第4話
果たして、リア充とはこれほど忙しいものだろうか。
携帯電話で彼女や友人たちとこまめに連絡を取ることと、俺が部隊の指揮を振るうことが似ているとは思えない。というか、仲間の数がリア充か非リア充を決める要因ではないことを、ここに来て初めて痛感する。魔王はリア充ではない。悲しき現実である。
魔王になってもリア充になれないなら、俺は何を信じればいいのか分からなくなる。
俺はそんな感傷で指示を繰り出していた。
「傷を負った者には手当を施してやれ。傷の深いものから順番にな。それから、本隊の進行はどうなっている」
「部隊は順当に大神殿の中枢域に到達したようです。負傷者は少なく、踏破は時間の問題かと思われます」
「そうか。引き続き警戒を怠るな」
荒れ果てた岩肌が剥き出しになり、奈落の渓谷の中に聳え立つ。険しい環境の中で唯一、他の存在を卓越した神殿が煌びやかに俺を見下ろした。
その場所だけを世界から切り取ったような、神殿だけが精気を彩っている。禍々しいとも取れる、魔王城を引き合いにしても遜色なく、それともまた別の色を持っていた。魔の対とし、聖たる所以の情調がそこにある。
魔王様はここで成功の報告だけをお待ちくださいと、玉座の間でガーネットちゃんの口から聞いたのを思い出した。俺の提案だけあってふんぞり返っているだけなのも耐え難く、魔王の威として押し切り着いては来たが、神殿の佇まいを垣間見てこの後に及び後悔している。その上、結局ふんぞり返っている状況は変わらないものだ。
とはいえ、ここで魔王自ら先行することも配下の者共への示しがつかない。黒龍の背に乗せられ、自分の脚で地に立つこともなく居る方が魔王として相応しいのだろう。故に、これは自重である。魔王の力を行使すれば守護獣たちに恐れず神殿を闊歩することも可能だが、自重しなければ今も神殿の中で猛る彼らの責務を奪ってしまうのだ。リア充とは、得てして空気を読める者のことをいう。だから自重する。俺は今、このリアルを充実している。
そんなこんなで、聖剣狩りを決行してから既に数時間。
黒龍の背中は決して快適とは言えないが、随時送られる報告に指示を返すだけの作業には疲れがない。
ガーネットちゃん操る転移の魔法で空間を超越した感動も冷めやらぬ中、どうやら神殿の持てると力とガーネットちゃんの魔法が反発し合うようで、直接は飛んで来れないらしく俺は黒龍の背に乗せられた。僅かな距離を歩くことになると、最初は黒龍の背中に乗ることに抵抗もあったが、鞍に見立てた装具に腰を据え旅を続ける内にいつの間にか慣れていた。乗馬をしているようなものだと思えば幾分か開き直れたのだ。否、実際はこうして待機を続ける今も落ち着いて微動だにしない分、走行中の揺れ幅も小さく馬以上に賢いのだろう。我々の発言を理解しているような素振りまでも含め、誰にも気づかれないようその艷やかな漆黒の鱗肌を撫でてやると嬉しそうに喉を鳴らす辺り、随分と愛らしい。もっとも、乗馬経験などないのでどこまで比較できるか測りきれていないが。
神殿の中では魔王の軍勢が聖剣の守護獣と死闘を繰り広げていると思うと、こんな下らない考えにも歯止めが効く。ふんぞり返ることが仕事とはいえ、ただ神殿を外から眺めることしかできない現状、沸き上がる倦怠感は否めない。あくび、まではさすがにないが、退屈を紛らわすことの方に疲れてくる。
せめて、王として兵士たちに労いの一つも掛けてやりたいが、先のガーネットちゃんの言葉を思い出して考えることを躊躇う自分が居た。躊躇いが存在した時点で、俺に言葉を掛ける資格はないのだろう。前世の記憶を、本心を誤魔化さなければ、魔王としての言葉に偽りが生まれる。本心を誤魔化しては、労いに意味はない。
俺は魔王だ。だが、自分で自分の力を信じられなかった。
こんな方法でしか勇者と向き合うこともできず、自分を誤魔化すことしかできない。軍勢はそうとも知らずに付き従う。俺は自分の無力を受け入れ、拳を作った。異形の、骨の拳。それでもそこに、どうしようもないほど魔王然とした力を感じてしまうのだ。
