BLAZE

~1~


 ある日――スコラ学院の地下深くで人知れず鍛練に励む少年の姿があった。数日前から彼は、自らの魂の具現である灰色の剣を手に、学院の地下迷宮【ラビリンス】を利用し続けている。道中の闘いで蓄積された熱により、今や剣は深紅に染まり、高温の刃は陽炎かげろうを発していた。

 マタドレイク氏にヤーグの秘められた能力――秘技・【炎天】の存在を告げられた後 (正確には氏と手合わせし、完膚かんぷなきまでに叩きのめされた後)、グレイはウィルに補習を受けている時、新たな力の修得に際する不安や苦悩を打ち明けた。すると彼は、学院地下に広がる迷宮を能力開花の場として勧めたのだった。


「ラビリンスは自身の強化に最適だが、未知の新しい能力を引き出すには持ってこいだ。特に個人の魂が先天的に有する魔法や武具の性質を覚醒させるにはな。前にも言ったが、ラビリンスは広大で、しかも深い。更に各階層は毎回異なる構造に変化する。この特徴は単純な戦闘力の向上に役立つし、階層を下っていくという進行方法もきもだ。下へ下へと進んでいくラビリンスの構造は、内部の人間の魂に影響を及ぼすんだ。階層を降りていく毎に、自分の深層心理が浮き彫りになり、自身で知覚していくようになる。やがてそれは自分という存在についての、哲学めいた探究心に変わり、己の魂を見つめ直すきっかけとなる。ヤーグはお前の魂そのものだ。だから自分自身というものを突き詰めていけば、おのずと答えは出てくるはずだ」


 そして後日、グレイはウィルにラビリンスの使用許可証なるものを手渡されると、正門のヴァントを通るよう言い渡された。透明な壁を潜ると、そこには薄暗い広大な空間が広がっていた。内部にはクラウズに瓜二つの存在が蔓延っており、ラビリンスの利用者はそれらを倒すことで鍛練を積む。ウィルの言によれば、この存在は実在の生物ではなく、ラビリンスが有する思考が生み出した架空の化身らしい。

 以来、グレイは連日連夜ラビリンスを利用し、秘技・【炎天】の修得に臨んでいたのだが。成果は一向に挙がらないままであった。


「くそっ……」


 十層ほど下り、一帯に出現した敵を斬り伏せると、グレイはヤーグの紅い刀身を見下ろし悪態をついた。ここ数日、空いた時間のほとんどをラビリンスでの修行に費やしてきたが、ここまで【炎天】発動の兆しが見えないと、いよいよ彼の胸中に焦燥と苛立ちが募ってくる。


「なんでだよ……!」


 舌打ちして呟いた直後、グレイの周囲に複数の影が忍び寄る。ラビリンスが造り出したクラウズの偶像である。

 グレイは八つ当たり気味にそれらを斬り裂いていく。ヤーグの刃は接触したクラウズもどきたちの骨肉に比例して、なおも熱を蓄えていく。

 クラウズもどきの実態はラビリンスの持つ『思考』である。故に内部の構造が定期的に無限に変わるのと同じく、それらもまた、利用者の気配を察知すると無限に湧いて出た。ラビリンスに潜るメリットではあるが、目的を達せないまま、似たような敵を延々と斬り続ける作業に、グレイはうんざりしてきていた。

 秘技・【炎天】――その能力を発動することが出来なければ、今までこの場に費やした時間の全てが無駄ということになる。マタドレイク氏は己の魂に刻まれた剣術の心得を引き出すことが近道だと言ったが、もしそれが間違っていたら……戦いによって覚醒する類いの能力ではなかったとしたら。

 意識の外に放っていたはずの考えが、再びグレイの脳裏にぼんやりと浮かび上がる。グレイは信じ難い仮説を頭から振り払うように、眼前のクラウズもどきを斬って捨てていった。

 どれほど経っただろう。いくら倒しても数の増えないクラウズもどきの大群を、およそ三百体近く葬った頃だった。クラウズの来襲を告げるサイレンが、ラビリンス内に轟いた。地上への帰還をグレイが望んだ瞬間、辺りのクラウズもどきは一斉に消え去り、グレイの姿もなくなっていた。


~2~


 グレイは正門に立っていた。ここからは目前の広大なスコラ学院の敷地が望める。学院の救世主たちは原則として出撃する前に必ず教室へ赴かなければならない。全員に正確な情報を一度に伝達するためだ。戦場で用いられる通信魔法も理論的には常時使えるらしいが、スコラ学院を防護する巨大かつ高密度な魔法障壁に加え、世界各地の軍事施設へアクセスできるヴァントの影響を受け、上手く作動しない可能性は否定できないとのことで、作戦の効率と人命を優先するため、このような措置をとることとなったとか。

 どうせ教室へ戻っても場所と敵の勢力――即ちポルタの規模について手短な説明を受けるだけで、ものの数分もしないうちにここに舞い戻ることとなる。本当ならここでレインやクロムらを待ち、ヴァントを潜る最中にでも概要を訊ねたいのだが……。

 規則は規則だ。守るべくして守られる。それに、自分の担当教官はウィルだ。目立った行動は彼の隊長としての評価にも繋がるだろう。ならば、大人しく規律に従う他ない。グレイは刀身が深紅に染まったヤーグを魂の内に戻すと、学舎の方へ駆けていった。

 グレイが息を荒立てて2階D教室に着いた時には、既に第2中隊D小隊の面々が着席しており、ウィルも状況を説明しているところだった。


「遅刻だ。ただちに席に着け」


 先日、隊長となることを黙っていたことの真相を訊ねた時とは大違いな、とても厳しい鬼教官の姿がそこにはあった。ときたま、グレイはウィルが本当に以前から知り合っている友達なのか疑う瞬間があった。その厳しさが優しさの外郭であり、私情を挟まず誰でも平等に接するという点では教員の鑑なのだが。

 海老天ぷらで例えたら、優しさが中身の海老で、厳しさが衣みたいな。具は衣に隠されているからこそ際立つのだ。


「現地の地形自体は広大な平野であり、通常通りの戦闘が可能かもしれないが、今回は状況が違う」


 グレイが席に着くのを待たずにウィルは話を再開した。グレイは慌てて唯一の空席を探し当て、クロムとレインの間に座った。この幼馴染みと親友は、自分の席を確保してくれていたらしい。

 でも、なんだったら二人が隣同士でも良かったのだが。なぜわざわざ両者の間に自分の席を設けたのだろう。

 そんな疑問は、直後のウィルの台詞によってかき消された。


「【タンク】が出現した」


 その一声を聞いた途端、教室がざわめいた。グレイは両隣のレインとクロムと交互に目配せした。全員、この事態の重大さを分かっているのだ。

 タンクとは、稀にポルタより襲来する巨大な獣のクラウズだ。その周期は百回に一度ほどで、救世主たちも未だにタンクを相手取ったことはないのだが。


「隊長! しかし今回は早すぎるのではないか!?」


 ヘイルが立ち上がって叫ぶ。そう、前回のタンク襲来から、まだポルタは数十回ほどしか開かれていない。間近で見たことのない救世主たちだが、最近タンクが出現したタイミングは『戦術学』の授業で教わっていた。


「ああ。原因は不明だが、奇妙だからといって、あの化け物を野放しにはしておけない。諸君は初めてタンクに立ち向かうことになるが、俺は心配していない。全員、無事に帰ってくると信じている――以上だ。総員、直ちにヴァントへ向かえ」


 刹那で救世主たちは立ち上がり、教室から動物の群れのように出ていった。


「いい加減起きてください……あなた、隊長の話を一句足りとも聞いていなかったでしょう」

「むにゃ~……いやいや、そんなことはなきにしもあらず……ぐう」


 スリートは隣で机に突っ伏しているグロウを小突いた。グロウは眠たそうな眼差しでスリートを見ると、答えながら再び机上で組まれた両腕に顔を埋める。

 これでも三十路の女性である。


「やはり美人は寝ていても美しい。そのままで構わない。俺は寝ているお前が大好きだ……さあ、おぶってやろう。眠れる美女を背負って野原を駆けずり回れるなら本望だ」


 ネルシスはそんなグロウに近づくと、演劇のような身振りで彼女に訴えかけた。しかしグロウは寝言のような返事を返すだけで、一向に動こうとはしない。


「ねーねー、『たんく』ってなーに?」

「ほら、だから授業中は寝ちゃダメって言ったのに!」


 チルドはブルートの服の袖を摘まんで訊ねた。どうやら同じ講義を受けている時、ブルートは幼い彼女の面倒を見ているらしい。


「だってチルド、むずかしいことはわかんないんだもん」

「そりゃそうかもしれないけど……」


 ぶーぶーと口を尖らせるチルドに、ブルートはたじろいでいる様子だった。存外、子供の扱いは不得手なのだろうか。


「みんな! もたついていると出遅れてしまう! リヴィング・タンクが現れたとなれば、これまでとは比較にならない激戦が予想されるぞ! 万全を期して行かなければならない!」


