NEW MISSION
~1~
グレイたちはスコラ学院に帰還すると、そのまま学舎四階の会議室へ直行した。
グレイは道中、敷地内を感慨深げに見回した。男子寮、噴水、学舎の廊下、階段、踊り場の窓から見えるスタジアム――長らく留守にしていたが、そこは以前と変わらぬ姿のままの、帰る場所だった。
ちょうど講義と講義の合間という頃合いで、他の救世主とすれ違うことも少なくなかった。これもしばらく学院から離れてはいたが、普段なら絶え間なく起こる日常生活の一部であった。
しかし、グレイは違和感を覚える。道行く救世主が皆、こちらを注視するのだ。グレイら一行が通り過ぎた後も、救世主たちは振り返って十人の後ろ姿を――否、グレイの後ろ姿を見つめていた。その視線はというと、憎しみが込められていたり、喜びや親愛の念が感じられたりと、人によって様々であった。
グレイは何事か思案したが、レインやクロムたちが気にしていない様子だったので、ここであえて言うこともないと、黙したまま会議室へ向かっていった。
会議室に到着すると、グレイは部屋の戸を叩いた。
「入れ」
「失礼します」
グレイは言いながら戸を開けて部屋の中へ入った。九人も同様に入室していく。ウィルは細長い円の形をした卓の傍で、ホワイトボードを背にして立っていた。十人は彼の目前まで来ると、一列に並んだ。
「ご苦労だった……大事なくて何よりだ」
ウィルは安堵した表情で言った――兜で素顔の見えないウィルだが、その声音から十人が彼の心境を読み取るのは容易かった。
「一時通信が途絶えたが、何があった?」
「はい……突入に失敗して、敵に勘づかれました。敵は分身魔法の使い手で、あたしたちは物量差で圧倒され、町の住民も人質に取られてしまって、身動きの出来ない状況に……」
ブルートは苦々しげに答えた。彼女は自分のせいで仲間が、ひいては一般人が危険に晒されたのだと、自責の念を抱いていた。
「そうか……だが、まだ死者が出たとの報告は受けていない。この調子なら、幸いにも犠牲者は皆無という形で、この件は落ち着くだろう。それに、諸君は事態を収束させた。対象のクラウドも生け捕りにし、我々の勝利に大きく貢献してくれた。また一人、貴重な情報源が得られたわけだ。その点については、感謝してもし足りない」
グレイたちは僅かに赤面した。ウィルは普段、こんな具合であからさまに救世主を褒めることはない。救世主は人々の希望――本物ではない彼らは、しかし世界の行く末を燦然と照らす光でなければならない。
イーヴァスの召喚した代替――偽物である彼らに、妥協は許されない。民衆の希望の光たりうるには、彼らはまだ未熟である。ウィルはそれらを考慮し、あえて救世主たちには厳しく接する節があった。
ウィルを憎からず思っている救世主も決して少なくはないが、同時に彼らは、ウィルの魂の奥底で働きかける優しさの恩恵を、常日頃から受けているのである。
「クラウド、そして報告にあった謎の物体は今、某所の研究機関に搬送されているところだ。謎の物体に関する情報は、クラウドに尋問して得たものを元に、専門職の救世主や研究員が調査するだろう」
「もっとも尋問ではなく、『拷問』でしょうけど」
スリートが言うと、ウィルは力なく笑った。
「何にせよ、有益な情報が得られれば、諸君を召集することがあるかもしれない。今後はそのつもりで生活してくれ。こちらからは以上だ――さて、グレイ。お前が修行で留守にしている間なにが起きたのか、説明をする約束だったな」
「あ、いえ、おおよその経緯はみんなから聞きました。ただ、今の説明で一つ気になったことがあって……」
「なんだ?」
「さっきの隊長の言葉から、捕虜が複数人いるニュアンスが感じられたんですが――」
「ああ。別の分隊も既に成果を挙げている。まだ数名ではあるが、クラウドの捕縛・聴取に成功している。全員の供述に関連性が見出だされれば、自ずと我々の次の目標も決まってくるだろう。戦局を我々の優勢に運ぶため、これからもクラウド捕獲は最優先事項となる」
なるほど、自分が不在の間に状況は着々と進展しているらしい。グレイは今更ながら合流した身の上、今後の救世軍の活動に貢献すると、より固く決意した。
「では、これで解散としよう。各々、本来予定されていた活動に戻ってくれ。講義が入っていたり、仲間との約束があったりするだろう」
「そうですか~。ではでは~」
ウィルが言うと、真っ先にグロウがペコンと頭を下げ、気だるげながらも足早に部屋から出ていった。その後もネルシス、ブルート、チルド――と続々それぞれの場所へ向かっていった。
