みんなでお出かけ 研究科・開発科 編
~科~
ヘイル、スリート、ネルシスの三人は、ウルプスの街の大規模な研究施設を訪れていた。ヘイルたち以外にも数十名の実動部隊の救世主たちが、集合場所に指定された施設の出入り口の門に集結している。
彼らの目的は無論、支援部隊研究科の活動の見学である。本来なら同施設内の開発科の見学も一挙に行われる予定だったが、これは研究科に依頼されたものの製作に人員が割かれ、とても見学会に協力する余裕はないとのことで中止となった。
また、そもそも救世軍としての新たな体制が確立されて日が浅く、ようやっと研究科の成果が見られ始めてきた時分であり、工場を訪ねたところで未完成品ばかりを眺めることになってしまうという事実も、開発科が例外的に今回の見学会から除かれた一因である。
「どうして男ばかりなんだ、むさ苦しい」
ネルシスは周囲を見回すと、吐き捨てるように言った。この施設を見学する救世主の大半が男性であった。
「まあ、グレイの話じゃ、普通に兵器とか出てくるらしいからな。女性はそういう危なっかしいものは基本的にNGなのかもしれん」
ヘイルは門の向こう側に佇む施設を、眼を細めて見つめていた。
「ふん、何がNGだ。忘れたのか? 俺たちの隊には、顔が可愛い上に可愛い動物に変身できるくらいが取り柄の、そんじょそこらの兵器よかよっぽど危険な女がいるだろう」
「おい、いいのか。殺されるぞ」
「大体、そもそも俺は男がNGだっつうの」
「お前は結局、私利私欲を満たすのに都合の良い状況以外の全てが嫌いなだけだろう……」
「あたぼうだ。誰だって自分にとって都合の良い状況が大好きだ。自分にとって都合の良い女が大好きだ」
「おい」
「救世主だってそこは歪まない。人を守るだとか世界を救うだとか宣うけどなあ、本当は俺たちに恩を仇で返すような暴挙の目立つ今の民衆には、そりゃもう業腹よ」
「お、話が飛躍したな」
「――飛躍したところで、そろそろそこまでにしておいた方がいいでしょう」
会話する二人の間に割って入るように、スリートは眼鏡をくいっと上げて言った。ヘイルとネルシスが彼の視線を追うと、門と施設とを結ぶ砂利道から、男性がこちらへ駆けてくるのが見えた。やがてその男性によって、門の錠が解かれた。
「よっ、ようこそ救世主の皆様――って、ぼ、僕も一応、救世主なんだけどなあ……」
男性は遠目だと老人に見えたが、実際は三十代――いや、三十をも下回る年齢の若者だった。だったが、彼の着る白衣がしわくちゃで汚れまみれなのと、頭髪に白髪が混じっているのが相まって、その実年齢は彼を正面から見なければ分からない。
やや挙動不審な彼は、手垢だらけの眼鏡を白衣で拭くと、改めて救世主たちに向かい合った。
「ぼ、僕はアグニーです。本日は、皆様を施設へご案内する役目を仰せつかりました。と言っても、施設内を案内するのはレッジさんで、僕は皆様をレッジさんの元へお連れするだけなんですけれどね。レッジさんはご多忙でここまでご足労いただけないらしいので、代わりに僕が皆様をお迎えに参った次第です――僕も、こう見えて忙しいんだけどなあ……」
ぶつぶつと呟くアグニーに、その場の救世主の誰もが訝しんだ。『それでは着いてきてください』と来た道を歩き出したアグニーの頼りない後ろ姿に、救世主たちは不安を抱きながらも続いた。
施設は幾つかの棟で構成され、救世主たちはアグニーの先導に従い、中でも一番規模の大きい建物へ入った。
中には受付嬢以外に人はおらず、ひたすらに閑散とした空間だった。広い空間を有するロビーも、こうあっては無駄であるように思えてならない。嬢が『ようこそお越しくださいました』と常套句を恭しく言う声が、すっからかんのロビーに微かに反響した。
奥の通路へ向かうと、今度は廊下の両脇に立つ二名の警備員に遭遇する。警備員は救世主たちを見るなり機敏に敬礼をするのみだったが、アグニーはやけにおどおどした。
顔を伏しながら、曲がり角に差し掛かる度にキョロキョロと周囲を忙しく見回すアグニーに、ますます不信感を募らせるばかりの救世主たちだった。
