友を選ばば

~1~


 第2中隊D小隊α分隊の救世主たちは、四階会議室に召集された。指揮隊長のウィルを前に、十人の救世主が並び立った。


「今回、諸君にはマスケティア王国での任務に携わってもらう」


 ウィルが言った。


「クラウドですか?」

「いいや、今回は別件だ。」


 ウィルの答えに、グレイのみならず十人ほぼ全員が、その表情に驚愕の色を浮かべた。


「どういうことだ?」


 クロムが怪訝な顔をして訊ねた。


「マスケティア王国には、過去にクラウズの被害に遭った町がある。今回の任務は、新体制となった救世軍が人類の希望の光であるという認識を世間に広めるための、言わば慈善事業といったところだ。町へ赴き、クラウズと戦い亡くなった兵士の遺族らを訪ね、破壊された建造物の跡地を視察し、難民の生活援助の実態を間近で体験することで、民衆の救世主に対する評価を向上させるんだ」

「それは第3中隊の役割だろ。大体、何が『評価を向上させる』だ。俺たちは戦うための救世主であって、世間からどう言われようと、クラウズを倒すことが使命じゃないのかよ」

「第3中隊は遠方の地域に繰り出しているため、今は人手が足りていない。それほどクラウズ侵攻の被害が凄まじく、また広域に及んでいるということだ」

「だったら尚更――」

「現状のまま活動を行ったとして、各地の内政が安定するわけではない。クラウズを撃破してアピールしようと、救世主への信頼が欠如したままでは、使命を全うしても人民は納得せず、国家の政治に対する反発も増すだろう。クラウズを掃討しつつ、民衆の好評を得なければ、クラウズの脅威が去った後にも多大な影響が残ってしまう」

「それはアンタらの都合だろ。俺たちは戦うために呼ばれたんだ」

「人々を守るのが救世主の使命だ。闇雲に殺戮するだけが英雄ではない」


 二人の鋭い視線が交差した。穏やかならざる雰囲気の立ち込める両者の間に、堪らずグレイが割って入った。


「……俺たちは、マスケティア王国へ行けばいいんですよね?」

「……そうだ。既にヴァントを現地に繋げてある。準備ができ次第、任務に当たれ。以上だ」


 グレイは頷きながら、抵抗するクロムを会議室の外へ強引に押し出した。レインも、それを心配そうに見ながら、ウィルに一礼して後を追う。次いで他の七人も続々とレインに倣った。


「どうした、クロム? 最近、なんか怒りっぽくなってないか? 何かあったのか?」


 グレイが訊ねると、クロムは彼の手を乱暴に振りほどいた。


「別に何でもない――ただ、知らない奴らに媚を売る暇を、もっと力をつけるために使いたいだけだ。俺たち、こんなことしてる場合じゃないだろ」


 今のクロムから感じられる焦燥が、どこか彼らしくないとグレイは思った。何故かは知れないが、どうやら今日は、強さに固執しているようだ。

 以前から――この世界に召喚される前から、クロムは度々、自分が求めるものに対する執着心を見せることがあった。自分が必要だと思ったものは、即ち自分が他者より劣っているものであると、そんな思考が働くことが多かったらしい。

 その点、グレイが彼に共感し、難儀な彼と親友でいられる最たる要因の一つだった。誰かに遅れを取るのが恐い。そんな情動を、グレイも頻繁に覚えていた。

 守る力を求め、一人修行の旅に出、結果として必要以上に世論へ配慮をしなければならない事態となった原因は、紛れもなく自分だ。自分の、心の弱さだ。あのメシアとの対決が――敗北が、全ての根源だった。

 繰り返させてはならない。グレイの信念は強固だった。弱いままでは駄目で、焦っていても駄目で、救世主は常に誰の眼にも善良に映る正義を行使しなければならない。

 クロムに、自分と同じのてつを踏ませるわけにはいかないのだ。


「クロム。いつか俺に言ったよな。平凡な幸せじゃ納得できないって。平凡な幸せで妥協したくないって。俺、最近になってその意味が分かってきた気がするんだ。今のまま平和を取り戻したって、それを本当の幸せだって思えない人は多いと思う――俺たちが出張って、救世主はここにいるって、俺たちがクラウズを倒したら終わりだって。ちゃんと幸せにしてみせるって、きちんと伝えなきゃいけないんだ」