残った面子も少なくなり、クロムやレインも去る気配がしたところで、グレイもまたウィルに一礼し、扉の方へ行った。すると、そんなグレイをウィルが呼び止めた。
「ああ、グレイ。この時間は剣術学の授業があるだろう。俺はこの後も別件で仕事があって教壇には立てないんだが、外部からの代理の講師がまだ到着していないらしくてな、他の救世主たちを待たせているんだ。すまないが、お前の口から直接、みんなに伝えておいてくれないか?」
「そうなんですか……分かりました」
「ありがとう」
ウィルはグレイの肩を優しく叩くと、自らもどこかへ去っていった。グレイは部屋を出、剣術学の講義が開かれている場所へ向かった。
~2~
一階A教室に辿り着いたところで、グレイは気づいた。中が普段より騒がしい――しばらく留守にしていた自分だが、少なくとも修行に出る以前は、講師が不在の中、ここまでガヤガヤしていることはなかったはずだ――グレイは怪訝な表情ながら、扉を開けた。
中には数十名の救世主たちがおり、その多くが席に着かず、立っていた――いや、と言うより対立していた。教室内は、一見して判別できるほど明らかに二極化している。双方の中心人物と思しき二名を、相対する勢力の側の救世主たちが睨んでいる。
そんな救世主たちは、一触即発な雰囲気を漂わせているものの、グレイが戸を開ける音には鋭敏に反応し、大多数の救世主がグレイに視線を移すことになる。
グレイは動揺した。一斉に大勢が自分を見つめている緊張や羞恥もあるが、それ以上に、二極化された救世主の片側が向ける眼光が、明確な敵意を表していることに衝撃を覚えたのだ。
敵意……まさに敵を見るような眼で、複数人がこちらを見つめている。
「グレイ!」
見やると、グレイはすぐさま声の主のヒルト、それからシース、ガードの三人を見出だせた。先ほどまで睨み合っていた相手そっちのけで、それぞれ教室の奥から駆けてくる。
「おい! 遅えじゃねえかよ! 今までどこ行ってたんだ!」
ガードがニカッと笑いながら、グレイの肩を痛いくらいに叩く。快活な笑顔のガードであるが、一方でヒルトとシースの表情が険しいことに、グレイは気づいた。
「よかった。君が帰ってきてくれて……本当に、よかった」
シースが意味深な語調で言う。グレイは、彼の台詞に言葉以上の何かしらが含まれていることだろうと推測できた。
どういう状況なのかは定かでないが、何やら一筋縄ではいかない様子である。
「ああ……俺も会えてよかったよ。それより、みんな聞いてくれ」
グレイは胸の隅っこに出来た栓のようなものを無視し、救世主たちに言った。自分に友好的な視線を向ける者、反抗心で満ち満ちた視線を向ける者、分け隔てなく平等に伝えようと試みたのだ。
「隊長は今、用事があって来られない。代理の講師も遅れてるらしい。だから、あともうしばらく待機して――」
「黙れよ」
突如、かなり強い口調で誰かに遮られた――黙れ? なぜ? ただ講師の伝言を伝えようとしているだけなのに、それがなぜ突っぱねられなければならない?
グレイは室内を見回した。敵意の込められた視線が多すぎて、誰が声の正体か分からない。そして、目の前の対立構造はますます顕著となり、先ほどの一声を機に、両者の視線の交点ではより激しく火花が散っているようだった。
「偉そうに御託を並べてんじゃねえよ」
続けて誰かが言う。いい加減に胃がキリキリと痛んできた頃合いに、グレイは理不尽とも思える反発に抵抗の意思を示したくなった。
「……別に偉そうになんかしてない。俺は隊長に伝言を任されただけだ。それを何で――」
「『何で』はこっちの台詞なんだよ」
瞬間、グレイは声の正体を目視した――一人の男が机を蹴飛ばしたのだ。
「敵に負けて無様な醜態を晒しやがって……そのくせ世間からの非難が怖くて逃げた挙げ句に、他の仲間が苦労しているところに平然と帰ってきて、今度は『隊長からの伝言』だ? 笑わせんじゃねえよ!」
男は怒りの形相で人混みを押しのけ、グレイに歩み寄りながら言った。途中で一人が『貴様、なんて口を!』と男に飛びかかったが、あえなく吹っ飛ばされてしまった。
これまでに見たことのない険悪な雰囲気に、グレイは目眩さえ覚えた。
「……逃げたんじゃない。俺は弱かった。力をつけなきゃならなかった。だから強くなって戻ってきたんだ」
「そりゃあ何週間もどこぞで引き籠もってりゃ誰だって強くなるだろうさ。正当化して話をすり替えるんじゃねえ!」