 ヘイルは一頻り叱咤激励の言葉を述べると、雄々しく咆哮をあげながら廊下を走っていった。いつでも鬱陶しい、熱血バカというのがピッタリな青年である。

 そんな彼に呆れながらも、スリートやブルートたちは次々に教室を出ていく。ウィルも残されたグレイ、レイン、クロム、スノウら四人に早く出撃するよう促した。

 四人は廊下へ出て正門へと走った。


「いきなりだね」


 階段に差し掛かったところで、レインが出し抜けに言った。グレイは相槌を打って応じる。


「こういう唐突に物事が起こる感じ、苦手なんだよなあ」

「そうなの?」

「俺はアドリブが効かないんだ」

「それ、格好よく言ってるけど、融通が効かないってことでしょ?」

「人を堅物みたいに言うもんじゃない」


 他愛もない話をしていると、四人は一階へ到達していた。彼らは土足のままなので、下駄箱の類いはなく、学舎の出入り口からは光が漏れている。


「お前は前からそうだよな」

「は? なんだよ、それ」

「さあな」


 幼馴染みの二人の間に割って入るように、クロムはグレイに言った。その緩んだ口元から、なにか馬鹿にされているような感がして、グレイは口を尖らせた。クロムは横から自分を睨みつけるグレイなど、どこ吹く風と言わんばかりに飄々とした態度を保っている。

 事の真相をうやむやなままに終わらせようという魂胆がある時のクロムは決まってこのような態度になることを、グレイは知っていた。だからと言って、まあ普段と変わりない軽口だろうと、大して気にはしないことにした。だからこそ、と言うべきか。

 にしても走っている最中に、よくこんな平然とした顔でいられるものだ、とグレイは思った。どころか、半ば感心している。

 本来『走る』という行動もとい動詞には、少なからず急いでいるような印象が持たれると思うのだが。そして急いでいる人間は平静を保つことが難しく、むしろ焦っていることが大抵だと思われるのだが。クロムは元の世界にいる頃から時々、妙なところで冷静でいられる性分であったというか、どこか人間味の希薄な一面を窺わせられる場面が度々見受けられた覚えがあるグレイであった。今だって、予期せぬタイミングで巨大なクラウズが出現したという一報を受け、まさに現地へ赴く道中だというのに。戦地へ急いでいる最中だというのに。クロムは全く動揺していないようだ。


「お前はマニュアルに縛られないって感じだな」

「おい、どういうことだ」

「別に」

「なんだその『してやったり』みたいな顔は」


 クロムはにやつくグレイを小突いた。


~3~


 ヴァントを通り、全身に薄い膜を張られたような感触を覚え、四人は自身に特殊な防御魔法がコーティングされたことを知覚する。救世主大隊の総勢720名 (から彼ら四人を除いた716名) という人混みを前にして、グレイは先ほどから一言も言葉を発さないスノウの失踪を危惧し、彼女の手を掴んだ。瞬間、スノウの頬がぽっと赤らんだ。


「遅いぞ! なにをやっているんだたわけ!」


 第2中隊D小隊α分隊の面々と合流すると、ヘイルが開口一番に怒鳴った。その声音は凄まじく、周囲の救世主たちが一斉に彼の方を向く。あまりに急な怒号だったため、傍にいたチルドが怯えるようにブルートにしがみついた。


「激戦を前に気を引き締めろと言っておいたじゃあないか! ほら! 可哀想に! チルドもお前たちの遅刻を嘆いて今にも泣きそうだぞ!」

「チルドが泣きそうなのはあなたのせいですよ、ヘイル。誰がたわけだか分かったもんじゃない」


 スリートは仲裁に入ってくれたつもりなのだろうが、しかしまず『たわけ』という罵倒のワードをどうにかしてほしいとグレイは思った。『馬鹿』やら『阿呆』なら日常的によく用いられるし、まだ傷は浅いままで済む印象があるが。『たわけ』と言われて傷つかない人間も、カチンとこない人間も多くはないだろう。そもそも『たわけ』なんて言葉を使う人間が現代社会では少なそうだ。

 だがグレイは思い出した。過去に一度、元の世界でアルバイトをしている時、接客態度が悪いと難癖クレームをつける老人に『あんぽんたん』と罵られたことがあることを。


「静粛にしたまえよ、このあんぽんたん共が」


 すると、救世主たちの列に相対する形で、壮年の男性が台座に立ち、文字通りグレイたちを見下ろすように――見下すようにして言い放った。

 あなどるなかれ『あんぽんたん』も、馬鹿にされているという実感で言えば、かなりカチンとくるワードである。


「戦いを目前にしていけしゃあしゃあと私語を喋り散らす兵士がどこにいるというのかね?」


 冷徹なまでの口調で男性は続ける。何人かの救世主が舌打ちをしたり、あるいは彼を批難がましく睨みつけるのをグレイは見た。クロムも嫌悪感や憎悪を剥き出しにして、片手に銃を握ってすらいる。危うい雰囲気になりつつあると思われ、グレイは慌ててクロムを宥めた。


「どれほど世間から羨望の眼差しや期待の念を受けようが、結局のところ諸君はあくまで偽者だ。救世主とは名ばかりの紛い物。民を脅威から守ろうという志においては有象無象の兵士にさえ劣る虚像なんだよ。そんな諸君に前線を任せるのは、私としては甚だ以て遺憾極まりない事態であるのだが、これもケントルムの意向によるものだ。軍人として、私情は挟まず従おう。現に成果は挙がっているのだしな。誰一人として怪我をせぬよう、心から祈っているよ」


 心などと、どの口が言うのだろう。彼の本心など知れたものではない。知りたくもない。グレイはそう思った。彼は自分たちを目の敵にしている。それは馬鹿者でもたわけ者でも、今の台詞からはっきり分かることだ。それが、ここにいる面々が救世主を名乗っているからなのか、あるいはそもそも救世主という肩書き自体を憎んでの言動なのかは定かでないか。

 もし後者なら、彼はイーヴァスにも似たような態度で接したのだろうか。だとしたら、第一印象は最悪なんてものではない。

 救世主たちの憎しみが骨髄に徹しているのも、単に彼のあまりに無情冷酷な物言いによるものだが、それに尽きるというわけではないのだろう。きっと、自分たちが本当の救世主ではないということを、これまではタブーとされてきたかのように誰にも触れられることのなかった紛うことなき事実をはっきりと言及され、半ば図星を突かれたような心境になっている者も少なくはない。ヘイルのような、己に与えられた正義の使命に身を燃やしているような人間は、なおさら自らの肩書きに付随する虚偽の部分を自覚してしまうのかもしれなかった。

 救世主の称号など、どうでもいいと一蹴する者だっているだろう。しかし、それと同じだけ重要な真実として、自身が虚構の存在として世界の人々に希望を振り撒いているというジレンマに悩む者がいるということを、決して軽く見てはならないのだ。

 憤怒で顔を真っ赤に膨らませた救世主たちに、いそいそとエクゥスアヴィスが支給されていく。上官の横暴な振る舞いにより、エクゥスアヴィスの手綱を引く部下の何人かが、救世主たちの悪態に苦悶の表情を浮かべることとなった。

 グレイはクルスと、レインはエイラと数日ぶりの再会を果たし、その背中に股がった。どうやら、支給されるエクゥスアヴィスは最初の出撃の時から既に選定されているらしい。クロムも、自身の方へ一直線に向かってきた一頭の首輪を見て、懐かしむように微笑んだ。彼が笑うところを、グレイは久し振りに見るようだった。

 全員がエクゥスアヴィスに乗り、門扉が開かれるのを待つ間、ふとグレイはクルスの左翼に視線を落とした。そこには数本のキュアドリンクの瓶が、足掛けに括りつけられたホルダーに納められている。


「キュアドリンクじゃなくて、支援部隊の衛生科を寄越してくれればいいのに。つーか、それが彼らの仕事だろ。俺たち救世主が負傷したら治療する。同じ連隊のチームなのに、いざ戦いに赴こうって時も出向かないんじゃ、職務怠慢と言われて然るべきだと思うけどな」


 グレイは呟いた。半ば独り言のような気分で喋ったことなので、別段、誰かに応答を求める内容というわけではなかったのだが。レインは鋭敏に反応して、エイラの手綱を操りグレイの傍へ近寄った。


「これまでクラウズとの戦いで負傷して入院中だけど、また戦線に復帰したいと願う人たちは少なくないんだよ。衛生科の救世主は、そんな人たちの治療のために、今も世界各地を奔走してるって。組織学の授業で習ったでしょ?」

「そうだったか」


 レインはこういう何気ない雑談を通して、割りと勤勉な性格であることが窺える。グレイは成績としては平々凡々としている自分と比較して、最近では少し居た堪れなくなってきていた。


