第5話 開幕

 水曜日。すなわち、ゲーム開始の前日。


 あいかわらず騒がしい朝の教室に、高校2年にもなって泣きべそを浮かべる男が一人、僕の前にいる。


「もう、オレはどうしたらいいんだぁ、ヨーゼフ、ヨーゼフゥゥゥ!!」


 そう言って、祐樹に机につっぷすタクミだ。


「ったく、最近その犬の話をしなくなったと思ってたのに、またかよ。犬くらい新しく買えばいいだろ? そこに10万当てたやつもいることだし」


 机を占領された祐樹が、タクミのそんな様子に、軽口を叩く。

犬を買い換えた程度でタクミが収まらないことは、祐樹は重々承知しているはず。でも同時に、まともにとりあっても収まらないことも分かっているのだろう。タクミは、愛犬の死を話題にするとき、必ずこうやって泣くのだ。


「……やはり」


 しかし、タクミには悪いが僕にとってそんなやり取りなど、今はどうでもいい。

僕が思ったとおりだった。

あとは、次にメールを送ったときにルールを確認すれば何かしらの……。


「上社くん」


 突然、背後から声をかけられる。いや、恐らく突然ではなかったのだろうが、僕が考え込んでいたためにそう感じたんだろう。声をかけたのは当然、下田さんだ。待っていた。


「視聴覚室に行こうか」

「お、おい信也! これをなんとかしてから言ってくれよ~~!」

「大丈夫大丈夫、タクミは大丈夫~~。はい、これオマジナイだから!」


 僕はすがりついてくる祐樹を無視して、席を立った。下田さんは、僕と噂が立ったら嫌だと冗談めかくし言っていたけど、こんなんじゃ、時間の問題かもな。

相変わらず、覚えとけよーと僕に声をあげる祐樹。そしてタクミは、もう泣いてはいなかった。



 また視聴覚室にやってきた。下田さんが昨日用意した金庫は、教室の隅に置いておいた。どうせこの視聴覚室は、毎日の掃除の時間くらいしか人は来ない。こんなものが置いてあったところで問題にはならない。


「それにしても、よくそんなもの持って来たな……」

「大変だったわよ昨日……両手はふさがってるのに風が強いから、あれは絶対スカートめくれてたわ……」


 重い、という単語が出てこないのはなぜだ。


「それ、僕が預かることになっていたけど、ここに置いておいてもいいかな? ルールで開けることはできないし……」

「開けることはできないけど、例えばあたしが、“参加者”権限を使って金庫を破壊するかもよ?」

「それも開けるに等しい……それが出来るんだったら、僕が持ち帰って僕がそれをやったらお終いだ。やっぱりここに置かせてもらう」


 完全にスカートのくだりからからかわれてるな……。なんなんだ下田さん……最初に僕が“参加者”だと分かったときは、机を壊さんばかりに怒っていたのに。


「さて! それじゃあお待ちかねの、隠した物と場所を書いた紙を入れましょうか!」


 下田さんは、手を1度パンと鳴らしてからそう言った。からかいモード終わり、の合図なんだろうか。

 僕がまだロックされていない金庫を開けると、下田さんは、学生服の胸ポケットから幾度となく折られた紙を取り出す。もう用意していたのか。


「ごめん、まだ書いてないんだ。今から書くから、後ろを向いてて。封筒は一応2人分用意してあるけど……別に僕のを使わなくてもいいよ」

「いえ、遠慮なく貰うわね」


 その封筒に仕掛けなんてない……というより、仕掛けようがない。


 下田さんが封筒に紙をいれている間、僕は、一字一字丁寧に書く。それが終わると、紙を封筒に入れ、それをのり付けした。


「のり付ってあなたね……取るとき面倒じゃない」

「こういうのを見ると、どうしてもやりたくなるんだよ」


 親の教育のせいだ……。


「待たせたね。さて、入れようか」


 と言ったものの、すでに下田さんの封筒は金庫の中に納まっていた。ま、別に僕を待つ必要もないからね。


「じゃ、パスワードを設定しよう。僕が先に4ケタ入れるから、残りの4ケタをお願いするよ」


そうして、僕が入力し、残りを下田さんが入れると、金庫はどちらかが勝利を確信するまで閉ざされることとなったのだった。



 帰宅した僕は、すぐにベッドに寝転び、携帯電話を手にとる。勉強詰めの日々では考えられなかった行動だ。


 いよいよ、今夜0時00分、勝負は開始される。次のメールの内容は、学校にいる間に考えておいた。


 まずは、下田さんが取ってくるであろう攻めの手を、こちらも実行すること。それは、下田さんが僕の周りの人間を、“参加者”権限を使って洗うこと。僕からしたら、下田さんの友人達を洗うこと。