視界がチカチカ明滅する。油断すると呼吸の仕方を見失ってしまいそうだ。そんな状態のグレイを構わず、男は彼を責め立てる。
「……今度こそ負けない。みんなの役に立てるよ。そのために修行して――」
「何が修行だ。お前が自己満足の筋トレしてる間に、俺たちはお前の失態のツケを払わされてたんだぞ」
「何を……一体、どういう――?」
「お前のせいでなぁ!」
男は叫ぶと、グレイに殴りかかった。完全に不意を突かれたグレイは男の鉄拳をモロに受け、教卓にぶつかってよろめいた。
それを皮切りに、極限まで膨れた風船が破裂したように、教室内で乱闘が起こった。ヒルトとシースは冷静にグレイを避難させようと肩を貸すが、ガードの方は誰かと既に殴り合っていた。
グレイは訳が分からなかった。一体全体、どうなっているんだ。何がどうなって、こんなことに――思考のまとまらないまま、グレイは二人に教室の外へ連れ出された。騒ぎを聞きつけたのか、隣の教室から数名の救世主が顔を覗かせていた。
喧騒の届かない場所まで引き摺られると、グレイは廊下の端で座るよう促された。殴られた頬がまだ痛い。呆然としているグレイの顔を、シースが心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫かい? 少し赤くなっているね……」
シースは患部を見ると、苦悶の表情を浮かべた。するとグレイは、ようやく殴られたショックから我に返った。
「――俺がいない間、何があったんだ?」
訊ねると、シースはグレイから眼を背けた。グレイは少し苛立ちを覚えながらも平静を保ち、シースの両肩を掴んだ。
「頼むよ……俺が撒いた種なのか? だったら教えてくれ。俺のことなら、俺には知る義務がある」
懸命に訴えかけるが、尚もシースは黙したままだ。しかし、グレイが物言わぬシースに問うていると、やがてヒルトが小さな溜め息を零した。
「……例の事件――お前がメシアって奴と戦った数日後のことだ」
「ヒルト!」
シースは語ろうと口を開いたヒルトに、非難がましい視線を送った。それを受け、ヒルトはいつもしているヘッドホンを外す。
「どうせいつか本当のことを知るんだ。ここまで大事になって、隠し通せるわけがない。いくら黙っていたところで、結局は傷つくんだ。本人が知りたいと思う時こそ、教えてやるべきだ」
シースは『だけど……』と反論しようとするが、間もなく観念したように頭を振ると、そのまま床に腰かけて黙った。
「――お前が姿を消してすぐ、あの事件が公になった。町が丸ごと細工に使われたからな。ケントルムが隠蔽しようとしていたらしいけど、さすがに長くは保たない。
救世主が負けたってニュースは大々的に報じられて、俺たち救世主への風当たりも強くなった。元々、救世主ってのは負けを知らない、みたいなイメージがあるらしくてさ。現にイーヴァスが生きていた頃は、戦いに関して心配することは何もなかったらしいし。
おまけにパラティウムの偉い奴らが責任逃れをしようと、部隊を独立させて体制も一新させた。名前も【救世軍】に変わったしな。まあ、これで活動効率自体は良くなったから、何とも言えないけど。
でも、世間じゃ結構、酷い言われようだった。現代の救世主は無能だとか、前の救世主の方がマシだったとか、言いたい放題さ。俺たちが世界の平和を守ってるのに、それが当たり前だと思ってる。いざ当たり前の平和が揺らげば、今まで支持していた英雄のことなんか忘れて、簡単に貶せる。
その被害が、俺たちにダイレクトに来たんだ。行きつけの店以外だと疎まれて、人とすれ違う度に睨まれて。そんな感じで、騒動の影響が俺たち救世主の生活圏内にまで及んできた。
何週間か経つと、お前が負けたせいで酷い目に遭ってるって主張する連中と、お前が命を懸けて持ち帰った情報のおかげで戦局を変えられるって肯定的な連中とで対立が生じた。これが現状。さっき教室で起こったのも、お前のせいだって言う奴らと、お前は悪くないって言う奴らとのいざこざだ」
グレイはいつの間にか、頭を抱えていた。頭痛がしたのかもしれない。目眩が酷くなったのかもしれない。何にせよ、とてつもなく気分が悪かった。
事実を。自分が不在の間に、他者が辛い目に遭っていた事実を知ったからだ。自分のせいで。別の誰かが苦しんだ。それも大勢――およそ千人もの仲間が、だ。
お前のせいで――それは、まさしくその通りだったのだ。
「俺の……せいで……」
グレイの瞳には涙が溜まっていた。あの男が言うところの『ツケ』を、きっと他の救世主同様、クロムやレインも払わされているはずだ。