「あと小汚ない話をするなら予算の問題だな」


 クロムもエクゥスアヴィスを従えて、グレイの横にすっと現れた。


「結局、俺たち救世主にも給料が支払われる。お偉方も人件費と資材費を天秤にかけて、後者を犠牲にした方が損失が少ないと踏んだんだろ。曲がりなりにも救世主……負傷兵の治療で世界を駆け回らせるだけで、莫大な費用と賃金が飛ぶだろうから」

「……黒々とした話だね」

「救世主部隊もブラック企業みたいになりつつあるからな――あるいは、物資科に最低限の給料を与える口実作りの側面もあるかもしれない。あいつらの仕事は必要な物資の発注らしいし。今のところキュアドリンク以外に定期的に消耗する物資なんてないから、暇と言えば暇なんだろう」

「黒々っていうか、もはや漆黒だね」


 クロムの語る推察に苦笑を以て応じるレイン。グレイはその構図を、半歩引いた立ち位置で眺めていた。現実的な思考を糧としているようなクロムにとって、それは確かに揺るぎない事実であり、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれないが。そういう、政治やら上層部の私情といった闇の部分には、優しいレインは弱いように思えた。

 すると轟音が鳴り響き、前方の門扉が開放された。先ほど救世主たちの怒りを買いに買いまくった男性が、数人の従卒と共に最前列へ躍り出ると、自身に続くよう告げた。

 救世主たちの不本意な心境は、彼らの引く手綱によって操られるエクゥスアヴィスの足取りに表れていた。


~4~


 出発から間もなく、救世主たちはタンクと呼ばれるクラウズの由縁を知ることとなる。まだポルタまで数キロはあろうかという遠方からでも、その全容が僅かと言わず、ほとんど見てとれたからだ。


「バカな……」


 ヘイルが呟くのをグレイは聞いた気がした。そうだ――確かにバカげている。こんなのは、映画でしか見たことがなかった。現実に存在するなど、思っていなかった。読み馴染んだ本のキャラクターが目の前に現れた時も、きっとこんな心境になるのだろうと、グレイは口角を引きつらせながら思った。

 タンクと呼ばれる怪物の図体は、ポルタの発生場所から数キロ離れているそこからでも、はっきりと視認できるほどに巨大だったのだ。


「あれじゃあ戦車と言うよりは戦艦ですね……」


 普段から冷静沈着な態度を崩さないスリートも、さすがにこの光景を前にして狼狽えずにはいられないようだ。


「怖じ気づいて逃げ出すのだけはやめてくれよ、救世主諸君」


 先陣を切ってひた走る壮年の男性が、嫌味ったらしい台詞を吐いた。グレイたちの士気も下降の一途を辿るばかりである。ここで成果を挙げなければマズいのは救世主たちもそうだが、彼らにも同じことが言えるはずだ。

 救世主部隊は先日、戦闘における死傷者が共に皆無のまま帰還を果たすという、対クラウズ戦線に限らない歴史的な記録を叩き出したのだ。それは裏を返せば、クラウズとの戦いには犠牲が付き物ということ。ここで救世主部隊がタンクを撃退できず、撤退などを余儀なくされる事態になったりすれば、次いで駆り出されるのは彼ら現地の軍隊だ。指揮隊長と思しき彼の言は、仮にそうなった際の諸悪の根源とされるに充分な案件である。詰まるところ、責任の追及は免れないだろう。しかも今回は、巨大な化け物が進軍している。犠牲者は普段の倍では済まないはずだ。

 その辺りをあの男性が分かっているのか、グレイは甚だ疑問だった。


『諸君、聞こえるか? こちらウィルだ』


 頭にウィルの声が聞こえる。グレイは本部からの通信に意識を集中させた。


『そろそろ問題のタンクが確認できた頃だと思う。あれと君たちが戦うんだ。知っての通り、諸君はヴァントを通った際に防御魔法の鎧を纏った状態になっている。だが、この防御魔法の耐久実験によると、通常のクラウズ戦においては何の問題もないが、タンクの攻撃には僅かしか耐えられないとのことだ。万一、タンクに踏み潰されるようなことがあれば、奴が一歩を踏みしめると同時に諸君の身体は防御魔法と共に砕けることになる。くれぐれもタンクに接近し過ぎるな』


 恐怖にも似た感情が芽生えて、グレイは悪寒を感じた。並走するクロムが、欠陥品を説明もなく押しつけた疑惑がある旨を伝え批判すると、ウィルは冷静に切り返した。


『現代の我々の技術力では、ヴァント本来の転移機能に加えて防御魔法を付与するには、この性能が限界だった。通常のクラウズ戦での問題は考えられないため、ないよりはマシであるとの意見も強く、採用が決まった次第だ。今回はキュアドリンクも支給されてある。踏み潰されないようにしなければ、最悪でも致命傷で済むはずだ。諸君は負傷したら即座に戦線を離脱し、キュアドリンクによる治癒をすること。負傷して身動きのとれない者がいれば、急行して助け出してやれ。死ななければキュアドリンクの効果は作用する。生きてさえいれば、諸君にはまた明日が巡ってくるんだ。なんとしても生還しろ』

「レインです。防御魔法が壊れたら、またかけ直すことは出来るんですか?」

『不可能だ。別途に誰かの防御魔法をかけてもらうなら可能だが、ヴァントの防御魔法と同じ恩恵を得ることは出来ない。あれはヴァント固有のものだ。ヴァントの防御魔法も現実に存在する魔法をベースに構築されているが、諸君らの中にヴァントの防御魔法を扱える者は今のところいない。他の小隊や中隊の事情は俺も詳しくはないが、少なくとも第2中隊D小隊の面々に防御魔法を使う救世主は在籍していないな』


 了解しました、とレインは力なく答える。グレイは今、自身に施されているであろう防御魔法のコーティングを見つめた――見えてはいないが、魂で感じた。これが自分の生命線となる。一度破られれば、あとは己の身一つしかない。敵の攻撃を受けないに越したことはないのだ。

 グレイはこめかみの辺りに手をあて、ウィルに訊ねた。


「あんなでかい奴、どうやって倒すんですか!? 近づくなって言われても、俺なんかは近づかなきゃ戦えないし――」

『こちらにも策はある。今回の戦いでは召喚魔法を主軸とする』

「召喚魔法!?」


 グレイはオウム返しに叫んだ。召喚魔法といえば……先代の救世主であるイーヴァスが、自分たちを元の世界からこの世界へ送らせた手法だ。


『敵が巨大なら、こちらも巨大な味方を呼ぶ他にない。使える者は数名だが、諸君はその数名を中心として戦うことになる』

「中心って……」


 見ると、レインが何か言いたげな表情をしてウィルに話しかけている。グレイはその様子からただならぬ事情があると感じ取った。


『今、全ての小隊で同じ作戦が告げられている。この戦いでは召喚魔法を使う者は戦闘に参加せず、後方で絶えず詠唱してもらう。一刻も早く召喚魔法を発動させるんだ』

「他のみんなは!?」

『タンクを直接叩く部隊と、周囲のクラウズの牽制に回る部隊とに分かれて戦ってもらう。タンクと戦う際は、奴の額の角を狙え。あの図体ではまともに攻撃しても歯が立たない。タンクは額の角を折られると平衡感覚を失い、事実上の戦闘不能状態になる。諸君には、終始それを目指して行動してほしい』

「私だけ安全な場所でぶつぶつ言ってるだけなの!? そんなのイヤ!」

『レイン! これは対タンク戦において最も効率の良い作戦なんだ。過去、この作戦で何人の命が救われたか……誰一人として死なせないためにも、召喚魔法の発動は欠かせないんだ』


 レインの抗議を聞いて、グレイは彼女を振り向いた。


「レイン、召喚魔法なんて使えたのか!?」

「えへへ……ちょっとだけ」


 レインは人差し指と親指で小さな隙間を作る素振りをして、バツが悪そうに笑った。照れ隠しともとれるその笑顔に見とれた刹那、グレイはかぶりを振って己を律した。


「どうして黙ってたんだ?」

「黙ってたわけじゃないよ。言うタイミングとかなかっただけ」

「いや、別にいいんだ――」


 少し驚いた。あるいは、嬉しさや悲しさみたいな感情も、何故かグレイはこの時、胸中に抱いていた。

 彼女のことを更に知った嬉しさ。彼女のことをまだ知らなかった悲しさ。

 それらを否定するように、グレイは慌てて正面に向き直った。


「良かったじゃないか。危ない目に遭わなくて済むんだから」


 クロムが彼女を励まそうと発した一言――なのかもしれなかったが、瞬間、レインの表情は一変した。


「良くない! みんなが戦ってる最中、私だけ離れたところで独り言を言うだけなんだよ!? そんなのイヤだよ!」


 気圧された様子のクロム。何もそこまで激昂しなくてもいいのになあ、とグレイは思った。女の子なんだから、危険の渦中に立たされないのは喜んでもいいところなのに。まあ、クロムに対して怒っているということでは全然なく、むしろ彼女はみんなを差し置いて安全地帯にいるだけの自分を想像して、自分が許せないといった感じだ。変なところで頑固である。


