第四章 ~魔王と新しき勇者~

 王英高校は無駄に広いがゆえに、街灯の数が足りずそこかしこに夜の闇が溜まっていた。八雲と如月さんはそんな暗がりの一つに紛れて裏門の柵を越えた。

 夜になったというだけで、学校はまるで別のフィールドのように見えた。幽霊を信じているわけではないけれど、まずその圧倒的な暗さが不安を煽る。申し訳程度に点在する街灯を頼りにして進まなければいけない。暗がりからは虫や小動物が飛び出してきそうだし、石畳を一歩踏み出したら異界へと飲み込まれてしまいそうな怖さがあった。緑あふれる(手入れの行き届いていない)敷地内はそこかしこから、虫の鳴き声が聞こえてくる。夏を前にしてコンクールの準備に余念がない吹奏楽部のようだ。普段は意識しないこの虫の声も異界感を増幅させていた。

 二人は無言のまま指定された場所を目指した。すでに9時50分を回っているけれど、警備員や教師がまだ残っているかもしれない。無駄なトラブルは避けたい。しかし、もし見つかった場合は強行突破する覚悟だった。

 幸いなことに二人は何事も無く、本校舎の正面までたどり着くことができた。そこから見える教室や体育館、部室棟は静寂の闇に沈んでいたけれど、職員室だけまだ明かりが残っていた。遠くから見た限りでは人影が一つあるだけだ。勤勉な先生が残業をしているようだ。今日は金曜日だから遅くまで続くような会議はなく、ほとんどの先生が早めに帰ったのだろうか。それでも念のために職員室の前は迂回して中庭へ向かった。

 王英学園の本校舎は『日』の字を横に倒した形をしている。空白の部分が中庭と呼ばれていた。2つは中央部分で繋がっていて、昇降口に近い方に銅像が置かれている。創立者の中年男性を模ったもので、『Or immortal king』という大層なタイトルがつけられている。この銅像が隠しポータルなのだと、ノーフェイスからのメッセージに書かれていた。

「ねー、隠しポータルってなんで変な像ばっかなの?」

 如月さんがエクスフォンを銅像に向けながら言った。

「みんな変な像が好きだからじゃないですか」

 答えになっていない八雲の答えに、如月さんが「ふーん、変なの」と漏らしていた。

 特に意味のないやり取りをしながら、ポータルをアクティブにしてクエストを表示する。


『あなたのお肌が危ない! 次元の狭間から来襲した魔王フェイスパックマンを倒し、世界を紫外線の恐怖から開放するのだ!

 クリア報酬は伝説のフェイスパックと走って光るフェイスパックだ! キミも次元城でボクと握手!』


 クエストの説明文からしてすでにふざけていた。

「フェイスパックとか、こいつなに言っちゃってんの?」

 如月さんは無責任に怪訝そうな表情をしていた。

「えっと……昼間に送ったメッセージに掛けているんだと思います」

「昼間? …………あっ。そんなこともあったね。強がって見せてるけど意外とちっちゃいヤツ~」

 今の今まで完全に忘れていたようだ。出会ってから実質的に一日しか経っていないけれど、二人の相性が最悪なことは傍から見てもよく分かった。

「でもさ、このクエストの文章って間違いなくあいつが書いてるよね。そんなこと簡単にできるの?」

「ゲームのXFWの話ですが、サーバーの管理者権限があれば、オリジナルクエストは作れます。ただし、アイテムや経験値などは入手できません」

 個人の作ったクエストでも、出来が良かったり話題になったりしたものは公式クエストに採用されることもある。しかし、そのクエストは別のサーバーに配信されるし、なにより一週間ほどのタイムラグがある。

「この銅像を知ってて、しかもサーバーの管理者権限があるってことはさ、ノーフェイスのヤツ、この学校の先生か生徒なのかな? 大神くん、誰か心当たり的なものない?」

 エターナルクエストの事を知っている関係者なんだからと、如月さんは暗にほのめかしていた。

「分かりません。授業を受けてる先生と同じクラスの人なら顔ぐらいはわかりますが、ネット生徒や他のクラス、上級生は全然です。それに、サーバーをハッキングしてバックドアでも仕掛けているとすると、王英高校の純粋な関係者とも限りません」

 彼我の情報量の差は甚大だ。最も手がかりになりそうな八雲の記憶があてにならないのでは、どうしようもない。

「そっかー、ま、あいつをぶっ倒してぜ~んぶ話してもらえばいいよね。大神くんの過去の事も含めてさ」

 如月さんは自信の笑みを浮かべて言った。八雲も「はい」と答えて、小さく頷いた。

 エクステンドした二人はパーティを組むと、ポータルから幻想世界へとログインした。周囲の景色が切り替わる浮遊感からの着地は、三度目となれば慣れたもので脳が混乱する感覚はなかった。

 ノーフェイスの準備した舞台は、青いクリスタルの岩場とでも呼ぶべき場所だった。青水晶でできたグランドキャニオンを巨人がスコップで掘り返し、それを延々と無重力の宇宙空間に無秩序に浮かべたような風景が広がっている。背景色は指定し忘れたような黒一色だけれど周囲は暗くない。遠くに見えるクリスタルの足場は、星のように煌めいて見えた。

「あれ? 行き止まり?」

 辺りを見回した如月さんが困り気味の声を上げた。ノーフェイスの姿がなかったのだ。二人が立っている場所は楕円形をしていてそれほど広くない。せいぜい体育館ぐらいの面積だ。大小のクリスタルが乱立しているが、視界を遮るほどではない。

「あそこに魔法陣があります。たぶん、あれに乗れば他の足場に転送されるんだと思います」

 八雲はクリスタルの地面で薄ぼんやりと光っている幾何学模様を指して言った。RPG定番の仕掛けだ。この足場には魔法陣が2つあるが、もう一つは八雲たちのすぐ後ろで、ポータルの光の渦がその上に残っている。触れると現実世界に戻ってしまうだろうから、進むべきは中央にある魔法陣だ。

 近づいて魔法陣の上に手をかざしてみると、光の線が明るさを増した。面倒くさい仕掛けや謎解きなしで、使えるようだ。

「この先で智代とあいつが待ってるんだよね」

 魔法陣の先を覗きこむようにして如月さんが言った。

「おそらくは。ノーフェイスの事ですから、何か罠を仕掛けているはずです。アイテムと装備を整えておきましょう」

 二人はエクスフォンを突き合わせると、イベントリーを開いて、手持ちのアイテムと先ほど入手したクエスト報酬を確認し合った。八雲が入手したのが黒犀の大盾と白鳥の羽飾りで、如月さんが入手したのが妖精の鎧と業火の杖だった。

「白鳥の羽飾りは如月さんが装備して下さい。その代わりに業火の杖はぼくが持ちます」

 メニューからアイテム交換を選んで、それぞれアイテムを受け渡した。

「陽光の盾と妖精の鎧と羽飾りは二番目の装備セットに登録しておいて下さい。まずは一番セットの革装備を見せておいて、作戦通りにいったら切り替えて下さい」

 作戦は電車の中で相談し、如月さんと何度も確認してあった。

「おっけー、やられっぱなし、騙されっぱなしじゃいられないもんね。今度はこっちが一発かましてやろ!」

 如月さんは気力十分と胸を張った。

「それと肝心のコレも忘れずにショートカットに登録しておいて下さい」

 八雲はナイアスの水を如月さんに渡した。

「チャンスは二回だね」

「使用方法が飲ませることなので難易度は高いです。でも、如月さんなら絶対にできます」

「うん、あんがと。大神くんに助けてもらったこと絶対にムダにしないから」

 全ての準備を整えた八雲は魔法陣へと足を踏み出し――。

「あ、ちょっと待って!」

「うわっ!」

 踏み出そうとして八雲は唐突に腕を引っ張られ、ずっこけてしまいそうになった。

「な、なんです? 何か忘れてました?」

「最後の戦いなんだから、大神くんからなんか一言いってよ?」

「え、一言といわれても……」

 突然の無茶振りに、八雲はどう反応して良いのか分からなかった。ノーフェイスとの決戦を前にして、予想だにしなかった試練だ。

「なにかあるでしょ。智代を絶対に助けるっ!とかノーフェイスをぶっ倒すっ!とかさ」

 一言一言にやたらと気合の入った例文だった。

「じゃあ……えっと、ノーフェイスを倒して葛西さんを助けましょう!」

「そのままじゃんっ!」

 間髪入れず如月さんに突っ込まれてしまった。

「え、ダメなんですか?!」

 理由が分からない八雲が真顔で聞き返すと、如月さんは少し困ったように二度瞬きした。

「だめじゃないけど……ま、いっか。締まらない方が、らしいもんね」

 言っている意味がよく分からなかったけれど、如月さんが小さく笑ったので、八雲も吹き出すように笑ってしまった。意気込み過ぎていた緊張感が、良い意味で解けたような気がした。如月さんの言葉とコロコロと変わる表情には高いリラックス効果があるようだ。

「それではあらためて」

「れっつごーー!」

 掛け声二つ、八雲と如月さんはそろって魔法陣へ飛び込んだ。光のトンネルを超えるように視界が切り替わる。ワープした先は同じクリスタルの広場だったが、その広さが違った。サッカーコートの2、3面以上の広さがありそうだ。ここも浮遊岩塊だろうけれど、端までは見渡せない。広さ以外に違う点がいくつかあった。城の残骸らしき構造物がクリスタルに飲み込まれていること、それと大型の紅いクリスタルや青いクリスタルが立っていること、八雲たちが通ってきた魔法陣とは別に奥の方にも別の魔法陣がもう一つあること、そして。

 二つの人影が待ち受けていたことだ。

「やあやあ、いらっしゃい」

 パーティーの主催が客人を迎えるように、ノーフェイスは両手を広げて二人を歓迎した。

「お使いクエストご苦労様、疲れたでしょ? お茶でもどう」

 ノーフェイスの言葉に、控えていた葛西さんがホテルのルームサービスで使うようなサービスワゴンを押して前に出た。台の上にはティーカップとジャムの添えられたスコーンが四人分用意されていた。

 相手のペースに巻き込まれるものかと、如月さんはノーフェイスの言葉を無視して睨みつける。

「おやおや、わがままなお客さんだこと。紅茶がお気に召さないのなら、コーヒーか緑茶を用意しようか? それとも飲茶がいいかな?」

 如月さんの視線に気づいてるだろうが、ノーフェイスはふざけた態度をやめようとはしなかった。

「あたしたちはっ、あんたの悪ふざけに付き合うために来たんじゃないから!」

 斬り捨てるように言って、如月さんは剣先をノーフェイスに向けた。

「おー、怖い怖い! キミたちはー、正義の味方なんだからー、まずは話し合いでー、解決を試みないとダメでしょ。ねぇ、大神くん」

 誤魔化すように言ってノーフェイスが話を振ってくるけれど、八雲も付き合うつもりはなかった。

「残念ですが、話し合いの段階はもう踏み超えています」

「そんな~、このとおりだから許してよ、ね、ね、ね」

 ノーフェイスは拝むように両手を合わせると、くねくねと身体を左右に揺すった。

「許す許さないではありません。葛西さんを解放する気がないということぐらい分かってます。そうやって、ぼくたちを苛つかせてあなたは楽しんでるんですよね」

 相手を煙に巻こうとする言動こそ、ノーフェイスという人間の最大の武器だ。冷静さを失っては勝つことなんてできない。

「つれないね~。まるで小学生の頃に戻ったみたいだよ、大神くん」

 どうだとばかりに、ノーフェイスは次の武器を持ち出した。何が楽しいのか落書きの口元が歪んでいた。

「戻るもなにも、ぼくはずっとぼくのままです」

「そんなことないよ。あの頃のキミはゲームに一途だった。イロンナなモノを犠牲にしても、ゲームの攻略を目指していたじゃないか。そんなキミだから、ボクは全力で一緒に遊べた。なのに……なのにだよ。キミが全て壊してしまったじゃないか!」

 ノーフェイスは芝居がかった調子で声を荒げ、大げさな身振りで靴底を叩きつけるように踏み出した。

「ぼくが……こわした……」

 以前にそんな言葉を投げかけられた事があるような気がした。錆び付いていた坑道の機械が衝撃で動き出すように、刺激された記憶が何か決定的なモノを掘り起こそうと動きだす。

「あれ……なにを……? いや、そうだ、願って……でも……」

 重なる記憶が頭のなかを占拠していた。

「親切なボクが教えてあげよう。ラスト・デイ・ショックを引き起こし、遊び場(エターナルクエスト)を壊したのはキミだよ、大神八雲くん」

 してやったりとでも言いたげなノーフェイスを、如月さんが睨みつける。

「はぁ? 小学生がオンラインゲームなんて壊せるわけないじゃん。なに言っちゃってんの」

 如月さんは鼻で笑った。それを見てノーフェイスがやれやれと肩をすくめた。

「事情を知らないで否定するのはよくないな~。ま、いっけどね。簡単に言っちゃうと、エターナルクエストはただのゲームじゃなかったんだよ。裏アプリよりずっと制限されているけれど、一部の魔法とアイテムは現実世界で使えたんだ」

「また騙そうっていうの? Wikiとか調べたけど、そんな噂なかったしっ!」

「あははっ、今こうして裏アプリを使っておいて否定する? 開発は両方ともAG社だよ。それに噂になっていないのは当然さ。力を使うにはある条件を満たす必要があったんだから」

