第三章 ~フレンドリスト~

 はじめはただゲームが楽しいだけだった。

「うわ、また全滅したよ……」

「もう一回チャレンジしよう。今度は回復役を一人増やしてさ。ブレス攻撃はぼくが合図するからさ」

「じゃあ、俺はもう少し前の方で攻撃引きつけたほうがいいよな」

「うん、お願い」


 友達も増えて、みんなで遊んだ。

「八雲、オレもエタクエ始めたからさ、一緒にパーティ組もうぜ」

「ずるい! 今日は僕たちが一緒に遊ぶ約束してたんだ」

「お前らレベル高いんだから良いだろ。断空剣が装備したいんだけど、怪鳥バルフレアが強くてさー、頼むよ!」

「そんなの、自分でどうにかしなよ。僕たちは常夜の渓谷いくんだもん」

「あ、えっとさ。一緒にパーティ組んだらどうかな。バルフレアからなら闇耐性の高い装備作れるしさ、常夜クリアする準備になるよ」

「んー、まあ八雲がそういうなら別にいいけど」


 もっともっと楽しみたいから頑張った。

「ちょっと待ってよ! 明日までに龍神石を一人20個集めるなんて無理だって!」

「寝ないでプレイすれば大丈夫」

「明日、学校あるし寝ないなんて……」

「それぐらいしなきゃ、このイベントで一番になれないよ。せっかくここまで頑張ったんだからさ、今日一日ぐらい」

「……ランキングとか別にどうでもいいよ。もっと楽しくあそびたいだけからさ」

「え? なんで楽しくないの? ランキング一位になれば神器ブレイバリオスが手に入るんだよ。それだけじゃダメなの?」

「たかだかゲームのアイテム一つだろ。無理なものは無理だって! やりたいなら勝手にすればいい。おれは抜けるから、じゃあな」

「えっ……待ってよ。じゃあ、ぼくがもっと多く集めて負担を減らすからさ!」

「そういうことじゃねえよ!」


 ゲームを辞める人が出るのが嫌で、フォローしようとしたけど失敗した。

「もう駄目だよ。僕にはできないって」

「そんなことないよ、タイミングに慣れればかわせるから。さ、もう一度チャレンジしよ」

「……もういいよゲームの上手いお前らだけでクリアしろよ……僕はもう辞める。こんなゲームつまんないよ」


 友達が少し減って、それでもまだ一緒に遊んでくれる友達がいた。

「な、オレ達だけでもやれるだろ」

「足手まといが減った分だけ効率が良くなったもんな」

「そういうこと言うなよ。あいつらが辞めたのは、俺らの責任だろ。もうすこしちゃんと向き合ってれば……」

「うん……そうだよね……」

「なに責任感じちゃってんの、大神くん。ダメな奴はなにをやってもダメなんだって。ちょっとつまずいたら、他人のせいにしてすぐ逃げる。期待して付き合うだけ時間のムダムダ」

「そうやって切り捨ててなにが残るっていうんだ?」

「今が楽しいだけで良いだろ? ただ全力で楽しむのがゲームの正しい遊び方だ。そうだろ、大神くん?」

「違うって言ってやれよ、大神」

「それは……」


 僕がはっきりしないから、あんな事になってしまった。

「お、おい、冗談だろ……や、やめろよ! くそ、なんでだ! ここまでやってきて、すぐそこに力があるっていうのにっ! ふざけんなぁあああああああ!」

「はい、これで4人目が脱落だ。さあどうする、八雲」

「……ぼくは戦う。ゲームを初めた責任があるから、絶対に止める!」

「ふん、お前のそうやっていつも良い子ぶってるとこ……ずっと気に喰わなかったんだよ!」


 ぼくたちはグッドエンディングに辿りつけなかった。

 現実の世界に二周目なんてものは無い。

 ただエクストラステージがずっと続いていくだけなんだ。



 翌日、登校した教室に如月さんはいなかった。遅刻して来るのかと思ってやきもきしていたけれど、ホームルームの時間になっても、とうとう如月さんは姿を表さなかった。

(大丈夫かな……昨日の疲れで寝坊してるだけなら良いんだけど)

 親友の葛西さんがノーフェイスに操られていると分かって、如月さんは大きな衝撃を受けたに違いない。その精神的ショックで休んだって仕方ないことだろう。むしろ、あんな異常な事態に巻き込まれた翌日に普通に登校している自分の方が、何かおかしいのかもしれない。

 普通に登校したけれど、心身の状態は必ずしも万全ではなかった。ノーフェイスに過去の記憶を刺激されてか、昨晩は嫌な夢を見てしまった。涙の跡で重たくなった目蓋を剥がした目覚めは最悪で、ベッドの不調を学校まで引きずって来てしまった。

 1限目の授業が20分を過ぎる頃には、八雲は睡魔と戦うことを余儀なくされていた。社会科の先生の声が遠のき、ノートの文字が死にかけのミミズみたいになっていく。それでも八雲は睡魔に抗い続けた。ノートを借りたり、ノートの画像データを貰えるような友達は八雲にはいないからだ。

 次第にペン先は軽くなり、先生の言葉の全てが理解できるようになっていった。極限を越えた自分は今、完璧なノートをとっていると八雲は思った。

 思っただけで、実際は第2限目(ラウンド)の途中でTKO負けしていた。昼休み開始のチャイムで目を覚ますと、机に広げた英語の教科書が涎で皺々になっていた。

 寝た時間は短かかったけれど、頭はすっきりし身体の疲れも取れていた。朝は全く無かった食欲も、お腹の虫が冬眠から覚めたように激しく主張していた。

(……たまには学食に行ってみようかな)

 心境の変化というほどではないけれど、あのガヤガヤと煩い食堂でAセットを食べるのも良いんじゃないかと思えた。

 エクスフォンを持って立ち上がった時だ、教室後方のドアから如月さんが入ってきた。脚も指先もスラっと伸びて背筋もシャンとしている。心配していたどころか、むしろいつもより迫力が感じられた。歩くたびに周囲を鼓舞して、ステータスアップの効果を振りまいていそうだ。

(良かった、風邪とかじゃなくて……って、えっ?)

 ほっと一安心した八雲に如月さんの視線が突き刺さる。まるで敵集団の中に見つけたレアモンスターをターゲッティングするかのような鋭さだ。クラスメイトたちがとんでもなく遅刻した如月さんに何事かと注目する中で、彼女はずんずんと八雲に迫ってきた。

「おはよう、大神くん」

 不意をつくような如月さんの挨拶に八雲は慌てた。今までそんなことは一度もなかったから当然だ。クラスメイトたちも、如月さんのこの凶行に混乱しているのが伝わってきた。

「お、おはようございます」

 格闘ゲームなら絶対にコンボが途切れているだろうディレイを経て、八雲は挨拶を返した。

「昨日はあんがとねー」

 ひと目をはばからない如月さんの言葉に、教室がざわめいた。

「は、はい……いえ、どういたしまして……」

 突き刺さるクラスメイトの視線に、八雲は逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。そんな八雲の激しい動揺に気づいていないのか、如月さんは焦った様子で言葉を続けた。

「さっそくだけど、ちょっと話そっか」

 如月さんは用件だけ言うと、当たり前のように八雲の手を握り教室のドアの方へ引っ張った。呆気にとられる八雲の代わりに、前の席にいた橋本くん田所くんが揃って飲み物を吹き出しむせていた。

「えっ、えっ! ちょ、ちょっと、如月さん?! なんで引っ張って? ど、どこへ?」

「ここじゃマズイじゃん。いい場所知ってるから、そこでね」

 反論を許さない力強さで手を引かれ、八雲は教室を連れだされた。

(手、手が! なんでぼく、如月さんと手を繋いじゃってるの?!)

 少し汗ばんでいる如月さんの手がやたらと熱く感じた。まるでその手に心臓を握りしめられているかのように、八雲の心臓はドキドキと早鐘を打っていた。

 廊下ですれ違う生徒たちが二人へ野次馬根性丸出しの視線を送りつけてきた。当然だ、あのモデルの『如月芹佳』が男の子と手を繋いで歩いてるのだから。教師まで驚いたように二度見する始末だった。

(ああ、おおごとになっていく……)

 宇宙空間を漂うただの石ころが、地球の引力に巻き込まれたばかりに輝き燃え尽きるように、人々の注目を集めてしまった。ただゲームをするだけの静かな生活を送りたかったはずなのに、悩みの種は増える一方だ。胃が痛くなりそうだからといって、ここで全て投げ出すなんてことはできない。

 そんな風に八雲が葛藤しているとは知らずに、如月さんはこっちこっちと急かしながら、下駄箱のある昇降口へと向かっていた。

「あ、あの……どこへ連れて行かれるんですか?」

「裏にあるボロっちい庭園、あそこって誰もいないんだよね。それに学校内なのにXFWも使えるんだよ。ねえねえ、知ってた?」

 如月さんは得意気に口角を上げて言った。

「へ、へえ……そうなんですか……」

 その素直な自慢を曇らせたくなくて、八雲は自分に嘘をついた。

「ま、あたしも智代から聞いたんだけどね」

 昇降口で靴を履き替える時になって、如月さんはようやく手を離してくれた。それでも掌に熱は残り、右手との温度差を感じた。

 如月さんのきらめきが、これから校外に昼食をとりに行こうとしていた生徒の足を止める。その視線の余波が恥ずかしくて、八雲は一歩下がってついていこうとしたけれど、如月さんはすぐ横に並んで話しかけてくる。

「怪我とか大丈夫だった?」

 昨日は普通に話せたのに、学校内というだけで八雲はひどく緊張していた。

「は、はい、何の傷跡もありませんでした! 如月さんは大丈夫でしたか!」

「うん、あたしも平気。お風呂の鏡でお尻までチェックしたけどツルンってしてたよ~。あ、もっと詳しく聞きたかったりする?」

「ち、ちがいます! そんなつもりじゃなかったです!」

 セクハラだと受け取られては困ると、八雲は必至に首を左右に振って否定した。

「アハハ、冗談だってば~。そんなに赤くならなくてもいいって。あ、遅刻したのも長風呂して風邪ひいたとかじゃないから。ちょっと夜更かして寝坊しちゃっただけ。あんまし心配しないでね」

 確かに風邪で変な風にテンションが高いわけじゃ無さそうだ。

 校舎の裏手の庭園まで来ると人気はなくなった。恥ずかしさは減ったけれど、喧騒を離れたことで如月さんの声や吐息がはっきりと聞こえるようになり緊張は高まってしまった。忘れられた庭園は昨日と同じで雑草は伸び放題で荒れているけれど、如月さんがいるだけで、モデルの撮影のような雰囲気に思えた。

「この花壇とかさ、結構ちゃんとしてるのに、なんで綺麗にしないんだろうね」

 煉瓦造りの花壇に視線を落とした如月さんが言った。

「昔は園芸部が手入れしていたらしいです。今は部活そのものがなくなってずっと放置されているみたいです。用務員さんも他の仕事の合間に花を植えて、育てるほどの余裕はないんじゃないでしょうか」

「そっかー、もっとお花とかで賑やかになれば、他のみんなも来てくれるのに。ちょっともったいないね」

 八雲は曖昧に頷いた。枯れていた方が日陰者にとっては憩いの場所だからだ。

「どしたの? 座らないの?」

 石造りのベンチに腰掛けた如月さんが、自分の左横の空いたスペースをぽんぽんと叩く。

「い、いえ、向かい合ってる方が話しやすいですから……あ、如月さんはそのまま座っててください」

 ベンチは狭いから、如月さんのすぐ横にくっつく形になってしまう。そうなったら、緊張は極限に達し会話どころではなくなってしまう。

「そ? あっ、もしかして~、これ見たいのかな?」

 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた如月さんは、分かったとばかりにすぼめるようにして腕を組んだ。ただでさえ豊かな胸元が、風船を絞ったみたいに強調されてしまった。