 クロムはしばらく考え込むように俯くと、やがて僅かに眉間にシワの寄った顔を上げた。


「……分かったよ」


 不本意ながら、といった感じは否めないが、クロムは頷くと歩き始めた。やれやれ、とグレイは笑んで、事を不安げに見つめていたレインの肩を、優しくポンと叩いた。

 十人は学舎を出ると寮へ向かい、各自が灰色の隠密用ローブを纏って (グレイのローブは買ったばかりの新品である) 噴水広場に集った。全員が揃うと十人はヴァントの前に立ち、両端の鉄柱を起動させた。

 十人は、眼前に見慣れた透明な膜が出現すると、それを通ってマスケティア王国へ繰り出した。


~2~


 ヴァントを潜り抜けた先の正規軍軍事拠点で、十人は現地の上官から今回の任務の説明を受けることとなった。


「諸君には、今回の任地となるアルマニャックがいの大通りで閲兵式パレードを行ってもらう。ルートは多くの民衆の眼が行き届く往来を選択した。大衆に存在を認知させるには最も有効な手段の一つだ」

「分かりました」


 レインが凛とした表情で頷いた。上官もそれを見ると、厳格な面持ちながら応えた。


「ついては、この施設から更に移動し、アルマニャックの資料館で待機してもらう。資料館にはヴァントと接続する設備がないから、すまないが徒歩で向かってくれ。当然案内人も同行させ、また現地には既に手筈を知る者が諸君を待っているはずだ。早速、ペレ二等兵に着いていってくれ」


 上官の脇から青年が現れ、『こちらです』と十人を手招いた。グレイたちは上官に一言礼を述べ、二等兵の後に続いた。

 施設の外へ出ると、そこにはブロックで構築された家屋の建ち並ぶ、ヨーロピアンな街並みが広がっていた。行き交う人々の容姿も西洋の趣が見てとれた。


「このそこはかとなく感じるフランスっぽさは、俺の気のせいなのか?」

「いえ、僕も同じことを思っていました。この風景は、どこかフランスを連想させますね」


 半ば独り言のように呟くネルシスに、スリートが同調した。グレイはそんな二人を物珍しげな眼で交互に見た。スリートとネルシスの意見が一致する一幕など、そうそうお目にかかれるものではない。

 道中は風情のある景観を楽しみながら、やがて一行はアルマニャック街の資料館に辿り着く。そこは人気の少ない畑道のようになっており、十人は豪勢な鉄扉の前でローブを脱いだ。

 二等兵の案内に従い中へ入ると、真新しい内装の玄関口で、黒いスーツを着こなした老人が恭しく一礼して十人をもてなした。


「ようこそおいでくださいました。わたくしめは当館の管理を職務としております。本日は、救世主の皆様に任務の詳細を説明するよう仰せつかっております。このような辺鄙へんぴな場所へご足労を煩わせてしまい、誠に申し訳ございません」


 老人は一度、背中に木の棒でも背負っているのではと見紛うほど綺麗に姿勢を正し、言い終えると同時に再び深々と頭

こうべ

を垂れた。グレイたちは、いえいえと手を振りながら、顔を上げるよう頼んだ。老人は恐れ多そうに従った。


「失礼いたしました。では、早速本日の段取りを、僭越せんえつながら私めが皆様にご説明させていただきます。どうぞ、こちらの部屋へ」


 老人は通路の奥を指すと、そちらへ歩き出した。着いていくと、絢爛なシャンデリアがまず眼に飛び込む広い居間があった。中央には合わせて十数人は座れるであろう漆黒のソファが四つ、茶褐色をした長方形の木製テーブルを囲うように配されている。また、それらの傍らには暖炉が灯りと熱の双方をグレイたちにもたらしていた。

 グレイは腕に掛けたローブを持ち直そうと視線をずらすと、自分が何の毛で出来ているかも定かでない真っ赤なカーペットを踏んでいることに気がつき、重心のやり場に困った。


「こちらが本日のパレードの経路でございます」


 老人は街の見取り図をテーブルの上に広げた。地図の東から赤い線が伸び、街の中央部で複雑に入り乱れている。更に赤い線の始点からは青い線が引かれており、それは街の南東の資料館に繋がっていた。