「あっ……ご、ごめんなさい。あなたは何もしてないのに、私こんなに怒鳴っちゃって――」

「いいや、いいんだ。気にしないで。俺も悪かったよ。配慮が足らなかった」


 我に返ったのか、凄い勢いで謝るレイン。クロムに対する罪悪感と自己嫌悪とが入り交じったような苦悶の表情を見て、クロムも両手を振って宥めた。


「じゃあ俺とブルートとグロウとスノウが周りの雑魚を蹴散らしてやるから、あとの連中はあのデカブツを頼むぞ」

「おい、どさくさに紛れてなに主導権を得ようとしてんだよ。つーか何にも紛れられてねえよ」


 いつの間にか分隊の先頭を走っていたネルシスが言うと、クロムは彼を枯れ葉でも見るような目で見やって言い放つ。


「今回ばかりはあなたの言い分は通りませんよ。目標は、あの図体を誇るタンクの『額の角』です。遠距離からの攻撃が可能な面々を、まずは優先的に配するべきでしょう」


 スリートはクロムの隣に来ながら、眼鏡をくいっと上げた。


「ということは、まずクロムは決まりだな」


 ヘイルの言葉にスリートが頷く。クロムは銃の使い手である。なのでこの人選は妥当というか必然であろう。


「レインがいないから九人になるけど、比率はどうしよう」

「普通に概ね1:1でいいんじゃないの~?」


 ブルートの問いに、眠たそうな声でグロウが答える。なんだか珍しい組み合わせかもしれないと、グレイは好奇心から場の成り行きを静かに見守ることにした。


「いや、あのタンクって奴が脅威なんでしょ? だったら2:1とか、考えようはあるってことを言いたいの。ちょうど九人だから、今の比率も綺麗でいいし」

「じゃあそれでいいよ~……ぐう」


 と言って、疾走するエクゥスアヴィスの背中にこうべを垂れるグロウ。まさかまた寝るつもりなのだろうか。よく寝るなあ。グレイは、電車やバスなど揺れるものに乗っているとよく眠れない性分なので、彼女のことは少し羨ましかった。

 ぐうの音も出ないほど、とはよく言うが、これは論破されてなどおらず、グロウがすんなり引き下がった体だろう。ブルートはこの、グロウにとってはあまり重要ではない議論に、数秒間だけ付き合わされただけなのかもしれなかった。なんだか腑に落ちない様子のブルートが可哀想だった。


「みんなの魔法って遠近両用なんだよな?」

「そんな眼鏡みたいに言わなくても……でも、まあそうね。少なくともあたしは」


 グレイが訊ねると、まずブルートが答えた。答えたはいいが、彼女の場合、その魔法と言うのが『変身』なので、あまり回答として手助けになるとは言い難く、なんとも言い知れない気分になったグレイ。

 魔法は魔法でも身一つなら歩兵と同じだし。


「無論だ。俺の水は世界を救う。あらゆる不純を浄化して美女の心をも洗い流す神聖なH2Oだ。水も滴る何とやらとは、まったくよく言ったものだな。あっはっは」

「不純なのはお前だろうが」

「油は黙って水面みなもに浮いてな」

「お前ぶっ殺すぞマジで」


 歳上にも強気なクロムである。というかグレイは、これまでの言動からして馬鹿だと思っていたネルシスが『水と油』の諺を引用して反撃するという高等技術 (?) を披露した事態に、まず驚いていた。本人も得意顔だし。

 イタリアにも似たような諺があるのだろうか。


「まあ水清ければ魚棲まずとも言うけどね」


 皮肉を口ずさむブルート。


「みずきよ? うおすまず? なぁにそれ?」

「あんたも純真無垢が過ぎると嫌われちゃうってことよ」

「でも正直なのは良いことってママが言ってた!」


 キラキラと、宝石のような笑顔を見せるチルド。意地悪を言ったブルートも、眩しそうに目を背けた。この子には一生、無垢なままでいてほしいブルートであった。


「チルドの魔法は? 遠くまで届くか?」

「うん! チルドね、この前スタジアムの端っこまで氷をバビューンって出来たの! すごいでしょー!」


 この笑顔は無垢を通り越して罪だとグレイは思った。悪意のない犯罪ほど恐ろしいものはない。


「グロウ……グロウ!」

「むにゃ?」


 グレイはわざわざクルスを彼女のエクゥスアヴィスに近づけ、その身体を揺さぶり起こした。グロウは本当に眠っていたようだ。

 早すぎる。やはりのび太くんだ。


「グロウの魔法、遠くまで届くか?」

「う~ん……うちのは届くっていうか……行ける……ず~」


 言いたいことが判然としないまま、またも意識が底に落ちてしまったグロウ。ず~ってなんだ、ず~って。ともかく心配は無用ということ、らしい。彼女の真意が判然としない時点で心配が大有りなのだが、まあ大丈夫だろう。ノープロブレム。事なかれ主義だ。


「じゃあクロムに加えて、ネルシスとブルート、チルドとグロウはタンク組ということでいいんだな?」


 ヘイルがまとめるように言う。唯一ネルシスがクロムを横目に不満そうな顔をしていたが、最終的には承諾した。


「どうです? あと一人、必要そうですか?」


 スリートが訊くと、ブルートがうんうんと頷いた。


「あたしは変身して上空から直接角を攻めるから、飛んでるクラウズを迎撃するのに一人か二人は欲しいんだ。そしたらこのままだと地上で角を攻撃するのが最低で二人になっちゃう。これだと連携としては心もとないかも」


 スリートは『なるほど』と言ってしばらく考え込むと、やがて『分かりました』と眼鏡を上げた。


「タンク組に僕も参加しましょう。残ったメンバーで僅かでも遠距離に対応できるのは僕くらいでしょう」


 グレイはヘイルやスノウを見た――たしかに、ヘイルのトリプルスピアも伸縮可能というだけでは距離に制限があるのは変わりないし、スノウもチェーンウィップは長いが遠距離と言われると不安が残る。自分だって【業火】の能力ありきで、明らかに近接戦闘向きだ。

 秘技・【炎天】を修得していれば、もっと力になれたかもしれない……そんな思いが脳裏をよぎると、グレイは胸が鈍く痛んだ。


「僕のリコイルトンファーにはソウルランチャーがありますから、連携という点では役には立てるでしょう――皆さん、異存ないですか?」


 スリートが見回すと、ほぼ全員が快く頷いたが、ネルシスだけは口を尖らせてそっぽを向いた。どれだけ女性たちのみの組分けにしたかったのだろうか。

 グレイは隊列の先頭に目をやると、ちょうど指揮官の男性が片手を挙げて自分たちに静止するよう合図しているのが見えた。クルスの手綱を引いて停止させ、グレイはその毛深い背中から降りる。


「うわぁ……」


 隣でレインが呆気に取られたような声音を零す。無理もない。グレイだって、自分の口がぽっかり開いてしまっているのを、嫌というほど自覚できてしまうのだから。

 眼前で平野を闊歩するタンクは、全長50メートルはあるかという程の巨体を有していた。タンクが歩を進める度に地面は振動し、救世主たちは足下が揺れるのを感じた。四つん這いで戦場を堂々と闊歩する様は、なるほどタンクという呼称は言い得て妙だとグレイは思った。

 体積のスケールで言えば圧倒的なその怪物と、これから戦わなくてはならない。数度に渡り死線を潜り抜けてきた救世主たちも、その光景を前にして不安や恐怖を覚えないわけはなかった。


『現地に到着したようだな。では、これより作戦を開始する。目標はタンクの撃退と周辺のクラウズを掃討だ。召喚魔法の使用者は直ちに詠唱しろ。心してかかれ』


 ウィルの声が告げた。グレイはヤーグを出現させると、他の面子を振り返った。


「クロム、みんな。さっきの打ち合わせ通り、タンクは頼んだ」


 クロムは親指を立てて笑うとモノを構え、遥か上方に位置するタンクの角に銃撃をしかけながら駆けていった。スリートらも彼に続き、各々が攻撃を与えながら戦場へと向かう。


「レイン……任せたぞ」

「――うん」


 レインは答えると、ニアの弦を引きながら何かを呟き始めた。すると彼女の周囲に色とりどりに煌めく無数の粒子が発生し、空気を震わせた。

 グレイはそれを見届けると、スノウやヘイルに号令をかけ、自身も戦いの舞台へと走った。異形の軍勢が野生の咆哮をあげたが、グレイたちは怯まなかった。その轟音は、もはや聞き慣れた意味のないさえずりである。

 全長50メートルほどの体躯を誇るタンクへは、クロムたちが突撃を仕掛けている。三人はその巨体に追従するクラウズたちの殲滅に向かうのだ。既にタンク組の作戦は開始されている。グレイはタンクの、高層ビルの如く上方にある額の角を一瞥