「……8つ神器」

 八雲の口から自然と言葉がこぼれた。

「大神くん? 思い出したの?」

 気遣わしげな如月さんの声に、八雲はまずい料理を噛みしめるように頷いた。

「ぼくたちは神器の力を知った……だから独占して封印しようとしたんだ……誰にも悪用されないようにって……そのための勇者オルカム……」

 言葉にすることで、乾いて割れた修正液がボロボロと崩れ落ちるように、白塗りにされた記憶が所々浮かび上がってくる。

 ノーフェイスは満足気に頷いて、八雲の言葉を繋いだ。

「でも、そんな風に上手くはいかなかったんだよねー。力の誘惑に負けて仲間割れ、からの~、バトルロワイヤル! まったく嫌になるくらいガキだ。ガキならガキらしくゲームだけしてろってんだ。欲かいてないでマスかけってね! アハッ、ちょっと下品だったかな? ノーフェイスちゃんの高貴なイメージを守らないとね」

 背中をピシっと伸ばしたノーフェイスが紳士然と胸を張る。

「そう子供だった。子供だから……ぼくはあの世界を終わらせたんだ……」

 『最後の願い』を思い出した八雲が、胸の奥の重さに耐え切れず言葉を吐き出した。

「ちょ、ちょっと待って! 一旦ストップ! どういうことなの? あたし、置いてきぼりなんですけど!」

「あらあら、可哀想なウサギちゃん。フェイスパックでお肌ツルツルのボクが説明してあげようか?」

 勝ち誇るように言うノーフェイスを、如月さんはキッと睨みつける。

「あんたには聞いてないから!」

 如月さんの疑問に答えようと、八雲は口を開き乾いてザラザラになった舌を動かした。

「最後のクエストをクリアした人間には、究極の魔法が授けられたんです。たった一つだけ、どんな願いも叶えられというものでした」

 ノーフェイスの言葉通り、それを巡って対立が起きた。

「その魔法を手にしたぼくは…………神器とそれに関わる全てを消すことを願ったんです。そうすれば、またみんなで仲良く遊べると思って……馬鹿な子供の馬鹿な考えでした。結局、多くの人に迷惑をかけただけで、なんにもならなかった……」

 辛い記憶を忘れていたことは幸せだったのかもしれない。それだけが唯一叶った願いなのだろう。

「うん、分かった。でもさ、起きちゃったことはしょうがないじゃん。くよくよ悩んでると、今がダメになっちゃうよ」

「……はい、ありがとうございます」

 如月さんのフォローに八雲は記憶の渦に堕ちていかずに、踏みとどまることができた。

「願いが叶ってさ、大神くんは忘れてたのに、何であんたは憶えてたわけ?」

 問いかけられたノーフェイスが上機嫌に拍手を返した。

「意外と鋭いね。そこにはとんでもない秘密がっ! CMの後! ってわけじゃなくて、ボクも忘れてたよ。裏アプリを手に入れてから、徐々に記憶が戻ってきたんだ。こんだけ意味深に振る舞ってるけど、実はまだ思い出せないとこもあるんだけどね。その辺は大神くんも心当たりあるんじゃない? 変な夢を見たとかさ」

 昨晩の夢を思い出して八雲は頷いた。イメージの断片のような夢は記憶が戻る前兆だったのだろう。

「ま、誰も彼もが色々あってもそんなことはどうでも良いんだよ。結局はこうやって願いは叶った。またみんなで仲良く遊べてる! とっても楽しいネっ!」

 そう言ってノーフェイスは心底楽しそうにケラケラと笑った。

「みんなって、ぼくとあなただけじゃないですか……そもそも、あなたはいったい誰なんですか? 最後の8人を思い出せていないけど、本当にその中に居たんですか?」

「小さなことは気にしない気にしない♪ それよりゲームの続きだ!」

「これはもうゲームなんかじゃない!」

 八雲はノーフェイスの言葉を真っ向から否定した。

「あはは、心にもないことを言わなくていいよ。わかってるって。キミは昔からゲームを楽しむ才能にかけては一番だからね、いまもこの状況も楽しんでるはずだ。だってさ、失われた記憶を取り戻して、悪者からお姫様を救い出すなんて最高のシチュエーションだものね。楽しまない方が無理ってものさ!」

「そんなわけ――」

「あたしは最高に楽しんでる」

 遮って答えたのは如月さんだった。

「だって、これからあんたをボッコボコにできるんだもんね。楽しみじゃないわけないでしょ?」

 如月さんは不敵に笑う。自分のペースを崩されたノーフェイスが小さく舌打ちをする。

「あー、オマケはいい加減黙っててくれよ。ぼくは大神くんと話してるんだ」

 ノーフェイスの言葉の節々から苛立っているのが、はっきりと分かった。言葉で感情や行動を操れない人間は、ノーフェイスにとって不快感以外の何物でもないのだろう。

「ふん、いいかげん黙るのはあんたの方よ! 《魔迅剣》!」

 戦いの口火を切ったのは如月さんだった。振りぬいた剣先から放たれた円弧状の波動がノーフェイス目掛けて飛んでいく。

「はぁ~まったくまったく《アイオロスエッジ》」

 ノーフェイスが振るった蛇革の鞭はビュッと風切り音を鳴らし、緑色の波動を放つ。速度こそ遅いアイオロスエッジだったが誘導性能には優れ、魔迅剣を相殺して撃ち落とす。

「せっかちだな、会話を楽しむ余裕がないのは不幸だよ。って言っても、あんたはうざいんだよね。智代さん、あいつ黙らせちゃって」

 目的の言葉を引き出した八雲と如月さんは目で合図を交わす。

「分かりました、《シェイドアロー》」

 平板な声で返事をした葛西さんは、サービスワゴンに立てかけた杖を手に取り魔法を放つ。葛西さんの正面に集まった濃い影が三つに分かれ、矢印となり如月さんに向かっていく。

「《マジックガード》!」

 如月さんは左半身になって革の盾をつき出し、魔法防御をアップさせるスキルを発動した。

「それはもう見たって《グースネックウィップ》」

 手首の返しだけで振るわれた蛇革の鞭が、意志を持つ蛇のように伸びていく。射程に優れ発射後に方向を変えられるスキルだ。ダメージは低いけれど、革の盾を絡みとり如月さんの動きを止めるに十分だろう。しかし、それは命中すればの話だ。

 ノーフェイスが攻撃動作に入ると同時に、八雲は走りだしていた。選択した装備は杖や剣ではなく黒犀の大盾だけだ。しかも両手持ち。重装である大盾のスキル発動に必要なステータスを賄うためには、仕方ない装備方法だった。

「《ヘッドロングラッシュ》!」

 除雪車が装備する除雪板(スノープラウ)のような鈍角のエフェクトを前方に展開した八雲は、小さな黒犀の如くノーフェイスに向かって突っ込んでいった。

「おおっと、こっちなの?」

 ノーフェイスが手首を左に返すと、伸びていた鞭が直角に曲がり八雲の左腕に絡みついた。絞られた鞭が大盾を保持する腕を引き剥がそうとするが、八雲はそれに耐えノーフェイスに体当たりをぶちかます。

「あなたはぼくと遊ぶんですよねっ!」

 力士が掴んだ相手を寄り切るように、大盾に押し付けたノーフェイスごと八雲は前進を続ける。その先には、もう一つの魔法陣があった。

「なるほどなるほど、そう来たか」

 笑いを漏らしたノーフェイスが、続いて大盾を構えた八雲が魔法陣に達した。一瞬で背景が切り替わる。どこかなんて確認してる余裕もなく、八雲はスキル終わり際のアクションである突き上げを放った。鈍角の除雪版にすくい上げられ放り出されたノーフェイスは、空中でくるりと後方回転し紅いクリスタルの上に着地した。無理やり発動条件を満たしたヘッドロングラッシュだったので、ダメージはほとんど無いようだ。

「タッグマッチじゃなくて、タイマンがお望みか。悪くない作戦だね」

 葛西さんのターゲットを如月さんに指定させることにより、一対一の状況に持ち込むというのが二人が立てた作戦だった。魔法陣に飛び込んだのは八雲の機転だったが、結果は見事に両者を分断させることに成功した。

 魔法陣を抜けたこの場所は、円形で観客スタンドを含めた野球場より広いぐらいだろう。正面スタンドに相当する場所に、高さ20メートルはあろうかという巨大なクリスタルが鎮座していた。それ以外は大型の紅いクリスタルが6つと中型の青いクリスタルが多数配置されていたりと、雰囲気はあまり変わっていなかった。

「ボクを倒せばクエストクリアだもんね。確かに足手まといがいない方が勝てる可能性は高い。しっかり計算してるじゃないか」

 ノーフェイスはマスクの裏でしたり顔でもしているのか、ウンウンと頷いてみせた。そんなノーフェイスを挑発するように八雲は首を横に振った。

「いいえ、違います。あなたを倒すためではなく、葛西さんを救うための作戦です」

 八雲の役目はノーフェイスが邪魔をしないように、引き止めることだ。葛西さんを救えれば、開いたままのポータルから現実に戻ってしまえばいいと考えていた。

「ふ~ん、消極的でつまらない考え方だね。稼ぎプレイみたいでボクは好きじゃないな」

「それは良かった。あなたに嫌われた方が、ぼくとしても安心です」

「言ってくれるじゃない。でもさ、あの子じゃ、智代さんに勝つなんて無理でしょ。モデルだかなんだか知らないけど、XFWに関しちゃズブの素人だもん。それに較べて智代さんは、洗脳状態でオツムがちょーっと弱くなっていてもレベル15相当はある優秀な魔法使い。この差は埋められないよ」

 ノーフェイスはまるで眼中にないのか、ここにいない如月さんを嘲笑う。そんな舐めた態度をとられても八雲は眉一つ動かさなかった。如月さんの人間としての強さと、葛西さんを救いたいという想いを十分に知っているからだ。

「あなたはボクについては詳しくても。如月さんのことは何一つ分かってないようですね」

 八雲は憐れむように言った。ノーフェイスが如月さんを侮り続けている事を知り、逆に彼女の勝利を確信していた。

「……ま、いいさ、あっちの勝敗なんて物語には何も関係ないんだから」

 心底どうでも良さそうに言って、ノーフェイスは紅いクリスタルから飛び降りた。

「そうやって、他人を掌のうえで操ってる気になってればいい。つけこませてもらいます」

 黒犀の盾から右手にレイピア、左手はショートソードの二刀流に切り換える。細身の剣と短い剣、見た目の違いはあれど左右の重さはほぼ同じだ。握った二本の剣を前後に揺らし、八雲はゆっくりとノーフェイスに歩み寄っていく。攻撃力を得たことで、その一歩の重みが増しているように思えた。

「説教は勝ってからにしないとダサいかもよ。あ、それだと一生無理か」

 ノーフェイスも装備を蛇革の鞭からブラッドソードとダガーに変更すると、軽い足取りで近づいてくる。

「ゲームはやってみないと分からない、でしょ?」

 互いの間合いまであと一歩の所で、八雲とノーフェイスは向き合った。昨日、腹を刺されたのと同じ禍々しい剣を目の前にしているのに、不思議と恐怖も緊張もなかった。むしろ、挑戦者として挑む高揚感が消えた腹の傷から湧き出してくるようだった。

「そうそう、その調子♪ まずはどこまで強くなったか試してあげる、よっ!」

 踏み込みはノーフェイスのタイミングだったが、八雲はその呼吸に合わせていた。

 斬り下ろされたブラッドソードの赤い刃が、受けに回ったショートソードの稜線を擦る。間髪入れず突き出した八雲のレイピアは、ノーフェイスのダガーに弾かれた。

「っ!」

 八雲は左手に握ったショートソードを円弧を描くようにして振るい、ノーフェイスの右脇腹を狙う。同時にノーフェイスは掬いあげるようにしてブラッドソードを、斬り上げた。八雲は右半身を急激に引くことで斬撃を躱すが、ショートソードの軌道が変わってしまう。切っ先はノーフェイスの燕尾服を僅かに引っ掛けただけだった。

「存外やるじゃないか」

「レベル上げしてきましたからっ!」

 回転しながら互いに無意識に放った右武器の斬撃がぶつかり合い、交差する視線上で火花を散らした。



 視界の端で大神くんとノーフェイスが魔法陣の光の中へと消えていった。

(あんがと、大神くん!)