「まず皆様には数時間後に、地図上の青い線の終端と赤い線の始端とが重なっている場所へ移動していただきます。ここには王国随一の楽団が待機しており、皆様のパレードに携わります。ここがパレードの開始地点となり、後は楽団と共に赤い線の通りに進んでいきます。最終的には、先ほど皆様がいらっしゃった正規軍の拠点に辿り着きます。それからは現地の責任者が皆様をサポートいたします。手荷物があるようでしたら、私が拠点へお運びしますので、ご心配には及びません」


 グレイたちはパレードの経路を覚えた。アルマニャック街は大きな都市のようで、その中心ともなれば道は蜘蛛の巣のようになっていた。

 笑顔を振り撒いて街を歩き回る、と聞こえだけは単純そうだが、その実は準備段階で最も努力を要する任務らしかった。なにせ、グレイら十人はパレードの最中、救世主として常に先頭を歩かなければならない。この任務の目的は、救世主が世界の希望であると示すことである。失敗は許されない。この場での不手際は、そのまま救世軍への評価に直結する。途中で道を間違えたり、経路を忘れたりしては決してならないのだ。

 個人差はあれど、グレイたちは概ね一時間ほどでパレードの経路を頭に叩き込んだ。道々や家々の絡み合った様が克明に記された図面を凝視し続けるのは、さすがに堪えるものがあった。

 パレードの開始地点への移動まで少しの猶予があり、グレイたちは束の間の休息を取ることにした。各々が好みの場所を館内に見つけ、そこに身体を預けた。クロムは廊下のベンチ、レインとスノウは地図の広げられたテーブルを囲うソファ、グロウとチルドは仮眠室のベッド (ネルシスもそこで休もうとしたが、スリートやブルートに阻まれた) ――ヘイルはただ一人休息を取らず、居間で腕立て伏せをすることを選んだ。

 グレイは老人に断りを入れ、あまり遠くへは行かないようにとの注意を受けた上で、資料館の外へ出た。外の空気を吸って、疲れてしょぼくれた様子の両眼を癒すべく、草木の緑でも見物しようという心積もりだった。

 この資料館そのものが畑道の隅の方に位置していることもあり、グレイは鉄扉に寄りかかりながら豊かな自然を一望できた。かすみがかった山々や作物の育つ水田を一度に見ると、つい最近どこぞの山でキャンプをしたことが思い出される――同時に、その後に起こった事件についても……。

 遠くへ行かなければ、とグレイは好奇心に負けて畑道を歩いた。以前から田舎に少なからず憧憬していたグレイだった。

 しばらく歩くと、田畑から道へ這い上がる、大きなハットを被った三人の少年に出くわした。グレイは虚を突かれ狼狽えると同時に、ローブを館内に置いてきてしまったことに今さら気がついた。

 少年たちはグレイを見つめると、ほぼ一斉に『ああ!』と指差した。正確には、グレイが纏う朱のマントを。救世主の証たるマントを、一様に凝視したのだ。


「あっ、あのっ! ひょっとして、あなたは……」


 華奢きゃしゃで小柄な右の少年が、口をパクパクさせて言った。グレイも困惑しながら、あれやこれやと宣う。

 この時世、救世主が民衆にすべからく好感を持たれているとは世辞でも言えまい。遠慮を知らない子供に無能だ役立たずだと捲し立てられたら、パレードを控えている身としては甚だ堪える。


「きっ、救世主様――ですか?」


 真ん中の、背格好が左右の二人のちょうど中間ほどの少年が、平静を装っている風に言った。落ち着きを保とうと必死ながらも、その口調には興奮が隠しきれていない感じだ。

 興奮――そんな印象を持った時点で、グレイの脳裏は三人が救世主に否定的な少年ではないのかもしれないという予想が立てられた。ウルプスの街のように、見るなり大声で嘲罵ちょうばを浴びせる子供ではない。

 少なくとも思考が完全に世論にっている少年たちではないように思われた。それでも、グレイの胸中で警戒が弱まることはなかったが。


「あ……ああ……そうだよ」


 グレイは正直に言った。このマントを見られては、もう言い訳のしようがない。ここで嘘をついたところで、返って救世軍の評判が悪くなるかもしれない。彼らが無垢ながらも残忍な心の持ち主だとすれば、その時はいかなる罵倒も甘んじて受けよう。