「こ、この中に皆さん、待っていらっしゃいますので……ど、どうぞ……」
しばらく歩くと、アグニーは高級感の溢れる茶色の扉の前でヘイルたちを振り返り、まるで何かに怖じ気づくかのように腰を折った。アグニーは怯えた表情で扉を微弱に三度叩くと、中から返事がするのを待った上で部屋へ入った。開かれた扉の先へ、救世主たちも続々と足を踏み入れていく。
そこはスコラ学院の会議室と似た構造の部屋だった。難解な数式の書かれたボードを傍に、長大なテーブルに沿って七人が椅子に座している。内、マントを羽織っていないのは、白衣と眼鏡の男性一人である。
「じっ、実動部隊の救世主様ご一行を、お連れしました……」
「おお、来たね来たね!」
アグニーのか細い声が幸いにも聞こえたようで、この場で唯一救世主でない男性が腰を上げた。
「ようこそ、僕たちの職場へ――知っている人は知っている人は知っているだろうけど、初めましての人も多いようだね――僕はレッジ・ノウ・スケンティア。支援部隊研究科の統括をしています。まずはお掛けになって、それから話を始めましょうね」
レッジに促され、救世主たちはテーブルの周囲の数十もの空席にそれぞれ腰かけた。座席の正面には、テーブルの上に資料の束が、実動部隊の救世主の人数分きっかり用意されている。
アグニーも自らの座席を確保しようと進み出た。
「これ、アグニー。客人にお茶も出さずに足を休める気かえ?」
だがその目論みは、いかにも偏屈そうな研究科の老人の救世主によって阻まれてしまった。アグニーは苦虫を噛み潰したような表情でもって渋々立ち上がり、何やらぶつぶつと呪詛を吐きながら別室へ去っていった。
「それじゃあ、早速今日の見学会の段取りを説明しようか。と言っても、その半分近くはこの場で、口頭での説明になってしまうんだけどね。
というのも、彼らは君たちと同じように、役割は違えど救世主だ。世界中の期待を一身に受け、日々その需要に応えるべく尽力している。
僕たちが専門とする『研究』という分野が、これまた厄介なものでね。はっきり言ってしまうと、彼らは本来のスケジュールをかなり無理して、この場に同席しているんだよ。そういう事情があるから、申し訳ないけど、些か急ぎ足になってしまうこと、了承していただきたい」
レッジが頭を下げると、何人かの研究科の救世主が彼に倣った。するとアグニーが、隣室から大量の水の入ったコップを乗せた手押し車と共に現れた。どうぞ、どうぞ、と。一人一人の手元にコップを置いていく。
ヘイルとスリートは口々に礼を述べたが、ネルシスはやや傲岸無礼な態度が目立った。研究科の面々についても、レッジが『お疲れ様、ありがとうね』と微笑み混じりに言う以外は、誰も一言も声をかけてやることはなかった。
「さて、本題に入りましょう。ちゃちゃっとね。今回の研究科の見学は、見学会というか説明会のような方式となります。研究科の活動内容を口頭と、それからお手元の資料も併せて皆さんに説明させていただくという、そんな手法です。
また、事前に学院へ連絡した通り、開発科については今回、皆さんに直接見学してもらうことは叶いません。でも、研究科の各部門の説明が終わった後、僕から概要だけ紹介するので、少ない情報ではありますが、それだけ持ち帰って、同じ隊の人と共有してください。
では、早速始めましょうか」
レッジの一声を合図としたように、何人かの救世主が鞄からメモ用紙とペン (正確にはエクゥスアヴィスの羽根、である) を取り出した。スリートもその例に漏れず、彼の両脇でヘイルとネルシスが血の気の引いた形相でその様を見つめていた。
「研究科は大きく分けて六つの部門が設けられています――この説明を受けた人もいるんだろうけどね――兵器部門と魔法部門、医療部門と生物部門、事象部門と日用部門の六つです」
「――雑多部門じゃなかったんですか?」
「雑多部門は、何だかどうでもいい部門という意味合いがやや含まれているとの意見が複数寄せられたので、日用部門と名を改めました」
