第二章 It's A Wonderful World

TWIN BLADES

~1~


 昼下がりのスコラ学院。クロムは階段を上っていた。つい先頃、院内放送で四階の会議室へ赴くよう、他の何名かの救世主と共に召集がかけられたのだ。

 他の面々は既に集合しているのだろうか、廊下では誰ともすれ違わなかった。四階は基本的に講義には使用されないので、人の気配の皆無な様子を見ると、その推測は的を射ているように思われた。

 クロムはある一室で立ち止まり、扉を三度ノックした。内側から聞き慣れた声に『入れ』と許可されると、『失礼します』と断りを入れてから扉を開ける。

 そこにはレインをはじめ、スノウ、ヘイル、スリート、ブルート、ネルシス、チルド、グロウら――グレイを除く第2中隊D小隊α分隊の総員が、各々ふくらはぎの半ばまで届くほどの長さのマントを羽織って集結していた。マントの色は一人一人が異なり、レインは桃、スノウは青緑、ヘイルは黄緑、スリートは水色、ブルートは黄、ネルシスは深緑、チルドは橙、グロウは紫、そしてクロムはあおといった具合だ。

 彼ら彼女らの向く方には、長大なテーブルを挟んで隊長のウィルが、何やら書かれているボードの前に立っていた。


「全員揃ったな。では、これよりミッション・ブリーフィングを始める」


 ウィルの一声に、九人は面持ちを一層険しくした。


「以前から南方のラーミナの町で通報が多数あった、謎の男の不審な行動について、正規軍は詳細な調査を進めていた。現地の偵察兵が得た情報によると、男は何年も前から買い手のつかない廃屋に無許可で居住しているらしい。そこを拠点にし、内部で何やら行っているようだ。

 町民からは、その廃屋を起点にして発生していると思しき地鳴りや、廃屋の付近から昼夜を問わず突発的に聞こえる快音などの証言がされている。男の目撃者は少なかったが、その内の一人から『男は赤い眼をしていた』との有力な情報が得られ、この件を入念に調査する必要性を感じた現地の正規軍が、男と男の住居を偵察することを決定した。

 そして先日、様々な調査結果を総合し、男が【クラウド】である可能性が極めて高いとの結論が出され、救世軍に任務の依頼が寄せられた。支援部隊作戦科はこれを正式に受理、第1中隊D小隊α分隊の諸君が本件を預かることとなった。

 任務はラーミナの町へ赴き、男を逮捕することだ。抵抗するなら制圧特権を行使して構わないが……知っての通り、出来れば生け捕りにしたいところだ。だが当然、対象から危険を感じたら容赦なく殺害しろ。政情よりも何よりも、最優先は人命だ。町民に被害が及ぶような事は、くれぐれも避けるように。

 ラーミナの町には正規軍の軍事拠点がないので、ヴァントで最寄りの街の拠点へ転移し、そこからは徒歩で目的地へ向かうように。町の地図はヴァントを抜けた先で担当者から受け取ってくれ。

 俺からは以上だ。何か質問はあるか?」


 するとレインが素早く手を挙げた。ウィルに『なんだ?』と認められると、レインは言った。


「あの……グレイは、どうするんですか?」


 それは全員が懸念していたことなのか、彼女を除く八人も、ウィルの返答を待ちわび、半歩ほど進み出た。特にクロムは、自分が生唾を飲み込むのが妙に大きく聞こえた。

 ウィルはそんな九人に、難しい表情をして言った。兜で素顔は隠されているが、彼が悩ましげに顔をしかめたのは分かった。


「グレイに関する情報は何もない。前も言っただろう。相互の連絡は禁じられている。無闇に連絡を取り合い、グレイに雑念が生じてしまったら、修行に支障が出る。これは互いのためなんだ――グレイのことは気にするな」


 そんな、無情とも言える返答を受け、レインは『分かりました……』と力なく言った。クロムも、納得のいかない返答に憤りを覚えたが、他の八人が皆、自分と似たような心境ながらも堪えていることが、表情を見て瞬時に分かった。

 ここにいる誰もが苦しいのだ。グレイは自分の問題と向き合うために旅立った――あれから数週間、何の音沙汰もない。ウィルが言ったように、外界と連絡を取り合えば修行が滞ってしまうと、グレイを連れ立った二人は主張しているらしい。

 ウィルも、本当はグレイの近況を知りたいはずだ。修行は順調か、病気になっていないか、ちゃんと眠れているのか。二人のプロフェッショナルの元で行われている修行である故、それは杞憂なのだろうが。それでも、ウィルはグレイの親代わりと言っても過言ではない。父のような、兄のような、そんな心境で常にグレイを見守ってきたはずだ。自分だって辛いが、ウィルはそれ以上に辛いはずだ。親友と親類なら、やはりどうあっても親類の方が気にかけるものだろう。

 レインこそ、特に辛い立場だ。グレイはレインと共に戦った直後に修行を始めたのだ。ウィルは修行に向かう直前にグレイと話す機会があったようだが、その際どのような会話がされたのかは頑として明かさなかった。真実がどうあれ、レインは少なからず自分のせいでグレイがいなくなってしまったと思っている。そして真実は、残念ながらその通りなのだろう。

 親友であるクロムは知っていた。グレイは優しい人間だ。目の前で幼馴染みが死にかけたら、自責の念に押し潰されてしまうような。しかも、グレイは救世主になってからというもの、誰かを守るという信念を強く持っていると、彼自身の口から何度か聞いたこともある。

 優しくて、守りたがる――そんな人間が、戦って敗北し、大切な人物の危機を目の当たりにしてしまったら、どうなってしまうだろう。考える度、クロムはグレイが修行に臨んだ心構えを想像しては、自分のことのように胸が痛んだ。


「――では、任務を開始してくれ」


 ウィルは、九人に出発を促すように言った。それに敢えて反抗する者はおらず、落ち込んだ様子で項垂れるレインを先頭に、一同はウィルを残して部屋を出た。

 一人が欠けたままの第1中隊D小隊α分隊――別離した仲間を思い、九人はヴァントへ向かう道中は黙しているばかりだった。廊下を渡り、階段を降り、学舎の正面玄関を出ても、救世主たちが講義を受けている最中ということも相まって、今日は講師の声がやけに通るように感じられた。

 噴水広場に差しかかったところで、九人は一先ず、外出用のローブを寮から取ってきて、再び集った。地味な灰色のフード付きローブは各人のくるぶしまで覆い隠し、各々の異なる色のマントは当然、端からは視認できない。


「いよぉし! 今日もいい天気だなあ、まったく! これは悪党を成敗するには絶好の日和だぜ! こういう快晴の空の下では、俺の正義がいつにも増して高鳴るってものだ! あの太陽の如く! いつまでも輝ける俺でありたいと切に願っているぞ!」


 声高に吼えるヘイルの声音が、学院に木霊した。しばらくは、やはり黙したままの一行ではあったが、やがてスリートが『……そうですね』と言って、陽光の反射する眼鏡をくいっと上げる仕草をしてみせた。


「心配するより、僕たちは信頼しなければなりません。グレイさんは前進すべく、一時的に僕たちと道を違

たが

ったに過ぎません。彼を待つ側の僕たちが歩を止めてしまっては、グレイさんも帰るに帰れないというものです。僕たちは視線の先に、常に希望と未来を見据えるべきでしょう」


 僕たちは救世主なのですから、と。スリートはぎこちない挙動ながらも大股で歩き始めた。ヘイルも、そんな彼の後ろ姿をニカッと笑んで追った。


「ねー? グレイ、まだ帰ってこないの?」

「こないよ~。ベソかいても帰ってこないものは帰ってこないんだから、帰ってこない内はヘラヘラ笑っておこ~。で、帰ってきたらニコニコ笑お~」


 不安げな表情のチルドの背を押し、グロウもやや早足気味にヴァントへ向かっていく。そうして間もなく、ブルートも『しょうがないんだから』と言いながら、四人の後に続く。


「浮かない顔してんな。美人が台無しだぜ」


 ネルシスが気取ったウィンクをレインに送りながら、噴水の元を離れていく。広場の中央に残されたのは、レイン、クロム、スノウの三人のみとなった。

 その刹那、ネルシスの一挙一動に理由もなく尋常でない憤りや苛立ちといった腸が煮えくり返らんばかりの激情を抱いたクロムであったが、よくよく冷静になって、確かに女性の落ち込んだ様子を好機と見て口説き落とそうという下賤な試みも垣間見えたが、その実は彼女を案じ元気づけようとしての言動だったのではないかという好意的な解釈をしてみれば、なるほど彼もただの傍若無人な女好きではなく、先のような粋な計らいも時と場合によりけりではあるものの実行不可能というわけではない隠れジェントルメンなのだなと、そう得心することで自らの焦心を鎮めた。