 そんな、半ば諦念の混じった告白だった。


「ほ、本物だ!」


 長身でしっかりした体躯の左の少年が叫ぶと、途端に三人は肩を抱き合い、その場で円を描いて回り出した。さながら喜びを共有するかのような挙動に、グレイは彼らが救世主に対して好意的であると見て、ひとまず安堵した。この様子だと、とりあえず頭ごなしに罵られることはないようだ。

 頻りに回ると、やがて先ほど真ん中に位置していた、中肉中背の少年が我に返ったように止まり、グレイに向き直った。


「は、初めまして! ボクはサリス! この小っちゃいのはカナードで、でかいのがシャンです!」


 少年が両脇の二人を指しながらお辞儀をすると、二人もそれに倣うように頭を下げた。グレイもぎこちない動作ではあったが、自らも腰を折って応えた。


「ボクたち、『アルマニャック少年剣士隊』なんです!」

「え?」


 突拍子もない紹介に、グレイは思わず聞き返した。


「アルマニャック少年剣士隊! ボクたち、この町の平和を守る剣士なんです!」

「剣士の卵、でしょ?」


 サリスが誇らしげに言うと、カナードが目を細めた。サリスは『余計なこと言うな!』と怒鳴った。

 グレイは苦笑しながら、三人が腰に剣を挿しているのを認めた。鞘からして刀身は極端に細いらしく、柄は手を防護するための構造となっている。一見して、三人の剣がレイピアであることが分かった。


「ボクたち、救世軍の皆さんを応援してます! ボクたちも将来、マスケティア王国近衛剣士隊に入隊して、街だけじゃなく国も守るんです! クラウズにだって負けないくらい強いんですよ、ボクたち!」

「まだ見たこともないけどねえ」


 サリスが胸を張ると、今度はシャンが間延びした口調で言った。サリスは『余計なこと言うな!』とまた叱った。


「救世主様は、一体どうしてこの街へ? もしかして、敵が来るんですか!?」

「いいや、違うよ……この街でパレードを行うんだ。街の皆さんに挨拶して、これからは救世主に任せてくださいって安心させるためにね」

「え!? パレード!? ほんとに!?」


 サリスたちはグレイに詰め寄った。その勢いに圧倒され、グレイは半歩後ずさった。


「あ、ああ。街の真ん中を行進するんだ。多くの人に希望を――」

「こうしちゃいられない! カナード! シャン! 行こう! 場所取りしなきゃ! 一番前!」


 サリスの言葉に二人が頷き、少年たちは疾風の如く走り去った。あっという間に見えなくなった彼らの姿と、宙に舞う砂煙を、グレイはぼうっと見つめるしかなかった。


「……なんだったんだ?」


 グレイは肩をすくめ、資料館の方へ歩き出した。


~3~


 グレイたちは資料館から移動し、アルマニャック街のとある倉庫で楽団と合流した。楽器とそれを抱えた百人あまりの楽団員たちで倉庫はぎゅうぎゅうだ。


「アルマニャック楽団です。本日はよろしくお願いします」

「救世軍第2中隊D小隊α分隊です。こちらこそよろしくお願いします」


 グレイは巨大な金管楽器を抱えた中年男性と握手を交わした。他の九人も、それぞれ誰かと相対していた。全員が数十人と握手をした頃に、パレード開始の時刻が迫った。グレイたちは楽団の先頭で整列し、再度パレードの経路を思い出した。かんなにも多くの協力者に恵まれたのだ。失敗は絶対にあってはならない。

 門扉が開かれ、列の後方で誰かが軽快な打楽器の音を鳴らした。開始の合図だ。グレイたちは滝が落ちているような民衆の声に出迎えられながら、いよいよパレードの第一歩を踏み出した。

 外へ出ると、そこには既に何千人――規模からして一万人以上でもおかしくない――もの大衆が道端にごった返していた。多くの住民が笑顔を浮かべているのを見て、グレイたちは安堵の溜め息を僅かに零した。少なからず悪意を孕んだ呪詛を吐きかける者もおり、その声音は喚声と同等であった。