「ち、違います! 絶対に見ませんから! からかわないでください!」

 八雲は全力で首を横にむけて否定した。本人に指摘されてしまうと、そんなつもりはなくてもやましい気持ちになってしまう。

「あははは、ごめんねー。大神くんの反応が新鮮だったから意地悪しちゃった。モデルの現場って、誰もそういう反応してくれないからさ。ちょっと確認したくなっちゃった」

 腕組みを解いた如月さんは、少し照れくさそうに言って鼻の頭を掻いた。その様子が八雲には少し意外だった。如月さんはもっと自信満々にモデルをやっているのだとばかり思っていた。

「って、あんまし関係ない話だったね。それより、ゲームのこと! ノーフェイスのことだよ!」

 その名前に昨日の屈辱が蘇ったのか、如月さんは怒りと悔しさの入り混じった表情で唇を噛んだ。

「でね、改めてお願いなんだけど……大神くんに、智代を助けるの手伝って欲しいの。あたしにできるお礼なら、なんでもするから! ホントにお願いします!」

 これでもかと背筋をピンと伸ばした如月さんは、キュッと閉じた太ももに手を置くと、前髪が膝につくぐらい深々と頭を下げた。他人に頼みごとをするのとか慣れていなそうだとすぐに分かった。八雲も他人にものを頼むのは苦手だ。だからこそ、如月さんのちょっと辿々しい仕草が、とても真摯に感じられた。

「もちろんです。こちらこそよろしくお願いします」

 例え如月さんに頼まれなくても、八雲は一人でノーフェイスを追うつもりだった。葛西さんの件はもちろん、偽ジャックのことやオルカムの勇者を知っていた理由も追求しなければならない。

 八雲の答えに顔を上げた如月さんは胸を撫で下ろした。

「はぁ~、よかったー。大神くんに断られたらどうしようかと思ってた。昨日のことで、あたしだけじゃ智代を助けられないって分かったから……」

 如月さんもできることなら、他人を巻き込みたくなどないのだろう。でも、親友を助けるためなら、遠慮や気後れなんてしていられない。そういう風に考えて、行動できる如月さんを八雲はすごいと思った。

「昨日のことは仕方ないです。ぼくたちには準備も経験も何もかも足りませんでした。それでも、如月さんがいたから、ダンジョンの置くまで辿りつけて、ゴブリンたちも倒せました。ぼく一人だったらスタート地点で、狼に殺されていたと思います」

 低レベルのパンプキンナイトなんてパーティのお荷物になる。如月さんがXFWの経験があったのなら、一人でもクリアできたかもしれない。

「違うよ、大神くんが! って、譲り合っても仕方ないよね。昨日はお互いにお疲れ様ってことにしよっか」

「はい、そうしましょう」

 如月さんの気遣いに救われた八雲は、それでももう一度感謝を込めて頷いた。

「それでお礼のことなんだけどさ、モデルしてるけど、あんましお金ないよ」

「そんな! お金なんて!」

 生々しい報酬の話に八雲はドキッとした。

「じゃあさ、モデルの女の子紹介しよっか。XFWやってる友達けっこういるし。大神くんとならきっと話が合うと思うよ」

「ち、ちがくて! お礼は要らないです! ぼくはもう一度ノーフェイスに会わないといけないと思うんです」

「あ、そういうことか……やっぱり……うん……」

 如月さんは何か迷いがあるのか、不自然に言葉尻を濁した。何か勘違いしているのかもしれない。これは自分の考えをきちんと説明した方が良さそうだ。

「ノーフェイスはぼくの素性を知っていて、ジャックを騙っていました。きっとなにか目的があると思うんです。例えば悪評を広めてからネット上に『大神八雲』の情報を広めるとか……。今はまだまだ大きな害にはなっていませんが、ノーフェイスを止めないとどうなるか分かりません。それになにより、葛西さんのことを助けないといけませんから」

「うん、ありがとう」

 頬を撫でる春風のように優しい如月さんの声に、八雲はお腹の底が持ち上げられるような感覚になった。

「い、いえ……」

 認められた嬉しさと緊張で如月さんの顔がまたまともに見れなくなってしまった。かと言って、視線を下げるとずんっと貼りだした胸元が見えてしまう。困った八雲は如月さんの額の辺りを見るように努めた。

 そんな風に八雲がドキドキしてるなんて知らずに、如月さんはいつもの調子で話を続けた。

「でもさ、あいつの居場所が分からないよね。拾った男たちのエクスフォンはどうだった? あたしの方は電源もはいらなかったけど」

「ぼくの方もです」

 家に帰ってからパソコンに接続してみたけれど、電源がつかず認識もされなかった。無理やり中を開けて内部の記憶装置をハッキングするような技術も八雲にはない。

「どしようか? 偽の書き込みじゃもうムリだし、探すあてもないし……」

「それなんですが、これを見て下さい」

 八雲はエクスフォンを操作し、裏アプリを起動するとメニューからフレンドリストを開いた。そこには一件だけ名前が書かれていた。

「ちょっと大神くん! ノーフェイスって書いてあるけど、どういうことなの?!」

 如月さんがエクスフォンごと八雲の手を握りしめた。

「あ、えっと、あいつが去り際に無理やりフレンド登録していったんです」

 ノーフェイスに腹を刺され瀕死にまで追い込まれた事を、気絶していた如月さんに詳しくは説明していない。心配させたくなかったからだ。

「メッセージ送れるじゃん!」

「たぶんあちらから連絡してくるつもりなんだと思います。でも、いちおう送っときますか?」

「うん、もちろん! ちょっと貸して。とりあえずあたしが文句言っとくから!」

 八雲が返事する前にエクスフォンを奪うと、如月さんは怒りのままにメッセージを入力し、即座に送信してしまった。

「あの、なんて送ったんですか?」

 戻ってきたエクスフォンの履歴を確認するのが怖くて、八雲は如月さんに直接尋ねた。

「智代を返しなさいこの変態。なにがノーフェイスよ、ダッサイ名前にダッサイアバター。真っ白い顔に口だけって、フェイスパックと一緒じゃない。今日からフェイスパックマンって名乗りなさいよ。って送った」

「……それは相手に大ダメージを与える禁断の呪文ですね」

 キャラメイクに文句をつけられたノーフェイスに、少しばかり同情してしまった。

「でもさ、ノーフェイスを倒してもさ、智代がそのままだったら意味ないんだよね。あいつ、すっごく性格悪そうだから、痛めつければ痛めつけるほど、智代を解放しなそう」

「そのことなんですが、別の解決方法があると思います」

「ホントのマジなの? すごい、さすが大神くんじゃん! でっ、でっ! どうすればいいの?」

 こんがらがった知恵の輪がスッと解けたかのように喜んだ如月さんは、ベンチからずいっと身を乗り出した。髪の毛からふわっといい匂いがして、八雲の方が異常状態になってしまいそうな気がした。

「はい、あのですね、XFWには精神系の異常状態がいくつかあり。洗脳、魅了、恐怖、錯乱などですね。その全てに効く、ナイアスの水という回復アイテムがあります。回復薬が現実に傷を治す効果があったのだから、ナイアスの水も同じように作用するはずです」

 あの男たちが現実世界で如月さんに薬を使おうとしていたのも証拠の一つだ。

「おお、すごそうなアイテムだね。それで、どうやって手に入れるの?」

「一つは調合する方法です。ただ、狙って素材を集めるとなると、運の要素が絡んできますね。モンスターが出現しないと、1日で済むかどうか分かりません」

「うーん、運任せはちょっとイヤかな」

 如月さんは口をへの字にして渋い顔をした。

「ぼくもです。そこで狙いたいのが、クエスト報酬で直接ナイアスの水を入手する方法です」

「クエスト報酬って昨日、ポータルから出るときに手に入れたやつだよね」

 拡張幻想世界からの脱出時、ポータルの効果範囲に入るとクエストクリアとみなされて経験値とアイテム、武具を入手していた。

「そうです。XFWのクエストはサーバーごとにいくつか設定されていて、ネットでは有志によってその情報が共有されてるんです。試しにぼく達がログインしたと思われるポータルのクエスト情報を調べたら、同じクエストが存在していたんです。もちろん、固定報酬も同じでした。偶然とは思えません。XFWと裏アプリには共通するシステムか何かがあって――」

 期待に答えようと、八雲は自分の推測を一気にまくし立てた。喋るのに夢中で、如月さんがムムって顔をしているのに気づくのが遅れてしまった。

「ちょっとまって……その、まとめるとさ……ネットでナイアスの水が報酬にあるクエストを探せば良いってこと?」

 如月さんはこめかみに当ていた指をピンと弾いた。

「はい、その通りです。クエストも実はもう調べがついてます」

「どこなの?」

「一番近い所で山崎市にある月の里公園です」

「じゃ、今から行こっか」

 ちょっとそこのコンビニまでアイスを買いに行こう、みたいな気軽さで如月さんは言い出した。

「近いと言っても電車とバスなんで二時間ぐらいかかります。明日にしたほうが……」

 サーバーに公式配信されたクエストは、ある程度時間が経つと変更される。クリア人数や挑戦者数に応じているらしいけれど、最低でも一週間は変わらない。そして、ナイアスの水が手に入るクエストは二日前に設定されたばかりだった。

「善は急げって言うじゃん。それにさ、早く智代をたすけたいから……もしかして大神くん、都合悪かったりする?」

 如月さんに寂しそうな顔で見上げられては、八雲が止められるはずもなかった。

「いえ、如月さんの言うとおりです。いまから行きましょう」

 答えてから八雲はハッとした。午後の授業をサボって女の子と出かけるなんて、それこそ恋愛ゲームのデートイベントみたいじゃないか。急に気恥ずかしくなったけれど、如月さんの方は冒険に向けて闘志を燃えあがらせていた。


 学校を後にした二人はまずは定期で月浜駅まで行き、そこからJRに乗り換え山崎駅へ向かった。道中は如月さんが話しかけてくれたけれど、八雲の方が緊張して上手く言葉が返せず、会話はあまり続かなかった。

 無言のまま山崎駅に着いた八雲はそんな不甲斐なさを払拭しようと、先頭に立って歩き出した。

「バスターミナルはこっちの方みたいです」

 山崎駅に降り立ったのは人生三度目ぐらいだ。エクスフォンに表示した構内マップだけが頼りだった。

「あ、ちょっと待って大神くん」

 如月さんの引き止める声が、意気込んでいた八雲の出鼻をくじいた。

「お腹すかない?」

「……言われてみれば……すきました」

 緊張のせいで忘れていたけれど、まだお昼ごはんを食べていなかった。そう意識すると、お腹の活動が活発になったかのように急激な空腹感が襲ってきた。

「どれくらいあっちの世界にいることになるか分からないじゃん。だからさ、食べ物とか飲み物とか買っとこうよ。そんでさ、持ち込みもできるか試そうよ!」

 まんが喫茶やカラオケルームが持ち込み可能かどうか尋ねるみたいな発想だった。

「良い考えだと思います。エクスフォン以外も持ち込めるなら、色々とできるかもしれません」

 いちおうレベルで存在している旧式の携帯電話や、トランシーバーを用意するなど、外との連絡手段が確保できるかもしれない。

 二人は駅ビルに入っている大型の売店で、色々と買い込んでからバスに乗った。平日の昼間ということで、バスの乗客は八雲と如月さん以外にはお婆さんが二人、にこやかに談笑しているだけだった。

 先にバスへ乗り込んだ如月さんは、一番後ろへトトッと歩いていって、トスンと腰を下ろした。バスが走りだしても八雲がどこへ座るか迷っていると、如月さんが自分の左隣(こちらから見ると右側)をパシパシと叩いた

「ほら、今度こそ座って!」

 指定されては断れない。八雲は観念して如月さんの左横の席に座った。

「これで小学校の頃と一緒だね」

「?」

「席が隣同士だったって言ったじゃん、また忘れちゃったの?」

 如月さんは不満そうにぷぅっと頬を膨らませた

「す、すみません! しっかり記憶に刻んでおきます!」

「もう忘れないでよね~……そだ、なんて場所で降りるんだっけ?」

「月の里公園です。ここから7つ目の停留所で、30分ぐらいかかるみたいです」

 駅前の道も混んでいないなので、調べた時間からそれほどズレないだろう。

「けっこう時間あるね。だったらさ、おべんと食べちゃおっか」

「そうですね、これからバスが混むとも思えないので、迷惑にはならないと思います」

「なんか、遠足みたいだね♪」

 如月さんは嬉しそうに言って、牛カルビ弁当をビニール袋から取り出した。モデルさんといえば、サンドイッチや野菜ジュースばかり食べているイメージだったので、如月さんが駅弁の棚からこれを選んだ時に八雲は少し驚いた。