 作戦通りの展開を作ってくれた大神くんに心のなかで感謝した。そして教えてもらっていた対処方法を実践すべく、まずは装備セット2番をタップする。身体が光に包まれ、革の盾が陽光の盾になり、白鳥の羽飾りが頭装備に、そして革の鎧が妖精の鎧へと変わった。

 妖精の鎧はかなり過激な格好だった。鎧と名付けられているけれど、実態はアンダーバストギリギリの極短い金属製のビスチェと、これまた局部をギリギリ隠すだけの前貼りみたいな金属帯。それらには半透明の衣がついていて、羽やスカートのように伸びている。このヒラヒラの辺りがきっと妖精なのだろう。

 このグラビア写真でも着ないような格好が恥ずかしいから隠していたわけではない。闇属性への対処ができていることをノーフェイスに知られて、余計な警戒をされたくなったからだ。

「あとは、あたしが頑張るだけじゃん!」

 智代が使ってくる魔法とその対応策については、大神くんからみっちり教えてもらっていた。

 芹佳は迫り来るシェイドアローに向かって自ら走りこんでいく。狙いはEの字に分かれたうちの中央の一本だ。

 誘導範囲に入った芹佳を目掛けて地面から影の矢印が飛び出した。芹佳は左腕の陽光の盾を突き出し、その矢印を払いのける。僅かな抵抗の後に、ポテトチップスのように影の矢印は砕け散って消えた。大神くんの言った通り、一本だけなら陽光の盾の闇防御力で簡単に打ち消すことができた。さらに踏み込んだことで、左右を進む影の矢印の誘導範囲には触れない。結果、回りこんだ二本のシェイドアローは、芹佳の背後で交差して消えていった。

「このままっ!」

 詠唱準備に入った智代に向かって、突っ込んでいく。狙いは勢い任せに押し倒して、動きを封じることだ。そのために使うのは、盾で相手の体勢を崩すシールドバッシュのスキルだ。至近距離のシェイドアローの威力は一本分だけなので盾で防げるし、たとえ食らってもダメージは少ないだろう。

 全速力で駆け抜け、智代に近づいた芹佳は再び盾を構えると、スキルを叫ぶ。

「《シールド――」

「《ブラックボム》」

 あと二歩という至近距離にも関わらず、智代はあの炸裂呪文を唱えた。突き出した陽光の盾に炎の塊が接触し、二人の間を引き裂く大爆発が起こった。

「ひっああああぁあっ!」

 巨大なバスケットボールを叩きつけられたような衝撃に、芹佳の身体は吹き飛ばされ背後にそびえた紅いクリスタルに叩きつけられた。ガラスのコップを食器棚ごとひっくり返したような盛大な音を立て、クリスタルが砕け散る。

 飛び散った破片が降り注ぐ。芹佳は盾を頭上に掲げ、紅い驟雨をやり過ごした。地面に落ちたクリスタルは、紅い色が抜け周囲と同じ青みがかったものに戻っていった。

「ぐっ……智代は……」

 立ち上がった芹佳は反対方向に吹き飛んだ親友の姿を探した。同じように砕け散ったクリスタルの下に智代はいた。ローブはあちこちが切れ、遠目にも血が滲んでいることが分かった。芹佳も爆発を防御した左の二の腕が真っ赤になっていたけれど、智代のほうがダメージが大きそうだ。

「大丈夫、智代!?」

 思わず声をかけるが返事はない。その代わりとばかりに智代は、ポーション瓶を取り出し傷にかけていた。

「あ、ずるい! あたしも《傷薬》使っちゃうからね!」

 文句を言って取り出した傷薬を左腕に垂らしてから芹佳は気づいた。

「あっ、使用制限……」

 そうアイテムを使ってしまうと、しばらくは他のアイテムが使えなくなるのだ。ちらりと見るとエクスフォンの画面には20秒のカウントが出ていた。

(うぅ、大神くんに説明してもらってたのに……、っていうか、一度近づいたりダウンを奪ったら畳み掛けろって言われてたの忘れてた!)

 精神的に前のめりになりすぎて、せっかくの諸注意がすっぽりと頭の中から抜けていた。魔法使いに詠唱する時間を与えたり、距離をとられたりしてはいけないとアドバイスを貰っていた。

「あちゃー、両方やっちゃった……」

 そんな芹佳の失敗案件を、智代が見逃してくれるわけはなかった。

「《ダークハウンド》」

 猛省を促すように智代の無慈悲な大技が発動してしまった。出現した4つの闇の顎が、躾のなっていない猛犬のように芹佳に向かって解き放たれた。

「ふわああああああ!」

 芹佳は逃げ出した。どれだけお腹が空いているのか聞きたいぐらい、顎をパクパク動かしながら迫ってくる。

「こないでよぉおおお!!」

 突き出した紅いクリスタルの裏に回り込むと、直進してきた顎の一つが、骨を咥えるように噛み付いた。あっという間に圧力に耐え切れなくなった紅いクリスタルが粉砕、破片が石礫のように飛んでくる。そのキラキラと輝く破片の雨を抜け、三つになった顎が芹佳を追ってきた。

「しつこいのはキライなの、《魔迅剣》!」

 放たれた剣の軌跡が先頭の顎を一つ破壊する。しかし、しかし残りの2つが同時に飛びかかってきた。魔迅剣では対処できないと、陽光の盾を突き出した。

「もうっ《ソーラーフレア》!」

 陽光の盾が眩い光を放つ。今まさに芹佳に噛み付こうとしていた闇の顎は、その強烈なフラッシュに飲み込まれ消滅した。至近距離の闇属性攻撃を無効化するスキルだ。強力なスキルだけれど、その分MPがごっそりと減ってしまう。奥の手として取っておきたかったのだけれど、それどころではなかった。

「でも、あっちも大きな呪文を使ったからMPが減って……えーーー!」

 不満の声を漏らす芹佳の視線の先では、智代がポーション瓶に入った青い液体を飲んでいた。誰に説明されなくても、それがMP回復の薬だと分かった。

「だからずるいって! 智代、ホントそういうとこあるよね」

 要領の良いところはノーフェイスに操られていても変わっていないらしい。そんな芹佳の苦情に反論するように、智代は影の錫杖を突き出した。

「《ブラックボム》」

 放たれる黒い火球に向かって芹佳もスキルを放つ。

「《魔迅剣》!」

 巻き起こった爆風とクリスタルの破片の中を、芹佳は走り抜けていく。どうせシェイドアローを使われるなら、出来るだけ距離を詰めておいた方が良いと思った。

「《オブステンシィ・ギア》」

 しかし予想に反して智代は今まで使ったことのない、黒い円形のノコギリ刃を水平に飛ばしてきた。

「ふわあぉっ!」

 奇跡としか言いようのないタイミングで、倒れこむと頭上を直径1メートルはある巨大な丸のこが過ぎ去っていった。間一髪で避けた自分を褒めながら、芹佳は安堵の溜息を吐き出す。

「ふぅー、助かっ……ってないじゃん!!」

 立ち上がった視界の端に、紅いクリスタルを破壊し戻ってくるノコギリの刃が見えてしまった。

「そんなの聞いてないから!」

 やけくそ気味に叫んだ芹佳は、そのまま智代に向かって走った。ノコギリに真っ二つにされるのが先か、智代を突き倒すのが先か、割り切ることにしたのだ。迷ったら考えと行動を単純にした方が上手くいくと信じていた。

「いまっ! 行くからっ!」

 たぶん人生で一番の全力疾走だ。千切れるほど腕を振って、足の指の骨が砕けるほど地面を蹴った。今なら運動会の100メートル走で一等賞を取れそうな気がする。後ろから嫌な音が迫ってきているけれど、聞こえないふりをして走った。その甲斐あって、智代まで3メートルと近づく。智代は迫る敵を迎え撃つべく、杖を振りかぶっていた。

「こっのぉおおおっ!!」

 うなじにヒヤリと風を感じながら、芹佳は智代に飛びかかった。振り下ろされた杖が芹佳の肩を打ちすえる。芹佳は痛みに熱い息を吐きながらも、ついに智代を地面に押し倒した。ふわっと舞い上がった芹佳の髪の毛を、ノコギリが巻き込むようにして切り取り、そのまま虚空に消え去った。

「やっと捕まえた♪」

 ようやく手の届く距離まで近づけた芹佳は、身体の下にいる智代に笑いかけた。どれほどこの時を待っていたかなんてまるで知らない智代はもがき、手にした杖を脇腹に打ちつけてくる。薄衣のような妖精の鎧だけれど、防御力はしっかりあるので痛くはない。

「ちょっ、暴れないでよ智代!」

 このままではアイテムを使うどころではない。芹佳は剣を握る右腕の肘で、智代の首元を押さえ込む。それから左の掌を開きアイテムを取り出した。

「《ナイアスの水》。はい、それじゃあお薬の時間ですよー」

 フラスコ瓶を暴れる智代の口元に持っていく。何をされるか分かっていないのか、智代は口を開いていた。

「《ブラック――」

 桃の花みたいな可愛らしい唇が躊躇なく動いた。この密着状態であの爆発。自分はともかく、智代が死んでしまう。

「《サンシャイン》!」

 芹佳は即座に盾のスキルを発動した。眩い光が智代の言葉の残響ごと、炸裂魔法を打ち消す。焼き付く光に目がくらみながらも、芹佳はナイアスの水を智代に飲ませようとした。しかし、智代は僅かにできた力の緩みにつけ込み、足を引きつけ力いっぱい蹴りあげてきた。まさか智代が力づくの体術で反撃してくると思っていなかった芹佳は、この蹴りを下腹部に食らってしまう。腸を押し上げられるような衝撃に身体が突き飛ばされ、芹佳は地面を転がる。そうして一回転したところで、ぴょんと跳ね起きた。

「患者さんは大人しくしてって、あっ! ああああっ!!」

 左手に持ったフラスコ瓶が空になってしまっていた。中に入っていたナイアスの水は、芹佳の乳房からお腹にかけてを盛大に濡らしていた。

「もう、あとちょっとだったのに! ひどいじゃん!」

 芹佳が抗議の声を上げるが、もちろん智代は聞いていなかった。接近戦は不利だと分かったのか、クリスタルの柱が多い方に移動しようとしていた。それを追いかけながら芹佳は考えた。

(どうしよう、ナイアスの水の残りは一つ。もう絶対に失敗できないよ)

 智代を助けたいし、信じてくれた大神くんを裏切りたくない。プレッシャーに胃が痛くなりそうだ。

(でもでも、戦いの途中でどうやって飲ませばいいの? 剣とか盾とかめっちゃ邪魔なんですけど! でも、武器がないと、そもそも智代に近づけないし……)

 防御も牽制もできなくては、ナイアスの水を飲ませる以前の問題だ。答えをくれる大神くんはここにはいない。智代を救うために、別の場所でノーフェイスと戦ってくれている。

(あたしが大怪我したら傷薬いっぱい使って助けてくれて…………そういえば、あの時も……使いすぎて……ビショビショに……)

 下を向くとビスチェに包まれた乳房が、ナイアスの水で濡れていた。

(あぁああ! そうだ! 別に手で持つ必要なんてないじゃん!)

 思いついたのは少しズルいアイディアだけど、賭けてみる価値はある。

「あんがと大神くん! いまから智代を助けるからね!」

 意気込んだ芹佳は最後のナイアスの水を取り出した。



 体勢を低くした八雲は平行に揃えたレイピアとショートソードを跳ね上げる。無造作に叩きつけられたノーフェイスのブラッドソードと接触、甲高い音がリズミカルに二度続いた。

 八雲は触れる二本の刃を滑らせ、低い体勢のままノーフェイスの懐に潜り込むと、ショートソードで防御したまま右手のレイピアで斬りつける。ノーフェイスは反射的に左手に握ったダガーを振るい、レイピアの剣先を弾いた。そのまま突き出されたダガーを、八雲は反転して避けると距離をとった。

「アハハハッ、殺し合いって意外と楽しいね!」

 ノーフェイスは鉄板焼き屋の店員みたいに、両手に持った二本の剣をチャカチャカと打ち合わせた。

「なんでこんな楽しみ方しかできないんですか?」

 注意を逸らそうと喋りかけた八雲は、踏み込みながら素早くレイピアで斬りつける。その動きを読んでいたのか、ノーフェイスも前に出るとブラッドソードを振るう。二本の軌道は40度で交わり力強い金属音を響かせる。力で押そうとする両者の顔がぐっと近づく。白地に落書きみたいな口だけのノーフェイスの顔が、楽しげに笑っているように見えた。

「これぐらいしないと、キミはボクと本気で戦ってくれないだ、ろっ!」

 ノーフェイスが腰を回す。ダガーで斬りつけてくると警戒していた八雲は、逆サイドに踏み込みショートソードで切りつけようとする。リーチで優っているこちらの攻撃が先に届く、そう思っていた八雲の脇腹を衝撃が襲った。

「あがぁっ!」

 回し蹴りだった。ノーフェイスはさらに肩を入れ全身の回転で左足を振りぬく。想定外の攻撃に体勢を崩された八雲は耐えられなかった。叩きつけられるようにして地面を転がった。

 意識を切り替えた八雲は、肺が訴える痛みに耐えながらさらに無理やり地面を転がる。そうやってノーフェイスから距離をとって立ち上がった。

「げほっ……うぅ……誰かと一緒に遊びたいなら……そう声に出せばいいじゃないか」

 戦意は折れていない事を示すボクサーのように、八雲は剣を構えた。

「いつもひとりぼっちのキミがそれを言う? 面白い冗談だね」

 ノーフェイスは二刀流から、茨の鞭に持ち替える。

「ひとりぼっちはキミの方だ」

 リーチが必要だと判断した八雲は武器を鋼鉄の槍に変更し、両手で構える。対峙する視界の端で二人の昂ぶりに合わせるように、巨大クリスタルがさらに紅みを増していた。

「もしかして、あの子と友達になったつもり? 違う違う、キミの勘違いだって。彼女、モデルだっけ? ゲームでしか人と関われないキミとは、住む世界が違うんだよ」

「住む世界が違っても、たとえ友達じゃなくても。ぼくが如月さんのために何かしたいと思えば、その時だけはひとりじゃない。同じ学校に通って、ちょっとだけ挨拶をする。それだけでいい。たぶん、それが普通の事なんだ」

 少しずつでも、そういう普通を理解できればいいと思った。

「またまた強がっちゃってー。キミがどんな理屈をこねくり回しても、ゲームが終わったらキモいゲームオタクはポイだよ。だって現実世界のキミはポケットティッシュほどの役にもたたないもの」

 ノーフェイスはティッシュで鼻をかみ丸めて捨てるジェスチャーをした。

「うん、そうかもしれない。だって如月さんにとってこのゲームは、友達を助けるための手段だもの。それが普通なんだ。ぼくやキミみたいにゲームが全てなのは、ちょっとどこかおかしい」

「ハハハッ、おかしいって分かってたんだ。だったらさ……フフッ、もっと楽しみなよ、《ヘル・メリーゴーランド》!」

 振り回した茨の鞭がヘリのローターのごとく加速し、生理的恐怖を呼び起こす音を立てる。破壊の大旋風に触れたクリスタルが音を立て粉砕され、赤や青に煌めく吹雪を作り出す。

