事件 (前編)

~1~


 救世主たちには定期的に休暇が与えられる。学業、任務共に完全に停止することを許可された、彼らにとって非常に貴重な日だ。これはスコラ学院に所属する救世主たちに特別に与えられた権限だ。たしかに救世主である彼らは、まだその使命を帯びてから日が浅く、未熟である。いくらブラック企業さながらの多忙な職務と言えど、さすがに初心者には優しい現場らしかった。そもそも現代の救世主の中には子供も含まれているため、そこら辺の計らいや全体的なバランスを鑑みての措置であろう。

 そんな休日を楽しんではいけないという規律は勿論なく、救世主たちはそれぞれ普段とは違ったおもむきで有意義な時間を過ごしていた。

 そんな休暇を、まるで見計らっていたかのように、ある計画が人知れず実行に移されようとしていた。

 明朝――学院では、待ちに待った休暇を目前にして興奮のあまり寝つけない者や、休日を余すところなく存分に満喫すべくあえて一睡もしないという試みを遂行した者などを除けば、まだ誰もが寝静まっているような、夜明け頃のことである。

 女子寮の一室で、数人の女性が同時に部屋を抜け出した。一人、何が起ころうとしているとも知らずに眠り続けている少女を残して。足音を立てぬよう、気配を殺して。廊下へのドアを開閉する時などは、この上なく神経を遣ったものだった。ものの数十秒のことが半ば永遠のように感じられた彼女だったが、しかし無事少女に気づかれることなく寮からの脱出を果たした。

 寮から出て、彼女らの眼前には五人の男性が、初めて見たその時から片時も静止したことがないように思われる広場の噴水の下に集結していた。


「バレてないだろうな?」


 一人の少年が、地平の彼方より現れようとしている朝陽を受け、鋭い眼光を放ちながら言った。


「大丈夫だよ! チルド、ちゃんと静かにしてたんだもん!」

「お嬢ちゃん。それはそれは立派なことだが、まだ静かにしてなきゃダメだぞ」


 中でも取り分け幼い少女が嬉々として跳び跳ねていると、男性の内一人が彼女の唇に人差し指を当てた。


「おはようございます――いやあ、こういうドッキリみたいなのを翌日に控えると、俺は眠れなくなっちゃう奴なんですよ。遠足の前の日の夜とかは、もうね……」


 平生から寡黙である旧知の少女に、朝の挨拶と顔色が優れないことを耳元で囁かれ、少年は彼女の指摘について答えた。昔からの子供っぽい性分を自ら明らかにした照れ臭さで頭を掻くと、少女は口元を掌で隠すようにして笑った。


「まあ、この面々で一番の不安要素と言えばグロウさんである印象だったのですが……」


 眼鏡の男性が言うと、フラフラと足元のおぼつかない女性と、彼女を支える少女が振り向いた。


「もう、大変だったのよ! こっちが大声出せないのにつけ込んでいくら起こしても起きないし。起きたら起きたで駄々こねるし」

「え~……だってまだ朝だよ? お陽さまより早起きすることなんてないじゃん。うちらは人間なんだからさ~。大体、モーニングって言うけど、これは『月ってる』ってことなんだからさ~、実は朝は夜なんだよ~?」

「とても三十代女性の言動とは思えませんね――ていうか、モーニングのつづりは『moo・・・ning』ではありませんからね?」


 眼鏡の男性が呆れた様子で頭を抱えると、そんな彼の肩を筋骨隆々の大男が叩いた。唐突な割りと強い衝撃に眼鏡の男性は顔をしかめたが、それに気づかず大男は、がははと笑う。


「グロウは朝に弱いからな! ネルシスには勝るが!」

「おい、誰が朝っぱら最弱だ」

「いや、そこまでは言ってないだろ!」

「ふんっ。まあいい。どっちかと言うと俺は夜型だからな」

「そうなのか。それは初耳だな」

「男と女の夜は長いからな」

「子供の前だぞ! 口を慎むべきだろうが!」

「朝っぱら最弱な分、真夜中は最強なのさ」

「だからやめろと言うておろうが!」

「何を向きになってるんだ。あんな幼気な女の子だってな、大人になってくるとバカな男にアホほどホレて踊らされるもんさ」

「その一番手がお前みたいな男にならないことを俺は心の底から祈るぞ!」

「まあ大人になろうがなるまいが俺は既に彼女をロックオンしてるんだがな」

「まずはお前を殺すことが何よりの救世になりそうだな!」


 そんな和気藹々わきあいあいとしたやり取りが早朝の学院で繰り広げられた。


「いや、俺たちこんなことしてる場合じゃなかったんじゃなかったっけ?」


 頻りに談笑していると、やがて少年が言った。


「そうだった。俺たちは計画を必ず成功させなくちゃならない――あいつのためにも」


 もう一人の少年が、再び眼光を鋭く煌めかせると、途端に各々の面持ちが険しくなった。先ほど触れられた『計画』に対する熱意がひしひしと伝わってくるかのような緊張感であった。

 そして誰が言うでもなく、九人は学舎の方へ歩き出した。彼らが踏み鳴らす足音は、この先に待つ壮大にして荘厳な計画の前兆に過ぎなかったのである。

 少女は果たしてそれに気づかず、未だ心地よい眠りのふちに沈んでいるままだった。


~2~


 授業に出るという習慣がしっかり身についていたためか、レインは誰に起こされるでもなく、ごく自然に普段とほぼ同じ時刻に目覚めた。寝覚めも、それは良いものだった。


「みんな、おは……」


 言葉が途切れる。その『みんな』が、いつもなら既に起きていたり誰かに怒号にも似た声音で叩き起こされたりといった光景が見られたのだが、この部屋にはレインしかいない。誰もいない。


「お出かけに行ったのかな?」


 レインは独り呟いた。珍しい事象を目の当たりにした衝撃からか、あるいはそれはいつもなら賑わいを見せる部屋の中で孤独という寂しさを紛らわせるためかもしれなかった。

 でも、今日は休日である。いくら救世主と言えども、息抜きくらいは必要だ。きっと各々、街へ出掛けたり友達と遊んだりしているのだろう。レインはそんな風に得心して、二段ベッドの上段から降りた。

 ともかく、今日は休暇を与えられた身なのだから、せっかくのご厚意を無下にする手はない。レインは鼻唄混じりに一日の予定を頭の中で組み立てながら着替え、クラウズを撃退することで得た給料と、手鏡やらメモ帳やら必要と思われるものを一式、鞄の中に整頓して入れた。