仲間を傷つけている。直接的でなくとも、過去の自分の行いが、失態が、弱さが、今こうして救世主の内部抗争を引き起こしている。泣かずにはいられない、あまりに情けない事態である。
みんなみんな、さぞやるせない数週間だっただろう……。
「……クロムも……レインも……みんな、どうして言ってくれなかったんだ……」
先頃の事件を解決してから、事を打ち明ける機会はあった。学院へ戻る道中、着いてからも学舎の四階まで上がるにはそれなりの時間を要するし、ウィルへの報告を終えた後だって、その気になれば告白できたはずである。
それなのに、どうして――グレイの胸中に疑問が浮かんだ。
「分からないのかい?」
思い悩むグレイに、シースは呆れたような口調で言う。
「真相を知れば、君は間違いなく自分を責めるだろ――今みたいにね。自分を責めるだろうし、自分を傷つけるだろ。自分で自分を、追い詰めるだろ。だから打ち明けられなかったんだ。君を守りたくて。外側の脅威から。何より君自身から。君の
グレイの瞳からは、もはや止めどなく溢れるものがあった。膝で組んだ両腕に顔を埋め、静かな廊下には、ほんの微かな声音だけが響いた。
「……さて、僕たちは乱闘騒ぎを治めなくちゃね。ヒルト、行こうか」
グレイの心境を察したのか、シースはおもむろに立ち上がって言った。ヒルトも腰を上げながら頷き、二人はグレイを残して階下へ降りていった。
グレイは一人、考えていた。どう言えばいい。みんなに、なんて謝ればいい。どんな顔をして会えばいい。どう詫びる? どう釈明する? 弱かったから仕方ない? 強くなったから許してください? 素直に謝ったって、誠心誠意を込めた台詞でだって、きっとこの罪は償えない。みんなが払った代償は、清算できない。逃避したくなるくらい、重い罪だ。
自分の身に降りかかるはずだった不幸の全てを、自分以外の全員が被ったのだ。みんなを差し置いて。自分は遠出して。高飛びして。逃げおおせて。ちゃっかり力をつけて。したり顔で仲間の窮地を救って。何が『ただいま』だ。こんなことなら帰って来なければ――否、旅立たなければ良かった。弱いまま、弱い自分の愚かさを、痛々しく痛感しておけば良かったのだ。強さの代わりに誰かが傷つく結果となると知っていれば、弱いが故にあらゆる災厄が自分を苛む結末をも厭わなかった。
どうすればいい……その問いに対する答えを、グレイは自身の涙から得る他にないようだった。
~3~
グレイは、とぼとぼと噴水広場を横切った。授業が終わり、救世主の往来が多くなる時間帯は、人を見かける毎に憎悪と敬愛の視線が、複雑に絡み合って身を貫いた。
嫌だった。人が傷つくのも、自分が誰かを傷つけるのも。現実から逃れるように、グレイは学舎から出たのだった。ひいては学院からも出て、誰の目にも触れない場所へ行けたら――なんて想像も、しなくはなかった。
門の先には、また人混みがある。ここより更に苛烈で、激烈な人混みが。自分への非難も、中傷も、罵倒も、より増すだろう。
どこへ行けばいい。どこへ行けば苦しくなくなる。誰も辛くならない、自分のせいで何が起こるともない、グレイはそんな場所を求めるばかりだった。
「グレイ!?」
突然、グレイは背後から肩を掴まれた。ぼうっとしたまま振り返ると、レインがいた。
「ビックリしちゃったよ、学院から出ていくのが見えたんだもの――次は歴史学の授業だよ? 出ないの? どこかに行くの?」
グレイは眼を伏せた。彼女の眼を直視できなかった。どころか顔を上げることすら叶わない。どの面を下げて、彼女と会話できよう。
自分への非難の声があがるということは、即ち同じ隊であるレインやクロム、スノウらにも被害が及んでいるはずだ。メシアとの一件に関わったなら、この抗争に巻き込まれているはず。
救世軍の結束を著しく乱した元凶の分際で、何を悠長に話していられるだろう。
「……どうしたの?」
レインが顔を覗き込むと、グレイはそれを避けるように身体を逸らした。レインは寂しげな表情でいると、少しして『ねえねえ』とグレイの肩を叩いた。
「お買い物しない?」
唐突な提案だった。
「グレイ、手持ちのキュアドリンクなんてないでしょ? 買っておかなきゃいざって時に困るよ? 格好つけて脱ぎ捨てたってローブも買い直さなきゃ。それから――」
「…………」
レインが努めて明るく振る舞おうとしているのが分かって、グレイはますます自己嫌悪に胸が焼けるような感覚を覚えた。
