GREAT GRADE

~1~


 ジャムダは捕らわれ、前回のクラウドと同じく某所の収容施設に隔離された。これから、パラティウムの秘密組織や救世軍隠密科の尋問部隊が、彼から情報を訊き出すことになる。

 平穏な一時を取り戻したかに見えたグレイたちだったが、それから数日後、学院内でも波乱の凶兆が顕れた。

 2階D教室にて――αD2の救世主全員が集結している前で、ウィルは開口一番、こう言った。


「これから諸君に成績表を配付する」


 刹那的沈黙を破り、怒号にも似た悲鳴があがった。


「マジかよおおおおおおおおおおおおおお!」

「マジだ」

「ウッソだろ、おい!?」

「ウソではない」

「夢よ! これはきっと夢の中なのよ!」

「夢ではない……静粛に」


 方々から聞こえる絶叫に、ウィルは適宜答えた。律儀である。だが、最後の女性の言葉には、些か過敏に反応したようだった。

 グレイたちは先日、夢の世界での戦いを終えたばかりである。彼らにとって『夢』や『記憶』の類いは今、非常にデリケートな言葉だった。

 ウィルはそれを察していた。現に、グレイたちの内何人かは、ジャムダの卑劣な仕業を思い出し、にわかに苦々しい顔をした。


「個々の実力が全体と比べ、どの程度のものなのかを把握することが、今回こうして成績を開示する意図だ。仲間と競うのも結構だが、それよりも次回、現時点での自分を超えることを目標としてほしい。自身の過去を知ることは、未来を拓くことに繋がるからな。

 観点は4つ。【体力】、【魔力】、【戦力】、【学力】だ。

 【体力】は、総合的な身体能力を観て評価している。また、こればかりは性別によって水準が異なるので、男女別の順位となる。

 【魔力】は、現時点で魔法を使える者のみを対象とし、その中で魔法の扱いや、魔法に対する柔軟な姿勢・発想を観ている。

 【戦力】と【学力】は文字通りだ。救世軍実動部隊に属する救世主、総勢720名を評価対象とし、スコラ学院における戦闘能力と学習進度の程度が測られている。諸君の演習や試験の結果が総集されたものだ。

 諸君の日々の鍛練が、今日ここで公正に評価されたと思ってくれ――では、各自に成績表を配る」


 ウィルが各人の名を呼び、呼ばれた者は前へ出、それぞれの成績表を得た。ところどころで歓声があがり、あるいは驚倒する者もいた。

 やがてグレイは名を呼ばれ、自らの成績表を受け取った。渡される時、兜の下でウィルは無表情であったが、眼だけが僅かに綻びているように見えた。

 グレイは席に戻りながら、初めて自分の評価を見ることとなる。


  ――――――――――――――――――

 |                  |

 |        成績        |

 |                  |

 |  αD2     グレイ     |

 |                  |

 |                  |

 |                  |

 |【体力】……10位/374     |

 |                  |

 |【魔力】……4位/382      |

 |                  |

 |【戦力】……3位/720      |

 |                  |

 |【学力】……7位/720      |

 |                  |

 |                  |

 |         救世軍 実動部隊 |

 |                  |

  ――――――――――――――――――


 愕然とした。結構……否、かなりの好成績ではないか。全ての観点で10位圏内に入っている。戦闘能力の総合値たる【戦力】に至っては、全救世主中3位だ。

 この結果に、グレイは複雑な心境であった。720人中3位――この成績は誇らしく、喜ばしいものではある。それは間違いない。

 だが、忘れてはいけない。今ある力は、マタドレイク氏の訓練と、グラディエラ氏の指導の賜物だ。二人の助けを借り、本来のヤーグの性能向上を果たしたに過ぎない。いわば、自ら獲得したものではないのだ。

 不正だと言われても反論できないくらいには、ズルいやり方だ――グレイは誰に見せびらかすでもなく、ただ思い詰めた顔で席に着いた。


「グレイ! お前はどうだった?」


 すると、ちょうど自身の成績を貰ったクロムがやって来た。


「いや……俺の成績は見せたところで……」

「水くさいこと言うなって。俺のも見せるからさ」


 クロムは上機嫌で迫ったが、グレイが伏せた成績表を強引に引ったくるようなことはしなかった。その点は、グレイはとてもありがたかった。


「いや、見ない。だから見せない」

「頑なだな、おい。元の世界では平均下回ろうが赤点スレスレだろうが、真っ先に見せてくれたのに」

「あんなのとは別だろ、これは……」


 懐かしい話だった。グレイは昔を思い出して微笑んだが、机に伏せた自分の成績表を見、現実に引き戻された。


「――どうした」


 クロムは鋭敏にグレイの異変を察した。グレイは言うのを憚ったが、かつて元の世界でクロムと過ごした青春が脳裏をよぎった。あの頃は、悩みも悔いも、互いに分け合っていた。

 言いたいこと、言いたくないこと、言わないでおくこと、言っても仕方がないと分かっていること。二人で分け合い、隔て合っていた。

 今回は、グレイにとって、言っても仕方がないと分かっていることだった。しかし、グレイとクロムの間では、言っても仕方がないことは、同時に『言っても構わないこと』でもあった。

 仕方がないから言わないのではない。仕方がないから言うのだ。言っても、言わなくても、何も変わらないことがあるなら、言って変えられない現実への憤怒、取り戻せないものが積み上がる恐怖、苛立ちや悲しみを分け合うのがグレイとクロムだった。

 言葉では表せない、鬱屈した気持ちを共有した――それが、かつてあった二人の姿ではなく、未だここにある姿であると、グレイは過去から見出だしたのだった。


「俺……誰かに助けてもらってばっかりだ。最初にクラウズと戦った時も、タンクと戦った時も、メシアと戦った時も、ジャムダと戦った時も――こんな成績、俺の実力じゃない」


 グレイは自分の成績表をクロムに寄越した。クロムはそれを上から下まで見ると、ニヤリと笑った。


「へぇ……すげえな。これは確かに、とてもお前の成績とは思えない」


 グレイは自虐的に鼻を鳴らした。


「だけど、これは間違いなく『お前の』成績だ。お前は懸命に戦ってきた。俺は知ってる。メシアとの戦いで、お前が誰よりも傷ついたこと。世間の批判を喰らって、お前が誰よりも苦しんでること。