 そして、いざ白日の下に行かんと意気込んだところで、彼女の足は止まった。部屋で唯一の扉――女子寮の廊下と個室とを隔てるその扉に、文字が書かれた紙が貼りつけてあった。

 紙には『5』と大きく、シンプルな字体で書かれている。何だろう。その紙の意味するところは、しかし今のレインには問題ではなかった。レインの眼前に差し迫る疑問は、この紙を『誰が』用意したのかだ。

 ここにこうしてこの紙が見えるということは、即ち部屋の内部に誰かが入ったことになる。内側の人間というワードが登場した時点で、しかしレインは同室の仲間である四人を疑うことはなかった。四人の誰もこんな意味深かつ回りくどいことをするような人物ではないし、それに何かあるなら口頭で伝えるはずだ。そのチャンスはいくらでもあるのだから。

 レインが最も危惧した可能性は、知らない誰かがこの部屋に一度侵入したというケースだった。その圧倒的に猟奇的な想像をしてしまったレインは、もはや四人の内誰かのメモ書きだとか、直近の授業の内容が変更となる旨の通達であるとか、そのような現実的な解を期待できはしなかった。まあ、よく考えてみれば、これらの可能性は、レインが今部屋に一人きりという時点で、そして紙面からして明白に否定できるのだが。

 もしスノウ、ブルート、チルド、グロウの内誰かのメモ書きだったならば、彼女らが今この部屋にいない段階で、この紙を目視しているはずである。この部屋から外へ出る経路は、その扉を通るしかないのだから。まあモラルの壁を取っ払えば窓から外へ出ることも出来るが、そんなことをするのはこの分隊ではチルドくらいだ。そのチルドも、廊下を通るのを面倒臭がって度々窓からの外出を試みようとする習慣が表れ始めた当初に、ブルートによって矯正されている。窓からの出入りを行う者は、もはやこの部屋で生活する者の中にはいないだろう。

 メモというのは忘れそうなことを覚えておくために、または忘れたことを思い出すために書くものだ。それを見た時点で、メモの存在を知覚した時点で、メモは一時的か永久的にその役割を果たしたことになる。したらば、記憶の維持や復活を目的に使用されるメモは、そこで存在意義を失うのだ。ただの紙切れ。せいぜい余白に追加のメモや無意味な落書きを書く程度の価値しか持たないだろう。何にせよ、役目を終えた用紙が行き着く先はくず籠である。再利用されるという至極環境に対して優しい使い道もあるにはあるが、それはともかく。

 誰もが目にする場所に用意された紙。それが処分されていないということは、考えられる可能性は二つだ。まだメモを書いた本人がそれを見ていないか、あるいはまだメモが宛てられた人物が処分していないかだ。前者は、四人の誰かがメモを書きそれを目視した上で放ったらかしたという線もなくはないが、半ばパニック状態に陥っているレインには、脳裏をそこはかとなくよぎる希薄な想定であった。

 ということは後者――つまり、レイン自身に宛てられたメッセージということだ。レインの中で結論が独りでに徘徊しているかのようだ。そんな具合に、レインが思い描くその紙の真相は暫定的に決定された。

 四人が休日の暇を持て余すべく外出した後、一人で未だ眠っている自分を差し置いて、何者かがこの部屋に侵入し、そして紙を扉に貼りつけた。

 空き巣に入られた。そんな予感を覚えたレインは、まず自分の荷物を見境なく引っくり返す。小綺麗に纏まった部屋は、レインが鞄から出した衣服や日用品によって見る影もなく雑多になった。

 頻りに調べたところで何もなくなっていないことを確認すると、レインはひとまず安堵する。となれば他の四人の誰かが被害に遭った可能性を考慮したが、しかしよくよく考えれば起きた時に荒らされた形跡はなかったし (今は彼女の手によって荒れ放題なので証明は不可能だが) 、何より確認しようにも本人不在の中で人様の荷物を手当たり次第に引っくり返すなんて暴挙は遠慮して然るべきだ。

 すると、いよいよレインは紙の意図、そしてそれを用意した人物の正体が分からなくなった。赤い布を目の当たりにした猛牛を見るような怯えきった眼で、扉の中央を堂々と陣取る一枚の紙を凝視する。

 やがて、レインはあることに気づく。『5』と書かれたその紙だが、よく見ると裏側にも何か書かれている。恐る恐る。レインは紙を扉から剥がし、ぺらりと裏返した。

 『噴水広場』。女子寮のすぐ傍にある、あの開けた場所のことだ。なんだ、これは。指示だろうか。あるいは扇動か。ここへ向かえという自分の意思が介入する余地のない命令なのか、行くも行かないも勝手だが真実を知りたくば来るがいいという、好奇心を煽る形での誘導戦術か。

 いいや、どちらだっていい。そこへ行って何か分かるなら、行く他にないだろう。レインは決心して、得体の知れない何かの静かな挑戦を受けて立つことにした。

 女子寮の玄関を出ると、眼前には朝焼けを受けて輝く飛沫が見えた。そういえば、この噴水が止まってるところを一度も見たことがないなあ。そんなことを思いながら、レインは広場の噴水へ歩いていく。起床するにはやや遅い時刻だが、学院を往来する救世主や職員の姿は見えない。皆々、それぞれ休暇を満喫しているのだろう。そんな中、独り姿の見えない誰かによる、意図も意味も分からない謎を理不尽に提示され、それに踊らされている自分がいることに、レインはようやっと気づいた。


「私なにやってるんだろう……」


 呟いた独り言は噴水があげる飛沫の音に無惨に掻き消された。レインは噴水に近づくと、その縁にまた紙が置いてあることに気づく。

 『4』。今度は、そう書かれた紙だ。


「数字……何を意味してるんだろう」


 怪訝な顔つきで、先ほどと同じように紙を裏返す。その紙もまた、裏側に別の文字があったのだ。『学舎』――またも場所の指定だ。やはり、メモを用意した人物は自分をどこかへ誘導しているのだ。これ以上、犯人の思惑に乗るのは危険な気もしたが、いやいや、ここは学院内だし、不穏なことは何もないだろう、と。レインは紙の指示に従うことにした。