「わー! チルドたちにんきものー? わーいわーい!」

「そうだね~。人気者だね~。みんなチルドに頑張れ~って応援してるんだよ~。ほら、手~振って、ありがと~って」


 チルドはグロウに肩車をさせ、彼女の頭上で花が咲いたように笑った。


「なんだなんだ? ウルプスの街とはえらく雰囲気が違うな。こんなに歓迎されているとは、正直思ってなかったがな」


 ヘイルは太い腕を振って民衆に応えながらスリートに呟いた。


「地域によって、そして人によって捉え方は違うようです。かつて街を救った英雄の後継者と思う者もいれば、家族や友人を助けなかった非情の殺人者と思う者もいるでしょう」


 スリートは、年配の女性が若い男性の遺影を抱え、こちらを睨みながら泣き叫んでいるのを横目に見ると、視線を逸らして眼鏡をくいっと上げた。


「……複雑だね」


 レインは大衆に笑みを向けながらブルートに言った。その笑みが、普段のレインにしてはぎこちないことに、ブルートはすぐに気づいた。


「すごく複雑……ここには、たくさんの笑顔があって、それと一緒にたくさんの涙がある……救世主への期待と怒りが、信頼と憎しみが、ごちゃ混ぜになってる……」


 楽観的な調子の行進曲を背景に、満面の笑顔と激励に紛れて、止めどなく涙を流してこちらに怒号を飛ばす人々を見て、レインはこの場の異様さに胸焼けのような苦しさを覚えた。

 ブルートは辛そうな彼女に、しかしかける言葉が見つからなかった。救世主が背負う重荷を、自身も痛切に実感していたからだ。希望と一緒に、悲劇をも請け負う使命を。


「――グレイ、大丈夫?」


 レインは、やはり笑顔に不自然さの表れているグレイに気づいた。グレイは列の先頭を歩きながら大衆の声援に笑顔で応える一方で、戦没者の遺族と思しき人々の悲痛な表情を見る度、瞳が潤んでいた。

 レインには心当たりがあった。グレイは救世主としての最初の戦いで、人の死を間近に見たのだ。それも、自分が関わった人物の死だ。それが原因で塞ぎ込み、一時は救世主の辞退まで考えていたほど、彼には深刻な負荷が残された。魔晶台で彼の遺族が悲しみを訴えかけているのを見ていた時などは、精神的に特に堪えただろう。

 ここには、それを彷彿ほうふつとさせる光景が、無数にあった。


「大丈夫、俺は何ともない。俺なんかよりもスノウが……」


 グレイは後ろをチラリと振り返った。グレイら先頭の九人の救世主から少し離れた場所で、スノウは辛苦に苛まれるような表情で俯きながら、とぼとぼ歩いていた。

 スノウは人混みにてんで弱い。その視線の多くが自分に集中するような状況であれば、その性格は顕著に表れる。レインは慌てて歩調を合わせ、彼女を支えるように肩を掴んだ。その顔には汗が滴っている。


「――グレイ」


 クロムもグレイの異変に気づくと、彼を呼んだ。グレイは何人目かも分からない、こちらに遺影を見せつけて嗚咽

おえつ

を漏らす住民を見て、尚も笑顔でい続けなければならない心的疲労が否めなくなった頃合いだったので、クロムの一声には半ば救われた感がした。彼に呼ばれたのを機に、グレイは我を取り戻せたのだ。

 そんな事情を隠すように、グレイは笑顔を崩さず、朗らかに応えた。


「……俺も、お前の言ってたことが分かった気がする」

「え?」


 見ると、クロムは憤怒するような、それでいて決心を固めるような真剣な面持ちで民衆を見渡していた。


「こいつらみんな、自分勝手だ。自分や身内に大事がなければヘラヘラ笑うし、知り合いが死んだり怪我すれば俺たちを攻撃する。俺たちの気持ちなんか気にも留めない」


 クロムの口調は憎々しげなだけでなく、どこか悲しげだ。


「……けど、俺たちはその自分勝手に応えなくちゃいけない。こんなに多くの命が懸かってるなら、こんなに多くの自分勝手を背負わなきゃいけない――それが救世主なんだよな」


 クロムの表情には怒りと、それを抑制する自我とが垣間見えた。グレイは彼から、誰かを失った人たちに視線を移した。

 あらゆる人の運命が、救世主の双肩に委ねられていた。それは生死であったり、喜怒であったり、善悪の価値観であったりする。いずれも個々人やその関係者にとって大切なものだ。