 お前が傷ついたり、苦しんだりしたのは、誰かに与えられたからじゃない。お前が自分で得たからだ。傷ついたのはお前だし、苦しんだのもお前だ。だから痛いんだ。

 この数字は嘘なんかじゃない。この数字はお前のものだ。高かろうが、低かろうがな」


 クロムは見終えた成績表を、グレイの手元に置いた。グレイの瞳が、改めて自身に下された評価を捉えた。自分の数字を、その眼で受け止めた。


「それに、成績が良いのはお前だけじゃない」


 クロムはそう言って、得意気に自分の成績表をグレイに見せた。


  ――――――――――――――――――

 |                  |

 |        成績        |

 |                  |

 |  αD2     クロム     |

 |                  |

 |                  |

 |                  |

 |【体力】……2位/374      |

 |                  |

 |【魔力】……8位/382      |

 |                  |

 |【戦力】……9位/720      |

 |                  |

 |【学力】……4位/720      |

 |                  |

 |                  |

 |         救世軍 実動部隊 |

 |                  |

  ――――――――――――――――――


 グレイはそれを受け取った。


「――めっちゃいい!?」


 悩んでいたのが馬鹿らしくなってしまった。全て一桁台だ……。戦力と魔力は優ったが、体力と学力はクロムが上だ。特に【体力】は大隊の男性、総数374人中2位――救世軍の男で2番目に身体能力が高いということだ。


「どうだ。総合的に言うなら、俺の勝ちだぞ」

「はあ? なんだよ、総合って」

「数字が小さい方が優れてるんだろ? だったら、全部の数字を足して、より小さい方が全体的に見て勝ってるってことだ」

「ああ、そういうことか。それならまだ……」


 グレイは再びクロムの成績に視線を下ろした。【体力】は2位、【魔力】は9位、【戦力】は8位、【学力】は4位。全て足すと、23になる。対してグレイは……。


「23対24……どうだ、俺の方が強いぞ」


 クロムは、グレイの手から自身の成績を取り返して言った。


「……いや、強さなら俺の方が上だ」


 グレイは沸々と煮えるような競争心の赴くまま口走った。


「見ろよ。俺の【戦力】は3位、お前は9位。単純な強さなら俺の勝ちだぞ」

「……まあ百歩譲ってそうだとしよう。でもな。よく見ろよ、おい。俺の方が頭はいい。より賢く戦えるって点においては、ある意味で俺の方が強い」

「はあ!? そ、そういうのは科目で得意不得意があるだろ! 戦いは頭じゃなく体でするものなんだよ! そもそも頭がいいって意味なら、俺だってお前より魔法の扱いに長けてるぞ! 魔法の熟練度は勉強の密度。俺は机でカリカリするようなものの見方には当てはまらないんだよ!」

「ちょっと待て。それはお前の剣が端から魔法が宿ってる魔剣だからだろ!」

「秘剣だぞ」


 ヤーグが繰り出す秘術・【業火】や秘技・【炎天】は、魔法に近い技術ではあるものの、厳密には異なっている。


「なんだっていい。そもそも、俺が空間魔法を習い始めたのはつい最近だ。【魔力】の評定にも、ギリギリのところで対象になったはずだ。この数字は仕方がない……つーか、戦いは体でするものとか言って、【体力】で俺に負けてんじゃねえか!」


 両者の主張は正面からぶつかり合い、拮抗していた。そこへ、レインが二人の間に割って入った。


「どうしたの?」

「いや……どっちの成績が良いか競ってた」


 グレイは答えた途端、急に恥ずかしくなった。なんだか、子供めいた競争心に支配されていた気がしたのだ。訊いたレイン当人も、頷きながら『男の子なんだから』と得心したような顔をしている。

 すると、クロムはグレイの手中から成績表を掠め取り、レインに差し出した。グレイは慌てて『おい!』と取り戻そうとしたが、既にレインはクロムの分も含め、2枚の成績表を手に入れてしまっていた。


「レイン。見比べて、どっちの方が良いか判断してくれよ」

「え、私が!? ……いいの?」


 クロムはグレイを抑えながら『もちろん』と答えた。グレイは殊更ことさら不満げにもがいた。そんなグレイの様子を見、成績表の比較を躊躇うレイン。するとクロムは、彼女に聞こえない声量で、グレイに耳打ちした。


「白黒つけたくないのか?」

「はあ!?」

「第三者による客観視に基づく公正な審査だ。俺とお前……どっちが強いか、ここでケリをつけておくってこと」


 グレイはクロムの腕を振り解き、考えた。確かに、レインなら公平な目線で、完璧に中立の立場で優劣を判断してくれるだろう。雌雄を決するに相応しい場が整っている。


「……乗った」

「だろうな」

「でも強いのは俺の方だ」

「はっ。今の内に言っとけ」


 グレイはレインに、二人の成績表を見比べるよう言った。レインは少し遠慮がちに、恐る恐るといった調子で2枚の成績表を見た。

 交互に、それぞれの順位を見比べるレイン。やがて全ての項目を見終えたのか、レインは顔を上げ、二人に成績表を返した。


「二人とも凄いよ! だって、どれも学院有数の順位なんだもん!」

「ええ!? ちょっと待ってくれ、レイン! それじゃあダメなんだ!」

「えぇ……ダメって……」

「そうだ。俺とグレイ、どっちがより強いのか、明確に判断してくれないと困る」

「えぇ……困るって……」


 二人の非難に、レインの方こそ困り果てているようだった。


「だって、私なんか二人の勝ち負けを決めることもおこがましい成績なんだもん」

「ん? レインの成績も見せてよ」

「うん」


 レインはわきに挟んでいた自らの成績表をグレイに手渡した。グレイが広げたそれを、クロムも隣から身を乗り出して見た。


  ――――――――――――――――――

 |                  |

 |        成績        |

 |                  |

 |  αD2     レイン     |

 |                  |

 |                  |

 |                  |

 |【体力】……12位/346     |

 |                  |

 |【魔力】……1位/382      |

 |                  |

 |【戦力】……11位/720     |

 |                  |

 |【学力】……1位/720      |

 |                  |

 |                  |

 |         救世軍 実動部隊 |

 |                  |

  ――――――――――――――――――


 グレイは無言のまま、レインに成績表を返した。


「…………」

「…………」


 二人は驚愕の渦中にあった――【魔学】と【座学】の成績がトップだ。【戦力】も二人に引けを取らない。【体力】は一見すると全項目で最も劣る数値だが、346人の女性 (しかも年齢は様々) の内12番目という順位は、甚だ優秀な成績だろう。