「……みんなの言う通りだ。グレイは今、自分自身と戦ってる。俺たちも、後ろばかり見てちゃ駄目なんだ」


 クロムの言葉に、傍らでスノウがうんうんと頷いた。レインはそんな二人を見て、それから先行する六人を見た。みんな、前を向いている。前向きに、未来を見つめている。そんな彼らと同じように、グレイもまた、新たな自分を――何かを克服した自分を見据え、鍛練しに旅立ったのだ。

 これじゃあ、どの面構えでだって、ろくに『おかえり』も言えないや。


「……うん!」


 力強く答えて、レインは微笑んだ。二人の手を取り、足早に六人の後を追う。道は違えど、辿り着く場所は同じだった。帰る場所は、ここだった。なら、旅立ちだって、みんな一緒だ。

 九人の救世主は新たな任務を開始した。


~2~


 某所――グレイは洞窟から出、木々の間から射し込む陽の光に当たると、思わず眼を瞑った。


「ふぉふぉふぉ……羨ましいのぅ、小僧が」


 そんな彼を見ると、グラディエラが言った。足場の悪い洞窟内を、盲目ながら自力で這い上がってきた老人からは、どこか卓越した感覚神経の類いが窺える。


「眩しいとか、儂、かれこれ二十年は思って口に出したことないわい。ジョークで言ったことはあるがの」


 グラディエラは杖をつきながら、両目を覆う黒い布の下から、実は外界を見つめているのではと、彼と出会った当初なら誰もが勘繰るであろう足取りでグレイの元へ歩いてくる。


「グレイ……よくここまで耐えたな」


 快活に笑う老人の背後、洞窟の暗闇から現れたマタドレイクが言う。それから師の横を通り過ぎ、グレイの肩を力強くも優しく叩くと、周囲の森林を見回した。


「どうだ、世界は。この荘厳にして神聖たる物質空間は。お前の恐れが曇らせていたその眼

まなこ

には、今なら映るだろう――真に守るべきものが」

「……はい」


 グレイはマタドレイクの背中に答えた。その曇りなき瞳の深奥には、確かな光が宿っている。


「じゃが、よいか。学院を去る前にも言ったが、恐れを完全に払拭するすべはない。人は皆、誕生の瞬間から没する瞬間まで、常に恐れの片鱗を魂に抱えたまま命を遣うことを余儀なくされるものじゃ。恐れだけではない。喜びがあれば、その裏には悲しみがあり。幸せがあれば、そこに嫉妬の影が暗躍する。生きていく中で、感情に運命を支配されぬよう耐性を獲得するしかないのじゃ。衝動に駆られ、情動に流され、我を失うことのなきよう心がけよ――親しい者に迫る危機。己の無力の痛感。お主は大切な者が関わった時が、特に気をつけねばならぬ。その魂には喪失への恐怖ではなく、仲間と今を共に生きている幸福を、片時も忘れず刻んでおくことじゃ」

「心得ています」


 グレイは晴天を見上げた。ここ数週間に渡る修行の末、自分の心身が鍛え上げられた――やっと、みんなの元へ帰ってこれる。仲間たちと再び見

まみ

えるその時が待ち遠しくて仕方なかった。


「よろしい……では、早速この森林を抜け出すとするかの。弟子よ、もう手筈は整っておるのかね?」

「はい。まずは最寄りの町の正規軍拠点を訪ねます。そこから上層部に問い合わせ、ヴァント使用の許可を得、我々は一度スコラ学院を経由して騎士団本部へ帰還します」

「よろしいよろしい。ならば、この三人での旅路も、いよいよもって終局が間近のようじゃな」


 グラディエラは二人の弟子を交互に見た――光を捉えることの叶わない瞳で、じっと見つめた。グレイもそれに応え、自らを鍛えてくれた恩師に敬愛の眼差しを送る。


「――さて、そろそろ出発するかのぅ」


 言うと、グラディエラは杖を突いて歩き始めた。マタドレイクと、グレイも彼に続き森林を進んでいく。

 仄暗い森を抜け、更に広大な平原を横断し、グレイたちは数時間かけて最寄りの町に辿り着いた。そして休むことなく、その足で町の正規軍の軍事拠点へ赴いた。


「ようこそ、ヴィッツヴァーン様、ポンデマカルシュ様――おや、付き人もご一緒で」

「おい。俺は付き人なんかじゃない」


 グレイは少しカッとなって言い返した。だがすぐにマタドレイクに脇腹を小突かれた。


「私と師匠に技術を教わったからといって、お前は特別になったわけではないのだぞ。端からすればお前は無名だし、この状況じゃそう思われても仕方あるまい」

「分かってます……でも俺は仮にも救世主だ。そんじょそこらの雑用係と一括りにされたくはありません」

「口の効き方に気をつけるんだ、グレイ――少々傲慢が過ぎるぞ」

「傲慢だなんて……そんな、俺は――」


 尚も反論しようとするグレイを、グラディエラが杖でもって制した。


「ふぉふぉふぉ……若気の至りというものじゃな。青い青い……」


 からかうように言われ、グレイは顔を真っ赤にした。己の悪態を自覚したと同時に恥ずかしくなったのだ。グレイは、それから案内人の兵に頭を下げた。


「……ご無礼をお許しください」

「い、いえ! そんな無礼だなんて……私も救世主様とは露知らず、とんでもない失言を――申し訳ありません!」


 兵も頭を下げようとしたところをグラディエラは片手で制し、『スコラ学院へ向かいたいんじゃが、ヴァントとの連結門はどこかね?』と問うた。兵は『は、はい。こちらです』とグレイたちを先導しながら、慌てて額に手を当て、何やら呟いた――それが通信魔法による別所への連絡であることは、グレイにはすぐに分かった。


「――救世主様! 現在、救世主様のご同胞が作戦行動中とのことです」

「え……クロムたちが?」

「救世主様にも参加していただきたいと、学院のウィル・ミン・ヴォルンテス軍曹が仰られていると。つきましては、学院に到着して直ちに任務の概略を聞き、すぐに出発となるご予定とのことです」

「――分かりました。急ぎましょう!」


 グレイたちはやや駆け足になって兵に着いていった。兵は広大な格納庫に入ると、その隅の方へ走った。その先には、何やら鉄製の巨大な門の縁のような物体が堂々と佇んでいる。三人は、それをスコラ学院のヴァントに繋がる装置と認め、物資の詰まった正規軍の荷を避けつつ、兵を追った。


「しばらくお待ちを」


 門の前で立ち止まると、兵は三人に言った。門はまだ開かれておらず、その縁や出入り口にあたる場所で作業をする兵が、数人いる。

 十数秒経つと、門の空洞に透明な膜が形成された。その形状はヴァントのものとよく似通っている。グレイは早速、スコラ学院へと続く門の前に立った。


「ありがとうございます!」


 グレイは自分たちに施設を案内してくれた兵と、門の整備をしていた数人に礼を言うと、揺らめく透明な膜をすり抜けていった。


「――まだまだ若いのぅ、あの少年は」

「ええ。戦士としては未熟ですな……」


 消えゆくグレイの背中を見つめ、グラディエラとマタドレイクは言った。やがて二人も歩き出し、門の中へ入っていった。

 久方ぶりに、我が家とも言えるスコラ学院に帰ってきたグレイだったが、感傷に浸る間もなく、旧知の人物が向かってくるのを見、面持ちと気を引き締めることとなった。


「――戻ってきたか」


 いつもの黒い鎧を纏ったウィルが、正門で出迎えた。彼は右腕にはあかのマントを、左腕には地味な灰色のローブを掛けている。


「隊長――みんなが任務に就いているとお聞きしましたが?」


 グレイははやるのを抑えながら訊ねた。ウィルは彼に頷くと、状況を説明した。


「ある町にクラウド――メシアと同質の存在が潜伏しているとの報告を現地正規軍より受け、我々【救世軍】は本件を受理した。任務に抜擢されたのが、諸君ら第2中隊D小隊α分隊ということだ」

「救世軍?救世主部隊でしょう? 組織の名称が変わったんですか?」

「お前が旅立ってからのことは、また帰ってきた後でゆっくり話してやる……だが今は急を要する。レインたち九人に連絡を取っているが、応答がない。対象が潜伏していると思われる住居への突入を開始すると通信が入ってから、いくら呼びかけても返事がないんだ」