いちべつ

しながら、その傍を通り過ぎてポルタより襲来してくるクラウズたちを斬り伏せた。

 易々と異形の骨肉を断った刀身が、発生した熱を帯びて深紅に染まる。しかしグレイはそれを見ると、逆に焦燥感に駆られた。戦場で剣を振るっても尚、やはり新たな力の兆しは窺えない。秘技・【炎天】の修得には、まだ至れないということが直感的に分かった。

 秘術・【業火】の作用によりヤーグの切れ味は増し、グレイ自身の基礎身体能力も向上され、またスノウやヘイルとの連携も加わることで、クラウズとの戦いにおいて戦局が救世主側の圧倒的優勢であることは明白だ。

 スノウは一体のクラウズをチェーンウィップで絡めとり、エナジーチェーンを発動させその生命力を奪っていく。一頻り衰弱させると、スノウは目をきゅっと瞑りながら鞭を薙ぎ、見るも哀れな容貌となったクラウズにとどめを刺した。

 救世主が持つ武器は魂の権化であるとのことだが、この鞭という武器であったり相手の体力を吸い取るという能力であったり、それがスノウの性分と一致していると、グレイは以前から到底思えなかった。鞭と聞くと、なんだか気の強い人物や他者を蔑む人物が使う印象が持たれるし。更にエナジーチェーンという特性の効果などは、もはやスノウの恥ずかしがり屋で臆病な性格からはかけ離れているだろう。

 ここまで本来の人格と魂の権化との特徴が一致しないとなると、スノウにこの武器を授けた天命は存外、人間に対しては適当なのかもしれない。

 ヘイルはトリプルスピアを豪快に振り回し、周囲のクラウズを一掃している。柄の部分の節を見て、グレイは既にトリプルスピアが三段階目の長さになっていることが分かった。その全長は通常のトリプルスピアのおよそ二倍。彼の視界に入ったクラウズは、次の瞬間には全て物言わぬ肉の塊と成り果てていた。


『こちらウィルだ。ポルタが閉じるぞ。残存するクラウズを殲滅するんだ』


 グレイが【炎天】を修得せんと躍起になって異形を斬り裂いていると、そんな通信が聞こえた。相対するクラウズを始末すると、グレイは少し離れた場所で戦っていたヘイルと、いつの間にか背後に立っていたスノウと目を合わせた。


「もう閉じるのか……早くないですか?」

『今回はタンクが投入されたからな。タンクが現れるとポルタは通常より早く閉じる傾向がある。敵もあれほどの巨大兵器を投入するには、それなりのリスクを孕んでいるのだろう』

「兵器……」


 グレイは呟いた。そうだ。今まで考えもしなかった。ウィルやレッジは、クラウズたちを従えている影の暗躍者の存在を懸念していたが、もし本当にクラウズをこの世界に侵攻させている黒幕がいるとしたら、その黒幕はクラウズという生き物を、まさしく兵器として利用していることになる。『命』を使って、自分は高みの見物を決め込んでいることになる。そんなこと、許されるはずがない。

 敵――クラウズを操る存在がいるのなら、自分たちは本当の敵について何も知らない。真の敵は、今もこの世界の誰にも悟られないまま、この戦いを盤上の駒のように軽んじ、弄んでいるのかもしれない。

 グレイは自身の脳天を砕かんと振り下ろされた鈍重な鉄槌をヤーグで受け止めた。新手のクラウズがやって来たのだ。考えている暇はない。ここは戦場だ。戦いを前に迷いや躊躇は命取りだ。これまでの経験で、それは嫌というほど学んできた。真実が何にせよ、生き延びなければその答えすら分からぬままだ。今を生きる――それが救世主の最たる目的なのだ。

 粗方のクラウズが赤い霧となり散る頃には、ポルタは完全に閉じていた。残る脅威はタンクのみと言っていいだろう。グレイは巨大なクラウズの方を振り返った。しかし、その威風堂々とした体躯のどこにも傷は見当たらず、クロムたちは疲労困憊している様子で、辛うじて戦いを続けているような状態だった。辺りには怪我をしている者もいる。グレイたちがクラウズをあしらっている間、タンク組の救世主たちは苦戦を強いられていたのだ。

 グレイはタンク組に加勢すべく駆けた。ヘイルとスノウも彼に続く。グレイは上方の角へ向け銃撃を繰り返すクロムの元へ向かった。


「大丈夫か!?」

「ダメだ! 奴に俺たちの攻撃は全く通じてない! グロウとスリートが負傷してる! キュアドリンクが余ってるなら使ってやってくれ!」

「もうないのか!?」

「あいつの四本の足が強すぎる。角以外のどこを攻撃しても手応えが全くない。でも角ばかり攻撃していると、タンクは俺たちを踏み潰そうとしてくるんだ。一撃食らったらすぐにキュアドリンクを使わないと死ぬ」


 グレイは『分かった』と頷いて、戦線から離れた場所で横たわる二人を介抱した。グロウは腹部に凄まじい衝撃を与えられたらしく吐血している。傍ではチルドが泣きそうな顔で、彼女の青ざめた両手を握りしめている。スリートはもっと重傷で、片足が使い物にならないほど損壊していた。

 グレイはすぐさま懐からキュアドリンクを取り出し、グロウには飲ませ、スリートには患部に直接かけた。するとみるみる二人の傷は癒えていき、ものの数秒で元の形を取り戻していく。しかしその代償は大きいようで、怪我が治癒されている間、二人は先ほどよりも更に激しく呻き、時折悲痛な叫び声をあげた。


「しっかりするんだ!」


 グレイが呼びかけると、二人はおぼつかない足取りで立ち上がった。痛みの後遺症なのか、両足が震えている。


「無理はするな。なんなら正規軍の人に看病してもらうとかさ。その身体じゃ危険だろ」

「いえ……傷は治りました。少し感覚を取り戻すのに時間を要するだけです。僕はもう戦えます」


 スリートはリコイルトンファーを握り、眼鏡をくいっと上げて走っていった。グレイは慌てて制止したが、その声は届かなかったらしい。


「うちもいけるよ~」

「え? でもグロウ、大丈夫なの?」


 よっこらしょ、と立ち上がるグロウを見て、チルドは涙声で訊ねた。


「大丈夫大丈夫~。心配かけたね。ノープロブレムなんだよ~」

「ごめんね……チルドがよそ見してたから、グロウが――」

「平気だよ~。よそ見運転より信号無視の方がいけないからさ~」


 チルドを励まそうとして発した一言なのだろうが、しかし子供の教育としてどうなんだ。グレイはグロウの言動を指摘したかったが、この雰囲気ではさすがに言えず、沈黙を貫いた。

 よそ見運転も信号無視もいけないことである。


「チルドはどこも痛くない?」

「うん! 大丈夫! グロウが守ってくれたから!」


 二人はそう言って、スリートの後を追うようにタンクへ突撃していった。グレイもヤーグを掴んで立ち上がり戦線へ復帰しようと一歩を踏みしめた。

 が、ふとレインの様子が気になり、グレイは立ち止まって振り返った。レインは相変わらず光る粒子を発生させながら何かを唱えている。彼女の周囲には他にも数人が同じようにしており、召喚魔法の発動を急いでいる。


「気をつけろおおおおおおおおお!」


 誰かが叫んだ。グレイは声の方を向くと、タンクが大口を開けて息を吸い込んでいるのを見た。タンクの顔の傍で、果敢に角を攻撃する鳥類も確認できた。あれが変身したブルートであることは一目瞭然だ。


『全員、タンクの正面から避難しろ! 【ロア】が来るぞ!』


 ロア――その言葉を聞いたグレイは絶句する。タンクの名と一緒に、ロアもまた戦術学の授業で登場したことがあった。それはタンクが己の肺活量の許す限り空気を吸い込み、その後に発する咆哮のことだ。しかし、この咆哮が凄まじい規模の衝撃波を発生させ、部隊に甚大な被害を及ぼすことから、タンクとの戦いにおいて最も脅威となる事象とされた。

 今、グレイはまさにロアを放たんと開口するタンクの正面に位置している。そして、自分の背後には詠唱で身動きのとれない召喚魔法使用者たち――このままでは、レインがもろにロアのダメージを被ってしまう。グレイは己が魂の赴くまま、避難することなく一目散にレインの元へ走った。全力疾走だ。

 通信を聞いたはずなのに、彼女らはその場から動こうとしない。恐怖と焦燥からか、その表情は険しく、鼻先から汗が垂れている。見ると、その周囲を漂う光の粒子の数が、先ほどに比べ遥かに多いことが分かった。詠唱の力の入れ具合から、グレイはもうじき召喚魔法が発動されるのではないかと推測した。ロアが放たれる前に、一刻も早く召喚魔法を発動させる。それが彼らの意向なのだと。