 学舎の正面玄関の扉に、またも数字の書かれた紙が貼りつけられている。今度は『3』だ。


「カウントダウン……?」


 着実に終点へと近づいている数字の法則性に気づいたレインは、ここでようやく探索を続行するか否かの選択に迫られた。明らかに計画的だ。明確な計画の上で、自分は台本通りの演者となることにやぶさかではないのだ。これは、危険だ。この数字列の終端に待つ何かが、今か今かと自分を待ちわびていて、そしてそれが自分に害を及ぼすことが目的なら、これは他人に自分を自殺させるようなものではないか。

 熟考を尽くしたが、しかし、やはりレインは先へ進むことにした。このまま、何も分からずに休日を過ごすのは歯痒い。こんなもやもやした休暇を過ごしたくはない。レインは新たに意を決して、3番目の紙を裏返した。

 『東階段4階』。レインは廊下を歩いて突き当たりの階段を登る。指示通り。段を上がる毎に足音が空しく学舎に鳴り響く。この足音を、紙の作成者は聞いているのだろうか。3階層分の階段も、慣れていれば登頂までの時間は体感的には少なく、レインは、寮の部屋を出てから十分にも満たない大探索が始まって以来、4つ目の紙を見つける。それは階段の終着点の正面の壁に貼ってあった。

 『2』。そして裏返すと『多目的教室』の文字。いよいよかと思われた。ここへ来て、ついに場所の指定がただ一点を示したのだ。ここに、何かがある。レインは右に曲がって廊下を直進した。

 多目的教室の前に辿り着いた。扉は閉じており、窓も暗幕が掛かって中は見えない。この暗幕は以前から掛かっており、映像資料を見る機会があったりしたので、別段、犯人が最近に設置した可能性は皆無だ。もっとも、この暗幕ありきで場所を指定した可能性は充分にあるが。

 『1』。教室の扉に貼られた紙は、しかし裏に返してみれば何も書かれていなかった。ここが目的地――中へ入れということか。

 レインは一度、大きく息を吸い込み、そして吐いた。そして、その扉に手をかけ、そーっと開いた。反応はない。レインは下唇を噛み締めながら、暗幕を押しやって中へ入った。

 そして、パンッという鋭い音が四方から聞こえた。銃声を想起させるその音に、レインは慌てて伏せる。戦場での立ち回りの何たるかを学んだレインは、仲間の誤射に被弾するのを避ける術を心得ていた。

 すると、瞼に閉ざされた瞳が、それまでになかった光を視認した。目を瞑っていても堪らない眩しさ。レインは教室の明かりが点いたものだと思った。先ほどの音も銃声と呼ぶには、どこか差し支えがあるような……。更に内部には複数の人の気配も感じられた。


「おめでとう!」


 男女が入り交じった何人もの声が言った。その瞬間のレインが抱いた驚愕の念はと言えば、虚を衝かれたなんて言葉では済まないほどだった。何せ、その幾人もの声の中には、グレイやクロムといった、見知った人物のものも含まれていたのだから。

 恐る恐る、では最早ない。レインは自身が聞いた祝辞の真相を知るべく眼を開けた。そこには、やはりグレイやクロムがいた。しかし、彼ら以外にもブルートやスノウ、スリートらなど同じ分隊に所属している救世主は全員が集結していた。加えて、同じ分隊ではないにしろ同じ教科を受講している縁で知り合った別の中隊の友人や、中には顔も名前も知らない少年たちなどもいた。

 見ると、全員が手に手に使い終えたクラッカーを持っている。テーブルの上には大量の菓子が用意されており、教室の内装は華やかな彩飾で一新されていた。

 事態が呑み込めず、レインはただ呆然自失としている。


「……ん? どうした、レイン?」


 グレイに声をかけられて少しの間が空き、レインは我に返る。十数名の集いを見回すと、レインはたじたじになりながらグレイに向き合った。


「あの……おめでとうって、どういうこと?」

「どういうことって、そういうことだよ」

「私、今日誕生日じゃないよ?」

「なんだよ、それ。違う違う。タンク討伐おめでとうってこと」

「え?」

「表彰されたんだろ? 今日は祝勝サプライズパーティーなんだ。ほら、俺たち以外にも豪華な来賓の方々も招いてさ」


 グレイは、レインが知らない三人の少年たちと一人の少女、そして弓術学の講義で親しくなった友人ら五人を指した。


「レイン! おめでとう!」

アローARROW……」


 弓術の研鑽を共に積んだ友人が歩み寄り、ぎゅっと抱擁してきた。


「あ、え、あ……あ、ありがとう」


 レインは吃りながら、しかし心からの笑顔を浮かべてくれる友人に精一杯の感謝の意を伝えた。


「あはははは! アローはね、レインが来るまで一番そわそわしてたんだ。本当に嬉しいみたいなんだよ」


 すると、チルドと同い年くらいの少女が笑った――レインが初見で一瞬、少年なのか少女なのか判別できない中性的な顔立ちだ。そんな彼女 (?) の声を聞くと、ますます暫定的に少女と断定した自分を疑ってしまう。


「ボクはバレットBULLET。アローと同じ班なんだ。他の三人もそう。第1中隊C小隊のβベータ分隊の武術班。アローとボクとは、特に衣食住を共にする運命共同体なんだよ。アローがレインを祝いたいって言うから、ボクも面白そうだから参加することにしたんだ。よろしくね」


 ニコッと笑うバレット。レインはアローにのしかかられるような態勢のまま『よろしく』と声を絞り出した。


「――いやいやいやいや、ちょっと待て! バレット、お前は男なのか!?」


 バレットの一人称に疑問を持ったのか、ヘイルが一歩身を乗り出して問うた。彼が自分と同じ予想をしていたらしいこと、そして自分と違いその予想をおおよそ信じていたらしいことがその挙動から見て取れたが、しかしグレイら他の面々の表情も見ると、どうやら驚愕しているのは彼だけではないらしいことも、また窺える。

 ただ一人、クロムだけが平然とした表情である。平然というか、それを通り越して能面である。無表情。無感情。下手をすればバレットに関する事柄には何ら関わりたくないと考えているかのような、そんな冷淡さすらも伝わってくる表情だ。


「ううん。ボクは女の子だよ。女の子なのにボクのことボクって言っちゃいけないなんて決まりはなかったと思うから別にいいよね……ていうか、クロム。ボクがそういう変わった子だってこと、みんなに教えてあげてなかったの?」