「マナーが悪い人とは遊びたくないからね、《螺旋掛け》!」

 緑の風をまとった八雲は、クリスタルの吹雪の中に突っ込んでいく。エフェクトにぶつかってきた破片がさらに細かく砕け、八雲の身体は三色のベールを纏ったかのように彩られていた。

「マナーの押し付けは嫌われるよ! 《ソーンドリル!》」

 嵐が唐突に止みクリスタルの破片が舞い落ちる中を、とぐろを巻いた鞭が巨大な茨のドリルとなり地面を砕きながら襲いかかってきた。

「《跳ね上げ》!」

 派生技を出した八雲は槍を地面に突き立て、棒高跳びの要領で直進してきた茨のドリルを越えていく。ダメージ判定やガードポイントのないただの移動技だが十分だ。ドリルを飛び越えたその眼下には、ノーフェイスが迫っていた。八雲は空中で前方回転し、鋼鉄の槍を振り下ろす。

「当たらないよ!」

 スキル硬直が解けたノーフェイスにギリギリのバックステップで躱されてしまう。誰もいなくなった地面を槍先が打つ。一瞬送れて着地した八雲は衝撃で僅かに動作が遅れてしまった。

 その隙を逃さず振るったノーフェイスの鞭が、八雲の太ももに絡みつく。鞭から突き出した棘がズボンごと肉に突き刺さり、さらに血流を奪うようにギリギリと強く締め付ける。

 このままではまずい。咄嗟に判断した八雲は、武器をゴブリンの杖に持ち換えると即時発動する魔法を放った。

「《グレイブ》!」

 発射された円錐状の飛礫が、二人をつなぐ茨の鞭の上をかっ飛んでいく。

「ボクのジョブ、忘れちゃった? 《リフレクト・ストーン》だ」

 ノーフェイスは前方に魔法陣を展開する。そこに飛礫が到達すると同時に八雲はもう一度、呪文を唱えた。

「《グレイブ》!」

 軌道をずらして発射した飛礫は、魔法陣で反射された飛礫と空中ですれ違う。正反対に進む飛礫だったが、各々のターゲットへ同時に命中した。

「がぁっ!」「ぐっ!」

 腹を押さえる八雲と肩を押さえるノーフェイス。同じ攻撃だが、ヒットした場所によるダメージの差が僅かにあった。

「リキャストの仕様を忘れてたかな?」

 拘束力を失った茨の鞭を解いた八雲が言い返した。通常、攻撃系のスキルや魔法は一人のプレイヤーにつき、同時に一つしか発生させられない。なのでグレイブが残っているうちは、次のグレイブは放てないはずだ。しかし、反射された時点で最初のグレイブがノーフェイスの呪文扱いになるため、八雲はすぐさま次のグレイブを放つことが出来たのだ。

「なるほどなるほど、キャラ対策は考えてあるってことね。いいよ、実にグッド。でもさ、相打ちじゃボクを倒すことは出来ないんじゃない?」

 ノーフェイスの言うとおりだった。ただでさえレベルが負けているというのに、八雲の職業は最弱ステータスが特徴のパンプキンナイトだ。相打ちを続けていては、体力差でいずれは負けてしまう。使えるスキルや魔法の種類がもう少し多ければなんとかなったかもしれないけれど、無い物ねだりをしても仕方ない。

「大丈夫です。あなたを倒すとっておきの方法は、別にありますから」

 そう言って八雲は装備を切り替えた。右手に業火の杖を持ちつつ、左手にショートソードだ。

「ちょっと不格好だけど魔法剣士スタイルね。そういうの好きだよ、とっても楽しそうだ。ボクも真似しちゃおっと、ふんふ~ん♪」

 楽しそうに鼻を鳴らしたノーフェイスは、右手にブラッドソードを、左手に蛇革の鞭を装備した。

 その僅かな隙にも八雲は回りこむように移動しながら呪文を放つ。

「《ファイアボール》」

 バスケットボールサイズの火球がノーフェイスに向かって、轟音とともに飛んでいく。

「《アイオロスエッジ》」

 ノーフェイスの振るった鞭から緑の波動が放たれる。速度の遅いアイオロスエッジは、浮遊機雷のようにファイアボールに触れ相殺の爆発を起こした。その余波を食らった紅いクリスタルが、戦いを盛り上げるように砕け散った。それを見下ろす巨大クリスタルが、さらに紅さを増していた。



 芹佳は懸命に走っていた。あたり一面にクリスタルの破片が散乱していて、一歩ごとにバリンバリンと派手な騒音を撒き散らす。右から迫っていた影の矢印を、残り少ないクリスタルの柱を障害物にして防ぐと、左から飛んできたもう一本を盾で弾き返した。最初こそ上手く対処できたシェイドアローだった、今は追い詰められるようになってしまっていた。距離をとった智代が位置を変えながら、魔法を放ってくるのでタイミングが掴めなかったのだ。芹佳も距離を詰めようとするのだけれど、智代の逃げ足が意外と早くて追いつけないでいた。

「《オブステンシィ・ギア》」

 智代の声に続き、ヒビの入っていた右後方のクリスタルが砕け散る音が響いた。芹佳は咄嗟に横っ飛びに避けるが、回転する黒い刃が肩口の肉を削りとっていく。

「んんっ!!」

 目を見開いた芹佳は熱い痛みに悲鳴一つなく耐える。それから振り向き、ブーメランのようにぐるりと戻ってきた回転する刃にグラディウスを力いっぱい叩きつけた。渾身の一撃に黒い刃は砕け散り、ライターで炙られた紙片のごとく燃え尽きた。

 この間にも智代は移動していて、一度は近づいた距離もまたひらいてしまっていた。それでも芹佳は智代を追い詰めようと、諦めずに向かっていく。

 智代の行動パターンはもう分かっている。小技で隙を作り、そこに中技は放ち、さらに大技で畳み掛ける。そうして距離を作ったらMPを回復するというサイクルだ。

(このままじゃ、あたしの方が先に参っちゃう!)

 先ほどのサンシャイン連発が効いて、MP残量はもっとも消費の少ない魔迅剣を使うの精一杯だ。智代の攻撃が次のサイクルに入ったら、ジリ貧になるのが目に見えていた。

(もう何が何でも行くしかないじゃん!)

 芹佳が決意すると同時に、智代の魔法の詠唱が終了した。

「《タナトス・アイ》」

 智代の周囲の空間に無数の黒い線が現れる。行くと決めた矢先に今まで使ってこなかった新呪文だ。頭のなかを見透かされているような、ある意味で智代らしいタイミングだったので、芹佳は苦笑するしかなかった。

 黒い線は縦に開くと虚ろな眼球となった。瞳孔にあたる虚の部分から、うねうねと黒い触手が噴き出してきた。

(超キモいんですけど!)

 蠢く系の虫のような生理的な嫌悪感に鳥肌が立つ。しかも、一本二本ではなく眼球の数と同じ10本以上だ。この気持ち悪い魔法を考えだした誰かは、きっと嫌がらせの天才に違いない。

(キモいけど突っ込むしかないんですけど!)

 足を緩めなかった芹佳は、突出してきた黒い触手に向かって剣を振るう。肉を切ったような感触が伝わり、膨らんだ先端を切断された触手がグラディウスの炎効果で燃え上がった。ガソリンに火がついたかのように、炎は一気に根本の眼球まで達した。燃え上がった眼球は瞼を閉じて触手をぼとりと落とすと、そのまま虚空へと消えた。

 とりあえず、炎が有効に働くことは分かった。芹佳は剣をさらに二本目を触手を連続で燃え上がらせた。そこまでは良かったのだけれど、三本目と四本目が時間差攻撃のように連続して襲いかかってきた。先の方をまず盾で跳ね返し、次の一本を斬り伏せる。すると、さらに後ろから迫っていた触手が加わり、今度は4本を同時に相手にしなければならなくなった。

(ああ、もうっ! こんなにいっぱい相手にできないよっ!)

 芹佳は正面から迫っていた一本を斬り払うと、できた隙間に向かって走りこんでいった。通り過ぎた触手が戻ってくるけれど、正面のやつ以外は無視すると決めた。

 左前方から急速に伸びてきた触手を盾で払いのけ、下から突き上げてきた二本をグラディウスを横に振りぬいて薙ぎ倒す。燃え上がる触手を飛び越えると、待ち構えたていたかのように、左右から二本、さらに正面から五本の触手が一斉に芹佳に襲いかかる。もちろん背後からは、ここまで無視してきた触手たちが迫っていた。

(おねがい《魔迅剣》!)

 ありったけの願いを込めて、芹佳はエクスフォンの画面をタッチし魔迅剣を発動する。ピコーンという耳慣れない電子音がエクスフォンから聞こえた気がしたけれど、芹佳は気にせず全力で剣を振り下ろした。さらに身体が勝手に動き、×印を描くようにもう一度剣を振りぬく。

 眼前に出現したのは、いつもの二倍サイズのクロスした波動だった。波動は僅かに空中に停滞した後で、急激に加速を始めた。

(なんだかしらないけど、ラッキーっ!)

 芹佳はクロスした波動を盾にして走った。全力で振る腕につけたエクスフォンの画面には、魔迅剣・双連の文字が光っていた。

 波動は押し寄せる触手を斬り裂き燃え上がらせ、芹佳の進む道を切り開いた。その先にはポーションを飲み終わった智代の姿があった。

 正面の触手を全て消し炭にした所で、空中に浮かぶ気持ち悪い眼球が瞼を閉じた。智代まであと5メートルもない。智代は接近を阻もうと杖を突き出し呪文を放った。

「《シェイドアロー》」

 三本の影の矢印が芹佳に殺到するが、構わず突っ込んでいった。盾にした波動が打ち消してくれると信じていた。

 しかし、全てが思った通りにはいかなかった。波動は急激に薄くなり、ついには矢印とぶつかる前に消えてしまったのだ。何事も無く波動を越えた影の矢印が芹佳に襲いかかった。全力で腕を振って走ることに集中していた芹佳は、躱すことも防御することも出来なかった。

 一本の影が芹佳の腹を貫いた。皮膚と肉を突き刺される鋭い痛み。そして、通り抜けていく影の矢印がそのまま内臓を引きず出していくかのような激痛が芹佳を襲った。

 絶叫して痛みに転げまわりたい自分を抑えこんで、芹佳は地面を蹴った。残り二本の影の矢印を躱し、そのまま智代に肩からぶつかって行く。もつれ合うようにして二人は倒れ込んだ。

 今度は抵抗する暇など与えない。地面に押し付けた智代の両手を押さえ込み、その唇を奪った。

「んっ……」

 閉じようとする唇を舌で無理やりこじ開け、芹佳は自らの腔内に溜めていた液体を流し込んだ。

「んん……ん……あっ、んんん……」

 口全体を覆うように塞がれた智代は為す術なく液体を飲み込んでいく。すると智代の身体から徐々に力が抜けていった。ナイアスの水が効果を発揮したのだと分かった。

 芹佳の腔内が空になり、智代が最後の一滴を喉を鳴らして飲み込んだ。虚ろだった智代の瞳に生気が戻っていく。

「芹佳……ちゃん? ん、なに……えっ?? せ、せ、芹佳ちゃん!!!」

 智代のくりくりと可愛らしい目が驚きに見開かれた。

「ぷはぁ~……智代、おはよー」

 唇を離した芹佳はいつも教室でするような調子で挨拶をした。

「な、なにしてるの? えっ、えっ? どういうこと。なんで、芹佳ちゃんと、き、キス?!」

 さっきまでの事を覚えていないのか、智代は目を白黒させていた。いつも落ち着いている智代が狼狽えている姿が面白くて、芹佳は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「白雪姫を目覚めさせるにはキスが必要でしょ?」

 そう言って芹佳は人差し指で智代の下唇をちょんとつついた。驚いた智代がビクッと身体を震わせた。その身動ぎが刺されたお腹に伝わり、痛みを思い出した芹佳は小さく呻いてしまう。

「ひぐぅっ……」

「ちょっ! 芹佳ちゃん、お腹! え、生理じゃないよね? 怪我してるの?!」

 垂れた血に触れた智代が、動揺して変なことを口走っていた。

「回復魔法とか使えない?」

 冗談めかして言った芹佳は、腕立て伏せみたいな格好を保持するのが辛くて、ごろんと横に転がり地面に身体を投げ出した。

「わたし、黒魔導士だから……あ、でも《高級傷薬》があるよ」

 そう言って青色の傷薬を取り出した智代は、慣れた手つきで芹佳の傷に使った。

「はー、助かった」

 一息つく頃には液体を吸収した傷口は完全に塞がり、痛みもなくなった。

「あっ、智代も知ってるんだ。エクステンダーとかいうやつなの?」

 今更だけれど芹佳は少し驚いた。てっきり何も知らないままノーフェイスのやつに洗脳されてこき使われているのかと思っていた。

「うん、ゲリライベントでジャックさんと知り合って、エクステンダーにならないかって誘われたの。って、芹佳ちゃんはなんで知ってるの? ゲームとか全然やらないのに?」

「それは話すと長くなるんで後回し。それより、智代はジャックの正体知ってるの?!」

 思わぬ重大発言に芹佳は身を乗り出した。

「正体って? メッセージでやり取りしてたし、拡張幻想世界で直接待ち合わせしてたから、リアルの顔は知らない。でも、話した感じからすると、同じぐらいの年齢の人かな」

「えええっ?! 顔も知らない人とこんな危険なことしてたの?!」

「ちょっと変わった体感ゲームだよね。基本はXFWと変わらないし、相手のリアルの顔とか関係ないって」

 相変わらずだけれど、頭のネジが数本抜けているとしか思えない答えだった。こんな智代だからこそ、ノーフェイスも『使えるパートナー』として選んだのかもしれない。

「……うん、もっと色々と聞かなくちゃいけない気がするけど、今は時間がないから。とりあえず、大神くんを助けに行こっか」

 色々と諦めた芹佳は立ち上がり、お腹の傷跡を伸ばすように背中を反らした。

「大神くんって、同じクラスの? 芹佳が前に言ってた?」

「うん、向こうですっごい悪い奴と戦ってんの。もしかしたら、もう勝っちゃってるかもしれないけどね」

 そう言って芹佳は淡い光を放つ魔法陣を指差した



 払い飛ばされたショートソードがくるくると回転しながら、赤々と光る巨大クリスタルに当たり澄んだ音を響かせた。

「さあさあどうするんだい、勇者ヤクモくん? 早くとっておきを使ってくれないとこのまま負けちゃうよ」

 ノーフェイスは挑発するように言って、左手の蛇革の鞭で中距離攻撃を仕掛けてくる。八雲は右手にもった業火の杖を突き出した。獲物を絞め落とす蛇のように鞭が杖に絡みつく。八雲は鞭の絡んだ杖をグッと引き付けながら、右腰にマウントしてあるエクスフォンを操作し、左手にレイピアを出現させる。