 グレイとクロムは顔を見合わせた。先ほどまで議論を熱く交わしていた自分たちが、凄まじくちっぽけに思えたのだ。


「すみませんでした」


 二人は素直に頭を下げた。


~2~


 波乱の成績表配付から数日が経った、ある日。レインは学院地下のラビリンスにいた。理由は一つ――鍛練のためだ。グレイ、クロムがそれぞれの修行を経て更なる力を手に入れた。彼らに続き、彼女も自らの技術を磨くために、この場所を訪れていた。

 きっかけはジャムダとの戦いだった。夢の世界でジャムダの傀儡くぐつと戦った時、レインは自分の限界を思い知った。あの時、駐車場でクロムが助けに来なかったならば、自分は今頃……。

 レインは多種多様な魔法を扱えるが、代わりに威力が心許こころもとない。ただの人間が相手でも、集団に囲まれたら簡単に追い詰められてしまう――先の戦いは、レインに己の課題を痛感させた。

 レインは新たな魔法の修得、既習の魔法の威力向上、そして召喚魔法の詠唱時間短縮を目的に、任務から帰還して以来、今日まで毎日のようにラビリンスへ赴いていたのだ。

 新たな魔法の修得は無系統魔学の勉強で、既習の魔法の威力向上はラビリンスでの模擬戦闘で、召喚魔法の詠唱時間短縮は、レインが自身の魂で飼っている精霊との対話によって成せる。今日のレインは、ラビリンスの深奥で精神を集中させ、精霊と対話して召喚魔法の詠唱時間短縮を試みていた。

 この世界には存在し得ぬ大和撫子めいた様式美に倣い、座禅を組んで己の中に宿る力の結晶に語りかける。戦闘を意図しない者にとって、ラビリンス内は誰の邪魔も入らない密閉空間だ。このような修行にはもってこいである。


『何用だ? お前の焦燥や不安がかねてより感じられてはいたが』


 心を鎮めてしばらくすると、心の中で呼応する声があった。勇ましさを印象づける野太い男性の声だ――炎の精霊、イフリートである。同時に、燃え盛る炎を纏う獣の姿が、レインの頭に浮かんだ。


「みんなの力を、もっと上手に使いたいんです。どうすればいいでしょうか?」


 レインは頭の中に言葉を念じた。それは内に秘めたる思いと共に、余すところなく精霊たちに伝わる。


『……あなたは充分よく頑張っています。自らを追い詰めすぎではありませんか?』


 別の声が答える。透き通る、艶美な女性の声――氷の精霊、シヴァだ。凍てつく冷気を放つ美しい女性の姿が、イフリートの隣に現れる。


「いいえ。私は、まだまだ全然未熟です。そのせいでグレイに無理をさせてしまいました。クロムにも、迷惑をかけてしまいました。私、みんなにたくさん助けてもらっています……このままじゃ、いけないと思うんです」


 思い詰めた様子のレインに、イフリートとシヴァは顔を見合わせた。どう対応したものか、判断がつき兼ねているのだ。

 すると、また別の声が――今度は、幼い少年の声だ。


『そんな、他人のためにそこまでする必要、あるの? あいつら、勝手に君を助けているだけっぽいし、無理しなくてもさぁ、別にいいんじゃないの~?』


 しかしイフリートやシヴァと違い、声の主の姿はない。不定形、流動的、千万化をその正体とする精霊には、決まった構造の実体がなかった。


「よくないです。私……守られるだけなのは、嫌。あの時みたいに……守られてばかりで、誰かが怪我をして、人知れず去っていって、ただ帰ってくるのを待つだけなんて、嫌なんです。今度は私が追いかけたい。一緒に歩きたい。傍にいたい。だから……」


 イフリートとシヴァは思案すると、やがて渋々といった様子で頷いた。


『……仕方があるまい。お前に我々の【絆】を与えよう。これを肌身離さず持ち歩き、絶えず研鑽を積めば、自ずと求めるものは得られよう』


 イフリートはそう言うと、レインの胸の奥へ溶け込んでいった。


「みんなの【絆】? それは一体、どういう……」


 レインは姿を消したイフリートに問いかける。『【絆】を与える』とは言われたが、彼女はイフリートから何も貰ってはいなかった。


『それは【もの】ではありません。あなたの魂、私たちの魂を結ぶ、虹の橋――あなたの行く末を照らす光』


 シヴァも、意味深な言葉をのみ残して、レインの魂へと戻っていった。


「ち、ちょっと待ってください! 分からないよ! 私、どうすれば……」


 レインは狼狽えるが、誰も返事をしてくれなかった。


『あ~あ、ベタ惚れなんだもんなぁ、も~』


 形なき精霊は、不機嫌そうに言うと、それきり一切何も言わなくなった。


「ああ、待って! 待ってください! そんな……」


 レインは再び独りになった。何度語りかけても、応答はない。レインは立ち上がり、肩を落としてラビリンスから出た。

 何をどうすればいいのだろう。術を一つも教わらないまま、ただ【絆】という目に見えないものを授かったらしいだけで、実際的に得たものは無に等しい――レインの心境は、そんな具合に落ち込んでいた。


「レイン。丁度いいところに戻ってきたな」


 そこへウィルが学舎の方から歩いてきた。レインはウィルに許可を取って習慣的にラビリンスを利用していた。故にウィルも、レインの居場所の見当はついていた。


「隊長……何かご用ですか?」

「ああ、まずは会議室へ。そこで話そう」


 学舎の方へ引き返すウィル。レインは首を傾げつつも、その後を追った。4階へ辿り着くまでの道程が、妙に長く感じられた。

 レインが学舎の階段を昇る最中に考えていたことは、無論、精霊たちのことだった。【絆】――この単語が、頭から離れなかった。通常と同じ意味の言葉なら、絆というのは与えるものなどではなく、相互の間で自然に生まれるもののはずだ。それを、あんな改まった形で貰うなんて (レインとしては、貰った認識すら限りなく薄いのだが) 、不思議で仕方がない。

 しかし長い道程にも終わりは当然あるもので、色々と考えていると、二人はあっという間に会議室の扉の前へ来てしまった。

 ウィルが扉を開けると、そこには他の分隊の指揮隊長や、各授業の講師陣が勢揃いしていた。中にはレッジやエモの姿もある。そして極めつけは、聖王だ。あの聖王が、直々に学院を訪れることなど、入学以来なかったことだ。