 彼の名が登場した途端、レインと、クロムを除く彼女と同じ分隊の全員が、クロムの方を向いた。同時にクロムはクロムで、誰にも聞こえないような低い声で『チッ』と舌打ちした。

 彼の性格からして、バレットのような人物と接点を持つことは到底考えられない。ただでさえ未だ同じ分隊の仲間であっても一定の距離を置いている様子であるのだから。


「クロム……お前、人と関わるのが嫌とかそんな小っ恥ずかしいこと言ってたくせに、ちゃっかりお近づきになってたんじゃないかあ」


 このこの、と。グレイは隣同士という位置関係にあるクロムを、にやつきながら肘で小突いた。クロムはグレイに二度も肘を突かせず、その肘をまた自身の肘で叩き落とした。グレイは痛みに呻いた。


「そんなんじゃない。あんな奴知らない。知ったこともない。つーか知ったことか、あんな奴」

「あれ~? なんだよ、銃術の授業とは性格が全然違うんだね、クロムってば。この前なんかボクの銃の弾詰まりを直してくれたじゃん」

「マジで!? そこら辺、もっと詳しく!」


 バレットの言葉に、グレイは肘の痛みを忘れて食いついた。それを、クロムは彼の顔面を肘で殴打することで妨害する。それなりの激痛に顔をしかめるグレイ。互いに逆鱗を触れ合ったのか、そこからは両者共に一歩も引かない攻防一体の肘の応酬となった。拳や脚を使う素振りは見せない。いわゆる肘縛り。肘のみを以てして勝敗を決しようという二人の魂胆は、しかし端から見れば何とも滑稽なものだった。


「たしか、あんな感じの動きをする芸人さんが流行ったよね」

「いや、あんな過激じゃなかった気がするわ」


 その光景を眺めて呟いたレインに、ブルートは至極どうでもよさそうな表情で答えた。先ほどのクロムの比ではない、無表情。人は表情だけでここまで冷酷になれるものなのかと、レインは感嘆を惜しまない思いだった。

 閑話休題。そう言わんばかりに、レインは知らない少年たちの内一人がわざとらしく咳払いするのを聞いた。振り向くと、ウェーブがかった髪の少年が『初めまして』と会釈する。


「僕はシース。グレイ君と同じ剣術学を受けていてね。その縁で彼と友達になったんだ。ヒルトとガードも、僕たちの友達だよ」

「お、おい! 俺がいつ友達になった!」

「そうだそうだ! 俺とお前らが友達なんて、ありえねえっつーの!」


 シースが両脇の二人を指すと、それぞれが同時に異議を申し立てた。


「ありえないは酷くないかい、ガード? ヒルトもいつなったとか、そんな悲しいことを言わないでくれよ。僕たち、仮にも同じ班の仲間だろ?」


 二人で遊ぶような口ぶりのシースと、それにまんまと踊らされているようなヒルトとガード。先ほどから肘での決闘を続けているグレイたちと相まって、レインそっちのけでスコラ学院多目的教室の内情は混沌と化した。


「レイン……馬鹿は放っておいて、もう食べちゃいなさい。自分を祝ってあげなさい。こんな、祝いたいんだか騒ぎたいだけなんだか知れない連中の相手なんか、するだけ無駄よ」

「なに言ってるんだ! 祝いたいに決まってるだろ! 誰がこの教室を貸し切れるよう手配したと思ってるんだ! ふざけるな!」

「一番最初にふざけたのはあんたでしょ! 本気で祝いたいなら、こんな馬鹿騒ぎさっさと打ち切って真っ当に騒ぎなさいよ!」


 ブルートの一喝で、この教室を貸し切れるよう手配したらしいグレイをはじめ、どんちゃん騒ぎは瞬く間に終わった。

 ブルートは場が静寂したのを見計らうと、手近なコップを掴み、高々と掲げた。


「レイン! おめでとう! 乾杯!」


 他のみんなも慌てて適当なコップを選び取った (グロウとチルド、ヘイルは既にジュースはおろか、菓子にまで食らいついていた) 。そして各々がほぼ同時に、手にした容器をあおる。瞬間、ネルシスが勢いよく口にした何かを吐き出した。まさしく噴水のように、数多の気泡を孕んだ水滴が盛大に舞う。


「ちょっと! あんたふざけんのも大概にしなさいよ! そんな醜態晒しておいて、今後まともに誰かを口説けると思ってんの!?」

「ちょっ、ちが……俺は炭酸が飲めない……うへぇ」


 飲んで、食べて、騒いで、笑う。そんな楽しい楽しいパーティーは、こうして始まった。まさかという人が一発芸を披露したり、普段ではなかなか見られない組み合わせの面子がやり取りしたり、レインの功績を讃えたり――。

 一頻り盛り上がったパーティーは、それでも全く勢いに衰えを見せない。レインはある頃合いになって、ついに疲弊がピークに達するのを感じ参加者全員に断ってから席に着いた。

 ひたすら意気が右肩上がりの祝勝パーティー。そのメインは言わずもがなレインである。そのレインはパーティーがブルートの号令を以て本格的に始まって以来、誰よりも休まなかった。自分のために催された会を思いきり楽しみ、誰よりも快活に宴の高揚に乗った。

 パラティウムでの豪華絢爛な晩餐より、こうも楽しいとは――そんな、品質や外観を超越した宴会に耽りながら、レインはしばしの休息を要したのであった。


「どうだ、パーティー」


 微笑みながら愉悦のあまり溜め息をついたところで、グレイが隣に腰かけた。


「うん……ありがとう」


 それからしばらく二人は黙って、他のみんながパーティーを楽しむ様子を眺めた。そこには笑顔が敷きつめられていた。隊の壁を越えて笑い合う救世主たち――ネルシスとシースが己の美学を比べ合い、ヘイルとガードが力を競い合い、クロムとヒルトが互いに内向的と言える性分ながらも微笑を浮かべて語り合う (あのクロムとヒルトがだ!) 、そんな光景が、この場所で展開されている。

 この教室は、なんて素晴らしい世界なんだろう。レインは思った。自分の元に集った人たちが、こんなにも幸せそうな表情をしていることが、この戦乱の世界で何にも勝る真実だった。