なんだかこれだと救世主っぽさが欠けちゃうよね、と。レッジは誰かの問いに答えた。
「どの部門も研究対象は名称の通りですから、あえて言及する必要はないと思われるので割愛します。ここからは各部門に携わる救世主たちが、それぞれの目下の研究内容を紹介していくので、どうぞご清聴ください」
レッジが座るのと入れ替わるように、研究科陣の向かって右端に位置する、マントを纏った
スリートは、ヘイルが『おお……』と感嘆の息を漏らすのを聞き、その眼がキラキラと輝いているのを流し目で見た。
「俺は兵器部門のテルマ。よろしく。兵器部門に関する説明に入るが、資料の4ページをめくってくれ」
ペラペラペラ、と紙を弾く音が無数にした。スリートは即座に用紙を開いたが、ヘイルはその様子を窺ってから、ネルシスは救世主の大多数が資料に眼をやっているのを見てから、ようやく指示された箇所をめくった。
紙面には隣のページを股がって、巨大な何らかの装置が図示されている――ヘイルら、そして他の救世主たちの大半は、その装置に見覚えがあった。
「我々は現在、諸君が任務より持ち帰った一連の装置について調査を行っている。この装置は、諸君がこれまで任務で対峙してきたクラウドのいずれも所有していた」
ヘイルたちが、修行より帰還して間もないグレイと共に遂行した任務にて回収した装置――それと同系の装置が他の分隊より幾つか回収されていた。
「よって、装置はクラウド及びクラウズに関する有益な情報源として利用できると判断され、我々に白羽の矢が立った。現時点までの調査で、装置について判明していることがある。
――これは近日、諸君の上官から直接報告される結論であり、また諸君に少なからず衝撃を与えるものであることを言明しておこう――。
諸君が回収した装置はダミーだ」
ざわざわと、救世主たちが一挙にどよめいた。
「ダミーだと!? どういうことだ!?」
「言葉通りの意味だろうがたわけ」
「いや、それにしたってそんな……」
ヘイルとネルシスも、表情を曇らせ動揺している。一方でスリートは普段の平静を保ち、沈黙したまま手を挙げた――実際、彼もまたテルマの言に困惑してはいたが、しかしそれを醸
かも
さないだけの沈着な性分であった――。
テルマが『何か質問か?』と問うと、スリートは『はい』と答えて手を下ろした。
「それは事実なんですか?」
彼の一声で、会議室のざわめきが次第に収まっていった。
「事実だ。事象部門の面々と共同で調査を行ったところ、装置にはポルタが開門する地点に決まって生じる、赤い気体と同じ成分が検出された。我々も当初はポルタの発生装置と予測を立てて調査したが、この装置に実際にポルタを発生させる機構が備わっていない――否、元より備えるための装置でないことが発覚したのだ」
救世主たちが思い思いに心境を吐露するようなことは一切なくなったが、代わりに各々の面持ちは研究所に入った当初の見る影もないほどに淀んでいた。
「……近々上官から報告がされるだろうとのことでしたが、つまり上官もその件については既知であるということですか?」
「そうだ」
「では、なぜ僕たちに報せないんですか?」
「無用な混乱・憶測の横行を避けるためだ」
「それはそうでしょうけど……」
「装置の真実が判明し、それと関連して事態が進展を迎えようとしているので、情報を開示しても問題ないと判断した」
「事態が進展……?」
「これについては、俺から話すことは出来ない。専門外だ。諸君は吉報を期待していていいとだけ言っておこうか――諸君の任務の成否次第で、我々も次の仕事が決まることになる」
意味深に笑むテルマだった。スリートは甚だ納得がいかなかったが、しかしそれ以上装置に関して何も言うことはなかった。
「そんな歯に物が挟まったような顔をするもんじゃない。これは決して悪い報せではなかったんだからな――まあいい、他に質問は?」
テルマが救世主たちを見回すと、一人が高々と挙手した。