 八雲はそのままレイピアで斬りかかろうと考えていた。しかし、先に動いたのはノーフェイスだった。一足飛びに距離を詰めると、ブラッドソードで斬りつけてきた。八雲は咄嗟にレイピアを掲げ、この斬撃を防御する。ここまで幾度かの斬り合いで負った脇腹の傷が痛んだ。それが影響してか、ノーフェイスに力で押し負けてしまう。八雲は踏ん張ることを諦め、ノーフェイスの足元に潜りこむようにして倒れこんだ。相手の体勢を崩そうと考えたのだ。

「おっと」

 突然のことに、前につんのめるノーフェイスだったが転びはしなかった。地面に仰向けに倒れ込んだ八雲は、レイピアでノーフェイスの太ももを斬りつける。しかし、その剣先が届くよりも早く、ノーフェイスのブラッドソードが八雲の左肩を突き刺した。当然、レイピアが届くことはなかった。

「いっっ!」

 八雲は歯を食いしばり神経がざらつくような痛みと、湧き上がってくる叫びに耐えた。ノーフェイスはブラッドソードの柄に手をかけたまま屈み、八雲の顔を覗き込んできた。

「このまま腕を斬り落としてみようかな。部位欠損のダメージに対して、回復アイテムがどう作用するか試してなんだよね。繋がるのかな? 塞がるのかな? ふふふ、大神くんはどっちだと思う?」

 冗談めかして言っているけれど、ノーフェイスなら実験のためだけに腕を斬り落とすぐらいやりかねない。

「そういうことは自分で試せ、ばっ!」

 蛇革の鞭による拘束が緩んでいたのに気づいた八雲は、右手に持った業火の杖で覆いかぶさるノーフェイスの脇腹を殴りつけた。

「そんなもの効かないよ」

 言葉通りノーフェイスは痛がりもしない。杖の物理攻撃力が低いことぐらい八雲だって知っている。しかし、そんなこととは別に人間は反射的に防御行動をしてしまうものだ。実際、ノーフェイスも左脇腹に力がこもっていた。そのせいでブラッドソードを握る手が少しだけ緩んでいるのを八雲は見逃さなかった。

「このっ!」

 八雲は勢い良く上半身を跳ね上げると、近づいていたノーフェイスの顔面に頭突きを放った。流石にこれは予想していなかったのか、ノーフェイスのすっぽりと頭を覆うマスクが凹むほどの手応えがあった。

「がぁっ!」

 今度はノーフェイスが息を吐く番だった。八雲は転がってノーフェイスの股下からぬけ出すと、すぐさま立ち上がりレイピアを突き出した。

「《千枚通し》」

 伸びたエフェクトの先端がノーフェイスの脇腹に迫る。

「おっと《パリィ》も忘れてもらっちゃ困るよ」

 いつの間にか左手に装備していたダガーを振るう。硬い金属音が響きレイピアのエフェクトが消滅した。しかし、八雲の攻撃は終わらない。構わず接近しレイピアで斬りつける。頭突きの衝撃から完全に復活したノーフェイスは、ブラッドソードでこれを受け止めた。

「まだ、終わりじゃないからっ!」

 さらに八雲は連続して斬りつけるが、全てノーフェイスの振るうブラッドソードに阻まれてしまう。

「チャンバラバラバラ♪ チャンバラバラバラ♪ チャンバラバラバラバ~ラ♪」

 こっちが必死になって斬りつけているというのに、カルメンのリズムに乗せてノーフェイスは愉快そうに歌っていた。単純な剣技でもレベルの差があるのは明白だった。

 剣で倒すのは無理だと悟った八雲は、少しだけ距離をとって左手のレイピアをゴブリンの杖に持ち換えた。

「お、杖の二刀流? あ、分かった分かった。右手の業火の杖と合わせて、2属性でボクを揺さぶろうっていうんだね。うんうん、2属性同時にはスペルブレイクできないもんね。ということは、さっきグレイブを反射させたのは布石かな? 例えば、ボクが相手の魔法を見てからアンチマジックの詠唱にどれ位の時間がかかるか、計ってたとか? この距離なら絶対に間に合わないって思ってる?」

 新しい展開が嬉しいのかノーフェイスはやたらと饒舌だった。

「さあ、どうでしょうか」

 対する八雲は言葉少なく、試すように両手の杖を突き出し交差させた。

「超至近距離での魔法早撃ち勝負、そういう燃えるシュチュ大っっ好きだよ! いいよいいよー、期待に答えてボクは後の先を狙ってみせようじゃないかっ! シャキーン!」

 ノーフェイスは腕をクロスさせる謎のポーズを決めると、西部劇のクイックドロー対決のように腰に手を当てた。

 唐突に訪れた沈黙に慣れない耳が、ありもしないノイズ音に満たされる。緊張感は高まっていくけれど、不思議と呼吸は落ち着いていった。そうすると世界から音が消えた。シューティングで激しい弾幕を避けている時や、落ち物パズルで降ってくるブロックが最高速度に達している時に近い感覚だった。

 そんな張り詰めた空気に耐えられなくなったのは、二人ではなく周囲のオブジェクトだった。ヒビの入っていたすぐ近くの大型の紅いクリスタルが、盛大に砕け散った。その音が合図だった。

「《グレイブ》!」

 八雲は左手のゴブリンの杖を突き出し呪文を声に出すと、同時に右手の指先で腰のエクスフォンに触れた。

 そして、宣言通りノーフェイスも動いていた。

「《リフレクト・ストーン》」

 反射的と言っても良いほどの速度でノーフェイスの前面に展開される魔法陣。

 それを『赤い火球』が通り抜けていった。

「へっ?」

 間の抜けた声を爆炎が飲み込んだ。その瞬間だけは、ノーフェイスの口しか描かれていないマスクに、驚きの表情が浮かんでいたように見えた。

「あっっづぃいいいいいいいいいいいいい!」

 炎に巻かれたノーフェイスが絶叫しながら地面を転がった。リフレクト発動中は他属性の防御力激減というデメリットがある。そのせいで、魔力の低い八雲のファイアボールでも大ダメージを与えたのだ。

 延焼効果が終わると、焼け焦げた燕尾服からぷすぷすと白い煙をあげるノーフェイスが倒れ伏していた。装備をレイピアに変更した八雲は、ぼろぼろになったノーフェイスに近づき、その首に油断なく剣先を向けた。

「げほっげほっ……な、なにを……したの? ボクの知らない……バグ?」

 肺の中まで酸素を焼きつくされたかのように、ノーフェイスは苦しそうに息をしていた。傷つき消耗しているけれど、見た目よりは元気そうだ。

「スキルや魔法を使うときに、発声とタップを同時に行うとタップの方が優先される仕様なんです」

 そう言って八雲は右の腰につけているエクスフォンを指差した。初めてのクエストで如月さんが魔迅剣を暴発させた時、疑問に思った発動の優先度についてはあの後すぐに調べていた。

「魔法を使うからといって、対応した杖を突き出す必要なんて別に無いですしね」

「ハハッ、早撃ちじゃなくて、赤白の旗揚げゲームだったんだね。見破れなかったボクの失敗だ」

 ノーフェイスは随分と素直に感心しているようだった。

「大神くん!」

 唐突に聞こえた声に八雲は視線をあげた。魔法陣の方から如月さん、そして葛西さんの二人が駆け足でやってくる。

「あー、やっぱり間に合わなかった」

 近くまでやってきた如月さんは、倒れたノーフェイスを見下ろし残念そうに言った。

「あぁ~、智代さんも負けちゃったか」

 正気に戻った葛西さんの姿を認めたノーフェイスが、まるで他人事のように肩を竦めた。葛西さんはまだ事情が分かっていないのか、少し戸惑ったような様子で一同を見回した。

 そんな葛西さんの疑問は、とりあえず横に置いておいて八雲はノーフェイスに釘を刺すことにした。

「あなたの完全敗北です。もし変な動きをしたら、容赦なく剣で足を刺します」

 流石に首を狙い続けるのは気が引けたので、八雲は剣先を下ろした。

「わかってるわかってる。なにもしないよ」

 本当に負けたことが分かっているのか疑わしげな気軽さでノーフェイスは降参と手を上げた。そんなふざけた様子に、如月さんは頬をピクピクと怒らせノーフェイスに詰め寄った。

「色々聞きたいことあるけど、まず全員に謝って」

「え~、なんでボクが謝らくちゃいけないの? ゲームの勝敗でマジになちゃって、もっとCOOLにいこうよ、COOLにさ」

 ノーフェイス巻き舌を駆使して惚けるが、その態度が如月さんの堪忍袋の緒をぶっちぎった。

「いいから、謝りなさい!」

 倒れたノーフェイスの胸をかかとで踏みつけた。

「うげぇっ! げほっ、げほっ……乱暴だな……あっ、はいはい、ごめんなさい。ボクの不徳の致すところでございました。平にご容赦を心よりお願い致します」

「こ、このおぉっ!」

 反省の欠片も見えないノーフェイスに如月さんが本気で剣を向けようとする。本当に殺してしまうんじゃないかという気迫に、八雲と葛西さんが同時に止めに入った。

「芹佳ちゃんがブチ切れてるのは分かったけど、とりあえず、わたしにもなにがあったのか説明してくれないかな。なんで、ジャックさんがリンチされてるの?」

 蛮行を阻止すべく、葛西さんが猛獣の気をそらすように質問をした。勢いを削がれた如月さんは、剣を降ろし葛西さんの方を向く。

「えっと、まずこいつはジャックの偽物で、ノーフェイスっていうの。そんでもって、こっちが本物のジャック」

 如月さんはノーフェイスに続き、八雲を指差した。

「えっ? 大神くんがジャック? ジャックってあの、パンプキンナイトのだよ?」

 よほど意外だったのか葛西さんは酷く驚いていた。

「えっと、いちおうXFW内ではそう呼ばれてます」

 八雲は自己紹介代わりに頭を下げた。

「智代はね、この偽ジャックのノーフェイスに騙されてたの。しかも、変な魔法でずっと操られてたんだよ。憶えてない?」

「んー…………全然憶えてないや。心配かけてごめんなさい」

 葛西さんは八雲と如月さんに向かって、深々と頭を下げた。思い出せなくても、今の状況からして自分がトラブルに巻き込まれて何か迷惑をかけたことが、分かってしまったのだろう。

 そんな葛西さんを見て、上半身を起こしたノーフェイスが拍手する。

「麗しき女同士の友情だね。迷惑かけて悪かったね、でも雨降って地固まるってことも、痛っ、ちょ、蹴らないで、脇腹っ! ぐぇっ」

 無駄なことを言い出したノーフェイスの脇腹を、如月さんが無言で蹴り続けた。

「痛い、痛いよ! じょ、冗談だって! 丸く収まったんだから、もう許してよ」

「許して欲しいなら、いい加減そのふざけたマスクを外しなさいよ!」

「いや~ん、エッチなんだから☆」

 声色を変えたノーフェイスはピンと指先を伸ばした両手で胸元を隠してみせた。その直後、我慢の限界を迎えた如月さんの蹴りが、サッカーボールみたいに白いノーフェイスの頭に炸裂した。

「おごわっ!」

 変なうめき声を漏らしたノーフェイスの身体が、勢いのままに人体として多少不自然な格好で一回転した。首でも折れてしまったかと、少し心配になったけれどノーフェイスは普通に起き上がった。

「いたた、智代さんはこんな暴力ゴリラとよく友達でいられるね。何か弱みでも握られてるなら、相談にのるよ」

「はやくしなさいっ!!」

 如月さんはノーフェイスの軽口には付き合わず、ビシっと剣を鼻先に突きつけた。

「わかったわかった。それじゃあ――」

 ゆっくりとした動きでノーフェイスは、左腕にマウントしてあるエクスフォンに右手を伸ばす。

「お詫びの《ビックリボム》のプレゼントだっ!」

 ノーフェイスの左手に、導火線から火花を散らす丸い爆弾が出現した。

「往生際の悪い奴!」

 如月さんが突き出した剣先に向かって、ノーフェイスも右の掌を突き出した。グラディウスの先端はノーフェイスの掌を貫き、真っ赤な炎に包み込む。そうやって右手を犠牲にしながら、ノーフェイスは左手では爆弾を放り投げた。その方向には葛西さんがいた。

「あぶないっ!」

 八雲は咄嗟に葛西さんを突き飛ばし、その身体に覆いかぶさった。そうして、爆発に備えたけれど衝撃も轟音もなかった。爆弾は倒れこんだ二人の頭上を越え、最後に残っていた紅いクリスタルにぶつかった。炸裂音が響き紅いクリスタルが粉砕する。破片が飛んでくるが直接の被害はなかった。