 しかも今日日きょうび、学院と聖王との関係――救世軍とケントルムとの関係は、入学時とは全く異なる。当時は学院が、旧・救世主部隊がケントルム直系の組織であった。だが現在は、救世軍はケントルムから独立し、実際の関連は皆無に等しくなったはずである。

 にも関わらず、世界情勢の最高権力者たる聖王が、こうしてこの場に来ている。これはただ事ではない――レインは、一気に不安という名の海に溺れたような気持ちだった。


「レイン、来るんだ」


 ウィルに促され、レインは聖王の前に立たされた。そこは、隊長や講師陣の列が成す円の中心でもあった。

 レインは緊張と不安で畏縮した。胸が苦しい。息が詰まる。まるで法廷で断罪される身であるかのような心境だった――もちろん、彼女には何もやましいことなどないのだが。


「レイン……」

「は、はいっ!」


 聖王が、自分の名前を呼んだ。レインは慌てて、知らぬ間に伏していた顔を上げ、聖王と眼を合わせた。その温かい、祖父のような眼差しは、かつてケントルムで最初に会った時、救世主となる前のグレイとレインに向けられたのと、変わらぬ眼差しだ。


「覚えているよ……覚えているとも。そなたとグレイが、救世主となる決意を胸に秘めた瞬間のことを。面持ちがすっかり変わっている。数々の困難を乗り越え、成長した者の顔じゃ」

「はっ、はい! お褒めに預かり、光栄の至りですっ!」


 レインはぎこちなく頭を下げた。


「そこまで畏まることはない。今日は、なにもそなたを叱りに来たわけではないのじゃから」


 聖王は優しく笑んだ。するとウィルが聖王の傍らに立ち、レインに顔を上げるよう言った。レインは、ウィルの瞳が兜の下で、極めて真剣に自分を見つめているのに気がついた。ただ事ではないというのが、レインの中で明確になった。


「レイン。数日前、実動部隊の全員へ成績表が配られただろう。自分の成績は見たな?」

「はい……」

「レインの成績は、非常に優秀だ。座学はトップ。魔法の扱いにかけては他の追随を許さない。戦闘能力は男女総合で、上位10名と大差ないほど高い。体力も女性陣の中では抜きん出ている」

「い、いえ……そんな……」


 褒めそやされ、レインは顔を真っ赤にした。普段、ウィルはここまで人を褒めることはないのだが。


「そこで、我々としては全救世主の能力を比較し、成績に含まれない日々の生活態度や任務への姿勢、あらゆる要素を考慮して――レイン、君に【救世軍総代】を務めてほしいと思っている」


 レインは時間が止まったかと思った。総代――常識通りの意味なら、それは。


「諸君は、これまで全員が同格と見なされてきた。我々も、諸君を成果や戦績で格付けし、区別する試みはせずにきた。

 だが、昨今のクラウド戦線において、数々の危険が伴い、救世軍の足場の脆さが露呈されてきた。諸君の戦力は申し分ない。クラウドとの戦いに多大な貢献をしているのは周知の事実だ。

 しかし、民衆が求めるのは『安定』だ。危なっかしい、波瀾万丈な冒険活劇ではない。確実な勝利と、明瞭な平和の兆しだ。約束された安寧の未来だ。

 そこで、レイン。救世軍の代表者……【総代】となり、救世主たちを先導してくれ」


 レインは絶句していた。にわかに信じ難かった。嘘だと思った。あるいは、これは夢だとも。だが現実だ。レインは実際に隊長らに囲まれ、聖王と対面し、ウィルに提案をされた――【総代】とならないか、と。


「特別、何をするというわけじゃない。普段通り生活し、任務に出、クラウドやクラウズを倒していくだけだ。ただ――世間には、君が名実共に救世主のリーダーとして認知されることとなる。

 実際に、任務中に通信不能となった場合や、何らかの理由で我々が諸君の作戦指揮を執れなくなった場合は、君が救世主たちを指揮し、勝利に導いてくれ。

 また、広報の面でも、レインが救世主の象徴となる。支援部隊広報科の取材では、君が常に質問をされ、その際の発言が報じられることになる。問題が起きれば、救世主全員の代表として、厳しい場に立たなければならなくなる時もあるかもしれない。

 あらゆる面で、『レインが救世軍の代表であり、救世主の象徴である』という印象付けがされる。世界を救う、希望の光のリーダー……それが【総代】だ」


 肩が重くなるようだった。まるで、何かに憑かれでもしたかのような……辛い重みが、全身にズシンとのしかかった。身体が熱い。妙に汗ばんでいる気さえする。

 レインは断りたかった。同時に引き受けたくもあった。自分には荷が重すぎる。明らかに適任ではない。自分は、人を率いるような器の人間ではない。レインは、そう思っていた。

 だが、精霊たちから貰った【絆】と、【総代】の称号があれば、グレイや仲間を守れるかもしれない。守られるばかりではない。自分が仲間を守る立場に立つ、これは転機となるかも。

 自分のことだけではない。自分よりも、【総代】となるに相応しい誰かがいるかもしれない。自分よりも、【総代】となりたいと強く願う誰かがいるかもしれない。

 しかし、何か問題が起こった時、民衆にその事を報じる場で矢面に立たされるのもまた、【総代】という職務だ。誰かが民衆の非難を一身に受けるのなら、自分がその役目を――悪役を、引き受けても構わないという気もあった。大勢から一斉に批判される苦しみは、メシアと戦った後のグレイを見れば、痛いほど分かる。

 自分が断れば、ひょっとすると今度はグレイに白羽の矢が立つかもしれない。グレイの成績は非常に良かった。もしグレイが引き受けたら、また何も悪くないのに非難を浴びることになるかもしれない。【総代】を引き受けることそのものが、グレイを守ることになるのかもしれない。

 頭の中が、ぐちゃぐちゃになっていた。レインは、自分でも思考が定まっていないのが分かった。考えれば考えるほど、こんがらがる。悩めば悩むほど、思い詰める。袋小路だ。今のレインには、【総代】の大任はあまりにも唐突で、あまりにも重かった。


「返事はすぐでなくとも構わない。聖王様も、早急な答えをお求めにはなられていない。今日は、あくまで形式上の対面だ。聖王と、【総代『候補』】とのな……候補者を決定するための集いが、そのままこうして君に選抜されたことを告げる場となっただけに過ぎない。今日はもう帰って、ゆっくり休むんだ。

 時間を掛けて、あらゆる要素を加味して、じっくり考えて結論を出してくれ」

「はい……」


 ウィルの言葉は、レインにはこの上なくありがたかった。今この場では、納得のいく答えをだせそうにない――どんな答えを出しても、納得できそうにない。寮に戻って、まずは落ち着こう。冷静になってから、色々と考えよう。