 そういう八雲はコロコロ焼豚の高菜チャーハンおにぎりを手にとった。ビニール包装が上手く破けなくて、こぼれ落ちそうになった破片を手で受け止め、それをパクリと口に運ぶ。大きめにカットされた焼豚の力強い歯ごたえと、高菜のシャキッとした感触。肉のしっかりとした味に漬け物らしい塩っぱさが混ざり合って、口の中に唾液が溢れてくる。具材にしっかりとした味がついているのでお米はほんのり香ばしいぐらいだけれど、飲み込む頃にはその甘味が舌に広がっている。なんとなく選んだ一個だけれど、大当たりだった。

 そんな風に八雲が頭のなかだけで盛り上がっている一方で、如月さんは素直なリアクションをとっていた。

「ん~、美味しい♪ お肉めっちゃ薄いと思ってたけど、しっかり味ついてんじゃん! やっぱしさ、お肉って味濃い方が良いよね」

 同意を求められたときちょうど口の中におにぎりが入っていたので、八雲は頷きで返事をした。

「それでね、こっちのタケノコの煮物はシャクッてしててね、薄味なんだけど美味しくてー、あっ! この卵焼き刻んだ梅干しが入ってる! すごいよ!」

 それが気に入ったのか如月さんは、お弁当の中身を一種類ずつ食べてそのたびにグルメ番組みたいに説明してくれた。

 その様子がとても楽しそうで、八雲が見とれてしまうほどだ。隣で食べているだけなのに、おにぎりが七割増しぐらい美味しく感じられた。

「ん? あたしの顔に米粒でもついてる?」

「い、いえ、美味しそうに食べるなって思って……」

「どゆこと? わざわざ不味そうに食べてもしょうがないじゃん。っていうか、ホントこのおべんと超おいしいし。大神くんも一口食べてみる? 味付け卵は食べちゃダメだよ。楽しみにとってあるんだから」

 お弁当と箸をずいっと突き出してくる。如月さんのリアクションで食べてみたくなっていたけれど、箸は一つしかない。

「だ、大丈夫です! それより、モデルの人ってもっと野菜ジュースとか、逆に凄い高級焼き肉とか食べているイメージでした」

「えー、そんなこと無いって。紙パックの野菜ジュースとか飲んでるのってさ、メイクが落ちないようにストロー使ってるからだよ。それにうちの事務所って、そんなおっきくないからケチだし~。あ、そうじゃなくても、モデルの仕事って移動とか撮影時間の都合でコンビニが多いよ。飽きちゃう娘とか結構いるんだけど、あたし好き嫌いなし、なんでも美味しく食べられちゃうんだよね~」

 そう言って如月さんは、タレの染みこんだご飯をカルビ肉で巻いてパクリと食べた。もぐもぐしている時は、心の底からお弁当を楽しんでいる幸せそうな表情をしていた。

「サバイバルに強そうな得意スキルですね」

 八雲も二品目の鳥五目おにぎりに手をかけた。鶏肉やごぼう、人参は細かく刻まれていても味と食感が残っていて、甘じょっぱいご飯との相性は抜群だった。

 ふたつ目のおにぎりを食べ終わるのとほぼ同時に、如月さんがお弁当を完食していた。漬け物の破片やお米一粒すら残っていない。それでもまだ足りなかったのか、如月さんはビニール袋からシュークリームを取り出した。

「んふ~甘い!美味いだね! クリームの甘さって最強! って、あれ? 大神くん、おにぎり2つで足りるの? なんか買い忘れたなら、お飲み焼きパン分あげよっか?」

 底なしの小箱みたいに如月さんはパンの包を取り出した。シュークリームはデザートだろうから、拡張幻想世界に持ち込めるかどうか試すために買ったものだ。

「お気遣いありがとうございます。でも、あんまり食べると動けなくなってしまうので、大丈夫です」

 食が細いわけではないけれど、この後のことを考えて少なめにしたのだった。一応、チョコを買ってあるので、お腹が減ったらそれを食べるつもりだった。

「そ? あたしはお腹へってるほうが動けないけどな~」

 そう言って如月さんはシュークリームを口いっぱいに頬張った。生地から漏れた白いクリームが唇についてしまっていた。

「……そうですか」

「あ、いまデブキャラって思ったでしょ? 大丈夫で~す! 胃下垂だから食べても太らないんだよね」

 如月さんはシュークリームを手にしたまま、空いている方の手で自分のお腹をぽんぽんと叩いてみせた。

「でも摂取カロリーは変わらないんじゃ……」

 科学的事実を言ったつもりだったのだけれど、如月さんは不機嫌そうにクリームのついた唇をとがらせる。

「ちゃんと運動してるからいいの! っていうか体重の話は禁止! 女の子に大ダメージなの!」

 そう言いながら、如月さんはシュークリームを美味しそうに食べていた。八雲からそれ以上は何も言うことがなかった。

 食事を終えるとまた無言の時間が訪れた。電車の中のような気まずさはなく、満足感からくる食後の一休みだった。

 どことはなく前を向いてぼーっとしていると、カーブを曲がっていたバスが急ブレーキを踏んだ。シャドウに飛び出してきた自転車を注意しての事だった。

 突然のことに八雲は対処できなかった。慣性のままにガタッと身体を持っていかれ、如月さんに頭をぶつけてしまった。

「す、すみません! 不注意でした!」

 座る場所が近すぎていたんだと反省して、八雲は座り直しながら如月さんから距離をとった。

「も~、そんなに気にしなくて良いって」

 如月さんが優しい言葉をかけてくれるけれど、八雲は額面通りに受け取れなかった。

「ありがとうございます。でも、次からは気をつけます」

 優しくされたからって調子にのるなと自分に言い聞かせた八雲は、身体をさらに遠ざける。それを見た如月さんが目を細め眉を顰めた。

「あのさ、その他人行儀なとこもやめようよ。クラスメイトなんだし、今はこうして協力しあってるんだからさ」

「い、いえ! そういうわけには行きません! ぼくと如月さんじゃ立場が違うから!」

「立場って……それどういう意味? 何でそういうこと言うの?」

 表情を曇らせた如月さんが語気を強めた。

「あ、え、その……何でと言われても……立場が違うとしか……」

 如月さんがなぜ怒っているのか分からず、八雲は言葉を濁すことしかできなかった。

「違くなんてないよっ!」

 本気の怒った声に八雲は身体をビクつかせた。前方のお婆さん二人も何事かとこちらを振り返っていた。

 バスが4つめの停留所に止まり、おばさんたちが世間話をしながらが乗ってきた。その人目を憚らない雑談に、二人の間に漂っていた緊張感が霧散する。

「ごめん……ちょっと、変なキレ方しちゃった……気にしないでいいから……」

 それきり如月さんは反対側のバスの窓に視線を移し、黙りこんでしまった。八雲は怒られた理由を聞く勇気が持てず、エクスフォンの視線を落とし、もう必要のないバスの経路と到着時間を確認した。


 息苦しさに耐える15分は一昼夜にも感じられたが、バスは遅滞なく目的地の月の里公園に到着した。

 停留所の目の前には公園の入口と管理事務所があった。すぐ近くにあった立て看板の地図を見ると200メートル×600メートルの長方形をした森林公園で、園内には遊歩道を始め、郷土資料館や温室、水鳥が集う池などがあると描かれていた。

「ねえ、どっちに行けばいいの?」

 気を使って如月さんから声をかけてきてくれた。

「えっと、こっちです……」

 八雲の答える声は小さくなってしまっていた。普通にしようと思っていたけれど、自分でも分かるほどバスの中でのやり取りを引きずいた。

「もうっ、あんまり気にしないでよ。ほら普通にする!」

「は、はいっ!」

 どうにかお腹に力を込めて返事をしたけれど、ぎこちなさは拭えない。歯車がずれて空回りしているのがお互いに分かっていたけれど、それを治す方法を知らなかった。

 公園内は花を散らした桜の木たちが、夏に向けて青々とした葉を広げていた。森林公園だけあって、桜だけではなく樺や欅、銀杏など様々な木が植えられ、その前には説明の看板が立てられている。歩道は石模様のタイルがモザイク柄に敷き詰められていて歩きやすい。樹木の本数も多いけれど、手入れが行き届いているので雑然とした印象はない。昨日のクエストで歩いた鬱蒼と茂った森とは大違いだ。遠くからは子どもたちの高い声がいくつも聞こえてくる。どこかの幼稚園が遠足に来ているようだ。

 遊歩道を進み小さな広場に出た。トイレと水飲み場、ベンチそして、いびつな半円形に人間の手足がついた銅像が置いてあった。

「変な像だね。餃子かな?」

「公園の名前からして、月じゃないでしょうか」

「えー、見た目は完全に餃子の失敗作だけど」

 台座のプレートには『夢の友達』と書かれている。このタイトルなら月でも餃子でも、いい気がした。

「何の像かは分からいませんが、これがぼくたちの探している隠しポータルに設定されています」

「隠し? なにそれ?」

「通常のポータルはXFWのメインフィールドに常に表示されているんですが、隠しポータルはカメラを向けて発見しないとアクセスできないんです」

「なんか宝探しみたい」

 如月さんの感想に八雲は頷いた。

「隠しポータルの最初の発見者は名前が残り、レアアイテムを貰えたりします。クエストはあまりプレイしないで、ポータル発見に命をかけてる人がいますね。最近だとペンタゴンの中心にあるホットドッグショップが、隠しポータルだと発覚して話題になりましたよ」

「へー、よくわかんないけど凄いね」

 歴史的建造物や商業施設などが通常ポータルに設定される一方で、街中の変なモニュメントなどが隠しポータルに設定されていることが多い。

「カメラを向けてアクティブにさせます。裏アプリでも同じ仕様だと思いますが……」

 八雲は裏アプリを起動し、メニューからカメラを選択する。それから『夢の友達』の像にレンズを向けた。画像と位置データを元に内部的な承認が行われ、画面内に光の粒子うずまくポータルが出現した。そのままポータルをタップするとクエストが表示された。


『古代遺跡に隠された謎を解き明かし、泉の水を復活せよ。

 クリア報酬 採掘用ピック×5 傷薬×3 絹×3 隕鉄×1 流面鏡×1 ナイアスの水×1 レア度6以上の装備×2

 アイテム制限なし』


 パスワード無しで、誰でも無条件で参加できるフリー条件でクエストを受注した。この設定ならフレンドでなくても、すぐにパーティーを組める。

「募集を立てたので、クエストメニューから選んでください」

「この『ヤクモ』って書いてるやつだよね」

 如月さんがエクスフォンをタップすると、『セリカ』がパーティに加わった。

「あれ、この難易度6ってさ、昨日より高いよね……」

 昨日のクエストが成功とは言いづらいせいで、如月さんは慎重になっているようだ。しかし、八雲はそれほど心配してはいなかった。

「ステータスを見て下さい。昨日の報酬には経験値も含まれていたので、ぼくたちのレベルは5になっています。ステータスもアップして、使えるスキルも増えています。難易度は上がっていますが、昨日よりは状況が良いはずです」

「そっかー。攻撃力とかけっこう上がってるもんね。よし、いこっか!」

「その前にエクステンドしておいた方が良いと思います」

 裏アプリを起動しながら《エクステンド》と言ってしまったからか、意図せずにエクスフォンが光りだした。

「あ、そうだよね。昨日みたいにスタート地点に狼がいたら大変だもんね。それじゃ、エクステンドッ!」

 二人は揃ってエクスフォンに触れる。裏アプリの効果なのか、昨日は見ることのできなかった光の粒が身体を包むのが見えた。纏わりついた光が装備へと変わった。

 そうして完成した鎧を身にまとい剣を握る姿は、現実世界においては完全にコスプレだった。平日は人が来ないような公園の一角とはいえ、誰かに見られていないかと気が気でない。ノーフェイスは裏アプリを持っているエクステンダーにしか見えないと言っていたけれど、嘘かもしれない。

