単推しな彼女の虎角商店
※本SSは『冴えない彼女の育てかた7』発売時に「とらのあな」さんで配布されたものとなります。
新宿駅……それは世界一の乗降客数を誇る巨大ステーション。
あまりにも大きく広く、JR、地下鉄、私鉄の乗り入れ数も半端ないため、一路線が事故とかで止まっただけで人が洪水のように溢れたり、地下街を彷徨っていたらいつの間にか新宿三丁目に着いていたり、『京王新線ってどこだよ!?』と思ってたら実は単なる都営新宿線だったり、西武新宿駅に到着して『そっか、山手線に乗り継ぐには高田馬場で降りれば良かったんだ』と後悔したりする都会の迷宮。
そんな新宿の、そろそろ風も少し冷たくなってきた晩秋のお昼過ぎ。
東口を出て、大ガードの連絡通路を抜けて西口へと出て、思い○横丁で昼からおっさんたちが飲んでるのを脇目に横断歩道を渡り、少し細めの路地に入り、い○なりステーキの行列を通り過ぎたその先で……
「というわけで
「虎角商店って、確かとらのあなとKADOKAWAの……」
「そう! KADOKAWAグループ商品の品揃えが抜群、というかKADOKAWAグループ商品しか置いてないという潔いコンセプトが話題のコラボショップだよ!」
とあるビルの四階あたりを指差し、俺はいつものように気合を込めて隣の同伴者へと話しかける。
「今日はここで、どうしても詩羽先輩に見てもらいたいものがあるんだ」
そう、さっきから言っているように、隣の同伴者とは、
俺とはたった一歳違うだけなのに、五○万部超の売り上げを誇るラノベの人気作家というチートな経歴を持つ黒髪ロング美人だ。
「何だか含みがあるわねその言い方。
「そうだな、ヒントは……『恋するメトロノーム』関連ってことで!」
と、俺は自信満々に、その詩羽先輩の代表作のタイトルを挙げてみせる。
何しろ、この程度のヒントを与えたところで、店内の“あれ”を見たときの衝撃が薄らいだりすることはないだろうから。
何しろ……
「でも、『恋するメトロノーム』の版元の
「そういうリアルとフィクションの微妙な境界に触れないでよ!?」
というわけで今回は、リアルとフィクションの境界を微妙にクロスオーバーしてお送りしております。
エレベーターで四階に上がり、『いらっしゃいませ~、虎角商店へようこそ~』と、ファミレスみたいなおもてなしの挨拶(注:男性店員による)に迎えられ、少々気恥ずかしい気持ちで入店すると、俺はまっすぐに店内のいちばん左奥を目指す……いや一度左に曲がらなくちゃならないからまっすぐには行けないんだけど。
「じゃ~ん! どうだい詩羽先輩! この『恋メト』の推しっぷり!」
「…………」
そして、俺が一つの書棚を指差すと、そりゃもう予想通り、詩羽先輩はぴしっと固まった。
何しろその棚に収録されているのは、詩羽先輩……
百冊以上は収められそうな広いスペースは、本当に『恋するメトロノーム』のみで埋め尽くされている。
しかもそれだけじゃない。いや、さらに先鋭化されていると言った方が正しいかもしれない。
「そしてどうだい詩羽先輩! この
「……………………」
それだけの本を収めているからには、当然POPや推薦文なんかも充実している訳だけど、何故かそのコーナーで展開されているそれらの宣伝物は、とってもキャラクターが偏っていた。
推薦文もPOPも詩羽……いや沙由佳への愛で溢れ、『恋するメトロノーム』が三角関係ものではなく、ただのイチャラブカップルものなんじゃないかと誤解させてくれるほどの、それは贔屓っぷりだった。
とにかく、皆も是非この店の冴えカノ……いや、恋メトコーナーを見ていって欲しい。
きっとあらゆる意味で呆れ……いや驚くから。
「そりゃ、沙由佳と
「………………………………」
そんな俺の、店員が乗り移ったかのような熱い語りに、詩羽先輩は終始無言を貫いた。
苦笑気味の感謝や感激の言葉も、ちょっと引き気味の揶揄や照れ隠しの言葉も、ドS風味の批判や罵倒の言葉も、その真一文字に閉じられた口からはついぞ出てくることはなかった。
「……先輩?」
というかその表情は、なんか、今まで見たこともないような種類のもので。
頬は紅潮し、笑うことも怒ることもできず、適切な言葉も出てこなくて、なんか冷や汗みたいなものも浮かんでたりして。
要するに、超恥ずかしがっていた。
「……帰る。もう帰る」
「え?」
そう、慌ててその場をそそくさと逃げ出してしまうほどには。
「ありがとうございました~」
またしても無駄に元気な店員さんの声に送り出され、俺たちは入って三分も経たないうちに店を後にした。
その後も詩羽先輩は、エレベーターの呼び出しボタンを連打するわ、エレベーターが来るまでの待ち時間も貧乏ゆすり気味に足をカタカタ鳴らすわと、それはもう素晴らしい感激(?)ぶりだった。
「なんか今の先輩、沙由佳みたいなんだけど?」
「うるさいわねっ」
「そろそろ絶賛されるのに慣れようよ。先輩の『恋するメトロノーム』はこのくらい展開されても全然おかしくない作品なんだからさぁ」
「この場でそういうこと言われると余計にいたたまれなくなるでしょ!」
そして、エレベーターに乗っている間も、階数表示をじっと睨んだまま、髪をいじったり壁を殴ったり(ビル管理会社さんごめんなさい)と、あまりにも不審な挙動を繰り返していた。
それは、いつものハイパー創作モードの時のアレとも違い、これはこれでとても新鮮だったりして。
……などと口に出すと、後で素に戻った時、それだけの反撃を食らうかわからないから口には出せないけど。
「さて、これからどうする? サークルの時間までだいぶ時間余っちゃったけど……」
ビルを出て、ふたたび路地に戻ると、やはり風は冷たく、隣のいき○りステーキの行列はさらに伸びていた。
そんなほっとした空気の中、詩羽先輩は深呼吸を二、三度繰り返し、もうここに用はないとばかりに駅へと戻る道を一歩踏み出し……
「倫理君」
「なに?」
「ちゃんとあのコーナーの写真、撮ってきたんでしょうね?」
「欲しいの!?」
そして、最後にほんのちょっとの未練を見せたりした。
女心……ていうか作家心ってのはよくわからん。
後日、不死川書店編集部経由でもらった店内ディスプレイの写真は、今は詩羽先輩のスマホの待ち受け画面を飾っていたりする。
(了)
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