「レインたちに何かあったんですか!?」

「分からない。生命反応は確認されているから、おそらくは応答できない状況下にあるのだろう――いずれにせよ、グレイ。お前には早急に任務に参加してもらう」

「はい」

「この任務は対象のクラウドの捕獲が目的となる。可能であるなら生け捕りにしろ。敵の情報を聴き出すためには生かしておくことが必要だ」

「生け捕り!?」


 グレイは思わず叫んでいた。メシアと対決し、その脅威を知っている彼には、危険分子を殺さず連れ帰るリスクは重視された。


「そんな悠長なことを言ってる場合ですか!? 仲間が危険に晒されてるかもしれないのに!」

「お主こそ悠長なことを言っておる場合かの?」


 背後の声に振り返ると、ヴァントの前にグラディエラとマタドレイクがいた。二人とも門を通ったのだ。


「仲間が危機に瀕しているかもしれぬ。そんな中で上層部の意向に反発するお主ではなかろうて。これまでの修行は、仲間を守る信念の下に励んでいたものと思っておったが、それは儂の誤解じゃったのか?」

「いいえ。ですが――」

「焦るでないわ、小僧。今のお主なら、殺さずとも仲間を守れる。枷をめたまま戦うことも容易じゃろう。自らが身につけた力を誰よりも理解しておるのは、他でもないお主のはずじゃ」


 グラディエラは言いながら、杖をグレイの胸元に突きつけた。グレイはその先端を見つめると、光を失った老人のまなこを直視し、やがて頷いた。


「――隊長。俺、行きます。敵を捕縛して、みんなと無事に帰ってきます」


 グレイは振り返って言った。相槌を打つと、ウィルは『これを着ていけ』と、朱のマントと灰色のローブとを寄越した。


「そのマントは救世主の証であると同時に、支援部隊作戦科が諸君の体調を常に把握するためのものだ。これがあれば行方を探し、生死も確認できる。以後は作戦時に限らず、このマントは常に着用していろ。

 ローブの方は、基本的に院外へ外出する際に纏うものだ。救世主の証たるマントを隠すことで、諸君の望まぬ注意関心を周囲に持たれないようにするのが目的だ。また、ローブには他者からの認識を鈍くする魔法が施されている。だから今回のように、対象に事前に勘づかれることを避けたい任務の場合、重宝するだろう。九人は全員、この任務に際して同じローブを着ているはずだ。こちらからの作戦指示の他、それを目印に合流してくれ。

 九人はまだ生存しており、また通信を絶ってからはほぼ同じ地点に残留している。心拍数などから鑑みて敵と交戦中と予想される。位置情報は通信魔法で報せるから、一刻も早く合流しろ」

「了解」


 グレイは朱のマントを纏った。ふくらはぎの中ほどまで届く、長いマントである。マントの端は、グレイが肩に掛けると独りでに服と結合した。これも魔法の一種なのかもしれない。マントを着ると、なんだか本格的にヒーローめいた衣装となるので、誇らしくも恥ずかしい、妙な心境となった。

 次いで灰色のローブを羽織る。これは服と結合する効果は有しておらず、身体の前までしっかり覆うことで、全身に地味な印象を持たせるらしい。これは地味と言われれば地味だが、集団でこんな格好をしたら返って目立つ気さえした。しかし、このローブにも他者の認識に働きかける魔法が付与されているようなので、まあ問題ないのだろう。丈は踝辺りまでしっかり覆い隠すほど長いが、絶妙な加減で歩行には支障が出ないようになっている。

 準備を整え正門の前に立つと、ヴァントは一度閉じてから、間もなく再び彼らの眼前に現れた。


「――グレイ」


 一歩を進み出さんと決心を固めたところで、グラディエラが呼び止めた。


「よいか……儂や弟子が口を酸っぱくして言い聞かせたことを、ゆめゆめ忘れるでないぞ。そこには常に、お主が危惧した負の側面が忍び寄っておる」

「分かっています」


 グレイは答えると――今度こそ――ヴァントの中へ入っていった。ウィルはその後ろ姿を、ただ見つめているばかりだった。


「αD2、任務を開始」


 間もなく、グレイの声が通信魔法を介して聞こえた。ウィルはグレイの修行に携わった二人に礼を言うと、自らもグレイの作戦行動を正確に指示すべく、支援部隊作戦科へ合流しに向かった。


「――では、参りましょうか、師匠」

「そうじゃな……若者の未来に、今は期待を寄せていようかの」


 残された二人はそんな言葉を交わすと、また閉じ、そして三度みたび開かれたヴァントの向こうへ消えていった。


~3~


 九人はヴァントを抜けると、ラーミナの町の最寄りの軍事基地にいた。そこには一人の兵が待っており、すぐさま到着した救世主たちに『お待ちしておりました』と歩み寄った。


「そちらの指揮隊長さんから任務の概要は伺っております。これがラーミナの町の地図になります。印の場所が対象の居住地です」


 兵は近くにいたクロムに、折り畳まれた紙を手渡した。広げてみると、一メートル四方はあろう巨大な町の見取り図の一ヶ所に、赤い×バツ印が記されているのが確認できた。


「この施設を出てずっと東に向かったところが、ラーミナの町になります。対象に気づかれないよう、町までは徒歩で移動してください。ラーミナは田舎なので、町の規模で言えば小さい方です。対象の居住地も荒廃が進んでいるので、迷うことはないと思いますが」

「了解しました。ありがとうございます」


 レインは頭を下げると、拠点の出口の方へ向いて『行こう』と号令をかけた。八人はそれに従って歩き出した。

 九人は拠点を出、人の行き来が盛んな街道を進んだ。フードをかぶり、全身が灰一色の一団が往来を行く光景は甚だ異様だが、しかし人々は気にも留めずに九人を通り過ぎていく。姿は見えているようで、ぶつかりそうになれば避け、期せずして接触すれば軽く頭を下げるが、それ以上の関心は持たれない。こうなると、九人は周囲から自分たちがどう見えるのか疑問に思った。

 奇妙な違和感を胸中に秘めながらも、九人は地図を片手に先導するクロムに追従し、やがて街と町との境を示す標識のある道に行き着いた。

 クロムは一度立ち止まって、道の脇に設置されている立て札を見る。九人が来た方を指す矢印には『グラナトゥムがい』、彼らの進行方向に伸びる矢印には『ラーミナの町』と書かれている。クロムが振り返って『行くぞ』と呟くと、八人は頷き、再び一行は歩き始めた。

 しばらく進んでいると、なるほど規模が小さい町と言われるのも納得できる具合に人通りが少なくなっていった。先ほどまではガヤガヤしていた雑踏も、今はボチボチと言ったところだ。

 地図を頼りに、標的の所在地への最短経路を選んで道を行くと、目立たない路地裏のような道が連続し、いよいよ人っ子一人たまに見るくらいになって、閑散とした雰囲気が漂ってくる。

 やがて一行は、とあるT字路に差し掛かった。T字路の行き止まりに当たる場所に、外壁の塗装が剥がれ落ち、出入りの門の形が歪み、見るからに手入れのされていない庭の雑草やらが住宅に絡まりついて一種の装飾の如く侵入している、あからさまに廃屋といった様相の一軒が、ぽつんとあった。

 クロムは視線を落とし、今一度、自らの現在位置と印の場所とを照らし合わせる。確認するまでもないことであろうとは薄々察していたが、それでも念のためという思慮でもって行った照合は、しかし終えたところでやはり無意味だったのかもしれない。

 座標は、完全に一致した。


「ここだ」


 クロムは背後の八人に伝えた。九人は面持ちを一層険しくし、まずは周囲に町民がいないことを確かめる。今のところ、他者の気配はない。

 安全と判断したところで、一行は臨戦態勢に移行した。クロムは二丁の拳銃モノを、レインは魔弓ニアを、スノウはチェーンウィップを、ヘイルはトリプルスピアを、スリートはリコイルトンファーを、それぞれ出現させる。武具を扱う能力を持たない五人は、臨戦態勢といっても先ほどまでとの変化は視認できないが、しかしいつでも自身の魔法を繰り出せる準備は既に完了していた。

 クロムは地図をしまうと八人を振り返った。


「この家には出入り口が三ヶ所ある。一階の玄関と裏口、そして階段を上って二階のドアだ。ここは三組に分かれて、それぞれの出入り口を固めた方がいい」

「よし分かった。俺とブルート、グロウ、レイン、チルド、スノウの六人が裏口に回る。お前ら三人は二手に分かれて――」

「くたばれ」


 ネルシスの言葉を遮り、クロムは吐き捨てるように言った。


「まず、ネルシスさんとグロウさん、それからチルドさんは同じ組にならない方がいいでしょう。三つの出口、それとそこの交差点の三方は、敵の逃走経路となる可能性があります。三人の魔法は道を塞ぐことも出来るでしょうから、一人一ヶ所、それぞれ担当を決めていた方が確実性が増すでしょう」