「あ、そうだ! クロムやスノウも呼ぼうよ! みんなでお買い物! 絶対楽しいよ!」
「……講義はいいのか。皆勤賞だろ」
レインは座学においては学院一の救世主として名高かった。全ての講義で無遅刻無欠席無早退、授業態度も良好、試験では概ね上位を維持している、才色兼備の模範生である。
「優等生が講義サボって買い物なんて……俺なんかのために……」
「優等生なんかじゃないよ。それに、勉強より大事なことだってあるの」
レインは頬を膨らませ、半ば強引にグレイを学舎へ引っ張っていった。まずはスノウを探し当て誘うが、二人が並んでいるのを見るなり、ピューッと擬音のしそうな勢いで去っていった。
次いでレインはクロムを探そうと教室を練り歩いた。『俺といると反感を買うぞ』。そんなグレイの言葉に耳も貸さず、ひたすらに進んだ。
数分してクロムを見つけると、レインは彼を呼び止めた。
「クロム、このあと予定ある?」
「え? ……ああ、いや、何もない」
振り返ったクロムは一瞬、レインの姿を認めるなり顔を赤らめたが、すぐに冷めた表情となった。
「実はお買い物に行こうと思って。クロムも来ない? 三人なら荷物が多くなっても平気だし!」
「俺は荷物持ちかよ……」
グレイは嫌々といった様子ながらも、レインの期待した通りの反応をしてみせた。クロムはその光景を前に、しばらくの間うつむくと、やがて答えた。
「……いや、やっぱりダメだ。用事があるのを思い出した。すまないな。また今度、付き合うよ」
じゃ、と。クロムは言葉少なにどこかへ行ってしまった。レインは『あーあ』と残念そうに唸りながら、何か数えるように片手の指を折り始めた。
「ブルートは無理でしょ? アローも弓術学の講義だし、グロウはそもそもお買い物に興味なさそうだし……チルドは――」
頻りにぶつぶつ独り言を言うと、レインはふと、掌を拳でポンと叩いた。
「よし、グレイ。二人で行こう!」
「……嫌だ」
「ええ~、なんでよ~……」
「もう放っといてくれよ……」
グレイは突き放すように言った後、すぐさま後悔の念と自責の念とを同時に覚えた。八つ当たりをしたところでどうにもならないと分かっているつもりなのに、レインを傷つけてしまった。ただでさえ自分の弱さの被害に遭っている彼女を、これ以上、どう苦しませられようか。
グレイは、今スコラ学院で起こっている一連の騒動が、自分の人間的に醜い部分を露呈させているような気がした。強さとか、弱さとか、それ以前の性格の問題である。
「放っとかないよ」
しかし、レインは強気に言った。しっかりと、グレイの瞳を見据えて宣言したのだ。その眼光の優しい強さに、グレイは眩しさすら感じられた。
レインは複雑な表情のグレイの手を握った。
「行こう、グレイ」
グレイはその手を引かれるまま、レインと共に学院を出、ウルプスの街へ繰り出した。雑踏がこちらに厳しい視線を送ってくる。非難、憤怒、軽蔑、侮辱、排他――負の感情のみが込められた視線である。これが今まで、『世界の平和を守ってくれてありがとう』と、すれ違う度に笑顔で言ってくれた民衆の姿なのかと、グレイは既知の風景との差異に絶句した。
だが、レインは動じる様子もなく、微笑みながら街を歩いた。その気丈な素振りを羨ましくも妬ましく思いながら、グレイは彼女の行く道に従った。
しばらく町民の鋭い視線に堪え忍びつつ歩くと、やがてレインはある店の前で立ち止まった。
「ここ、私の行きつけなんだ」
レインは自慢げに言うと『オーナー?』と中に入りながら呼びかけた。すると奥から黒ひげの豊かな長身の男性が現れ、レインを見るや否やニッコリ笑った。
「レインちゃーん! また来てくれたのかい、ええ? ……おっと、そのガキンチョは一見だなあ。ひょっとして彼氏くんかい?」
「ちょっ……やだなあ、もー! そういうの、セクハラって言うんですよ?」
「あー、こりゃ失敬! あまりに仲が良さそうなもんで、ついね」
グレイが不快そうな顔をしているのを気にも留めず、男性はにっしっし、と笑いながら元いた部屋へ戻っていく。
「いつも通り、好きに見ていってくんな。入り用になったら呼んでくれや。レインちゃんなら割り引きサービス! ガキンチョは……三割の税込みだ」
言い放つと、男性は店の奥の方へ消えた。レインは苦笑しながらグレイを見た。
「いい人なんだけどね……なんなんだろ。分かんないや」
レインはグレイに店を案内した。ここは『何でも屋』を謳っているらしく、文字通り、一般的な品なら何でも取り揃えられている。剣や槍、銃や短剣、別のコーナーでは魔法の指南書などが陳列されている。魔法の種類も火炎系統、流水系統、電撃系統と、流通の盛んな代物ばかりだ。
