王への忠誠。

 この俺の隣は魔王に相応しい実力者でなければならないのだろうが、そうだとして彼女には相応の力はあるのだろうか。その容姿は絶世の美貌は度外視し、紛れも無く普通の女性と変わらない。魔王の軍勢のその多くを占める異形を見ても、人間と同じ容姿を携えた彼、彼女らの数は圧倒的に少なかった。決して零ではないのだが、この魔王の姿が骨であるように、普通の人間との相違を測れないのだ。

 彼女の敏腕を頼りにならないとは言わないし、伝令班や隊長格の彼の者たちに見せた威圧感は目を見張る。だが、それが魔王の側近としての地位に縋った自負だとしたら、俺の中で守る者守られる者の認識は逆転してしまう。

 魔王の力を奮うとき、彼女の立場はどこにあるのか。

 落ち込む彼女の背に慰める言葉は、また大袈裟な反応をされても困るので、敢えて本人の力に委ねる形をとった。


「征けば、嫌でも理解するとも」


 振り返ったガーネットちゃんの表情は華を咲かせたように明るい。

 そう言って、俺は聖堂を先導する。

 傍らに付き従うような距離感が、その力の関係を示しているようだった。


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