「ふ~《高級傷薬》っと」

 巨大クリスタルの所まで逃げたノーフェイスが、右手の傷に回復アイテムを使った。葛西さんを心配した如月さんが目を逸らした隙に、掌に刺さった剣を引き抜き後ろにさがっていたのだ。

「この期に及んでまだ智代を狙うなんて……もう容赦しない。そのマスク引き剥がして、動けないように脚の皿も砕いてあげる。傷薬で治るんだからいいよね?」

 怒りに歯を剥く如月さんに倣うように、八雲も剣を握り直した。葛西さんは多少戸惑っているようだけれど、いつでも魔法を使えるように杖を手にしていた。

 カウンターや無効化能力を持つスペルブレイカーだが、その強さはあくまで一対一の状況で真価を発揮する。どれだけレベルの差があろうと三対一ではノーフェイスに勝機はない。

「あいつはこちらの隙を狙って、逃げ出すつもりです。魔法陣の位置を気にしておいて下さい」

 八雲のアドバイスに頷いた二人が背後の魔法陣を確認する。

「あれれ、もしかしてボクが逃げ出すと思ってる? 違う違う、コイツから逃げるのはキミたちの方だよ」

 ノーフェイスの言葉に反応するように、紅く染まりきったクリスタルが光の脈動を始める。その光の中には得体のしれない、巨大な影が浮かび上がっていた。

「な、なに……」

 光の脈動が早くなるに従い影が黒さを増し、その威容に恐怖するかのようクリスタルの表面にヒビが入った。

「大神くんが忘れてしまっているようだから、ボクが教えてあげるよ。エターナルクエスト『世界の真実』には神器と同じ数の8体のボスがいた。そのうちの1体、邪龍神クロウ・クルワッハと戦う条件は12のクリスタルを破壊すること」

 巨大クリスタルのヒビはさらに広がり、大きくなっていく。

「さあ、戦いは未だ終わらないよ! ラストバトルはしょっぼい三下の悪役じゃなくて、超強い魔王とじゃないとね!!」

 ノーフェイスが紅く染まったクリスタルを人差し指で弾いた。その小さな衝撃で限界に達していたクリスタルは砕け散る。血の雨のようなクリスタルの吹雪の中、ついに封じ込められていた強大な魔物が姿を現した。

 規格外とでも言うべきサイズの人型に近いドラゴンだった。爪先から頭の角まで全高は15メートル、尻尾を含めた全長ならば20メートル以上はあろう巨大な竜神だ。大地を破壊するために存在する両足に、暴力そのものを固めた豪腕、それらを包み込んでいるのが溶岩を思わせる硬鱗と漏れ出る紫の光。体表面の光の流れを辿ると、頭部の禍々しく捻れた四本の角と、額に埋まる宝珠に行き着く。そいつが夜の闇を引きちぎってきたかのような二対の黒翼を広げているのだ。まさに邪龍神という言葉が似合う重圧を放っていた。

「邪龍神……クロウ・クルワッハ……」

 八雲は声に出してその名前を確かめた。降り注ぐプレッシャーが、この化物との戦いの感覚を蘇らせる。ノーフェイスの言うとおり、『世界の真実』のクエストで戦った相手だと確信がもてた。

 クリスタルの台地に降臨したクロウ・クルワッハは、長き眠りを吹き飛ばすように恐ろしい咆哮を放った。共振した周囲のクリスタルがことごとく砕け散っていく。

「うるさーーーーい!」

 両手で耳をギュッと押さえた如月さんが、咆哮に負けじと苦情の声をあげた。クロウ・クルワッハはまるでその言葉を理解したかのように、首を突き出しこちらを血のように紅い眼でこちらを睥睨する。そして、狩りの始まりを喜ぶように牙を剥いた。

「逃げましょう!」「大賛成!」「はいっ!」

 三人は流れる詩のごとく言葉をつなげると、まるで最初から決められた手順を踏むようにくるりと踵を返し、魔法陣に向けて走りだした。

 クロウ・クルワッハが地面を踏みしめる振動が背後から伝わってくる。怖いもの見たさで、振り返りたくなる衝動を抑え三人は魔法陣に飛び込んだ。

「あれ、あの偽物の人は?」

 ひとつ前のクリスタルの広場に戻ったところで葛西さんが、思い出したように言った。

「ノーフェイスなんてどうでもいいから! むしろ、あのでっかいのに食べられちゃえばいいって!」

 先頭を進む如月さんは振り返ると、足を止めようとした葛西さんの腕を引っ張った。

「まったく酷いなー。セオリーを無視しないでよね」

 声は頭上を越える巨大な影とともに降ってきた。空中に浮遊するクリスタルの台地が、ワルガキが跳びはねるボートのように激しく揺れた。

「うわあぁああっ!」「もぉおおおっ!」「きゃぁっ!」

 次の魔法陣への道を塞ぐように降り立ったクロウ・クルワッハは、四枚の翼で空気を打ちつけ三人の叫びをかき消した。

「勇者パーティがラストバトルから逃げたらダメでしょ」

 クロウ・クルワッハの左肩に腰掛けたノーフェイスが、両手を交差させ×印をつくっていた。

「そんな常識知らないから!」「わたし勇者じゃなくて、黒魔導士だから!」

 女性二人は怯まず苦情をノーフェイスに叩きつけた。ノーフェイスは肩を竦めると、同意を求めるように八雲に視線を向けた。

「ロマンを解せないとは甚だ遺憾だよね、大神くん」

「いえ、ぼくも二人の意見に賛成です。魔王ごっこがしたいなら他の人ををあたって下さい、《スロウ》」

 こっそり装備をタリスマンに変えていた八雲は、会話の流れからそのまま行動速度低下の魔法を放った。巨大シャボン玉が、胸を張り翼を広げたクロウ・クルワッハに向かって飛んで行く。

「いけクロウ・クルワッハ、かえんほうしゃだ!」

 前のめりになって首を下げたクロウ・クルワッハは、岩窟の牢獄を思わせる顎を開き赤黒い炎を吐き出した。

スロウの泡を保ち続けていた八雲の反応が送れる。炎は火砕流のごとく押し寄せ、八雲を飲み込んだ。

「ひぁっアァっ! あっ、ヒッあああ! あああああぁあ!」

 八雲は熱さなんて超越した純粋な痛みに絶叫し、その場に倒れこんだ。目なんて開けていられない。ただ地面の感覚だけを頼りに転がり、どうにか炎のダメージ判定から逃れた。

「《傷薬》!」「《高級傷薬》!」

 左右から如月さんと葛西さんの声が聞こえ、すぐに緑色の液体が八雲の身体に降り注いだ。空気が触れるだけでも、神経を触られたように痛んだ全身が元に戻っていった。

「理由は分からないけどとりあえず、そこから降りて下さい、《ブラックボム》!」

 想像していたよりもずっとアグレッシブな葛西さんは、ノーフェイスに向かって黒い火球を放つ。しかし、うざったげに振るわれたクロウ・クルワッハの左手に阻まれてしまう。

「智代さん、フレンドリーファイアなんて酷いじゃないか」

 何やらノーフェイスが文句を言っているうちに、如月さんが八雲と葛西さんの腕を引っ張った。

「さっさと行こっ!」

「あ、無視しないでよね。ほら邪龍神ちゃん、あいつらを追いかけて」

 軽い口調の命令とは裏腹に、クロウ・クルワッハは重機が地面を穿つような地響きを立て、飛び跳ねながら寄ってくる。このままでは追いつかれると判断した八雲は、斜め後方に向かって業火の杖を突き出した。

「《ファイアボール》!」

 放たれた火球は奇跡的に無傷で残っていたクリスタル柱の根本を直撃する。支えている部分を粉砕されバランスを崩したクリスタル柱が、クロウ・クルワッハの足元に倒れこむ。ちょうど次のジャンプに移ろうとしていたクロウ・クルワッハはすねを引っ掛けられ体勢を崩す。さすがに転びはしなかったけれど、時間稼ぎには十分だった。

「ナイスだよ、大神くん!」

 如月さんの歓声に導かれるようにして、三人は魔法陣の中に飛び込んだ。再び景色が変わり、一番最初の足場へとたどり着いた。ステージのスタート地点には、依然としてポータルの光の渦が残っていた。

「ちょっと、待って待ってー。こいつ、邪龍神とかいう大層な名前のくせに足遅いんだからさ! ポータルから逃げたりしないでここで戦ってよ!」

 頭上から近づくノーフェイスの声とクロウ・クルワッハが落下してくる音が合わせて聞こえた。

「しつこいぃいいいい!!!」

 如月さんが心底イヤそうに言って、葛西さんの腕を引っ張り魔法陣へと駆け込んでいく。頭上から聞こえる風切り音は大きくなり、影も足場を覆うほどだ。足をもつれさせて少し遅れた八雲だったが、なんとかポータルへと身体を滑りこませた。その直後、背後ですさまじい音と衝撃が迸った。落下の衝撃に耐えかね、クリスタルの足場が崩壊したのだ。

「おわぁっ!」

 ポータルの光を抜けた八雲は勢い余って、目の前にいた如月さんの背中に顔からぶつかってしまった。こちらの世界に戻ってきたことで、エクステンドが解けて制服姿に戻っていたけれど、逆にそのせいでシャツ越しにブラジャーの感触が分かってしまった。さらに、そのまま八雲が倒れたので食い込んだ鼻先がツーーっと、如月さんの背中を擦ってしまう。

「ひぁぁっん!」

 ネコみたいな声を出した如月さんは、背中をピンと反らしてブルっと身体を震わせた。

「ご、ごめんなさい!」

 身を起こし咄嗟に謝った八雲の眼前では、ストライプ柄の可愛らしい下着とそれに包まれたお尻が燦然と輝いていた。倒れこんだ拍子に如月さんのスカートをおもいっきりずり下げてしまったのだ。

「あっ! あっ! す、すみま! すみません……」

 もう恥ずかしいやら、申し訳ないやらで、全力で視線を反らした八雲は消え去りそうな声で謝った。視線を動かしたお陰で、出現したこの場所は王英高校の校庭だと分かった。

「あはは、次からはぶつかってもスカートは掴まないでね」

 少し照れくさそうに笑った如月さんが、そそくさとスカートを履き直した。如月さんは許してくれたけど、八雲はどうしたらいいのか分からず口をぎゅっと引き結んでいた。

「すごく暗いけど、いま何時なのかな?」

 見かねたように沈黙を破ったのは葛西さんだった。八雲は慌ててエクスフォンの画面を確かめた。

「「11時」」

「「あっ!」」

 二連続で如月さんと声が重なってしまった。また気まずくなってしまうのかと思ったけれど、葛西さんの笑い声が変な間を吹き飛ばした。

「あははっ、そんなに焦らなくて良いよ」

 葛西さんの朗らかな笑顔につられて、八雲と如月さんも笑った。緊張感が途切れたせいか、ハウリングするように笑いの波が大きくなり、ついには三人ともお腹を抱えて意味もなく笑った。

 ひとしきり笑いが収まってから、如月さんは大きく伸びをした。

「あ~、疲れた。早くシャワー浴び――」

「ジャジャン! さてここで問題です!」

 突如、ノーフェイスの声が聞こえてきた。どこか近くに隠れているのかと見回すが、あのマスク姿はおろか人影もない。慌てる三人を挑発するようにノーフェイスはクイズを続けた。

「拡張幻想世界から外に持ち出せるものは4つあります。アイテムとスキルと魔法、そして残り一つはなんでしょうか? 回答時間は5秒、4、3、2……」

 カウントに呼応するように校庭の中央に光の渦が出現し、徐々に広がっていく。

「イチ! はい、ぶっぶー時間切れ! 正解はこれですっ!」

 直径1メートルほどに広がった光の渦から、巨大な右手が現れ鉤爪のような五本指を校庭に突き立てた。見間違えるはずもない、クロウ・クルワッハの腕だった。

「あんたなに考えてんの! そんなデカイの上野動物園でも引き取ってくれないからね!」

 的外れな気もするけれど如月さんの言いたいことは伝わってきた。

「やるなら派手にだよ! 世界の危機と戦わなくちゃ。そういうわけで、キミたちが逃げ出したら世界征服始めちゃうから。手始めにこの学校と街ぶっ壊しちゃうよー。あぶないー、危険だよー」

 ノーフェイスの言葉を証明するように、光の渦が拡がりクロウ・クルワッハの右腕が肘までポータルを抜けてくる。全身が姿をあらわすまで時間の問題だ。

「とりあえず、変身しましょう」

 八雲の呼びかけに如月さんと葛西さんが頷く。

「エクステンド」「エクステンド」「エクステンド」

 思い思いのタイミングでエクステンドしたので、掛け声はバラバラだった。王英高校の制服から、八雲と如月さんが戦士系の鎧装備に、葛西さんが魔法使い系のローブ装備に変わる。公園ならまだしも、学校内でファンタジーな格好になるのはどうにも落ち着かない。しかし、緊急事態なので恥ずかしいとか声に出してはいられなかった。

「それでどうするの、大神くん? この格好になったってことは、あいつ倒す凄い作戦があったりするんだよね?」

「い、いえ……とりあえず、制服が汚れたら困ると思って……」

 如月さんの期待のこもった視線を受けて、八雲は口ごもる。

「そういう場合じゃないって! そうだ、智代の魔法でどうにかできない? すっごいヤツいっぱい持ってるじゃん!」

 言葉に込められた期待の高さに葛西さんを救うときに、如月さんがどれだけ苦労したのかが垣間見えた。

「うーん、どうかな。さっきの魔法でほとんどダメージ与えられなかったし……見た目からして闇属性に耐性があるっぽいから、私の魔法は利きめが薄そうだよ」

 葛西さんの意見に同意するように八雲も頷いた。

「相手の攻撃は無属性なので、陽光の盾のスキルで無効化するのも無理ですね」

「もー、じゃあどうすんのさー。ノーフェイスが言ってることがホントなら、大神くんはあいつと戦ったことあるんだよね? どうやって倒したの? まさか敵前逃亡?」

 なんでもいいから答えが欲しいと言いたげに、如月さんは八雲の腕を引っ張った。

「えっと……『世界の真実』関連のバトルということは、選ばれた勇者が神器を持っていたはずです。神器は発動条件とかありますが、超絶能力のアイテムだったので、それで倒したのかと……」