隠密用の灰色のフード付きローブは、魔法装具にカテゴライズされており、ウィルが普段、身に纏っているような鎧・兜が置かれているコーナーの隅の方に掛けられていた。
グレイが気乗りしない様子なのを意にも介さず、レインはグレイにサイズを訊ね、『さあね』としらを切った彼に無理やり試着させた。目測で近しい丈の品を二、三着、グレイは着る羽目になった。結局、二着目の中くらいの丈のものが最も寸法が合った。
続いてキュアドリンクを買うことになった――グレイは自分がこの世界で初めて買い物をする事実に今更ながら気づき、レインや他の仲間たちへの罪の意識を、この時だけは忘れられた。戦いの日々で得た給料をどう使うか、それのみに意識を集約できたのだ。自分の金で、自分のものを買う。単純明快ながら、まるで自分が一人前の大人になったと錯覚させるような体験に、心が踊らんばかりだ。
キュアドリンクはいくつ買っても買い足りないというレインの言に倣い、グレイは不機嫌そうな態度をとることもなくなり、彼女と店内を回った。
「これ! これはオススメだよ」
レインはある商品の前で止まった。キュアドリンク・ホルダー――通常、ポケットに入れて持ち運んでいるキュアドリンクを、携行し易くし、取り出し易くする補助装備である。両側がベルトの帯のようになっており、中央には小瓶が入る隙間が5つある。ここにキュアドリンクを嵌め、任務の際に持ち込むというのだ。
「これは腰の後ろに巻きつけるのもいいんだけどね? 真骨頂は二個同時装備なの。後ろ腰の右側と左側に、ホルダーをそれぞれ一個ずつ付けたら、なんと10本ものキュアドリンクが持ち歩けるの! しかもこのホルダー、歩いたり走ったりの行動に支障をきたさないで、且つ多くのキュアドリンクを携帯する研究の末に開発された優れものなの! 最大限多く、動きの制限は最小限に、ってコンセプトが売りで、学院でも流行ってるんだよ」
レインの巧みな宣伝に乗せられ、グレイはホルダー二個の購入を決めた。キュアドリンクは、当分は困らない数だけ買い揃え、ローブを袋状にしてそこへ入れた。
「毎度!」
店主の男性に見送られ、グレイとレインは何でも屋を後にした。ローブの袋にぎっしりと入れられたキュアドリンクの小瓶が、カランカランと音を立てている。歩く度に鳴る小気味いい音が、グレイはなんだか楽しかった。レインも、その様子を嬉しそうに眺めている。
しかし、グレイは現実に引き戻されることとなる――外へ出、民衆の目に触れた途端、その険しい眼光に嫌でも射抜かれたのだ。
「何を笑っているんだい。あんなことがあった後で……」
「平和ボケしてヘラヘラ笑ってられるなんて、救世主も名ばかりだね」
「誰のせいで減給くらったと思ってるんだ……ったく」
「ママァ! 弱っちい救世主様だよ! キャハハ! 本当にいたんだね!」
一斉に、色々な言葉が浴びせられる。そのどれもが、救世主に対する怨み辛みを呪詛として吐き出したものだった。
グレイは白昼夢から覚めたような感覚に陥った――そうだ。何を暢気に買い物なんて楽しんでいるんだ。
忘れてはいけない。忘れてはいけない。弱い自分を。弱かった自分を。犯した罪を。自分の代わりに誰かが負った傷を。忘れては、いけない。
「気にしなくていいよ、グレイ……」
グレイの豹変ぶりに気づいたのか、レインは彼の肩に手を置いて言った。励ますようなその温もりを、しかしグレイは振り払った。肩にかけられたその手を、力ずくで振りほどいたのだ。
驚いたような、それでいて悲しげなレインの瞳を、グレイはいつぞやのように眼を逸らすことで見ないようにした。
「……どうして最初に教えてくれなかったんだ」
グレイは呟いた。レインを見ずに、一方的に。
「俺のせいで傷ついたって。苦しんだって。どうして言ってくれないんだよ……最初から知っていれば、こんな――少なくともこんなに悩むことなんてなかったんだ」
レインの瞳が潤んでいるであろうことを、グレイは分かっていた。分かっていて、あえて見ないでいるのだ。
「俺のせいでみんなが辛くて……俺はそれを知らずに、みんなに押しつけて……強くなるとか言って、守るとか言って、結局また守れてないじゃないか……俺が弱いのは変わらなくて、強くなっても結果は同じで……俺は何をやってたんだ――!」
グレイは眼を瞑った。分かっている。自分勝手な物言いだ。レインに対して言ったところで八つ当たり以外の何でもない、自己満足も甚だしい独白である。