「あ、そういえば」


 レインはふと、とある疑問を思い出して、沈黙を破り切り出した。


「あのメッセージはさすがにないよ」

「え?」

「サプライズなのは分かるけど、だからってあんな意図が分かりにくいものにしなくたっていいじゃない」

「は?」

「おかげでここに辿り着くことが出来たわけだけどさ、私だって結構怖かったんだよ?」

「レイン、なんの話をしてるんだ?」


 グレイはレインの言っていることに何も思い当たらないような口振りだった。その様子を間近に見て、レインは違和感を覚える。


「……グレイ。私にどうやってこのサプライズパーティー会場に辿り着かせようとしたの? いくらサプライズだからって、何かしらの導き手は必要なわけじゃない?」

「あー。それならブルートが引き受けてくれたよ」

「――ブルート?」

「ああ。どうにかして俺たちの思惑を悟られないような文面で、且つ確実にレインがここに来れるような招待状を書いてくれって」

「――それ以外の指示は?」

「ううん。何も。招待状に関してはブルートに全て一任した」

「…………」


 レインは『ちょっとごめん』と言って席を外し、グロウのテーブルマナーの悪さを嗜めるブルートの元へ直進した。途中でスリートがチルドとバレットに眼鏡を奪われているところをすれ違った。ブルートたちがいるテーブルの後ろでは、無口なスノウと懸命にコンタクトを図ろうと試みている様子のアローの姿もあった。


「ブルート。話があるんだけど」

「ん? なに?」


 応じたブルートの手首を掴み、まずはグロウは他の面々から遠ざけるレイン。比較的静かに思える位置に行くと、レインはブルートと相対した。


「あの数字の置き手紙ってブルートの?」


 数字、とレインが言った段階で、ブルートはビクッと肩を震わせ、気まずそうに指先をいじくりうつむいた。


「あんな回りくどくて意味深なんだもん、私びっくりしちゃったよ。もう少し直球でも良かったのに」

「だ、だって……」

「え?」


 何やらぶつぶつと呟くブルート。声量的にはスノウより更に小さいようにレインは聞こえた。日頃からあれだけ嗜めておいて、自分だって人のことは言えない。ブルートの少し意外な一面を垣間見た気がした。

 やがてブルートは開き直ったように、一転して攻勢に打って出るのだった。


「――かっ、勘違いしないでよね! 別に、あんたのために書いたんじゃないから! グレイに頼まれて仕方なくよ! 仕方なく! ま、まああたしもお菓子食べたかったし! ジュース飲みたかったし! ダイエットとか辛かったし! あ、あんたが表彰されたのを祝おうとか、そんなことは微塵も思ってなかったんだからね! そ、それを勘違いされたら堪ったもんじゃないから、ちょっとしたナゾナゾでたぶらかしてやろうと思ったのよ! これで見当違いな場所に行き着いて、主役が到着しないパーティーにでもなったら、私が用意されたお菓子と飲み物ぜんぶ平らげちゃおうっていう漁夫の利作戦なんだから! ま、まあその様子だとうまいこと翻弄されちゃってたみたいだけど! 大成功よね! 大成功! べっ、別に思ったより来るのが遅いからって心配なんかしてなかったんだからね! あんたなんか本当は、来てくれたって全然うれしくなんかないんだからね! あんたなんか……あんたみたいなあんぽんたんなんかっ、これからもズッ友なんだからね!」


 ツンデレも度が過ぎると予期せぬところで弊害が生じるものだ。レインはそんな教訓を得た気がした。


~3~


 じきに日暮れが訪れようかという時分になったところで、パーティーはお開きとなった。ヒルトら第1中隊C小隊の五人には一足先にお帰りいただき、パーティーの企画立案者であるグレイと、彼と同じ部隊の所属であるクロムたち、そして宴会の主役となったレインが片付けを受け持った。レインに関しては、パーティーの主役に後片付けを手伝わせるという事態はグレイたちとしては当然あってはならないこととしていたのだが、彼女たっての希望を無下にすることも出来ず、そのまま十人で取りかかることになった。

 太陽が地平に沈むか否かという頃に、十人は学舎を片付けを終え学舎を後にした。彼らの談笑する声が、休日のスコラ学院に木霊するようだ。噴水広場にしばらく居座り、やがて門限が間近に迫ったことを告げる鐘が鳴り、そこで一同は解散となった。貴重な休暇と楽しい宴会の終焉を自覚し、十人は名残惜しさに胸を灼かれながらも、男女で別の寮へと戻っていく。


「なんだか『ただいま』という感じではないな! ただいま!」


 先陣を切って入るや否や、部屋の鍵を放っぽって真っ先にベッドに飛び込むヘイル。


「家の庭でバーベキューをしただけみたいなところがありますからね、当然といえば当然でしょう――ヘイルさん、ただいまはいいですが、鍵をその辺にほったらかしにするのはやめていただけませんか? この部屋に出入りするのはあなただけじゃないんですから」


 それなりに散らかった部屋の床から鍵を探し当てると、スリートは既に就寝する態勢となっているヘイルにたしなめた。

 グレイも半日騒いだ反動で疲労した身体をベッドに預けた。忙しく瞬きすることで眠気を誤魔化すが長くは保つまい。ネルシスも大きな欠伸を掻いている。皆々、さすがにへっちゃらなわけはないだろう。


「なんだこれ?」


 クロムが言うと、グレイら四人は彼を振り返る。部屋の扉の方を向くクロムの手には、明るい水色の光を発する何かが握られていた。


「む? なんだ? それは?」

「ドアに貼りつけられてた」

「ドアだと? 俺が鍵を開けた時にはなかったぞ」

「内側にあったんだ……誰か見覚えないか?」


 ヘイルに見せた後、クロムはそれを掲げた。全員が、彼の持つ透明度の高い小さな楕円形の水晶のようなものを目にする。各々が首を振る中、唯一グレイだけはそれに思い当たったのか、眉間にシワを寄せて水晶を凝視した。


「――グレイ、なにか心当たりがあるのか?」

「ああ。この前、レッジの研究所に行ったとき見たものと同じものだと思う」

「これは何なんだ?」

「記録媒体だよ。俺たちの世界で言うカメラとか、そういうの。魔晶台の画面に使われてるのと同じ種類の鉱物だったっけな」


 カメラ――その単語を聞いて、クロムは思い出す。グレイがレッジの元へ訪れていた日、時を同じくしてクロム自身も、今自分が持っている水晶と似たものを持った人物と会ったではないか。