 そんな風に恥ずかしがる八雲とは対照的に、如月さんはいたって普通だった。

「あ~、この機能、撮影とかファッションショーの時に欲しいよ~。大神くん、なんとかならい?」

 如月さんがお菓子をねだる子供みたいに駄々をこねた。

「そう言われても……。ノーフェイスが言っていた事が本当なら、普通の人にはエクスフォンのカメラを通さないと見えないらしいですよ」

「それじゃ意味ないよー。うーん、今後の課題ということだね」

 勝手に納得して如月さんはうんうんと頷いた。

「えっと……クエストを開始しますね」

 八雲は念の為に周囲に人がいないか見回してから、クエスト開始のボタンを押した。周囲の風景が如月さんを残し、白い光の粒となって消え、身体が宙に浮く。またあのオープニングが始まるのかと思っていると、浮遊感は一瞬で終わり光の粒が霧散する。地面を踏む感覚が戻り、風景が現れた。

「あれ? ここってまだ公園……じゃないねー」

 如月さんが安心したように言う。足元が石畳で、周囲に草木が生えていたものだから、場所が変わっていないのかと八雲も一瞬だけ錯覚してしまった。しかし、視線をあげるとそれが勘違いだとすぐに分かった。

 石造りの高い壁が左右に伸び、所々にアーチ状の石柱が架かっている。壁の向こう側から突き出た背の高い石柱も見て取れた。建材とされた石は古色を帯び、欠けたり崩れたりしている。建築物の継ぎ目には風で運ばれた土が溜まり、そこからは草や蔦が生えていた。かつて栄華を誇った街か神殿か、とにかく古代の遺跡のような場所だった。

「ローマとかイタリアの遺跡ってこんな感じなのかな? 映画のセットに入り込んじゃったみたいだね」

 石壁を見上げて如月さんが言った。八雲も教科書に乗っていた古代都市ポンペイの写真を思い出していた。

「ここから中に入るの? それとも別の入口?」

 如月さんが目の前のアーチと、壁沿いを交互に指差した。

「謎解きクエストはルートが表示されないんです。マップ内を探しまわって、謎を解かなければならないんです、本当なら。でも安心してください。邪道ですがネットで攻略情報を調べてきましたから」

「おお、さすがじゃん!」

 如月さんは形の良い指先をピンと反らして、パチパチと手を叩いた。XFWプレイヤーなら当たり前の事前準備を褒められて、八雲は少し気恥ずかしかった。

「遺跡の中央にいくつかパズルがあって、それを解けばクリアらしいです。装備を整えたら、中に入っていきましょう」

 二人はエクスフォンを突き合わせ、昨日のクエスト報酬で手に入れた装備を確認した。如月さんが任せると言ってくれたので、彼女に鉄の手甲と獅子のブーツを装備してもらい、八雲は鋼鉄の槍とトカゲ皮の靴を装備した。これで如月さんは攻撃力と防御力を、八雲の方はスキルと毒耐性を手に入れる形となった。

 準備万端と足を踏み入れた遺跡は、拍子抜けするほど静かな場所だった。モンスターの気配もなければ、罠が仕掛けられているような場所もない。枯れた蔦の這いまわる石壁が続いているだけだ。壁は三メートルほどの高さがあるけれど、ところどころ崩れていて向こうが覗けたりするので閉塞感はあまりない。

 家らしき建物もあるけれど、どれも崩れていて中には入れない。道に沿って大小の水路が続いているけれど、砂と石、枯れ葉が積もっている。長い期間、水は流れていないのだろう。水路に導かれるようにして進んでいくと広場に出た。中央に噴水があるけれど、これも枯れ果てていた。

「ここで行き止まり?」

 広場の出入り口は2つで、二人が入ってきたのとは別の道は巨大な岩で塞がれていた。

「これ壊せないかな?」

 大岩の裏に通れる隙間がないか探っていた如月さんが言う。岩には大小のヒビがいくつも入っていた。

「それこそ爆弾でもないと無理ですよ。他の道を見逃したみたいですね。戻りましょう」

 スキルやアイテムで道を切り開くギミックはあるけれど、それがなければクリアできない作りはないはずだ。

「え、別にコレ登っちゃえばよくない? 越えられないほど大きくないしさ」

 如月さんは武器なしの装備セットに変更すると、大岩の表面の取っ掛かりに手をかけて、ぐっと身体を持ち上げてみせた。

「確かに……その発想はありませんでした」

 ダンジョンで行き止まった時は、とりあえず迂回する道を探すものだと先入観に囚われていた。

「ほら見て見て、ゴツゴツしてるから簡単に登れるよ」

 手足を器用に動かし身軽に大岩を登っていった如月さんは、あっという間に頂上に到達した。

「ほら、大神くんも早く登ってきなよ!」

 足を屈めて見下ろした如月さんが、手招きするように大岩を叩く。危なっかしいなと思いながらも口にはせず八雲も岩の出っ張りに手をかけた。

「いま行きま――」

 身体を持ち上げようとした時だ、目の前の大岩がぐらりと動いた。

「あれっ? 地震?」

 頂上に立つ如月さんには見えないが、八雲には大岩がまるで生き物のように身動ぎしているのだと分かった。そうして認識を変えると、岩の表面に走っているヒビは硬い皮膚の割れ目だ。閉じていた石の目蓋が開き、金環月食のような黄色地に黒い瞳孔がぎょろりと八雲に向けられた。

「逃げてください! 大型の岩蜥蜴です! モンスターです!」

 八雲はありったけの大声で警告した。異変に気づいた如月さんは、岩蜥蜴の背中から飛び降りようとしたけれど、少し遅かった。眠りから覚めた岩蜥蜴は、立ち上がりながら背伸びでもするように全身を震わせた。

「ふひゃぁっ!」

 ちょうどタイミングを図っていた如月さんがバランスを崩し、岩蜥蜴の背中から転げ落ちてしまった。しかも運の悪いことに、八雲がいる方とは反対の岩蜥蜴の後ろ足側だ。

「如月さん!」

 八雲は落下地点に回り込もうとするが、まるで間に合わない。背中から石畳に落ちた如月さんが、衝撃に肺の空気を吹き出し身体を反らした。ほんの僅かに身動きの取れなかった如月さんを、岩蜥蜴の太い尻尾が横から殴りつけた。

 サンドバックを巨大なバットで叩くような重い音がした。悲鳴もなく如月さんが跳ね飛ばされた。均整のとれた身体が、まるで人形のように受け身もなく地面を跳ね、そのまま遺跡の壁に激突した。如月さんは蹲るように崩折れ、不自然な体勢のままのまま地面に倒れ込んだ。

「う、うそ……」

 噛み締めた奥歯がガタガタと軋しむ。蝿でも追い払ったような悠然とした態度で振り向いた岩蜥蜴は、棒立ちになっていた八雲に向かって左前脚を振り上げる。八雲は声にならない雄たけびをあげると、自ら岩蜥蜴の足の下へと走りこんでいった。

「おまえのぉおおおおおお!」

 勢いの乗りきれない岩蜥蜴の足裏をレイピアで突き刺す。痛みに悲鳴をあげた岩蜥蜴の身体がぐらりと左脚側に傾く。八雲はレイピアを抜く時間を惜しんで、装備セットを変更する。手にしたのは手に入れたばかりの鋼鉄の槍だ。

「弱点ぐらい知ってるんだ、《螺旋掛けぇええええ》!」

 緑風のエフェクトを纏った八雲は、体勢を立て直そうとする岩蜥蜴の腹の下に高速で潜り込む。思い切り引きつけてから、突き出した矛先は緑の光を纏い岩蜥蜴の腹を食い破った。

「派生の《振り上げ》もぉおおお!」

 スキルの追加攻撃が発生、大きく振り上げた槍が緑の残光を引き、岩蜥蜴の下腹部から胸にかけてを完全に斬り裂いた。流れ出る血の滝を緑風で散らしながら、八雲は倒れる岩蜥蜴の股下をくぐり抜けた。

「如月さん!!!」

 背後で岩蜥蜴が倒れる音がしたけれど、八雲には確認している余裕なんてなかった。槍を放り出し如月さんのもとへと駆けつけた。

「あぁ……おおがみ……くん……あっ、がぁっ……いだ……ぃ……よ……」

 如月さんは息も絶え絶えに腫れた唇を動かし、濁った声を絞り出した。ちょっと前まで美味しそうにお弁当を頬張っていた頬が無残な擦り傷で血だらけだった。とっさに盾で防御したのだろう左腕が二倍に腫れ、左足はあり得ない方向に曲がってしまっていた。

「しゃべらないで、《傷薬》!」

 現れたポーション瓶の蓋を力任せに引き抜くと、中身の液体を急いで如月さんの折れた左足にかけた。

「ヒィッ! あっ! あぁっ! ひっ、あっ!」

 想像を絶する痛みに如月さんは目と口を限界まで開き身体を震わせる。傷を覆った緑色の液体がすっと染みこむと折れていた左足が痙攣し、あるべき方向に戻り傷も消えた。あと見える傷は左腕と顔だ。

「傷薬」

 宣言してもアイテムは現れなかった。画面端に20秒のカウントが表示されていた。アイテムの連続使用制限だ。エクスフォンを直接操作してみるが、やはり無駄だった。

「なんで! ここまでゲームと一緒なんだよっ!」

 たった20秒を待つのが辛くて八雲は怒鳴っていた。怒鳴り付けたのは、自分の不甲斐なさだった。

「はぁ……はぁ……あ、あたしは……ぅぐっ、だ、大丈夫だからさ……おおがみくん……落ち着いて……ぅっ……」

「喋らないでください」

 八つ当たりするみたいに冷たく言ってしまって、八雲はまた後悔した。そんな自分を誤魔化すように、カウント0と同時に傷薬を呼び出した。

 現れた瓶の蓋を開けるのすらもどかしかった。八雲は傷薬を、如月さんのパンパンに腫れ上がった左腕に使った。服の上からでも傷薬は染みこんでいき、腫れがみるみる引いていった。

「はぁーはぁー、楽に……なったよ……あんがとね……」

 如月さんは起き上がろうとするが、八雲はすぐにそれを制した。

「待ってください、まだ顔に傷があります」

 また20秒待って、今度は如月さんの顔と、念の為に頭にも傷薬をまんべんなくかけた。痛々しい頬の擦り傷傷は、腫れた唇も元に戻った。何より脂汗が引いて、呼吸が普通に戻った事が八雲の異常な緊張を解いた。

「他に痛いところはありませんか?」

 それでもまだ安心できない八雲は睨みつけるようにして尋ねた。

「……左の胸と脇腹のあたり」

 真剣さが通じたのか如月さんは観念したように声を漏らした。4つ目の傷薬を如月さんの胸と脇腹に注ぐ。ほとんど回復が済んでいるからか、緑の液体はあまり如月さんの身体に吸収されず、他の場所より酷く濡れてしまった。

「はぁ~~、死ぬかと思ったよね」

 深い安堵の溜息を吐き出した如月さんは、もうこれ以上はいいからと笑った。死んでしまうかもしれない恐怖と、経験したことのない苦痛があったはずだ。こうして相手のために笑顔を見せられる強さに八雲は締め付けられるように胸が痛くなった。彼女の全てを失っていたのかもしれないのだと、激しい恐怖と後悔に足元の感覚がおかしくなった。

「ごめんなさい……ぼくがもっと注意していれば……」

 そんな言葉を吐き出す自分の舌を噛み切ってやりたい衝動に駆られる。

「ほんとうに……ほんとうに……なんてひどい不注意を……すみませんでした……」

「もー、そんなに謝んなくていいよ~。あたしだって油断してたし」

「違います! ぼくの責任です……。もう少し慎重に考えていれば分かったはずなんです。岩蜥蜴の擬態行動なんて今まで何度も見てきました。ずっと雑魚モンスターが出現しなかったこと、辿り着いた広場の出入り口を塞ぐ大岩、怪しいに決まっています……ぼくは気づかなくちゃいけなかったんです……なのになんで……」