「それと、私とクロムとブルートも別々になった方がいいかも。飛行能力とかあったら、遠距離攻撃に対応してる私やクロムが止めなくちゃだし、ブルートも変身して追跡できるでしょ?」


 スリートの提案に相槌を打ち、レインが言った。二人の言を受けて、クロムは一瞬、やや苦々しげともとれる表情をしたが、間もなく『そうだな』と賛同した。他の面々も (ネルシス以外は) 反論はない様子だ。

 魔法による逃走経路の遮断、そして標的の飛行を想定しての遠距離攻撃が可能なメンバーの離散案を軸とし、全員の持ち場が決定された。

 ブルート、チルド、ヘイルが玄関口。レイン、グロウ、スノウが一階裏口。そしてクロム、ネルシス、スリートが二階という配置である。二階の方は、階段や上りきったところの足場の腐敗が酷く、今にも崩れてしまいそうな不安を三人は覚えた。

 各々が突入態勢を整えると、玄関口で待機しているブルートに、通信魔法を用いてその旨を伝える。八人全員からゴーサインを受け取ると、ブルートは小さなネズミに変身した。まずは彼女が廃屋内を偵察し、状況を確認した後で全員が一斉に突入する作戦だ。


「隊長。こちらブルートです」

『なんだ?』


 ウィルはすぐに呼びかけに応じた。


「これから対象の潜伏先に突入します」

『了解。こちらも全力でサポートしよう』


 ブルートは通信を終えると、腐りかけの木の扉の端の、小さな穴から廃屋の内部へ侵入した。

 すると、扉のすぐ間際の廊下で、少し腹が出ている、ニット帽を被ったカバ面の男が椅子に座っているのに出くわした。悲鳴をあげかけたが堪え、落ち着いて見ると男が居眠りしているものと分かったので、ブルートは一先ず安堵する。

 こいつが対象のクラウドか――ブルートは男を一瞥すると、その様子を窺い、一瞬だけ変身を解除し、俊敏な動きながらも無音を心がけ扉の錠を開けた。そして瞬時に元のネズミの姿に戻り、男を振り返った。気づいている様子は皆無だ。

 ブルートはヒゲの生えた顔でニヤリと笑うと、さながら忍の如き静寂を保った疾走でもって廊下を渡った。次いで裏口の戸を確保するのだ。

 途中、台所に差し掛かったところで、ブルートは足を止めた。卓の上に食事を終えた後の皿が乗っているが、その数が確実に一人分のものではないことに気がついたのだ。

 報告にはなかったが、複数犯なのか――ブルートは警戒を強め、引き続き裏口へ向かうこととした。外で待機している間に裏口の位置は把握していたので、室内でも概ねどこに裏口があるのかは見当がつき、すぐに目標の扉を発見した。

 だが、ブルートは同時に驚愕することとなる。扉の真ん前で、いい大人が幼児のようにままごとでもしているのか、嬉々として二体の人形を相手に独り言を発している光景に出くわしたのだ。

 これはこれで衝撃的現実ではあるが、しかしブルートが真に震え上がったのは、この事態ではなかった。その幼児の如き男の容姿が、先ほど玄関口で寝ていた男のそれと酷似しているのだ。酷似なんてものではない。さながら同一人物であるかのような両者の容姿の一致具合は、ブルートに鳥肌をも立たせた――今は鼠肌だが。

 標的は双子だった!? ――ブルートが一つの新たな結論に至るのも当然であった。ブルートは、何も双子が珍しいものではないと知りながら、けれども眼前の独りままごとに勤しむ男に対しては生理的嫌悪を覚えつつ、勇気を奮い立たせて戸の方へ向かった。カバ面の男は人形二体に気をとられ、背後を通過する。ブルートには気づく素振りさえ見せない。

 難なく戸に辿り着いたブルートだが、しかし問題はここからである。いくら関心の全てを人形に注いでいるが如き幼児のめいた男でも、ここで突然一人の女の子がニュッと出現すれば気づくだろう。そうなれば終わりだ。

 これは、いかに素早く事を済ませるかの試練だ――ブルートは一度、小さく深呼吸をし、意を決して変身を解いた。魔法を解除し終え、完全な人間の姿に戻ったか否かという刹那で、ブルートは戸の鍵を開け、そしてネズミの姿に変身した。その時、戸の鍵が開く音が僅かにしてしまった。

 ブルートは『しまった』と顔をしかめながらも、戸に注意を向けた男の背後をすり抜け、近くの部屋の方へ隠れた。しばし待って様子を見てみると、男は物音に気づいたものの、特に変化に勘づかなかったのか、また人形とのままごとを再開していた。

 ブルートはホッと溜め息を零し、最後の砦たる二階の出入り口へ向かった。変身した姿のままでは階段を上るのは困難を極めたが、人間の姿では足音がするかもしれない。ただでさえ内部も散々な有り様なのだ。下手をすれば段が抜け落ちたりしかねない。

 ブルートは数分かけてようやく二階に上がると、荒い息を鎮めて駆けた。廊下の突き当たりを曲がると、すぐに二階の戸が見えた――しかし、ブルートはその場に立ち尽くす。

 戸の前には、またも男がいたのだ。下の階にいた二人の男と、全く同じ顔をした男が。カバ面の男が、腕立て伏せをしている。男の容姿をいい加減見飽きたという理由もあったが、それよりまさって、醜男が汗だくになって腕立て伏せをしているという事実そのものに、ブルートは不快になった。

 すると、男は気配を察知したのか、突き当たりで棒立ちになっているネズミを――ブルートを目視する。ブルートは恐怖と嫌悪とで、金縛りにでも遭ったかのように身動きがとれなくなる。カバ男はニタァと気味の悪い笑みを浮かべると、口元に垂れる汗を舌で舐めとりながら立ち上がった。


「あぁ……こんなところに生きる価値のない下等生物が迷い込んでるなぁ……。いけないいけない。生きる価値のない下等生物は、生きる価値のない下等生物らしく、絶対的強者たる俺様に踏み潰されろ」


 男は言い終えるや否や、ブルートに向かって走り出した。ドタドタとやかましい歩調は、今にも腐った床を踏み抜きやしないかとブルートを不安にさせる。

 しかし、それどころではない。ブルートは危険を感じ、慌てて階下へ跳んだ。直後、男の踏み出した片足が、今までブルートがいた辺りの床を破壊した。

 彼は本当に踏み潰さんとしていたのだ。ブルートは男を、完全なる敵と認識した。男は、一階で自分を見上げるネズミを見ながら、また笑った。


「あぁ……逃げるなよ。俺様に虫けらを踏み潰させろ。弱者が成す術もなく俺様に踏み潰される、あの瞬間……。愉悦! 興奮! あの下腹部に熱が溜まるような感覚! こい! クソネズミ! 俺様の足で死ね! 踏ませろ! 潰れろ! 逃げ惑った挙げ句ミンチになれ!」


 男は喚きながらドタドタと階段を降りてきた。ブルートは全速力で玄関へ向かう。最初の男が飛び起きてこちらに気づいたが、見向きもせず抜け穴から外へ出た。


「気をつけて!」


 戸の穴を潜ると同時に変身を解除し、ブルートは自分を見下ろすチルドとヘイル、そして他の六人に危機を伝えた。

 瞬間。光の刃が戸を突き破り、ブルートの頭上を横薙ぎにかすめた。光の刃は、次いでブルートの傍の二人に迫った。ヘイルは咄嗟にチルドの幼い身体を抱き寄せ、仰向けに地面に倒れた。光の刃は誰を斬るともなく往来に飛び出した。


「ブルート!」


 レインの声が響く。二階の三人も当然事に気づき、クロムはスリートとネルシスに合図し、戸を蹴破った。廊下を進み、突き当たりで停止する。階下から、大勢の男の声が聞こえる――クロムはただならぬ事態を予感し、廊下の角で息を整えると、意を決して飛び出した。


「動くな!」


 銃を構えて叫ぶと、男たちが一斉にクロムの方を向いた――クロムは戦慄する。十数人の男たちが、同時にこちらを向いた。その男たちは全員、十数人が十数人、全く同じ顔をしている。一様にカバのような容姿をしており、ニット帽を被っているやや肥満体の『男たち』が十数人、同時に、全く同じ表情でもって、自分を見るのである。半ばこの世のものとは思えない、クロムにとっては言葉にならないほどに衝撃的な瞬間であった。