 スコラ学院に取材しに訪れた一行の内のカメラマン。オクルスの持つカメラのレンズが、たしかこれと同じ光を発していたような。


「ということは、これに何かしらの映像が記録されてるってことか?」

「あるいは音声か。どっちにしろ何かが記録されてるのは確かだ」


 グレイとクロムが、水晶を訝しげに見つめる。クロムが残った三人に再度、水晶に心当たりがないか確かめたが、答えは先ほどと変わらなかった。


「どうするグレイ? 見てみるか?」

「いや、ダメだろ。誰のものかも分からないし、もしかしたらプライバシーに関わるかも」

「考えてみろよ。これは部屋の内側にあったんだ。俺たちの部屋の中に、だ。鍵はヘイルがずっと持ってたし、俺たちの誰も見覚えがない。誰かがこの部屋に侵入した可能性がある」

「いや、それはさすがに――」

「どのみち、これが俺たちの部屋にある時点で、これの持ち主は俺たちのプライバシーを侵したも同然だ。今から俺たちがそいつのプライバシーを侵したところで、どっこいどっこいだろ。大丈夫だ、裁判には勝てる」

「裁判沙汰になるくらいなら見ない方がマシだって言ってるんだ」


 グレイの反論も虚しく、クロムは嬉々として水晶を弄くった。そこへネルシスも加わり、二人は一刻も早く記録されたものを見たいのか、水晶のそこかしこを触れる。しかし、平坦な表面のどこにも、記録を再生させるようなスイッチが見当たらない。二人は当惑しているのか、互いに顔を見合わせた。


「グレイ、これどうやって使うんだ?」


 クロムに放り渡され、ついにグレイは観念した。彼が楕円形の水晶の両端を押し込むと、水晶から独りの小柄な男性の幻影が浮かび上がった。ここまでくると、今までクロムに否定的な眼差しを送り続けていたヘイルやスリートも、水晶が記録する何かに興味を示したのか、その男性を凝視する。


「救世主実動部隊第2中隊D小隊α分隊の諸君――まず、この魔晶に記録されていること、そして今から君たちに依頼する一件のことは全て他言することを固く禁じておこう。これは諸君ら十名に与えられた、超級極秘任務だ」


 男性は厳かな表情で言う。明確に自分たちへ宛てられたメッセージに、五人はこれ以上ないほどに注目した。


「私はパラティウムで民政を司る部署に所属している者だ。本日の未明、ある町の住人が忽然と姿を消した。全員だ。住民登録をされている者たちは一人残らず、町から消えたのだ。調査員を派遣したが、争いや荷造りの痕跡もない。当局では全員が瞬時にして、何者かの超自然魔法で強制的に別の座標に転移されたものと推察している。そこで諸君らに、この現象の解明と住民の救助を依頼する。

 具体的な指示としては、まず諸君らの寮の就寝時刻から二時間経過したら、ヴァントを通過してくれ。必ず十名揃って通過すること、そしてこの事を他言せぬよう、厳命する。ヴァントを通過すれば、そこは事件が起こった町だ。そこで現象の原因と、住民の所在を調査するのだ。

 なお秘匿任務につき、この魔晶は記録の再生を終えた十秒後に消滅する。頼むぞ、救世主たちよ」


 そこで映像は消えたが、五人はしばらく呆然と役目を終えた水晶を穴が空くほど見つめるばかりだった。


「おい、消滅って……」

「どっかで聞いたようなパターンだな」


 グレイが狼狽えていると、クロムは彼の手中から水晶を引ったくり、窓を開けて外へ放り投げた。


「伏せろ!」


 クロムが叫ぶと同時に、五人は一斉に地に伏した。頭を両手で覆い、目を瞑るが、しかし既に十秒以上経った頃合いになっても、何も起きない。グレイたちは恐る恐る立ち上がり、窓の外の水晶を見た。だが、そこに放られたはずの水晶は跡形もなく消えていた。


「――まあ、消滅って言ってたからな。一応……」


 顔がみるみる赤く染まっていくクロムを横目に、グレイは堪らず言った。現実は映画ほど派手にはいかないものだ。

 それに映画の方も、時には地味な演出も光るところがあるのだ。


「俺たち十人への依頼ということは、レインたちの方にも届いているのか?」

「確認してみよう」


 ヘイルが向かい側の建物を見やると、ネルシスが自身の荷物を漁りだした。


「む? 確認だと? あっちとの連絡手段があるのか?」

「……連絡手段っていうのとは少し違うが、まあ似たようなもんだ」


 そう言ってネルシスが取り出したのは双眼鏡だった。黒くて目立たないものだ。それを掌でくるくると弄びながら、ネルシスは窓辺に肘をかける。そして双眼鏡越しに女子寮を覗き込んだ。


「……どうやらあっちにも届いているようだ」

「なぜ分かるんだ?」

「カーテンが開いている」


 ヘイルの問いにネルシスは堂々と答えた。


「ネルシスさん。それは犯罪ですよ」

「どこがだ? 俺はただ、カーテンが開いているから中を見ているだけだ。そこに犯罪的要素は微塵もない」

「僕にはあなたの頭の中身が微塵も入っていないように思えますね」


 軽蔑するような目つきでスリートはネルシスを見る。当の本人はそれに気づく素振りを見せず、というか自分の視線の先にあるもの以外には全く関心を見せず、それがまさしく先ほど仰せつかった極秘任務であるかの如く、女子寮の一室を双眼鏡越しに凝視し続けた。


「お。ブルートが窓を開けた。あ。眼が合った」


 何やら実況するネルシスであるが、しかし他の四人は彼から発せられた言葉に戦慄した。


「あっ……ああ、どうして閉めるんだブルート。これじゃあ中が見えないじゃないか。たしかに水晶が届いたことは確認したが、その水晶の中身が俺たちのものと同じであるという確認は取れていない。まったくしょうがないじゃじゃ馬っだな、ブルートちゃん」

「あなたは今晩中に死ぬ覚悟をしておいた方がいいかもしれませんね」


 そして五人は夜が更けるのを待った。ヘイルやネルシスが眠りそうになるのを、グレイたちは懸命に阻止した。している最中、メッセージの男性に対する不信感というものが、意識を鮮明に保ち続ける三人の胸中に生まれていた。