 クロウ・クルワッハと以前戦った記憶が完全に戻ったわけではないので、ふわっとした回答になってしまった。

「その神器ってどこに落ちてるの? 買うの? いっそのこと、神様的なキャラがくれたりしないの!!!」

 無茶な願い丸出しの如月さんは、掴んだままの八雲の腕を神社の鈴紐みたいにガンガン揺すった。

「芹佳ちゃん、それはちょっと無茶な話だよ。そんな都合のいい超展開したら、ネットで大炎上しちゃうって」

 脱力した葛西さんが肩を落としている間にも、ポータルは拡がり続け、すでに直径は5メートルを越えている。クロウ・クルワッハは左肩をこちら側の世界まで入れ込んできているが、背中の馬鹿でかい羽が邪魔をしてまだ通り抜けられないでいた。

「早くしないと、もう出ちゃう! そうだ、ヒミツのコマンドとかパスワードとか裏ワザで最強装備になったりできないの!」

 如月さんの思いつきに八雲は横に首をふる。

「上上下下じゃないんですから。そもそも神器はエターナルクエストの世界での話です」

「じゃあ、その世界から持ってきてよ! おんなじネットゲームのデータでしょ!」

「そんな無茶苦茶を……言われて……も、あっ! いや……まさか……」

 否定する思考が一瞬で切り替わり、如月さんの言葉とノーフェイスの行動がつながっていく。

「どしたの、大神くん? なんか分かった?」

「……ノーフェイスはかなり歪んだ形ですが、正真正銘のガチゲーマーです。そんな人間が難易度が高いだけの事実上クリア不能のクエストを作るとは思えない……」

 八雲は手にとったエクスフォンを操作し、スキルパネルが並ぶバトル画面から、各種メニューアイコンが配置されたメイン画面に戻り、そこからさらに『各種設定』と開いていく。

「むしろ、あの性格を考えれば、スタート地点に隠しブロックを置いておいて、こんな簡単にクリアできるのにって嘲笑うタイプ…………あ、やっぱりあった、これです!」

 『引き継ぎ』の項目をタップする。アカウント名とパスワードの入力ボックスが表示された。

「ぼくの予想通りなら……」

 アカウント名に『oogami890』、パスワードに『gon05807』と入力する。

「ゴンって誰? 大神くん弟いるの?」

 見守っていた如月さんが唐突に尋ねてきた。

「昔、飼ってた犬の名前です」

 答えながら八雲は『引き継ぎ開始』ボタンをタップする。画面隅に通信アイコンが表示され、緊張の一瞬が過ぎていく。すぐに結果が現れた。エラーは吐き出されず、データ移行の経過を表すゲージが現れパーセンテージが0から上昇を始めた。流れる文字列からして、アイテムやフレンドリストのチェックをシステムが行っているようだ。

「がんばれ! がんばれ!」

 拳を握りしめた如月さんが、八雲のエクスフォンに向かってエールを送った。八雲も引き継ぎ完了のボタンをすぐに押せるように指を構えていた。

「あー、応援してるとこ悪いかもだけど、あいつもう出てきちゃいそうだよ……」

 ポータルの様子を見ていた葛西さんが、渋い表情で言った。八雲が視線をあげると、直径8メートルに拡がったポータルをクロウ・クルワッハが無理やりくぐり抜けようとしていた。

「デンデケデード、デンデケデード、デンデケデー、デンデケデード、デンデケデード、デンデケデー」

 上機嫌にワルキューレの騎行を口ずさむノーフェイスが、クロウ・クルワッハの押し込んだ肩に乗りこちらの世界に姿を現した。

「なにその恥ずかしいやつ」

 露骨に眉をひそめた如月さんが、斬撃よりも痛烈な一言を放った。

「ワルキューレの騎行だよ、ワグナー知らないの?」

「それぐらい知ってるから。趣味悪いって言ってんの分かんないかな?」

 二人の舌戦がちょうど時間稼ぎとなり、エクスフォンの画面に引き継ぎ完了の文字が現れる。タップして画面を進めると、一行だけの目録が表示された。たった一つだけ引き継がれたアイテムこそ、求める神器だった。

「きました! 魔竜神剣アーク・デネルです!」

 目録を閉じるとエクスフォンから光が溢れだし、八雲の眼前の空間に集まっていく。光が収束しきり現れたのは、八雲の身長を優に越える片刃の大剣だった。刃部分の美しい白銀色と、峰の部分の暗銀色が美しいコントラストを作り出している。持ち手は鍔から伸びたアームガード部分とその下の柄頭まで続く2つの部位に分かれている。通常の刀や剣と違い槍のように両手で構えることを想定した形状だ。

 八雲はその美しくも力強い大剣に手を伸ばした。

「イクイップ」

 装備を宣言するが、指先がアーク・デネルの柄に触れない。見えない壁のようなものがあって、八雲の邪魔をしていた。

「あれ? イクイップ」

 もう一度試してみたけれど、やはりアーク・デネルを握ることができなかった。心配そうな表情を浮かべる如月さんと葛西さんの前で、八雲はエクスフォンにアイテムのイベントリー画面を表示し説明文を読んだ。

「あ……これ、剣士系のユニーク属性装備になってます……」

 全ジョブの装備が使えるパンプキンナイトだけれど、例外がある。それがユニーク属性の装備だ。単純に高ランクの武具だったり、クエストに参加できるジョブを制限する場合などに設定されている。魔法石などで強化できないのも特徴だ。

「《イクイップ》」

 八雲が困っていると横から伸びた手が、アーク・デネルの柄を掴んだ。

「ほら装備できたじゃん」

 如月さんはしたり顔で言って、アーク・デネルを両手で構えた。八雲が呆気にとられるていると、葛西さんが呆れ顔で如月さんの肩を叩いた。

「芹佳ちゃん、他人の装備を盗むのはアカBAN級の重罪だよ」

「えぇー?? なんでちょっとあたしが悪いみたいになってんの? 装備できないんじゃ意味無いじゃん」

「装備できないアイテムでもね、コレクション要素とかあるんだよ……」

 反省の色が見えない如月さんに向かって、葛西さんはこれみよがしに深い溜息をついた。

「……如月さん、お願いします」

 心配する言葉を飲み込み八雲は如月さんを正面から見据えた。

「うん、あたしに任せてよ!」

 気負うでもなく、かといって軽いわけでもない、如月さんのいつもどおりの返事が心強かった。

「ボス戦まえの装備確認はできたかな? 残念ながらセーブポイントは無しだよ。後悔しないように編成を考えてね」

 ノーフェイスはシステム文でも読み上げるかのように、芝居がかった口調で言った。クロウ・クルワッハは既にポータルを抜けていたが、こちらの準備が整うまで待っていたようだ。ノーフェイス自身から極力戦闘を挑まないようにしているのは、RPGの作法に乗っ取ているつもりなのだろう。八雲にもその気持は理解できた。

「あんたこそ覚悟はできた? そのデカブツにキッツイの叩き込んであげるから」

 如月さんは重さを確かめるように、アーク・デネルの切っ先をノーフェイスに向ける。

「ムリムリ、キミに勇者は荷が重いよ」

「うん、あたし一人じゃムリ。でも三人ならイケるに決まってるじゃん!」

 両側にいる葛西さんと八雲を見て、如月さんは自信たっぷりに言った。

「わたしは勇者って柄じゃないんだけどね~」

 そう言いながらも、葛西さんはノリノリで杖を回して決めポーズをとった。

「全力でサポートします! 勝ちましょう」

 二人の勢いに背中を押され、八雲もいける気がしていた。

「オッケーオッケー、了解だ。ラスボスがドラゴンは一作目なんだけど……まあいいや。二作目なら三人パーティだもんね。そういうことにしようじゃないか」

 気を取り直すように肩をまわしノーフェイスはクロウ・クルワッハの肩の上で立ち上がった。

「さあ、長かったエピソードもフィナーレだ! 勇者パーティと魔王の戦い、その結末やいかに!」

 ノーフェイスが両腕を広げると、待ち焦がれたようにクロウ・クルワッハが咆哮をあげた。そして、退屈の鎖を断ち切るように二対の翼を広げ突風を巻き起こした。

 立ち向かう三人は、音の塊をぶつけられたような咆哮と、台風もかくやという突風を踏ん張って耐える。轟音が鳴り止むと、クロウ・クルワッハは準備運動は終わりだとばかりにその両手に暗い紫炎の球を出現させた。

「右へ避けてっ!」

 八雲の指示で三人は一斉に右方向へ走る。直後、クロウ・クルワッハの左手から放たれた火球が、数瞬前まで三人がいた地面に炸裂。直径10メートルの空間を抉り取り、暗い紫色の炎を撒き散らした。

「次は左っ!」

 クロウ・クルワッハが右手から火球を放つ。切り返した三人のすぐ背後で、二度目の爆炎が巻き起こった。

「さっすが大神くん、頼りになる! 一度倒しただけあるね!」

 如月さんに褒められてかなり嬉しかったけれど、それを態度に示している暇はない。

「油断は禁物です、もう次がきますっ!」

 八雲の言葉が聞こえていたのか、クロウ・クルワッハは空になった両手を握り、その拳を地面に叩きつけた。

「地面からクリスタルが生えてきます、気合で避けて!」

「おっとっと!」

 龍鱗にしがみつくノーフェイスの暢気な声とは裏腹に、大地が波打つほどの振動が八雲たちを襲った。ダメージこそ無いけれど立っているのがやっとだ。そこに雨後のタケノコの如く地面からボコボコとクリスタルが突出してきた。

「このっ!」「気合って!」「もおっ!」

 幸運か研ぎ澄まされた集中力か、三者三様にクリスタルの槍を躱しきった。しかし、この攻撃がクリスタルを林立させるだけではないことを八雲は知っていた。

「光ったクリスタルを破壊して下さい! ぼくが正面、如月さんは左、葛西さんは右です!」

 言い終わらないうちに、幾つかのクリスタルが光を放ち始めた。八雲の指示で担当方面に分かれた三人は各々のスキルや魔法でクリスタルを破壊していく。

「《千枚通し》!」「《魔迅剣》!」「《ブラックボム》!」

 一つクリスタルを壊しても、すぐに次のクリスタルが光りだす。その勢いは加速度的に拡がり、八雲たちの手数を超えていく。ギリギリで全て壊しきれないと判断した八雲は、次の指示を出した。

「クリスタルが爆発して全体ダメージが来ます! 防御をっ!」

 残り4個まで破壊した所で、全てのクリスタルに光が灯ってしまう。クロウ・クルワッハが咆哮をあげると、クリスタルたちは命じられたように共振し急激に光を強めた。八雲と如月さんが装備を盾に切り替え、葛西さんはマジックシールドを発動しダメージに備える。クリスタルが一斉に砕け散り、辺り一面が閃光に包み込まれた。

「うっ!」「まぶしっ!」「きゃっ!」

 光の奔流はひりつくような全身の痛みを残し過ぎ去っていった。見た目は強烈な範囲攻撃だが、炎天下で日に焼けた後にお風呂へ入った時の痛み程の威力だった。あとはせいぜい、飛んで来たクリスタルの破片が太ももに当たったぐらいだ。次前に光っているクリスタルを壊した分だけ、ダメージが激減されていた。

 大技を放った代償に、クロウ・クルワッハは地面に手をついたまま、息を整えるように動きを止めていた。

「チャンスタイムです! ぼくと葛西さんが魔法でノーフェイスを牽制します、その隙に如月さんがあいつの額の宝珠にスキルを叩き込んで下さい!」

「おっけー! いっくよーーー!!」

 装備を換えた如月さんはアーク・デネルを両手で構え、全速力でクロウ・クルワッハに突っ込んでいく。

「さてさてボクの――」

「《ブラックボム》!」「《ファイアボール》!」

 肩に乗ったノーフェイスが何か言っているけれど、無視して八雲と葛西さんは魔法を放った。

「台詞ぐらい言いたいんだけど《リフレクト・ファイア》」

 やたら平板な早口でまくし立てると、ノーフェイスは正面に手をかざし魔法陣を展開する。同時に発動した2つの魔法だったが、弾速の関係でファイアボールが先にターゲットに到達する。ノーフェイスはまず魔法陣でファイアボールを受け止めると、反射までのタイムラグを利用して腕を横に滑らせた。角度が変わった魔法陣からファイアボールが発射され、すぐそこまで迫っていたブラックボムと相殺する。

「次をっ!」

 八雲と葛西さんが再び魔法を使おうとするが、すでにノーフェイスはクロウ・クルワッハの肩から飛び降りていた。

「だから、せっかちはダメだって言ってるでしょ、《グースネックウィップ》」

 ノーフェイスが振るった蛇革の鞭が、唸りをあげて如月さんに迫る。

「あんた、邪魔っ! 《神魔――」

 それに対して、如月さんはアーク・デネルを振りかぶり、なんとスキルの発動体勢に入った。刃と嶺の間の筋、日本刀で言う鎬の部分から光と闇、二種類のエフェクトが溢れだす。