 世界の命運を背負う。救世軍――グレイは様々な人々の実態を目の当たりにし、改めてその責務のいかに重大かを痛感した。


~4~


 幾つもの思いを抱え、幾十もの通りを過ぎ、幾百、幾千、幾万の人々に囲まれ、救世主のパレードは続いた。

 とある角を曲がった時、ふとグレイが移した視線の先には、資料館の付近を散歩していた折に出会った三人の少年――サリス、カナード、シャンを見かけた。

 パレードを見に来た、はずなのだが。その様子は深刻だった。サリスが大人の男性に髪の毛を鷲掴みにされ、引き摺られるように路地裏へ連行されていたのだ。カナードとシャンが、それを懸命に阻もうとしているが、二人の子供の力が大の大人を食い止められる訳はなかった。

 そんな光景にただならぬ事態を危惧したグレイは、群衆に笑顔を絶やさず手を振りながら、すぐにクロムに駆け寄った。


「クロム……」

「ん?」

「ローブ持ってるか?」

「いや、持ってないけど……なんでだ?」

「今の路地に子供三人が誰かに連れて行かれてた。見るからに一悶着起きそうな状況だったし、このパレードの中じゃ何があっても発覚されるのは難しいと思う。助けに行きたい」

「そうか……悪いな、今は力になれない」

「大丈夫」

「もう少し早ければ……」

「え?」


 クロムが何か言ったが、喧騒ではっきりとは聞き取れないグレイだった。聞き返しても、クロムは『別に』と言って、以降は先ほどまでしていたように、人々の声援に応えることに専念した。

 グレイは首を傾げ、それから他の仲間たちにローブを貸してもらうよう掛け合って回った。もちろん、パレードの主旨を遂行しながら。だがヘイルも、スリートも、グロウとチルドも、ネルシスもローブを持って来ていなかった。

 ローブがなければ、この大衆に囲まれた中で道の中央から脇道へ秘密裏に移動するのは不可能だ。一縷いちるの望みを信じ、グレイはレイン、スノウ、ブルートの三人に近寄った。スノウが大勢の衆目に晒されて冷汗三斗の思いに苛まれているのを、レインとブルートが励ましているところだ。


「誰かローブ持ってないか?」

「えっ? 持ってないよ、私は。どうかしたの?」

「子供がトラブってる。助けに行かないと」

「あたしも持ってないわよ。大体、こんな大勢の前でパレードするって時に持ってかないわよ」

「そりゃそうだけど……」

「…………」


 グレイはローブを使わずに、この大衆の列を抜け出さなければならないのかもしれないと、生唾を飲んだ。救世主がパレードから離れたとなれば、どんな結果が待っているか定かでない。たとい民衆が気にせずとも、だがやはり面目は少なからず潰れることになるだろう。

 グレイが解決の糸口を模索していると、マントの端を引っ張られる感触があった。見ると、スノウが灰色のローブを片手に、辛そうな表情ながら上目遣いにグレイを見つめていた。使ってほしいと言わんばかりに、彼の眼を直視していた。


「いいんですか?」


 グレイが訊ねると、スノウはうんうんと激しく頷いた。


「ありがとうございます……」


 グレイは微笑みながらローブを受け取った。グレイが笑みを浮かべると、スノウも自ずとはにかんだ。


「戻って来れそうになかったら、もう拠点へ向かっちゃっていいわよ。あたしが変身魔法であんたに化けて、大衆の目をだまくらかすから」

「ありがとう」


 グレイはパレードの進路に眼を向けた。直に次の角を折れる頃だ。あとは救世主でない何かしらに一瞬でも群衆の注意を引くことが出来れば、その隙にローブを纏い、人民に溶け込むことが出来るはずだ。

 すると、レインがグレイの肩を叩いた。


「私に任せて」


 どんな思惑があるのか判然としなかったが、グレイには信じる他になかった。幼馴染みを。レインを信じるしか。

 そうして通りの角に差し掛かると、レインはおもむろにニアを出現させ、天へ向けて弦を引き絞った。


「カスタム・ファイア!」


 弓の中央に魔法陣が展開され、そこから矢の代わりに炎の魔法が放たれた。魔法は上空を高々に舞うと、街と民衆の頭上できらびやかに爆散した。レインの放った花火は、人々の視線を根こそぎ奪い去った。