「剣術学受講者限定での訪問の際に展示された超磁力放電プラズマボルカニックキャノンは大成されたのですか?」
「超磁力『プラズマ放電』ボルカニックキャノンだ。二度と間違えるなクソガキ」
テルマは縄張りを踏み荒らされた獅子の如き形相で怒鳴った。訊ねた救世主は萎縮して、この日はそれきり一言も発することはなかった。
「……あれは諸君が回収した装置の解析に専念するため、しばらく計画自体を一時的に凍結することとなった。事が落着すれば再開するが、それまではおそらく一切の進展も見られまい」
テルマは唸るような声で続けた。彼自身、酷く悲嘆しているのがひしひしと伝ってくる語調であった。
「では、これにて兵器部門の説明は終わろう」
テルマが着席すると、次いでレッジの左隣の席に着いていた男性が立ち上がる。テルマとは打って変わって、華奢な体躯の男性だ。
「えー、続きまして、魔法部門の説明を始めたいと思います。あ、僕はメギアです。よろしくお願いします。えっと、じゃあ、お手元の資料8ページを開いてください」
ペラ、ペラ、と。救世主らは疎らに紙をめくった。そこに記されているのは、またしても数字と記号の長大な羅列と、そして何かしらの図式だった。
しかし救世主たちは一見して、その図式が何を表しているものなのかが分かった。二本の石柱と、その間に展開された透明な膜――ヴァントだ。
「先日、ヴァントが敵の不正操作によって誤作動を起こすという事案が発生し、皆さんに多大なご迷惑をおかけしてしまいました。この件を重く受け止め、僕たち研究科のスタッフは現在、ヴァントの構造の再確認を施行しています。
また、同時進行で世界各地の主要施設、また大都市から離れた小規模な集落にもヴァントを設置して回っています。
既に設置・運用されているヴァントに関しても、近日中に欠点を改善してアップデートしますので、スコラ学院で稼働中の個体の利用につきましては、今後とも何卒よろしくお願いします」
研究科魔法部門というチームは、どうやらヴァントに施された使用者を対象とする特殊な防御魔法の類いに限らず、ヴァントという移動機構そのものの管理もしているらしい。
メギアは一種の業務連絡の類いを述べると、ヴァントの改良についての詳細は、各自で資料を参照するよう告げると座った。
続いて立ち上がるは、左端に座る老人だ――先頃、アグニーに口喧しく茶を注ぐよう命じた、あの老人である。
「こんにちは、皆さん方。儂はベスティア。儂からは生物部門の説明をしようかの」
ヘイルは、アグニーが憎々しげに口の端を歪めるのを視界の隅で捉えたが、特に気にかけることもなく老人の言葉に耳を傾けた。
「本来ならクラウズの生態を調査したいところなのじゃが、知っての通りクラウズは絶命すると赤い霧状となって消失してしまうからの。確実な捕獲法がない今では、それは叶わんのじゃ。
そこで最近までクラウドの生態を調査しておった。が、これがまた儂ら人間と身体構造に差がなくてな。おそらくはクラウズであった頃の生物的名残は一切ないと思われ――」
「ちょっと待ってください……クラウドの生態ということは、つまり、少なくとも外見だけは人の姿形をした彼らを、解剖しているということですか?」
「その通りじゃ」
話を遮って問うたスリートに、老人はさも当然のことのように返答する。またしても救世主たちの間に動揺と困惑のざわめきが生じた。
「仕方がなかろうて。これは戦争じゃ。そして儂らは情報量で圧倒的に不利。クラウズのサンプルを獲得できない現状では、死してなお形の残るクラウドを調査する他になかったのじゃ――結果は振るわなかったがな」
老人の口調からは、一切の悔恨の念も感じられなかった。老人は本心から、このことを必要な措置であると認識し、またある種の背徳行為とは露ほども捉えていない。
誰もが分かっていた。導き出される真実は一つだ。これまで捕らえたクラウドの誰かは、既にこの世にいない。自分が相対した敵か、あるいは見も知らぬ者かは定かでないが。
