白くやわらかな花
川
白くやわらかな花
「僕ちゃん、麦茶をひとつくれないかね」
急に隣から声を掛けられて、わたしは目が覚めました。ついさっきまで縁側で読書をしていたのですが、いつのまにか一眠りしていたようです。
おもむろに体を起こして、声が聞こえたほうに目をやると、見知った初老の男性が縁側に座って、どこか懐かしそうに庭の方を眺めていました。
その男性はまぎれもない、わたしの父です。しかし、六年前に死に別れた父が今こうして目の前にいるということに、わたしは驚きを隠せませんでした。よほど変な顔になっていたのでしょう。
父さんは苦笑しながら、
「そんな顔してどうかしたのか」
と聞いてきました。どうしたもこうしたもありません。
「……父さん、本当に父さんなんだよね」
わたしは少しうわずった声で聞き返しました。生前と何一つ変わっていない父の姿に、いまだ夢でも見ているような気がして、にわかには信じられなかったのです。すると、
「なんだ? もう父さんの顔を忘れてしまったのか」
父さんは寂しそうな表情を浮かべて言いました。
「忘れるはずなんてない」
そう言って、わたしは首を横に振りました。その言葉にほっとした様子で、父さんの表情が少し和らいだように思えました。
「……それはそうと、どうしてここにいるの? もう逝ってしまったのではなかったの」
わたしが不思議に思い尋ねると、父さんはおもむろに立ち上がって、庭先の方に降りていきました。
「今日は彼岸だからね。あっちとこっちの世界の境目が近くなっている。それにほら。彼岸花も咲いているしね」
「それって、どういうこと?」
わたしは、話がよく分からなかったので聞き返しました。すると父さんは、
「今の父さんは蜃気楼のようなものさ。彼岸花の助けを借りて、ようやくお前にも見えるようになっているのだよ」
と、さも当たり前のことを語り聞かせるように言いました。
「……う、うーん」
わたしは、ますます話についていけず、頭を抱えました。
「お地蔵さまが手に持っておられる宝珠というものがあって、それは何でもひとつだけ願いを叶えてくれる宝物なのだ。そして、それは球根に形がそっくりなのだとか――それで球根にはわずかに力が宿っているらしい」
「それじゃあ、その力を借りて父さんを――」
そう言いかけて、わたしは口をつぐみました。もう父さんが生き返ってくることは絶対にありえないのです。
父さんは首を横に振りながら、
「それができたらどれだけいいのだろうね。でも、命は誰でも一度きり、死んだら決して生き返ることはないのだよ」
そう静かに告げられると、だんだん、まぶたのあたりが熱くなってくるのが分かりました。
「……で、でも父さんがいなくなって寂しかった。寂しかったんだよ」
頭の中では分かっているつもりでしたが、わたしは込み上げてくる感情を押さえることができませんでした。ぽたぽたと涙が零れ落ちてきます。
父さんは私の隣に座ると、諭すように頭を撫でてくれました。その手には懐かしい温もりがちゃんと残っていました。
「ごめんなさい。もう心配を掛けるつもりなんてなかったのに――」
「なに、心配しないわけないだろう。お前たちのことはいつでも見守っている。父さんにはもう、これくらいのことしかしてやれないからな」
そう言って、父さんはやるせなさをにじませていました。
「いいんだ。こうして会いに来てくれたから、十分だよ」
私は涙をぬぐうと、ぎこちなく笑顔を作ってみせました。
「……そうか。本当に、大きくなったな」
「あれから六年経つんだよ。いつまでも子供のままじゃいられないでしょう」
父さんは少しだけ嬉しそうな顔をしていました。わたしは、また泣き出してしまいそうになったので、
「そういえば、麦茶まだだったね。取ってくるよ」
と言って、足早に台所へと向かいました。それから、グラスいっぱいに注いだ麦茶をお盆に乗せて再び縁側に戻ると、そこに父の姿は在りませんでした。
「……父さん?」
慌てて、家の中を隈なく探してみたけれど、やはりどこにも父さんは見当たりませんでした。
「自分から言っておいて、なんでお茶の一杯も待てないのかな。せっかく、とっておきを見せようと思っていたのに――」
そう文句をこぼして、縁側に座ると、持ってきた少し形がいびつなグラスを口元に運びました。
庭の一角には赤い彼岸花がみっしりと咲いています。そして、その中に一輪だけ、どこから来たのか、白いのが混じって咲いているのを見つけました。
これは植物図鑑を見て、知ったことですが、白い彼岸花には『また会う日を楽しみに』という花言葉があるらしいのです。
「いつでも見守っている」
と、父さんが言っていたし、そのときが来ればまたひょっこりと会うこともできるでしょう。
そういえば、お墓参りにまだ行っていなかったことを思い出して、思わず笑いが込み上げてきました。
その時、迷いなく吹いてきた秋の風がこんなにも心地良いものか、と私は思いました。
白くやわらかな花 川 @kkishinn
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