弱い自分は嫌だと、大切なものを守れない自分は嫌だと、そう言って修行へ旅立った。強くなると言って、力を高めて帰ってきた。しかしその間、弱い頃の自分の罪が、弱いという罪が、自分が不在の間中、他者を蝕んでいた。仲間を苛んでいた。
今の自分が強かろうと、過去の弱い自分がいなくなることはない。その時代の業は、時の流れと共に現在に現れる。
だから。
「俺がいない間に散々酷い目に遭ったんだって……俺がいないせいでたくさんの人が苦しんだって……言えばいいじゃないか……こんな後になって……教えられたって……知らなかった頃の俺は……どうなるんだよ……」
どうしようもないくらいだった。グレイは優しい人間だった。自分の弱さによって悪いことが起きた。それを改善しようと、今度は強くなろうとした。だが強くなろうとしたことによって、更なる悪いことが起きた。そしてそれは、自分を除く他者を襲った。
これまでの自分の行い、その全てが裏目に出ている。仲間内で抗争が起きている。それは自分が弱かったせいであるのと同等に、自分が強くなろうとしたせいである。
紛れもない真実――強くなれない、弱いままでもあってはならない。そんな自分は、では一体、どうすればいいのだ。
「――強くなったんでしょ?」
レインが言った。長い沈黙を破り、喉を震わせて。
「じゃあ、大丈夫だよ。ピンチだって乗り越えられる。逆境だって跳ね除けちゃう。そういう意味で強くなったんでしょ? グレイの求めた強さは、そういうことでしょ?」
「……ああ」
レインの無垢な問いに、グレイは実直に答えていく。
「ピンチはチャンスだよ。逆境もチャンスだよ。たしかに私たち、評判は悪いかもしれない。ちょっと前まで世界中で賞賛されていたけれど、今は世界中で批判されているかもしれない……」
レインは胸の前で、祈るように手を組んだ。
「……だから、この状況を良くしようよ。クラウドを捕まえて、クラウズの侵攻も阻止して、次に大きな成果が挙げられたら、どれだけ苦境に陥っても――どれだけ多くの人から嫌われても、それでも立ち向かって、戦い続けて、そうして勝利を手にしたら、それは世界の希望になれるよね」
民衆が作ったピンチを、救世主のチャンスに変えてみせよう。世間の荒波が生んだ逆境を、希望が返り咲く舞台にしよう。
今のグレイなら、それが出来るんだよ――レインはグレイの両手を握り、重ね合わせた。
「だって、私たち……救世主なんだから」
単純なことだった。自分のせいで生まれたのが現状なら、それを打開することこそ、自分の使命なのだ。悔やむなら進め。嘆くなら戦え。弱いままが嫌なら、勝て――それだけの話だった。前途多難だろうと、その先で救世主が真に世界の希望となる日が来るなら、大切なものを守れる強さを身につけたと、胸を張って言えるだろう。
レインの瞳では、愛が輝いていた。グレイは思い出した。その光に、自分が幾度も救われていたことを。
~4~
レインの誘いを断ったクロムは、スタジアムで授業の後片付けをしているところの銃術学講師を訪ねていた。
「……空間魔法は使わないんですか?」
手作業で救世主たちに撃ち抜かれた的の残骸を拾い集める彼女に、クロムは背後から声をかけた。講師は両手にボウリングのピンに似たターゲットの破片を抱え、振り返った。
「うむ。たまには自力で労働してみたくもなるものだよ。便利な方法にばかり頼っていては、腕が
講師は少し離れたところに置かれた、的の残骸の入れられている籠へ向かう。クロムは黙って、それに着いていった。
「……で、何の用なんだ?」
講師は両手に抱えた破片を籠の中へ放ると言った。
「何の用事もなしに私を訪ねるお前じゃないだろう」
心を見透かしているような彼女の言に、クロムは僅かに眉をひそめた。その様子を見た講師が、何やら笑みを浮かべた刹那を、クロムは捉えた。
怪訝そうな顔をしながら、クロムは苛立たしげに溜め息を吐くと話し始めた。
「――空間魔法を伝授してほしい」
講師は驚いたように眼を見開いたが、すぐに元の冷淡な表情に戻った。
「また急だな。お前のことだから、検討しておくと言っておいて学ぶつもりなど毛頭ないのかと思っていたぞ」
意外だ、と籠を持ち上げながら言う講師。スタジアムの倉庫の方へ歩き出した彼女の後を、クロムは微かに表情を曇らせ、またそれを隠すように顔を伏せて追った。
「……アンタ、俺の能力が優れてるって言ってたよな。空間魔法を使いこなせれば、銃手の短所を補えると」