「よって現在の生物部門の職務は、クラウズを生け捕りにする方法の模索じゃ。もっとも生きたサンプルの一体もなくして取り掛かるような仕事ではないのじゃが。
しかし、クラウズが絶命時に赤い霧となることと、ポルタの周囲に赤い気体が発生することの間には、何か因果関係があると推察しておる。その件も含め、目下調査中じゃ。
現時点までの詳しい調査結果が知りたければ、資料の14ページから56ページを読むことじゃ。以上」
老人は僅かに顔をしかめて席に着いた。年配である故、身体のどこかが痛んだのだろうか。
救世主たちの何人かは、老人の発言に憤りを覚えたのか、未だに誰かと議論を交わしていた。許される行為か、否か。必要であるか、否か。老人は耳が遠いのか、もしくは根っから相手にするつもりなどなかったのか、その声に対して反応を示すことはなかった。
実動部隊の面々と向かい合う形で座る、研究科の救世主陣。その中央の、唯一救世主ではないレッジの表情が、冷や汗を伴って引きつっていた。ベスティア老の一連の発言は、彼としても想定外だったのかもしれない。
些か張り詰めた雰囲気となり始めた会議室ではあったが、しかし見学会は続行される。残り半数となった研究科の救世主の内、立ち上がったのはベスティアの隣にいる、唯一の女性であった。
「皆さん初めまして、医療部門のドロルと申します。よろしくお願いします。
なお、私共の活動内容に関しましては、専門知識によるところが多いため資料に載せても理解が困難であり、そもそも内容が膨大になり他部門の皆さんのスペースを圧迫してしまうので、今回は割愛させていただきます。ご了承ください」
眼鏡を掛け、理知的な印象を受けさせる美女が話し始めた。
「
本来でしたらこの場に試薬を持ち込み、その効力を被験シャオに投与して皆さんにご覧いただくつもりだったのですが、本プロジェクトの本部が衛生科の施設にあるため、残念ながらそれは叶いませんでした。申し訳ありません」
ペコリと頭を下げるドロル。一方、数人の救世主は声を潜めて、シャオとは何か互いに聞き合っていた。
「ですが、昨今ではキュアドリンクの入手自体が困難となっており、現状は実動部隊の皆さんや各地の正規軍の方々はもちろんのこと、私共にも影響が生じています。予算の都合など、私共としてはこれまで以上に慎重な検証を心がけなければなりません。したがって実現にはしばらく時間が掛かるものと予想されます。
しかしながら、私共も妥協はいたしません。必ず皆さんのご期待に添えるよう尽力する所存ですので、今後とも支援のほど、よろしくお願いします――まあ、支援するのは私共なんですけれども」
ドロルは終始、表情をピクリとも変えなかった。さながらロボットの如き面妖な性質である。否、救世主たちの知る最新のロボットでさえ、彼女よりは情緒が豊かであるように思われた (実際ロボットに情緒があるのかは知れないが。外観の問題である) 。
すると今度は、レッジの右隣に位置する、研究科陣で最年少と思しき若い青年が、初々しい面持ちでもって立ち上がる。
「初めまして。皆さん、今日はお越しいただきありがとうございます。僕はウェルスと申します。事象部門で活動しています」
よく通る声だった。
「事象部門は設立された当初から今に至るまで、ずっとポルタの性質について研究を重ねてきました。ポルタより発生する赤い気体の成分解析や、その結果からポルタの先に何があるのかを理論的に推測しています。実際に何度かシミュレートもしました。もう少しデータが揃えば、ポルタの向こう側を調査しに行くことも、近々可能となります」
「ポッ、ポルタの向こう側!?」
ヘイルは思わず叫んだ。裏返った彼の声が部屋に反響し、スリートとネルシスは煩わしげに眉間にしわを寄せた。
「ええ。ただ、今現在、僕たちが意図してポルタを開けないのがネックですが」
「ウェルスくん! それまだ機密事項!」
「え!? あ、うわっ! す、すみません! い、今のはどうか、聞かなかったことに……」
レッジの忠告に、