 感情の泥沼にはまり込んでいく八雲の肩を、如月さんがガシっと掴む。八雲が身体をビクつかせ顔を上げた。そこを如月さんの力強い視線が、それ以上は許さないと八雲の声と動きを縫い止める。

「大神くんは一個も悪く無いからっ! こうやってあたしが生きてるのは大神くんのお陰だよ! もっと自分に自信を持って! ウジウジしないっ!」

「で、でも……」

「でも禁止っ!!!」

 激怒した如月さんのヘッドバットが八雲の額をゴチンと襲った。

「すみませ……あ……」

 脈絡のない痛みに驚いた八雲は、思わず謝ってしまった。謝ってからハッとして口を紡ぐ。もちろん、その言葉も仕草も、全部如月さんに聞かれて見られてしまっている。

「はぁーーーーー……」

 如月さんの口から長い長いため息が吐き出された。どうしようもない愚か者だと、失望されたのだと思った。また同じような事を繰り返して、他人に嫌われてしまう。

(ぼくはどうしようもない奴なんだ……)

 泣きだすほどの繊細さも、弱音をぶちまけるほどの勇気もない自分が本当に嫌になる。

「……あのね、大神くん」

 沈黙の迷宮から一歩を踏み出したのは如月さんだった。その声は先程までの怒りはどこかへ消え去り、何かに挑むような冷静さで包まれていた。

「そんなに遠慮することないから。相手の気持ちなんてよく分からないだからさ。そんなものに気を使って自分を押し込めてるとさ、ツライだけじゃん。大事な所で選びたい道を選べなくなっちゃうよ」

「でっ……あ、その……」

 また『でも』と言いそうになった八雲を見て、如月さんがふっと笑った。

「大神くんはさ、あたしのこと憶えてなかったじゃん?」

 昨日の失敗の話を持ちだされて、八雲は身体をビクつかせる。また怒られるのかと思ったけれど、如月さんは穏やかに話し続けた。

「あれって当然なんだよね。小学校の頃のあたしって、超がつくほどの引っ込み思案でめっちゃ暗かったからさ」

 如月さんは少し照れくさそうに目を伏せると、怪我の治った左腕に右腕を添えた。

「自分から友達つくれなくて、でも寂しいし気まずいから、人数が多い女子のグループの隅っこにいさせてもらってたの。可愛かったり気が強かったりしてる娘がリーダーで主役、あたしはそのドラマに時々でてくる出て来るエキストラみたいな感じ。あ、そうだ眼鏡もしてたよ」

 眼鏡という言葉がパスワードだったかのように、八雲の脳裏にパッと一枚のイメージが瞬いた。その火花が連鎖するように、忘れていた記憶が形になっていった。

 小学5年生の二学期の席替えで、右隣にいた目立たないお下げ髪をした眼鏡の女の子。先生に指されたり、女の子に話しかけられて、いつもオドオドしていたあの子が如月さんだったのだ。

「そんなだからさ、あたしはいてもいなくてもいい子だったんだよね。班を作るときに足りなければ入れられて、邪魔なときは弾かれる。ただの人数合わせ。いちおうメールアドレスとか交換してるけど本当は一方通行。声をかけてもらえるまで、あたしはずっと待ってるだけだった。ずるい子だよね」

 如月さんは眉をひそめ自虐的に言った。積極的に他人と関わることを諦めている八雲は何も言葉を返せなかった。

「転校しても一緒で、小学校を卒業して中学に入ってもなんにも変わらなくて、同じように一番目立ってる女子のグループの隅っこにいたんだ。自分でそういうポジションなんだって納得してた……」

 なにか嫌なことを思い出したのか、言葉を躊躇った如月さんの瞳が揺れていた。

「ぼくなんかに話さなくてもいいんです……もう、いいんです……」

 如月さんの苦しむ所なんてもう見たくなくて、八雲は口を挟んでしまった。

「ううん、大神くんには最後まで聞いて欲しい。っていうか、きちんとあたしから話さなくちゃいけないの」

 揺るがない覚悟が気迫となって八雲の胸に突き刺さった。そこまでされて、そこまで言ってもらって、その意志を遮ることなんてできない。

 如月さんは小さく頷いて喉を動かすと言葉を続けた。

「でもね、中学の女子グループのトップの子がすっごく嫌な奴でさ、あたしちょっといじめられてる感じになってたの。いじめって言われても、暴力とか嫌がらせじゃなくて、こう変な風にいじられる感じのやつ。約束の場所に行ったら誰もいなくて慌ててるのを遠くでみられたりとか、面白いこと話してって言われるんだけどそんなことできなくて普通の話をしたら笑われたりとか……、本人たちはウケ狙いで楽しませてるつもりなんだ。あたしも、最初は一緒になって笑ってたけど、なんかこう、お腹のへんに色々溜まってっちゃったんだよね」

 そう言った如月さんは腹痛の時にするように、おへその少し上をさすった。それから拳を握って、花火みたいに開いてみせた。

「で、限界きちゃってボーン! 休み時間に泣いちゃった。そうしたら、その女子たちひいちゃってさ。さめるーとか、冗談だってとか、必死でフォローしようとしてたんだけど、あたしは全然そんなこと思えなくて、涙が止まらなかった。そんで、お互いに困った感じになった時ね」

 苦しそうに息を吐き出していた如月さんの口元に、くすっと笑みが浮かんだ。

「いきなり智代がたち上がって、その女子のトップにビンタしたの。ペチンとかじゃなくて、もうドカンッ!て感じ。その女子は机ごと倒れこんじゃった。もちろん、その子が何するのって怒ったらさ、智代がスタスタ近づいて『冗談だから、笑いなよ』って言って、もう一発ビンタ。その子、鼻血ブーだよ。もうそっから超大変でね、アハッ、いま思い出しても笑っちゃう」

 八雲には想像できないほど本当に大変だったんだろうけれど、如月さんはその陰を微塵も感じさせず、今は朗らかに笑っていた。

「ま、それで色々あって智代とあたしは友だちになったの。モデルを始めたのも智代のおかげ、だからすっごい感謝してる」

 笑顔で話している如月さんの目から、熱いものが一筋流れた。あれ、おかしいなって呟きながら如月さんは目元を拭った。

「……なんでそんな大切な話をぼくに」

「大神くんに、『立場が違う』なんて言って欲しくなかったからかな。遠慮されるのもめんどくさかったし、それに……」

 ほんの少し躊躇ってから、如月さんは仏像を拝むみたいに八雲に向かって手を合わせた。

「ごめん! 勝手に大神くんの過去のこと調べちゃった! だから、あたしの恥ずかしい過去話でおあいこにして!」

 そう言って頭を下げた如月さんの手が少し震えていた。そんなこと言わなければ分からなかったのに、と八雲は思った。でも、言ってくれて嬉しかった。

「ぼくの過去なんて……別に謝らなくて良いです。如月さんの話を聞けて、ぼくの方がいっぱい受けとちゃってます。それにもう終わったことですし……」

「ううん、まだ終わってないかもしれないじゃん。ノーフェイスの奴、大神くんのこと勇者オルカムっていってたよね、何か関係があるんじゃない?」

 なるほどと八雲は納得した。勇者オルカムという単語はネットで検索すればすぐに出て来る。そこから遡って調べて、過去の色々に到達したのだろう。

「それで、如月さんはどこまで知ってるんですか?」

「えっとねー、エターナルクエストってゲームが昔あって、それを大神くんたちが遊んでたってこと。あとなんか事件、あ、ラスト・デイ・ショックだっけ? があって、大神くんたちが倒れて病院に運ばれたってことぐらいかな。いちおう、小学校の頃のクラスメイトにメールで聞いたんだけど、グループ違ったからあんまり知らなかった」

「そうですか……、なら最初から説明しますね。ちょっと長くなるんで座りましょうか」

 二人は崩れた壁の瓦礫に向い合って腰掛けた。何から話そうか迷ったので、聞いたばかりの如月さんの告白を参考にすることにした。

「……エターナルクエストの正式サービスが始まったのは、5年生になった頃です。ぼくがゲームが好きなことは結構知られていたので、一緒にプレイしようってクラスメイトに声をかけられました。今まで同じクラスになったことのない人たちだったので、それこそ数合わせだったと思います」

 クラス替え直後の浮ついた空気とあいまった偶然だった。

「ぼくは半年ぐらい前のオープンβ版からプレイしていたので、他の人達よりアドバンテージがありました。知識とテクニックで、みんなより少し上手くプレイできたんです。みんなが凄いって褒めてくれて……、ぼくも調子に乗って、偉そうにテクニックを教えたり手助けとかしたんです。そんなことをしているうちに、いつの間にかぼくがグループの中心人物みたいになってたんです」

「あたしがイメージしてたのはその頃だね。大神くん、いっつも男子の中心にいた気がするもん」

 1年間と少しだけしか存在しなかった虚像が、如月さんの中に刷り込まれてしまっていたのだ。その愚かしいイメージを破壊することが、如月さんの告白に応える方法だと八雲は思った。

「同級生だけじゃなく、他のクラスの人に上級生、下級生……友達がいっぱい増えました。いえ、増えた気になっていました。そうして、現実だけじゃなくてゲーム内でも、勢力を持つようになったんです」

 人が人を呼び込み、ギルドの上限人数を超えるほど大きな集団になっていた。

「もちろんプレイヤー間の喧嘩や派閥争いもあったんですけど、それでも基本的に楽しく遊んでいました……、事実上のラストエピソード『8つの神器』が公開されるまでは……」

 人生の絶頂基はずいぶんと早く訪れ、そして一気に崩壊へと向かった。

「『8つの神器』はその名の通り、8つの伝説級アイテムを探すシナリオです。エターナルクエスト最大勢力の一つになって思い上がったぼくたちは、この8つのアイテムを自分たちで独占しようと考えました。そこで創りだしたのが、勇者オルカムです」

「創りだした? どういうこと?」

 ネットゲームをプレイしない人には複数アカウントの概念は馴染みが薄いようだ。

「8つの神器は、一度でも使用したり装備したりすると、他の人間に渡せないんです。だから持ち逃げや裏切りを防ぐために、神器を管理する専用の共同アカウントを作ったんです。その管理者の一人がぼくでした」

「ノーフェイスがそれを知ってる風だったってことはさ、もしかして、あいつもその時の仲間の誰かなんじゃない? 心当たりとかないの?」

 如月さんが気づいた可能性も、八雲はすでに考えていた。しかし、明確に離せない理由があった。

「分かりません。この話の最後が、ある意味ではその答えです」

 八雲は最後に残された、幾重にも鍵をかけらた記憶の扉を開け放つ。真っ暗な闇だ。その闇の中から、おぞましい悪魔がこちらをジッと見つめていた。

「8つの神器を集めるクエストは過酷でした。もともと、特定のプレイヤーが独占できるようには作られていないのだから当然です。ランダム要素や超高難度のクエストを力づくでねじ伏せるためにチーム内でゲームへの義務が生まれました」

 話の向かう先が分かったのか、如月さんの表情が曇る。

「……沢山の人達が去っていきました。最終的に残った主要メンバーは神器の数と同じ8人だった、はずです」

「はず?」

「実はよく憶えてないんです……」

 記憶のそこに居座る悪魔は部屋を覗かせてくれても、決してその中へは入れてくれなかった。

 首をちょこんと傾げた如月さんが怪訝そうな表情を浮かべていた。

「8人だってことは分かってるんでしょ?」

「神器エピソードの最終クエストが、神器を持つ8人が集まり魔王と戦うというものでした。だから、8人という数だけはわかってるんです」

「なるほどね、それで魔王は倒せたの?」

「それも分からないんです。攻略中にあのラスト・デイ・ショックが起きて、気づいたら病院にいました。その後、学校内でもエターナルクエストのことが大きな問題になって、中心にいたぼくは教師やPTAに責められて……友達からも白い目で見られるようになって……。卒業までずっと……」