下田さんがこれをするかは分からない。でも、もし下田さんの回りの人間が僕に何かしらの情報を伝えたら、そのことを下田さん自身に報告するようにしていた場合、役に立つからだ。要は、トラップなどしかけておらず、下田さん近辺を洗い出すことに集中している、と思わせるということだ。


 僕の方は、最初に祐樹に使った“参加者”権限の中で、誰かから隠した物についての質問があった場合は、その人間を僕にメールで教えるようにしてある。

 下田さんはタクミも調べるかもしれないが、この際タクミはどうでもいい。


 あとは……最後のトラップをしかけるだけだ。



 木曜日。

ついに、ゲーム開始当日だ。今日からより具体な詮索も可能となる。


 この日僕は、目覚まし時計より早く鳴った、携帯電話の着信音で起こされた。


「……! 祐樹!」


 そこには、祐樹が下田さんから質問を受けた旨が書かれていた。

 こんな朝早く来るということは、下田さんは、“参加者”権限を使って祐樹に、僕の隠した物を知らないかという内容の回答について、メールでも送らせたんだろう。どうでもいいが、こんな時間にメールがくるとは、祐樹は僕より起きるのが早いということなのか。


 あとは、下田さんが祐樹から伝えられた内容に騙されてくれさえすればいい。

残念だが下田さん、それはフェイク、僕の勝ちだ。


早期決着が付くように、あえて下田さんが知っていて、最も僕の近くにいる人間を選んでおいたんだから。

もちろん、未だ記憶を戻される可能性もあるが、普通は隠し場所が分かればそれに浮かれ、自分が勝利することしか考えないだろう。大丈夫だ。


これで下田さんが自分の勝ちを宣言するのを待てばいい。ただ、僕だったら1日くらい様子見の期間を設けるから、もしかしたら 下田さんもそうするかもしれない。だったら僕のスタンスは変わらず、下田さんの周りを洗うフリをするだけだ。


「上社くん」


 学校へ向かう僕を、呼び止める声。下田さんはなぜいつも後ろから来るんだ。


「あたしに勝つ算段がたったかしら?」


 そう言う下田さんには、どこか余裕を感じる。当然か。祐樹から情報を得ているんだから。その情報は嘘だとも知らずに。


「さぁ……下田さんこそどうなんだ?」

「あたし? そうね……明日には決着が付くかもね……とでも言っておこうかな?」


 考える素振りで人差し指でクルクルと長い髪を弄ぶ。その行動と横顔だけ見れば、是非お付き合いしたいものなのに、性格がな……。


 でも下田さん。

君が言っていることは正しい。やはり僕の予想どおり、今日は様子見なんだろう。


つまり、明日勝敗が決まる……そして、僕の勝ちで終わるんだ。



 今日は、バカに学校が長い気がした。

“参加者”権限があるにしろ、多少勉強をしておく必要があるが、それは授業に集中しさえすれば充分だ。


『上社信也は、全てのテストで満点を取る』


これが“参加者”権限によって実現できればいいが、恐らく無理だろう。白紙を提出しても満点になるというおかしなことが起きることになり、あの自然性に関するルールに反する。……いや、今はそんなことはどうでもいいのか。


 次のメールですることは、ひとつしかない。昨日と同じように、しかし昨日とは違う下田さん近辺の人の名前を書き、下田さんの行動を僕に報告させる、それだけだ。

もっとも、 すでに名前を書いた人達からメールによって報告された内容は、どれもくだらないものばかり。誰1人として、下田さんが何か隠したのを見た、という報告はあげてこなかった。

こうなるとやはり下田さんの家の中か、下田さん自身で持っている物の可能性が高い。


 ……確かに、勝負開始というのは今日だった。

だけどそれは結局、自分が正しかったか確認する日でしかない。どれだけ前日までに用意できたか、それが勝負の別れ目となったんだ。


明日よ……早く僕の前に現れてくれ。


そうすれば僕は、完全に自由の身となる。こんな下らないゲームからはオサラバして、“参加者”権限を存分に発揮出来るんだから!

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