若さとは愚かさ。そして愚かさは時として愛おしさにも通ずる。
「……くれぐれも他言はしないでください。然るべき時に、必ず僕たちから大隊全員に報告する機会を設けます。今はまだ、この件を明かすには時期尚早ですから」
レッジが鋭い
「――失礼しました、話を戻します。他の部門の研究対象と関連して、ポルタの調査には兵器部門のテルマさんたちや、生物部門のベスティアさんたちと意見を交わすことも少なくありません。それだけポルタの実体の解明は、今後の戦いにおいて不可欠であると考えています。これからも頑張りますので、よろしくお願いします。以上です」
ウェルスはもはや苺のように真っ赤になった顔を伏して座った。同時に、彼とテルマの間に座る、最後の一人が立った。
年齢は目測ではテルマより下、メギアよりは上といった具合の男性だ。
「事象部門の詳細な調査内容とその結果は、資料の61ページから74ページに記載されてます。気になる人は参照してください」
男性が何か言い始めない内を見計らって、レッジは付け足した。彼の隣ではウェルスが、やってしまった、と内心で落胆しているのか、その表情を更に曇らせた。
レッジが言い終えたのを確かめると、男性は愛想よく笑った。
「では、改めまして――メルクスです。大トリですね。俺からはざ……日用部門の活動について説明します。資料79ページをご覧ください」
彼の口振りからは、どことなく言い慣れていない感が滲み出ていた。
「おお!」
ページを開くなり、ヘイルは叫んだ。多数の避難がましい視線が自分に集約されているとも知らず、ヘイルはスリートに開いたページを見せ、異様に興奮していた。周囲の眼を気にしながらも、スリートは自分の手元の資料をめくり、ヘイルが高揚を隠せない何かが記されたページを見た。
そこには数台の乗り物が描かれていた。車が二台、バイクが二台、そしてバイクの側部に小型の座席が備えつけられた――いわゆるサイドカーの全五台だ。
スリートは眺めながら、なるほどヘイルが感嘆の声をあげたのも分からなくないと思った。
「早速レスポンスがあって嬉しいですよ」
メルクスは満足げにはにかんだ。
「見ての通り、俺たち日用部門は現在、乗用車の製産を目指して研究を進めています。この世界にはエクゥスアヴィスなどの中型生物しか移動手段がないとのことだったので、俺の持つ科学技術とこの世界固有の魔法技術を駆使して、俺たちが知る以上の性能を有した高速移動用車を実現することを指針としました。
今のところ、資料の5タイプを量産可能な段階まで研究し終えました。もう開発科のスタッフに製造も依頼してます。近い内に一定台数生産されて、皆さんが実際に運転することになると明言しておきますよ。
今回、俺からはその報告と、資料に記載されてる5タイプのファースト・モデルについて説明したいと思います」
ヘイル以外にも、メルクスの話を聞きながら、笑みを浮かべて語らう救世主が何人もいた。そのほとんどが男性である。
無理もない。男にとって車とは、その歴史の始まりより欠かせないロマンの一つで在り続けている。車とは即ち、常に多くの人生を魅惑し、その旅と共にひた走る
「まず四輪マシンから説明します。左端の大きいのは、皆さんもご存知ですよね。一般的なステーション・ワゴンです。デザイン段階では当初、セダンかワゴンかで揉めたんですけど、ファースト・モデル5タイプの中で積み荷を乗せられる構造のものがこのタイプしかなかったので、より多くの荷物を詰められるという他のタイプにない利点を重視し、最終的な決定を下しました。人里離れた土地などへ行く際は、皆さんの任務を十分に補佐してくれることでしょう。
その隣が――もう、なんていうか、元の世界で良いのを見かけた時とか、ロマンそのものが走ってるような錯覚すら覚えますよね――オープンカーです。二人乗りなので、細分するとロードスターになるんでしょうか。高速移動が可能なクラウドやクラウズの追跡と攻撃を兼ねられる、屋外戦闘の頼れる仲間です。もちろん雨天時には屋根を出すことも出来ますのでご安心を。