 当時は幼くて、どうして先生や知らない親があれほど怒っていたのか分からなかった。でも今ならその理由が分かる。正式な犯人も原因も分からない事件に対して、責任を取る人間が必要だったのだ。それに八雲が選ばれただけの話だった。

「そんなの変だよ! 大神くんはなにも悪くないじゃん!」

 如月さんが擁護してくれるけれのが嬉しかったけれど、八雲は首を横に振った。

「いえ、人間関係が破綻するまでゲームを強要した責任があります。ぼくはゲームでしか人と繋がれないのに、自分でそれをダメにしました……それでもう誰かとゲームをするのが怖くなって…………だから、XFWもずっと一人でプレイしてきました……」

 最後は締め忘れた蛇口みたいに、独りよがりな泣き言になってしまった。如月さんにとっては聞かされるだけ迷惑な話だったかもしれないけれど、八雲は救って貰った気がした。

「うん、そっか……あたしはさ、もともとゲームとかの知識がゼロだからなに言われたって平気だよ。っていうか、もっと遠慮しないで、じゃんじゃんいろんな指示してよ!」

 うんざりするどころか、如月さんは張り切って胸を叩いた。まさかそんな反応が返ってくるとは思わず八雲はどうして良いのか分からなかった。

「如月さんに色々なんて、そんな! む、無理です! 無理ゲーです!」

「ムリムリ言ってもしょうがないじゃん。まずはそうだ、このゲームの事からね。大神くんの方が分かってるんだから一つや二つ言いたいことぐらいあるよね! っていうか、言わなきゃすっごく怒る!」

 身を乗り出した如月さんが、八雲の瞳を覗き込んで言った。

「じゃ、じゃあ……もう少しだけ考えてスキル使って下さい。いくら使ってもいいと言いましたが、明らかな射程外や、勢いだけで連発したりはMPの無駄です」

「そうこなくっちゃ! 他にはない?」

 如月さんはなぜか期待に目を輝かせていた。

「あとは……勝手にずんずん進まないでください。さっきみたいな事があるかもしれないので、怪しい場所では特に慎重になってください」

「うんうん、そうでなくっちゃ。最後に学校生活でもう一つだけ」

「あ、えっと、皆がみてるとこで、て、手をつなぐのはやめて下さい」

「オッケー! じゃあ、皆が見てないとこで繋ごっか」

 そんなことを言って如月さんが手を伸ばしてきたものだから、八雲は驚いて座っていた瓦礫の後ろにひっくり返ってしまった。

「からかわないで下さい!」

「ほら、大神くんからも言えたじゃん♪」

 策略にはめられた気づいた八雲は、小さくため息を吐いてから立ち上がった。

「如月さんには勝てそうにありません」

「そんなこと言わないでよね、リーダー」

 ニカッと笑った如月さんが八雲の肩をポンと叩いた。

「リーダーは勘弁して下さい」

 肩を落とす八雲に如月さんはしつこく「リーダー」を連呼し続けた。

 背負い続けた荷物が軽くなったような気がした。如月さんと荷物を半分ずつ交換したからだ。自分の荷物だけをずっと背負っていくのはしんどい。。でも、他の人の荷物なら力が湧いて来るのかもしれない

 二人は岩蜥蜴のドロップアイテムを回収すると、開いた道を進んだ。通路の様子は先程までと変わらなかったけれど、途中で壁に埋め込まれるようにして設置された石碑を見つけた。

「なんか文字書いてあるね。英語とかフランス語じゃないし、くさび形文字? それとも、しょーけー文字?」

 石碑の表面にはアルファベットや甲骨文字のような、明らかに文章と分かるものが刻まれていた。

「これはAG文字ですね」

「なにそれ? えーじーってそんな国、聞いたことないよ」

「XFW内で使われている創作文字です。正式な名称はわかりません。AG社のゲームによく出て来るので、ユーザーが勝手に呼んでいるだけです。魔法のエフェクトとかにも使われているので、如月さんも目にしていますよ」

 魔法の発動時に現れる魔法陣には、この文字が装飾として使われている。

「へー、ぜんっぜん気にしてなかったよ。もしかして大神くん、これ読めるの?」

「さすがに読めません。でも、こうやってカメラを通して見れば……」

 隠しポータルを表示させた時と同じように、エクスフォンのカメラをかざすと、石碑が認識された。コンピューターが解析する演出が入り文字が浮き上がると、その日本語訳が表示された。

「おおっ、すごい! なんか宝探し感いっぱいだね!」

 こういうちょっとしたギミックや、実際に自分の脚で歩いてクエストに挑んで冒険を楽しむのがXFWの根源的な面白さだ。そんな事を思い出しながら、八雲は石碑の文章を読んだ。


『永遠に閉じ込められし光の魔物滅びるとき、泉は蘇らん』


「魔物ってことはきっとボスいるんだよね」

 如月さんがこれでもかと渋い顔をした。

「それは仕方ないですね。光属性っぽいですから、闇属性の武器があると良いんですが……」

 属性持ちの装備は如月さんが使っているグラディウスだけだ。

「この永遠ってどゆことかな? まさかこの遺跡が永遠っていうぐらい広いんじゃないよね……」

「昨日、如月さんが気づいた通り、マップの地理的な配置が現実準拠だとしたら、それはないと思います」

 石碑の文言からはそれ以上の手がかりは得られなかった。一応台座を調べたりしたけれど、何の仕掛けもなかった。二人は遺跡の奥へと進んでいった。

 中心部に近づくと、ロックフォックやランブルウィードなどの雑魚モンスターがいた。前者は土属性のフォックで礫を投げてくるが、射程も短く簡単に躱してさくっと倒した。後者は西部劇で見かけるコロコロと転がる草のモンスターで、如月さんのグラディスが威力を発揮し一撃で倒した。

 むしろ遺跡の通路の方が苦戦した。岩蜥蜴のいた広場から先は迷路になっていて、何度も同じ場所を行ったり来たりしてしまった。それでもなんとか正しい道を進み、遺跡の中心部に到達した。

 広場というよりは、荒れた庭園のような場所だった。サッカーコート半面ほどの地面が緩やかに凹んでいた。からからに乾燥した草や葉っぱがその底に溜まっている。クエスト文に書かれていた枯れた泉とは、この場所のことだろう。奥の方には形を残す建物がみえたけれど、枯れた泉の周りを調べることを優先した。

「ナイアスの水っていうぐらいだから、ここにあるのかな? この鏡とあの犬の像がめっちゃ怪しいけど」

 泉の横は寂れた祭壇になっていて、縦5メートル横3メートルほどの大鏡が設置してある。そして、その少し前には狛犬に似た像が置いてある。像は鏡に尻を向けて、枯れた泉とその奥の建物の方を向いている。

「パズルって感じじゃないよね」

 如月さんが像の台座を剣の先で突っついたが、何の反応もない。

「……ですね。意味なし系のオブジェクトという可能性もあるにはあるんですけど……」

 ネットで調べた情報と食い違っていたことに落胆して、八雲は力なく肩を落とした。

「そうがっかりしないでよ。謎を解けば目的のアイテムは手に入るんだからさ、どっちでもいいじゃん」

 言葉通り気にした様子のない如月さんは、さっそく像のチェックを始めた。八雲はそのポジティブさを見習いたいと思った。

「口が開いてるね。ここから水が出るのかな?」

 像に登った如月さんが、今度は口の中に剣先を突っ込んでグリグリとやってみるが反応はない。八雲も台座周りを調べてみたけれどおかしな所は見つからなかった。

 次に祭壇の鏡を調べてみることにした。

 祭壇といっても申し訳程度の彫刻を施された柱と壁、そこに設置された大鏡だけだ。石で作られた柱や壁は遺跡の他の場所と同じように崩れているけれど、大鏡だけは表面に傷一つない美しさを保っていた。まるで鏡像世界へと通じるゲートののようだ。そう思って表面に触れてみたけれど、硬い感触があるだけだった。

「剣でぶっ叩いてみよっか」

 物騒なことを言い出し剣を振り上げた如月さんを、八雲は慌てて止めた。

「だ、ダメです! それはまだ止めておきましょう! 壊れたりしないと思いますが、もし破壊可能で破片とか降ってきたら危ないですよ」

 高さ5メートルもある大鏡の下敷きになるなんて、考えたくもない。

「半分ぐらい冗談だって♪ でもさ、この鏡みてるとなんか気持ち悪いんだよね……」

 剣を下ろした如月さんは鏡面を睨みつける。鏡の中の如月さんも同じ難しい顔をしていた。

「何がですか? ぼくにはちょっと分からないんですけど」

 八雲には普通の鏡にしか見えないかった。変なものが写り込んでいたりしないし、自分が右手を上げれば鏡像が左手をあげる動きに寸部の狂いもない。

「うーん、なんだろう……、良く知ってるような……そうでないような……いつもの鏡って……メイクさんじゃなくて……撮影の時とか……カメラマンさん、なに気にしてたっけ…………」

 しばらくブツブツ言いながらその場をぐるぐるまわっていた如月さんが、唐突に立ち止まりハッとした表情で鏡を指差した。

「あっ、分かったライティングだ! ほら、ここみてよ! 鏡の中のブサ犬の像! こいつの影が変なんだよ!」

 指摘された八雲は鏡の中の影を見た。注意して観察すると、確かに影の角度がおかしかった。

「本当だ! 像の隣に自分で立ってみると、影が平行になってないのがよく分かります!」

 興奮気味に言って八雲は像と並んでたった。足元の2つの影は平行に伸びているのに、鏡の中の2つの影は平行ではなく微妙にずれていた。

「さすがです、如月さん! モデルさんならではの着眼点です!」

 八雲は感服するよりほかなかった。普段、鏡なんて見ない自分では絶対に気づかなかった仕掛けだろう。

「へっへー、やっと役に立てたね」

 如月さんは背中を反らして、得意気に胸を張った。大きな胸に押し上げられた革の鎧がキシキシと悲鳴を上げる。

「でも、影が変だって分かっても、どうすれば良いの? 攻撃すれば良いのかな?」

 如月さんは鏡の中の像の影を剣で突こうとするが、鏡面にぶつかり耳障りな音を立てるだけだった。八雲も実際の像の影を踏んだりして調べてみたけれど、特に何も分からなかった。

「これは、まだフラグが立っていないのかもしれません。謎解きか何かアイテムか別の仕掛けを解く必要がありそうですね」

 これだけやって何も反応がないということは、他の方法を探ってみるべきだろう。

「奥にある建物を調べて見ましょう」

「りょーか~い!」

 如月さんはビシッといい加減な敬礼をすると、建物に向かって歩き出す。八雲もすぐに並んで歩き出した。

 枯れた泉の縁を半周するだけで、途中でモンスターに襲われることもなくすぐに建物の前に到着した。見た目からすると廟堂のようだ。石造りなのは遺跡の他の場所と同じだが、この廟堂は天井が残っていて建物自体が形をよくとどめていた。

 二人は扉のついていない入り口から廟堂の中を覗き込んだ。モンスターの姿はなく静寂に包まれていた。

「こういった古い建物はゴースト系のモンスターが待ち伏せしていたりするので、十分に気をつけてください」

「ゴースト! いいじゃんいいじゃん、おばけとか大好き!」

 注意したのが逆効果だったのか、如月さんは目を輝かせていた。

「何を想像しているか分かりませんが、いいものじゃないですよ。物理系の通常攻撃は効果が薄かったりするので、もし見つけたらスキルで対処して下さい」

「はい、了解しました隊長っ!」

 呼び名がリーダーから隊長になっていたけれど、きっと気にしてはいけないのだろう。

 右手の武器をゴブリンの杖に切り替えた八雲が、先頭になって建物の中へ入っていた。

「おばけさん、いますかー?」

 伸びやかな如月さんの声が壁に響いた。反応はない。天井の一部が崩れていて、中は思ったよりもずっと明るかった。八雲たちの歩みに合わせて舞い上がる埃が、頭上から差し込んだ光に煌めき、廃墟写真のように綺麗に見えた。