 しかし、タンクは今にも腹部に蓄えた空気の砲弾を放とうとしている。猶予はない。グレイはレインの前に立ちはだかり、身体を大の字に広げた。彼女を守る、そのために。

 そして、天を割らんばかりの轟音がグレイの耳に届いた頃には、彼は宙を舞っていた。大地が抉れたのか、固く冷たい何かが絶えず身体に叩きつけられ、その度にグレイは痛みに呻いた。しかし、その自身が発した声音は聞こえない。タンクの咆哮と、それにより破壊された大地が砕ける音しか聞こえない。

 自分が空中で乱回転しているのが分かる。きっと、タンクは視界に入る全てを吹き飛ばしているのだろう。何もかもを、その咆哮を以て。やがてグレイは強い衝撃を受けた。ようやっと地面に落下したのだ。しかしロアの衝撃は収まらず、グレイは落下した瞬間に再び宙へ放り出された。スーパーボールのように、地面から弾み空を舞う。舞った後には、再び落ちる。それを幾度も繰り返し、骨が折れても、肉が裂けても、グレイは転がされ続けた。どうしようもない力の作用により、遥か後方へ吹き飛んでいく。

 目を開いて、グレイは初めて自分が意識を失っていたことを知った。全身が凄まじい痛みに襲われるが、喉が潰れたのか声は出ない。眼に映る空は真っ赤だ。誰かが駆け寄ってくる足音も、右耳でしか聞くことが出来ない。身体の感覚はほとんどなく、今自分が剣を握っているのか否かは定かでない。あれほどの衝撃を受けたなら、取り落としていてもおかしくない。それに、仮に握れていたとしても、おそらく使い物にならないだろう。

 自分の右腕に限らず、四肢の全てがほぼ原形を留めていないであろうことは、なんとなく察しがついた。先ほどのスリートの比ではない。もはや自力で動くことは敵わないだろう。

 スノウが泣きながら顔を覗き込んだ。その光景は、少し前の時代の3Dメガネで片目を瞑った時のように赤い。口元を覆うスノウ。やはり、自分の状態は酷いのだろう。

 スノウはポケットから小瓶を三本取り出すと、その全てをグレイの全身にふりかけた。瞬間。グレイは全身が燃えるような激痛に襲われる。出ていないはずの声が、次第に発せられていく。聞こえないはずの自分の悲鳴が、どこからともなく聞こえてくる。真っ赤な視界は徐々に本来の色彩を取り戻していった。歪な形に折れ曲がった四肢が、ひしゃげた臓物が再生されていくのを知覚すると同時に、グレイは吐き気を催すほどの痛みに苛まれた。

 グレイは頻りに暴れると、痛みが段々と治まっていくのを感じ、やがて静かになった。気づけば、グレイはスノウに抱き締められていた。頭は彼女の膝の上にある。赤子をあやす母のような姿勢で、スノウはじたばた足掻くグレイを介抱していたのだ。


「あっ、その……」

「…………」


 ふと我に返ってグレイが起き上がると、スノウもはっとして恥ずかしそうに俯いた。嫌な沈黙が流れ、グレイはレインの安否が気になった。立ち上がって辺りを見回すと、すぐに傷ついたレインと、それを介抱するクロムの姿を見つけた。グレイはおぼつかない足取りで二人の方へ向かった。


「レイン……!」


 声もまだ上手く出せない。しわがれた声音を聞くと、クロムが振り返った。その腕の中で、レインは眠っている。


「瓶が割れてなくて良かった……無事だよ。今、キュアドリンクの治癒の副作用で、また気絶してしまったところだ」

「そっか……」

「お前は平気なのか?」

「ああ……スノウが駆けつけてくれた」

「そうか」

「他のみんなは?」

「タンクの後方に回り込んで事なきを得た。やっぱりタンクの狙いは召喚魔法の使い手だったんだ。俺たちのことなんか目もくれずにロアを――」

「全員、無事なんだな?」

「……いや、ブルートがタンクの正面で角を攻撃していたはずだが、ロアが放たれてから姿が見えない。ブルートは鳥に変身して角を攻めていたんだ。ロアが放たれた時、おそらく最も近い位置にいたはず。ネルシスと、キュアドリンクを持ってるヘイルが救助に向かった」


 二人が悲嘆に暮れていると、レインが目覚めた。飛び起きてクロムの腕から離れると、辺りを見回し、ロアの壮絶さに息を呑んだ。


「ほ、他のみんなは……?」

「ブルートは消息不明だけど、彼女以外は無事だ」

「グレイ!」


 答えたグレイを見るなり、レインは彼に飛びついた。グレイは突拍子のない出来事に当惑し、そのままバランスを崩して転倒した。まだ二人とも傷が癒えて間もないだけあって、それなりの痛みを伴った。


「大丈夫かよ、レイン」

「う、うん……えへへ、ごめん」


 レインは顔を赤らめてグレイから離れた。グレイは起き上がる際に自分の服が濡れていることに気づく。調べてみると、残ったキュアドリンクの瓶が割れていた。


「グレイ、私のこと守ってくれたんでしょ?」

「あぁ、いや……守りきれてないさ。こんな怪我させて」

「ううん。グレイが守ってくれなかったら多分、ダメだったと思う」


 レインは傍らに放られた三つの空き瓶に視線を移した。小瓶はところどころ亀裂が入っているものの、辛うじて容器としての役割を果たせていたようだ。


「クロムが私にかけてくれたキュアドリンク――グレイが庇ってくれなかったら、きっと使えなかったよ。ありがとう」

「あ、あぁ……」

「クロムもありがとう。あなたが来てくれなかったら、キュアドリンクの効果も働かなかったと思う」

「お、おう。いいんだ、そんなことは……」


 言い知れない雰囲気となった三人の元へ、スノウが駆け寄る。スノウはグレイの肩をぽんぽんと叩くと、更地と化した戦場の一点を指し示した。彼女の視線の先には三人の人影があった。その傍に突き刺さった長大な槍は、特徴からトリプルスピアであることが見てとれる。


「ヘイルたちか?」

「ということは、ネルシスとブルートも?」

「行こう!」


 目を細めて呟いたクロムとグレイに、レインは号令をかけて走った。クロムが後を追い、グレイも同様に彼らの元へ向かおうとした。すると、スノウが袖を摘まんで引き止めた。


「も……も……」


 珍しく、こちらからのコンタクトを受けずに、スノウは何かを伝えようとしていた。こちらは耳を傾けていないにも関わらず、彼女は言葉を紡がんとしている。グレイは優しい眼差しで、スノウの言葉を待った。


「も……もう、大丈夫……ですか?」


 両手を祈るように重ね、震えながら訊ねるスノウ。グレイは、なんだか親のような心境でそれを見ていた。

 補助輪なしの自転車に一人で乗れた我が子を見る親の気持ちが分かったような気がする。


「はい、ありがとうございます」


 グレイは微笑んで答えると、彼女と共にレインたちの後を追った。駆けつけてみると、既にブルートの容態は安定しているらしく、ヘイルとネルシスは安心したように溜め息を吐いていた。ヘイルの手には、血まみれの小瓶が握られている。


「彼女は大丈夫?」

「ああ、間一髪で助かったってところだな。俺たちが見つけた時には心臓が止まっていた。あと数分も保たなかったかもしれない……」


 レインが心配そうに窺うと、ネルシスはブルートの髪を撫で、愛おしそうに血の気を取り戻しつつある表情を見つめた。ブルートは力なく、そんなネルシスに罵詈雑言を浴びせる。


「俺は、これから召喚魔法の使い手たちを救助しに行くつもりだ。他の救世主たちから余ったキュアドリンクを片っ端から集めて回った。おそらく事足りるだろう。だが急がなければ効き目がなくなってしまう」


 タンクを頼んだと、ヘイルはそう言い残すと、トリプルスピアを引き抜いてそこかしこに倒れている救世主たちの元へ行った。


「レイン……このまま召喚魔法を続けてくれ」

「グレイはどうするの?」

「俺はあの化け物を倒す」


 グレイは確かな感覚を持って、ヤーグを出現させた。剣を握る手に、はち切れんばかりの力が入る。彼の傍では、スノウもチェーンウィップを握りしめてこくこくと頷いた。


「あいつは絶対に許せない。俺が命をかけて、あなたを守り通す」


 クロムも双銃モノを握り、巨大なクラウズを見据える。その瞳には怒りや憎しみの色が如実に現れていた。


「ブルート……お前は平気か?」

「うん……まだ変身は出来そうにないから、先に行ってて――あとで合流する」

「いや、俺はここでお前を守る」

「ダメ……あたしのことを思うなら、みんなの力になってあげて――」

「――分かった」


 ネルシスは羽織っている上着を脱ぐと、横たわるブルートの身体にかけた。彼もまた、クロムと同じような眼の色でタンクを睨みつける。


「嫌だよ! 今度こそ私も――」

「今、召喚魔法を発動できるのはレインだけだ。これ以上の被害を防ぐためにも、一刻も早く召喚魔法を発動させる必要がある。俺たちや、瀕死の救世主たちのためにも、レインは召喚魔法を唱えるべきだ」