「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 『男たち』はクロムを視認すると、一斉に雄叫びをあげて階段を上り始めた。ドタドタと同じ顔の『男たち』が階段を上る足音が、まるで自分に差し迫る危機が近づいてきているようで、クロムは恐怖を伴って引き金を引いた。


退け! 退け!」


 クロムは後退りながら二人に叫んだ。スリートとネルシスはクロムの様子から、何か尋常でないものを感じ取り、彼の言う通り後退する。

 銃弾が連射され、『男たち』は先頭から倒れていく。雪崩のように階下へ落ちていく『男たち』だが、生き残った者が自分と同じ顔の死体を踏み越え、絶えず雄叫びながら迫ってくる。撃っても撃っても、奥の方からどんどん同じ顔の男が増えていく。

 クロムは目の前でその光景を目撃し、もはや狂気めいてすらいる『男たち』の進軍に戦

おのの

き、後ろ向きに走りながら迫り来る『男たち』を銃撃する。しかし、やはり一向に数は減らない。廊下の中ほどに差し掛かっても尚、階下から大勢が上ってくる足音は絶えない。恐ろしい。


「ネルシス!」


 あまりの唐突な恐怖に、クロムは背後のネルシスを呼んだ。ネルシスは事態を目撃しており、言われずともクロムの意図を汲んで、彼の傍らから掌をかざし、そこから水流を発した。水流は廊下を埋め尽くさんばかりの『男たち』に直撃する。


「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 しかしそれでも、数十名にまで増えた『男たち』は流れに逆らって進軍を続け、三人を追い詰めていく。同じ顔の男が数十人、同じ声音で発する雄叫びは、地獄からの悪霊の呼び声の如くである。

 やがて三人は蹴破られた戸を踏み屋内から出たが、もはや『男たち』は数に物を言わせてクロムの目前にまで迫っている。

 ごった返した『男たち』が廃屋から出た途端、階段の床が抜け、クロムたちは地上へ落下した。行軍の勢いで、多数の『男たち』も滝のように落ちていく。

 三人は受け身を取り、すぐさま立ち上がって落下していく『男たち』への攻撃を開始した。同じ顔の男の死体が山のように築かれ、更にそれを同じ顔の男たちが踏みながら、光の刃を振りかざしてこちらへ走ってくる。

 クロムは『男たち』を撃ちながら周囲を見回した。他の六人も皆、同じ顔の男たち数十人を同時に相手取っていた。


「てやっ!」

「ぐぇへへへ!」

「ちぇあ!」

「どりゃあ!」

「ぃえええええええええ!」


 戦いの規模は廃屋の敷地の外にまで拡大し、グロウやスノウ、レインは道の真ん中で同じ顔の男たちに囲まれている。


「あははははははは!」

「くそガキ! くそガキィ! げへへへへ!」

「あぃやあああああああ!」

「ぶほっ! ぶほほほほー!」

「あああああああああ!」


 玄関口の方では、ブルートとヘイルがチルドを庇いながら戦っていた。チルドは、数十人の男たちが皆同じ顔をしていて、尚且つその全員が自分に襲いかかってくるという実情を前に、泣き出してしまっている。クロムも自らの驚愕のし具合に我ながら驚いているところなので、子供であるが故、仕方がないのかもしれないが。


「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 しかも、家の中からは同じ顔の男が毎秒十数人のペースで現れ、続々と戦闘に参加していた。廃屋の敷地とその近辺は『男たち』の光の刃に照らされ、輝くばかりだ。

 いよいよ全く同じ顔をした男が百人ほどとなり、その光景は気持ち悪いという形容を超えていた。


「チルド! ネルシス!」


 レインの半ば悲鳴のような声音が聞こえ、クロムは振り返る。数十人の『男たち』が、それぞれT字路の方々へ逃げていく。このままでは一般人にまで被害が及んでしまう。


「ネルシス! 向こうに加勢しろ!」

「無理だ! 数が多すぎる!」


 既にクロムたちは、五十名以上の『男たち』に包囲されていた。一面、見渡す限り同じ顔の醜男である。吐き気すら催すその光景は、もう悪夢でも見ているのではと錯覚すらさせる。もっとも、こんな光景を自ら想像できる脳を、人間は持ち得ないだろうが。

 ブルートとヘイルは、廃屋の外壁に追い詰められていた。二人はチルドを背で庇い、視野の全てに侵食しつつある『男たち』に圧倒され、後退しながら応戦するが、着実に逃げ場を失いつつある。


「レインさん! 限界です! 召喚魔法を!」


 スリートがソウルランチャーを発しながら叫んだ。


「無理だよ! 詠唱できない!」


 レインは、弓を引きすぎているのか指先から血を滴らせていた。その辛そうな表情から、長くは持ちそうにないことは明白である。

 加えて、既に何百人の『男たち』と取り逃がしたか分からない――物量差は歴然だ。絶望的なまでに劣勢を強いられている。同じ顔の男が、今や何千人いることか……九人 対 数千人では、どう足掻いても長期戦は不可能だ。

 この現実味を欠いた戦闘が開始されて僅か数分――『男たち』の数の暴力を前に救世主たちは成す術なく、とうとう全員が組み伏せられてしまった。

 すると廃屋から、九人からすればもう見たくもない顔の男が一人、高笑いしながら現れた。


「どうだ! 俺様が殺した人間の『分身魔法』は! この力があれば、俺様は負けない! 『俺様たち』の軍隊によって俺様は無敵にして最強の戦闘能力を得たのだ!」


 九人はその一人の前に突き出された。


「下手な真似はするなよ。既にこの町の住人は全員、取り押さえている。俺様の分身の得た情報は、オリジナルである俺様と全ての『俺様』に伝わるからな。もしおかしな真似をすれば、即座に住人全員の首をハネてやる――この『オーラカッター』でな」


 男は手刀を作ると、そこから光の刃を発した。そしてそれを、涙で顔がぐちゃぐちゃになったチルドの頬に向ける。


「やめて!」


 レインが叫ぶと、男は気色の悪い高笑いをして光の刃を納めた。


「何もしねえさ! お前らが何もしなければなぁ! お前らは町の住人も含めて、全員クラウン様に謙譲する! そしてクラウズ共に殺させてやる! そうすればクラウン様がクラウズ共に名前を付け、一度に何百ものクラウドが生まれる――俺様はお前ら救世主を一人占めして【レジェンド】になるんだ!」

「レジェンド……だと?」


 クロムが怒りに顔を歪めて呟くと、男は再び手刀で光の刃を出現させ、彼に向けた。


「黙れ! ゴミめ! お前ら下等生物が俺様の許可なく喋るな! 殺すぞ! 次に誰か喋ってみろ! 殺してやる! 全員殺してやる! お前ら全員殺して、その力を全て俺様がもらう! そうすれば、俺様は【レジェンド】の中でも特別な存在になれるんだ!」


 クロムは黙らざるを得なかった――九人は絶望的な状況に死を覚悟した。

 ……その時。


『こちらウィルだ。たった今、グレイが帰還するとの報告が入った。彼を直ちに合流させる』


 通信魔法でそんな指令が聞こえた。九人は転じて希望を見出だしたが、決して表情には出さず、応答もしなかった――出来なかった。


『……どうした? 誰か応答せよ!』


 ウィルの声が聞こえる。九人は悲痛だった。彼の声には、自分たちを心配している調子が感じられる。応えたい。しかし、状況からみて、それは不可能である。


『レイン! クロム! ……ヘイル! チルド! スリート! 誰か応答するんだ!』

「ひはっ! 待ってろよ……おい、俺様! 手の空いてる俺様は手伝え! 地下から『アレ』を出す!」

「分かったぜ、俺様! 俺様が手伝うぜ!」

「『アレ』を運び出すのは骨が折れるぜ、俺様……」

「俺様も行く! おい! 俺様! 俺様も手伝えよ!」

「黙れ俺様! その減らず口を閉じてろ!」

「俺様とか『アレ』とか骨とか、まどろっこしい言葉ばかり並べやがって……俺様なんか全員死ねばいいんだ、クソが!」


 九人の意識に直接呼びかける通信魔法の内容は、他者には聞こえない。同じ顔の男たちが、口々に別々のことを言い出す。全く同じ声音が、同時に異なる言葉を発したことで、場には奇っ怪不気味で醜悪なハーモニーが響き渡った。ウィルの言葉に被さるような『男たち』のに、九人は甚だ苛立った。