魔力、と言うべきか、単純な能力としての威光を感じる。
この世界に転生して、未だ一度も解放したことのない力だ。
当然魔王である故に、俺は俺に人ならざる力を宿していることが恐ろしい。どんな形であれ、この力を行使する時はきっと平和な状況ではないのだろう。想像には容易くとも、実現を望まぬのは魔王として如何なものか。恐らく、寛大な御心なんて、ガーネットちゃんは言うのだろうけれど。
「報告! 魔王閣下、神殿への本体の進行は完了致しました!」
「ほう。それで、どうだ?」
「はっ! しかしながら……」
勇ましく、報告を告げようという、送り出した部隊の隊長格だった。伝令の時とは違い、俺と彼との間での会話は成立するようだ。どうやら無事に聖剣の元へとたどり着いたらしい。だが、俺の聞き返した質問に返答を濁す。
どうしたのですかとは、傍らのガーネットちゃんが問う。
魔王の御身の前に、言葉を濁す無礼を見逃さない。
「し、しかしながら……部隊の誰一人として、聖剣を抜くことが出来ないのです……!」
「……確かに。事情は分かりました。それで、おめおめと退却した、と?」
「そ、その通りで、ございます……」
暫時、乾いた音が響いた。
ガーネットちゃんの手の甲から繰り出された平手打ちだ。鋭い一閃が彼の頬を射抜く。
伝令の時と同じ、絶対的な主従とその上下が露になる。異形ではあるが、まごうことなく屈強なその肉体を誇る戦士に、か細い女性の腕が打ち抜いただけで、重たい沈黙が生まれた。彼は目を伏せ、赤くなった頬に触れることもなく固く唇を結んでいる。
少なくとも、俺の目には反省の色が見えた。
だが、それを許すのは俺ではない。彼も、彼とて誇りがあるのなら、ここでガーネットちゃんを制止してしまうのは俺であるべきではない。それ相応の勘当を受けなければ彼の誇りを踏みにじってしまう。俺は押し黙ることで、ガーネットちゃんに処分を委ねたのだ。
「恥を知りなさい。魔王様がお許しになるのであれば、言葉を濁したことはわたくしからはこれで目を瞑りましょう。ですが、魔王様の命は聖剣を狩ること。貴方は魔王様から頂いた至高の命に背いたのです。その意味が分かりますか?」
「で、ですが、聖剣の間に漂う空気は我々魔族には息苦しく、どの者として長くは居られず……」
「――貴方は魔王様の御身の前に、見苦しい言い訳を重ねるのですね?」
一度息を呑んだ後、申し訳ございませんと、震えた声で頭を下げたっきり彼に言葉はない。重たい静寂が、彼に頭を下げさせた屈辱を刻み込む。
言い訳というか、理由として、俺からしてみれば失態の正当性は充分に伝わったのだが、魔王の軍勢としては許されないのだろう。まあ、聖剣を抜くことができるのは勇者だけというのも、ありがちな展開。更なる叱咤が彼の身を強張らせかけたところ、俺は初めて口を挟んだ。
「その辺で良かろう、ガーネットよ」
「しかし、宜しいので?」
「構わんとも。そう、あまり攻め立ててやるなよ。大切な仲間だ」
ちらと覗いた彼の様子は、未だ頭を下げたままだった。
しかし、爪で傷付けてしまうほど強く握り込まれた両の拳は、静かに震えている。屈辱が彼の誇りを踏みにじる。あるいはこの魔王の言葉に含むところがあったのか、それが反感でなければ良いなあなんて、俺は思うのだ。
大切な仲間。その言葉は紛れも無く俺の本心だ。だが、魔王だからこそ、言葉は軽い。
彼の胸の内が本当に反感なら、それこそガーネットちゃんに折檻してもらおう。
だからこそ俺は、失態と知りながらこの場に立った彼の意に敬意を示す。
「征くぞ、ガーネット」
「何方へ、で御座いましょう」
「決まっているさ」
「このガーネット、魔王様の行先なら何処へでも」
聖剣狩りへ、俺は黒龍の背を降りるのだ。
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