「なぜ極秘なのか言及されていませんし、それに我々はケントルム直属の部隊であるはずです。その僕たちに、こんな一方的かつ秘密裏に依頼された任務なんて、なにか陰謀めいた影を感じます」

「ああ。何よりあの男が見るからに怪しい。あんなやつに政治を任せる国の気が知れないな」


 メッセージに否定的な意見を述べる二人だが、グレイは彼らと同じ疑惑の念を抱く反面、任務を受けた救世主としての責も同時に痛感していた。


「でも、こうしてメッセージが届いたんだ。俺たちは救世主として、やることをやるだけだろ」

「これがその『やること』なのか? おかしいと思わないか? 救世主に人探しさせるなんて、粗末な話だろう」

「救世主は民衆のためにいるんだ。その民衆が大勢、町から突然いなくなったなんて事件が起こったら、駆り出されても不思議じゃない」

「駆り出されても不思議じゃない、たしかにそうだ。けどな、グレイ。駆り出されたらダメなんだよ、俺たちは。こんなの、地方の警察や兵隊に任せるべき任務なんだ。俺たちはクラウズと戦うことで民衆を守る。この学院にいるのだって、そのための準備を怠らないためだ」

「それは――」


 二人の語調が熱くなってきたところで、スリートはグレイとクロムの間に割って入った。眼鏡をくいっと上げ、スリートは二人を交互に見る。


「隊の半数以上が参加しない議論は無意味です。ともかく時が来るのを待ちましょう。あちらにも同じものが届いているなら、僕たちはいずれ噴水広場に集まるのでしょう。なら、そこを議論の場にしても不都合はありません」


 スリートの言葉に、グレイとクロムは落ち着きを取り戻す。未曾有の事態に直面したストレスは、少なからず若い二人の神経を蝕んでいた。

 その後は特に何が起こるでもなく、指定された時刻が近づいていた。スリートはまどろみに身を任せる二人を起こし、グレイとクロムは廊下の様子を窺いつつ部屋のドアを開けた。誰かに見つかったら任務に行くどころではなくなってしまう。そうなれば元も子もない。五人は物音を立てることなく、隠密かつ機敏に広場へ出た。


~4~


 少し経つと、女子寮からも五人が出てきた。同分隊の十名が、ここに集結したのである。ブルートは寝ぼけ眼をこするネルシスを見るや否や、右手を猫のそれに変化させ彼の顔を引っ掻いた。先ほどの覗きに対する制裁であった。


「どうするの?」

「無論、行くべきだ!」


 レインが切り出すと、ヘイルが威勢よく答えた。その声音は学院中に響かんばかりだったので、六、七名が慌てて制止する。


「とりあえず、ヘイルに賛成の奴と反対の奴とで分かれよう。そこから議論した方がやりやすい……じゃあ任務に行く派は男子寮側、行かない派は女子寮側に移動してみよう」

「じゃあ俺は行かない派へ行くとしよう」

「お前は女子寮が近けりゃどっちでもいいんだろうが。そこの噴水に顔でも突っ込んどけや」


 そうしてグレイ、レイン、スノウ、ヘイルが男子寮側に。クロム、スリート、ブルート、グロウが女子寮側に並び立った。ネルシスは噴水に顔を浸け、チルドはそれを傍で見て嬉々としているという構図だ。二人はどちらでもいいという中立派という立ち位置にいるのだが、実際は遊んでいるだけである。


「私、あの映像の人を見たことがあるの」


 レインは挙手すると言った。


「エモさん……私とグレイの知り合いの人の上司っぽかった。あの人自体は、正直なんだか嫌な雰囲気だったけど、もしあの時、エモさんの知り合いということで目星をつけられたなら、私はこの任務をやり遂げたい。エモさんのためにも」

「レイン、あいつをどこで見たんだ?」


 クロムが訊ねる。


「パラティウムだよ。表彰式の後に会ったの」

「表彰式――あの日、俺もエモという女に会ったよ」

「え!? エモさんに!?」

「ああ……となると、俺は尚更任務には反対だな」

「ど、どうして?」


 レインの眼差しを受けて辛そうな表情となるクロムを、グレイは見逃さなかった。刹那の悲痛を、その瞳ではっきりと捉えたのだった。


「あいつは隊長やレッジ先生を探していた。隊長はレインに付き添ってたし、レッジ先生はグレイの見学先だ。二人が不在と知ったあいつは、代わりに俺に頼んだんだ」

「頼んだ? 何を?」

「レインとグレイを守ってくれって、そう頼まれた」


 クロムは、相対するグレイと向き合った。


「おかしいだろ。タイミングが良すぎる。あいつはこの事態を予期していたんだ。あるいは既知だったのかもな」

「おい、それってどういう――」

「どうだっていい。この任務に危険が伴う可能性は十分にある。この任務は何かがおかしい。朝を待って隊長や当局に確認しよう。隊長から何も言われてないんだ。これは明らかに非合法の任務だ。大体、極秘任務は隠密科の担当だろ。そこからそもそもおかしいんだ」


 睨み合うグレイとクロム。レインは、そんな二人を戸惑いながら交互に見た。グレイとクロム。どちらの意見も正しいものだと感じている手前、どちらの肩も持てないという現状だった。

 グレイは、隣で唸り声を出すヘイルに気がついた。その身が案じられたが、クロムと対峙している最中ということもあり、声をかけようか迷っていると、突如ヘイルは雄叫びをあげた。またも数人に制止されるが、今度はそれでも止まらない。ヘイルは星々の煌めく夜空に叫び続けた。


「ごちゃごちゃした話はもういい! 俺たちは救世主! 困っている人を救う存在だろう! 町の人間が丸ごといなくなったとあれば、それは救世主の出る幕以外の何でもない! 行くのか! 行かないのか! 人々を救うのか! 救わないのか! ただそれだけだろう! 俺は行くぞ! たとえ一人だけだとしても! 俺は俺の信念を貫き通す! 人を救うという正義を!」