 【絆】とか、【総代】とか、何もかもを詰め込みすぎた頭が爆発してしまいそうだ。レインはフラフラと扉の方へ向かい、『失礼しました』と断りを入れ、会議室を出た――久しく会っていなかったエモへ挨拶をしようと、部屋に入ったときは考えていたが、今のレインには出来なかった。

 レインは、自室のベッドのことだけを考えることにした。あそこへ潜って、フカフカの布団に寝転んで、改めて答えを導き出そう――。


「ん?」


 階段の踊り場に差し掛かったところで、レインはスタジアムの中央で対峙する二つの人影を見た。グレイとクロムだ。その様相は、どこか不穏だ。


「どうしたんだろう?」


 レインは、ラビリンスでの修行と会議室での事で、疲労が蓄積されている身体のことなど忘れていた。自室のベッドのことも、睡魔も、【絆】や【総代】の件など、一切が頭から吹き飛んだ。

 今は、ただグレイに会いたい……レインは、もうしばらく眠れそうになかった。


~3~


 時は少し遡る――クロムはスコラ学院スタジアムで、銃術学の講師と話していた。


「実戦で、擬似空間魔法を扱えた……だと……?」


 クロムの第一声に、講師は驚愕した。彼女が小脇に抱えた銃撃の練習用の的が、ボトボトと地面に落ちていった。


「まだ自制心の欠片も見せていないお前が? 怒りを抑制し切れていないお前が、擬似空間魔法を使えただと……? 馬鹿な。こんな短期間で実戦レベルに上達するわけがないだろう」

「嘘はついてない。あれを使えてなかったら、俺はここにいない。夢の中で無様に死んでたはずだ」

「しかし……」


 にわかに信じ難いのか、講師は口を手で押さえ、唸るばかりだ。


「だから……俺に本物の空間魔法を伝授してくれ」


 クロムは言った。


「練習用の未完成品じゃない……戦場を意のままに移動し、縦横無尽に駆け巡る術を、俺に教えてくれ」


 クロムの真剣な眼差しと向き合い、講師は、彼の言葉に嘘偽りがないことを悟った――もっとも、彼が修練に関して嘘をつくような人物ではないことを、既に知っていた講師ではあるが。


「じゃあ、試しに見せてみろ。弾丸はあるか? なければ部屋へ取りに行って構わない」

「……いや、面倒だ。これで充分。いいよな?」


 クロムは偶然足下に転がっていた小石を拾い、講師に見せた。ゴツゴツと不規則な凹凸のある、何の変哲もない石ころである。講師は許可を下そうにも、言葉が出なかった。

 擬似的な空間魔法は、自分と他の物体との現在位置の『交換』によって、存在の座標を転移させる技術だ。交換する物体というのは様々だが、通常は慣れ親しんだもの、使い慣れたもの、日頃から身近にあるものなどが採用される――たとえばクロムなら、弾丸や弾倉、銃のパーツといったところか。

 これは、擬似空間魔法の発動に必要な条件として、物体を強く認識し、且つその物体へ意識を一点に集約することが不可欠であることに起因する。熟練の空間魔法の使い手であれば、いかなる物体をも位置の交換の対象と出来るが、初心者にはまず物体に意識を集約するどころか、物体の認識という段階をすら踏めないのだ。

 日常における物体の認識・意識の集約と、擬似空間魔法におけるそれとは、難度に天と地ほどの差がある。まともに訓練をしたところで、多くは生活の中で頻繁に用いる道具のみを位置交換の対象とするに留まる。

 クロムもまた、弾丸や銃のパーツといった身近なものを位置交換の対象とする段階の渦中にある――あるはず、であった。だが彼は今、その辺に転がっていた、普段であれば誰も見向きもしないようなそれをヒョイと拾い、位置交換の対象とすることを宣言したのだ。

 初めて見、触ったものを位置交換の対象とし、擬似空間魔法を発動させる――達人級の腕前を以てしてようやく成せる業を、ここで披露せしめようというのか。

 講師が唖然としている間に、クロムは彼女の横へ小石を放った。ゆらり、と小石が放物線を描いて宙を飛ぶ様が、心なしか緩やかに見えた講師だった。

 そして、その小石の行方を無意識の内に追うと、次の瞬間、そこにはクロムが立っていた。講師が目を見張るや否や、先ほどまでクロムがいた場所から、ポトリと小さな何かが地面に落ちる音が聞こえた。


「次は遠投でもしようか?」

「……いや、大丈夫だ。今ので分かった」


 さも平然としているクロムに、講師は背筋に何かが走るような感触を覚えた――やはり自分の眼に狂いはなかった。彼は、才能の結晶だ。先日配られた成績表から見ても、それは一目瞭然である。


「いいだろう……教えてやる。本来、お前が経るべき様々な過程、鍛練、全てを省略し、空間魔法の完成形を叩き込んでやる」

「ああ。さっさと始めてくれ」

「……言っておくが、簡単に修得できるなどと軽んじるなよ? 擬似空間魔法を完璧に使いこなす者が、長きに渡る研鑽の末にようやく辿り着ける境地だ。これまでのように、才覚センスでどうにかなる代物ではないからな」


 講師はそう言って、取り落とした的を空間魔法でどこかへ転移し、二人の目の前に大きな分厚い壁を出現させた。


「この壁の向こうへ移動できれば、お前は空間魔法を完全に修得したと言える」


 講師は壁面を軽く叩いた。かなり硬い素材のようだ。


「まず、空間魔法を修得したいなら、擬似空間魔法のやり方を頭から捨て去れ。この技術は、お前が任務で使ったそれと次元をことにするものだ」

「分かった」

「――では、説明しよう。クロム。空間魔法は高度な技術だが、実はやり方そのものは至極単純なのだ。壁の向こう側に『いる』自分を強くイメージするんだ。今ここにいる自分は消え去り、同時に新たな、それでいて以前と何ら姿形の変わらない自分が、移動したい地点に『いる』。これを強く意識する」

「……それだけか?」

「みんな、最初はそう言うんだ」


 講師は想像した通りの反応に、不敵な笑みを溢した。


「分かっているか? 今ここにいる自分の全てを『否定』することから始めるんだ。否定しておきながら、指定した行き先に『いる』自分は、否定したはずの自分と全く同質・同形でなければならない。この事の難度たるや、お前の想像を絶するものだ。