「グレイ……」

「俺たちが何としても二発目のロアは阻止してみせる。角を折れば奴も身動きがとれなくなるはずだ。レインは召喚魔法を発動させることだけを考えてくれ」

「――うん」


 レインは頷くと、ニアを出現させ再び何か呪文のようなものを唱え始めた。光る粒子が発生し、レインは弓の弦を引きながら精神を集中させる。

 グレイ、クロム、ネルシス、スノウの四人はタンクを倒すべく、戦線へと戻っていった。タンクの足下ではグロウ、チルド、スリートの三人が、他の分隊や小隊と連携して懸命に角を破壊しようとしていた。

 グロウは岩盤を抉ってタンクの態勢を崩したり、大地を隆起させて角への道を作ったりしている。彼女の魔法【クライド・グラウンド】は、今回の戦場のような平地においては、敵の妨害や味方の支援など多岐に渡って使用できる有能な戦力となる。

 チルドは氷の魔法【プリーズ・フリーズ】で、主に氷塊を生み出して角へ飛ばしている。適にタンクの足元を凍らせ動きを封じようと試みているが、その硬直はあまり長くはない様子だ。

 スリートは、ソウルランチャーを放って角を攻撃する戦法を主軸とする旨を戦闘が開始する前に宣言していたが、この長期戦で疲弊してしまったのか、今はリコイルトンファーで地道にタンクの足を殴打している。

 他の救世主たちも多種多様な戦法でタンクの撃退に臨んでいるが、一方でタンクの方は当初から全く勢いに衰えを見せない。およそ七百名もの救世主たちを以てしても、だ。いよいよ救世主たちの体力も底をつき始めている頃だろう。


「お嬢ちゃん、お兄さんが手を貸してあげよう」


 ネルシスは爽やかに笑ってチルドに言った。


「本当!?」


 チルドも快活に笑って喜んだ。端から見ると、なんだかネルシスを通報したくなるような構図だ。ネルシスはチルドの肩にぽんと手を置くと、タンクの足下一帯に【クラッシュ・スプラッシュ】で流水を敷いた。数人の救世主を巻き込みながらの魔法に苦情が出たが、ネルシスはどこ吹く風と言わんばかりに無視している。その流水をチルドが凍らせると、タンクの四肢が完全に凍結し、歩行することが不可能な状態となった。これで誰かが踏み潰される心配はなくなった。


「ネルシス! 噴水は作れるか?」

「あ?」


 クロムの問いに、ネルシスは眉をひそめた。


「どうなんだ!」

「うるさい! 溺れ死ね!」


 ネルシスは呪詛を吐きながら、クロムの足下に水を発生させ、それを思いきり天高くへ上昇させた。その光景は、まさしく噴水である。

 クロムは水位が上がっている間、タンクの身体にモノの銃弾をありたけ撃ち込んだ。二丁拳銃の至近距離での連射に、タンクも呻き声のようなものをあげる。角に近づくと、クロムは二丁のモノを変形させ、一つの大きな重火器へ合体させた。


「【散式ショットガン】!」


 クロムは叫ぶと同時に再び銃を撃った。銃弾は先ほどまでとは違い、銃口が向いた位置を広域に渡って発射された。拡散する弾丸がタンクの角へ次々と撃ち込まれ、鈍い音と共に銃声が轟く。

 するとタンクは頭を振るって抵抗し始めた。クロムは不運にも標的にしていた角に激突し、ネルシスの噴水から落ちていった。


「くそっ! 【連式マシンガン】!」


 クロムは落下している最中に再びモノを変形させ、今度は一丁の小じんまりした銃器を連射した。新たな形態のモノは、二丁拳銃の時の倍以上の勢いで弾幕を張り、タンクの身体を貫いていった。銃声は一時も鳴り止まず、降り注ぐ雨のように弾丸を放つ。

 するとグロウがクロムの真下の地面を地層ごと持ち上げ、彼を受け止めた。そのままグロウは地面を元の高さへ戻していき、銃を撃ち続けるクロムを無事に地上に降り立たせた。


「【遠式スナイパーライフル】!」


 クロムは足下が安定すると、モノを細長い銃身の火器に変形させた。引き金の真上辺りに覗き穴があり、クロムはそこから狙いを定め、的確にタンクの角を銃撃していく。

 グレイはスリートと合流し、共にタンクの脚部を攻撃した。ネルシスとチルドの連携により、これまで届かなかった大腿部まで、氷塊を登って到達することが出来た。新たな部位を損傷させることで、よりタンクの勢いが弱まるのではないかと踏んだのだ。

 重厚な皮肉を斬りつけていると、ヤーグは瞬く間に刃を深紅に染め上げていった。灼熱の刃は深々とタンクの身体を斬り裂き、鮮血がヤーグの刀身に降りかかる。しかし、その鮮血はヤーグが宿した熱によりたちまち蒸発し、赤い蒸気となって天へ昇った。

 どれくらい経っただろうか。タンクは確実に体力を消耗しているはずだ。それなのに、戦局は頑ななまでに不変だ。この手応えのなさは一体なんなのだ。やはり召喚魔法の発動が待たれる状況か。それに、いつになればヤーグの新たな力――秘技・【炎天】は覚醒するのだ。焦燥感がグレイの胸中で積み重なった頃。一心不乱に剣を振るう彼の元に、煩わしい太陽の如き声音が聞こえた。


「やれやれ、手こずっているようだな! 加勢するぞ!」


 声の主を振り返ると同時に、目の前を細長いものが通過し、傍で鋭い音を立てた。恐る恐る見ると、長大な槍が眼前でタンクの腿に突き刺さっていた。ヘイルが投げたことは明々白々だった。


「おし! こういう使い道もあるんだな!」

「殺す気か!」


 がはは、と笑うヘイルにグレイは怒鳴った。数ミリずれていれば死んでいたかもしれない……なんて奴だ。


「あなたにはもう少し仲間のことを慮

おもんばか

りながら戦ってほしいものですね」

「ん? ちゃんと考えているぞ。だから助けに来たんじゃあないか!」

「そのせいで死にかけた人物が一人いるのをお忘れなく」


 スリートのもっともな言葉に、グレイは憤慨しながら頷く。


「で、あなたは召喚魔法を使う救世主たちの救助に向かったとのことでしたが、戻ってきたということは――」

「ああ! 全員なんとか無事だった! 今頃は全員で召喚魔法の詠唱を始めているだろう。死者は今のところ皆無だ!」

「あれほどの被害を受けながら死人が出なかったのは奇跡ですね……いや、キュアドリンクやヴァントの功績が大きいのでしょう」

「ブルートも直に戦線に復帰するとのことだ」


 スリートは『なるほど』と相槌を打ちながら、リコイルトンファーでの殴打を再開した。次いでヘイルも肩を鳴らしながら、タンクの大腿部を縦横無尽に突いていく。


「くらえ! 必殺! サウザンドスラッシュ!」

「必殺って、がむしゃらに槍を振り回しているだけじゃないですか」


 その時。救世主たちは聞き覚えのある轟音を耳にした。それはタンクのあげた咆哮――ロアの予兆だった。


「まさか!」


 スリートが叫んだ。次にあんな攻撃を放たれたら、今度こそ死人が出る。グレイは咄嗟にタンクの顔を確認した。その大口が狙うのは、やはりレインたち召喚魔法の使い手だ。


「全員が復活したところで一網打尽にするつもりか!」


 ヘイルが全員の治療を終えて戻ってきたところにこれだ。タンクは召喚魔法を使う救世主全員が視認できる時を待っていたのだ。


「やらせるか!」


 グレイは背筋に走る悪寒を感じながら走った。このままではレインが危ない。おそらく次は助からない。このロアだけは何としても止めなければならない。約束したのだ。阻止すると。召喚魔法発動までの安全を確保すると。止めなければならない。この化け物を止めなければ。

 グレイはタンクの顔の真下へ行くと、先ほどのヘイルよろしく、渾身の力でヤーグを投げた。狙いは下顎だ。何らかのダメージを与えて口を塞げば、ロアは放たれないはずだ。

 投擲の自信は毛頭ない。今しがた投げた剣がタンクの顎を貫くことはないだろう。しかし、それでも届いてほしい。己の全てを懸けた一撃――これが失敗すれば、即ちレインも死んでしまう。この一投は、グレイが命を。魂を燃やして放った一投だった。

 ヤーグは空に昇る花火の如く、タンクの顔面めがけて飛んでいく。しかし、その刃はあと僅かというところで失速し、やがて落ちていった。

 グレイはがくっと膝から崩れ落ちた。終わった。ロアが放たれてしまう。レインが……レインが――死んでしまう。

 傍で金属音が聞こえ、グレイはヤーグが自身の傍に落下したことが分かった。見やると、灰色の剣は刃を燃え上がらせていた。グレイは思わず目を見開く。これまで熱を宿し深紅に染まったことは幾度もあった。だが、その刀身が炎を纏ったことは一度もない。ヤーグは黄昏の如く煌々と燃えている。