「礼拝堂かな?」

 如月さんが木製の長椅子に触れながら言った。どれほどの時間が経っているのか、木から完全に水分が抜け去り化石みたいな色になっている。

「かもしれません」

 十字架やイコンなどはないけれど、厳かな空気に包まれている。それこそゴーストはいなそうだ。

「あそこ、なんか光ってるよ」

 如月さんが正面の壁を指差した。天井から漏れた光を反射して何か光っていた。

「見るからに怪しいですね」

 近づいてみると、大型の説教台のような台座に鏡が置かれていた。鏡は直径30センチぐらいの円形で、縁の青地に金色の細工が施されている。小洒落た大皿に見えなくもない。台上には他にも革張りの本が置かれ、中程のページが開かれていた。

 不用意に鏡には触れず、まずはヒントがありそうな本の方から調べることにした。

「これもAG文字ですね」

「あ、今度はあたしにやらせて!」

 如月さんはアンマウントを宣言して左腕からエクスフォンを外すと、カメラのレンズを開きっぱなしの本に向けた。

「えっとね……『真実の光で照らすとき、偽りの影は消え去る』だって」

 二人はどちらともなく顔を見合わせた。

「これってさ、ここにある鏡であの影を映せってことだよね!」

「そう考えるのが自然です。では、ぼくが鏡を取るので、罠に警戒してください。矢とか飛んできたら、盾か剣で弾いてくれると嬉しいです」

「おっけー、頑張るけど失敗したらすぐ回復するよ。だから一発で死んじゃったりしないでねー」

 如月さんの答えに頷くと、八雲は鏡に手を伸ばした。多少の緊張感を持って縁に触れると、鏡は光の粒子に変化しアイテムとしてエクスフォンに収納された。八雲が安堵の溜息をつこうとした時だ、ガコンと何かが外れるような音が鳴り台座が沈み始めた。

「あぶないっ!」

「うわぁあっ!」

 横から飛んできた如月さんの盾に突き飛ばされ、八雲は一段高くなった壇上から転げ落ちた。倒れこんだ先には古びた椅子があって正面から激突してしまう。荷重に耐えられなかった椅子の背もたれと脚がポッキリと折れ、八雲はその残骸の上に転がった。強かに打ち付けた脇腹と肩が痛かった。

「ごめんなさい! やりすぎちゃった……」

 見上げると如月さんがシュンとして、肩を落としていた。

「い、いえ、ナイス判断でした。もし次も似たような状況があったら、また遠慮無く突き飛ばして下さい」

 今回はたまたま罠がなかったけれど、如月さんの咄嗟の判断力と決断力は素晴らしいと八雲は思った。ダメージコントロールはゲームの上級者になればなるほど重視している点だから、意外と才能があるのかもしれない。

 そんな風に感心していると、沈み込んだ台座の代わりに床下から宝箱がせり出してきた。八雲が立ち上がる前に、如月さんが宝箱の前に立っていた。

「今度はあたしが開けるから、あぶなかったら大神くんが突き飛ばしてね」

 意気込んだ如月さんが親指を立て見せた。順番を譲ってくれる気はまるでなさそうだ。

「分かりました。さっきのお返しにおもいっきりいくので覚悟してください」

 冗談めかして言うと八雲は如月さんの斜め後ろに陣取った。鏡をとった時点で罠が発動しなかったのだから、よほど意地が悪い設定になっていない限りは大丈夫だろうという公算もあった。

(それでも絶対に油断なんてしない)

 八雲が気を張り詰め構えている前で、如月さんは宝箱の蓋に手をかけ、「えいっ!」と思い切りよく開け放った。

 何も起こらなかった。宝箱は動かないし、煙や弓矢、爆弾も飛び出してこない。拍子抜けするぐらい静かなままだ。

「……大丈夫みたいですね。中身は」

「ふわっ! すっごいピカピカの盾だ!」

 宝箱に入っていたのは銀色に輝く盾だった。表面は鏡のように磨き上げられ、それを縁取るように天使の羽を思わせる精緻な細工がされている。見た目は実用的な武具ではなく、完全に美術品だ。

「これ破邪の盾ですよ!」

 如月さんだけでなく、盾を前にして八雲も興奮していた。

「やっぱし、すごいの?」

「はい、レア度が37もあります。現環境だと上級者でもサブに使ってる人は多いです」

「ん? サブってことは微妙なんじゃないの?」

「魔法防御に特化した盾なので、物理防御が皆無なんです。だからメインではなく、魔法攻撃を使ってくるモンスターに対して装備セットを切り替えるんです。だから、如月さんも別セットに装備しておいて下さい。魔法系の攻撃をしてくるモンスターは見分けられると思うので、ぼくが切り替えを指示します」

「おっけー、モンスター博士に任せるよ」

 如月さんは回収した破邪の盾を別セットに装備し、盾についるスキルも登録した。

「他にアイテムとかなさそうだねー」

 辺りを見回した如月さんが言った。手分けして廟堂の壁や放置してある棚やクローゼットを調べてみたけれど何も見つからなかった。

「そうですね。泉の所へ戻って鏡を使ってみましょう」

 二人は廟堂を後にし、大鏡と像がある枯れた泉へと戻った。

 八雲は手に入れたばかりのアイテム、真面目な鏡(アーネストミラー)を取り出した。

「石碑の文章からしてボス出現すると思います。先手必勝ですから、とにかくスキル使っちゃって下さい」

「どっちかな?」

 如月さんは手をクロスさせて、犬の像と大鏡を指差した。

「本命は鏡です。でも、像の方が動き出しても対応が遅れないように警戒しましょう」

「おっけー、どっちでもいっちゃうよ!」

 犬の像と大鏡の両方を視界に収めながら如月さんは剣を構えた。位置的に両方見れるはずだけれど、キョロキョロと目を動かしていた。

「それでは鏡を使います」

 両手で持った真面目な鏡を、異常な傾きをみせる鏡像の影に向ける。しかし、何も起こらなかった。上手く映っていないのかと思って、前後左右に微調整してみるけれど何も変化しない。

「光の魔物っていうぐらいだからさ、影じゃなくて光源の方なんじゃない?」

「なるほど、影の伸びる方向に対して垂直にするんですね」

 如月さんの意見に従い鏡の角度を調節してみる。すると、鏡の中に光の点が現れた。偽りの光源は急速に大きくなり、ついには大鏡の横幅にまで到達する。

「来ます!」

 直径3メートルはある偽りの光が鏡の向こう側から鏡面にぶち当たる。ガラスに蜘蛛の巣のようなヒビが走った。砕け散るガラス片の中で、八雲は横っ飛びに光球を避けた。

「《魔迅剣》!」

 敵が大鏡からこちらの世界に出現するタイミングで、如月さんがスキルを放つ。キラキラと舞うガラス片を巻き込み、刃のエフェクトが光球に到達する。光球の表面が揺らぎ纏っていた光の粒が掻き消えるが、それだけだった。

「全然効いてないっぽいんだけどっ!!」

 一発目の効果を確かめた如月さんは、すぐに二発目を放たなかった。

「ウィル・オ・ウィスプ! 魔法生物です! いますぐ破邪の盾に換えて下さい!」

 勢い余って二人の間を通り過ぎたウィル・オ・ウィスプは、枯れた泉の底はゆらゆらと揺れながら、周囲に別の小さな光の玉をいくつも浮かべ始めた。

「りょうかーーーーい!」

 大声で応えた如月さんは腕につけたエクスフォンをタッチし、右腕の装備を皮の盾から破邪の盾に変更する。

 ウィル・オ・ウィスプの周囲をぐるぐるとまわっていた光球が、八雲と如月さんそれぞれに向かって放たれた。

「《グレイブ》!」

 八雲は持ち替えた杖から石の円錐を放つ。一直線に宙を駆けた飛礫は、光球と正面衝突し青白い小さな花火となって消滅した。

「おばけは良いけど、火の玉はイヤッ!」

 苦情を言い放った如月さんは、構えた破邪の盾で光球を受け止める。激突した光球は燃えるアルコールが地面にぶつかるように放射状に広がってから消えた。

 さすが魔法防御力が絶大な破邪の盾だけあって、ダメージは少なそうだ。しかし、そんな事はお構いなしにウィル・オ・ウィスプは光球を放ち続けた。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 一旦ストップ! 盾壊れちゃうから!」

 距離的に近かった如月さんは狙い撃ちにされ、防戦一方になってしまう。

「こっちにもいるんだぞ、《グレイブ》!」

 ウィル・オ・ウィスプの注意をこちらに向けようと、八雲は石の円錐を本体に向かって打ち出す。光球のストックが無くなったウィル・オ・ウィスプの脇に直撃した。しかし、命中した周辺の光を散らしただけで、大きなダメージにはなっていなかった。それでも攻撃を食らったウィル・オ・ウィスプは、警戒するように光球を自分の周りに溜め始めた。

「もしかしなくても、こいつすっごく強くない!」

 光球の連続ガードから開放された如月さんが、うんざりした悲鳴を上げる。

「最低でもレベル20です! 普通に戦ったらぼくたちじゃ、まず勝てませんっ!」

 根性論を言っても仕方がないので、八雲は事実を告げた。

「なにそれ、あの推奨レベルって嘘じゃん! どうするの?! 逃げるしかないの?!」

 ウィル・オ・ウィスプの周りに、6個目の光球が揃い始めていた。

「純粋な光属性モンスターなので、葛西さんが使ったような闇呪文ならレベルが低くても、大ダメージを与えられるんですけど……」

「智代を助けるために戦ってるんだから、本末転倒じゃん!」

「この異常なレベル差からして、きっと何か倒すギミックがあるはずなんですけど……」

 8つの光球を揃えたウィル・オ・ウィスプが、蛇が身体を降るように、激しく左右に揺れながらこちらに向かって突っ込んできた。

「《魔迅剣》!」「《グレイブ》!」

 重なる声に放たれた刃のエフェクトと石の槍が、同時にウィル・オ・ウィスプまで達する。しかし高速で公転する光球に阻まれ、本体には達しなかった。しかし、その接近速度は少し遅くなった。

「ここは任せて、《リペルライト》!」

 前に進み出た如月さんが、光属性を防ぐ盾スキルを発動する。破邪の盾が銀の粉をまぶしたような煌めくエフェクトを纏った。

「最後のMP使ったから! あたしが引きつけてる間に大神くんなんか考えて!」

 そんな如月さんの無茶ぶりが聞こえているかのように、動きを止めたウィル・オ・ウィスプは残っている光球を発射し始めた。

「こっのぉおお!」

 撃ちだされた光球に向かって如月さんは一歩踏み出すと、卓球のバックハンドの要領で破邪の盾を振るった。銀の粉を振りまく盾と光球が激突。今度はリペルライトの効果で光球を弾き返すことに成功する。逆走した光球はウィル・オ・ウィスプに命中し、小規模な対消滅した。

「あれ、もしかしてコレで倒せちゃう?」

 そう思ったのもつかの間、ウィル・オ・ウィスプの凹んだ場所はすぐに元通りの揺らめく光になり、さらに消滅した分の光球を補充した。

「やっぱりキツイじゃん!」

 如月さんが頑張って耐えている間にも、八雲はクエストの謎を解こうと頭を回転させていた。

(ボスが20レベルなんてギミック系に間違いない。道中に必ずヒントがあったはずだ。どれだ? まだ使ってないのはあの像だ。鏡の前でモンスターを暗示しているはず……前で? 違う、あの像は鏡におしりを向けてる……なぜ? なんでだ?)