……見たところ未成年の救世主も、中にはいらっしゃるようなので、ここで差し出がましいことを言わせてもらいますけれどね? 車やバイクに憧れても、法律上乗ることの叶わなかった少年少女でもね、ご安心くださいよ。乗れちゃいますから」
メルクス本人も、語っていく内に段々と興奮を隠し難い様相を露にしていった。
「この世界では、乗れちゃうんです。なにせ車という概念が今までなかったのですから、法律上存在しないものの取り扱いで逮捕されるなんてちゃんちゃらおかしな事態となり得るはずはなく、現状たとえ無免許でも乗り回せます」
些か危険な発言だった。
「現時点で、これらの車種はいずれも実動部隊の救世主が任務で使用する場合のみを想定して開発が進められていますが、最終的には皆さんの元の世界と同様、民間にも広く浸透する形を目指しています。その際は当然、車に関する法律案が提示されるので、それまでの間だけです。基本的には皆さんの世界における常識・モラルに従っての利用を厳守してください」
レッジがメルクスに鋭い視線を投げかけながら言った。メルクスは罰が悪そうに苦笑しながら、『もちろんですとも』と応えた。
「次は二輪マシンの説明をします。車よかバイクの方が好き、なんて人は興味津々に聞き入ってもいいんじゃないでしょうか」
メルクスは得意げだ。
「まずは右のマシン。これはオンロードモデルです。舗装道路の走行では快適な乗り心地を保証できます。風を感じたい時などは、そりゃあもう……ハラショー!」
唐突に声を張り上げたので、ビクッと驚愕した者も少なくなかった。
「左のマシンはオフロードモデル。悪路の走行にも対応してます。こちらもオンロードモデルに劣らずハラショーです。
どちらのマシンが良いのかっていう疑問に対する返答としては、こればかりは、言ってしまえば好みの問題ですね、完全に。場所を問わないワイルドなライディングがしたいならオフロード、安定感と穏健さに包まれた爽やかな疾走を味わうならオンロード、こんな具合ですかね」
もはや実動部隊の救世主たちは、僅かにメルクスの謳い文句を聞くだけで、大半がどのタイプを乗り回したいか談義している頃だった。
「最後に三輪マシンの説明です。これはサイドカーと言って分かられる方が大半ですよね。バイクに車輪のついた単座をつけ足したタイプです。コーナリングの具合が他のタイプと大きく違うので、ライダーとその同行者は息の合ったコンビであるに越したことはないでしょう。
一応、各タイプの魔法を絡めた新しい駆動理論やエンジンシステムについては、資料92ページから書いてありますが、ここでは省略します。
習うより慣れろ――僕の口だったり資料だったりでの説明はこれで終わりにして、皆さんには一刻も早く俺たちの力作を直に見てもらいたいと思っています。開発中の車両一台一台、すべからく我が子同然に育て上げているので、皆さんの元へやって来た際には、どうか寡黙で堅苦しい仲間とでも思って、愛してやってください。
俺からの説明は以上です」
メルクスの語りが終わり、これで研究科の見学は終了したことになる。
「はい、これで研究科についての説明は、全て終了したことになりますね。続いて僕から、最初に話した通り、開発科の概要をちょこっとだけ説明します。具体的にはメンバーの紹介ですね資料の最後のページを見てください」
救世主らは紙の束の裏表紙をめくった。そこには見開きに、七人の人物の顔写真と簡単なプロフィールの一覧が添付されていた。
「右から順に紹介していきますね。まずはトポスさん。彼はテルマさんたちが出した兵器の理論を、実際の形ある兵器として設計する図師です。技術的に実現可能な兵器の理論を吟味するのと、それを現実で戦闘に使用される本物の兵器として生産するのとでは、また役職が違いますからね。開発科の人たちにとっても、僕たちにとっても、大事な方です