「えっ、えっ、こっちぃいいいい?!」

 驚くノーフェイスの絶叫を如月さんの一撃が斬り裂いた。

「――滅龍斬》!」

 刀身から溢れだした膨大な光と闇は重なりあい巨大な刃となり、振りぬいた軌跡を食い尽くす。ノーフェイスは咄嗟にブラッドソードで防御しようとしたが、その行動ごと光と闇のエフェクトに飲み込まれた。

「うぎゃあぁあああああああああ!」

 ラケットでぶっ叩かれたテニスボールのように、ノーフェイスの身体が地面を跳ね飛んだ。剣を持った腕と足があらぬ方向に曲がり壊れた木偶人形のような姿で、二度、三度と地面を跳ね、クロウ・クルワッハの足元まで転がった。

 その隙に如月さんは、クロウ・クルワッハに向かってもう一度アーク・デネルのスキルを使おうとしていた。

「神魔滅龍斬!!! って、あれ? 出ないよ!!!!」

 慌てる如月さん以上に、八雲は動揺していた。アークデネルのスキルには長めのクールタイムがあることを、伝え忘れていたのだ。

 ノーフェイスはそんなミスを横目にしながら、身を起こした。

「こ、こんな……やりか……って」

 ボロボロになりながらも、まだゲームを続ける気があるようだ。

「もったいな……けど、え、《エリクサー》……」

 アイテムを宣言し完全回復の秘薬を取り出した時だ。スキルのクールタイムを終えたクロウ・クルワッハがおもむろに立ち上がり、足を踏み出した。その真下にはポーション瓶に口を付けようとするノーフェイスの姿があった。

「「「あっ」」」「あああっ?!」

 3+1人の声が重なった。クロウ・クルワッハはその声に驚いたかのように、地面にドスンと足を降ろしてしまった。ノーフェイスのあのふざけた声は完全に聞こえなくなった。

「……ま、まあ、自業自得だよね。って、そんことよりスキルが使えなくなっちゃった!」

 もう過ぎたことだと、三人は一斉に意識を切り替えた。

「大丈夫です、MPが足りないのと、クールタイムのせいです。回復して時間が立てばまた使えるようになります。クロウ・クルワッハはもう動き出しているので、次のチャンスを狙いましょう」

 クロウ・クルワッハが再び咆哮を放つ。今度は直径1メートルほどの魔法陣が、数十個も地面に出現した。しかも、その魔法陣が劇場のスポットライトのように、校庭を縦横無尽に動きまわり始めた。

「魔法陣に触れちゃダメですっ!」

 八雲が注意するが少し遅かった。如月さんにMPポーションを投げ渡していた葛西さんが、滑り込んできた魔法陣を踏んでしまう。

「あっ!」

 魔法陣から極太の紫レーザーが上空に向かって放たれる。

「きゃっ!」

 間一髪で飛び退って躱した葛西さんだったが、足をもつれさせ転んでしまう。隙を見せた葛西さんの背後から、ランダム移動の魔法陣が迫っていた。

 八雲は倒れこんだ葛西さんに駆け寄りながら、装備を鋼鉄の槍に換える。

「ぼくに掴まって下さい」

 伸ばした八雲の手に葛西さんの手が重なる。グッと力いっぱい握りしめると同時に、八雲はスキルを発動した。

「《螺旋駆け》!」

 八雲の身体が緑のエフェクトをまとい急加速した。腕ごと引っ張られた葛西さんが苦しそうに小さな悲鳴を上げるが、手を離すわけにはいかない。振り切った魔法陣が何事もなかったかのように通り過ぎ去っていくが、目の前にも別の魔法陣があった。急に進路を変えられない八雲はそのまま、魔法陣の上に突っ込んでいくしかなかった。接触判定が出現するが発動までのタイムラグがある。紫のビームが発射される頃には、二人は前方へとかっ飛んでいた。

 そうやって次々に紫のビームを発動させながら、大回りした八雲は、魔法陣に囲まれつつある如月さんに向かっていった。

 如月さんはタンゴでも踊るようなステップを踏んで、なんとか魔法陣を踏まないようにしていたけれど、明らかに限界が迫っていた。偶然を伴った軌道で四方八方から魔法陣が如月さんを襲う。

「如月さん、どうにか掴まって!」

 掠めるような軌道で迫った八雲が叫ぶ。一旦スキルを解除する余裕なんてない。如月さんの勘のよさにかけるしかなかった。

「おねがい!」

 一度きりのチャンスに如月さんは躊躇なく、身を投げだした。その指先が八雲の腰に触れるが、掴むには足りない。

「芹佳ちゃん!」

 失敗かと思われたその時、葛西さんが空いている手で如月さんの腕を掴んだ。なんとか危機を脱したかのように見えたが、最後の最後に魔法陣が一斉に八雲たちを取り囲むように迫ってきた。スキルの継続時間も限界が近づいている。八雲は即座に決断し派生技を放った。

「《跳ね上げ》!」

 走りながら無理やり槍先を地面に突き立てる。スキル効果で不自然にしなった槍を支えに、八雲は身体を跳ね上げる。腕に掴まる葛西さんと、腰にしがみついた如月さんの重量をものともせず、しなった鋼鉄の槍は形状を復元し異常なまでの弾力を発揮した。八雲を弾頭に、三人の身体が空中に発射された。背後では一箇所に集まった魔法陣が、最後となる特大のビームを上空に打ち上げていた。

「うわぁぁああ!」「高いよーー!」「ひぁあっ!」

 見事な放物線を描い三人だったが、落下は酷いものだった。ゴミ袋が収集所に投げ捨てられるように、八雲を下敷きにして如月さんと葛西さんが折り重なる。衝撃と圧迫で肺の空気が全て抜け出し、八雲は激しくむせてしまった。

「げほげほっ、げほげほっ」「大神くん、大丈夫?」「芹佳ちゃんのソレ、すっごく重いんだから早く退いてあげなよ」「むっ、そんなに重くないから!」

 八雲の背中に、ふにっと押し当てられていた柔らかいものが2つ、跳びはねるようにして離れていった。

 そうして、立ち上がった三人はちょうどクロウ・クルワッハの正面にいた。クロウ・クルワッハはごたつく三人に笑いかけるように顎を開き、ゆっくりと息を吸い込み始めた。

「ブレス発動のここが最大のチャンスです。葛西さんは一番ダメージの高い呪文を!」

「うん、了解!」

 すぐさま葛西さんは中級以上の魔法を使うための詠唱動作に入る。

「如月さんは、ぼくの後ろにピッタリついてきて下さい!」

「おっけー、次こそ絶対に決めちゃうんだから!」

 八雲は如月さんを引き連れ、まっすぐに走りだす。クロウ・クルワッハはすでにブレス動作の第二段階に入り、二対の翼を開き分厚い胸を張っていた。

「《ダークハウンド》!」

 葛西さんが魔法を発動、放たれた4つの闇の顎が八雲と如月さんを追い越し、クロウ・クルワッハに襲いかっていった。クロウ・クルワッハはうざったそうに目線だけを動かし、蚊など気にしないとでも言いたげに動かなかった。実際、闇の顎はクロウ・クルワッハの脚と脇腹、そして腕に噛みついたけれど、ダメージが入った様子はない。しかし、ダメージはなくとも僅かなヒットストップが発生し、呼吸を乱されたかのようにブレスの発動が遅れた。時間にすれば3カウントも無いだろうけれど、八雲たちにとっては値千金の猶予だった。

 その三秒を使って八雲はクロウ・クルワッハまで30メートルの距離まで近づくことができた。クロウ・クルワッハの額の宝珠がいよいよ光を増していた。

「ぼくが絶対に守ります。だから、如月さんはスキルを当てることだけに集中して下さい」

 八雲は黒犀の盾に装備を変更した。その盾が出現するまでの僅かな時間だけ如月さんを振り返る。交わした視線に迷いはなかった。

「うん、信じてる!」

 どんな補助魔法にも勝る言葉を背中に受けて、八雲は走った。身を乗り出したクロウ・クルワッハが、その凶悪な顎から赤黒い炎の瀑流を吐き出した。

「《ヘッドロングラッシュ》!」

 スキルを発動した八雲は盾だけを頼りに、灼熱の中を突き進んでいく。両手で握り絞る盾の取っ手が、熱した鉄のように熱くなり手を焦がしていく。炎はまるで質量があるかのように重く盾に伸し掛かる。それでも八雲は足を止めない。振り返らない。それが勇者を守る自分の役目なのだから。

 クロウ・クルワッハまであと少しだが、同時に黒犀の盾が発する防御のエフェクトも限界を迎えようとしていた。

「最後のスキルを使います。ぼくの盾を踏みつけて飛んで下さいっ!」

 返事も聞かないまま停止した八雲は、盾を頭上に掲げた。スキルの効果がなくなり、灼熱のブレスが八雲の前面に叩きつけられる。鎧なんて関係なしに全身の肉が焼けつくような痛みに襲われた。それでも八雲の身体が盾となり、如月さんへのダメージは少ないはずだ。

 騎士のように跪いた八雲は黒犀の盾を、頭上に向かって構える。

「《ジャンプ台》!」

 盾が光り輝き八雲の目の前に、緑色の上向き矢印が表示される。掲げた盾に重みを感じた。その如月さんの遠慮なさが八雲には心地よかった。

「いってください、如月さぁああああああん!」

 八雲は全身の力を使って盾を、その上に乗る如月さんを跳ね上げた。

「まっっかせてぇえええええええ!!」

 灼熱の嵐を突き抜け如月さんが飛翔する。ブレスを止めたクロウ・クルワッハは、眼前に飛んできた如月さんに、いまだ烟る顎で噛み付こうとする。しかし、速いのは如月さんの方だった。上段に構えたアーク・デネルを一気呵成に振り下ろす。

「《神魔滅龍斬》!!!!」

 重なりあう光と闇の刃が天地を一閃した。一瞬の沈黙、スキルを放ち無防備になった如月さんに向かってクロウ・クルワッハの右腕が伸びる。しかし、その指先は如月さんに触れることはなかった。

 クロウ・クルワッハの額に埋まる宝珠が、甲高い音を立てて砕け散った。岩石のような鱗の間から光が溢れだし、水がヒビを伝わるように急速に全身に広がっていく。クロウ・クルワッハは咆哮をあげた。力ないそれは絶命の声だと誰にでも分かった。

 クロウ・クルワッハの全身が崩れていく。ついには自身も光の粒となり、虚空に開いたポータルへと吸い込まれていった。それはホタルが天の川へと昇っていくような光景で、勝者にだけ与えられる絶景のように思えた。

「大神くん、大丈夫?!」

 如月さんの心配そうな声が、寝転がって美しい光景に見とれていた八雲を現実に引き戻した。アドレナリンが消え去ったのか、いまだ全身が焼けつづけているかのような痛みが戻ってきた。

「いだっ……あだだ……す、すみません、回復アイテムお願いできますか? 使い果たしちゃってて」

「ごめん、あたしもない! ど、どうしよう! 大神くんが死んじゃう!」

 縁起でもないことを口走り慌てる如月さんを、横から伸びた手が抑えた。

「はい、どうぞ」

 やってきた葛西さんは、その手に高級傷薬を持っていた。如月さんはそのポーション瓶を受け取ると、手ずから八雲の顔や腕の傷に垂らした。傷はみるみるうちに塞がり、皮膚の焼けるような痛みもすっかり消えた。

「助かりました。ありがとうございます」

 もう大丈夫だと知らせるように立ち上がった八雲は、如月さんと葛西さんに深々と頭を下げた。

「これでホントに終わりだよね?」

 まだ信じられないのか如月さんが疑わしげにポータルのあった空間に目を凝らしていると、ちょうど三人のエクステンドが解けた。

「制服に戻ったということは、クエストが完全に終わった証拠だと思います」

 安心させるように言った八雲だけれど、終わってしまったことに少しだけ寂しさを感じていた

「そういえば、偽ジャックは?」

 葛西さんが思い出したように言った。クロウ・クルワッハが消えた跡には何も残っていなかった。

「逃げたのか光になったのか……」

 八雲はフレンドリストを確認してみたけれど、オフラインと表示されているだけで、どうなったかまでは分からなかった。

「どっちでもじゃん。あんなヤツのことなんかよりさ、お腹へっちゃった。なんかごはん食べて帰ろうよ。具体的に言うとあたしはハンバーグがいいなー」

 如月さんはゴクリと生唾を飲み込んだ。先程までの死闘がまるで幻だったかのような切り換えの早さだ。

「わたしはスパゲッティかな、それともちろん」

 歩き出した二人は顔を見合わせると、同時に声を発した。

「「デザート!」」

 答えを揃えた如月さんと葛西さんが声を出して笑った。きっとこれが二人の普通なのだろう。

「ほら、早く行こ。もうお腹ペコペコなんだから」

 振り返った如月さんが言った。誰でもない自分に普通に話しかけてるのだと、八雲は理解するのに少し時間がかかった。

「どしたの、大神くん? まだどっか痛いの?」

 止まっていた八雲を気遣うように如月さんが言った。

「いえ、大丈夫です。二人の話を聞いてたら、なんだかぼくもお腹が空いてきました」

「大神くんはなにが好き?」

「えっと……好き嫌いは特に無いです」

「そうじゃなくて、これから何が食べたいかって聞いてるんだよー」

「じゃあ、カレーとかですか」

「おっけー、そういうことならファミレスだね」

「芹佳ちゃん、この時間ならファミレス以外の選択肢がそもそもないから」

「細かいことツッコまないでよー。でさ、大神くんはドリンクバーは何からいく派? あたしはね――」

 三人は校門を抜け駅の方に向かって歩いていく。如月さんと葛西さんのお喋りは止まらない。八雲もそれに頑張ってついていった。

 なんだか普通の高校生みたいなことをしてるな、と八雲は思った。

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