 身動きの取れないまま、何も出来ないまま、九人は廃屋の奥から何やら巨大なものを運び出す作業が行われているのを、ただ憎々しげに眺めるしかなかった。


「俺様! ちゃんと持てよ! 死ね!」

「ふざけるな俺様! これは俺様のせいじゃなくて俺様のせいだ!」

「うるさい! 死ね! 俺様の持つところは俺様と違って持ちにくいんだ!」

「あーっ! ……痛えなぁ、クソが! 俺様! 俺様の足が潰れたらどうすんだ! 死ね!」


 やかましいが繰り広げられる。九人は気が滅入ってしまい、正気を保てなくなりそうだった。


「――おい、俺様! 全ての俺様に告ぐ! 全ての俺様は俺様の元へ町民を連れてこい!」


 オリジナルを名乗った男 (かどうか、本当のところは定かではない。何せ皆が皆同じ顔をしているのだから、判別は不可能だ) が、誰ともなく命じた。地下からは、男と彼の分身たちの喚き声に紛れ、微かだが何かを引き摺る音が聞こえる。しかし作業は難航しているのか、『アレ』と呼ばれるものは一向に見えない。

 九人はストレスで頭がおかしくなってしまいそうだった。こんな小者くさい奴に取り押さえられ、何もすることが出来ない。歯痒くて仕方がなかった。分身魔法だけを以て救世主が制圧されるなど、あってはならないはずだ。

 ここで博打を打っても勝ち目は皆無だろう。町民の命も、自分たちの双肩にかかっている。分かっている。分かってはいるが……やるせない。


「「「「「ぐわあ!」」」」」


 唐突に『男たち』全員が叫び、その声音の一体感が全人類の生理的嫌悪を強引に呼び覚ますが如く陰湿に轟いた。


「「「「「何者だ!?」」」」」


 またも全員が叫ぶ。それからは、『男たち』は作業を中断し、断続的に短い悲鳴をあげ始めた。九人を組み伏せる『男たち』も、九人の拘束を緩めはしなかったが、悲痛な呻き声をあげる。

 九人は何事かと辺りを見回した。すると、遠くから赤々と揺らめく何かが近づいてくるのを見た。煌々と燃ゆる……あれは炎だ。二つの炎が町を駆け巡り、その度に『男たち』は苦痛に叫ぶ。


「こっ、殺されているぅ! 俺様が! 俺様も! 俺様も! 俺様も! みんなみんなっ、死んでいくぅ!」


 一人が片膝を着いてのたまった。している間にも、二つの炎は着実に迫ってくる。獰猛で恐ろしくも、九人は、その対の炎に懐かしさと優しさ、心地よい温かみを感じた。

 その炎が希望の光に見えるのだ。


「「「「「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」


 『男たち』は半狂乱になって手刀から光の刃を出現させるが、遠方より来襲する炎の勢いは留まることを知らない。むしろ加速度的にこちらとの距離を詰めていき、その熱気は捕らわれた九人の肌に伝わらんばかりだ。

 ――そして炎はT字路の、三本の道が交差する地点に飛来した。たちまち火柱が三方へ拡がり、炎の中から人影が現れた。

 グレイだ。刃に炎を纏った剣を片手に一本ずつ、つまりは二本、逆手に持っている。

 まるで炎の翼のようだ。


「だっ、誰なんだよお前! 俺様! 殺せ! そいつら殺せ! 救世主の力を全て喰らい、俺様を伝説的最強の【レジェンド】にぃ!」


 九人を抑える『男たち』が、一斉に光の刃を振り上げた。刹那、『男たち』はグレイの持つ二本の剣より放たれた炎に焼かれた。炎は凄まじい熱で『男たち』を燃やす一方で、九人の仲間を守るように彼らの周囲を漂った。九人は、生物の本能的恐怖の対象たる炎に囲まれているが、火中では不思議な安堵を覚えていた。

 グレイは剣を掌で回転させて順手に持ち替えると、自らも炎を纏いながら九人に歩み寄った。灰色のローブを纏い、フードも深々と被って近づいてくる様は、炎と相まって、まるで烈火に焼かれて灰だらけになったようだ。


「大丈夫か?」


 グレイは仲間の顔を覗き込んで訊ねた。


「グレイ……」


 レインは、今にも泣き出しそうな顔をして、彼の名前を呟いた。


「――すまない。俺たち、不覚をとった。町の人が人質になったんだ。早く助けないと」

「心配ない。多分、全員倒したと思うから」


 クロムの言に、グレイは答えた。

 グレイは立ち上がって『男たち』を睨んだ。その瞳には怒りの炎が宿っている。


「どうなってるんだ? みんな同じ顔で……」


 呟くと、グレイは裾を摘ままれたのに気がついた。スノウが何かを伝えようとしている。屈んで彼女の口元に耳を傾けると、男が分身魔法を使うこと、廃屋の地下に何かしらがあることを教えられた。


「ありがとうございます」


 グレイは微笑んで言った。


「お、おい……」


 男が怖じ気づいた様子で呟いた。グレイは再び鋭い眼光で男を一瞥した。男は恐れを振り払うように頭を振ると怒鳴った。


「は、はっ! 増援のつもりかよ! たった一人で! だがいいか! 俺様は俺様と同じ俺様を無尽蔵に増やす分身魔法を使いこなす! お前に勝ち目はない! どうやら人質を確保した俺様は全員死んだらしいが、それがどうした! 俺様は死んだ俺様の更に倍、十倍、百倍の俺様を生み出せる! お前なんか敵じゃねえ!」


 喚きながら、男は分身を生み出していった。その数は五十、六十、七十と増えていく。オリジナルの男が生み出した分身が、更に自分の分身を生み出し、更に分身の分身が……と、分身は指数関数的に増殖されていく。

 グレイはそんな『男たち』に向け、片方のヤーグを薙いだ。すると刃の炎が舞い踊るように一団へ放たれ、一面に生み出された分身を焼き払った。


「ぎゃあああああああああああ!」


 オリジナルと思しき男が悶え苦しんだ。外傷は皆無だが、しかしまるでその身がこそ焼き焦がされているかのような、おぞましい悲鳴をあげている。


「痛い……痛い……熱い……」


 しきりにジタバタすると、やがて男は力なく、ただそればかりを呟くようになった。


「そいつは分身の感覚を共有する。だから、分身が燃えたら自分も燃えるような痛みに苛まれる。それが一度に何十人分も重なれば……」


 クロムの言葉を受け、グレイは転じて男に哀れみの眼を向けた――かつて、自分も似たようなことをしていた気がする。

 地べたを這いつくばるしか出来なかった自分が、かつていた気がする。


「……諦めろ」


 グレイはヤーグのきっさきを男に向けて言った。


「分身を増やしても痛みが増すだけだ。大人しく降服しろ」


 任務は、あくまで男の『捕獲』が目的だ。『死』ではない。グレイは仲間を傷つけられた憎悪に燃えていたが、しかし平静を取り戻すと、任務遂行に必要な理知をも取り戻したのだ。


「…………」


 だが男はうわ言を呟くのをやめると、我に返ったように立ち上がり、手刀に光の刃を出現させた。


「ふん! 分身魔法は俺様が殺した人間の能力に過ぎないぃ! 俺様の本当の能力はこのオーラカッターだ! この剣でお前を殺す! 殺してその炎を奪ってやる! 殺して奪った炎でお前の仲間を皆殺しにしてやるぅ!」


 男は光の刃――オーラカッターを振りかざしてグレイに立ち向かった。グレイは戦意を再燃させると、男の小指を斬り落とした。


「あああああ! 指っ! 俺様の小指っ! 小指ぃ!」


 男は四本指となった片手を見て狼狽えた。


「クソッ! クソックソッ! スーパーカッター!」


 男は四本指で、より強力な光の刃を出現させた。再度グレイに突撃するが、今度は灰色の刃に親指を落とされる。


「ああ! あああああ! ああああああああ! ハイパーカッター!」


 もはや意味を伴わない悲鳴と共に、男は三本の指で更に強力な光の刃を出現させ、三度、グレイに突撃する。グレイは、男の薬指を斬り落とした。


「懲りない奴だ……もうよせよ。このままだと、アンタは片手を失うことになる」


 クラウドの生け捕り――その任務を完遂するには、なるたけ五体満足であった方がいいだろう。グレイは、加えて男の惨めな姿が見ていられないという、僅かばかりの良心で言った。