トポスさんの左隣の人はカリプスさん。彼はトポスさんの設計図を踏まえて、耐久性や安全性、安定性の保証された最適な金属を選定・加工する役割を担ってます。兵器は形がありますから、当然それを構成する部品が必要になるわけです。その部品一つ一つにきめ細やかな配慮をしてくれるのが、他でもないカリプスさんです。
次はカロルさんと、それからフルグルさん。二人は、それぞれ熱と電気の物理的なエネルギーに精通したプロフェッショナル。兵器の使用には様々な負荷が掛かるから、それらを鑑みてトポスさんやカリプスさんに、より良い兵器開発のためのアプローチをしてくれます。
そして隣のページのペトレリオくん。彼は製作技術そのもの――言うなれば実技専門の好青年です。四人が下した最良の兵器開発案を基盤に、彼が他のスタッフを率いて製造工程を指揮してくれています。若いのによくやってくれてますよ。
……この五人は、開発科の救世主の中でも『可視』の分野で活動しています。可視とは眼に見えるもの、つまり実際に見て触れる系統の物体の開発を担当してるんです。テルマさんたち兵器部門、メルクスさんたち日用部門などが頻繁にお世話になりますね。
で、残る二人は『不可視』の分野の救世主。可視とは逆に、不可視とは眼に見えないもの。つまりは魔法を筆頭とした、手で触れて操作する類いでないものです。こっちの方はメギアさんやウェルスくんがお世話になり易いですかね。
ロンキさんは攻撃を目的とした魔法、アスピスさんは防御を目的とした魔法の開発を生業としてます――彼女の代表作と言えば、まず第一にヴァントが挙がりますね。皆さんが日常的に使っているあれは、アスピスさんが製作したんですよ――。テルマさんとトポスさんの関係性と同様に、理論的に可能な魔法技術を研究・提案するのと、それを実際に使用する技術そのものとして製作するのとでは、根本的に異なるものがあります。お二人の功績は、救世軍に限らず世界に多大な貢献をしてくれてます」
七人の概説を終え、レッジは『では』と言いながら、自らの資料をパタンと閉じた。
「随分と味気ない見学会になってしまいましたかね――ともあれ、これで研究科と開発科の見学会は、全て終了したことになります。今日はお越しいただいて、本当にありがとうございます。それから、長々とくっちゃべってばかりの平淡な見学会になってしまって、本当にすみません。
僕たちはここで失礼させていただきますけど、お帰りの際もアグニーが皆さんを施設の入り口まで送りますので、最初の集合場所に到着するまでは、彼の指示に従って行動してください。
お疲れ様でした」
レッジが言い終えるのを待たず、アグニーは忙しなく立ち上がり、救世主たちの行く道を確保しようと扉を開けた。レッジたちは、最初に触れた研究科の職員の多忙さを表すかのように、救世主たちが出ていくのを待たずして反対側の別の部屋へと向かった。
会議室を後にした救世主たちの話題は、最後に説明された日用部門の車両の話で持ちきりだ。
「見たか、あの造型! かっこいい! ヤバかったぞ! 俺の鳥肌が!」
「さながら美味しいチキンのような?」
興奮冷めやらぬヘイルに、いつぞやの鬱憤を晴らしたスリート。
「どれに乗る!? どれに乗る!? 俺はバイクがいいぞ! かっこいい!」
「俺は無論、オープンカーだ。隣にブルートかグロウかレインかチルドかスノウの誰かを乗せ、俺のテクニックをじっくりと堪能させてやるのさ。仕舞いには惚れさせるぜ」
ネルシスは自惚れた顔で前髪を掻き上げた。
「いいな! ここは! 夢があるぞ! ロマンが! 開発科の見学は都合上カットだと? 焦れったい! 早く乗りたい!」
「そうですね……実際、僕たちの元の世界で普及した技術が、魔法を加えられてどのような進化を遂げるのかという点については、僕も大変興味があります」
スリートは眼鏡をくいっと上げる仕草をした――救世主による世界の変革が着々と進められている実感を、彼らは今日の経験で得られたのだった。
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