 八雲が像に視線を送る視界の端では、如月さんが光球ノックを続けていた。

「あと20秒でスキル切れちゃうから、早くしてっ!」

(この像は何を見てるんだ? 泉? いや、視線はもっと先だ)

 犬の像の前方には、あの廃墟とかした廟堂がある。

(建物に誘導するのか? いや違う、あいつが『向き合ってる』のは――)

「もう、面倒だから鏡の中に帰ってよ!」

 破邪の盾を振り回しながら、如月さんがうんざりしたように叫んだ。

「それです如月さんっ! あいつを鏡の中に戻すんです!」

「えっ? でも、あいつが閉じ込められてた大きな鏡ははもう割れちゃってるよ」

「大丈夫です、まだ2枚あります!」

 八雲は如月さんの防御範囲から飛び出すと、ウィル・オ・ウィスプを回りこむように走りだした。

「どこいくの、大神くん! そっちはあぶないって!」

「如月さんそこを動かないで! 敵の注意を引き続けて続けてください!」

「あと5秒しかないんだけどっ!」

 接近に気づいたウィル・オ・ウィスプが、光球を単発発射から扇状の一斉発射へと切り替えた。一瞬立ち止まった八雲の両脇を、球と球がすれすれの所で抜けていく。シューティングゲームもプレイするので、弾幕避けはお手のものだった。

 ウィル・オ・ウィスプが光球を補充する僅かな隙に、八雲は背後へと回りこんだ。

(像が見てたのは泉でも、建物でもない。あの銀の盾とこの鏡だ!)

 八雲はゴブリンの杖を投げ捨てると、真面目な鏡を取り出しウィル・オ・ウィスプに向ける。

「だめ! もうスキルが切れちゃう!」

 如月さんの悲痛な叫びが聞こえる。チャージを終えたウィル・オ・ウィスプが、全方位に向かって放射状に光球を発射した。

「如月さん、盾を正面にまっすぐつき出してっ!」

「これでいいのっ!?」

 言われるままに如月さんは破邪の盾を正面に向けた。八雲は両手に持った真面目な鏡を、ウィル・オ・ウィスプと破邪の盾が一直線上になるように角度を合わせた。合わせ鏡の迷宮が、ウィル・オ・ウィスプを挟み込む。

「永遠の中に戻れぇえええ!!」

 これしかない八雲の願いに、目前まで迫っていた光球が掻き消える。さらにウィル・オ・ウィスプの本体が、電波状態の悪いテレビ画面みたいに激しく揺れ始めた。

「なになに?! もしかして凄い必殺技でちゃった?!」

 如月さんの興奮した声に弾かれるように、ウィル・オ・ウィスプが破邪の盾と真面目な鏡の間を高速で往復し始めた。最初は一抱え以上あった本体が、往復を繰り返すうちに急速に小さくなっていった。そして、ついにはこぶし大の大きさにまで縮み、破邪の盾に吸収されてしまった。

 ウィル・オ・ウィスプを閉じ込めた破邪の盾は、表面の輝きを失い、代わりに熱せられたかのような赤色へと変化した。縁取る流麗な銀細工もボロボロと崩れてしまう。そうして、残ったのは太陽のシンボルを持つ陽光の盾だった。

「盾がパワーアップしちゃった」

「あ、いえ、残念ながら陽光の盾はレア度7です」

 銀の盾を含めてのギミックなので、クエストから持ち帰れないようになっていたのだ。

「ま、いっか。これでクエストクリアかな?」

 沈黙を保っていた犬の像の口から勢い良く水が吹き出し、枯れた泉に注ぎ始めた。時間を早送りしたかのようにみるみる水が溜まっていき、泉は輝く水面を取り戻した。

 周辺の草木が息を吹き返すと、泉の畔に現実世界へと繋がるポータルが出現した。エクスフォンにクエスト完了の通知と、入手アイテムのログが表示された。各種素材アイテムにランダム報酬は黒犀の大盾と白鳥の羽飾り、そしてナイアスの水だ。

「やったね!」

「はい、グッジョブでした!」

 八雲と如月さんはどちらともなく手を上げ、ハイタッチを交わした。



 現実世界の星の里公園に帰還すると、夜7時をまわり辺りはすっかり暗くなっていた。心細い園内の街頭を頼りに入り口まで戻ると、ヘッドライトを煌々と光らせバス停に止まろうとしているバスの姿が見えた。顔を見合わせた八雲と如月さんは、すぐにでも出発しそうなバスに向かって全力で走った。そうして、息を切らせた二人は開き直したドアに飛び込んだ。最前列の席に座る子供が何事かと二人の方をジッと見ていたが、気づいた母親に頭の向きを変えられた。

 最後列が埋まっていたので、八雲はバス中程の二人がけの席に座った。他の席も空いていたけど、如月さんは自然に八雲の隣に腰を下ろした。

「こっから2時間もあるのかー。ホント帰るまでが遠足(クエスト)だね。明日が休みで良かったよ」

 如月さんがうんざりするように言ったので、八雲は小さく吹き出してしまった。それに気づいた如月さんが目を細め不服そうな表情をした。

「……大神くん、いま最初から明日にすれば良かったのにって思ったでしょ」

「そ、そんなこと思ってません」

 慌てて否定する八雲だったが、喉仏ぐらいまではその言葉が上ってきていた。声に出さなくて正解だった。

「でもさ、向こう側ってお腹は減るけど、あんまし疲れないよね」

 そう言って如月さんは持ち込みに失敗したビニール袋から、お好み焼きパンを取り出した。やはりXFWのアイテム扱いにならないものは基本的に持ち込めないようだ。

「ステータス的な補正がかかっているんだと思います。そもそも、ぼくたちの体力では鎧を身に着けて剣を振り回したりできませんから」

「もぐもぐ……だったらお腹も空かなければいいのにね」

 如月さんは自然にお好み焼きパンの袋を開け、もう頬張っていた。八雲もチョコレートの包みをあけて、一欠片を口の中に放り込んだ。口の中でじわりと溶け広がる甘みに、頬がキュッとなった。

「きっと永久パターン防止なんでしょうね。もしお腹が減らなかったら、雑魚モンスターが無限に出現するようなクエストで、それをずっと狩ってレベル上げとかできちゃいますから」

「なるほどねー、もぐもぐ……うん、これ美味しいよ。もう一個買って帰ろうかな」

 ゲームシステムに興味はないのか、如月さんはお好み焼きパンの方に意識を向けていた。

「雑魚モンスターと言えば、敵のHPや防御力も低めな気がします。普通なら二度三度と斬りつけなければ倒せないはずが、大体は一撃で終わります。これはプレイヤーの肉体ベースに合わせた設定なんじゃないでしょうか。例えば、XFWだと攻撃によるノックバックは攻撃属性として設定されていますが、裏アプリを用いた拡張幻想世界での戦闘は物理法則にある程度則っています。レベル差がある雑魚敵を多数相手にする場合、XFWだと突っ込んでダメージを食らいながらゴリ押しが普通ですが、裏アプリの方は難しいでしょう。そこで敵の防御力を低くすることで――」

 沈黙で間が持たないのが怖くて、八雲は拡張幻想世界についての推論をしゃべり続けた。最初のうちは如月さんの「へー」とか「うん」などの相づちが聞こえていたけれど、段々と感覚が長くなりついには、息遣いしか聞こえなくなった。

「――そして、スキルの仕様に関してなんですが」

 システム考察に一人で盛り上がってしまっていた八雲を止めるように、肩をポンと軽く叩かれた。

「あ、うるさかったですか、如月さ……ん?!」

 顔を横に向けた八雲が困惑した。右肩に如月さんの頭がちょこんとのっていたからだ。

「ん……んー……スー……スー……」

 静かな寝息が聞こえてきた。身体はさほど疲れていなくても、葛西さんの事で精神的な澱は溜まっていたはずだ。そういえば、昨日もあまり寝ていないと言っていた。

 そこに来て、クエストをクリアした安心感とお好み焼きパン一個分の満腹感、止めとばかりに八雲のつまらない話だ。寝るなという方が無理な話だ。

 仕方ないことなのだけれど、八雲は困ってしまった。まず起こした方が良いのか、駅につくまで寝かせたほうが良いのか分からない。

 前者なら、どうやって目覚めさせれば良いのか分からない。ゲームのような万能薬もなければ、補助呪文もない。声をかけるのが良いのか、それともそっと肩を揺するのが良いのか分からない。

 後者だとしても、このまま肩を貸していて良いのか分からない。男性の肩に頭をのせるなんて如月さんにとっては不快な事実かもしれないのだ。ならば上手いこと反対側に如月さんの頭を傾けさせるか? しかしどうやって? 傾きを変えるには如月さんに触れなければならない。寝ている如月さんに触れる勇気なんてあるわけがない。

 分からないことだらけだ。ランダムダンジョンを100階まで下りたり、ブラックドラゴンを倒すよりも難しい問題だ。

(そ、そうだ! こんな時こそネットで調べれば良いんだ!)

 全ての答えはネットに書いてある。

(バスの隣席で寝てしまった女の子が、肩に頭を預けてきた時の対処法ぐらいウィキペディアに載ってるはずだ!)

 如月さんに余計な振動を与えないよう、細心の注意を払ってポケットのエクスフォンに手を伸ばす。爆弾処理班が信管を抜くかの如く慎重な手つきで、厚さ7ミリほどのエクスフォンを引き出した。

 画面を見ると一件の通知が表示されていた。それは裏アプリによるものだった。何か嫌なものを感じながら、八雲はその通知をタップした。

 予感は当たっていた。ノーフェイスからのメッセージだった。


『拝啓 時下ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。平素は格別の(以下略!

 お使いクエストご苦労様。ついに智代さんを助けるアイテムをゲットしたね、おめでとう!

 さあ、いよいよ囚われのお姫様を助けるラストクエストだ。今夜10時までに添付したマップのポータルまで来てね。遅れたら罰ゲームだよ♪

 楽しい仕掛けを用意してお待ちしていることを、ご挨拶申し上げます! 敬具!!』


 相変わらずふざけた文章だった。添付された画像を開くと、そこは八雲も如月さんもよく知っている場所だった。

「如月さん、起きて下さい」

 もう迷っているわけにはいかないと、八雲は如月さんの肩を揺する。

「ん……おはよう、大神くん……もう駅ついた?」

 寝ぼけ眼の如月さんは長い睫毛を重そうに持ち上げた。

「いえ、駅はまだです」

「だったら、着いてから起こして……」

 また夢の世界に戻ろうとする如月さんの目蓋が閉じる前に、エクスフォンの画面を彼女の眼前に突き出した。

「ノーフェイスからのメッセージです」

 八雲の言葉に如月さんは目をパッチリと開き、メッセージ画面を食い入るように見つめた。

「……あいつ、あたしたちのことどうやって」

 読み終わった如月さんは不快そうに言葉を漏らした。

「フレンドリストに表示される最終ログイン履歴から判断したのか、昨日の男たちのような手下に監視させていたのか、あるいは裏アプリにそういった機能が、魔法的なものがあるのかもしれません……」

 理由ははっきりしないけれど、ノーフェイスはこちらの行動を把握している。こちらの素性を知っていたぐらいだから、不思議な話ではない。

「なに考えてるんだか知らないけど、こっちからすれば探す手間が省けて、ラッキーってことじゃんね」

 如月さんは当然この挑戦を受けるつもりのようだ。負ける気なんてさらさらないのだろう。

「……おそらく罠です」

「分かってるって。あの陰険ヘチマのことだから、意地の悪い罠があるんでしょ」

「ウィル・オ・ウィスプの経験値が大量に入って、ぼくたちのレベルは7になりました。それでも、まだ葛西さんやノーフェイスよりレベルは低いと思います。レベルの差が勝敗を決定するとは言いませんが、不利なことに変わりはありません。今回の挑発は見送って、もっとレベルを上げてから戦いに挑むという手段もあります」

「でも、確実に勝てるなんて保証はないんでしょ。それにあいつに罰ゲームされるのなんて嫌だもん」

 メッセージに書かれた罰ゲームというのはおそらく人質にしている葛西さんに何かするのだろうと、お互い口には出さなくても分かっていた。

「大神くんは」

「もちろん、ぼくもお供します。負けっぱなしは性に合いません」

 八雲は如月さんの言葉に被せるようにして声を発した。如月さんがなんて言おうとしたかは分からない。ただ、最後まで言わせたくなかった。

「うん、ありがとね……」

 如月さんは八雲から見えないように、顔を伏せると目元を拭った。


 二人は行きと同じバスと電車を乗り継ぎスタート地点である、王英高校へと向かった。

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