 それに指は、拷問するのに使われるはずだ。


「う、うるしゃい! マキシマムカッター!」


 男は、いよいよ人差し指と中指だけで、長大な光の刃を振るった。グレイは、それをヤーグで受け止めた――その刃は何故か、今までより重みが感じられた。


「グレイ! 気をつけろ! 何かがおかしい!」


 クロムに言われ、グレイは男の人差し指を斬り落とした。男の指は、今や一本きりである。

 しかし……男はそれまでと一変して、笑みを浮かべていた。


「人間は相手に死を予告するとき、こうするんだよな?」


 男は、中指だけの手をグレイに向けた。残されたただ一つの指は、真っ直ぐ天を指している。


「あはははは! バカめ! 俺様の策略に嵌まったな! 斬り落としたんじゃねえ! 俺様がわざとお前に『斬り落とさせた』んだ! 俺様のオーラカッターは、指を失えば失うほど強力になる! そして今や、一本になった俺の手は、最強のオーラカッターを生む究極兵器になる!」


 男はグレイから距離を置き、中指だけの手を高々と掲げた。


「喰らえ! パーフェクトカッター!」


 光の巨剣を、男は振り下ろした。グレイはおろか、九人をすら両断しかねない刃の全長は凄まじい。

 すると、九人の周囲を巡っていた炎が光の刃を受け止めた。


「な、なに!?」


 狼狽する男を他所に、グレイは間合いを詰め、彼の中指を――最後の指を斬り落とした。男はもはや、右手で物は握れまい。


「やっちまったなあ!」


 しかし、それでも男は笑んだ。


「やっちまったなあ! お前!」


 男は指のない手をグレイに向けて突き出した。グレイが反射的に後退ったのと同時に、そこからはまたも光の刃が現れる。しかも、これまでの比ではない、強力な輝きを発している。

 刃の光は手首にまで届き、更に男の肘、肩をも侵食していく。


「指をなくした状態でオーラカッターを発動した時、オーラカッターは俺の身体を飲み込んで成長する! やがてオーラカッターが俺の全身に及んだ時、俺はオーラカッターそのものになる! そうなったら、このオーラカッターは一撃で世界を破壊する威力を持つ! これで終わりだ救世主! 死ね! オーラカッター・スーパーノヴァ!」


 男の右半身を侵食した光の刃は凄まじい覇気を伴い、半ば暴走しているような挙動でグレイに突進した。その勢いは凄まじく、男の通った地面は抉れた。

 グレイは灰色のローブをかなぐり捨てると、両のヤーグでそれを叩き斬った。光の刃はガラスの割れるような乾いた音と共に砕けた。男の表情が、驚愕と屈辱とで原型を留めぬまでに歪んだ。


「……アンタの言う『世界』は、俺一人に壊されるほど矮小なものなのか?」


 グレイの手中で、二本のヤーグの刃から猛々しい炎が噴出される。さながら活火山の噴火の如き壮絶な火炎の波が、宙を舞った。


「今のがアンタの100パーセントなら、俺は30パーセントで片を付ける」


 グレイは左手のヤーグを男めがけて投げた。秘術・業火により強化された刃は、男の胸部に容易く突き刺さる。男は激痛に叫んだ。

 同時にヤーグは、貫いた男の胸部を起点に十字に炎を噴き出した。男は立ったまま大の字に四肢を広げ、あらゆる動作が不可能となった。グレイの意思によって操られる炎に、両手足を拘束されたのだ。

 グレイは残る右手のヤーグを、居合いのような態勢で左腰に構えた。


「【インパルス】……!」


 構えたヤーグの刃から、秘技・炎天の炎が高出力で噴出し、その推進力でグレイは地表を駆けた。ジェットエンジンの如き猛スピードで、身体の自由を奪った男へ突進していく。

 グレイは右手のヤーグを振るうと同時に、男の脇を去る際、左手で男に突き刺さったヤーグの柄を握り、二本一対の剣で男を斬り裂いた。

 推進力の余韻で、グレイはざりざりと地を滑った。T字路にまで飛び出し、ようやっとグレイが停止した時には、既に男は彼の背後で倒れていた。


「……隊長、こちらグレイです。応答願います」

『こちらウィルだ。みんなは無事か?』


 グレイが呼びかけると、すぐに返答があった。


「はい、みんな命に別状はありません……任務も完了しました。男は片手の五指を失っていますが、生きています――それから、廃屋の地下に何か巨大な物体を隠していたようですが、どうしますか?」

『そうか……分かった。では、対象のクラウドと謎の物体、それぞれの回収部隊を派遣するから、到着まで両対象を監視していてくれ。部隊に対象の身柄を預け次第、帰投せよ』

「了解」


 グレイは通信を終えると、仲間たちを振り返った。皆々、衝撃と安堵とが交錯した、何とも言い表し難い表情でグレイを見つめていた。

 グレイは九人の救世主に微笑んだ。


~4~


 グレイは九人に目立った外傷のないことを認めると、一先ずは胸を撫で下ろした。しかし皆、全くの無傷というわけではなく、命に別状ないとはいえ看過できない程度の怪我も見てとれたので、グレイはある種の葛藤に悩むことになった。

 遅れてやって来た身分として、負傷した仲間の治療を目的に町中を駆け巡ることは、もはや義務といっても過言ではない。家々を訪問し、キュアドリンクやそれと同種の応急治癒薬を求めるのは、グレイ当人としても全く辞さない心構えだった。

 だが、どうだろう。ここでみんなを苦しめた男を、回収部隊に身柄を預けるまでの間監視し続けることもまた、作戦当初から参加することの出来なかった自分の使命ではないだろうか。

 みんなが苦戦を強いられ、しかし自分が数分で黙らせたところの敵を、その苦戦を強いられていたみんなに任せるのは、なんだか嫌みな感じがしないだろうか。『見張りくらいできるだろう?』みたいな、そんなニュアンスを汲まれやしないだろうか。

 もちろん、これまで数々の苦境を共に越えてきた仲間たちである、さすがにそんな心情のすれ違いは起こらないだろうし、当然、自分だってそんな傲り高ぶった考えは微塵も持っていない。

 だが、自分と九人は、かれこれ数週間も会っていないのだ。それも自分は、直接みんなに何も言わず、伝言をだけウィルに残して去った身だ。今後また行動を共にする仲間たちと、少しの関係の亀裂も生みたくはない。

 そんな懸念もあって、グレイは回収部隊の到着を待つようにとの通信を受けてから、心境的にも実際的にも何とも言えない時間を過ごしたのだった。ここで積極的に、ポジティヴに発言することは、さすがに憚られる。

 現実、グレイがこれほど深く入り組んだ葛藤に悩まされたのは、通信を終えた直後の数秒間であった。


「帰って来たんだね、グレイ……」


 ウィルとの通信を終えると、レインが立ち上がって言った。その瞳には涙が僅かに溜まり、また声も少し震えている。クロムやスノウ、他の六人も、拘束を解かれた瞬間のままだった態勢を、今ようやく動かした。皆々、グレイとの再会に喜んだ。


「おいおい、なんだなんだ、あの炎! あの剣! ていうか飛んでたろ! なんだあれ! 爆発的に凄い!」


 ヘイルはグレイの肩を痛いくらいに叩いた。


「あの『軍勢』を独力で制圧するなんて、なるほど修行の成果は十二分にあったようですね」


 スリートが片方の口角を緩やかに上げながら、いつものように、眼鏡をくいっと上げる仕草をする。


「火がね、すごかったの! チルドあったかいの好き! ねえねえ! もう一回やってやって!」

「ダメだよ~。火傷しちゃうし、仕舞いには溶けるよ~」


 グロウに抱き寄せられ、チルドは宙で手足を乱暴に振るった。


「そうだともそうだとも。炎は氷の天敵、お嬢ちゃんがこいつに関わることはないんだよ。何が炎の翼だ。空気力学に対する冒涜だ、この背信者め」

「アンタは蒸発させてやろうか」


 挑発的なネルシスに、グレイは言い返した。


「……ふ、ふんっ! なによなによ! なんなのよ! 遅れて来といてヒーロー面!? バッカじゃないの!? どれだけあたしたちが心配したと思ってんのよ! ――はっ。べ、別にあたしは心配してないんだけど!? はあ!? 意味わかんない!」


 ブルートが畳み掛けるような勢いで言った。久しぶりの再会ではあるが、その台詞に彼女の人間性の全てが集約されているような気がして、グレイは思わずにやけてしまった。にやけると、ブルートは『なっ、なに笑ってんのよ! 死ね! 焼け死ね!』とまた怒った。


「グレイ……あれが30パーセントなのか?」


 クロムが複雑な表情で問うた――複雑というのは、なんだろう。グレイとの再会を喜んでいる一方で、彼の進化した実力を目の当たりにし、驚愕しているようであり、悲しそうでもあり……グレイには、その表情の秘めたる思いを汲み取ることは、今は出来なかった。