 加えて、空間魔法の失敗は死を意味する。指定した座標への転移、あるいは現在の自分の消滅と、転移先に現れる自分の存在のイメージに失敗すれば、お前は今いる場所から壁の向こう側までのどこかで、空間と空間の狭間はざまに『引っ掛かる』。運が悪ければ壁に埋まるな。

 何にせよ、失敗すれば命はない。まあ修得するまでは私が救出するが、戦場ではお前が独りで空間魔法を使うことになる。成功率100パーセントしか、免許皆伝とは見なさないからな」


 講師の厳格な眼差しから、クロムは一層気を引き締めた。日頃、しばしば反発や憤怒の対象であった彼女だが、その指導力は認めているクロムであった。彼女が死の伴う訓練だと言えば、それはその通りなのだろう。


「で、仮に失敗したら、どうやって救出するんだ?」


 クロムは興味本意で訊ねた。


「お前が空間魔法を発動した瞬間、成否は分かる。お前がどこぞの空間の狭間に『引っ掛かる』前に、私が空間を移動するお前を止める。出来れば、失敗するなら動かずに失敗してくれ。私も労力を損なわずに済む」

「動かずに失敗? どういうことだ」

「イメージの強さが足らなければ、そもそも存在が移動することはない。移動自体が出来るということは、今ここにいる自分が消え、別の場所に『いる』というイメージの強度はしっかりしているということだ。

 空間魔法の使い手を志す者が最も挫折を味わうのが……空間を転移するイメージはちゃんと出来ているのに、望み通りの場所に望み通りの姿形をした自分が現れない、というステップなんだ」

「俺は他の奴らとは違う」

「果たしてそうかな?」


 クロムは小馬鹿にした表情の講師を睨みつけてから、心を鎮めた。意識を集約。存在の否定。座標の指定。強くイメージ――言われたことを思い出し、その通りに実践するクロム。

 クロムは憎まれ口を叩きながら、講師の言う難度の何たるかは理解していた。この空間魔法、実際は高度な技術は必要ないのだ。必要なのは、どれを取っても意思の強さ、こころの強さだ。講師の説明も、精神面で成功を強く意識するという、ただ一点に留まっている。

 つまり心構え……言わば直感的なものなのだ、空間魔法というものは。出来ない人間は、一生出来ない。技術の高さや身体能力の高さ、才能の豊かさのみが修得への道であると錯覚する者は、特に至ることの適わない境地。クロムは、重々承知しているつもりだった。

 クロムは強く念じた。脳の血管がはち切れるくらい強く、今ここにいる自分の全否定、そして壁の向こう側に立っている自分の存在をイメージする。ここには今、自分は『いない』。自分は今、あの壁の向こうに『いる』のだ。姿形が原型を留めたまま、現在の自分と未来の自分が、別の座標で繋がる……そんなイメージだ。

 クロムは、目眩を覚えるほどにイメージしていた。これ以上ないほど、自分の存在そのものと真正面から向き合っている。否定と肯定、テーゼとアンチテーゼ。確かに、今まで想像だにしなかった境地であった。

 やがて、クロムは確信した。いける――これならいける。今、ここに自分はいない。今、壁の向こう側にこそ自分が『いる』。そのイメージが定着し、頭の中に充満し、固定化されていた。あとは、空間魔法を発動するのみだ。

 クロムは意を決し、空間魔法を発動した。自分がその場から消えるのが分かった。消えていながら、『自分』が空間を滑るように移動しているのが分かる。不思議な感覚だった。

 しかし、クロムは誰かにそれを止められたのが分かった。眼を開けると、先ほどいた場所と壁との中間辺りにいた。クロムは、講師の脇に抱えられていた。腕で腰回りを抱き締める、さながら囚われの姫と盗賊のような図だった。


「分かっているか?」


 講師の言葉に、クロムは顔を上げた。真昼の太陽の光で、その表情は見えなかった。


「お前は今、空間魔法に失敗したんだ。壁の前にすら辿り着かず、その途中で『引っ掛か』りかけた。私がいなければ、その右腕とはおさらばしてたろうよ」


 クロムは言われて、講師の腋に締められた腕を見た。二の腕に、小さな切り傷があった。見覚えのない傷だ。講師に降ろされたクロムは、立ち眩みがして地べたに座り込んだ。頭を酷使し、脳に血が上っているのだ。


「空間魔法とは、こういうことだ」


 講師は、そんなクロムを見下ろして言った。今度は、その表情ははっきり見えた。容赦のない、無慈悲で冷酷な表情だ。


「いずれは、お前もこの壁を越えなければならない。だが、今はっきりした。お前にはまだ早い。壁に到達することすら叶わないお前に、空間魔法の修得など出来るわけがないのだ」

「いや、俺は――」

「無理だ。お前には出来ない。……これからは、目に見える範囲への転移を重点に訓練しよう。まずは、視界に入る空間全域をテリトリーに出来なければ、話にならない」

「くっ……」


 クロムは反論できなかった。あの確信は、おごりだったのだ。今までは勘や感覚センスで上手くいっていただけで、ここからは地道な鍛練と忍耐を要する修行となる。それが明確に分かった。

 クロムは怒りを覚えていた。講師にではない。これまで何でも出来ると思い込んでいた過去の自分と、大きな壁を前に成す術なく敗れ去った今の自分に対して、いかっているのだ。


~4~


 グレイは寮の自室で眠っていた。今日の分の授業を終え、特に用事もなく帰ってきたところへ、昼日中の心地よい温かさに誘われ、自分の寝床に倒れ込んだ次第である。

 夕刻になっても、グレイは快適な安眠の中にあった。そこへ、空間魔法の訓練を終えたクロムが入ってくる。彼はグレイを見つけるや否や、ベッドの上段へ登り、その身体を揺さぶった。


「――へっ!? なんだぁ!? どうしたの!?」


 グレイは飛び起きて言った。半ば寝ぼけているような語調だった。


「おう、ちょっと付き合ってくれよ」

「はぁ? ……何がぁ?」

「スタジアムに来てくれ。ちょっと頼みたいことがあるんだ」

「……何がぁ?」


 まだ頭が寝ているのか、グレイは眠たそうに欠伸を掻いて、素頓狂すっとんきょうな声で繰り返す。


「空間魔法の予行演習。実戦でも扱えるようにしたいから、ちょっと手合わせ願えるか?」

「うぅ……ああ……分かったぁ……」


 グレイはようやく事態を飲み込んだのか、上体に掛けていた掛け布団を退け、ベッドから降りた。5人共用のクローゼットから自分のあかのマントを取り、両肩の端に付ける。マントは特殊な性質により、自然と衣服にくっついた。