 グレイはおもむろに剣に触れた。熱い。しかし温かい。不思議な温度だ。胸の奥から自信と勇気が湧いてくる。それと同時に、グレイは剣より伝わる情報を直感で受け取った。

 この炎こそ、秘技・【炎天】なのだ、と。


「みんな!」


 グレイは尚もタンクの角に集中砲火を続ける分隊一同に叫んだ。


「頼む! 俺を角まで辿り着かせてくれ! さっきのクロムみたいに!」


 全員が振り返った。このままではロアが放たれてしまう。心のどこかで手立てがないことを悟っていたのだ。故に、最後の望みをグレイに託した。彼の案以外に、状況を打破し得る策はなかったのだ。

 グロウはグレイの足元の地面を隆起させ、遥か上方へと押しやる。グレイがヤーグを見下ろすと、炎は消えかかっていた。継続的に熱を蓄えなければ維持できないのだろうか。グレイは大地に持ち上げられながら、タンクの身体にヤーグを突き刺し、その肉を断ちながら角へ向かっていった。

 続いて、ネルシスがグレイの足と彼の立つ大地との間に水を発生させ、そこを起点に噴水のようにグレイを押し上げた。先ほどのクロムと同じ用途だ。今回はグロウが持ち上げる大地の上で更に噴水を発生させているので、上昇のスピードは倍ほどだ。加えてチルドが噴水を凍らせているので、足場の安定感は増している。

 だが間に合わない。タンクは大口で空気を吸い込むのをやめ、すぐにでもロアを放てる状態だ。首辺りまで差し掛かって、万事休すか。

 そこへ、クロムがモノ・遠式スナイパーライフルでタンクの下顎を狙撃し、僅かながらロア発射までの時間を稼いだ。タンクは弾丸に貫かれた痛みで呻いている。

 グレイは一瞬の機を逃さず、その足で立つ氷柱を思いきり蹴りつけて跳躍した。炎の剣を掲げて飛翔する様は、さながら燃ゆる鳥のようだ。角が間近に迫ってくる。タンクの大口が眼前で開かれている。突出した上下二本ずつの牙がヤーグの炎を受けて煌めいた。次いで鼻の辺りを通過し、グレイはタンクのバレーボール大の瞳と眼が合った。そして黒い宝珠のような眼球が視界の端に消え、ついに異形の額にそびえる一角に、剣が届く高度まで達した。


「秘技・【炎天】!」


 グレイはヤーグをあらん限りの力で斬り上げた。刃が纏う猛火はタンクの角を覆い、激しく揺らめいた。灼熱が音をたてると、角は瞬く間に炎上する。

 グレイは剣が角に届くギリギリの距離で刃を振るっただけだった。跳躍して上昇していても、剣が長くとも、角の全長には遠く及ばない。角を斬り落とすことは一見して不可能に思われた。

 そして、たしかに剣は角を両断するには至らなかったが、しかしタンクの一角は剣が纏う炎により一瞬にして焼き焦がされ、刹那で灰燼

かいじん

となっていた。秘技・【炎天】により、タンクの角は焼失したのである。その燃えかすが、上空から救世主たちのいる地上へと舞い落ちた。

 タンクは丸い瞳を見開き、激痛のあまり天を仰いだ。次の瞬間、タンクは苦痛の全てを悲鳴で露にした。化け物の大口から、ロアが天へと放たれたのだ。召喚魔法の使い手たる救世主たちへの被害は幸いにも皆無だが、その代償として天空を貫く咆哮の余波はグレイに直撃し、グレイは成す術もなく急降下していく。

 クロムの時のような救助が望まれたが、グレイの凄まじい落下速度ではリスクも大きい。グロウの大地魔法やチルドの氷魔法では、着地点の硬度が強すぎてグレイの身体がぺしゃんこになってしまう。ネルシスの水魔法も同様だ。遥かな高度より落下する人間が、そのスピードのまま着水すれば、正しい姿勢でもない限り重大なダメージを負う。この場にいる救世主たちが果たしてキュアドリンクを余らせているのか、確証はないのだ。最悪の場合、即死も考えられる。

 地上の救世主たちは、ただグレイが落ちていくのを黙って見ているしかないのだろうか。たしかに、このまま何もせずにグレイが地面に直撃することこそ最悪の結末だが、かといって自身の善行が直接の死因となり得ることは、いくら救世主といえど容易く出来るはずはなかった。


「どうするの!?」

「どうって言われても~……」

「ええい、一かばちかだ! なるたけ優しく受け止めるぞ!」


 不安そうな表情のチルドを前にたじろぐグロウ。ネルシスはそんな二人の眼前に躍り出ると、直径10メートルほどの水の球体を作り出し、高速でグレイの方へ放った。グレイの身体が着水する直前に球体の速度を落とし、ダメージを和らげる寸法のようだ。とはいえ、これは博打ばくちも同然の策である。しかし、他に手立てらしい手立ても思いつかない。救世主たちは秒単位で落下速度が増していくグレイを、固唾を飲んで見守った。

 一方で、グレイは五体満足で生還することは、半ば諦めていた。タンクのロアの衝撃波はやはり凄まじく、落下速度は累乗されていくようだ。みるみる地上が迫ってくる。自分と地面との間に、水の球体が割って入った――いやいや、水は水で落下時の衝撃は計り知れないだろう。

 ヤーグが灯す炎の熱に焼かれたのか、落下すると共に勢いよく眼球にぶつかる風がしみたのか、はたまた死の予感を前に怖じ気づいたのかは定かでないが、グレイは自分の瞼から一筋の雫がほとばしるのを感じた。

 その時だった。グレイは唐突な左肩の激痛に呻いた。何か巨大なマジックハンドで腕を握り潰されたような感触だ。同時にグレイは、自分が既に落下しておらず、何者かの介入によって空を飛んでいることが分かった。腕を掴む主を見上げると、そこには巨大な鳥が一対の翼をはためかせていた。


「超特急で駆けつけたんだから、感謝しなさいよね!」


 鳥がグレイの方を見下ろした。身体こそ鳥そのものであったが、その素顔はブルートのものだった。療養中だったブルートが、間一髪でグレイの危機に、文字通り飛んできたのだ。

 鈍い痛みや嫌な感覚からして、左肩が骨折ないしは脱臼していることは明らかだ。あの速度で落下しているところを強引にかっさらう形であったのだから当然だろう。

 ただ、まあ地上に激突して粉々になるよりかは、随分とマシな結果であると言える。


「みんな! 下がって!」


 すると、遠方から少女が叫んだ。レインだ。タンクの足下に群がる救世主たちは皆、彼女を注視する。

 レインは矢がつがえられていないニアの弦を限界まで引き絞り、タンクに狙いを定め姿勢を保っている。彼女の周りを漂う光の粒子の量も、先ほどと比べ尋常ではない。彼女以外の召喚魔法の使い手たちが皆、召喚魔法の詠唱をやめていることから、一つの事実が救世主たちに等しく導き出された。


「いきます!」


 レインが叫ぶと同時に、タンクの周辺に位置する全ての救世主が退避した。ブルートはグレイを猛禽類

もうきんるい

の足で掴んだまま、安全圏へと羽ばたいた。


「【イフリート】!」


 ニアの、本来なら矢先がタンクを射抜かんとつがえられているであろう位置に、紋様の描かれた赤い円が浮かび上がる。さながら魔法陣のようだ。

 レインが弓を放つと同時に、その魔法陣から全身が炎に覆われた獣が出現した。獣は獅子の如く野原を疾走しながら、恐ろしくも頼もしい咆哮をあげ、タンクへと迫っていく。タンクは角を失ったことで平衡感覚を失い、頭をくらくらさせている。その足はネルシスとチルドの連携により、未だ地面と共に凍結されている。

 炎の獣――イフリートは雄叫びをあげながら、その身体を燃え上がらせて突進していく。全身を焼くような炎は、イフリートが地を蹴る毎に盛っていく。

 そして、ついにイフリートはタンクの身体に正面から体当たりした。瞬間、タンクの巨大な体躯が丸ごと爆発し、雲すら焼き切らんばかりに高々と火柱が上がる。

 残火ざんかは消えることなく延々と燃え続けたが、そこにタンクの姿はなかった。異形の化け物の痕跡は、微塵も残らなかったのだ。救世主たちは、ただその圧倒的な光景を見届けていた。

 グレイもブルートと共に、炎上する大地を上空から見つめていた。雲間から射し込む夕焼けが眩しく、グレイは堪らず眼を瞑る。そして、グレイは未だ右手が握るヤーグを見下ろした。

 ヤーグは夕陽の光を受けながら、イフリート同様、いつまでも深紅の炎を燃やしていた。

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