「ああ、確かに言った――どうした? 補いたい短所を見出だしたか?」
「…………」
クロムは思い出していた。あのクラウド――分身魔法で自分たちを翻弄し、窮地に追い詰めた男。だが実際、あの男に負けるはずはなかったのである。分身魔法の数の暴力でこそ苦戦を強いられたが、分身一体一体の実力は高くなく、あの物量差がなければ自分一人でも容易く勝利できた。
しかしクラウドは厄介だ。元来、自らの魂に宿る能力と別に、かつてクラウズであった頃に殺した人間の魂を喰らうことで得た能力も有している。奴の本来の能力『オーラカッター』のみならまだしも、殺した人間次第で、その戦闘能力が飛躍的に増強されることも有り得るのだ。今回の分身魔法のケースが、まさしくその例だ。
ここで浮き彫りとなったのが、銃という武器の欠点である。クロムは、以前に彼女から指南されたそれを、この件で実感することとなったのだった。
「……俺が空間魔法を習得していれば、あの分身を逃がすこともなかった。あんな事態にはならなかったんだ……」
「……それだけ、じゃないんだろう?」
倉庫の一角に籠を置くと、講師は腕を組んで言った。クロムはハッと、足下から彼女に視線を移す。その心の内側をも見通すような瞳に、クロムは思わず怯んだ。
「色々と思うことはあるようだが――修行から帰ってきた親友の力を見て、焦っている。これが最たる理由かい?」
「……うるさい」
クロムは顔をしかめた。図星を指された憤りが、彼の胸中で煮えるようだった。
「んー……あとは嫉妬も見てとれるかな。なんだろう。より大きな力を得たことに対する妬みかい? 一身上の都合で救世主の使命を蔑ろにし、学院の外へ旅立ったことへの嫉みかい? それとも、他に何か恨めしいことがあるのかな。あるいはそうだな、羨ましいことが――」
「黙れ!」
クロムは怒鳴っていた。辛うじて銃
モノ
を出現させたい衝動を堪えているが、その胸の黒点が今にも噴火しそうで、自分でも危うい気がされた。
「分かった風な口を利くな! アンタが俺の何を知ってるんだ! ……いや、俺がどんな思いを抱えていようと、アンタには関係ないだろ!」
「……それが銃でなく、人の欠点だよ」
クロムの怒声を受け、講師は静かに言った。
「不定形な感情を持つ人間の、それが短所ということだ。どれだけ精巧な武器だろうと、どれだけ綿密な戦術だろうと、それを扱う人に誤作動が生じれば、全ては何の意味もなくなってしまう。嫉妬を孕んだ銃口も、怨恨を乗せた弾丸も、命を奪うにはあまりに相応しくない」
講師はクロムの胸の中心を指で突いた。言葉を、しかと彼に刻み込むように。魂に、言い聞かせるように。
「お前は頭に血が上りやすい。怒りで我を忘れがちだ。これまでも、今日だって、お前は気がつくと怒りに震えている。怒りの抑制が出来ていない。油断すれば、お前が殺しに使ってきた銃弾が、いつかお前の心臓を貫くぞ――そんな生半可な使い手に、空間魔法は扱えない」
顔を真っ赤にしながら、しかしクロムは心のどこかで納得していた。現に今、まさに彼女に対する怒りで拳を握り締めている。抑えが利かない。彼女の言葉通りとなることは不本意だが、平静を取り戻すことは困難だ。意識したところで、感情の昂揚が止められない。
「……けれど、やはりお前には類稀な戦いの素質がある。救世主の称号に恥じない才覚の持ち主だ。今後、自己の抑制に研鑽を積めば、空間魔法を絡めた銃撃により戦闘の幅は格段に広がるだろう。だが、それにはお前は親友と同様、自分との戦いに打ち勝たなければならない。怒りを鎮める修行を怠れば、その行く末は自らの凶弾だ――いかなる時も、その魂に宿る怒りの硝煙に自我を明け渡さないと誓えるか?」
クロムは少し間を置いて、それから頷いた――まるで彼女に対する服従と忠誠を確約したような振る舞いは不本意だったが、熟練の銃手の技術を盗み、自らのものとする魂胆を思えば、まだ内側の芯で燃え盛る怒りの炎は鎮められるようだった。
「……いいぞいいぞ、若者め。盗め盗め。嫌いな相手に媚びへつらえ。ちょっと気に入らなくても、頭を下げて歳上を敬え。それが賢い社会の渡り方だ」
どうやら見透かされたようだ――クロムは舌打ちをしてから、からかうように笑む講師の背中を追い、倉庫を出た。
「……お前、もう既に怒ってる自覚はあるんだろうな?」
講師はしかめ面のクロムを振り返ると、やれやれと頭を振った。
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