 その刹那を、グレイは見逃さない。すぐさまローブを羽織り、パレードを抜けて民衆の蠢く中へ飛び込んだ。人々は一様に天空を見上げており、救世主が一人欠けた事実を知覚した者はいなかった。

 グレイは人混みを掻き分け、先ほどの路地の方へ少しずつ進んでいった。ふと振り返ってみると、偶然クロムと眼が合った。クロムは僅かに民衆に向けるのとは異なる笑みをたたえ、振っていた手の親指のみを立ててみせた――サムズアップである。クロムのメッセージを受け、グレイは少年たちの元へ走った。

 パレードの最中は歩行速度が緩慢になることもあって、三人を見かけた路地まで大した距離はなかった。人目のつかない仄暗い民家と民家との隙間のような空間を見つけ、全速力で走ると、すぐに追いつくことが出来た。

 三人は乱雑に生えた無精髭の男と揉み合っていた。特にサリスは執拗に暴行されたらしく、その顔は赤黒く腫れ上がり、身体のあちこちに擦り傷が出来ていた。カナードとシャンも、サリスほどではないが負傷しており、サリスの髪の毛を引っ掴んで宙吊りにする男の腕や脚にしがみつき、必死に阻止しようと奮闘している。だが男が煩わしそうに四肢を振るうと、二人は容易く地を転がった。男は拘束を解くと、サリスを地面に叩きつけるのだった。


「やめろ!」


 グレイは叫んだ。男がサリスの腹部に蹴りを入れようとする寸でのところだった。男は振り返ると、苛立たしげにグレイを睨んだ。


「誰だ! 誰なんだよぉ、てめえは!」


 グレイはローブを脱ぎ捨て、ヤーグを片方のみ出現させた。灰色の帳

とばり

より朱のマントが露となると、男の顔が一気に青ざめた。


「きゅっ、きゅ救世主!? パッ、パレードの最中じゃ……!?」

「パレードだろうが何だろうが、人を助けるのが救世主だ」


 グレイがヤーグを突きつけると、男は慌てて走り出した。


「待て! 盗んだものを置いていけ!」


 男は叫んだサリスに恨みがましい一瞥をくれると、懐から取り出した袋を投げ捨てて今度こそ去った。途端、カナードとシャンがサリスに駆け寄り、大丈夫かと何度も問うた。サリスは問題ないと呻くと、傷ついた身体を引き摺るようにして、その袋を拾い上げた。


「三人とも、大丈夫か? 病院はどこにある? 送っていくよ」

「い、いえ、大丈夫です……救世主様、パレードでしょう? 早くお戻りになって――」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。一体どうしたんだ? 何があったんだ?」


 三人はヘナヘナと座り込むと、静かに語り始めた。

 男はパレードで人の気が散っているのを見計らい、女性の鞄から金銭を盗み取ったそうだ。その現場に居合わせた三人は逃走しようとした男の退路を塞ぎ、サリスが奪ったものを持ち主に帰すよう言ったらしい。すると男は逆上してサリスをここへ引き摺り、暴行の限りを尽くした――。


「どうして無茶をしたんだ? 他の大人に助けを呼べば良かったんだ」


 三人は落ち込んだ顔で互いを見合わせた。


「……ボクたちはアルマニャック少年剣士隊、街を守る正義の味方なんです。大人だからとか、子供だからとか、関係ありません。気高きアルマニャック少年剣士隊は、敗北を怖れたりしないんです」

「それに、信頼し合う仲間は、決して離ればなれにならない。どんなことがあっても、死ぬ時だって三人は一緒です。仲間がボコボコにされてるのを放って行くなんて、ありえないんです」

「カナードは賢くて、シャンは力持ちだ。ボクには頭の良さも腕っぷしの強さもないけれど、街を守りたいという心だけなら誰にも負けない。ボクたちはそれぞれを補って、初めて一人前の剣士なんです」