「……よし、行くか」


 グレイは支度を整え、クロムと共に部屋を出た。まだ僅かに睡魔が残っているのを、洗面台に立ち寄り、顔に水をかけることで振り払った。頭がスッキリした。

 スタジアムに到着すると、女性の講師が二人を待っていた――彼女が銃術学の講師であることは、グレイも知っていた。


「生徒同士で実戦形式の演習を行う場合、必ず最低1名の講師が監督する――お前たちがヘマをやらかしそうになれば、すぐに私が止めに入るからな」


 グレイは『了解しました』と応え、クロムはフンと鼻を鳴らした。


「俺は常に空間魔法を使って戦う。お前は俺の動きを追って、ひたすら追撃してくれ。俺からも攻撃するから、適に防御するのも忘れるな。まあ、実弾は使わないから致命傷を負うことはないけど、魂って言ったって弾丸だし、当たればそれなりに痛い」

「分かってる。何のために修行したと思ってるんだ?」

「そういや、そうだったな」


 グレイはヤーグを、クロムはモノを出現させ、スタジアムの中央で対峙した。


「結構全力でいいんだよな?」

「当たり前だ。でなきゃ、お前に頼んだ意味がない」

「そうか」

「俺も手加減はしないからな」

「分かってる」


 親友同士の会話は途切れた。そしてそれが合図となり、二人は同時に動いた――動いた、と言っても、クロムはその場から消えていたのだが。瞬時にヤーグの刀身に炎を灯し、それをクロムの方へ放とうとしたグレイだが、突如として姿を消した対戦相手の行方を探し、攻撃の手を止めた。

 グレイは気配を察知し、横へ跳びながら背後を振り返った。今まで目の前にいたはずのクロムが、後方の数メートル離れた場所で銃を構えている――空間魔法を使いこなせているようだ。

 引き金が引かれ、クロムの魂の欠片が弾丸となって撃ち出されたが、既に回避行動を取っていたグレイには当たらず、それはしばらくスタジアムを縦断した後、煙が散るように消滅した。

 グレイは横転しながらヤーグを振るい、視認したクロムめがけて秘技・【炎天】を放った。だが、火炎が灰色の刃から放たれる頃には、クロムの姿は再び消えていた。

 しかし、今度はグレイも即座に動いた。周囲を見回しながらヤーグの尖端を側方へ向け、炎の推進力を利用して素早く移動したのだ。グレイが行動を起こしたのとほぼ同時にクロムが撃った弾丸は、またも的に当たることなく霧散した。

 そしてグレイは、二刀のヤーグを逆手に持ち替え、銃声がした方へ向かって低空飛行した。ジャムダを追跡した時に見せた、推進力による高速移動である。猛烈なスピードで迫るグレイ。クロムは虚を突かれ、僅かに対処が遅れてしまった。

 空間魔法の発動と回避が間に合わないと悟ると、クロムは二丁の拳銃を変形・合体させた。真っ向から受けて立つ所存のようだ。


「【剣式ベヨネット】!」


 モノは銃口の底部に短剣が付属している形態となった。炎を纏って突進してくるグレイを目前に、クロムはこれを構え相対した。

 グレイは、右の剣を順手に戻して振るった。クロムはそれを、銃身の先端の短い剣で受け止めた。グレイのもう片方の剣の推進力で、二人は互いの剣を押し合いながら地を滑る。

 クロムは背後に、スタジアムと市街地とを隔てる壁が立ちはだかっているのを分かっていた。このままでは激突してしまう。グレイの剣を振り解けないと見込むと、クロムは何とか移動する座標を指定し、空間魔法を発動した。

 クロムの姿が消え、グレイの剣が空を切った。すぐさま左の剣の炎を弱め、後ろを振り返ると、クロムが息を切らしてグレイを見ていた。もう、ちょこまかと動き回る気はないようだ。


「【転式リボルヴ】」


 クロムは再びモノを変形させた。銃剣はみるみる機構を変化させ、一丁の回転式拳銃リボルバーとなった。グレイは、それが最もモノの威力が高まる形態であることを知っていた――クロムは勝負に出るつもりなのだ。

 グレイはクロムの意気に応え、自らも二本の剣に、最大出力の炎を灯す。秘術・【業火】の効力により、ヤーグの性能とグレイの身体能力は最高潮である。

 次の一撃で、いよいよ雌雄が決す。二人には、それが分かっていた。二人は同時に武器を構え、ついにその時を迎えた。


「【バラー】――」

「【ホーリ】――」


 次の瞬間。グレイは後頭部をぶたれた。人間の拳が躊躇なく叩きつけられた鈍痛に、思わず繰り出しかけていた攻撃を中断してしまう。グレイは片目に涙を滲ませながら、向こうでクロムも拳骨げんこつを喰らった様子なのを見た。


「やめだ、やめ。まったく、私は演習と聞いてこの場を監督していたんだぞ。誰が派手に殺し合っていいと許可した。学院を吹っ飛ばす気か」


 グレイは後ろを振り返った。そこには銃術学の講師の女性が立っていた。どうやら空間魔法を使い、二人をほぼ同時に殴りつけたらしい。

 クロムはその姿を認めると、空間魔法でグレイの横へ移動し、不満そうに彼女を睨んだ。


「なんで邪魔したんだ! あと少しで決着がついてた!」

「そうです! 何も本気でやり合ったわけじゃあるまいし、勝負を止めることはないじゃないですか!」


 グレイもクロムと同調した。殺し合いと言われて憤慨していたのも、抗議する理由の一つだった。何よりも、二人は成績表の配布が行われた時にうやむやとなった勝負を、この場で改めて着けようという魂胆があった。

 ――それを本人たちが自覚しているのかは定かでないが。


「殺し合いじゃないから学院を破壊しても構わないと、お前たちはそう言いたいのか?」


 講師の言葉に、二人は反論するでもなく、きょとんと眼をしばたいた。学院を吹っ飛ばす気か、という先ほどの言が、何も仲裁に入るための口上だけに留まらないようであるのが、ここでようやく分かった二人である。


「あの威力の攻撃がぶつかり合えば、このスタジアムはおろか、スコラ学院の施設全体が――ひょっとすると街にも被害が及んでいたかもしれない。それほど強力な攻撃だった。もう少し自分の力を見極めろ、たわけ共」