「ああ。修行で炎の最大出力を高めて、自力で調節できるようになったんだ」

「空も飛んでたよな……あれは?」

「ヤーグが二本になってから出来るようになったんだ。炎の出力を左右均等にしてブースター代わりにするんだ」

「二刀流か……強さも二倍ってか?」


 クロムは少しにやけて言った。すると今度は、グレイが転じてその表情を曇らせた。


「……俺は人並みより弱い。心が、弱い。だから魂を強くして、ヤーグを二本にすることで、無理矢理にでも欠点を補う必要があったんだ」

「欠点……?」

「戦いへの恐怖、失うことへの恐怖、死への恐怖……俺は恐れることへの耐性が乏しいから、弱いんだ――弱かったんだ。だから修行した。魂に刻まれた能力だけじゃない、ヤーグを本質的に変化させる必要があったんだ。剣術を鍛えても、技量を学んでも、俺の魂の弱さは変わらない。俺が恐れに負けない方法は、両脇で支えてもらうことだった。助けがなきゃ、俺は何も出来ないんだ……」


 クロムは真剣な面持ちになった。グレイの苦悩を、葛藤を知ったからだ。先ほどまでの、半ば嫌みったらしい皮肉めいた物言いをしていた自分に、激しい憤りを覚えた。

 ただ悲しませたかったわけではない。強くなった姿を見せびらかしたかったわけではない。グレイは己の優しさと厳しさとの狭間で死闘を繰り広げた末に、こうして帰還したのだ。


「いや……お前は強いよ」


 クロムは言った――お前は、俺にない強さを持ってる。グレイが微笑むと、クロムもまた笑った。親友同士の笑顔が、久方ぶりに交わされたのだ。


「でさ、俺もみんなに聞きたいことがたくさんあるんだけど――」


 グレイが切り出すと、ちょこちょこ、と。スノウが彼の服の袖を引っ張った。長い前髪に隠された瞳はグレイを捉えて離さず、さながら始終の説明を自分に一任してほしいと訴えているようだ。グレイは屈んで、スノウの言葉に耳を傾けた。

 ――メシアとの一件は、旧・救世主部隊の体制が見直されるに十分な事案であった。およそ一応の肩書きとはいえ、ケントルム直属部隊である救世主たちを、決して高い地位ではない反逆者の一声で容易く動かすことのできる状況は、高官の歴々にとっても民衆にとっても悪印象となる。

 そこで救世主部隊は大きく変革された。ケントルム直属ではなく、完全に独立した一個軍隊として認定され、名も【救世軍】と改められた。一見すれば、救世主たちの行動の最適化と、如実に現れた裏切りの阻止とを目的とした改革であるが、その一方で、パラティウム高官が他方や民衆からの責任の追求を逃れるための自衛としての意図を含んでいた可能性も決して皆無ではない。

 事実、人々の希望たる救世主に対するバッシングは勿論、ケントルムやパラティウム各所への批判も相次いだ。イーヴァスが救世主として世界を統率していた時期には、甚だ以て有り得なかった事態である。

 一連の騒動を、傷跡を最小限に留めて終結させるには、救世主たちを独立させることで責任問題をうやむやにし、新体制によって再び人々の希望の象徴として活動させる他になかったのである。

 更に、戦況においても劇的な変化が見られた。メシアとの遭遇事件以降、クラウズのゲリラ侵攻に加え、各地にクラウドと思しき不審人物の目撃例が多数挙げられた。敵将――クラウンが本格的な攻勢に打って出たと思われた。

 これに伴い、救世軍の各部隊の役割が定型化され、より能率的な作戦行動が可能となった。第1中隊はこれまで通り、ポルタを介してのクラウズのゲリラ攻撃を凌ぎ、後退させる任務が主となり、第3中隊は下降した救世主の支持を取り戻すため、過去にクラウズの侵攻の被害に遭った地域を訪問し、慈善活動を行うこととなった。より民衆の間近に赴くことで、世界の希望を明確に実感させるというのが最たる目的である。

 そしてグレイたちが所属する第2中隊に与えられた任務は、各地に出没したクラウドの捕縛であった……。


「そう。で、こいつがそのクラウド――新たな敵だ」


 クロムはモノで片手の五指を失い気絶したままの男を指した。ちょうどその時、男が呻きながら瞼を開いた。瞬間、彼の五指が残った方の手から、あの光の刃が――。


「よくも俺様をコケにしてくれたな……生かしちゃおけねえ。このオーラカッターでギタギタに痛めつけ――」


 言い終えない内に、クロムはモノの銃口より無慈悲な一撃を放った。ピンポン玉ほどの大きさの、無色透明ながらも輝ける球が額に直撃すると、パンッという破裂音が響くと同時に男は再び倒れた。


「お、おいクロム! こいつは生け捕りにするって――」

「大丈夫だ。実弾じゃねえよ」

「え?」

「俺の魂の一部だけを装填して、それを凝縮したものを撃った。激痛が伴うだろうが、命に関わるような代物じゃない」

「そ、そうか……」

「俺たちも、ただお前を待ってただけじゃないってこと」


 それからしばらくすると回収部隊が到着し、グレイたちは男の身柄と現場とを預け、グラナトゥム街の軍事施設へ向かった――学院に帰投するのだ。

 道中、グレイは修行をしている時の出来事を、レインたちはグレイが不在の間に起きた出来事を、それぞれ話した。グレイは胸中に疎外感が芽生えるのを否めずにいた。自分が選んだ道とはいえ、やはり仲間との別離は、言い表し難い隙間を生じさせたらしかった。

 しかし、そんな距離感も、街道を歩いている内、解消されていくように思われた。どれだけ離れようと、そこには変わらぬ姿の仲間がいた。レインたちもまた、グレイとは同じ心境で語らっていた。


「救世軍は、ケントルムとかパラティウムに縛られない、完全に独立した組織だから、今後キュアドリンクは支給されないよ」

「マジで!?」


 レインの言葉に、グレイは驚きを隠せなかった。


「じ、じゃあどうするんだよ、これから? 怪我したら? 骨が折れたら? 内臓が潰れたら? なまら疲れたら? どうやって回復するんだよ?」

「もちろん、支給されないってだけで、使っちゃダメってことは全然ないんだよ。ただ、私たちがお店とかで自分で買わなくちゃ、なんだよね。消耗品は全部、自分で前もって買い揃えなくちゃいけないの。外出用のローブだって、みんな行きつけのお店で毎回買い直してるんだよ。戦いになると、大抵はボロボロになっちゃうから」

「俺さっき格好つけて脱ぎ捨てちゃったよ……」


 落ち込んだ様子のグレイに、クロムは笑って言った。


「俺なんか銃弾を買わなきゃいけないんだ。知ってるか? 銃弾って消耗が半端ないんだぜ? だから切羽詰まってない時とかは、さっきみたいに節約して魂を撃つんだけど――最近、財布が寂しいや」


 快晴だったのが曇天に包まれるように、今度はクロムの表情が芳しくなくなっていた。まあまあ、と。グレイはクロムの肩を優しく叩いた。

 ふと、クロムが顔を上げた。


「グレイさ、なんていうか……」

「な、なんだよ……」


 クロムは、グレイの爪先から髪の毛の先までまじまじと見つめた。穴が空くほどとはまさにこのことで、グレイはあまりにクロムが品定めするが如く凝視するので、僅かばかり畏縮した。


「うん、灰汁あくが抜けたって感じがするな」

「どういうことだよ」

「顔つきが様になったってこと」


 グレイは照れ臭そうに頭を掻いた。していると、街の軍事拠点に到着し、スコラ学院に帰る手はずを整えてもらうよう、レインが近くの兵に要請した。

 間もなく来たときと同じ門に案内され、グレイたちは透明な膜の前に並び立った。すると、レインは隣でグレイの様子が落ち着かないのに気がついた。


「どうしたの?」

「え……いや、だってさ、みんなで帰るのは久しぶりだから、なんか緊張しちゃってさ」

「なに言ってるの。おうちに帰るだけだよ」


 ニコッと笑うレインを見て、グレイは肩の力が抜けた気がした。各々が一歩を踏み出し、そして次の瞬間には、眼前に見慣れた光景が広がっていた。

 学舎、男女の寮、そして噴水広場――先ほどは任務のことがあって気が回らなかったが、グレイは今もなお上空に小さな虹を作り出す噴水を見て、目頭が熱くなるのと同時に、確信した。

 帰ってきたのだ。今までの『始まり』をいつも見守ってきた噴水が、それを教えてくれる。


「おかえり、グレイ……」


 レインが慈愛に満ちた笑顔で言う。グレイの返答は、一つしかなかった。


「――ああ。ただいま」


 新しい何かが始まる予感がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る