 ヘイルは固い決意の表れなのか、それとも溢れんばかりの怒りの表れなのか、ずんずんと重い足音をたててヴァントの方へ歩いていった。


「待ってください! 勝手な行動は慎むべきです。任務の指示にも僕たち全員の参加が厳命されています。任地へ行こうと行くまいと、独断専行は避けなければなりません」

「ここであれこれ考えても、あーだこーだと議論を交わしても、誰も救うことは出来ない! 俺は行くからな!」


 スリートの制止を聞かず、ヘイルは学院の正門へ近づいていく。もはや振り返ろうともしなくなった。そんな彼を見て、グレイも決心を固めた。

 グレイはヘイルに続いて歩き出した。


「グレイ! お前、本気なのか!?」

「ああ。俺もヘイルと同じ気持ちだ」

「人が消えたということさえ、俺たちを誘き出すための嘘かもしれないんだぞ!?」

「ここで行かなかったら、どっちにしても誰も救えないままだ。どんなに小さい可能性でも、救うことが出来るかもしれないなら、俺はそっちに賭けたい」


 グレイは言うと、ヘイルの後に続いた。その後ろ姿を見つめ、レインも次いで走り出す。スノウも、レインと同時に駆け出した。


「私も行く! 一緒に行く!」

「レイン……」

「わっ、私、も……」

「スノウさん……ありがとうございます」


 彼女が精一杯絞り出した言葉に、グレイは微笑んで答えた。ヘイルは自身を追いかけてきた三人を認めると、いつものように豪快に笑った。その声音は、やはり近隣に響き渡るかのような大きさだったので、三人は慌てて彼の口を塞いだ。

 前方には、既にヴァントが透明な膜を展開している。あれを潜れば目的地だ。四人は消えた人々の安否を案じながら歩を進めていった。


「待ってください!」


 背後からスリートの声が聞こえた。ヘイルは苛立った表情で振り返りながら『しつこいぞ!』と怒号を発した。しかし、スリートは止まらない。四人に追いつくと、スリートは普段しているように、眼鏡をくいっと上げる仕草をした。


「あなた方だけでは不安でろくに寝つけそうもありません。僕も皆さんを監督するという立場で同行します」

「スリート……お前は反対派ではなかったのか?」

「ですから、あなた方賛成派のメンバーだけでは気が気でないので、不本意ながら同行するという意味です。僕としてはまったくもって不本意ですが、しかしあなた方に何かあったら……僕たちも世間の衆目を集めてしまいかねませんから」


 ヘイルはしばらくスリートをじっと見ると、やがて『うむ』と短く唸って、それからは彼には何も言わなかった。


「みんな行くって! 行こっ、グロウ!」

「えぇ~……チルドちゃんや、中立派を謳ってたんじゃなかったの?」

「だって夜にお外出るなんて、悪い子みたいで楽しそうなんだもん!」

「うちはチルドがもう少し大人になった時に、そんな具合に色んなことをしでかさないことを祈るばかりだよ~」

「ねっ、行こ行こ!」


 半ばチルドに引きずられるように連行されるグロウ。チルドは大の大人の手を引きながら五人に追いつき、レインに抱きついた。


「あんな怪しそうな奴の言うこと聞くなんて……ほんと、バッカじゃないの!」


 ブルートは毒づきながら、しかし七人の後を追った。


「あっ! ブルート! ブルートも来るんだ! わーいわーい!」

「か、勘違いしないでよねチルド! あっ、あんたが心配とかそういうんじゃないんだからね! 最近ダイエットをしてるから食後の散歩にでも洒落込もうかという、あたし自身のためなんだからね!」

「え……ブルートはチルドのこと、嫌いなの?」

「そっ、そんなこと一言も言ってないでしょ!?」


 ヴァントへ向かい並び歩く八人。その光景を見て初めて、クロムは唐突な孤独感を覚えた。そんな彼に追い打ちをかけるように、ネルシスも噴水から遠ざかった。


「お、おい! お前――」

「俺は男と二人で留守を任されたくはない。向こうの方が花がありそうだ。あばよ。お前は盆栽やサボテンとでも戯

じゃ

れ合ってるんだな」

「盆栽は花ではないだろ!」


 その後慌てて引き止めたクロムだったが、ネルシスはついに九人と合流してしまった。グレイが孤立した自分を振り返るのを、クロムは見た。

 お前は来ないのか――そんな、期待と寂しさとが入り混じったような眼差しである。クロムはグレイを睨みつけることで彼への返答とした。

 とうとう諦めたのか、グレイは号令をかけているらしかった。ヘイルを先頭に、みんなが次々とヴァントを通っていく。そんな中、グレイとレイン、そしてスノウは最後まで残り、クロムを待っていた。グレイは、先ほど諦めたばかりだというのに、まだ自分を信じている。その信頼が、今だけはクロムは痛々しかった。親友を裏切っているような罪悪感が、実際にそうしたか否かは別として、クロムの心臓を圧迫した。

 そして、ついにグレイとレインが、そして二人の半歩後ろからスノウが、ヴァントの方に向き直り、歩き始めた。クロムは、そんな彼らの後ろ姿を見た。

 グレイと――そして彼の隣を歩くレイン。そんな光景を目の当たりにした瞬間、クロムは理屈や道理では言い表し難い何かに背中を押された。

 クロムは走っていた。ヴァントへ向かい、駆けていた。夜の学院を疾走するクロムの胸中には、水晶に映った男性への疑念などはなかった。ただ、自分も行きたい。独りになりたくない。そんな、通常の彼ならば一言で冷淡に一蹴してしまうような子供じみた衝動で、しかし彼は疾駆する。

 グレイとレインが続々とヴァントを潜り抜けていき、最後尾のスノウが透明な膜を通ろうとした時。彼女は振り返り、こちらへやって来るクロムを認めた。クロムも、彼女がこちらに勘づいたことに気づく。スノウは少しあたふたした後、誰かを呼びに行くような風でヴァントの向こうに消えた。

 クロムも、それに追いつこうと全力で走る。ヴァントまで、あと十数メートルといったところだ。すると透明な膜の中から、スリートが現れた。


「早くしてください。見つかったら任務どころでは――」


 言いながらスリートは、それまで背後に感じていた何かしらの気配が消失したのことに気づいた。一方でクロムも、眼前から消失したものを見て足を止め、絶句する。

 スリートは振り返ったが、そこにヴァントはなかった。あるのはスコラ学院の来訪者が最初に見ることとなる、正門の両脇に佇む鉄柱だけだ。


「馬鹿な……」


 スリートが驚愕して呟いた。


「ヴァントが独りでに閉じることなど……」


 クロムも、今までヴァントが開いていた場所へ歩いていく。正門の延長線上に手を差し伸べても、指先は空を切るだけだ。


「まさか――」


 クロムは得体の知れない恐怖に脅かされた。

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