 二人は顔を見合わせた。講師が言うほどの力を、自分たちが放っているとは思っていなかった。学院を破壊するほどの威力を持った攻撃――グレイとクロムの戦闘能力は、講師も眼を見張るほど高度であった。


「……今の戦いを見て分かったよ。お前たちは救世主でも指折りの実力者だ。だから、今後はもっと自分の立場と腕前を考慮した振る舞いを心掛けるように」


 クロムは面食らっていた。彼女が、ここまで生徒を評することは滅多にない。


「演習は終わりだ。早く寮に帰れ――それから、あまりクラスメートを心配させるな」


 講師は学舎の方を親指で指した。示された方には、レインがいた。演習を見ていたのか、二人の身を案じるような視線が、彼らに突き刺さった。

 講師は無言で立ち去り、レインとすれ違った。レインは学舎へ戻る講師の背中に頭を下げると、グレイたちの元へ走った。二人はバツが悪そうに顔を見合わせ、大人しくレインが来るのを待った。


「何をしてたの!? 窓から二人が向き合ってるのを見て――」


 レインは潤んだ眼で二人を交互に見た。途端に、二人は未知の罪悪感に襲われた。


「いや……俺が悪いんだ。本物の空間魔法を教わったから、実戦でも問題なく使えるよう、グレイを稽古に誘ったんだ」

「け、けいこ?」


 クロムが答えると、レインはホッとしたのか、やや間の抜けた調子で聞き返す。


「あ、ああ。そうなんだ。教官もいただろ? ちゃんと許可を貰って、二人で訓練してただけだよ」

「な……なんだぁ~、よかったぁ~……」


 レインは天を仰いで溜め息をついた。心底安堵している様子だ。


「もう、びっくりしたよ。一触即発って感じだったから、何か喧嘩でもしてるんじゃないかって思って……」


 レインは笑った。自分の勘違いを恥じて、照れて、それを隠そうとする笑いだ。二人には、夕焼けよりも彼女の笑顔の方が眩しく見えた。


「――レイン、どうした?」

「え?」

「何かあったか?」


 グレイは気づいた。その笑顔の奥に、何かが隠れている。照れや恥じる気持ちを隠そうとしているばかりではない。その裏には、もっと大きく、深く、暗いものを隠さんとする意図があるように感じたのだ。

 完全な第六感による洞察であったが、それは見事に的中していた。


「……うん……」


 レインは隠さず打ち明けた。レインがここへ来たのは、何も二人が不穏な空気を纏って対峙しているのを見たからというだけではない。

 二人の姿を見つける直前、レインは救世軍の【総代】を勤めないかと打診されていた。救世主全員のリーダー、世界を守る希望の光の象徴――【総代】となるか否かの決断を、今すぐにとは言われずとも迫られた彼女にとって、この告白はせずにはいられなかった。

 悩みを打ち明け、共有し、相談したい――それもまた、グレイたちの元へ走った理由なのだった。


「実は……救世軍の【総代】にならないかって言われちゃった……」


 レインは二人に全てを話した。【総代】の役目、【総代】となることで想定されるリスク・デメリット、自分が思い悩むこと――今ここで話したいことは、全て打ち明けた。


「大丈夫だ! レインなら必ず上手くやれるさ!」


 クロムは自分のことのように喜び、レインを励ました。


「ありがとう」


 レインはとても嬉しかったが、しかし、求めたものとは僅かにズレた返答に、どうにも複雑な気持ちになった。


「グ、グレイは……どう、思う?」


 レインはグレイを頼った。グレイなら、自分の心境をより理解し、何か答えを導き出す助けになってくれるはずだ。


「うーん……こういうのは、周りじゃなく本人が決めることだからなあ……レインはどうしたいんだ?」

「私? ……私は……」


 レインは考えながら、まるで沼の底に成す術なく沈んでいくような思いだった。グレイの言っていることはもっともだが、しかしこれも、レインが求めるものとは、どこか違った。

 ――分かっている。グレイの言う通りだ。クロムに訊いても、グレイに訊いても、寮へ帰ってスノウやブルートに訊いても、結局、これは最後には自分で決めるしかないことなのだ。どころか、最初から最後まで、自分で悩み抜くことでしか答えの得られないことなのだ。

 しかし、レインは自分の出す答えが信用ならなかった。この決断が、700人超もの人間の人生を左右するのだ。簡単に結論を出せる問題ではないし、他人に答えを求めてはならないことだ。あらゆる要素を考慮し、自分で選択しなければならない。

 分かっていても、レインは自信がなかった。自分が正解を出す自信が。だからグレイやクロムに助けを乞うた。彼らを見つけなければ、寮へ直帰し、スノウたちに同じことを打ち明け、解答を求めたはずだ。

 だが、誰に訊いても、何を訊いても、最終的にこれは、自分が一人で決めなければならないのだ。それは、レインが一番よく分かっていた――それが、歯痒かった。


「ゆっくり考えよう。どっちにしたって、俺がレインを守るから」


 グレイが何の気なしに言った。その言葉が、レインの胸にかかった暗雲を斬り裂くかのようだった。階段の踊り場で二人を見つけた時よりも、二人の間に何も悪いことは起きていないと聞かされた時よりも、レインは安堵を覚えていた。


「俺たちが、だろ」


 クロムがグレイの脇腹を小突いて言った。


「ああ。みんなレインの味方だ。レインが納得する答えを、ゆっくり見つければいい」


 グレイが、ぽんとレインの肩を優しく叩いた。温かい手だった。


「……うん」


 レインは涙声になっていないか不安になったが、幸い二人には気づかれない程度に収まった。レインは瞬きして、眼の端に滲んだ雫を潰した。


「どうした? レイン、大丈夫?」


 グレイはようやくレインの僅かな様子の変化に気づき、彼女の顔を覗き込んだ。レインは『平気っ』と快活に答えた。その時には、眼に涙はなかった。


「ごめんね、グレイ、クロム……私、なんかズルいや」


 二人は、黙ってレインの言葉を聞いた。


「うん……こういうのは、誰かに頼っちゃダメだよね」


 レインの口調は、まるで自分に言い聞かせるかのようだった。


「私、自分で決める。自分で悩んで、自分で迷って、自分で納得する」

「ああ」


 グレイが微笑んだ。次いでレインが、そして彼女に続いてクロムが笑う。三人は気が済むまで笑い合った。彼らを見守る夕陽が、徐々に沈みかかっていた。

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