 シャンとカナード、サリスが口々に言う。グレイは溜め息をついて自身も座った。三人の顔を一人一人、順番に見つめる。


「――君たちは一人前なんかじゃない。三人揃ったところで、まだまだひよっこだ」


 三人の瞳に涙が溜まる様が見えたが、グレイはそれでも続けた。甘えでは済まない。正義を語るのは、甘くない。


「離ればなれにならないことが仲間だと思ったら大間違いだ。たとえ離ればなれになっても、互いの距離が遠かろうと近かろうと、それぞれの道を歩いて行けるのが仲間だ。

 敗北を怖れない勇気と、敗北を知らない無謀は違う。君たちは気高さを履き違えてる。君たちは子供で、相手は大人だ。自分が背負うものと命とを正しく天秤に掛けられる人こそが一人前と呼ばれるんだ。

 それぞれを補うっていうのは、一人が男を追跡して、一人が被害者の女性に知らせて、もう一人が警察に通報するとか、そういうことを言うんだ……君たちは、まだ正義の味方になるには小さすぎる」


 誰よりも。正義の重責を知っているから。グレイは自分が言うしかないと思った。自分が言わなければ、誰も言ってくれない。言わなければ、彼らはこれからも誤り続ける。非情な現実だが、しかし正義を背負った対価として彼らが支払うかもしれない代償を考えれば、辛い真実を突きつけるのも厭わなかった。

 三人はグスグスと泣き始めた。ごめんなさい、ごめんなさいとくぐもった声で謝る。グレイの胸の内側で良心が痛んだが、それは懸命に押し殺して表情には出さなかった。

 かつて己の未熟ゆえに誰かを死なせてしまった少年がいる。多くの人を悲しませてしまった哀れな少年がいる。少年は自らの恐れに敗れそうになってしまい、旅に出た。その旅が更なる災厄を呼び込み、果たして少年の苦悩が尽きることはなかった。

 グレイは誰よりも正義の代償を知っていた。三人を同じ目に遭わせては決してならない。そんな魂の奥底の悲鳴が、グレイの脳髄に木霊するようだった。


「……けど、行動したのは凄いと思う」


 グレイは正直に言った。三人が涙でぐしゃぐしゃの顔をハッと上げる。


「誰でも出来ることじゃない。自分の正義を信じることが出来る人は限られてる。君たちの信念には、俺も少なからず学ばされるものがあったよ」


 三人は次第に笑顔になり、照れ臭そうに互いの顔を見合わせた。そんな様子を見て、グレイも知らず知らずの内に笑みが零れてしまっていた。

 すると来た方から女性と、複数の男性の声が聞こえた。振り返ると、地元の警官を引き連れ、鞄を提げた女性がキョロキョロと辺りを見回していた。


「あ! お金の持ち主の人だ!」


 サリスが言った。袋を持って女性に駆け寄ろうとした三人だが、グレイの横を通り過ぎたところで急に立ち止まってしまった。三人は振り向くと、グレイに袋を差し出した。


「取り戻したのは救世主様です。早くあの人を安心させてあげてください」


 なんとも健気な少年たちだった。あれだけ自分を叱りつけた相手に、この歳頃の少年三人がここまで真摯になれようものか。グレイは、同じ歳の頃の自分を思い出し、比べて大層しっかりした三人だと感服した。


「いや。ここでは君たちがヒーローだ」


 悪を許さない。その情熱を持った少年たちなら、これからも成長してくれるはずだ。とびきりの笑顔で袋を女性に手渡す三人を見届けると、グレイは立ち去ろうと来た道を引き返した。一度、警官に事情を聴取したいと止められたが、パレードに戻らなければならない旨を伝え、あとで必ず聴取を受けると確約した。


「救世主様!」


 去り際になって、サリスに呼び止められた。首だけ捻って見やると、三人は敬意を表するかのように整列していた。


「ボクたちは、きっと正しい人間になります! 立派な近衛剣士隊になって、いつか救世主様と一緒に人々を守るような人物になってみせます!」

「……ああ、待ってる」


 グレイは親指を立ててみせた――クロムの受け売りだが、これが今の自分に出来る精一杯の激励の証なのだから、きっと彼も許してくれるだろう。

 もっとも、彼にこの出来事を話して聞かせるか否かは知れないが。


「良かったら今度、俺たちの街にも来てくれよ。ウルプスにさ。歓迎するよ。若き剣士の卵をね」

「もちろんですよ。なんたってボクたちは、いつの日かあなたと共に戦う、三剣士なんですから」

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